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第1話:野望と出会い、そして無謀な突撃
しおりを挟む俺の前世は、いわゆる「社畜」だった。
朝七時に出社し、日付が変わってから退社する。休日は泥のように眠り、また月曜日が来る。恋人はいない。いないどころか、最後に女性の手を握ったのがいつだったか思い出せないレベルだ。
そして二十八歳の冬、俺は会社のデスクで突っ伏したまま、その生涯を終えた。過労死だった。
薄れゆく意識の中で、俺は強く、強く念じたのだ。
――もしも来世があるのなら。
もう仕事なんて頑張らない。定時で帰って、可愛い奥さんと温かいシチューを囲むんだ。休日は子供とキャッチボールをして、「パパかっこいい!」って言われるような、そんなありふれた幸せな家庭を築くんだ……!
そんな悲痛な叫びが神様に届いたのか、それとも単なる宇宙のバグか。
気づけば俺は、異世界の貴族の子供に転生していた。
名前は、リアン・アークライト。
アークライト子爵家の次男として生を受け、現在五歳。
前世の記憶が戻ったのは、つい先日のことだ。鏡に映った自分を見て、俺は愕然とした。
ふわふわした栗色の癖毛に、少し垂れたハニーブラウンの瞳。頬は餅のように柔らかく、全体的に色素が薄い。
……可愛い。
いや、自分で言うのもなんだが、客観的に見て愛らしい造形だ。メイドたちが「リアン様~!」と群がってくるのも分かる。
だが、違う。俺がなりたいのはこれじゃない。
「男というのはだな、もっとこう、シュッとしていて、頼りがいがあって、無言で壁ドンができるような……そう、スパダリだ!」
俺は自室のベッドの上で、小さな拳を握りしめた。
スパダリ。スーパーダーリン。
高身長、高学歴、高収入。包容力があり、家事も完璧で、パートナーを溺愛する完璧な男。
前世、会社の女性社員たちが給湯室で盛り上がっていた理想の男性像だ。
モテるためには、可愛い系男子になってはいけない。可愛がられる側になってどうする。俺は愛する妻を守り、慈しむ側になりたいのだ。
幸い、俺は次男だ。家を継ぐプレッシャーはない。
つまり、自由に生きられる。
ならば目指すべき道は一つ。
将来、最高に可愛いお嫁さんをもらうために、俺はこの異世界で「最強のスパダリ」になってみせる!
そう決意した数日後。
俺は、運命の師匠(と書いて推しと読む)に出会うことになった。
◇◇◇
「リアン、いいかい。今日はお行儀よくしているんだよ」
「はい、お父様」
アークライト子爵である父に連れられ、俺は王都の公爵家が開くティーパーティーに参加していた。
季節は初夏。手入れの行き届いた広大な庭園には色とりどりの薔薇が咲き誇り、着飾った貴族たちが優雅にグラスを傾けている。
本来なら五歳の子供が参加するような場ではないが、今日は「子供たちの顔合わせ」も兼ねているらしい。あちこちに俺と同年代の子供たちが、緊張した面持ちで親の後ろに隠れているのが見えた。
(うわぁ、みんなガチガチだな……)
中身がアラサーの俺は、社交界の煌びやかさに気圧されることはない。むしろ、「あの貴婦人のドレス、幾らするんだろう」「あそこの会話、腹の探り合いがすごいな」と、冷めた目で人間観察をしていた。
俺の今の目標は、将来のお嫁さん候補を探すことではない。
自分の「理想の男像」を見つけることだ。
モテる男とはどういう振る舞いをするのか。それを盗み見て、自分のスキルにする。いわば市場調査である。
ジュースのグラスを片手に庭園をうろついていた、その時だった。
薔薇のアーチの向こうに、人だかりができているのが見えた。
「あら、シリル様。今日も素敵ですわ」
「こちらの菓子はシリル様のお口に合いますでしょうか?」
「シリル様、今度我が家の領地へぜひ……」
大人たちが、必死な形相で媚びを売っている。
その中心に、彼はいた。
(……えっ、何あの完成された生き物)
俺は思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、俺と同じくらいの年齢の少年だった。
だが、放っているオーラが桁違いだ。
月光を紡いだようなプラチナブロンドの髪。切れ長の涼しげな瞳は、真夏のアイスキャンディーよりも冷たく透き通ったアイスブルー。
肌は陶器のように白く、佇まいは一枚の絵画のように美しい。
彼は、シリル・ヴァン・オルディス。
この国の筆頭公爵家の嫡男であり、王族に次ぐ権力を持つ家の跡取り息子だ。
だが、俺が衝撃を受けたのは、その家柄でも美貌でもない。
彼の「所作」だった。
五歳にして、彼は完璧だった。
自分より遥かに年上の、しかも下心丸出しの大人たちに囲まれていながら、彼は優雅な微笑みを絶やさない。
相手の話に適切なタイミングで頷き、決して不快にさせない言葉を選び、それでいて自分の領域には一歩も踏み込ませない鉄壁のガード。
飲み物を口に運ぶ仕草ひとつとっても、指先まで神経が行き届いていて美しい。
(すごい……! あれだ、俺がなりたいのはアレだ!)
