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第21話 閃く
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———数日前の店ファビアス——
「坊ちゃま、そんなに歩き回られても、何も変わりませんよ」
「分かっている。分かっているが、フリージアが…約束の時間を過ぎてもまだ来ない。遅すぎる、何かあったのかもしれない」
会う予定の午前中には現れず、可能であれば一緒にと話していた昼食の時間を過ぎても未だ姿を見せないフリージアに、ファビウスは心配と不安で、ずっとウロウロと店の中を歩き回っていた。
「それと、その坊ちゃん呼びは…フリージアの前ではやめてくれよ」
「はいはい。申し訳ありません、幼い頃からファビウス坊ちゃんを見てきたので、他人がいない場ですと、つい癖で出てしまいまして」
カウンターで優しく笑うマスターは、洗った綺麗なグラスをふきんで拭いていく。
ファビウスは歩き回るのをやめると、マスターがいるカウンター近くの椅子に座り、じっとマスターを見つめる。
「…この前父上をここにお連れしたが、その日を境に、今のシェフたちに向かって、君らの料理はだめだと、味がなってないと、そんなことばかり言い出すようになって、シェフを困らせているんだ。どうやら、ここで食事をした際に、昔に舌鼓したつづみを打った味を思いまして、また気持ちが戻ってしまったようだ。どうしても好きな味なのに、それが今や国のトップではなく大衆向けに振るまわれていることに不満があるらしい」
困った笑い顔でファビウスはマスターを見ながら肩をすくめてみせ、マスターは、ははっと小さく嬉しそうに笑う。
「そうですか。それほどの賛辞を、私は今後もう二度とお受けすることはないでしょう。ありがたいお言葉を、ありがとうございます」
「それだけでなく、私がここに度々来ているのは、シェフとして呼び戻す手筈を整えているからと、父上が勘違いしているようで、それも困ったものです…」
「ははっ、それはまた…。坊ちゃんは、フリージア様のことを、言っておられないのですか?膨大な執務に追われ、毎日時間がないからと、女性を紹介される度に会うことを断ってきたあの坊ちゃんが、タイトなスケジュールの合間を縫って彼女に会いにわざわざここまで出向き、帰ってから残りの執務をこなして睡眠の時間が削られているのに、それでもここに来ることを我慢できないほど夢中な女性のことを、伝えていないのですか?」
「な、なぜ、そんなに詳しく知っているんだ——!?」
「護衛の彼から聞きました」
マスターがニコリと笑うその視線の先には、ウィン公爵邸にも同行した男が、店の扉近くの壁に立ち、視線や耳を店の外に向け異変がないか警戒していた。
「フィン…あいつか…まったく、余計なことをベラベラと」
ファビウスは恥ずかしくなり、手でおでこと目を隠すと、近くのテーブルに肘をつき大きくため息をつく。
「——それにしても、フリージアは遅すぎる。やはり、何かあったんじゃないか」
「体調を崩されでもしたのでしょうか…。私は、このまま店を開けてフリージア様を待ってみますので、坊ちゃまは一度戻られてはいかがですか。もし、フリージア様がいらっしゃいましたら、使いの者を坊ちゃまにすぐ向かわせますので」
「いや、いい。このままフリージアのいる屋敷へ行き、直接様子を見てくる」
ファビウスが椅子から立ち上がり、扉の方へ歩いて行く。
「なりません、ファビウス様」
扉近くの壁に立ったままの、護衛のフィンが静止する。
「——フリージアが、昨日の件で負傷していないか確認するだけだ」
「なりません。シード公爵家にはフリージア様以外にもご令嬢がおり、先日の会にいらっしゃっております。ご令息だけのウィン公爵邸に行くのとは、わけが違うのですよ。昨日、ウィン公爵がフリージア様の身にしたことを思えば、ファビウス様の心配されるお気持ちは、私にも痛いほど分かりますが、どうか、申し訳ありませんが、ここは堪たえてください」
「——私の気持ちが分かるというなら、静止するお前を振り切って向かったとしても、それも理解できるということでいいな」
