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第H章:何故倒された魔物はお金を落とすのか
生と死/4:姉は天才と呼ばれ、妹は狂人と呼ばれた
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「ん……」
「どうしました?」
「別に」
世界各国の頭脳が集まるパーティにおいて、主役にふさわしい実績を見せている綾崎シズカの周りには、会が開かれてしばらくの間こそ人垣が出来ていたが、今は閑古鳥が鳴き始めている。世界は彼女が天才であることは知っていたが、ここに来てようやく、彼女が「本物」であることを理解する。本物の天才は、もはや人と同じ心の形をしていない。言葉は通じてもコミュニケーションが取れない存在、それが本物の天才だ。
一方で、一足先に日本に帰ったシズクとリクを除いてこの場に残っていた日本人にとって、それは既知のことだった。本物の天才の行動にずっと手を焼いてきた彼らには、今更ナショナリズムに沿った日本の威信だとかのために彼女のフォローをする気など皆無であり、無心で本場ヨーロッパのワインに溺れていた。
「すみません。私達は、なにか彼女の気に触ることをしてしまったのでしょうか?」
そんな日本人グループに対して徒党を組んでおずおずと声をかけた面々は、立ちくらみを起こしかねない豪華な面々だった。綾崎シズカの存在がなければノーベル賞を争ったであろう面々が、西と東、資本と共産の垣根を超えて迷える子羊となっていたのだ。これにはもう彼女のことについては諦めようと決めていた日本人グループも、原子炉冷却水タンクの水を浴びせられたかのように一瞬で酔いが冷めることになった。
「申し訳ありません。あの人は、いつもああなんです。私達の言葉は彼女の左耳から入り、そこで一度音速を超えた電気信号として脳内を通過してから再び音速に戻り右耳から抜けていきます。あなた方は何も悪くありません。ただ、綾崎シズカという人間は、そういう人間です。いえ、もしかすると、人間ではないのかもしれません」
精一杯の理系ジョークで笑いを取ろうとしてみたものの、それは世界の頭脳からα波を発生させる働きをすることはなく、ただ、共感と憐憫を発生させていた。
「でも、そういう意味でいえば、彼女はいつもより明確に上機嫌ですよ」
「あれでですか?」
「あれでです。かつて、彼女、もとい『あれ』とコミュニケーションが通じた希少な機会が得られた際に聞いたことがあるのですが、あれは自らの研究のモチベーションは世と人のためだと断言しました。お抱えの大学や企業、また、日本としては素直に喜べないところであることは確かなのですが、とにかく、あれは純粋に人間が好きで、人間の幸せと繁栄を望んでいるのでしょう。奉仕に喜びを示す善人、と言えるでしょうかね。だから、自分の研究が世界のためになり、それで喜ぶ人が増えることはあれの喜びに直結している。普段はその絶望的な理解力の差によって、自身の研究が他人の喜びに繋がっているという実感がまるで得られないためか、常に不機嫌と言えます。しかし、今は理解できる人たちが揃っている。だから、あれはいつもよりとても機嫌がいいのでしょう」
「あれでなんですね」
「あれでなんです」
「こういう時、日本語ではこう言うのでしょうか。心中お察しします、と」
「もう慣れましたよ」
後の教科書に名前が乗るかもしれない未来の偉人が、場末のガード下の立ち飲み屋で出会ったおっさんのようなモーションで肩を叩き、安酒ならぬ最高級ワインをグラスに注ぎ始めた。
「まぁ一杯、どうぞどうぞ」
「おっとっと」
改めてであるが、ここは神田か有楽町の立ち飲み屋ではなく、ストックホルムの三つ星ホテルのパーティ会場だ。そこに居るのは疲れきった社畜サラリーマンではなく、世界最高峰の頭脳集団である。尤も、相対値として見た時に、綾崎シズカにとっては同じなのかもしれないが。
「ところで、彼女には優秀な妹が居ると聞きました。妹さんはどちらですか?」
と、ここで明確に日本人研究者達が不満に顔を歪める。
