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第二部 2章 災厄の迷宮

毒と侵食

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「うがー! うがうがー!」

 星空の下、マレイシャは吼えていた。
 夕食、とひと言で片付けるにはあまりにも多過ぎる食料をも放り出し、獣のように吼え立てていた。

 理由は、よく分からない。何の脈絡も無く、突然暴れ始めたのだ。
 よく分からないが、何にせよ食事を途中で止めるなど、彼女を少しでも知る者からしてみれば、およそ信じられない行動だった。

「むかつくんじゃボケー! やったろかコラー!」

 普段はぽけっとしている眦を吊り上げ、誰ともなしに罵倒の声を吐き散らす。
 やがてその辺の樹をよじ登り、がじがじと枝にかじり付くマレイシャ。
 そんな彼女の様子を、ひどく冷めた、或いは呆然と見つめる眼差しが4個2対。

 ミリーと、ニーヴァのものであった。

「おねーちゃん。いつかこんな日が来るとは思ってたです、マレイシャがとうとうおかしくなったですぅ」
「……病院、かな……いや、いやいや、見捨てるのはまだ早い。手遅れと決まったワケでもない」

 自分を説得するように、ニーヴァがかぶりを振る。
 それと同時に樹の上でも暴れ狂っていたマレイシャが、枝から滑り落ちた。

「わばっ!? ――うががががー!! 何さらすんじゃこんちくしょーめ、ぶっ飛ばしてやるー!!」

 数メートル落下した後、仰向けのまま手足をばたつかせ、そこかしこを動き回るマレイシャ。
 ホラー映画さながらな光景。割と、かなり、控えめに言っても気持ち悪い。
 もう9割方、手遅れとしか思えなかった。

「ひぅ……おねーちゃん、怖いですぅ」
「大丈夫だミリー、ワタシがついてる。マレイシャのアレだってきっと一過性のものだ、5年も隔離病棟に入れればきっと良くなる」

 散々な言われようである。

 発狂したと考えるのが妥当なマレイシャを遠巻きにしつつ、震えるミリーを抱き寄せるニーヴァ。
 驚異的な戦闘能力を持って生まれた、持たされて・・・・・生まれたギフテッドとは言え、未だ彼女は8歳の幼子に過ぎない。
 奇行を繰り広げる変人を目の前にすれば、怯えるのも無理はなかった。
 と言うか、ニーヴァも少し怯えていた。

「ボクを誰だと思ってるんだー! 死者蘇生以外なら材料次第で何でも出来る稀代の薬師、マレイシャ=フランチェスカ・アナスタシア・フロイライン様だぞー!!」

 エルフ特有の無駄に長いフルネームを叫びながら、マレイシャはじたじたと暴れ続ける。
 大樹を蹴り飛ばして幹を揺らし、それに驚いた鳥達が一斉に飛び立つ。

 甚だ対応に困る彼女の行いは、ニーヴァ達が関わることを躊躇い止めなかったので、延々と続いた。
 けれども、やがて『災厄の迷宮』に備え付けられた鉄扉が、内側から破壊されんばかりの勢いで蹴り開けられたことで、強制的に中断される。


「マレイシャッ!! ニーヴァッ!!」


 静かな森の空気を、ビリビリと震わせるような怒声。
 周囲の鳥も獣も、今度こそ全てが逃げ出すほどの声量。

 咆哮に近い叫びを響かせながら、開け放たれた闇の中から飛び出して来たのは。
 ほんの1時間前と比して、容姿の激変した夜行だった。

 だがそんな彼に対し、ニーヴァ達が何かを尋ねるよりも早く。
 夜行は両肩に抱えた九々とサクラをゆっくりと地面に下ろして、何かを堪えるように冷や汗を浮かばせながら、ニーヴァへと懇願する。

「頼む……この子達を……突然倒れて、意識が戻らねぇんだ……!!」
「ッ……分かった、すぐに診る!」

 苦しげに呻く、2人の少女。
 その姿を目にしたニーヴァは、すぐさま異変を悟って傍へと駆け寄った。

「マレイシャ! いつまで遊んでるつもりだ、早くこっちに来い!」
「うががががー!」
「……ミリー、精神安定剤をあのバカに飲ませろ! 三角フラスコに入った緑色の薬だ!」
「り、りょーかいなのですぅ! えいや!」
「もがっ!?」

 振り回す手足をミリーに押さえ付けられ、毒々しい緑色の液体を無理矢理に飲まされるマレイシャ。
 程なくして正気に戻った彼女と共に、ニーヴァは九々達の容態を診始めるのだった。





