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第1話 崩壊

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 ───空。その果てしなく広がる大きな天井は、ただの景色ではなく、人の心を動かす能力を持った特別な存在だと、おれは思う。

 青空を見れば清々しい気持ちになるし、雨空ならその逆だ。雪が降ると楽しいし、雷が落ちると怖いと感じる。……まぁ、人にもよるだろうけど。

 物思いにふけながら草原に寝そべって空を見上げるおれの視界には、晴れた空が広がっていて、同時に見える真っ白な雲の流れをゆっくりと目で追っていた。

 こんな平和な空が、この先もずっと続いてくれたら……。

「いつまでサボってるの? そろそろ行かないと、会合に間に合わないわよ?」

心地のいいひとときを遮る、聞き慣れた女性の声。おれは身体を起こし、大きくけのびをしてから立ち上がった。

「行こう。今日もまた、平和のために───」


 ◇◆◇◆◇


 10歳の頃。おれは、生まれて初めて絶望というものを味わった。

 マルセイドの街という、自然に囲まれた街で生まれ育ち、両親と3人で平穏な毎日を過ごしていた。学校にも通わせてもらい、友達もたくさんいて毎日幸せだった。

 ────でも、そんな幸せな日々を、運命は突然壊しにきたんだ。


 ◇


 とある日の午後。学校が休みの日で、おれは家の手伝いをしていた。いや、正確にはさせられていた。

 とーちゃんじゃないけど、おれも気の強いかーちゃんに言われると逆らえない。逆らうと多少理不尽にも拳が落ちてくる時があるから、渋々手伝うことにしている。

「こら、洗濯物同士はもっと離して掛ける! くっついてると乾かないでしょ!」

 手伝ってるのにダメ出しが飛んでくる。相変わらずうちのかーちゃんは厳しい。

「それ干し終わったら休憩ね。甘屋《あまや》のシュークリーム買ってあるから、手洗って一緒に食べましょ」

 飴と鞭。そんなご褒美があるなら手伝った甲斐もあるって思ってしまう。さっさと終わらせてしまおう。

 甘い餌に釣られたおれは、途端に洗濯物を干すスピードが上がり、あっという間に終わらせることができた。

 そして手洗いを済ませ、お待ちかねのシュークリームを頬張る。

「うまぁ……」

 あまりの幸福感に、中のクリームよりも自分のほっぺたがとろけ落ちそうになった。

 と、そんな時、昼寝から目覚めたとーちゃんがやってきた。

「とーちゃんおはよう。シュークリーム美味いよ」
「おはよう。美味そうだけど、寝起きじゃちょっときついかな」

 昼過ぎなのに寝巻き姿のとーちゃんは、あくびをしながら洗面所に向かった。

 休みの日にいつまでも寝ていることを怒る妻もいると思うが、うちのかーちゃんは意外となにも言わない。

 きっと、毎日仕事で頑張ってくれてるのを思って、休ませているんだろうな。気が強いのにそういうとこが優しいから、かーちゃんは嫌いになれない。

 ────と、そんな平和な休日を切り裂くように、突如家の外から大きなサイレンの音が聞こえてきた。

 心臓を直接鷲掴みするかのような不気味な音に圧倒され、おれは声も上げられずに動悸がしているのをただ感じているだけだった。

「エレナ、大丈夫!?」

 かーちゃんはすかさずおれのことを抱き寄せて、安心させようと背中を軽く叩いたり、さすったりしてくれた。

「何があったんだ!?」

 洗面を済ませたばかりのとーちゃんが慌ててやってきて、かーちゃんと同じようにおれを落ち着かせようとしてくれた。


 ───サイレンはまだまだ鳴り止まない。


 とーちゃんはとりあえず様子を見に、外へ出て行った。別に地震が起きたり、停電になったりしたわけじゃないけど、おれは初めて聞くサイレンの音がただ怖くて仕方なかった。

 しばらくすると、とーちゃんが戻ってきた。

「2人とも外に出るぞ! サイレンと交互に、とんでもないことを報道してる!」

 とーちゃんが慌てているのが、さらにおれの恐怖を増幅させる。

「ちょっととーちゃん!!」

 かーちゃんが注意したことで、おれの様子を悟ってくれたようだ。おれは2人と一緒に慌てて靴を履いて外に出た。


『───住民の皆さんは直ちに西門側へ避難してください!! 繰り返します! 街の東門より敵襲! 武器を持った集団が攻め込んできて、無差別に攻撃をしています! 住民の皆さんは急いで西門へ避難してください!!』

