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第二部 1章 森の国

迫る影

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「足りない……?」

 どこか険しい目をした夜行の顔を見て、こてんと首を傾げながら彼の呟きを繰り返すサクラ。
 それに続く形で、九々が尋ねた。

「戌伏君、何か気になることが?」
「……ああ」

 夜行は頷くと、再度墓標の群れをぐるりと見渡す。

「126。俺達が立てた墓の数だ」

 お世辞にも数字に強いとは言えない夜行だが、ついさっき自分達が作った物の数くらいは流石に覚えている。
 だからこそ、眼前の光景に彼は違和感を持った。

 何故なら。

「この村には少なくとも、200近いエルフが住んでたハズだ。幾らなんでも数が合わない」

 確かに村の惨状を見れば、焼けた家屋と共に骨すら残さず燃え尽きた者が居たとしてもおかしくはなかった。
 が、それを加味したとしても余りに少な過ぎる。

 ――そして。

「ニーヴァちゃんにマレイシャ、村長とミリーちゃん。俺が判別できるだけでも、4人分の死体が結局見付からなかった」

 もしかすれば亡骸が原型を留めておらず、顔が分からなかった者達。その中に混じっていたのやも知れない。
 しかし、たとえそうだったとしても。基本的に金髪か銀髪であるエルフの中で、ひと際異彩を放っていたニーヴァの赤毛を見落とすなど考えられなかった。

「じゃ、じゃあ……生き残りが居るかもって、こと?」
「……だと、いいんだが」

 1人残さず皆殺しにされた確率は下がったが、同時に魔族の手から逃げ延びた者が居ると楽観視するのも早い。
 渋面を浮かべた夜行の脳裏に浮かぶのは、死して操り人形と化した帝国第3皇女、クリスティアーネ=ラ・ヴァナの変わり果てた姿。
 魔族側が有する、死体へと改造強化を施し、強靭な兵を作り出す『強化死体カスタムコープス』の技術。

 足りない分の亡骸は、材料として魔界に持ち帰られたか。
 或いは生きていたとしても、奴等にとらわれているか。

 ――確かめなければ。

 暫し思考した後、そう結論を下した夜行は急ぎきびすを返す。

「もう一度周辺を探そう。生き残りが居るとしたら、まだ遠くには行ってないかも知れない」

 襲撃を受けて数日と経っていないことは、村の状態を見れば明らか。
 樹海深部に位置するここからたった数日で、何の準備も無しに遠くまで逃げるのは難しい。

 加えて、もし逃げ延びた者達が数十人単位であれば、少なからず負傷者の存在もあるだろう。
 その場合、慌てふためき逃げるよりも、土地勘のある『エリア大森林』内部で隠れ潜む選択を取る筈。

「……あ、そうだ。委員長、俺が上まで連れて行くから探してくれるか?」

 界境である森の上空には、地上からは見えない霧が立ち込めており、本来なら視界などゼロに等しい。
 だが生来の異常視力とそれを強化するアーツも兼ね備えた九々なら、魔力により発生した霧の中だろうと十全に見通せる。
 突然の頼み事に、九々はたじろぎつつも頷いた。

「え!? えっと……その、いいけど……ゆっくりよ? ゆっくり上がって、お願いだから……!」
「ん? ああ、りょーかい、時速300キロに抑える」
「その十分の一にして!!」

 以前フリーフォールを味わったトラウマか、涙目で叫ぶ九々。
 夜行ならたとえ腕が千切れたとしても自分を落とさないと信頼こそしているが、それとこれとは別問題だった。
 まばたきひとつの間に地面が100メートル近く離れて行くのは、理屈抜きに怖いのだ。

「委員長、バイクなら倍速でも楽しそうにしてるじゃん」
「バイクは跨ってるだけでアがるから平気よ。感じる風にカラダが熱くなって――あぁ、たまらないわ」
「……お、おう」

 頬を赤らめ、指先で自分の胸を撫でながら浮かべた九々の笑みからは、普段の彼女には無い蠱惑的な色香が漂っていて。
 そんな表情かおに夜行は、思わず一瞬見蕩みとれ。
 けれどハッとしてかぶりを振った後、九々の身体を抱え上げた。

「うぅ、バイクモードの委員長はいつもと違うから調子狂うぜ……そりゃ最初にバイク勧めたのは俺だけど、そも冗談半分だったし……あー、とにかくゆっくり上がればいいんだよな?」
「ええ、そうよ。くれぐれもよろしくね」

 所謂いわゆるお姫様抱っこで抱えられた九々の、強く握っただけで折れてしまいそうな細い腕が、夜行の首へと回される。

 ひどく軽い手応えだった。
 頭半分以上は背丈が異なるサクラよりも軽く、下手すればクリュスと比べてすら殆ど変わらないだろう重量。

「……相変わらず、ちゃんと食ってるのか心配になる軽さだな」
「骨格が細い分、肉も少ないだけよ。知ってるでしょ?」

 当然知っている。現に今触れている肩やももの感触は、全く骨ばっていない。
 細さと軽さ、更には柔らかさの総取りなど、世の女性からしてみれば垂涎もののセットメニューではなかろうか。
 これであともう少し胸があったなら、誰もが羨むパーフェクトスタイルを獲得していたろうに。
 天は二物を与えず。世とは常に無情なものだ。

