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第2話:契約成立(The Contract)
翌朝、私は王宮の奥まった場所にある「第三魔導研究室」で、人生の絶頂を迎えていた。
「……素晴らしい」
目の前には、無骨な鉄と魔石で組み上げられた箱型の魔導具が鎮座している。
私が徹夜で調整を施した試作一号機、『食材保存用・氷結結界箱(コールド・ストレージ)』だ。
私は震える手で、その重厚な扉を開いた。
ひやり、とした冷気が頬を撫でる。
箱の中には、ガラス瓶に入った水が一本。
取り出してみれば、瓶の表面にはうっすらと結露が浮かんでいた。
「キンキンに冷えている……!」
私は感動に打ち震えながら、その水を一息に煽った。
喉を駆け抜ける鋭い冷感。五臓六腑に染み渡る文明の味。
前世の記憶にある「冷蔵庫」に比べれば、冷却効率も静音性もゴミのような出来だが、この常温保存が当たり前の異世界においては、神の御業に等しい。
「これで……これで、私のQOL(生活の質)は劇的に向上する……」
だが、その至福は長くは続かなかった。
ブツン、という不吉な音が響き、箱の駆動音が停止したのだ。
「……あ」
私は青ざめた。
魔力切れだ。
昨夜、あの騎士団長ジークハルトから「ドレイン」した膨大な魔力は、この冷蔵庫の初期冷却(アイドリング)と、私の徹夜の研究によって底をついてしまったらしい。
私の貧弱な自己生成魔力では、この巨大な術式を維持することは不可能だ。
このままでは、水はぬるくなり、夏場に保存した肉は腐り、私の快適な引きこもりライフは崩壊する。
絶望だ。一度知ってしまった文明の利器を手放すことなど、私にはできない。
「……燃料が、要る」
私は乾いた唇を舐めた。
高出力で、長時間稼働し、なおかつ無料で手に入る燃料(魔力源)。
そんな都合の良い存在が、この世に一つだけある。
ドォォォン!!
その時、研究室の扉が爆発したかのような音と共に蹴破られた。
蝶番が悲鳴を上げ、鋼鉄製の扉がひしゃげる。
土煙の中に立っていたのは、数人の近衛騎士たちを引き連れた、昨夜の「彼」だった。
「――居たか、魔導師」
ジークハルト・フォン・ベルンシュタイン。
王国の騎士団長にして、歩く天変地異。
今朝の彼は、昨夜よりも一層機嫌が悪そうだった。
整った眉間には深い皺が刻まれ、その身体からは、目視できるほどの赤黒い魔力がバチバチと放電されている。
彼の背後にいる部下たちは、恐怖で顔を引きつらせていた。
「団長、あ、あまり興奮なさると、この棟が崩壊します……!」
「うるさい。……おい、眼鏡」
ジークハルトは部下の制止を無視し、大股で私の方へ歩み寄ってきた。
一歩踏み出すたびに、床の石材がミシミシと音を立ててひび割れる。
物理的な重圧ではない。魔力密度が高すぎて、周囲の物質強度が耐えきれていないのだ。
(素晴らしい……昨夜「排熱処理」したばかりだというのに、もうタンクが満タンになっているのか?)
私は恐怖するどころか、その回復速度の高さに惚れ惚れとしていた。
これなら、一年中私の研究室の全電力を賄えるかもしれない。
ジークハルトは私の胸ぐらを乱暴に掴み上げ、壁に押し付けた。
至近距離で睨みつけられる。
彼の瞳は充血し、呼吸は荒い。
「昨夜の、あれだ」
「……あれ、とは?」
「惚けるな。貴様が夜会で俺にした『術』だ。……あれを、もう一度やれ」
彼の声には、切迫した色が混じっていた。
恫喝ではない。これは、禁断症状だ。
魔力過多症候群の患者にとって、過剰な魔力は全身を内側から焼く炎に等しいらしい。
昨夜、私がその炎を取り除いたことで、彼は生まれて初めて「痛みのない夜」を知ってしまったのだ。
一度知ってしまった楽園(無痛)は、地獄(激痛)への耐性を著しく低下させる。
「俺は、あれから一睡もできていない。……身体中が軋んで、何も考えられん」
ジークハルトが、苦しげに呻く。
掴み上げられた私の胸元から、彼の体温と、制御できない魔力の波が伝わってくる。
私の体内の回路が、その濃厚な魔力に反応して疼いた。
需要と供給(マッチング)は、成立している。
私は冷静に、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「閣下。一つ訂正させていただきます」
「あ?」
「あれは『術』などという高尚なものではありません。単なる『余剰魔力の回収作業』です」
「御託はどうでもいい! 今すぐ俺に触れ! ……金なら払う。地位も、名誉も、望むものは何でも用意してやる」
ジークハルトの提案に、私は脳内で高速計算(シミュレーション)を行う。
金貨? 悪くないが、魔石を買う手間が面倒だ。
地位? 出世すれば会議が増え、研究時間が減る。論外だ。
私が欲しいのは、安定的かつ永続的な「電力」のみ。
「金銭も地位も不要です。その代わり――契約(サイン)を」
私は作業台の上に散らばっていた羊皮紙を一枚取り出し、羽ペンでサラサラと条件を書き連ねた。
「け、契約だと?」
「ええ。貴方は定期的な『排熱処理』を必要とし、私は『動力源』を必要としている。これは極めて合理的な取引です」
