藤城皐月物語

音彌

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第10章 修学旅行 奈良編

479 玉虫厨子

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 玉虫厨子たまむしずしは飛鳥時代に作られた厨子だ。鎌倉時代に法隆寺によってまとめられた「古今目録抄ここんもくろくしょう」には「推古天皇御厨子」と記されている。
 厨子とは仏像や経典などを納める屋根付きの収納具で、玉虫厨子は推古天皇が念持仏ねんじぶつを礼拝する時に用いられたものだ。
「皐月、玉虫厨子って大きいね。本で見たのとイメージが全然違う」
「本当にでかいな……。玉虫のはねって、どこに使ってるんだろう?」
 藤城皐月ふじしろさつきは神仏や歴史に関しては修学旅行前に予習をしてきた。だが、建造物や宝物のことまでは手が回らなかったので、他の児童と同程度の知識しか持ち合わせていない。栗林真理くりばやしまりの質問にまともに答えられなかった。
「透し彫りの金銅金具の下に玉虫のはねを敷き詰めてあったんだって。今はほとんど剥がれ落ちちゃって、なくなったみたいだけど」
 いつの間にか吉口千由紀よしぐちちゆきが皐月の傍らに来ていた。修学旅行前、千由紀は自分なりにいろいろ調べていたようだ。
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、これが完成した当初はきれいだったんだろうな」
「復元したものならあるよ。ちゃんと玉虫の翅を使って、忠実に再現したんだって。写真なら見たことがあるけど、すごくきれいだった」
 建物も仏像も古い方がいいと思っていた皐月だが、さすがに玉虫厨子は美しい状態のものを見てみたいと思った。

「なんで法隆寺に玉虫厨子があるんだろうね? 推古天皇のものなら、天皇家の宝物なのに。私物なら身の周りに置くものでしょ?」
 真理は細かいことによく気がつく。千由紀が考え込んでいたので、皐月も理由を考えてみた。
「推古天皇が死んだ後、扱いに困ったんじゃないかな。だって、玉虫厨子ってデカいし、推古天皇の仏壇みたいなものだよね? 当時では最高の工芸品だから捨てるわけにもいかないだろうし。で、法隆寺が引き取ったんだよ。推古天皇は法隆寺創建の関係者だし、VIPじゃん」
 皐月は話しながら、合ってんのかな、と不安になっていた。細かな事情なんかどうでもいいような気がするが、細部まで具体的に考えると印象に深く残るのがわかった。皐月は真理の記憶力の秘訣を見たような気がした。
「じゃあ、玉虫厨子の中には何が入っていたんだろう?」
「やっぱり仏像なのかな……。あるいは聖徳太子の像とか遺品でも入っていたのかもしれないね。だって、聖徳太子って推古天皇の甥じゃん。聖徳太子は推古天皇の在位中に死んだから、供養しようって思ったのかもしれない」
 千由紀は面白いことを考えるな、と感心した。だが、皐月は聖徳太子の実在を疑っていたので、そこまで玉虫厨子の事情に興味が持てなかった。

「みんな集まってんじゃん。どうしたの?」
 神谷秀真かみやしゅうまと案内人の立花玲央奈たちばなれおなも玉虫厨子のところにやって来た。ほぼ同じタイミングで二橋絵梨花にはしえりかもやって来た。
 皐月は玉虫厨子の中に何が入っていたのかを、ガイドの立花に聞いてみた。
「玉虫厨子が完成した時に何が安置されていたのかはわかっていません。747年に書かれた『法隆寺伽藍縁起並流記資財帳ほうりゅうじがらんえんぎならびにるきしざいちょう』という書物には『金埿押出千仏像こんでいおしだしせんぶつぞう』と『金埿銅像こんでいどうぞう』があったと記されています。その銅像は盗まれて、今は押出千仏像だけが残っています」
 音読みの熟語が怒涛のように押し寄せてきて、皐月は半分くらいしか理解できなかった。賢い真理や絵梨花、マニアックな秀真もわかっていないような顔をしていた。