俺の脳内で電流が走った。
自分の幼児体型を見下ろす。今の俺は、ただ立っているだけで「ポヤッとしている」と言われる。
だが、あのシリルという少年はどうだ。
あの余裕。あの気品。あの、全てを見透かしたようなクールな瞳。
間違いなく、彼は将来「スパダリ」になる。
約束された勝利の男だ。
(彼を……教本(テキスト)にしよう)
俺の社畜魂に火がついた。
優秀な上司の技術を盗むのは、平社員の基本だ。
彼、シリル・ヴァン・オルディスの近くにいれば、俺もあんなふうになれるかもしれない。
そうと決まれば善は急げだ。俺は飲み干したグラスを近くのテーブルに置き、人混みをかき分けて彼の元へ向かった。
◇◇◇シリル
シリル・ヴァン・オルディスは、退屈していた。
いや、正確には「絶望」に近い諦めを抱いていた。
五歳にして、彼は世の中の裏側を知りすぎていた。
寄ってくる人間は、皆一様に同じ目をしている。公爵家という権力、あるいは自分の容姿という価値に群がる、欲に塗れた目だ。
父は厳しい。母は世間体を気にする。
誰も「シリル」自身を見てはいない。
だから彼は心を凍らせた。完璧な人形のように振る舞えば、誰も傷つかないし、自分も傷つかない。
(……早く終わらないかな)
心の中でため息をつきながら、目の前の太った男爵の自慢話に相槌を打っていた時だ。
不意に、視界の端に何かが飛び込んできた。
栗色の髪をふわふわと揺らした、小動物のような子供。
同年代の子供たちは、シリルの冷ややかな空気を敏感に感じ取って近寄ってこない。親に言われて挨拶に来ても、すぐに泣きそうな顔で逃げ帰っていく。
けれど、その子供は違った。
まっすぐに、迷いなく、こちらに向かって突進してくる。
その瞳は、周囲の大人たちのような濁った欲望の色ではなく、かといって子供特有の無知な好奇心でもない。
もっと、熱烈で、純粋な――キラキラとした「憧れ」に満ちていた。
「あのっ! すみません!」
元気な声が、社交辞令の会話を切り裂いた。
大人たちが驚いて道を開ける。
シリルはわずかに眉を動かし、完璧な「公爵家嫡男の仮面」を貼り付けたまま、その子供を見下ろした。
「……私に何か御用かな?」
冷たく突き放すつもりだった。
どうせ、親に言われて媚を売りに来たのだろう。あるいは、遊び相手になってくれとねだるのか。
だが、目の前の子供――リアンは、頬を紅潮させ、興奮気味にこう言い放ったのだ。
「シリル様! めちゃくちゃカッコいいです!」
「……は?」
シリルは、生まれて初めて公の場で呆けた声を出した。
カッコいい? 可愛いと言われることはあっても、カッコいいと言われることは滅多にない。ましてや、同年代の男の子に。
リアンは止まらない。身振り手振りを交えて熱弁を振るう。
「その立ち姿! 大人をあしらう余裕のある微笑み! グラスを持つ指の角度! どれをとっても完璧です! 俺、感動しました!」
「……き、君は、何の話をしているんだ」
「俺、将来はシリル様みたいになりたいんです! クールでスマートで、みんなに頼られる男に!」
リアンは一歩踏み込み、シリルの両手をガシッと掴んだ。
温かい、いや、熱いくらいの手だ。
シリルの冷え切った指先に、その体温がじんわりと伝わってくる。
護衛の騎士が慌てて止めに入ろうとしたが、シリルは視線でそれを制した。
この奇妙な生き物が、次に何を言うのか気になったからだ。
リアンは、ハニーブラウンの瞳を潤ませ、人生を賭けた告白のように叫んだ。
「お願いです、俺を弟子にしてください!」
「……弟子?」
「はい! あなたの側で、その素晴らしい所作を学ばせてほしいんです! 鞄持ちでも靴磨きでも何でもします! 邪魔はしません! おやつも半分あげます! だから、俺に『カッコいい男のなり方』を教えてください!」
静寂が場を支配した。
大人たちは口をあんぐりと開けている。
公爵家の嫡男に対し、「おやつを半分あげるから弟子にしろ」などと提案した人間は、空前絶後だろう。
シリルは、ぽかんとリアンを見つめた後、ふつふつと湧き上がる感情に気づいた。
それは「笑い」だった。
打算も何もない。ただ純粋に「カッコいいから真似したい」という、あまりにも馬鹿馬鹿しく、そして真っ直ぐな動機。
こいつは、私の家柄なんてどうでもいいのだ。
ただ、私という人間を見て、「なりたい」と言った。
凍りついていた心臓が、トクトクと音を立てて動き出すような感覚。
シリルは口元の形を崩し、仮面ではない、年相応の意地悪な笑みを浮かべた。
「……いいよ」
「えっ! 本当ですか!?」
「ああ。ただし、私は厳しいよ? 君ごときがついて来られるかな」
「望むところです! 俺、根性だけはあるんで!」
リアンは花が咲いたような笑顔を見せた。
その笑顔を見て、シリルは奇妙な胸の高鳴りを覚えた。
ペットを飼うなら、こういうのがいい。
退屈な日常に現れた、予想外のオモチャ。いや、それ以上の何か。
シリルは握られたままの手を、逆に強く握り返した。
「言質は取ったよ。……もう逃がさないからね、私の可愛い弟子くん」
その言葉に含まれた重く湿った響きに、鈍感なリアンが気づくはずもなかった。
リアンはただ、「やったー! スパダリへの第一歩だ!」と無邪気に喜んでいるだけだ。
こうして、リアン・アークライトの「スパダリ修行」は始まった。
それが、将来この国を揺るがすほどの、執着と溺愛の幕開けになるとは知らずに。
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