【8話完結】魔力欠乏の義弟を救うため、魔族の末王子に嫁入りします

キノア9g

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第4話 魔王子の求婚


 ふわり、と。
 まるで雲の上に寝そべっているような、不思議な浮遊感の中にいた。
 痛みがない。
 さっきまで肩を食い破られるような激痛があったはずなのに、今は嘘のように穏やかだ。
 俺は死んだのだろうか。ここがあの世というやつなのだろうか。

「……おい。いつまで寝ている」

 頭上から降ってきた低い声に、俺は弾かれたように目を開けた。
 視界に飛び込んできたのは、見覚えのある灰色のフード。そして、整った顎のラインと、薄い唇だった。

「あ……」

 体を起こそうとして、自分が誰かの腕の中に抱き抱えられていることに気づく。いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。
 俺を抱いているのは、あの男――グレンだった。

「気はついたか。無茶な小僧だ」

 男は呆れたように吐き捨てると、俺をそっと地面に下ろした。
 俺は慌てて自分の体を確認する。
 肩の肉が裂けた感触があったはずなのに、服が破れて血がこびりついているだけで、傷自体は綺麗に塞がっていた。

「治ってる……? あなたが、治してくれたんですか?」
「回復魔法だ。放っておけば失血死していただろうからな」
「あ、ありがとうございます! あの、魔物は……」
「塵になった」

 男が顎で示した先には、黒い煤のようなものが散らばっているだけだった。
 あの凶暴なブラックウルフを消し飛ばしたというのか。
 俺は戦慄しつつも、ハッとして自分の右手を確かめた。

「あっ! 魔石……!」

 泥と血にまみれた掌を開く。無意識のうちに強く握り込みすぎていた指は、強張ってなかなか開かなかった。
 そこには、俺が命がけで掘り出した、小指の先ほどの水色の石があった。
 無事だ。これがあれば、優斗を……。

「……そんな石ころ一つのために、命を捨てたのか」

 男が冷ややかな声で言った。
 俺は魔石を胸に抱きしめ、男を見上げた。

「石ころじゃありません。これは、弟の命なんです」
「弟、か」

 男は俺を見下ろす。フードの奥の瞳が、俺の魂の底まで見透かすように細められた。

「昨日のギルドでも聞いたが……解せぬな。あの子供と貴様からは、同じ血の匂いがしない。顔立ちも似ていない。赤の他人だろう?」

 心臓がドクリと跳ねた。
 なぜ、それがわかるのか。だが、俺にとってそんなことはどうでもいい事実だった。

「血が繋がってなきゃ、家族じゃないんですか?」

 俺は睨みつけるように言い返した。命の恩人に対して失礼だとはわかっている。でも、これだけは譲れなかった。

「父さんと母さんが結婚して、優斗が生まれた時、俺は誓ったんです。この子のことは、俺が一生守るって。血の繋がりなんて関係ない。優斗は、俺の大切な弟なんです」
「……」
「自分のことよりも、あの子が大事なんです。それはおかしいことですか?」

 ボロボロの体で、涙を溜めながらも決して引かない俺を見て、男はしばらく沈黙した。
 洞窟の中に、静寂が流れる。
 やがて、男は「ククッ」と喉の奥で笑った。

「おかしいな。人間というのは、もっと利己的で、醜い生き物だと思っていたが」
「え……?」
「己の命を天秤にかけて尚、他者を救おうとするか。……その魂、面白い」

 男がおもむろに手を伸ばし、被っていたフードを掴んだ。
 そして、バサリとそれを脱ぎ捨てる。

「――っ!?」

 現れた素顔を見て、俺は息を呑んだ。
 月光を紡いだような、輝く銀色の長髪。
 肌は陶器のように白く、整いすぎた顔立ちは、この世のものとは思えない美しさだった。
 だが、何よりも俺の目を釘付けにしたのは、その額から生える、ねじれた二本の角と、鮮血のように赤く輝く瞳だった。