鋭く怒りに燃える目つきのファビウスが、ゆっくりと自分に近づいてくるその姿に、護衛のフィンはたじろぐ。
「…ファビウス様、ここへも、ウィン公爵邸へも、お忍びで行きたいというファビウス様のお気持ちを尊重し、私1人護衛してついて行きました。ファビウス様の、フリージア様への気持ちを理解しているからこそでございます。シード家に向かいたいというお気持ちも、よく分かります。しかし、公的なものではなく、個人的にシード家を訪問されることは、他の様々な家柄の情勢や政治に絡んでまいります。どうか…どうか、今回は私に免じておやめくださいますよう、お願いいたします」
怒りの形相をしたファビウスは、無言でフィンを見下ろし、互いにしばらく見合う。
護衛のフィンのこめかみから垂れた汗が、頬を静かに伝う。
「———分かった。今回は、お前に従おう」
「ありがとうございます」
安堵した護衛のフィンは、ファビウスにバレないよう静かに息を吐く。
ファビウスは、店内のカウンターの方へ振り返り、マスターに声をかける。
「すまないが、先ほど言われていた件、よろしく頼む。もしフリージアが来たら、夜でも早朝でもいい、すぐに私に知らせてくれ」
「承知しました」
マスターはファビウスに向かって丁寧に頭を下げると、ファビウスは店から出て行き、その後を護衛のフィンが慌てて続き出て行った。
ファビウスは鋭い目つきで、力強く足早に街の道を歩いて行く。
(フリージア…君に何があったんだ…)
昨日、ウィン公爵邸で助けたときに抱いたフリージアの体、憂うれいのある表情を思い出すファビウス。
「情けないな…君がどうしているのか、私は見に行くことすらできない…」
ファビウスは、店近くに待機させていた自馬の前に着き、自馬にただいまと言い撫でる。
(フリージア、君が無事なのか一目だけで見られれば…訪問が無理ならば、何か、そういう機会さえあれば…)
ハッと、何かを思いつくファビウス。
護衛のフィンは馬の手綱を握り、周囲を警戒していたが、ファビウスの表情が変わったのを見て尋ねる。
「ファビウス様、どうかされましたか」
「いや、フリージアのことで思いついたことがあってな…フィン、帰りは飛ばすぞ」
自馬を撫でるファビウスの瞳には、強い決意が宿っていた。
「坊ちゃま、そんなに歩き回られても、何も変わりませんよ」
「分かっている。分かっているが、フリージアが…約束の時間を過ぎてもまだ来ない。遅すぎる、何かあったのかもしれない」
会う予定の午前中には現れず、可能であれば一緒にと話していた昼食の時間を過ぎても未だ姿を見せないフリージアに、ファビウスは心配と不安で、ずっとウロウロと店の中を歩き回っていた。
「それと、その坊ちゃん呼びは…フリージアの前ではやめてくれよ」
「はいはい。申し訳ありません、幼い頃からファビウス坊ちゃんを見てきたので、他人がいない場ですと、つい癖で出てしまいまして」
カウンターで優しく笑うマスターは、洗った綺麗なグラスをふきんで拭いていく。
ファビウスは歩き回るのをやめると、マスターがいるカウンター近くの椅子に座り、じっとマスターを見つめる。
「…この前父上をここにお連れしたが、その日を境に、今のシェフたちに向かって、君らの料理はだめだと、味がなってないと、そんなことばかり言い出すようになって、シェフを困らせているんだ。どうやら、ここで食事をした際に、昔に舌鼓したつづみを打った味を思いまして、また気持ちが戻ってしまったようだ。どうしても好きな味なのに、それが今や国のトップではなく大衆向けに振るまわれていることに不満があるらしい」
困った笑い顔でファビウスはマスターを見ながら肩をすくめてみせ、マスターは、ははっと小さく嬉しそうに笑う。
「そうですか。それほどの賛辞を、私は今後もう二度とお受けすることはないでしょう。ありがたいお言葉を、ありがとうございます」
「それだけでなく、私がここに度々来ているのは、シェフとして呼び戻す手筈を整えているからと、父上が勘違いしているようで、それも困ったものです…」
「ははっ、それはまた…。坊ちゃんは、フリージア様のことを、言っておられないのですか?膨大な執務に追われ、毎日時間がないからと、女性を紹介される度に会うことを断ってきたあの坊ちゃんが、タイトなスケジュールの合間を縫って彼女に会いにわざわざここまで出向き、帰ってから残りの執務をこなして睡眠の時間が削られているのに、それでもここに来ることを我慢できないほど夢中な女性のことを、伝えていないのですか?」