 パチパチと薪の爆ぜる音を鳴らし、ゆらゆらと夜闇の一角を照らし出す焚火の傍。
 畳んだ布を枕に寝かされた九々とサクラを、じっと見下ろすニーヴァとマレイシャ。

「マレイシャ、お前はそっちのスナイパーを頼む。サムライは、ワタシが」
「ふぁーい」

 緊迫した声音に対し、返ってきたのはなんとも緩い返答。
 本来ひと口で事足りる精神安定剤を1本丸々飲まされたことで、安定を通り越してボケ気味になってるらしい。
 とは言え、ボケてるのは割といつものことだったから、ニーヴァは特に気にしなかった。

「はいはいククくーん、診るからファスナー下ろしますよーっと」

 じじじ、と音を立てて下げられるライダースーツ前面のファスナー。
 スーツの下に着ていたのは、面積の小さいチューブトップとショートパンツ。
 下着代わりとなっている、魔力障壁発生装置だけだった。

「うわ、こいつはヤバイ」

 外気に晒された白い肌には、幾筋も汗が伝い、指先で触れれば全身が熱を持っているとすぐ分かった。
 かと思えば、引き潮の如く急激に体温が下がり、震え始める。
 明らかに尋常でないその変化に、マレイシャは眉間へと皺を寄せた。

 そして、呟く。

「スーツの裏地にパッド入れてるよこの子。上げ底だ上げ底」
「アホな観察してないでさっさと治療しろバカ娘!」

 ジェル素材のパッドをスーツ内部から引っ張り出してプスプス笑うマレイシャに、ニーヴァの怒鳴り声が突き刺さる。
 若返ったことで、むしろ人格に落ち着きを持った彼女の大声に肩をびくりと震わせ、今度こそしっかりと容態の診察を始めるマレイシャ。

 何かと雑なマレイシャだが、薬師としての腕前そのものは大陸でも有数。
 やもすれば、この世界で5本の指にすら入る。
 加えてエルフの隠れ里は無医村だったこともあり、製薬技術だけでなく医療知識もある程度持っていた。
 診察程度のことは、容易い。

「……体温が極端に上下してる。少々マズいな、これは……」

 そしてマレイシャだけでなく、ニーヴァも医学には精通している。
 そもそもニーヴァの持つクラスは、基本的な知識量がものを言う『錬金術師アルケミスト』。
 謂わば碩学者たる彼女が600年の歳月を生きる中で得た知識と経験は、大図書館にも匹敵する。

「しかし、この着物というものはどうやって脱がせばいいんだ……?」

 だが無論、知らないことも当然ある。
 帯の解き方が分からず、手を止めるニーヴァ。

 暫しの後に大体のアタリをつけ、丁寧に刺繍された帯をたどたどしく解き始める。
 櫛や爪ヤスリ、パーソナルカードなどの小物がぽろぽろと落ちてくるのを隅に纏めながら、ニーヴァはどうにか着物の前を肌蹴させる。

 マレイシャよりも背が低いにも拘らず、片手で掴み切れないほどの質量を持った爆乳に、軽く慄いた。

「……なんだこれ、メロン……? いや、最早小振りなスイカ……一体何を食べればこんなに……」

 目を見開き、頬を引き攣らせる。
 そんな場合じゃないと気を改めるまでに、十数秒を要した。





「マレイシャ、そっちはどうだ」
「あんまり良くない」

 ニーヴァの問い掛けに、自分よりも大きな巨大リュックから薬を何本も引っ張り出しながら、淡々とした調子でマレイシャが返す。
 珍しく、硬さの感じられる声音だった。

「たぶんこれ、ダンジョンの魔力に侵されてる。殆ど毒みたいなものだったもん、ここの魔力」
「そうか……解毒剤の調合は?」
「ん、らくしょー。もう作ったし」

 人差し指サイズのフラスコに青い液体を満たし、それを九々の身体に振り掛けるマレイシャ。
 同じものがニーヴァにも投げ渡され、同様にサクラへと振り掛けられた。

 青い液は双方の肌に触れて程なく赤に変色した後、気化して消える。
 これで2人の体内に蓄積された、『災厄の迷宮』に満ちていた毒性の魔力は中和された。

 けれどマレイシャとニーヴァの表情は、未だ明るくならない。

「まあこっちはいいんだよ、こっちは。これで抗体も出来たし、寝転がっててもどうにかなる案件だよ」
「……となると、そっちもか」
「うん。正直けっこーヤバイ感じ」

 ダンジョンの魔力に当てられた際の解毒など、さほど難しい話ではなかった。
 問題は最初から、彼女達を蝕むもうひとつ・・・・・の要因。

「ミクロ単位の魔物の細胞が身体に食い込んでる。こんな症状、初めて見たよ」
「『エリア第森林』には居ないタイプの生物だ。恐らく、他生物に胞子状の細胞を植え付けて繁殖する生態を持った魔物だろう」

