水平線と夜の闇

鹿嶋 雲丹

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第二十五話 真相

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「わあ、ちっちゃい……」

 それが、当時五歳だったサトが抱いた感想だった。
 生まれたばかりの弟は、手も足も顔も何もかもが小さくて、サトは自然と自分がこのか弱い存在を守らなければならないと決意していた。

「……サトも小さかったのに、いつの間にかこんなに大きくなって……もうすっかりお姉さんだものね」

 出産したばかりの母は笑って、すやすやと眠る弟をじっと見つめるサトの頭を撫でた。

「うん! この子が大きくなったら、いっぱい遊んであげるんだ! 楽しみだなあ!」

 サトは満面の笑みで宣言し、大好きな母の手をぎゅうっと握りしめた。

※※※※※


「母さんが出ていった理由、か……」

 サトの父が、風呂上がりの濡れた黒い短髪をタオルで拭きながら呟いた。

「……うん、ごめん……急にこんなこと聞いたりしてさ」

 サトは気まずそうに、ダイニングの床を見つめている。

「……いや……いつか話そうと思ってたことだからな……」

 父はうっすらと笑みを浮かべ、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出した。

「……お前も飲むか?」
「……うん、ありがとう」

 祖母と祖父は既に就寝していて、リビングにはしんとした空気が漂っている。
 父がサトの前にコップを置く音も、そこに麦茶を注ぐ音も、彼女にはやけに大きく聞こえていた。

「……お前も、いつの間にか嫁にいくような歳になったんだな」
「いや……嫁にはいかないけどね……擬装だからさ」
「相手はいいヤツなのか? 何回か、一緒に出かけたんだろう?」
「まあね……悪い奴じゃないのは確かなんだけど、男として見れるかっていったら無理でさ……やっぱりあいつは、私にとっては上司なんだよな」

 はぁ、とサトは小さくため息を吐く。

「……そうか……母さんの事を聞いてくるなんて、てっきり結婚を意識するようになったのかと……違うんだな」
「……うん……ごめん。ちょっと、今日は向こうのお母さんの話を聞いちゃったから、気になっちゃってさ……でも、無理にとは言わないよ……親父と母さんとの事だからね」
「気にするな……この話は、親としてというより、一人の大人としてお前に話そうと思う」

 父は、自身によく似た娘の目をじっと見つめた。

「あの頃……お前の弟が生まれる二年くらい前から、俺と母さんの間には情がなかった……恋愛結婚だったんだけどな、俺達は……」
「……それは……じゃあ、弟は……」

 サトはぎゅっと口をつぐんだ。

「あの子は俺との間にできた子じゃなかった……それでも、俺はあいつがいいなら俺の子として育てるつもりでいたんだ……だが……やっぱりこの家にはいられないと言って、出ていってしまった。最初は、お前の事も連れて行こうとしたんだが……すまない……俺が『それだけはやめてくれ』と頼んだんだ」

「……そうだったんだ……」

「……ごめんな……俺達の都合で、お前には寂しい思いをさせてしまって……今思えばあの時、お前に聞けば良かったよな……母さんについて行きたいかって……」

 母と弟と共に、この家を出ていきたいか?
 まだ五歳だったあの頃、その選択を迫られたら──
(私は、母さんについていったかもしれない)
 
「もしも、の話にしかならないけど……母さんと一緒に行っていたら、弟とも沢山遊べたかもしれない……でもさ……もしそうしてたら、ばあちゃんの美味い飯は食べられなかったし、じいちゃんから剣道を教わる事もできなかった……親父とも、こうして話せなかっただろうな……私はさ」

 サトはふと笑って父を見つめる。

「ばあちゃん達に育ててもらって、幸せだったよ。正直に言えば、母さん達が今どこでどう暮らしているのか気になるけど」
「……別に、俺のことは恨んでもいいんだぞ?」

 父はうっすらと自嘲するような笑みを浮かべる。

「いいや……私は、誰のことも恨んじゃいない。この先も、そんな生き方はしたくないしね」

 言いながら、サトはふとレンの事を思い出した。
(あいつは……母親のことを恨んでいるのだろうか?)

「……結局、あいつのとこと同じような感じだな……」
「……そうなのか?」

 父はサトの呟きに額を曇らせた。

「あ、いや、向こうのお母さんのことはそこまで深く聞いちゃいないし、仲の良し悪しはともかく、向こうは一緒に暮らしてるみたいだから」
「……そうか……爺さんの元教え子だから、爺さんは相手の男を知っているんだよな?」
「……うん……まあ、そのせいでちょっと困ってるんだけどね……擬装デートだって言ってるのに、じいちゃんが毎回課題がどうとかって張り切っちゃってさ」

 サトは不満げに唇を尖らせた。

「まあ爺さんにとっちゃ、大事に育てた可愛い孫娘と目をかけた元教え子だからな……そうなるのも無理はないと思うが……大変だな」
「そりゃあ、育ててもらったのはありがたいけどね。度が過ぎてるんだよ、まったく……そういうところ、親父はじいちゃんに似てないよな」
「似てなくて良かっただろう?」
「うん。あんなのが家に二人もいたら、たまらないよ」

 サトは笑って、手の中のコップに残った麦茶を一気に飲み干す。

「親父、話してくれてありがとう」
「……あぁ……本当にすまん」
「うん、私は大丈夫だよ。それよりさ、私に謝るのは、もうこれで最後にしてくれ……母さんが、私を連れて行こうとしてたのがわかって良かったよ。私のこと、大事にしようとしてくれてたんだと思ったら……なんだか、ホッとした」
「そうか……もっと早く話せば良かった。すまん」
「ほら、もう謝らないでって言ったろ? ……そろそろ寝るよ。おやすみ」

 サトは笑いながら椅子から立ち上がった。

「あぁ、おやすみ」

 その場に残った父は、すっかり伸びたサトの背に幼い頃の彼女の面影を重ねていた。
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