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夢うつつに終わらせてなどやるものか。
しおりを挟む「いやあ、義姉上からお茶に誘っていただけるとは光栄です」
「ええ、本当に。おまねきありがとうございます」
ひかりさすサンルームで丸いテーブルを囲みながら、白々しい台詞を口にするロバートとニコラスに、マリステラは溜め息をついた。
「おや、どうなさったのですか、義姉上」
そしらぬそぶりで問いかければ、愛らしい柳眉がひそめられる。
――しかめっつらをしたいのは、こっちの方だよ。
ぐるりと並べられた植木や花の鉢、緑のカーテンで囲まれたサンルーム、流れる水の音は涼やかではあるが、健全すぎる。
――まあ、夜中にホイホイやってくるとは思わなかったがな。
マリステラなりに考えたのだろう。昼間に人目を避けて、けれど、悪い噂が立てられなさそうな場所で話をしようと。
人払いはしてあるが、一声マリステラが叫べば、護衛か侍女がなだれこんでくるはずだ。
まあ、叫ばせなけりゃ、いいだけだ――と、ロバートは唇の端をつり上げて、それを見たマリステラは、そっと息をついた。
「……わかってらっしゃるでしょう。昨日の小瓶をお返しください」
「えー? だから、あれはぁ」
ニコラスがはぐらかそうとしたところで、マリステラの虹色の瞳が細められた。
「戯れ言は、もうたくさんです。そうよ、あれは、あなたがたが懇意にしているフィードから私が買ったものです。どうやって、私の部屋から手に入れたかは知らないけれど、それは泥棒よ。返してちょうだい。放蕩に加えて盗みまでするなんて、最低だわ。いつまでも改心できぬようなら、夫に王宮から追いだしてもらいますからね!」
凛とした口調で責める少女に、ロバートとニコラスの瞳に、じわりと怒りが燃えあがった。
「……へえ、そうですかぁ。では、最後に兄上にお別れの挨拶をしなくてはいけませんねぇ。そのときに、これもお渡しします。兄上から返してもらってくださいねー?」
「っ、それは……」
「わかってますよ、義姉上、兄上には内緒で買ったんだろう? 民の血税を使って、こんないかがわしいものを。こっそりと」
「どうしてこんな、いやらし~いものを買ったりなさったんですかぁ? こんなものを使わなくったって、あっつあつでしょうに」
「それ、は……」
グッと唇を噛みしめて、虹色の瞳が頼りなげに揺れる。
気高き王太子妃が「もう我慢できない」と、妖しい商人から媚薬を買ってまで「夫を誘惑したい」と望んだ理由に、うっすらとロバート達は検討がついていた。
黙りこんでしまったマリステラに、ニコラスは笑みを向けて「まあ、とにかくお茶にしましょう」と立ちあがった。
「……僕、お茶をいれるのは上手なんですよぉ。亡き母上に、よくしこまれましたからぁ」
「……お母様に?」
「ええ。母の噂は聞いているでしょう? あの人は人前では強がって悪女ぶっていましたけれど……陰ではいつも泣いていたんですよ……」
「そうなの、ですか?」
「はい。……僕たちがものごころついたときには、父上の寵愛は失われていましたからねー」
ニコラスは母親譲りの美貌を、哀し気に曇らせる。
「母付きの侍女は、あまり母を丁重に扱ってくれなかったもので、せめて私達が母上を大切にしてあげたいと、肩をもんで差しあげたり、こうしてお茶をいれたりして差しあげたんです……なつかしいなぁ」
「……それは……お母様も、さぞお喜びだったことでしょうね」
ニコラスの語る幼き日の母子の思い出に、マリステラは痛まし気に眉を下げた。
「……そうだといいのですが……はは、いやだなぁ、しめっぽくなっちゃって……あっ」
ニコラスが目元を拭った拍子に紅茶をはかる銀の匙が手からすりぬけ、床に落ち、跳ねた。マリステラの足元まで。
「ああ、すみません」
「大丈夫よ」
すっと背をかがめて、マリステラが匙を拾いあげ、テーブルの端に置いた。
「ありがとうございます。……さぁ、どうぞ」
「ありがとう」
「ああ! どうせなら、母上が好きだった飲み方で召しあがっていただけますか?」
そういうとニコラスは、ガラスの小皿に盛られたスコーン用のジャムをマリステラに差しだした。
「ジャム?」
「甘ずっぱいジャムをたっぷり入れて飲むのが母の祖母の国の伝統だったとかで……母は曾祖母に、とても可愛がられていたとかで、幸せだった時の思い出の味だそうです」
「……そう、では、いただこうかしら」
「はい、では、お入れしますねぇ」
微笑みながら、ニコラスは、たっぷりのジャムをすくい、マリステラのカップへ入れると、くるくるとかき混ぜた。
「ありがとう。いただきます」
優雅な手つきでマリステラがカップをもちあげ、傾けて。
「……っ」
未知の味に眉をひそめた。
「はは、甘いでしょう? でも、これと一緒に、塩気の強いビスケットを合わせると意外に美味いんですよ」
「……そうね。これにあわせるのなら、ビスケットね」
ロバートの言葉に、ぎこちなく頷きながら、マリステラは甘すぎる紅茶を、一口、また一口と飲み干した。
「紅茶に入れるだけではなくて、先にジャムを口に入れて、それから紅茶を飲む方法もあるそうです。そちらで試してみますか?」