 夜行達がダンジョン内で戦った2種類の内、泥に似た身体を持ち、群体で以って襲撃をかけてきた魔物。
 ひたすらな生命力の塊とでも評すべき、『ショゴス』と呼ばれている異形。
 それはまさしく、ニーヴァの予想通りの生態を有する魔物だった。

 ――ショゴスは核が無事である限り、どれだけの攻撃を受けようとも即座に再生し、受けた攻撃に対し無効化に近い耐性を得るよう、肉体構造を作り変える。
 そして唯一の急所である核の中には、卵鞘に似た器官が備わっており、万が一に核を破壊されるような事態に及んだ場合、自身の種である胞子を周囲に撒き散らす。
 ひとつひとつが魔力でコーティングされたミクロ単位の胞子は、他生物の肌に吸着した後、半日かけて体内に潜り込み、その生物から養分を吸い取って成長する。

 重ねて恐ろしいことに、ショゴスの胞子はその矮小さから魔力障壁さえすり抜ける性質を持ち、それ故に魔力的な防御を持っていないサクラはおろか、九々をもあっさりと蝕んだ。
 早急な処置を施さなければ、彼女達はやがて魔物の温床となり、全身を食い潰されてしまうだろう。

「ヤコウ君は魔力拒絶で細胞表面のコーティングを弾いたから無事だったみたい。3人全員やられなかったのは、不幸中の幸いだね」
「ああ……だが、どうする。消毒はしたが、既に多量の細胞が皮下に潜り込んでいるぞ。このまま内臓、胃か子宮あたりに集まられたら手が出せなくなる」
「んー。まずいっちゃまずいけど、体温の極端な上下は身体が抵抗してる証拠、これが続く内は初期段階だからまだ大丈夫だよ。細胞の魔力コーティングさえ剥がせれば活動は停止する筈だし、そうなったらあとは弱い毒でも飲ませてあげたら勝手に死滅すると思う」

 調べたところ、細胞本体は成長前の状態なら脆弱で、ちょっとした毒にすら耐えられないような代物だった。
 何がしかのダメージを受ける度に強化される魔物、ショゴス。
 けれど裏を返せば、全くの最初は何ひとつとして耐性も抗体も持っていないということ。

 人間なら軽く風邪を引く程度で済むような毒ですら簡単に死んでしまうから、魔力で守られている。
 それが、診察を終えたマレイシャの見解であった。

「……つまり、問題はどうやってコーティングを取り除くか、か」
「そう。簡単な方法は、ヤコウ君の血を精製して一時的な魔力拒絶剤を作ることなんだけど……」

 生憎と、他の手段では時間が足りない。
 夜行の血を少量でも得ることさえ出来れば、九々とサクラの身体から一時魔力を枯渇させる薬が作れる。

 ――けれど、その案を実行に移すことは。
 現状、決して簡単ではなかった。


「グルァアアァァァァァアアアアアアッ!! アァッァアアアァアアァアアッ!!」


 やや遠方から、それでも耳を劈かんばかりに響き渡る獣の咆哮。
 マレイシャが精神安定剤を飲んで落ち着きを取り戻すのに反比例する形で、夜行は理性を失っていた。

 その理由について大凡の見当がついているニーヴァだったが、今はそんなことを論じている場合ではない。
 九々達を助ける薬を作るため、一刻も早く夜行を無力化しなければならなかった。

「……マレイシャ。成長薬はあるか?」
「うん、ひとつだけなら。まだ試作品だから、15分くらいで効果切れるけど」
「それで十分だ。ミリーには少々無理をさせるが、今は他に手が無い」

 金色の薬液が満たされたフラスコをマレイシャから受け取り、この場を彼女に任せて駆け出すニーヴァ。
 目指すのは、咆哮に続いて破砕音などが断続的に響く現場。


 ミリーが夜行を押し留めているだろうそこに向かって、ニーヴァは走った。




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