水仙のほとりへ

花屋敷 千春

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第1話

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昔、参謀と名高い戦士がお城に仕えていました。
少年のような彼の瞳は、碧洋の輝きを持ち
揚々と青い炎を焚べているのでした。

うら若き戦士は、城壁を見上げ
果てない大地へ憧れを抱きました。
それは今から、数年前のお話です。

ある日、お城中が大混乱。
青い炎の戦士の行方が途絶え
消息が分からなくなったのです。
皆々、必死で彼を探しました。
彼を知るものは皆、泣きさざめきました。
彼の末の弟は悲しみから神の教えを破り
悪魔になってしまいました。


彼が居なくなり数年が経ちました。
お城から遠く離れた山の中に
小さな教会があります。
教会の窓には薔薇が蔦を張り
まるで結界のようでした。
廃れ、旅人も、土地の者も寄せ付けない結界。
そこに立ち寄る人というのは
お祓いを求めて訪れる者のみでした。


悪魔祓いをする神父。
苦しむ少女を目下、
呪文を唱える正義に燃える眼差し。

その目は、あの青い炎を宿していました。

しかし、昔見た目の色とは少し違います。
青は青でも、憂愁を纏い色香を放つ仄暗い紫が滲んだ青に変貌を遂げていました。


少女の絹を裂くような悲鳴と共に松明が消え、室内に一瞬の闇の帳が訪れました。
少女に憑いた悪魔を引き抜くことに成功したのです。

神父は少女を家族に引き渡すとランプを持たせて教会から避難させ、円陣を取り囲む松明に再び火を灯しました。

しかし陣内に悪魔の姿は見えず。
灯りを持って部屋中を見渡せば、悪魔がぐったりと祭壇にしな垂れ掛かっていました。


「そこに居たか」

神父がゆっくりと悪魔に歩み寄ります。

「さあ、お清めの時間だ。思い残すことはないか?聞くだけならば構わな……」

悪魔の姿を近くではっきりと見た神父は、言葉を失いました。


それは、生き別れた兄弟の再会でした。

聖職者と悪魔となって。

やっと逢えたね、と弱々しく呟く悪魔。

「随分探したんだ。さあ、一緒に逃げよう」

「……!?」

神父は頭が真っ白になったのでしょうか。血を分けた肉親を前に立ち竦ました。そして、

「お前…一体どうして……」

うわ言のように問い掛けました。


「どうだっていいでしょう。とにかく兄さんに逢いたかった。空を飛べたら、もっと効率よく兄さんを探せるかなと思った。でも……それは叶わなかったけれど」

素直に気持ちを打ち明ける悪魔は生前の弟そのものでした。

「ね、兄さん。家に帰ろう。そしてまた皆を守ってよ。民を守るために戦うことが俺の使命だって誇らしそうに言ってたじゃない。兄さんは王国一の参謀と呼ばれていたんだよ。覚えている?僕は覚えているよ……だって自慢の兄さんだもの!強くて、かっこいい兄さんだもの!」

悪魔の言葉を聞いた神父の表情は著しく歪みました。

「しかし、俺は聖職者で、参謀など、戦うなど……あれ、なぜ俺はこんな、俺はなぜ城外へ、なぜ、俺は、なんで、教会に」

何かに取り憑かれたかのように、否、夢から現へ引き戻されるかのように神父が頭を抱えました。怯えているようにも見えました。
酷く狼狽える神父の目の色が変わり、紫よりも青色が濃くなり、それは数年前の輝きと同じでした。
その変化を見逃さなかった弟は、弱った体を起こし兄へ向かって声を張り上げました。

「兄さん、兄さん!僕だけじゃない!兄さんを待っている人はたくさんいるよ!みんな兄さんを待ってるから!だから一緒にかッ」


悪魔の言葉は最後まで聞き取ることは不可能でした。額には枕のような聖典の角が刺さっていました。

その一投は神父ではなく、神父の後ろから足音も無く現れたシスターでした。


「出たな、元凶……!」 

悪魔がシスターに向かって小さく吐き捨てました。


シスターは口を開かず、視線で撃ち殺す勢いで悪魔を冷たく睨みつけます。

そのシスターの双眸は底無し沼のように深く、暗く、恐ろしく、そして

禍々しいほど濃い紫色を宿していました。

未だ混乱の解けない様子の神父。
シスターは神父の肩に手を添え顔を耳に寄せました。唇がもう少しで彼の耳朶に付きそうです。

「貴方の為すべきことをせよ」

打ち祓え、正義を貫け、と、地を這うような声。
私に刃向かうことを許さない、と命令するかのように細い指先が肩を滑り降り彼の左胸をゆっくり撫でます。

神父は悟りました。 

ああ、そうだった。
俺は逆らえない。
「主人」に逆らえない。


シスターの言霊に捕らわれた神父を見て、血の混じる涙を堪えずにいられない悪魔。

「せっかく…戻ったのに……!」


神父の瞳の色が、また、変わりました。


神父の瞳孔は開き切りました。悪魔を円陣の中心へ放り投げ指を組み唱えます。
悪魔の目から涙がぽろぽろと零れるのを見据え、それでも神父は詠唱を止めません。
悪魔は呪禁によりその存在を消されつつあります。
ああ、ああ、と苦しげに喘ぐ悪魔。
「兄さん!兄さん!!」
悪魔が渾身の力で神父を呼びました。
シスターは鎌を差し出します。



神父は自らの腕で鎌を降り下ろしました。




「嗚呼、誇り高き人よ、貴方は善を成した」

シスターが称賛を送りました。

神父は呆然と祭壇の十字を見つめています。

シスターは神父を背後から抱き留め、両腕で神父の上半身をまさぐり絡め取ります。その艶めかしい動きは、まるで大蛇が体を這っているようでした。


私は貴方が欲しかった、ずっと待っていた。
泣かないで、私の愛しいひと。
迷い猫のように此処に来たのはきっと運命でしょう。 
痛いほど青く繁るこの荊棘の中で
いつまでも私とここに居てね。 


シスターのこの長い独り言は、 
震える彼の心に届いたでしょうか?


神父の目の色はタンザナイトに例えるのが一番正確にお伝え出来ます。


自然光では鮮やかに青く、夜の光や「人工的な光」の中では紫がかった輝きを見せる、魅惑の宝石タンザナイト。


シスターは小さな手鏡を神父に持たせました。己の目の色がよく見えるように、わざわざ調整してやります。

シスターは神父に優しく囁きました。

「この色はお前を幸せにするんだよ」

神父は拘束から放たれるとその場に跪き、シスターの手を取りました。シスターは彼を優しく見つめ微笑みます。彼はシスターに恭しく一礼したのち、忠誠の儀を行うのでした。
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