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第6話:オーバーフロー(System Down)
目が覚めると、私は最高級の羽毛布団に埋もれていた。
天蓋付きのベッド。窓には鉄格子(装飾付きだが強度はオリハルコン級)。
ここはベルンシュタイン公爵家の別邸、最上階の寝室だ。
いわゆる「監禁生活」二日目の朝である。
「……不愉快だ」
私は眼鏡を探り当て、不機嫌に呟いた。
監禁されたこと自体に腹を立てているのではない。
ジークハルトが、私の研究機材をこの部屋に無造作に運び込んだことに対してだ。
部屋の隅には、高価な錬金釜や魔導顕微鏡が山積みにされている。
『欲しいものは何でも揃える』と言った彼の言葉に嘘はなかったようだが、配置(レイアウト)のセンスが絶望的に悪い。導線が非効率すぎる。
「これでは、洗濯機までの歩数が三歩増える……」
私はため息をつき、ベッドから降りようとした。
その時だ。
ズズズズ……ッ!!
地響き。
屋敷全体が、巨大な何かに握り潰されるかのように軋んだ。
地震ではない。この独特の重圧感と、肌を突き刺すような静電気。
魔力波だ。しかも、桁違いの出力(パワー)。
「……まさか」
私は窓の外を見た。
晴天のはずの空が、別邸の上空だけ黒雲に覆われている。
紫電が走り、庭の木々が衝撃波で薙ぎ倒されていく。
発生源は、この屋敷の地下。
「キャァァァッ!!」
「だ、誰か! 結界師を呼べ! 旦那様が……旦那様が暴走なされたぞ!!」
廊下から、使用人たちの悲鳴が聞こえてきた。
私は舌打ちをした。
「あの手のかかる(ハイ・メンテナンス)魔力炉……! 私がそばにいないだけで、もう制御不全(エラー)を起こしたのか!」
私は扉に駆け寄った。
鍵がかかっている。三重の術式ロックだ。
だが、今の私には昨夜、彼から無理やり注ぎ込まれた膨大な魔力が残っている。
私は掌を扉に押し当て、解析(ハッキング)を開始した。
「術式構成、原始的すぎる。……力任せのセキュリティなど、今の私の『演算処理能力』なら三秒で突破できる」
パリン、と軽い音がして、最強の騎士団長が施したロックが砕け散った。
私は廊下へと飛び出した。
目指すは地下、魔力の震源地だ。
◇◇◇
地下の鍛錬場は、地獄と化していた。
そこかしこで黒い雷が暴れまわり、石造りの壁や床を粉砕している。
その中心に、彼はいた。
ジークハルト・フォン・ベルンシュタイン。
彼は剣を握ったまま、膝をついていた。
全身から血のような赤黒い魔力が噴出し、彼の輪郭を曖昧にしている。
「……う、あぁ……ッ!」
苦悶の声。
彼は自分の胸を掻きむしっていた。
制御できない魔力が、内側から肉体を引き裂こうとしているのだ。
『臨界点突破(メルトダウン)』寸前。
このままでは、彼は自壊する。そしてその余波で、この別邸も、私の大切な研究機材も、クレーターと化すだろう。
「お逃げください! もう誰の声も届きません!」
老執事が、入口で震えながら叫んでいた。
私はその横を通り抜け、スタスタと嵐の中へ足を踏み入れた。
「おい、そこをどけ。調整の時間だ」
「れ、レイ様!? 死にますぞ! 今の旦那様は、近づくもの全てを無差別に破壊する――」
バチィッ!!
執事の警告通り、逸れた稲妻が私の足元を掠めた。
石畳が爆ぜ、破片が頬を切り裂く。
痛い。
だが、私は歩みを止めなかった。
(……馬鹿げている)
恐怖よりも、怒りが勝っていた。
こんな優秀なリソースを、感情の暴走ごときで自滅させる?
