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第He章:人類根絶に最適な魔物とは何か

壊れていい物と壊れてはいけない物:皇帝の側近に転職するためにはまず金の珠を握り潰してください

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 キャラバンの進行は遅かった。そこには子供や赤ん坊を抱えた母親、さらにはこの世界の平均寿命を遥かに超えている50代以上の老人も混ざっているのだ。当然といえば当然である。さらに、移住の警護を任されていたギルドの騎士団は、これに加えて移民団の指揮統制を心配していた。なにも戦闘するわけでもないのに指揮だの統制だのと思うやもしれないが、彼らは家を捨て、持てる分以外の財産を捨て、絶望と共に逃避行をする集団である。もう嫌だ、歩きたくない、ここで死ぬんだ、そう言い出して移動が止まることは、はなから想定に織り込み済みであった。

「いや、本当に織り込み済みだったんですよ。それがまさか、こんなスムーズに進むなんて。あなた達には感謝してもしきれません。まさかあんな食べ物があるんなんて。本当に、食べ物の力は偉大です。ありがとうございます」
「いいのいいの。なんだろう、ラーメンは天からの授かった奇跡なの。苦しい時にはまずうまい飯を食えってね。これも私達の神様の思し召しってやつかな? シスターイルマ?」
「あ……はい。その通りです。神は仰っています。ネコと和解せよと。新しく建設する都市では、邪悪なる悪魔の使いであるネズミを駆除する彼らを崇めるのです。そして、手洗いうがいの習慣を徹底し、神に恥ずかしくないよう、清潔な肉体と街を維持しましょう」

 リクはもう知っている。イルマは元の街で、常人には理解できない学問の才を奇跡であると誤解されてシスターと呼ばれただけであると。それどころか、この世界の宗教権力者の承認は受けていなかった完全なもぐりであり、実のところその宗教権力からは異端者として追われている立場であると。彼女は神を信じておらず、故にこの世界に信仰にまつわる経典をまるで知らない。彼女の言う教えは、宗教的説話としては完全な妄想オリジナルストーリーだ。

 ただ、この世界ではほとんどの人間が理解していない公衆衛生の概念と、病魔の正体、そして、その本当の治療法を彼女は熟知している。この世界の宗教従事者の大きな仕事の1つが病気や怪我を治療するための祈祷であり、結果的に彼女はそれを本職以上に成功させてしまうものだからむしろたちが悪いというべきかなんというべきか。

 その性格は、シズクが死んでもすぐに蘇生するということを理解した上で、シズクがちょっとした怪我をしただけで己の魔法を用いて痛みを感じる暇を与えず即死させる通称「デスヒール」使いのサイコパスだ。それどころか最近は、死んだシズクが自分たちの近くで蘇生することを学習し、遠くに居るシズクを呼び戻すために遠距離魔法射撃を打ち込む通称「デスルーラ」まで使うようになった。シズクはシズクでそんなイルマがお気に入りで、私のために素早く合理的判断をしてくれる賢くていい子というが、傍目に見ている分はサイコパスを通り越してシリアルキラーの域に足を踏み入れているような気がしなくもない。

 そしてここだけの話、イルマがそこまでさくさくとシズクを殺す理由がわかってしまっている。彼女は、シズクの腕が欲しいのだ。物理的な意味で。腕が残るような形でシズクの息の根を止めると、シズクは別で完全再生し、前の腕はその場に残る。この腕の中ではまだ肉体の新陳代謝が機能しており、この腕を使用し現実における牛痘のような形でのワクチン開発を行ったり、他の新薬開発の実験土台にできたり、また、彼女が未習得である外科医療の練習に使用できるのだ。シズクはこれを「減るものじゃない」と言って気にしておらず、むしろいっしょに外科実習に付き合うなどしているのだが、世が世ならエリザベート・バートリーも真っ青である。幸いなのは、イルマには医学の基礎常識があり、血を飲むとか肉を食らうという発想に至らないことだけである。一度そういうことはしないのかと本人に直接聞いてみたところ、危険だから今後はやめてくださいと厳しく説教された。どうも誤解させたようである。

 実のところ、近代医学の発展において最大の障害となっていたのは、倫理観である。例えば、20世紀の初頭。日本で奇病が蔓延していた。後に日本住血吸虫と呼ばれる寄生虫が農作業の最中に皮膚から侵入していたことが原因であると判明するのだが、この発見は遅れに遅れる。成体のサイズは1cmほどであり、顕微鏡のようなものがなくとも遺体の解剖を行えば発見できたはずであるのに、この頃の日本では遺体の解剖ができなかったのだ。それは法律上の問題ではなく、すぐに命を失うであろう患者が、死後に自らの体を解剖されることを拒んだためである。当然、その身内も全力で拒むのだから解剖などできようはずがない。これは、魂の概念すら曖昧な死生観において、遺体を傷つけることが死後の世界での平穏に悪影響をもたらすと本気で信じられていたためだ。しかもあろうことか、この考えを医者ですらも信じていた。それが発見の遅れの理由だ。

