【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g

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第2章 スパダリ修行は夜も忙しい!?〜嫉妬と媚薬と婚約騒動〜

第11話:勘違いのキューピッド

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 翌朝。
 俺は、目覚まし時計のベルの音で目を覚ました。
 シリル様の「おはよう、リアン」という甘い低音ボイスでもなければ、モーニングキスの未遂でもない。
 無機質な機械音だけが、広い部屋に響いている。

 隣の部屋に通じるコネクティングドアを見る。
 鍵はかかったままだ。
 昨夜の冷たい拒絶の言葉が、まだ耳の奥で反響している。

『二度と私の視界に入るな』

 ズキン、と胸が痛んだ。
 俺は重い体を起こし、鏡の前に立った。
 目の下に隈ができている。ひどい顔だ。
 でも、落ち込んでいる暇はない。今日から俺には新しい任務がある。

「……よし。やるぞ、リアン」

 俺は自分の頬を両手でパンと叩いた。
 任務内容は「エリス王女殿下の観光案内」。
 これは、シリル様が俺にくれた最後のチャンスかもしれない。
 ここで完璧な仕事をして、エリス様とシリル様の仲を取り持てば、きっと師匠も「よくやった」と見直してくれるはずだ。
 俺は「スパダリ流・おもてなし術」の知識を総動員して、この大役を全うしてみせる。

 俺は痛む胸に蓋をして、精一杯の笑顔を作って部屋を出た。


 ◇◇◇

 午前十時。
 俺はエリス王女の滞在する客室へと向かった。

「失礼いたします。本日、案内役を務めますリアンです」

 扉が開くと、そこには昨日と同じく、花の妖精のように愛らしいエリス様がいた。
 今日のドレスは爽やかな水色で、清楚な雰囲気を漂わせている。

「まあ、昨日の補佐官さんね。よろしくてよ」
「はっ。精一杯努めさせていただきます」

 俺たちは馬車に乗り込み、王都の観光へと繰り出した。
 最初の目的地は、王都随一の美しさを誇る「中央大聖堂」と、その周辺に広がる「薔薇園」だ。
 デートスポットとしても有名なので、ここで下見をしておけば、後でシリル様とデートする時に役立つはずだ。

 馬車の中で、俺は積極的に話題を振った。

「エリス様、この国の気候はいかがですか?」
「ええ、悪くはないわね」
「シリル様も、この季節の薔薇がお好きなんですよ。特にお白い薔薇が……」
「ふうん」

 反応が薄い。
 王女様は窓の外を眺め、退屈そうに扇子を揺らしている。
 緊張しているのだろうか?
 俺はめげずに、シリル様のプレゼンを続けた。

「シリル様は一見クールですが、実は甘党でして。大聖堂の近くに美味しいカフェがあるんです。今度お二人で行かれてはいかがでしょう?」

 俺がそう提案した瞬間。
 エリス様がパチンと扇子を閉じた。

「ねえ、あなた」
「は、はい?」
「少し黙っていてくださる? 耳障りだわ」

 冷ややかな声だった。
 昨日の鈴を転がすような声とは違う、低く、ドスの利いた声。
 俺は驚いて王女様を見た。
 彼女は、ゴミを見るような目で俺を見下ろしていた。

「……申し訳ございません」
「ふん。平民上がりの子爵風情が、わたくしに気安く話しかけないで」

 平民上がり。それは俺の家が、祖父の代で功績を上げて貴族になったことを指しているのだろう。
 情報収集済みか。
 俺は口を閉ざした。
 馬車の中の空気は、シリル様の執務室よりも冷たく、そして重かった。


 ◇◇◇

 薔薇園に到着した。
 色とりどりの薔薇が咲き誇る美しい庭園だ。
 俺は気を取り直して、エスコートのために手を差し出した。

「足元にお気をつけください、殿下」
「……汚らわしい」

 エリス様は俺の手を無視し、自分付きの侍女の手を借りて降りた。
 俺の手は空を切った。
 周囲の観光客がちらちらとこちらを見ている。恥ずかしい。
 だが、これは仕事だ。我慢だ。

「喉が渇いたわ。何か冷たいものを持ってきて」
「かしこまりました。すぐに……」
「ああ、それと日傘。わたくしの肌を焼くつもり? ちゃんと差してちょうだい」

 俺は走り回り、冷たいジュースを買い、日傘を差して王女様の後ろをついて歩いた。
 王女様は俺を完全に「使いっ走り」として扱った。
 少しでも手際が悪いと、「とろいわね」「気が利かないわ」と罵倒が飛んでくる。

(……本性、こっちかあ)