「ねえ戌伏君、どうして美作さんと私を見比べて溜息吐いたの? 怒らないから言って」
「さ、上に行こうか。大体200メートルくらい上がればいいかな?」

 なんとも空々しく目を逸らし、殆ど早口でまくし立てる夜行。
 九々の肩と腿、取り分け腿を支える手にぐっと力を篭めたのは、果たして彼女の安全のためか、自分の顔に膝蹴りが飛んで来ることを防ぐためか。

 ともあれ夜行は誤魔化し笑いを浮かべつつ、空中へ跳び上がるべく膝を曲げる。
 そして、いざ跳ぼうとしたその瞬間。


「――何か、来るわ」


 ぼそりと呟かれたサクラの言葉に、動きを押し留められた。

「……?」

 夜行が九々を抱えたまま、怪訝そうにサクラを見る。
 彼女は長い黒髪をかき上げ、隠れていた耳を露出させ。

 暫し目を閉じた後、ある一方を指差した。

「あっち、ね。数は足音と息遣いから、人型のものがふたつ。走ってる。それとその後ろから、地面を這って進む大きなもの……蛇、かしら」
「……委員長」

 サクラの語る状況を、どう見るか。
 夜行はここに居る面子で最も頭の切れる九々へと、素早く問う。

「…………」

 若干の沈黙。
 およそ数秒を挟み、考えを纏めたらしい彼女が、ゆっくりと口を開いた。

「……村を襲った魔族がまだ残っていて、そいつ等が私達に気付いて使役している魔物を引き連れ、攻撃を仕掛けに来たか。或いは、村の生き残りか。取り敢えず、可能性が高いのはこのどっちかだと思う」
「真っ直ぐ、こっちに向かってくる、わ。もし後者の場合なら、魔物に追われていると考えるのが順当ね。いずれにせよ、戦闘は避けられそうにない、わ」

 しゃりぃぃぃぃん、と。
 刃渡り1メートル近い野太刀を鞘から抜く金属音が、風ひとつない周囲の空間へ静かに響き渡る。

 抜き放たれた、刃紋揺らめく色の刃。
 使い手であるサクラが柄から魔力を流し込んだ瞬間、刀――『流桜』を中心に緩く風が吹き始めた。

 続いて淡い桜色をした花弁はなびらが、刀身より剥がれ落ちるように撒き散らされる。
 刀を抜き十秒もする頃には、荒廃した村跡が桜吹雪に染め上げられていた。

「いいわ……敵なら、全部……桜の根元で死体にするまで、よ」

 首筋に刃を添えられている錯覚を受けるほど、張り詰めた殺気。
 サクラの纏うそんな空気に、夜行も腕に抱えていた九々を降ろすと、後ろ腰の『娼啜【紅苺】』を抜刀する。

「やれやれ、美作さんみかたの殺気に『ビーストアッパー』が反応しそうだ……湖でも結局まるで抑えられなかったし、こんなザマじゃコレを制御下に置けるのはいつになることやら……」

 ひゅんひゅんと脇差を手の中で回し、構える。
 鋼と血液、金属と液体の両方の性質を持つ紅い刃の表面が、一瞬だけ波打った。

「ま、今すぐ出来もしないことに固執するのもアホらしいか。うん、明日から本気出す」
「戌伏君、それ完全な失敗フラグだから。いつ来るのか見当もつかない明日だから」

 自身の言葉通りサクラの殺気に当てられ、既に『ビーストアッパー』が多少なりと発動しているのか。
 口角を吊り上げ、半ばノリと勢いだけで喋っている夜行へと、九々が虚空から魔銃ライフルを取り出しつつ、冷静に突っ込む。

 そうして、臨戦態勢を取る3人。
 やがて夜行や九々の耳にも、何かの近付いてくる音が微かに届く。

「……ッ!」

 それと、ほぼ同時だった。
 九々が雑多に生い茂る木々の隙間を縫い、こちらへと押し迫る存在を見とめたのは。

 魔銃ライフルの銃口を僅かに上げた、彼女の様子を気取ったのだろう。
 正面を向いたまま、夜行が尋ねる。

「……確認できたか、委員長。それで、どっち・・・だった?」

 九々なら一瞬でも姿が見えれば、それだけで認識には事足りる。
 故に、問う。


 今、この場所に向かっているのはエルフか――それとも、魔族なのかを。


「……良い報告と悪い報告。聞くならどっちから聞きたい?」
「は?」

 そんな持って回った言い回しで返され、頭上に疑問符を浮かべながら九々へと向き直る夜行。
 見据えた彼女の顔には、困惑にも似た複雑な表情が浮かんでいて。

「えっと……じゃあ、良い方から頼むわ」
「……そっちなら、あと5秒もすれば分かるわ」

 取り敢えず質問に答えると、九々は構えた魔銃ライフルを肩に担いで正面を指差す。
 そこに先程までの張り詰めた戦意は無く、見ればサクラも同様に殺気が幾らか薄れていて。

 平時に於いて2人ほどの察知能力を持っていない夜行は、首を傾げながら視線を正面に戻す。
 そして――九々の言う通り、抱いた疑問はすぐに氷解した。


「とやぁーッ!」
「ですぅー!」


 気の抜けるような掛け声と共に、茂みから飛び出してきたふたつの影。

 片や、パンパンに膨らんだショルダーバッグを肩からぶら下げた、金髪の小柄なエルフ。
 片や、これまた小柄な体躯には不釣り合いなほど大きな荷物を背負った、銀髪の幼いエルフ。

 村の人口に対し、明らかに足りなかった亡骸の数。
 その中で、夜行に判別の出来た行方不明の4人の内、2人。


 ――マレイシャと、ミリーだった。




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