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第1章『3領地同時攻防戦』編

第39話 3領地同時攻防戦18--中央クラベール領戦線⑩

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 時を遡ること3か月と少し。

 場所はミュリヌス領フォルテア森林帯。

 グスタフの異能により狂気に染まったリアラと対峙したその時のことを、リューイは未だに鮮明に思い出すことが出来る。

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『――助けて、リューイ……』

 そのかき消えるような小さな声が、リアラの唇から零れ落ちる。

『リアラ、このまま……』

『――ダメっ!』

 頭を抑えたまま地面にうずくまるリアラに手を差し伸べるリューイ。しかしリアラは苦痛に歪んだ顔で、それを拒絶する。

『このままじゃ、本当に大切な人を……大好きな人を、傷つけてしまう! だから、逃げてリューイ。お願い……』

『そんなこと、出来るわけないだろ! 絶対に助ける! ここで死ぬことになっても、絶対にリアラだけは助けて見せる!』

 決意と覚悟に染めた表情を少しも崩さなかったリューイが、そのリアラの言葉に、瞳を揺らす。

 この状況も、自分の立場も、何もかもを無視してでも、絶対に助けたい。その強い衝動に駆られる。

 しかし、この時リアラが紡いだ言葉は――

『今、ここで死ぬ覚悟じゃなくて、明日へ希望を繋げるための勇気を見せて。だから、お願い。今は逃げて。死なないで』

 目から涙をこぼしながら、リアラはほほ笑む。
 
 その顔は、身体だけはなく心までも凌辱され尽くした悲しみと苦しみを、必死に覆い隠しているのが分かる程の痛々しい笑み。リューイに心配させまいと、その苦痛を精いっぱい耐えているが、それでも漏れ出てしまうリアラの苦しさが分かってしまう。
 
『私、待っているから。絶対、絶対助けに来てね。大好きだよ、リューイ』

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 今リューイの目の前で微笑むその顔は、その時のリアラと全く変わらない。

 しかし今彼女が浮かべているのは、同じ笑顔ではあっても、どこか不気味さと邪悪さを湛えた笑みである。あの時浮かべていた笑顔とは意味合いが全く違うことは明らかだ。

 よく似合っている黒髪――3か月前よりも少し伸びている――も、愛らしくて明朗快活に見えるその顔立ちも、程よく引き締まりながら程よく女性らしいボリュームがあるバランスの良い体型も、リューイが知るリアラと何もかも同じはずなのに、何もかも違う人物だ。

 また身に付けているのも、あの時はミュリヌス学園の制服だったが、今は違う。

 新白薔薇騎士団長という立場に相応しい、動きやすさを重視した煌びやかな白銀の胸当て。右手には大陸では一般的に出回っている騎士剣、左腕には小盾を装備している。

「びっくりしたよ、リューイ」

 突然割って入ったリューイと無言で視線を交わすこと数十秒間――ようやくリアラが発した言葉はそれだった。

「まさか私に剣を向けられるなんて、凄いね」

「――?」

 リアラは薄い笑みを浮かべてはいるものの、その驚嘆を込めた感想は本音のようだった。

 しかしその意味がよく分からず、リューイは眉をひそめている。

 気づけば、同様に驚いているのはリアラだけではない。周りの龍牙騎士達、そしてリューイが庇ったラディカルすらも、驚きに目を見開いてリューイに注目していた。

「お、お前さん……怖くないのか?」

 リューイの背後で、馬から落ちて尻もちをついたようになっているラディカルが驚いたように聞いてくる。その場にいる者達の驚きの意味は、そのラディカルの言葉に全て込められていた。