「ま……ぞく……?」

 物語の中でしか聞いたことのない存在。人間と敵対し、恐ろしい力を持つ種族。
 だが、不思議と恐怖はなかった。あまりにも美しく、神々しささえ感じたからだ。

「そうだ。我の名はグレン・アル・ディオス。魔界を統べる王族の末席に座す者だ」

 魔族の王子。
 とんでもない大物だった。俺は腰が抜けそうになりながらも、なんとか立ち続けた。

「それで、湊と言ったか」
「は、はい……篠宮、湊です」
「湊。単刀直入に言うぞ。その石ころでは、あの子供は救えん」

 グレンは俺が握りしめている魔石を指差した。

「それは下級のクズ魔石だ。そんなものでは、あの子供の飢餓状態を満たすのに一時間も持たん。数百個集めたところで、その渇きを癒やすには到底及ばん」

 突きつけられた現実に、目の前が暗くなった。
 命がけで手に入れたこれが、無駄だったというのか。
 膝から崩れ落ちそうになる俺を見て、グレンは言葉を続けた。

「だが、救う方法が一つだけある」

 俺は弾かれたように顔を上げた。

「な、なんですか!? 教えてください! 俺にできることなら何でもします!」
「魔界へ来い」

 グレンは短く言った。

「あの子供の病――魔力欠乏症は、この人間界の薄い魔素に適応できなかったゆえの欠陥だ。だが、我らが住む魔界は違う。大気そのものが濃密な魔素で満ちている。息をするだけで治療になるだろう」
「魔界……」

 それは、願ってもない話だった。薬を探し回る必要もない。ただ、環境を変えればいいのだ。
 だが、すぐに疑問が湧く。

「で、でも、人間が魔界に行けるんですか? それに、そんなところに連れて行ってくれるなんて……」
「無論、無償ではない」

 グレンは、ニヤリと口角を上げた。その笑顔は、恐ろしくも魅力的で、俺の心臓を鷲掴みにした。
 彼は一歩近づき、俺の顎を長い指ですくい上げた。
 赤い瞳が、至近距離で俺を見つめる。

「我は、嫁を探して旅をしていた」
「よ、よめ……?」
「退屈な魔界の貴族女など御免だ。魂が震えるような、面白い相手を探していたのだ。……そして今、見つけた」

 グレンの顔が近づく。
 甘い香りがした。

「湊。我の嫁になれ」

 ――はい?
 思考が停止した。
 今、なんて言った?

「そ、そうすれば……優斗は……」
「そのガキの命ごと、我が背負ってやる。魔界にある我の城で、何不自由なく暮らせるよう計らってやろう。一生、魔力の心配などさせん」

 それは、悪魔の契約だったのかもしれない。
 住む世界も種族も違う、魔族との婚姻。
 普通なら、躊躇するだろう。男同士だとか、出会って二日目だとか、嫁の定義や魔界がどんなところかわからないとか。
 でも。
 俺の答えは、決まっていた。
 
「優斗が助かるなら……本当に、それだけでいいんですか?」
「ああ。我は自分のモノには甘い。お前が我のモノになるなら、お前の大切なものも、我の大切なものだ」

 その言葉に、嘘は感じられなかった。
 この圧倒的な強者が、俺ごときに嘘をつく必要なんてない。
 俺は、迷わず叫んだ。

「なります! あなたの嫁でも下僕でも、なんでもなります! だからお願いします、優斗を助けてください!」
「……フン、即答か。安い男だ」
「優斗の命がかかってるんですから、当然です!」

 俺が鼻息荒く答えると、グレンは満足げに目を細めた。

「いいだろう。契約成立だ」

 グレンが俺の腰を抱き寄せた。
 強引に引き寄せられ、硬い胸板に顔が埋まる。
 次の瞬間、グレンの唇が、俺の唇に重なった。

「んぐっ!?」

 ただ触れるだけではない。濃厚な何かが、口の中から流れ込んでくる感覚。
 熱い。焼けるように熱い塊が、俺の体内を巡っていく。

「ん……ぁ……」

 力が抜け、へなへなと崩れ落ちそうになる俺を、グレンがガッチリと支えていた。
 唇が離れると、銀色の糸が引いた。
 俺は顔を真っ赤にして、荒い息をつく。

「な、ななな……っ!」
「『婚約の証』だ。我の魔力を少し分けてやった。これで、お前も魔界の空気に耐えられるようになる」

 グレンは悪びれもせずに唇を拭った。

「さあ、行くぞ。我が嫁よ」
「よ、嫁って……俺、男なんですけど……」
「些末な問題だ」

 グレンは俺を再び軽々とお姫様抱っこすると、地面を蹴った。
 浮遊感。
 次の瞬間には、俺たちはものすごい速度でダンジョンの出口へと飛翔していた。


 ◇◇◇

 夜の空を風のように駆け抜け、あっという間に城塞都市バルドの灯りが見えてきた。
 グレンはそのまま宿へ向かおうとしたが、俺は慌てて彼の袖を引いた。

「ま、待ってください! ギルドに寄ってください!」
「む? なぜだ」
「借りた装備を返さないと……それに、借金だってあるし、何より受付のアンナさんにお礼も言わずにいなくなれません!」
「面倒な……」