そんな非効率な結末(バッドエンド)、私の計算にはない。
「ジークハルト!」
私は暴風の中で名前を呼んだ。
だが、彼の虚ろな瞳は私を認識していない。
「……いかないで、くれ……」
「……」
「俺を……捨てるな……レイ……ッ!」
彼は幻覚を見ているようだった。
私が帝国へ去っていく悪夢でも見ているのだろうか。
彼の魔力は「拒絶」と「渇望」がない交ぜになり、混沌とした渦を作っていた。
私は彼の目の前まで進み、その肩を掴もうとした。
瞬間、防衛本能が働いた彼の魔力が、刃となって私に襲いかかる。
ドォン!
不可視の衝撃波が私を襲った。
展開していた簡易結界ごと吹き飛ばされ、背中を壁に打ち付けられる。
「ぐ、ぅ……ッ」
痛い。衝撃殺し(ショック・アブソーバー)が機能していなければ、肋骨が砕けていた。
だが、私は口元の血を拭い、再び立ち上がった。
通常の接触(タッチ)では弾かれる。
外部接続端子(手や皮膚)からのアクセスは拒否されている状態だ。
ならば、どうする?
私は冷静に、今の彼の状態をスキャンした。
魔力密度、計測不能。
暴走率、98%。
外部からの干渉を受け付けないほど、内圧が高まっている。
これを鎮めるには、外から冷やすだけでは足りない。
もっと深く。
中枢システム(コア)に直接割り込み(インタラプト)、強制的に排熱回路を開く必要がある。
そのためには――。
「……粘膜接触による、内部直接接続(ダイレクト・コネクト)しかないか」
私は覚悟を決めた。
衛生面や情緒面のリスクを考慮している場合ではない。
これは緊急の「消火活動」であり、「設備保全」である。
私は残存魔力のすべてを防御結界(シールド)の前面に集中させ、再び彼へと突っ込んだ。
吹き荒れる魔力の風を、最小限の動きで躱す。
皮膚が焼ける匂いがする。構わない。
私は彼の間合いに滑り込み、その胸倉を両手で強く掴み上げた。
「出力を安定させろ、この欠陥(バグ)だらけの魔力炉ッ!!」
私は怒鳴りつけ、彼の顔を引き寄せた。
虚ろな赤い瞳と、私の目が合う。
彼が何かを言いかけた、その瞬間。
私は彼の唇に、自分の唇を叩きつけた。
「――んッ!?」
ジークハルトの目が大きく見開かれる。
キスではない。
これは、配管工事だ。
「……ん、ぐ……ッ」
私は彼の口をこじ開け、舌を絡ませた。
そこをパス(経路)として、私の魔力回路を彼の体内へと強引に侵入させる。
熱い。
口の中が溶けそうなほどの高熱。
彼の体内は、マグマのように煮え滾っていた。
私はその熱源の中心にアクセスし、命令コード(コマンド)を叩き込む。
――『強制冷却(クールダウン)』。
――『全魔力、私へ転送(ムーブ)』。
ドクン!!
巨大な奔流が逆流を始めた。
彼の体内を暴れ回っていた魔力が、出口を見つけ、私の口を通して雪崩れ込んでくる。
通常の「ドレイン」とは比較にならない速度と量。
私の許容量(キャパシティ)など、一瞬で超えた。
(ぐ、あ……ッ! 重い、熱い……!)
