巡る。

もちもち

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飯塚小学校4年2組。

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「ねぇハナ、ここ・・・だよね?」

「うん、多分。・・・『原田』だって。」


「え?」

「いや、ほらあそこ表札ついてる。」


「ほんとだ・・・まんま残ってるんだね。」





窓が開いていたという部屋は、1号棟4階、崖側の一番端っこ。

部屋の前に着くと、ハナコが玄関のドアノブをひねった。



ギギギギ・・・・・・軋みながらドアが開く。





「・・・開いた!」

「うん!」




「おっじゃましまーす・・・」

「おじゃま・・・っごほっっ臭っ・・・けほっ」




「ん?そう?臭う?・・・(スンスン)なんか家帰ったみたいに落ち着く臭いだけどここ。」

「そんなバカな・・・ごめんちょっと窓開けるわ」


そう言うと、ユキはポケットからハンカチを取り出し、口元を押さえながら小走りで玄関から真っ正面に見える部屋の窓に向かった。




ガラガラガラガラ・・・



窓を開けると、蝉の大合唱が響くとともに開け放してある玄関に向けて蒸し暑い夏の空気がモワッと吹き抜けた。ユキの冷え切った体にその蒸し暑さは心地よく、また廃団地の周囲を覆う草木の青臭い香りには清々しさすら感じられた。その空気を胸いっぱいに吸い込んで、ようやくユキは息をついた。





「よく平気だねハナ。私この臭い無理かも。」

「(スンスン)カビ臭?」



「カビ?うーん・・・何か変な臭い・・・うっ無理。」

「えーあたし鼻炎かな。分からんわー。あ、もしくはユキが犬並みに鼻がいいとかじゃない?」


「私は普通。ハナ、病院行きをお勧めする。」

「あはは、気が向いたら行くー。」




そう言いながら、ハナコはウロウロと部屋中を見て回る。タンスやテーブルなどの大きな家具はほとんど残されていた。食器やなんかが見当たらないところを見ると、ここに住んでいた原田さんは大きな家具だけ残して引っ越したらしい。



いかにも団地って感じの部屋だな~・・・と、ハンカチで口元を押さえたままユキが窓辺から室内を見回していると、ソワソワしながらハナコが薄汚れた封筒のようなものを持ってきた。




「ねね!手紙落ちてた。開けてみようよ!」

「手紙?誰のよ?」



「ここにあったんだから、ここの原田さんのでしょ?引っ越しのとき落としてったんじゃない?ほら結構黄ばんでるし。」


「ハナ~、よくそんなの触れるわねぇ。それこそばっちくないわけ?」

「後で手洗えば大丈夫だって。ほら」





ハナコは、ガサガサと封筒を開けた。中には封筒と揃いの白い便箋が入っていた。こちらも相当黄ばんでいる。
その便箋には小学生が乱雑に書いたような汚い字で『遺書』と書かれていた。





「え?!ヤバ!ユキ、遺書だって。」

「ねえ・・・ハナ、そんなの読んじゃって平気?」



「大丈夫じゃない?どうせいたずらでしょ?・・・えーなになに?」








「『遺書

4年生になって同じクラスになった5人から、ひどいぼうりょくを受けるようになりました。私がいやがっているのにクラスのみんなも先生も笑って見てて、やめてと言ってもだれも聞いてくれませんでした。藤本君にいろ目をつかったのが気に入らないと言われたけれど、私はそんなことはしてません。信じてください。

次の日からは、だれもいないところにつれていかれるようになって、お金を持ってこいと言われるようになりました。ないと言うと何度もたたかれたり、けられたり、水をかけられたり、教科書やノートも破かれてしまいました。だれかにチクったら弟にも同じことしてやると言われて、こわくなって、おこづかいも、ためていたお年玉も全部わたしました。ユウダイのぶんもわたしてしまいました。ごめんねユウダイ。

でも全然たりないって言われて、代わりに何回も万引きをさせられました。山田商店のおばあちゃん、お店のものを何回もぬすんでごめんなさい。いつもやさしくしてくれたのにごめんなさい。お金がなくて返せません、ごめんなさい。万引きは犯罪だから死んでわびろと言われて、学校の屋上に連れてかれて、飛びおりるように言われたけど、そのときはこわくてできませんでした。ごめんなさい。

明日、盗んだもののお金をかせぐために5人の知り合いの男の人たちの相手をしろと言われています。私の借金だから逃げたらお母さんにやらせると言われました。もうどうしていいのかわからない。ほんとは生きていたかったけど、私が生きてるとユウダイやお母さんにひどいことをされちゃうから、こわいけど死んでおわびをします。ごめんなさい。お父さん、お母さん、ユウダイ、今までありがとう。大好き。いっぱいごめんね。

カズエちゃん、リョウコちゃん、ルリちゃん、久保さん、羽田さん、私が死ぬので家族に酷いことはしないでください。

原田ユウコ』」










「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」







「・・・なんか・・・・・・想像より重い。」

「ハナ・・・それもしかして本物なんじゃないの?」





「あ、待ってもう2枚入ってる。こっちは字が違う、大人みたい。えー・・・」








『娘の一周忌が終わりました。



この娘の遺書を見つけてから学校に何度も相談に行きましたが相手にされないばかりか、すぐに娘に暴力をふるい続けたこの5人の同級生の母親達に相談内容が伝わり、逆に娘を貶める誹謗中傷をたくさん受けました。それが家族全員を貶める内容に変わるのに時間はかかりませんでした。

学校も、パート先も、友人も、団地の人や近隣の人、全く知らない人まで、皆この5人の同級生の母親達の味方でした。県や市の窓口にも警察にも弁護士のところにも、あらゆるところに相談に行きましたが、その度に娘さんが悪かったんじゃない?と嘲るように笑われただけで、ろくに話しも聞いてはもらえないまま追い返されてしまいました。