 グレンは心底嫌そうな顔をしたが、俺が必死に頼み込むと「チッ」と舌打ちしつつも、進路を変えてくれた。
 ギルドの前に音もなく降り立つ。
 夜も遅いが、ギルドの中にはまだ灯りがついていた。

 扉を開けると、閑散としたロビーのカウンターに、アンナさんの姿があった。彼女は疲れ切った顔で、心配そうに入り口を何度も確認していたようだった。
 俺の姿を見るなり、彼女は目を大きく見開いた。

「湊くん……!?」
「アンナさん!」
「よかった……! 生きてたのね、本当によかった……! あそこにはブラックウルフが出たっていう情報が入って、もうダメなんじゃないかって……!」

 アンナさんはカウンターから飛び出し、駆け寄ってきた。その目には涙が浮かんでいる。俺のような行きずりの人間を、ここまで心配してくれていたなんて。

「すみません、ご心配おかけしました。……でも、これ」

 俺は背中のつるはしと、腰のショートソードを差し出した。
 革鎧はウルフに噛まれたせいでボロボロだ。

「装備、こんなにしちゃって……弁償します。でも、今はお金がなくて……」
「そんなのいいのよ! 命があっただけ儲け物じゃない!」

 アンナさんは首を振るが、そこで横にいたグレンが一歩前に出た。

「……貸し借りはなしにしておきたいのでな」

 グレンは懐から革袋を取り出すと、ジャラッという重たい音と共にカウンターに放り投げた。
 袋の口が緩み、中から金色の輝きが溢れ出る。
 金貨だ。しかも、一生遊んで暮らせそうな枚数に見える。

「え、ちょっ……!?」
「装備の弁償と、情報の礼だ。釣りはいらん」
「多すぎます! こんなに受け取れません!」
「受け取れ。我が嫁への気遣い、感謝する」

 グレンが短く告げると、アンナさんは「よ、嫁……?」と、俺とグレンを交互に見て固まってしまった。
 俺は顔から火が出る思いで、深々と頭を下げた。

「アンナさん、本当にありがとうございました。アンナさんが止めてくれたり、心配してくれたこと、すごく嬉しかったです。……俺、弟と一緒に遠くへ行きます。もう会えないかもしれませんけど、元気で」
「湊くん……」

 アンナさんは困惑しつつも、俺の目をじっと見つめ返し、何かを悟ったように優しく微笑んだ。

「……そう。もう大丈夫なのね。弟さん、お大事に」
「はい!」

 用は済んだとばかりに、グレンが俺の腕を掴んで引きずる。
 俺はアンナさんに手を振りながら、ギルドを後にした。
 ちゃんと挨拶ができてよかった。これで心置きなく旅立てる。

 その後、宿に戻って女将さんにも挨拶と宿代(これもグレンが金貨で支払ったので、女将さんは腰を抜かしていた)を済ませ、俺たちは眠っていた優斗を起こした。

「んぅ……にーちゃん……?」
「優斗、起きて。出発だ」

 目をこすりながら起き上がった優斗は、部屋の中にいる巨大な銀髪の男を見て、ぽかんと口を開けた。

「……おうじさま?」
「ふっ、見る目があるな小僧」

 グレンは優斗の前にしゃがみこむと、その頭をガシガシと乱暴に、しかしどこか優しく撫でた。

「安心しろ。もう苦しい思いはさせん。……お前の兄は、我がもらい受けるがな」
「え? にーちゃんをもらうの?」
「ああ。今日からこいつは我の嫁だ」
「よめ?」
「家族だ」

 優斗はパチパチと瞬きをして、それから俺を見て、またグレンを見た。

「じゃあ、このおっきいおうじさまがパパになるの?」
「パ、パパじゃない! 違うぞ優斗!」
「ククク、パパか。それも悪くない響きだ」

 グレンは上機嫌に笑うと、指をパチンと鳴らした。
 すると、部屋の空気が歪み、目の前に漆黒の穴――転移ゲートが現れた。

「さあ、行くぞ。我が城へ」

 差し出された大きな手。
 魔物の爪を持つその手は、俺たちを絶望から救い出してくれた手だ。
 俺は優斗を抱き上げ、その手をしっかりと握り返した。

「……はい、旦那様」

 意気込みを込めてそう呼ぶと、グレンは満足そうに目を細めた。
 俺たちはゲートをくぐった。
 不安がないと言えば嘘になる。
 でも、グレンに繋がれた手から伝わる熱と、背中の優斗のぬくもりが、俺に前を向かせてくれた。
 こうして、魔力欠乏の義弟を救うための、俺の「魔族への嫁入り」は幕を開けたのだった。

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