「な、なぜ、そんなに詳しく知っているんだ——!?」
「護衛の彼から聞きました」
マスターがニコリと笑うその視線の先には、ウィン公爵邸にも同行した男が、店の扉近くの壁に立ち、視線や耳を店の外に向け異変がないか警戒していた。
「フィン…あいつか…まったく、余計なことをベラベラと」
ファビウスは恥ずかしくなり、手でおでこと目を隠すと、近くのテーブルに肘をつき大きくため息をつく。
「——それにしても、フリージアは遅すぎる。やはり、何かあったんじゃないか」
「体調を崩されでもしたのでしょうか…。私は、このまま店を開けてフリージア様を待ってみますので、坊ちゃまは一度戻られてはいかがですか。もし、フリージア様がいらっしゃいましたら、使いの者を坊ちゃまにすぐ向かわせますので」
「いや、いい。このままフリージアのいる屋敷へ行き、直接様子を見てくる」
ファビウスが椅子から立ち上がり、扉の方へ歩いて行く。
「なりません、ファビウス様」
扉近くの壁に立ったままの、護衛のフィンが静止する。
「——フリージアが、昨日の件で負傷していないか確認するだけだ」
「なりません。シード公爵家にはフリージア様以外にもご令嬢がおり、先日の会にいらっしゃっております。ご令息だけのウィン公爵邸に行くのとは、わけが違うのですよ。昨日、ウィン公爵がフリージア様の身にしたことを思えば、ファビウス様の心配されるお気持ちは、私にも痛いほど分かりますが、どうか、申し訳ありませんが、ここは堪たえてください」
「——私の気持ちが分かるというなら、静止するお前を振り切って向かったとしても、それも理解できるということでいいな」
鋭く怒りに燃える目つきのファビウスが、ゆっくりと自分に近づいてくるその姿に、護衛のフィンはたじろぐ。
「…ファビウス様、ここへも、ウィン公爵邸へも、お忍びで行きたいというファビウス様のお気持ちを尊重し、私1人護衛してついて行きました。ファビウス様の、フリージア様への気持ちを理解しているからこそでございます。シード家に向かいたいというお気持ちも、よく分かります。しかし、公的なものではなく、個人的にシード家を訪問されることは、他の様々な家柄の情勢や政治に絡んでまいります。どうか…どうか、今回は私に免じておやめくださいますよう、お願いいたします」
怒りの形相をしたファビウスは、無言でフィンを見下ろし、互いにしばらく見合う。
護衛のフィンのこめかみから垂れた汗が、頬を静かに伝う。
「———分かった。今回は、お前に従おう」
「ありがとうございます」
安堵した護衛のフィンは、ファビウスにバレないよう静かに息を吐く。
ファビウスは、店内のカウンターの方へ振り返り、マスターに声をかける。
「すまないが、先ほど言われていた件、よろしく頼む。もしフリージアが来たら、夜でも早朝でもいい、すぐに私に知らせてくれ」
「承知しました」
マスターはファビウスに向かって丁寧に頭を下げると、ファビウスは店から出て行き、その後を護衛のフィンが慌てて続き出て行った。
ファビウスは鋭い目つきで、力強く足早に街の道を歩いて行く。
(フリージア…君に何があったんだ…)
昨日、ウィン公爵邸で助けたときに抱いたフリージアの体、憂うれいのある表情を思い出すファビウス。
「情けないな…君がどうしているのか、私は見に行くことすらできない…」
ファビウスは、店近くに待機させていた自馬の前に着き、自馬にただいまと言い撫でる。
(フリージア、君が無事なのか一目だけで見られれば…訪問が無理ならば、何か、そういう機会さえあれば…)
ハッと、何かを思いつくファビウス。
護衛のフィンは馬の手綱を握り、周囲を警戒していたが、ファビウスの表情が変わったのを見て尋ねる。
「ファビウス様、どうかされましたか」
「いや、フリージアのことで思いついたことがあってな…フィン、帰りは飛ばすぞ」
自馬を撫でるファビウスの瞳には、強い決意が宿っていた。
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