 皐月たちの様子を見た立花はスケッチブックを取り出して、サラサラと今言った言葉をマジックで書き留めた。硬筆を習ったのか、美しい文字だった。
「金埿は金メッキ、千仏像はたくさんの小さな仏を彫刻したり描いたりしたもの。押出は銅版を金槌で打ち出して板を立体的に見せる作品のこと。つまり金埿押出千仏像は金メッキをした銅版に金槌で小さな仏をたくさん打ち出した装飾のこと。金埿銅像は金メッキをした銅像のことです」
 立花の説明はわかりやすかった。仏教関係の言葉は音で聞くだけだとわかりにくいが、漢字を見ると理解しやすい。
「厨子の上段の宮殿くうでんの扉の裏と内側の壁には金メッキされた銅の板が張られていて、その板が押出千仏像に加工されています。千仏像は一つ一つが小さいので、仏像模様のエンボス加工になっている感じですね」
 そう言いながら、立花はナップサックから資料を取り出し、玉虫厨子の写真を見せてくれた。確かに立花の言う通り、遠目で見るとただの模様にしか見えなかった。

「玉虫厨子のレプリカの写真もあるけど、見ますか?」
 皐月たちは立花の持っている資料の写真を見せてもらった。それはとても美しい物だった。
 錆のない金属部は金色に輝いて、連続文様の透かし彫りの奥には玉虫の翅が緑に輝いていた。目の前の実物の玉虫厨子は漆塗りが年月に沈んで鈍く黒ずんでいるが、レプリカでは漆塗りが輝いており、そこに描かれた仏画は色鮮やかだ。
 皐月たちが盛り上がっているのを見て、他のクラスメイトたちも玉虫厨子に集まって来た。筒井美耶つついみや松井晴香まついはるかと一緒にいた小川美緒おがわみお惣田由香里そうだゆかりもやって来た。
「なんでみんな集まってるの?」
 由香里が皐月に訳を尋ねた。
「ガイドさんが俺たちに資料を見せてくれているのを見て、みんなも見に来たんだ」
「なんだ、藤城君たちだけずるい」
「俺がガイドさんを質問攻めにしたから、仕方なく見せてくれたんだよ。他のお客さんの迷惑になるから、お前ら、あまり騒ぐなよ」
 すでに立花のガイドを聞き終えた皐月たちは後から来た由香里や美緒たちに場所を譲り、この場を離れた。

 皐月は聖徳太子二王子像の前に移動して、一人になろうと思った。すると栗林真理がついて来た。
「この絵って、有名だよね。お札の肖像にもなっていたやつ」
 真理は嬉しそうに話していたが、皐月はこの聖徳太子の絵が時代的におかしいことを知っているので、真理のように素直に楽しめなかった。
「肖像画っていうよりも、想像画だよな。俺、いつも思うんだけど、工芸品には超絶技巧をふるう職人がいるのに、どうして絵師にはいないのかなって。昔の人だって、リアルな肖像画を描こうと思えば描けそうなものなのに」
「別に顔なんてリアルじゃなくたっていいでしょ。あんたの好きな漫画だって、全然写実的じゃないじゃない。その時代で流行っていた絵の描き方があったんじゃないの?」
「はぁ~、そんなものかね」
 皐月は聖徳太子二歳像が気になった。上半身裸の坊主頭の男児が手を合わせている立像だ。皐月はこの男児の面構えがどうしても好きになれなかった。
 この聖徳太子はかわい気のない、生意気そうな顔をしている。作者は偉大さを表現したかったのかもしれないが、皐月には尊大さしか伝わってこなかった。
「真理。次に行かないか?」
「もういいの? 私、もう少し見ていたいな」
「じゃあ、俺は先に行ってるから」
 皐月は聖徳太子のエリアを離れ、隣の百済観音くだらかんのん堂へ進んだ。玉虫厨子のところでは立花がまだ児童たちにガイドをしていた。皐月は彼女のガイドで百済観音像を見たかったが、自分だけが彼女を独占するわけにはいかない。いつか立花玲央奈を独占して、二人で奈良の寺を巡ってみたいと思った。
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