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第二部 旅
82、あの方のためなら
しおりを挟む「若旦那はあちらの国で何を食ったんですか」
「お前は飯のことしか考えていないのではあるまいな」
「さぞ特別なものを味わったんでしょう。だって、何か行く前と雰囲気が違いますよ。若旦那に好物なんてなかったはずですけど、向こうで見つかったんですか?」
リーリヤはジェードと無言で視線を交わした。実はジェードは花の国でさほど食事をとっていない。毎晩のように味わっていたのは料理とは異なるものであった。
二人の沈黙が妙なものだというのにルカは気づいていないらしい。
炊き込み飯と肉を追加で注文すると、怖いもの知らずの彼はジェードに文句を言い始めた。
「若旦那ってちょっと勝手なところがありますよね。何も言わずに突然いなくなるんですもの。そりゃあ、身分を考えたら俺になんて説明する必要ありませんよ。でもこんなに揉めてる最中だから、急に姿が見えなくなったら何かあったんじゃないかって心配しますよ。心配なんかされると迷惑だって? ええ、知ってます。若旦那はいつもそうですからね。向こうでは危ない目に遭ったんですか? 恐ろしいことになってるんじゃないかって、みんな噂してますよ。ああ、いいですよ、説明を求めてるわけではないんです。俺が知りたいのはご無事だったかってことだけなんで。そうだ、あちらの国で一番美味いものはなんだったかだけは教えてもらってもいいですか? いえ、知り合いに喋ったりしませんよ! 興味本位です。食うのが好きなんで。いつか諸国を食べ歩きしたいですけど、仕事があるんで無理でしょう。だから聞くだけ。聞いて妄想を膨らませるのが俺の楽しみなんです。それとね、俺はいつでもあなたのために動くと言っているんだから、避けないでくださいよ。傷つくなぁ。若旦那が俺を差し置いて他の奴に頼み事したって聞いて、どれほど落ち込んだかわかりますか?」
淀みなく喋り続けるルカに対し、ジェードは眉根を寄せて目をつぶっている。ルカはジェードに質問を投げておきながら返答する隙を与えない。
明らかにジェードはうんざりしていた。普通であれば臆するような内容もルカは平気で口にしており、口を挟めたとしてもジェードが答えにくいような問いが多々あった。
ついに我慢の限界に達したらしいジェードは立ち上がる。
「念のため、怪しい輩がいないか辺りを探ってくる。客人の身の安全がかかっている。ここでも警戒を怠るなよ」
「この辺りはちゃんと俺が調べましたよ」
「自分で確かめた方がより確実だ」
ジェードは店を出て行こうと足を踏み出しかけたが、懐から小袋を取り出してルカに渡した。ルカが中身を確かめてみると、かなりの額の硬貨だった。食事代にしては高すぎる。
「小遣いですか? いりませんよ。俺もう子供じゃないんだし」
「それは今回の仕事の口止め料だ。お前が見聞きしたことについて口外を禁じる」
そう言われたルカは、いじけたように唇を突き出した。
「……金なんて貰わなくたって、誰にも喋りませんよ」
ジェードはルカに一瞥を投げただけで、席を離れた。そんな王子をどこか悲しげに見送って、ルカは大きなため息をついた。金の入った袋を振って、リーリヤに苦笑して見せる。
「いつまで経っても信用されないんです」
そんなことはないだろうとリーリヤは思った。何故なら、短時間とはいえジェードがリーリヤを置いて離れたからだ。リーリヤの身をルカに託すということは、とびきり彼を信用している何よりの証である。ルカの強さと実直さを認めているのだ。ルカには知りようがないのだろうが。
ジェードは顔だけ見れば怒っているとしか言いようがなかったが、おそらく困り果てていたのだろう。何を考えているのかわからないと思われがちなジェードであるが、その心の動きは案外普通である。