 俺は内心で苦笑した。
 昨日の猫被りは見事だった。シリル様の前ではあんなに可愛らしかったのに。
 でも、これも「スパダリ修行」の一環だと思えば耐えられる。
 わがままな女性の扱いも、一流の男の条件だ。
 俺は「これも修行、これも修行」と心の中で念仏のように唱えながら、彼女の理不尽な要求に応え続けた。

 しばらく歩き回り、庭園の奥にあるあずまやで休憩することになった。
 俺はハンカチをベンチに敷き、王女様を座らせた。

「ふう、疲れたわ。この国は坂が多くて嫌ね」
「お疲れ様です。少し足を休めましょう」

 俺は、今がチャンスだと思った。
 このあずまやは、薔薇のアーチに囲まれたロマンチックな場所だ。
 ここでシリル様と合流させれば、最高のシチュエーションになるはずだ。

「あの、エリス様。実はこの後、シリル様が合流される予定でして……」

 俺は嘘をついた。
 実際には呼んでいない。だが、俺が急いで使いを出せば、シリル様は来てくれるかもしれない(仕事熱心だから)。
 キューピッド役としての最後のアシストだ。

 しかし、エリス様の反応は予想外だった。

「はあ? シリル様を呼ぶですって?」
「はい。お二人でゆっくりとお話しされた方が……」
「余計なことをしないでちょうだい」

 エリス様は不機嫌そうに顔を歪めた。

「わたくし、今は化粧が崩れているのよ? そんな状態で殿方にお会いできるわけないでしょう。無能ね」
「す、すみません。配慮が足りませんでした」
「大体、あなたがシリル様の名前を出すだけで不愉快なのよ。いつもベタベタとくっついて……男のくせに気味が悪いわ」

 その言葉は、俺の胸の一番痛いところを正確に貫いた。
 気味が悪い。
 そうか。傍から見れば、俺とシリル様の距離感は「おかしい」のか。
 シリル様も、そう思っていたのだろうか。だから俺を遠ざけたのか。

「……申し訳ございません。俺はただ、補佐官として……」
「補佐官? 笑わせないで。ただの『お気に入りのおもちゃ』でしょう?」

 エリス様は冷笑した。

「シリル様のような完璧な方が、あなたのような凡庸な男を側に置く理由は一つしかないわ。……優越感に浸るためよ」
「優越感……?」
「そう。出来の悪いペットを可愛がって、『寛大な自分』を演出しているだけ。あなた、自分が愛されているとでも勘違いしていたの?」

 血の気が引いた。
 心臓が凍りついたように冷たくなる。
 そうだったのか?
 あの優しさも、あの甘い言葉も、すべては「完璧な公爵様」を演じるための……ペットへの戯れ言だったのか?

 俺が呆然としていると、エリス様はさらに追い打ちをかけるように言った。

「目障りなのよ。さっさと消えなさい」

 彼女の手が動いた。
 持っていた扇子が、俺の顔に向かって振り下ろされる。

 パチンッ!

 乾いた音が響き、頬に鋭い痛みが走った。
 叩かれた。
 俺はよろめき、頬を押さえた。

「……っ」
「あら、ごめんなさい。虫が止まっていたから、つい」

 エリス様は悪びれる様子もなく、扇子を確認している。
 俺は唇を噛み締めた。
 悔しい。悲しい。
 でも、言い返す言葉が見つからない。
 彼女の言う通りかもしれない。俺はシリル様にとって、ただの「都合の良いペット」で、もう飽きられたから捨てられたのかもしれない。

 その時だった。

「――何をしている」

 地獄の底から響いてくるような、低く、絶対零度の声が聞こえた。

 俺は弾かれたように顔を上げた。
 薔薇のアーチの入り口に、シリル様が立っていた。
 いつもの執務服ではなく、乗馬用のラフなスタイルだ。風で乱れたプラチナブロンドが、逆光の中で輝いている。

「し、シリル様……?」

 エリス様が素っ頓狂な声を上げた。
 一瞬で表情が一変する。意地悪な魔女の顔から、可憐な聖女の顔へ。

「まあ! シリル様! いらしてくださったのですね!」

 彼女は駆け寄り、シリル様の腕にすがろうとした。
 だが、シリル様はそれを無言で避けた。
 視線は、エリス様を一瞥もしない。
 まっすぐに、俺だけを見ている。

 その瞳の色に、俺は震え上がった。
 怒っている。
 昨日よりも、もっと深く、激しく、殺意に近い怒りを湛えている。

(あ、終わった……)

 俺は悟った。
 シリル様は、俺がエリス様を怒らせた現場を目撃したんだ。
 大切なお客様に手を上げさせるなんて、補佐官としてあるまじき失態だ。
 これで本当にクビだ。いや、社会的抹殺かもしれない。

「リアン」

 名前を呼ばれた。
 俺は直立不動になり、震える声で答えた。

「は、はい!」
「……こっちへ来い」
「え?」
「聞こえないのか。私の側に来いと言っている」

 命令口調。
 俺はおずおずとシリル様の元へ歩み寄った。
 すると、シリル様の手が伸びてきて、俺の顎を掴んだ。
 強引に顔を上げさせられる。
 扇子で叩かれた左頬を、冷たい指先がなぞった。

「……赤くなっている」

 シリル様の声が震えていた。
 怒りで? それとも呆れて?