 その点、イルマは倫理観に加えて信仰心が皆無である。寄生虫である可能性を考えたら、もとい、おそらくイルマならば可能性を考える前にシズクを解剖する。その思い切りの良さにはもはや狂気すら覚えるのだが、彼女の狂気と、お前は幸福な王子かと思わされる程度に気前よく体の部位を渡してしまうシズクの狂気が2乗された結果により、この世界の医学は極めて局地的ながら光の速さで歩み進んでいる。

 当初は現代医学の発展の歴史と基礎的な知識があるシズクにいろいろ教わっていたようではあるが、シズクは医学部ではなく、当然医療の専門家でもない。結果的に、医療知識及び医療技術において、イルマはシズクと出会ってここまでの1ヶ月あまりでシズクを追い抜いた。

 加えて、光の魔法を操れることで本来ならば医学の進歩に必要不可欠なはずの顕微鏡が不要。同時に、光は熱を発生させるためある程度の温度コントロールも可能で、さらにはレーザーメスのような芸当すら習得しつつあるのだから器具不足で足は止まらない。

 さらにさらに、イルマには頭を抑える者がいない。今の日本の大学病院でもありがちな病院内での派閥闘争や、研究において一定の配慮を伴って遠慮すべきその道の偉大なる先駆者が一人も存在しないのだ。もはや誰もイルマの医道を止められない。

 先日は、シズクから放射線医療の概念を聞き、これを自分の中の知識でどうにか咀嚼。中性子を出せるというシズクをサイクロトロンかなにかの医療道具のように扱い、予め切り抜いてあったシズクの肝臓に放射線を照射し様子を観察していた。痛みなく殺すためには脳をやれば良く、体が分かれた場合基本的に脳がある側、脳が消滅していれば最も残る割合が大きい場所から再生する。この条件をうまく利用すれば脳以外の任意の部位を確保できると理解した結果、首から下の臓器に関しては一通り見聞が済んでいるというのだから本当に恐ろしい。この世界の技術水準は11世紀前後であり、医療に至っては基本が祈祷、先進的な方法として瀉血が行われている状況において、ひとりだけ技術水準が21世紀に足を踏み入れかけているのだ。

 だが世の中には、ブラックジャックの描写や医療ドラマにおける手術シーンで手の力が抜けてしまうような嫌悪感不快感を覚える者が少なくないはずなのだが、その、なんというか、もう少し手心というものを、と思わなくもない。実際、近くで見ていると食欲がなくなるような光景を平然と移動中にやっているので、これに関しては護衛の騎士団からも苦情が入っている始末である。

 魔王を倒すまで何度でも蘇る呪われし勇者。そう聞けばどこかヒロイックな雰囲気を持つダークなバトル展開になるのが普通である。だがシズクは違った。偶然にもイルマという狂人を味方につけてしまったが故、彼女はその能力を局地的な医療の発展に全振りしてしまったのだ。それを二人で本当に楽しそうに語るのだから、こちらの気は滅入るばかりであり情けない。

 とはいえ、実際シズクは無制限に蘇生するが自分はそうではない。こちらは怪我や病気になっても息の根を止めてもらうわけにはいかないのだ。もちろん、大怪我や病気に苦しむ中で祈祷師に延々と祝詞をあげられるのも御免である。ここは埼玉県ではないのだ。実際にそうなった時に頼るのはイルマなわけで、それが見えている以上やめろということもできない。果たして今の自分は幸運なのか、不幸なのか。リクにはわからなかった。だが少なくとも、さっきまで内蔵を解剖していたのに、直後にもつ煮込みラーメンを食べるのは本当に勘弁して欲しいと思うばかりである。

「大丈夫だよ、手は洗ってるもん」
「そうじゃねぇよ……」

 何を言ってるのかわからないと言わんばかりで二人で顔を見合わせるのは本当にやめてほしい。

「ところで、シズクさん。困ったことがあります」
「どうしたの?」
「私はシズクさんのおかげで、肉体のあらゆる部位を解剖できました。たくさんのことが知れました。本当にありがとうございます」
「いいのいいの、減るものじゃないしたくさんあるんだから、どんどん使って」

 普通、人間の臓器は肝臓以外オンリーワンである。騙されてはいけない。

「でも、まだ解剖できていない場所が2つあります」
「あー……うん、ごめんね。流石に脳は今はまだ無理だよ。痛いの嫌だからね。でも、麻酔になるものが見つければ、その時は開いてもいいからね」