「あの方とあなたはよくお話をされるのですか?」
「いいえ。機会があれば俺は話しかけますけど、ほとんど返事をしてもらえませんよ。さっきみたいにまとめてお小言を頂戴することはありますけどね。殿下……じゃない、若旦那は人を近づけませんから、俺以外とも滅多に口をききませんよ。ご兄弟の中ではお一人だけ世間話をする間柄の方はいらっしゃるみたいですが、それも仲良しというほどではないんじゃないかな」
その兄弟というのは第二十王子のカーネリアンだろう。
いつもジェードは一人でいるのだそうだ。事務的な会話以外は他人としようとせず、とっつきにくいを通り越して恐ろしい。ジェードが多くの目がある中で人を切り捨てたことは一度や二度ではない。もちろんそれは、不敬だったからなどというくだらない理由ではないのだが、細かい部分は皆どうでもいいのだ。重要なのは、ジェードがすぐに人を斬るという事実だろう。
「こういう言い方が許されないのは承知で言いますけど、若旦那は良い方です」
歯を見せて笑うと、ルカは自分とジェードの出会いについて語った。
親は人買いに幼いルカを売った。それからルカは遊牧民の成れの果ての蛮族の手に渡り、奴隷兵士として使われていた。まだ少年だったルカだがすぐに頭角をあらわして活躍する。ならず者の集団には魔術師がおり、奴隷兵士は魔術によって縛られていたので逃亡を試みるなど夢のまた夢であった。
そこへ現れたのはジェードが率いる王国騎士団の隊であり、交易路の安全確保のために盗賊の掃討という使命を帯びて来たのだった。
翡翠の王子の一撃によって魔術師は倒され、奴隷兵士達も解放された。ちなみにルカは命令によって最初に王子へ飛びかかり、殴り飛ばされて気絶している。後になって、相当手加減して殴られたのだと知ることになったのだが。
とりあえず捕虜のような扱いを受けていた奴隷兵士の処遇について話し合われている時、ルカは絶望していた。自分の意思でしでかしたわけではないが、ユウェル国の王子に刃を向けたのだ。連行されて極刑、いや、ここで首をはねられるかもしれない。
氷のような冷たい目つきをした王子は座り込んでいるルカの元へやって来て見下ろし、声をかけてきた。
「歳は」
「十二を過ぎたところです」
「さらわれたのか? 家族は」
「物心つく前に小麦一袋より安く売られたので、顔も名前も知りません」
「自由になれば、お前はどうするつもりだったのだ」
奴隷から解放されたいと願っていたが、もしそうなったとしてもその後の展望はまるでなかったと今気がついた。
なんだか責められているような気持ちになって、ルカの目に涙が浮かんだ。帰る場所も行きたい場所もない。
「金もありませんし、学もありません。幸い、戦うことはこうして仕込まれていますから、用心棒にでも雇ってもらって生活できるかもしれません」
といっても誰にどう頼めば仕事がもらえるかわからないし、それ以前にやはりここで自分は切り捨てられるのだろう。
王子は翡翠の瞳でルカをしばらく見つめていたが、やがて言った。
「見習いは三年だ。私の見込み違いであればその三年で放り出す。支度をしろ」
ルカは離れていく王子の背中を呆然と見つめていたが、彼の言った内容は何一つ理解できなかった。だが唖然としているのはルカだけでなく、隊の面々も同じであった。
ルカは家名も持たない孤児でありながら、第十五王子の口添え一つで騎士団に迎えられ、騎士見習いとして生活を始めることとなったのだった。
幸いジェードは見る目があり、ルカは騎士団でも腕の良さを周囲から認められ、見習いから正式な騎士となった。初めの頃こそ贔屓されているのではと白い目で見られたが、上官であるジェードの扱きが苛烈であったため、誰も陰口は言わなくなったという。ルカの実力は確かなもので、ジェードがそれを花開かせたのだ。
ルカの口振りからしても、彼がジェードを強く慕っているというのはリーリヤにも伝わった。