「え? いえ、でも……」
「では、こうしましょう」
ロバートは懐から取りだした桃色の小瓶を目の前にかざした。
するりと動いた虹色の瞳が、あ、と見開かれる。
「これ、お返ししますよ。ね、ですから、最後に一度くらい、私達と義姉として楽しいお茶の時間を過ごしてください」
「……わかりました。おつきあいします」
こくりと頷き、マリステラは手のひらを差しだした。
ロバートも素直に手を伸ばし、小さな手のひらに渡そうとして――。
「あっ」
「おっと」
手のひらで跳ねた小瓶がテーブルを転がり、すとんと端から落ちようとして――マリステラは慌てて膝をつき、小瓶を受けとめた。
「すみません! 義姉上、大丈夫ですか?」
「いえ、大丈夫よ」
ドレスの裾を払って、そそくさと桃色の小瓶をドレスのポケットにしまいこみ、ホッとしたようにマリステラは微笑んだ。
「さぁ、どうぞー」
「……ありがとう。いただくわ」
席につき、出された紅茶を何の疑いもなく口にする少女をながめながら、ロバートとニコラスは、ひそやかに視線を交わしあい、ほくそえんだ。
――女は、ちょろいな。
母の話は八割がた、嘘だ。
この親にして、この子ありとはよく言ったもので、双子の母親は、先の王妃が亡くなり悲しみに沈む王を慰めるふりをして媚薬をもって既成事実を作り、王妃の座についた最低の女だ。
先の王妃の喪が明けぬうちから、腹にあなたの子がいるのですと他の家臣もいる前で泣きつき、心やさしき王は、無下にできずに責任をとることとなった。
そのような手段で王妃になった女が、侍女や家臣に好かれるはずもない。今のロバートやニコラスのように最低限の世話をされるほかは、適当に放っておかれていた。
それでも、そんなことを気にして泣くような女でもなかった。
「一日中、そばでみはられるのなんてうんざり。余計な世話をしてこなくて楽だわぁ」と笑いながら、自堕落な暮らしをし、産まれた我が子も犬や猫の子を可愛がるように適当に愛でるだけだった。
もっとも、ロバート達としても、先の王妃はとても教育熱心だったと聞いていたので、自分の母親が適当な女でよかったとホッとしていたのだが。
――まあ、それでも、女は母親ネタに弱いからな。
先ほどマリステラにしたような話をしながら亡き母を偲ぶような顔をして、紅茶とジャムを出すと大抵の女は断らずに口にする。
そのやさしさが、我が身を滅ぼすとも知らずに。
「……義姉上、どうかなさいましたか」
勝率は、今回の勝利を含めて、七勝一敗。
「いえ……陽ざしが強くなったのかしら……なんだか……暑いわ」
白い額に浮かぶ汗の粒に、ロバートは唇を歪める。
茶器もジャムも紅茶も、マリステラが用意した物だ。
彼女に渡した小瓶の中身も一滴も減っていなかった。
だからこそ、疑わずに口にしたのだろう。匙や小瓶を拾うわずかの隙に、媚薬を盛られていたとも知らずに。
――バカな女だ。俺たちも同じものを持っているかもしれないとは考えなかったのか?
甘いはずだ。あの媚薬は、蜂蜜並みに甘く味つけてある。
ほんのりと興奮させるだけならば、ティースプーン一杯で充分だが、腰が抜けるほど蕩けさせるには、あの小瓶の半分は要る。今回は、念には念を入れて、一瓶まるごと、二回にわけて放りこんだ。
量が過ぎれば、しばらく効果が抜けなくなるそうだが、七日もあれば、最後の方には抜けるだろうとロバートもニコラスも楽観的に考えていた。
二人はマリステラの――女の身体を思いやる心など持ちあわせていなかったから。
「……っ、はぁ」
悩まし気な吐息をこぼし、マリステラの頭がぐらりと揺らいだ。手をつき、くずおれまいと必死に身体を支えているが、それも時間の問題だろう。
「……あれぇ、どうしたのですか、義姉上? ご気分が悪いのですか?」
白々しく問いながら立ちあがったニコラスが、マリステラの背後に回り、さらりと肩をなでると「んっ」と甘い声がこぼれる。
「え、……どうし、て」
自分の声に驚いたように、虹色の瞳が見開かれる。
肩から細い首へと指先でなぞると、嫌悪か快感か、ぶるりと身を震わせ、マリステラは力なく首を振った。
「やっ、さわらない、で」
凛としていた虹色の瞳は、身体の内からこみあげる熱にあぶられ、すっかりと潤み、ぼやけはじめている。
――女神の末裔といっても、所詮は女ってことか。
それでも、普通の女ならば、だらしなく股をひらいて男を求めはじめるほどの媚薬を盛られているにも関わらず、マリステラには、まだまだ理性が残っているようだった。
「……はは、義姉上ェ、どうしたんですかぁ、起きてくださいよぉ」
するするとうなじを肩を、ドレスからのぞくデコルテをニコラスの手が這いまわるたびにマリステラは快感と嫌悪に顔を歪め、どうにか振りはらおうとしている。
――まあ、この方が、おいしいっちゃ、おいしいか。
こみあげる衝動に必死に抗おうとする兄嫁を見つめながら、ロバートは劣情に燃える瞳を細めた。
――夢うつつに終わらせてなどやるものか。
それでは、つまらない。しっかりと、記憶に刻んでもらわないとな――とロバートは残酷な笑みを浮かべ、茶器をサービングカートに移しはじめた。
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