「一足先に帰りましたよ。本当に信じられません」
小刻みに震える手がワイングラスに波紋をたてる。
「はぁ、あの姉にして、というべき天才なのでしょうか」
「そうかもしれませんが、そのベクトルは正反対です」
「と言いますと?」
「綾崎シズカは、他人さえ良ければそれでいいという善人です。だからこそ世界のための研究を行い、それを広く共有するために論文を書き、このようなパーティにも実のところ喜んで参加してくれます。一方の妹、綾崎シズクは、自分さえ良ければどうでもいいという独善的な個人主義者で、今日も日本で自分の研究を進めるためという理由で真っ先に帰りました。そして、彼女はその研究成果を基本的に共有しません。彼女の研究目的とは、自身の好奇心を満たすためのみであり、つまるところ、彼女が知った時点でもう終わりなのです。しかも、その研究は基本的に世と人のためにならない。発表しないからリストアップされないだけで、もしも彼女がこれまでの研究を発表すれば、姉である綾崎シズカがノーベル賞の注目を独占するように、妹である綾崎シズクはイグノーベル賞の注目を独占するでしょう。姉を善人とするならば、妹は……」
「悪人、というわけではないように聞こえますが」
「えぇ、もちろん悪人ではありません。ただ……」
――狂人なんですよ。
その時、会場に叫びにも近い大声が響いた。スイス航空の旅客機が、エンジントラブルでヒマラヤに墜落。乗員乗客の生存は絶望的。近年稀に見る航空機墜落事故に、そのシズクが巻き込まれたという報告が会場に響き渡り、そして、グラスの割れる音が、最も会場内の人の密度が低かった場所から響いた。
「昨夜未明、ヒマラヤ上空を航行中のスイス航空第255便が、エンジントラブルにより墜落。乗員乗客327名は全員死亡したとの報告が、中国政府より発表されました。乗客内の日本人は2名。馬喰リクさん23歳と、綾崎シズクさん23歳で、この2名は、ノーベル物理学賞受賞の綾崎シズカさんの式典からの先んじての帰国中の事故でした。綾崎シズクさんは、綾崎シズカさんの双子の妹であり、この事故に対し、姉でノーベル物理学賞受賞者でもある綾崎シズカさんは……」
「どうしました?」
「別に」
世界各国の頭脳が集まるパーティにおいて、主役にふさわしい実績を見せている綾崎シズカの周りには、会が開かれてしばらくの間こそ人垣が出来ていたが、今は閑古鳥が鳴き始めている。世界は彼女が天才であることは知っていたが、ここに来てようやく、彼女が「本物」であることを理解する。本物の天才は、もはや人と同じ心の形をしていない。言葉は通じてもコミュニケーションが取れない存在、それが本物の天才だ。
一方で、一足先に日本に帰ったシズクとリクを除いてこの場に残っていた日本人にとって、それは既知のことだった。本物の天才の行動にずっと手を焼いてきた彼らには、今更ナショナリズムに沿った日本の威信だとかのために彼女のフォローをする気など皆無であり、無心で本場ヨーロッパのワインに溺れていた。
「すみません。私達は、なにか彼女の気に触ることをしてしまったのでしょうか?」
そんな日本人グループに対して徒党を組んでおずおずと声をかけた面々は、立ちくらみを起こしかねない豪華な面々だった。綾崎シズカの存在がなければノーベル賞を争ったであろう面々が、西と東、資本と共産の垣根を超えて迷える子羊となっていたのだ。これにはもう彼女のことについては諦めようと決めていた日本人グループも、原子炉冷却水タンクの水を浴びせられたかのように一瞬で酔いが冷めることになった。
「申し訳ありません。あの人は、いつもああなんです。私達の言葉は彼女の左耳から入り、そこで一度音速を超えた電気信号として脳内を通過してから再び音速に戻り右耳から抜けていきます。あなた方は何も悪くありません。ただ、綾崎シズカという人間は、そういう人間です。いえ、もしかすると、人間ではないのかもしれません」
精一杯の理系ジョークで笑いを取ろうとしてみたものの、それは世界の頭脳からα波を発生させる働きをすることはなく、ただ、共感と憐憫を発生させていた。