「俺は、あいつを助けるためにここまで来たんです」

 リューイが周囲の人間達が驚いている意味を理解しているのかしていないのかは分からないが、彼はやはり決意に満ちた目で対峙するリアラを見据える。

「うふふ、やっぱり凄いなぁリューイは。うん、やっぱり大好きだよ、リューイ♪」

 --大好きだよ、リューイ。

 その言葉は、リューイに逃げ出す勇気を説いたあのフォルテア森林帯の時と同じ言葉――それを聞いて、リューイの頭がカッと熱くなる。

 同じ言葉のはずなのに、今のリアラが言うその言葉は、あの時のものと全く違う。その言葉は、リアラの本音などではない。誰かに言わされているように感じる。

 リアラの想いを、リューイの想いを馬鹿にしている以外に思えないような仕打ちだ。

「なーに、怒っているの? 恋人からの愛の囁きなのに」

 無言のリューイの感情を読み取ったのか、リアラは更にリューイを煽るような言葉を投げ掛け続ける。

 思わず激昂しそうになるリューイ――しかし、飛び掛かりそうになる自らの身体を抑えると、深く深呼吸をする。

「ここで必ず連れ戻す……リアラ!」

 リューイの信念はぶれない。

 あの時の約束を果たす。

 あの時フォルテア森林帯でリューイが誓ったのは、リアラのために死ぬ覚悟ではない。希望を紡ぐために生き続ける勇気――それは全て、愛するリアラを救いだすためのものだ。

 リューイが果たすべきことは、変わってしまったリアラへの、そのリアラを変えた張本人であるグスタフへの怒りでをぶつけることではない。

 ただ、リアラを助けることだけだ。

「今日、今ここで、お前を助け出す。そのために、俺は龍騎士になったんだ」

 龍牙真打を握る両手に力を込めるリューイを、面白そうににやつきながら見つめるリアラ。

「……へえ。龍騎士なんて、凄いねぇ。聖アルマイトの騎士として、最高の称号じゃない。さすが、リューイ」

 挑発に乗って来ないリューイの様子に、リアラは1つため息を吐いて、持っている騎士剣をユラリと揺らす。その発せられた言葉は、どこまでが本気なのか、どこからが上辺だけなのかは定かではない。

「聞いたよ。昨日、クリスティアさんと戦ったんだよね? どう? クリスティアさんは強かった?」

「……」

 リアラが静かに剣を構えながら問いかけてくるが、リューイは何も答えない。だからといって無視をしているわけではなく、油断なくリアラの身動き1つ逃すまいと集中していた。

 そんな必死なリューイの表情を嘲笑うように、リアラは口元を歪ませる。

「あはははは。無理無理♪ 無理に決まってるじゃん♪ クリスティアさんに勝てないのに、私に勝てると思っているの? クリスティアさんなんて、私の足元にも及ばないんだよ? そんなクリスティアさんにボロ負けしたリューイが私と戦う……? あははははは! あーっはっはっはっは!」

 腹を抱えて笑う――その表現がここまで相応しいこともないだろう。

 以前のリアラなら、何であれ努力して頑張っている人間を馬鹿にして笑うことなど有り得ない。そんな彼女が、心底相手を馬鹿にしたような笑いを見せている。

 そんな変わり果てた彼女を見ても、リューイは表情を微動だにしない。その感情はもう決して揺れない。

 愛する彼女をこんな風に狂わせた悪魔への怒りよりも、狂気に染まった彼女の姿に悲しむことよりも――リューイが胸に秘めるは、リアラを助けることだけ。ただそれだけに集中することが出来ていた。

「面白くないなぁ」

 そんなリューイに、いよいよリアラは笑みを消して冷酷な表情を見せるーーと、次の瞬間には何か面白そうなことを思いついた子供のような笑みを浮かべる。

「それじゃ、生け捕りにして私とグスタフのラブラブでチョードスケベなセックスを見せつけてあげるよ。それでも、そんな顔のままでいられるかな?」

 狂気の言葉を発しながら、リアラが身体を前傾させる。

 いよいよ、始まる。

 リューイにとっての最大の目的である戦いが。

「――なんか、残念」

「……え?」

 急に冷めた表情をしてため息をつくリアラ。そして次にリューイが気づいた瞬間には、もうリューイの目の前に彼女の顔が迫っていた。

「龍騎士になったっていうから期待したけど、こんなものか」

 そしてリアラは振り上げた騎士剣をリューイへ向けて、無慈悲に振り下ろす。

 あまりに速過ぎるリアラの動きに、リューイの意識は全く付いていけていなかった。リューイが構える龍牙真打の刃先はあさっての方向を向いたままだ。

「――うおおおおおお!」

 しかしそれでも全力で龍牙真打を引き戻すようにすると、脳天から斬り降ろされそうになったリアラの騎士剣をすんでのところで受け止める。

「へえ」

 その一撃を防がれたのは予想外だったのか、意外そうな声を出すリアラ。そして感心したように

「最後に会ったのは去年の冬だったっけ? 確かにあの時と比べると……物凄く強くなってる。嫌味なんかじゃなくて、本当にびっくりだよ」

「う、ぐぐ……」

 剣を押し合う2人。リューイは剣を両手で握って全身を震わせているが、リアラが剣を持つのは片手で、しかも余裕の表情を浮かべている。

「でも、所詮リューイは特別な才能も能力もない、平凡な人間だよ。かつてこの世界を支配した魔王をも打ち倒した勇者の力を持つ私になんて、どんなに努力したって勝てるはずがないんだよ、ね♪」

