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第1話:適合者(The Match)
王宮の大広間は、はっきり言って地獄だった。
数百の蝋燭が燃える熱気、密集した貴族たちが発散する体温、そして何より、彼らが無意識に垂れ流している微弱な魔力の残滓(ノイズ)。
それらが澱みとなって滞留し、私の不快指数を限界まで押し上げていた。
「……換気効率が悪すぎる」
私はグラスの中のぬるくなった果実水を睨みつけ、小さく毒づいた。
私の名前はレイ・オルコット。王宮魔導研究所に所属する、しがない三席魔導師だ。
だが、その中身は少し違う。かつて「日本」という技術大国で、システムエンジニアとして数多のデスマーチを生き抜いた前世の記憶を持っている。
だからこそ、この世界の「非効率」が我慢ならない。
なぜ、魔法という超常の力がありながら、彼らはそれを「火の玉を飛ばす」だの「剣を強化する」だのといった野蛮な用途にしか使わないのか。
生活水準の向上(QOL)こそが、技術の本来あるべき姿ではないのか。
私は、脳内に構築された設計図を思い浮かべる。
『恒常式・空間温度調整結界(コンスタント・クライメート・コントロール)』――前世でいうところの「エアコン」だ。
理論は完成している。術式コードの最適化も完璧だ。
だが、実装には致命的な問題があった。
(ハードウェアのスペック不足だ……ッ!)
私は自身の貧弱な掌を見つめた。
この体――レイ・オルコットの魔力保有量は、中の下。
扇風機(ウィンド・ファン)程度なら回せるが、部屋全体を冷却するコンプレッサー級の術式を維持するには、圧倒的に出力が足りないのだ。
魔石を使えば解決するが、高純度の魔石は国家予算レベルの価格がする。一介の研究員の給料で買えるものではない。
「ああ……涼しい部屋で、冷えた麦酒(ビール)が飲みたい……」
前世の社畜時代ですら享受できていた「文明」が、ここにはない。
その絶望に打ちひしがれ、壁の一部として撤退のタイミング(定時退社)を計っていた、その時だった。
ざわり、と会場の空気が震えた。
音楽が止まる。談笑していた貴族たちが、蜘蛛の子を散らすように左右へ割れた。
現れたのは、一人の男だ。
長身の偉丈夫。夜の闇を溶かしたような黒髪に、血のように赤い瞳。
王国の騎士団長、ジークハルト・フォン・ベルンシュタイン。
大陸最強の剣士であり、同時に「歩く天変地異」と恐れられる男。
(……うるさいな)
周囲の令嬢たちが「キャーッ」と本気の悲鳴を上げて遠ざかったが、私の反応は違った。
私の目(魔導視覚)には、彼が人間に見えなかった。
あれは、人間ではない。
巨大な、あまりにも巨大な「魔力の塊」だ。
彼の全身からは、制御しきれない魔力が絶えず噴出していた。
バチバチと空気が焦げる音が聞こえる。彼の周囲だけ温度が異常に高い。
あれは「威圧感」などという精神的なものではない。単なる魔力過多による「熱暴走(オーバーヒート)」だ。
体内で生成される魔力量が排出量を上回っているため、常に全身が内側から焼かれている状態なのだろう。
(なんて燃費の悪い……いや、待てよ?)
私は眼鏡の位置を直し、その「天変地異」を凝視した。
あれだけの高濃度魔力を、無意味に大気中に廃棄しているのか?
何たる資源の無駄遣い。
もし、あの排熱エネルギーをすべて回収し、変換することができれば。
私の『温度調整結界』どころか、『食材保存用・氷結結界箱(冷蔵庫)』と『温水洗浄便座』を同時稼働させてもお釣りがくるのではないか?