嫌がらせも酷くなってきました。嫌がらせはするのに私はどこにも存在しないようです。誰も目すら合わせずに酷いことをしては笑っています。どこにいても私達家族を貶める会話だけが聞こえてきます。騒いだ私が悪いんだと何百回言われたかわかりません。最近ではユウダイまでも標的になり始めました。逃げられない、私が生きていたらユウダイまでも殺されてしまう、そう感じます。

ユウコ、あなたの苦しみに気づかなくてごめんね。あの日、変わり果てたあなたの亡骸を抱きしめたとき、何故こんなことになったのか分からず、私は何も考えることができませんでした。そしてあなたが残した遺書を見つけても結局私では守ってあげることもできなかった。だめなお母さんだった。ごめんね。ユウダイ、私のせいでごめんなさい。私さえいなくなれば・・・。



ユウジさん、勝手をしてごめんなさい。
ユウダイをよろしくお願いします。どうか。』」








カサリ・・・・・・ハナコは3枚目を読み始めた。








「『娘を死に追いやった同級生の名前は、飯塚小学校4年2組、山崎カズエ、横沢リョウコ、久保リコ、飯田ルリ、羽田ミクの5人。私を死に追いやるその母親達の名前は、山崎フミノ、横沢ユリエ、久保ヨシノ、飯田スミエ、羽田ミキコ。

1995年9月18日  原田ヨリコ』」








「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」







しばらくの沈黙の後、ユキとハナコが青ざめた顔で見つめ合った。






「あのさユキ。変なこと言っていい?」

「え?・・・あ、うん」




「『山崎カズエ』って、うちのママの結婚前の名前なんだけど・・・。」

「え?ハナコも?『横沢リョウコ』って、私のママの旧姓のときの名前・・・。しかも、おばあちゃん『横沢ユリエ』。」







ギイイイイ・・・・・・カ・・チャン・・・・・・


玄関のドアが閉まる音がした。

入ってきたとき、ユキが開けっ放しにしておいたのだが。







「・・・か風かな。し・・・閉まっちゃったね。」

「・・・・・・うん。」







13時を過ぎたばかりだというのに、玄関のドアが閉まると部屋の中は異様に薄暗くなった。窓は開いているのに妙な息苦しさを感じる。2人は閉まった玄関のドアを見つめたまま黙った。会話が途切れると、さっきまで響いていた蝉の鳴き声も途端に消え去った。まるでこの部屋だけが沼の中にトプンと沈んでしまったかのように静まりかえる。澱んだ水が体に纏わりつき、足元から徐々に沼の底に沈み込んでいくような錯覚すらした。






ギイ・・・・・・ギイ・・・・・・ギイ・・・・・・ギイ・・・・・・ギイ・・・・・・・・・・・・





静かになって気がついた。変な音がしている。

2人がキョロキョロ見回すと、ユキとハナコのいる場所から玄関までの間に何かが動いているのに気がついた。どうやらそれがギイギイと変な音を立てているようだった。




「・・・ぁ」

「?」



「帰ろうハナ」

「え?」

「いいから!早く!」





突然、ユキがハナコの腕を掴んで引っ張った。
ユキはハナコをひきずるように玄関まで行くと、乱暴に玄関のドアを開けて、2人して転がるように廊下に出た。そのまま振り返ることもなくユキは階段に向かう。ユキの勢いにのまれハナコも無言のまま階段を走り降りて、ガシャン!ガシャガシャと初めに入ってきたフェンスを飛び出した。





坂の途中まで走って、2人して倒れこむように地面に座り込む。




はあっはあっと、息を切らしながらしばらく座っていると、さっきまで消えていた木々の騒めきや蝉の鳴き声が煩いほどに2人を包んでいるのに気がついた。夏の陽ざしに焼かれたアスファルトの熱さが、ちゃんと外に出てきたんだと2人に教えてくれた。








「ハナ・・・気がついた?」

「え?」


「あの部屋の玄関と台所の間のとこ。私、柱があるんだと思ってたの。でも違った。あれ柱なんかじゃなかった。・・・・・・女の人だった。」




「・・・え?」



「・・・・・その人、上の梁に縄かけて首吊ってたの。すごい首が伸びてて足が床につきそうになってて」


「・・・・・・」



「・・・・・・さっき玄関が閉まった後、変な音がしてたでしょ?」
「・・・うん」



「薄暗い中で、それがギイギイ少しずつ向きを変えてこっちを見ようとしてたの。スゴイ顔して・・・どうしよう目が合ったっぽい・・・ニヤァって・・・で・・・・・・ううん」





ユキは体を震わせながら、何かを振り払うように激しく首を振る。




「あれが自殺した原田ユウコさんのお母さんじゃないかな。うちのママとハナコのママ、あの女の人の娘さんのことを自殺に追い込んだってこと?で、私らのおばあちゃん達があの女の人のことを?」


「ユキ落ち着いて!同じ名前なんていくらでもいるし、そんなのわかんないよ!」


「・・・飯塚小学校4年2組。ママも飯塚小だった。なんか武勇伝みたいな自慢話よく聞かされたからよく覚えてる。同姓同名で同じ小学校なんてそういないでしょ?・・・確か自分たちの学年は子供が少なくて2クラスしかなかったって言ってたから。卒アル見ればすぐ確かめられる。」






「・・・・・・」




「・・・ハナ、今からうちに確認しに行こう?」

「えっ・・・うん」




ユキはそう言うと、震える身体を奮い立たせるようにバッと立ち上がり坂を下り始めた。ハナコも慌てて立ち上がりユキの後を追った。


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