「若旦那が多くの裏切りにあってきたっていうのは俺も聞いてます。俺の生まれるうんと前からそうだったって。だから関わる人間を誰でも警戒するのは、仕方ないと思うんですけど」
城に住むルカは末端で働く身であるが、それでも外にいる者よりは詳しい話を耳にする機会があるのだろう。
ルカが聞いたところによると、ジェードが全く人を避けるようになったのは百年以上前のことで、その辺りで立て続けに深刻な裏切りを経験したらしかった。
「側近に殺されそうになったんですって。側近は初めから買収されていて、時間をかけて油断させたんです。幸い未遂で済んだらしいですが、酷い話ですよ」
多分、私と出会うより前の出来事なのだろうな、とリーリヤは振り返った。あの時のジェードは手負いの獣のようで、疲れ切っていた。
彼は冷酷な人間ではない。他人に心を許したくなった瞬間もあったかもしれず、そこにつけこまれたのならたまらなかっただろう。
「そいつみたいに金を積まれたり、身内に害を及ぼされたくなければあの方を裏切れと脅されたり。そんなことの繰り返しだったから、初めから人を寄せつけない方がいいって判断したんでしょうね」
ジェードは孤独を選ぶしかなかったのだ。
弁解もしない第十五王子には悪い噂が立ち、その噂には尾鰭がつく。ただでさえ石持ち王子は長命で異質な存在だ。けれど自分の見聞きしたものしか信じない主義のルカはジェードという人間が、面倒見の良い好人物だとしか思えなくなってきた。初めこそはためらわずに人を斬る王子に恐れを抱いていたが、それだけが彼の全てではないと気がついたのだ。
「俺は金にもなびかないし、身内が人質にとられたりしないし、若旦那を裏切る理由がありませんよ。だからもっと頼りにされたいんですけど……。好かれてないのか、すぐ逃げられます」
喋りながら器用に食べ続けるルカは、追加注文した料理も綺麗に完食していた。
寂しそうな笑顔を見て、リーリヤもふわりと微笑んだ。
「好いているから、大切だから逃げるのですよ」
心の優しい、良い青年だとリーリヤは思った。だからこそジェードはルカという存在を負担に感じるのだろうが、人の国でやっと素直に輝く人間をジェードのそばに見つけることができて、リーリヤは嬉しくなる。
ルカは頬杖をついて眉をひそめていた。尽くすために強くなろうと決めたのに、と小声で呟く。
「あの方のためなら、俺は命なんて惜しくないんです」
「あなたは自分の命を守り抜かなくてはなりません。あなたのためではなく、彼のために」
すかさず放たれたリーリヤの言葉に、ルカはまばたきを繰り返した。
「若旦那に恩を返したいと思うなら、あなたは健やかに長く生きなければなりませんよ。何よりもそれがあの方の望むことなのですから」
ジェードはルカに訪れるかもしれない、不幸な未来を恐れている。いつも周りにいた者達のように悪に染められていくことを。あるいはそれに抵抗したために命を奪われてしまうことを。ルカが善人であればあるほど、ジェードの苦しみは深くなるのだ。
「あなたは賢い子のようですから、私の言っている意味がわかりますね?」
血気盛んで忠誠心の強い若者は、時に無謀に敵へ立ち向かおうとする。それこそが主への忠誠をあらわす行為だと信じて。
だが、潔く散ることだけが忠義ではないと彼にわかってほしかった。
ルカは口を曲げたまま、しばらく後ろ頭を掻いていた。
「お客様の名前をうかがってもよろしいですか?」
「リーリヤです」
ジェードはこの国の王子で名前も知られているから、お忍びで歩いている時においそれとその名を口にはできない。リーリヤも花の子という正体は隠しておきたいところだが、ルカに名前を呼ばれるくらいは構わないだろう。
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