ゴクリ、と喉が鳴った。
目の前に、国家予算クラスの「自律型・高濃度魔力炉(マナ・リアクター)」が歩いている。
しかも、メンテナンス不足で今にも爆発しそうだ。
ジークハルトは、苦しげに眉間を寄せていた。
顔色は青白く、脂汗が滲んでいる。
彼はふらりとよろめき、あろうことか、私が立っている壁際へと倒れ込んできた。
「――っ、く」
周囲が息を呑む。
触れれば大火傷をする、と誰もが知っているからだ。彼の暴走した魔力は、物理的な熱となって触れる者を拒絶する。
だが、私は逃げなかった。
逃げるわけがない。コンセントが向こうから差し込まれに来たのだから。
私は反射的に、倒れてくる彼の身体を受け止めた。
「危ないですよ、閣下」
ドサリ、と重い衝撃。
「ぐ、っ……重た……ッ!」
鍛え上げられた騎士の質量は、貧弱な研究員の足腰を容赦なく軋ませる。
本来なら二人まとめて床に激突するところだが、私は膝を震わせながら踏ん張った。
瞬間、私の腕に灼熱が走る。
――否。
これは熱ではない。「未処理の魔力データ」だ。
膨大な情報の奔流が、私の細い回路(パス)を焼き切ろうと雪崩れ込んでくる。
(素晴らしい……ッ! 何という出力(パワー)だ!)
常人ならショック死するレベルの魔力圧。
だが、私は魔導術式のエキスパートだ。
流れ込んでくる暴力的なエネルギーを、脳内で瞬時に解析(パース)する。
属性は火と雷の複合。純度はSランク。不純物なし。
私は即座に自身の魔力回路を開き、彼から溢れ出る余剰魔力を「ドレイン(吸収)」する術式を展開した。
もったいない。一滴たりとも漏らすものか。
私の体内の枯渇したタンクが、ものすごい勢いで満たされていく。
至福だった。
空腹の獣が極上の肉に食らいつくような、根源的な充足感。
私は無意識に、彼を支える手に力を込めた。もっとだ、もっと寄越せ。
「……あ、……ぁ?」
腕の中で、ジークハルトが掠れた声を漏らした。
苦痛に歪んでいた彼の表情が、みるみると緩んでいく。
当然だ。
彼の体内を蝕んでいた「毒(過剰魔力)」を、私が吸い出しているのだから。
彼にとって、これは治療行為に等しい。
血管をきしませていた圧力が消え、焼けるような熱が引いていく。その感覚は、泥のような安息をもたらしたはずだ。
周囲の貴族たちは、凍りついたように私たちを見ていた。
無理もない。
あの「触るものみな傷つける」狂犬のような騎士団長が、地味な文官風情の男に抱きとめられ、あまつさえ陶然とした表情で脱力しているのだから。
彼らの目には、まるで熱烈な抱擁、あるいは怪しげな愛の逃避行に見えているかもしれない。
だが、真実はただの「給油(チャージ)」である。
「……う、……」
「お静かに。今、回路(パス)が繋がりました」
私は耳元で囁き、彼の背中に回した手からさらに深く魔力を吸引した。
私の容量(キャパシティ)は限界に近いが、あふれた分は即座に周囲への『熱交換術式』へと変換して放出する。
とん、とん、と私が彼の方を叩くたびに、会場の温度がわずかに下がっていく。
なんという高効率。
彼という熱源(ヒーター)を利用して冷房を効かせる、夢のエネルギー循環システムの完成だ。
数分後。
体内の余剰魔力を粗方吸い取られたジークハルトは、完全に意識を手放していた。
気絶ではない。あまりの心地よさに、強制シャットダウン(睡眠)したようだ。
私の肩に、ずしりと重い頭が乗せられる。
均整の取れた寝顔は、先ほどの鬼神のような形相が嘘のように幼く、安らかだった。
「ふぅ……」
私は眼鏡の位置を直し、深く息を吐いた。
体中が魔力で満ち溢れている。これなら、帰宅してすぐに『氷結結界箱』の試作に取り掛かれるだろう。
私は、自分の肩で寝息を立てる「最高級の魔力炉」を見下ろし、口角を上げた。
「素晴らしい出力でした、騎士団長閣下。……暴発する前に、私が定期的に『排熱処理』して差し上げましょう」
周囲の呆然とした視線をよそに、私は頭の中で、彼をどうやって研究室(ラボ)へ搬入するかを計算し始めていた。
これは、運命の出会いではない。
極めて有益な、リソースの発見であった。
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