私は羊皮紙を彼に突きつけた。
そこには、以下の条件が記されている。
【魔力譲渡および身体保全に関する包括契約書】
* 甲(ジークハルト)は、乙(レイ)に対し、日次で発生する余剰魔力の全量を無償提供すること。
* 乙は、甲に対し、魔力過多による肉体的苦痛を除去する施術(ドレイン)を定期的かつ優先的に行うこと。
* 甲は、乙の研究活動(冷蔵庫の開発等)に対し、いかなる干渉も行わず、また第三者からの干渉も排除すること。
「……なんだこれは」
「私を貴方の『専属保守技師(メンテナンス・エンジニア)』として雇う契約書です。これにサインすれば、貴方は今後、あの忌々しい頭痛と灼熱感から解放されます」
ジークハルトは怪訝そうな顔で羊皮紙を見ていたが、ふいに襲ってきた激痛に顔をしかめた。
背に腹は代えられない、という表情だ。
「……分かった。俺の痛みが消えるなら、魂でも何でもくれてやる」
「魂はいりません。燃費が悪いので」
私は彼の手を取り、無理やり拇印を押させた。
契約成立(コネクト・コンプリート)。
「では、さっそく初回充填を開始します。……失礼」
私は、壁に押し付けられた体勢のまま、彼の手首を掴み、さらに反対の手を彼の脇腹へと滑り込ませた。
接触面積を増やすため、身体を密着させる。
端から見れば熱烈な抱擁だが、私にとっては「太いケーブルを二本差した」程度の認識だ。
「――接続(リンク)」
詠唱と共に、私の魔力回路を開放する。
ドクン、と大きな鼓動が重なった。
ジークハルトの体内から、暴風のような魔力が私の体へと流れ込んでくる。
私の魔力生成器官(エンジン)は貧弱だが、魔力を通す配管(パイプ)の太さと頑丈さだけには自信がある。これほどの高出力を受け止めても、私の回路は焼き切れるどころか、喜びの声を上げていた。
「っ……、うぐ……ッ」
ジークハルトが喉の奥で声を押し殺した。
痛みではない。あまりの快感に、膝から崩れ落ちそうになっているのだ。
長年彼を苦しめてきた「熱」が、私の体を通して急速に冷却され、循環していく。
彼の硬直していた筋肉が弛緩し、荒い呼吸が整っていく。
私は、流れ込んでくる黄金色の魔力を貪欲に飲み込みながら、恍惚とした気分で分析していた。
(最高だ。昨夜よりも純度が上がっている。これなら『恒常式・空間温度調整結界(エアコン)』の実装も前倒しできる……!)
一方、ジークハルトの反応は、私の予想を超えていた。
彼は私の肩に顔を埋め、まるで溺れる者が浮木にすがるかのような力強さで、私の背中を抱きしめ返してきたのだ。
重い。それに、熱い。騎士団長の鍛え抜かれた体躯に押し潰されそうになりながら、私は冷静にメーターを監視する。
「……は、……ぁ……」
熱い吐息が首筋にかかる。
彼は無意識なのだろう、私の匂いを嗅ぐように鼻先を擦り付けてくる。
その姿は、獰猛な猛獣が、飼い主にだけ腹を見せているかのように無防備だった。
(おや、随分と依存性が高いな)
私は冷静に観察する。
魔力ドレインは、される側に多少の倦怠感と浮遊感を与えるが、ここまで陶酔するのは彼が特殊体質だからだろう。
「……離すな」
ジークハルトが、うわ言のように呟いた。
「もう、離れるな。……お前以外、無理だ」
「ええ、離しませんよ」
私は事務的に答えた。
これほどのハイスペックな「自律型魔力炉」を、みすみす手放すわけがない。
私が彼の背中をポンポンと軽く叩くと、彼はビクリと震え、さらに強く私を締め上げてきた。肋骨が軋む。
「閣下、圧力が強すぎます。筐体破損の恐れがあります」
「うるさい……このまま、じっとしていろ……」
結局、彼が完全に満足して腕を緩めるまで、三十分近くもその体勢で拘束されることになった。
その後――。
すっかり顔色の良くなったジークハルトは、憑き物が落ちたようなスッキリとした表情で研究室を出て行こうとした。
「あ、お待ちください閣下」
「なんだ、まだ足りないのか?」
「いえ。出ていく前に、あの扉を直していってください」
私は顎で、彼が蹴破った無惨な鉄屑(元・扉)をしゃくった。
「隙間風が入ると室温が上がります。冷蔵庫の冷却効率に関わりますので」
「……貴様、俺への要求がそれか」
ジークハルトは呆れたように鼻を鳴らしたが、あっという間に扉を元通りに修復してくれた。
去り際に「明日のこの時間に来る」と言い残して。
その背中は、どこかご機嫌に見えた。
残された私は、パンパンに膨れ上がった魔力タンクを抱え、満面の笑みで冷蔵庫に向き直った。
「よし。これで氷も作れる」
こうして、私と王国の騎士団長との間に、奇妙な共犯関係が結ばれた。
彼にとっては「唯一の痛み止め」。
私にとっては「歩く発電所」。
これは、互いの利害が完全に一致した、極めて健全で、ドライで、ロジカルなビジネス・パートナーシップである。
少なくとも、この時の私はそう信じて疑わなかった。
彼が向ける執着の眼差しが、単なる「治療への渇望」だけではないことに、まだ気づいていなかったのだ。
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