「でも、そういう意味でいえば、彼女はいつもより明確に上機嫌ですよ」
「あれでですか?」
「あれでです。かつて、彼女、もとい『あれ』とコミュニケーションが通じた希少な機会が得られた際に聞いたことがあるのですが、あれは自らの研究のモチベーションは世と人のためだと断言しました。お抱えの大学や企業、また、日本としては素直に喜べないところであることは確かなのですが、とにかく、あれは純粋に人間が好きで、人間の幸せと繁栄を望んでいるのでしょう。奉仕に喜びを示す善人、と言えるでしょうかね。だから、自分の研究が世界のためになり、それで喜ぶ人が増えることはあれの喜びに直結している。普段はその絶望的な理解力の差によって、自身の研究が他人の喜びに繋がっているという実感がまるで得られないためか、常に不機嫌と言えます。しかし、今は理解できる人たちが揃っている。だから、あれはいつもよりとても機嫌がいいのでしょう」
「あれでなんですね」
「あれでなんです」
「こういう時、日本語ではこう言うのでしょうか。心中お察しします、と」
「もう慣れましたよ」
後の教科書に名前が乗るかもしれない未来の偉人が、場末のガード下の立ち飲み屋で出会ったおっさんのようなモーションで肩を叩き、安酒ならぬ最高級ワインをグラスに注ぎ始めた。
「まぁ一杯、どうぞどうぞ」
「おっとっと」
改めてであるが、ここは神田か有楽町の立ち飲み屋ではなく、ストックホルムの三つ星ホテルのパーティ会場だ。そこに居るのは疲れきった社畜サラリーマンではなく、世界最高峰の頭脳集団である。尤も、相対値として見た時に、綾崎シズカにとっては同じなのかもしれないが。
「ところで、彼女には優秀な妹が居ると聞きました。妹さんはどちらですか?」
と、ここで明確に日本人研究者達が不満に顔を歪める。
「一足先に帰りましたよ。本当に信じられません」
小刻みに震える手がワイングラスに波紋をたてる。
「はぁ、あの姉にして、というべき天才なのでしょうか」
「そうかもしれませんが、そのベクトルは正反対です」
「と言いますと?」
「綾崎シズカは、他人さえ良ければそれでいいという善人です。だからこそ世界のための研究を行い、それを広く共有するために論文を書き、このようなパーティにも実のところ喜んで参加してくれます。一方の妹、綾崎シズクは、自分さえ良ければどうでもいいという独善的な個人主義者で、今日も日本で自分の研究を進めるためという理由で真っ先に帰りました。そして、彼女はその研究成果を基本的に共有しません。彼女の研究目的とは、自身の好奇心を満たすためのみであり、つまるところ、彼女が知った時点でもう終わりなのです。しかも、その研究は基本的に世と人のためにならない。発表しないからリストアップされないだけで、もしも彼女がこれまでの研究を発表すれば、姉である綾崎シズカがノーベル賞の注目を独占するように、妹である綾崎シズクはイグノーベル賞の注目を独占するでしょう。姉を善人とするならば、妹は……」
「悪人、というわけではないように聞こえますが」
「えぇ、もちろん悪人ではありません。ただ……」
――狂人なんですよ。
その時、会場に叫びにも近い大声が響いた。スイス航空の旅客機が、エンジントラブルでヒマラヤに墜落。乗員乗客の生存は絶望的。近年稀に見る航空機墜落事故に、そのシズクが巻き込まれたという報告が会場に響き渡り、そして、グラスの割れる音が、最も会場内の人の密度が低かった場所から響いた。
「昨夜未明、ヒマラヤ上空を航行中のスイス航空第255便が、エンジントラブルにより墜落。乗員乗客327名は全員死亡したとの報告が、中国政府より発表されました。乗客内の日本人は2名。馬喰リクさん23歳と、綾崎シズクさん23歳で、この2名は、ノーベル物理学賞受賞の綾崎シズカさんの式典からの先んじての帰国中の事故でした。綾崎シズクさんは、綾崎シズカさんの双子の妹であり、この事故に対し、姉でノーベル物理学賞受賞者でもある綾崎シズカさんは……」
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