 報道が聞こえるのは、各所電柱に付いている拡声器からだった。おれは聞いたところで、言ってる意味が理解できなかった。

「とーちゃん、敵襲ってなに……?」
「危ないやつらがおれたちを襲いに来るってことだ」
「こんな平和な街に何の敵が来るって言うの? 第一、街どころかこの国全体でずっと戦争なんかなかったでしょ?」

 かーちゃんもかなり驚いているようだ。

 ただ、近所の人も混乱こそしているが、敵襲とか、逃げるだとか、現実味のない話を信用していなくて、周りを見ながらその場を動かなかった。

「報道が本当かどうか信じ難いが、誤報でこんなことにはならないんじゃないか? ……よくわからないが、とりあえず信じて西側へ移動しよう」

 とーちゃんの冷静な判断で、おれたちは西門へと向かおうとした。

「ねぇ、なんか煙臭くない……?」

 かーちゃんがそう言ったときには、おれも同じような臭いを感じていた。ふと東側を見ると、遠くの方で炎が上がっているのが見えた。

「本気で戦争が始まったんじゃないか……?」

 道中、やはり立ち往生する人や、面白がってこのサイレンをネタに井戸端会議を始める人たちもいた。

 でも、おれたち同様に、その景色を見ては焦って西側への移動を始めていった。

「おれたちも急ごう」

 とーちゃんを先頭に、おれたちも避難を始めた。逃げるおれたちとは逆方向に、現場へ向かっていく兵士と何度もすれ違ったのが印象的だった。

 国の治安を守る"王国軍"の兵士たち。彼らは今、命を賭してこの街を守ろうとしていた。


 ◇


 西側のエリアには、既に沢山の住民たちが避難しにきていた。兵士が誘導し、場所を与え、不安を解くように声をかけ続けていた。

 おれたち家族も大衆の流れに入り、臨時の避難所に留まることになった。避難所と言っても、街の一角に集まってるだけの、あってないようなものだった。 

「どうして西門を開けないんだ!! さっさと外に逃げればいいじゃないか!!」

 住民の誰かがこの大衆の中、兵士に向かって叫んでいる。言われてみれば、なんとなく流れでここに留まっているけど、外に逃げてしまえば怖い思いをしなくて済むのでは? 