全身の血管が焼き切れそうだ。
だが、離すわけにはいかない。ここで離せば、彼は爆発する。
私は必死に、入ってきた魔力を大気中へと放出し続けた。
私の身体が「変換アダプタ」となって、彼の暴走を受け止める。
その時。
魔力と一緒に、情報の波(ノイズ)が流れ込んできた。
――『怖い』
――『独りは嫌だ』
――『レイ、レイ、レイ……』
――『愛している』
それは、ジークハルトの心音だった。
普段の俺様で傲慢な態度からは想像もできないほど、幼く、脆く、そして純粋な叫び。
彼は「最強」なんかじゃない。
ただ、強すぎる力に振り回され、誰にも触れてもらえなかった、寂しがり屋の子供だ。
(……うるさいな)
私の胸の奥が、締め付けられるように痛んだ。
これは魔力過多による痛みではない。
計算外の、論理的ではない痛み(エラー)。
私は無意識に、彼の後頭部に手を回し、さらに深く唇を押し付けていた。
ただの魔力吸収作業のはずなのに。
彼を安心させたいと、そう思ってしまった。
「……大丈夫だ」
唇の隙間から、私は息継ぎのように囁いた。
「私はここにいる。どこへも行かない。……だから、大人しく『安定電源』になりなさい」
その言葉が、彼の中枢に届いたのだろうか。
ジークハルトの身体から力が抜け、剣がカランと床に落ちた。
代わりに、彼の両腕が私の背中に回され、骨が軋むほどの力で抱きしめ返された。
周囲の黒い雷が消えていく。
嵐が凪いでいく。
残ったのは、互いの鼓動と、荒い呼吸の音だけ。
どのくらい、そうしていただろうか。
体感では数時間にも、数秒にも感じられた「接続」が終わり、私はゆっくりと唇を離した。
銀色の糸が、二人の間で頼りなく引いては切れる。
「……はぁ、はぁ……」
私は膝から崩れ落ちそうになったが、ジークハルトの腕がそれを支えていた。
見上げると、そこには正気を取り戻した彼がいた。
赤い瞳は澄んでいて、先ほどまでの狂気は消えている。
だが、その瞳に宿る熱は、別の意味で危険なものに変わっていた。
「……レイ」
彼は、夢見心地のような、それでいて獲物を追い詰めた獣のような声で私の名を呼んだ。
「お前……今、俺に何をした?」
「……緊急調整です」
私は息を整えながら、眼鏡のズレを直した(指が震えて上手く直せなかった)。
「貴方の精神回路(マインド・パス)が完全に沈黙していたので、管理者権限で強制割り込みを行いました。……粘膜接触なら、通常の二十倍は速く馴染みますから」
「……そうか」
ジークハルトは、ふ、と艶っぽく笑った。
そして、まだ熱の残る私の唇を、親指でなぞった。
「味などしなかっただろう? 俺の魔力(どく)ばかりで」
「……ええ。鉄錆の味がしました。最悪です」
「次は、甘くしてやる」
「次などありません。こんな危険な作業、二度と御免です」
私が憎まれ口を叩くと、彼は嬉しそうに目を細め、私を抱きしめる腕に力を込めた。
「いや、あるさ。……俺は知ってしまったからな」
「何をです」
「お前となら、俺は『壊れない』ということを」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
それは、私たちが決定的に「一線」を超えてしまったことの宣言だった。
ただの「供給元」と「消費者」ではない。
彼の暴走を受け止められるのは、世界で私一人。
そして、私の研究(欲望)を満たせるのも、世界で彼一人。
それは逃れようのない、運命的な「相互依存(ロックイン)」の完成だった。
「……責任を取れよ、レイ」
ジークハルトは私の耳元で、甘く、重く囁いた。
「俺の理性を焼き切ったのは、お前だ。……これからは、補給の時間以外も、俺はお前を離さない」
その声を聞きながら、私はぼんやりと考えていた。
ああ、これは撤退戦だ。
私は帝国へ行くことも、平穏な引きこもり生活に戻ることも、もうできない。
この厄介で、手のかかる、最高出力の魔力炉の隣が、私の定位置になってしまったのだ。
(……まあ、悪くはないか)
彼の腕の中は、暴走の後だというのに、不思議と適温に保たれていた。
それが私の『温度調整結界』のせいなのか、それとも私の体温が上がっているせいなのか。
今の私の解析能力では、判別不能(エラー)だった。
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