 自分の脳をアジかサンマの干物みたいに言うんじゃない。

「それは楽しみにしています。でも、もう1つです」
「うん? どこだろう。イルマの魔法の狙いもだいぶ良くなってきたら、もう目から下はうまく残せるじゃない。え? ほんとにわからない」
「それは……」

 イルマの視線がこちらに向いている。その目線が次第に下がり、ある角度で止まった。何がなんだかわからなかったが、シズクは気付いたようで「あー……」と唸ったと思えば、満面の笑顔でこちらに話しかけてきた。

「リク君、ゲームだと転職ってのができるんだよね」
「ん、あぁ、そうだな」
「リク君は今剣士かな?」
「そうなるのかな」
「なら、宦官に転職しない?」
「謹んでお断り申し上げます!」
「技能習熟した後で再転職すればよくない?」
「潰れたくるみは元に戻らないの!」

 しゅん、と悲しそうに小さくなるイルマ。もはやがんすら恐れるに足らずと思っていたが、前立腺がんだけは恐れる必要があると思い直した。尤も、真に恐れるべきは、イルマからの夜這い(物理)なのかもしれないが。

「いえ、わかっています。男性には子供を作るという大切な役割があることを。その機能を奪ってしまえば、本人のみならず、その方が生むはずだった未来の子孫までを殺すことになります。ですから、ひとつの命を奪うのは、無限の未来を奪うことであり、その逆も然りなんです」
「いいこと言うなぁ。そうだよね、救急行為は重要だよね」
「あ……しかし、なるほど。わかりました、シズクさん。魔王の計画です」
「ん? どういうこと?」
「魔王が人類を根絶するために考えた8つの計画。その残り6つの内の1つ。それは……」

 この会話から何を閃いたのか。こちらの耳も大きくなる。

「サキュバスです」
「ぶーーーーっ!」
「うわ汚い」
「何を仰られているんですかねイルマさん!?」
「私は本気です。淫魔の力で人間が人間同士で生殖を行うチャンスを奪ってしまえば、人間は簡単に滅びます。しかも、おそらくほとんどの世の男性はそれを喜んで受け入れます」
「何真面目な顔して中学生男子みたいなこと言ってるの!? シズク! こいつ止めろよ! どうしたシズク? シズクさん? 何をそんなに唸っているので?」
「さては天才か……」
「うわーっ! こいつバカだったー!」

 いや、確かにサキュバスに襲われてみたいと思ったことがないといえば嘘かもしれない。少し前、異世界の風俗事情を描いた作品が流行っていたこともあるくらいだ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだが、興味がないわけでは、ない。

「た、確かに……サキュバスは最強の魔物ではないかもしれないが、人類根絶という目的を設定した場合、魔王が用意できる駒としては最適な魔物なのかも……」
「あ、いや、魔物のコストで最も高いところは脳だった。うわ、サキュバスのコスト、高すぎ。たくさん作れないや。作れるのは南極一号だけだ。全然ダメだよこの計画。ほんとリク君は最低だよね。えっち」
「えっちです」
「理不尽じゃないかなぁ君たちは!」

 今までの人生、自分はこの狂気的な幼馴染に振り回されてきた。それはもうだいぶ慣れてきていた、はず、なのだが。なんだかここ最近、振り回され方が2倍というか、2乗になっているような気がしなくもない。

「しかし、可能性はゼロではありません。サキュバスに襲われてもいいように、私がリクさんを……」
「それはいくらイルマでもダメ。リク君は私の幼馴染なの。わかるでしょ?」
「む……」

 なにやらシズクが猛烈な殺気の視線をイルマに向けている。しかしイルマも、それに怯むことなく睨み返している。なんなんだこの状況は。

「あ……まさか……」

 リクはふと、自分が貰っていたチート能力のことを。そして、最初の森を脱出する直前のことを思い出す。

「なぁ」
「何?」
「俺さ、ハーレム因子を選んだはずなんだけど、これってほんとに機能してるのか?」

 確かあの時は、しばらくの間、石をいじっていた手が止まって、それで。

「知らないよ、バカ」

 そう言われたが、まさか。まさかであるが、あれは。

「むぅ……」
「うー……」

 サイコパス同士がばちばちと火花を散らす状況。これはまさか、本当に、異世界ハーレムというやつなのか?

「ふ、ふたりとも、仲良くして……」
「「リク(君/さん)は黙ってて」ください!」

 違う。なんか、そうじゃない。そうなのかもしれないけど、そうじゃない。ともあれわかることは、今後ずっと、今までの2乗の量を振り回され、2乗の量の心労を背負うだろうということだった。
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