 と、周りの人たちがざわつき始めた。

「それはいけません!」

 兵士の1人、リーダーっぽい人が脱出案を否定してきた。

「なんでだよ!! ここに居たらおれたち、危険なんだろ!?」
「門の外に敵がいる可能性があります。それに───」

 真面目な表情で諭していた兵士は、話の途中で変な間を開けて、急に不気味な笑みを浮かべた。

「ここを開けてしまったら、あなた方を皆殺しに出来なくなるじゃないですかぁ」

 そう言ってリーダーっぽい兵士は、近くに立っていた兵士達を、懐から出した短刀で切りつけた。

 急な出来事に理解が出来ず、一瞬場が静まり返ったが、すぐに悲鳴と共に住民たちは慌てて逃げ始めた。

 おれは人混みに流された挙句、転んで遅れをとってしまった。

 あっという間に誰も居なくなった広場に取り残されたおれたち家族。地面に手をついているおれに、両親が駆け寄ってきてくれるが、同時に裏切り兵も近寄ってくる。

「来ないで! この子に指一本でも触れたら承知しないわよ!!」

 震えて立てないおれを守ってくれるかーちゃん。

「俺の大事な家族だ。絶対に怪我はさせない!」

 さらにその前にとーちゃんが立ってその兵士を睨みつける。おれはかーちゃんに肩を貸してもらいながら、なんとか立ち上がった。

「親子愛だねぇ。泣けてくるねぇ」

 悪徳兵士は、ニヤけた顔でとーちゃんに歩み寄る。

「リア! エレナ! 歩けるか!! 怖いだろうけど、踏ん張って逃げるんだ!」
「アナタも逃げるのよ! 一緒に!!」

 敵は待ったなしでとーちゃんに向かって走り始めた。

「いいから早く逃げろ!!」
「────っ!!」

 敵の短刀がとーちゃんの腹を貫いた。

「かはっ……!」
「はい、ご臨終。アッハァ!」

 狂気的な笑いで1人騒いでいる悪徳兵士。刺されたとーちゃんは、その場で膝を着き、放心状態だった。

「いやああああぁぁぁ!!」

 泣き叫ぶかーちゃん。おれは目の前でなにが起こっているのか、見えているのによく理解が出来なかった。

 いや、正確には現実を受け入れられなかっただけなのかもしれない。

「次は奥さん、アンタから行こうかぁ」

 敵はかーちゃんを狙って一気に距離を詰めようとした。だけどそれを、まさかのとーちゃんが立ち上がって腕を掴み、食い止めた。

 そして、それに驚いて振り向いたところを、思いっきり殴り飛ばした。

「不思議だなぁ、親ってもんは。愛する家族のためならこんなに頑張れるのか……」

 とーちゃんの洋服がお腹のところから真っ赤に染まり、服の隙間からはダラダラと血が流れていた。

 敵は苛立った表情で立ち上がり、短刀を横振りしてとーちゃんの胸を斬りつけた。

「つっ! ……これで終わりにしよう」

 見てられないくらい怖い怪我をしているのに、とーちゃんはあまり痛そうな顔をせずに敵の懐まで近寄った。そして敵の肩をそれぞれ両手で掴み、強烈な頭突きを食らわせた。

「な……に……!」

 敵は白目を向いて、仰向けに倒れた。

 とーちゃんも気が抜けたように膝をついて、仰向けに倒れてしまった。

「とーちゃん!!」

 かーちゃんと二人で駆け寄り、とーちゃんの顔を見た。

「ああ、なんて顔してんだ……」

 とーちゃんは右手をかーちゃんの頬に当てた。かーちゃん目からはとめどなく涙が溢れ出していた。

「リア、今までありがとうな。君と出会って、結婚して、エレナを授かって……本当に幸せだった。エレナのこと、頼んだぞ……」

 とーちゃんも声を震わせながら、目からは涙がこぼれ落ちていた。

「エレナ、お前はこれからの人生だ。しっかり者のお前のことだから、心配はいらないだろう。たくさん友達を作って、好きな人が出来たら大切にするんだぞ」

 おれは涙を堪えながら返事をした。

「それから、大きな壁にぶつかった時。きっと落ち込んだり、苦しい思いをすると思う。

 だけど、そんな時には上を向くんだ。あの大空みたいに、でっけぇ人間になりてぇ。

 そう思ったら、不思議と力が湧いてくるもんだ。空の青さがくれる、ほんの少しの勇気の魔法さ……」

 とーちゃんの表情から、生気が失われていく。

「とーちゃん!!」

 おれとかーちゃんはそれを感じて呼び戻そうと、必死に叫んだ。だけど、おれたちの思いとは裏腹にとーちゃんの体からは力が抜けていった。

 そして最後は、笑顔で眠りについたんだ。





【あとがき】
第1話を読んで頂きありがとうございます。
絶望からのスタートですが、ここから這い上がっていくエレナの物語をぜひ一緒に追って頂けたらと思います。

また、良いことも悪いことも、感想を残して頂けると嬉しいです。執筆のモチベーションになります。
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