 それは先ほどと同じ人の努力を、想いを踏みにじるような残酷な笑みと口調だった。

 リアラはそのまま剣を振りぬくと、リューイはその力に押されて後ろに弾き飛ばされる。更に龍牙真打までも弾き飛ばされて、遠く後方へと飛んでいってしまう。

 たった一合で、いとも容易く丸腰にされたリューイはなすすべなく、そのままリアラと対峙するしかなかった。

「はぁ……はぁ……」

 たった一合だけなのに、リューイは肩で息をしており、全身が汗だくになっていた。

 しかし、それでも丸腰のリューイは、剣を手にしたリアラに対して一歩も退くそぶりを見せない。空手のまま、彼女と向かい合っていた。

 そのリューイの姿は、リアラの勇者特性に因る恐怖で支配されていたその場の空気を、僅かにだが変化させていっていった。

「お、おい……新人があれだけやってるってのに……!」

「彼は龍騎士だぞ……このままみすみす殺されてたまるか」

 恐怖に怯えすくみ、動くことすら出来ず、遠巻きに2人の戦いを見ることしか出来なかった龍牙騎士達が立ち上がり始めるのだった。

 自らの強大なる勇者特性の力で完全に場を支配していたリアラ――その支配力を、不屈の想いだけで変えてしまったリューイに対して

 リアラは嗤う。

「あはははははは! あーっはっはっはっは! すごいよ! やっぱりリューイはすごい! ますます私とグスタフの愛の巣に連れていって、ラブラブなドギツイセックスを見せてあげたくなっちゃうよぉぉぉ!」

 丸腰のリューイに、嬉々とした表情を浮かべながらリアラが斬りかかる。

 周囲で見ていた龍牙騎士達も、出来るのは立ち上がるところまで。とても2人の戦闘の間に割って入ることが出来る者などいなかった。

「おおおおおおおおおお!」

 それでもその中で唯一動けたのは、つい先ほどリューイに救われたラディカルだった。1度は地面に落とした大剣を再び拾って、先ほどとは逆に、今度はラディカルがリューイとリアラの間に入り、リアラの剣を受け止めたのだった。

「死にぞこないがっ! 私とリューイの邪魔をするなっ!」

 それは、今この場で初めてリアラが見せた明確な殺意と憎悪の籠った言葉。邪魔をしたラディカルへ本気の怒りを向けていた。

「逃げろっ、あんちゃん! あんたは、今ここで死んじゃいけねえ!」

「で、でも……!」

 これでは、あのフォルテア森林帯と全く同じだ。

 せっかく手が届くところまで、目の前にリアラがいるところまでたどり着いたというのに。また、ここでリアラを置いていかないといけないのか。

「馬鹿野郎っ! 死んだら終わりだ! 助けられるもんも助けられねぇ! 何が何でもこの嬢ちゃんを救うんだろうが!」

 自分の力が及ばないせいで。自分が弱いせいで。

 また、自分は愛する者を救うことを、成し得ないのか。仲間を守れないのか。

 そうやってリューイが自身の弱さに葛藤しているとーー

「――っ!」

 リアラは不意に視界の外から襲い掛かってくる気配を感じて、咄嗟にその場を飛びのいた。

 すると、それまで彼女がいた場所を駆け抜ける騎馬が1騎――その馬上から振るわれた刃が空を斬るが、そのままその騎馬はリアラが回避した方向へと向き返る。

「ジュリアス副長……!」

「良かった……間に合いましたか」

 ジュリアスは2人を背に庇うようにしてリアラと対峙する。一見勇ましい姿ではあったが、ジュリアスの手もまたブルブルと震えており、その額には冷や汗がにじみ出ていた。

 龍牙騎士団副団長であるジュリアスすらも、リアラの勇者特性からは逃れられないのだ。助けに入ったのがすんでの所だったのも、リューイの奮起でようやく心を奮い立たせることが出来たおかげだった。

 一方、2度も邪魔が入り、リアラがその表情にますます苛立ちを募らせていると――

「良かった。どうやら大詰めには間に合ったようね」

 緊迫した戦場には似合わない、凛としながらも余裕のある女性の声が響く。

 リアラの後方に控える部隊から出てきたのは、馬に乗った2人の男女。

 1人は精悍で整った顔立ちをした若い剣士。

 そしてもう1人は、物語に出てくる戦乙女を想起させるような羽根飾りがついた兜が印象的な女性だった。

「フェスティア=マリーン……!」

 ジュリアスがその人物の名を苦々しくつぶやく。

 第2王女派による3領地同時侵攻戦。その最重要拠点であるクラベール領の戦いも、遂に役者が出揃い、最終局面を迎えることとなる。
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