「す、すみません。虫がいたみたいで……俺が不注意で……」

 俺はエリス様の嘘に合わせて言い訳をした。
 お客様の粗相を隠すのも、補佐官の務めだ。

 しかし、シリル様は鼻で笑った。

「虫? ……ああ、そうか。この庭には随分と大きな『害虫』がいるようだな」

 その言葉と共に、シリル様はゆっくりと視線をエリス様に向けた。
 ヒッ、とエリス様が小さな悲鳴を上げる。
 俺には見えなかったが、その時のシリル様の表情は、きっと魔王そのものだったに違いない。
 周囲の薔薇が一斉に萎れそうなほどのプレッシャーだ。

「エ、エリス殿下。……私の『大事な補佐官』に、随分と熱心な指導をしてくださったようで」
「そ、それは……わたくし、彼にマナーを教えて差し上げて……」
「ほう。マナーですか。……ロズタリアでは、他国の貴族を扇子で殴るのがマナーなのですか?」

 シリル様の声は静かだったが、一語一句がナイフのように鋭かった。
 エリス様は顔面蒼白で震えている。

「誤解ですわ! わたくしはただ……」
「言い訳は結構」

 シリル様はバサリと切り捨てた。
 そして、俺の肩を抱き寄せ、自分の体で隠すように庇った。

「リアン、帰るぞ」
「えっ、でも、観光案内が……」
「中止だ。こんな気分の悪い場所に、一秒たりともいられない」

 シリル様はエリス様に背を向け、歩き出した。
 残されたエリス様が「待ってください!」と叫んだが、シリル様は振り返りもしなかった。


 ◇◇◇

 俺はシリル様に手を引かれ、公爵家の馬車に押し込まれた。
 馬車が動き出すと、車内には重い沈黙が流れた。
 シリル様は俺の隣に座り、ずっと俺の頬を冷やしたタオルで冷やしてくれている。

「……痛むか?」
「いえ、大丈夫です。大したことありません」
「嘘をつくな。腫れている」

 シリル様の指が、優しく頬を撫でる。
 その手つきは、昨日の拒絶が嘘のように甘く、優しい。

「……どうして、庇ってくれたんですか?」

 俺は堪えきれずに聞いた。

「俺のこと、怒っていたんじゃなかったんですか? エリス様との仲を邪魔して……」
「馬鹿」

 シリル様が吐き捨てるように言った。

「私が怒っているのは、君が自分を大切にしないからだ」
「え?」
「あんな女に侮辱されて、殴られて……それでもへらへら笑って『仕事です』と言う。その自己犠牲が、私をどれだけ苛立たせるか分からないのか」

 シリル様は俺の肩に額を押し付けた。

「君は私のものだと言っただろう。私のものを傷つける奴は、たとえ王族だろうと許さない」
「し、師匠……」
「……昨日は、悪かった。追い出したりして」

 小さな、懺悔のような声。
 俺は目を見開いた。
 あの絶対的な師匠が、謝っている。

「君が私以外の人間を推すのが、どうしても許せなかったんだ。……大人気なかった」
「いえ、俺の方こそ……デリカシーがなかったです」

 俺は胸が熱くなった。
 なんだ、捨てられたわけじゃなかったんだ。
 シリル様は、まだ俺のことを「自分のもの」だと思ってくれている。
 その事実が、たまらなく嬉しかった。

「でも、今回のことでエリス様に嫌われてしまったかもしれません。婚約の話、どうするんですか?」
「破談だ。あんな性悪女、願い下げだ」

 シリル様は即答した。
 そして、俺を見つめて、妖しく目を細めた。

「それに、私にはもう心に決めた『パートナー』がいるからね」
「えっ!? 誰ですかそれ!」
「……本当に君は、どこまでも鈍いな」

 シリル様は呆れたように笑い、それから俺の頬――叩かれたのとは反対側の頬に、ちゅ、とキスをした。

「帰ったら、お詫びに美味しいケーキをご馳走しよう。……もちろん、私の部屋でね」

 そう言って微笑むシリル様の顔は、完全に「獲物を確保した肉食獣」のそれだったが、安心しきった俺は気づかなかった。

 こうして「勘違いのキューピッド」作戦は大失敗に終わった。
 だが、俺の心は晴れやかだった。
 ……まだ、エリス王女が諦めていないこと、そして彼女がさらなる強硬手段に出ることを、俺たちはまだ知らなかったのだ。
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