上 下
148 / 155
最終章 エピローグ編

第135話 カリオス=ド=アルマイトⅣ<決断>

しおりを挟む
 へブリッジ薔薇園でのブレードタイガー討伐は、一躍カリオスの名を大陸中に知らしめることとなった。まだ成人前の王子が、たった1人で中型魔獣を討伐したことは、大いに聖アルマイト沸かせたのだった。

 そしてこれを契機にカリオスは、次期国王継承者に相応しい風格と、民に寄り添う優しき心を併せ持つ王子として成長して力を付けていくことになる。

 神器を扱えるようになり強くなったーー単純な事実としてはそうなのだが、それ以上に重要なのは、妹から学んだ心の強さが、カリオスを強くして支えていた。そしてまた、カリオスはそれまでの分を取り返す程に妹を愛した。

 聖アルマイト王国第1王子の唯一の欠点――妹姫を溺愛しすぎるというのも、おおよそこの時期から噂されるようになる。

 そして、その兄妹にとって2回目の転機――母親である王妃プリメータの逝去に立ち会うのは、その2年後。カリオスは成人して22歳、リリライトは11歳だった。

『泣かないで、リリ……』

 病床に伏したプリメータは、泣きながら側に付きそう愛する娘へ言葉をかける。

 プリメータは1年程前から流行り病にかかってしまい闘病生活を送っていた。それは、ちょうどヘルベルト連合との外交交渉が増え始めた頃――プリメータも夫ヴィジオールと共に、度々連合へ赴いていたのだが、おそらくはそこでたまたま感染してしまったのではないか、ということだった。

 幸いにも魔術的な処置が効果を成し、聖アルマイト国内でプリメータから他へ感染することは防げたが、既に発症していたプリメータを治癒する術はなかった。

『母様……母様……』

『ふふ、相変わらず泣き虫なんだから。母様は少し心配よ』

 ここ数日、高熱が続き、今も苦しそうに息を荒げているにも関わらず、プリメータは泣きじゃくる我が娘を安心させるように笑いかけた。

『母さん、頑張ってくれ。親父――陛下とラミアが、万病に効く薬草を採りにいってきて、明日戻る予定だ。それがあれば、きっとよくなるよ』

 プリメータの手を力いっぱいに握りしめて泣くリリライトの頭を、カリオスが優しく撫でている。そしてカリオスは、母へ笑いながらそう言う。

 そのカリオスとリリライトの姿を見て、プリメータは笑う。

 その笑顔は、子供達を安心させるための、母の強さを示した笑顔ではない。それは心の底から、嬉しさがこみあげてくる自然な笑み。

『ありがとう、カリオス。そうね、頑張らないと』

 しかしカリオスは、治療に当たっている治癒術師から覚悟を決めるようにと、つい先ほど言われたばかりだった。

 そして、自分の体のことはカリオス以上にプリメータの方が理解しているであろう。

 --それでもプリメータは、強き母の顔で笑う。

『ごめんなさいカリオス。私は、もっと貴方を愛してあげれば良かった……ううん、愛していたわ。それは間違いない。だけど、それを伝えてあげられなかった。あの人も、私も、貴方には辛くあたってばかりだったわ』

『何言っているんだよ、母さん』

 その母の言葉に、思わずカリオスも涙ぐむ。

 まだまだ未熟な少年時代は確かに恨んでいたこともあった。でも、母の愛が無かったなどと思っていない。

『弱かったクソガキの頃はお門違いにも恨んでいた時期もあったけど……でも、リリが教えてくれたんだよ。人を愛し、愛されるための強さが必要だってこと。みんなから愛される強さを、リリがくれたんだ。だから俺は母さんも、リリも大好きだよ』

 あの事件を境に、リリライトのことを愛称で呼ぶようになったカリオス。成人して更に多忙になった後も、なるべくリリライトと一緒の時間を過ごそうとした頼もしい長男は、今も母を失う絶望に沈もうとしている妹を守るように、そのすぐ側に寄り添っていた。

 その愛らしい兄妹を、霞む視界にとらえながら、プリメーラは心底嬉しそうに目を細める。

 病気で苦しいはずなのに、本当に幸せそうに微笑むのだ。

『本当に、強くなったわねカリオス。母様は、安心よ』

『あ、嫌だ! 嫌です、母様! 母様、母様!』

 すっと瞳を閉じるプリメータに、リリライトは死を感じたのか、必死に身体を揺さぶるリリライト。

 しかしそのまま命が潰えることはなかった。プリメータは瞳を閉じたまま、カリオスと同じようにリリライトのふんわりとした金髪を撫でる。

『シンパ、いる?』

『ここに』

 少し離れた場所から、白薔薇騎士団長でありプリメータの護衛騎士シンパが、かしこまった所作で返事をする。その表情は、さすがに悲しみに満ちていた。

『今日から、白薔薇騎士団は第2王女リリライト=リ=アルマイトの近衛騎士団とします。そしてシンパ=レイオール騎士団長、貴女をリリライトの護衛騎士に任じます。何があろうと、あらゆる外敵よりリリライトを守護することを、ここに命じます。よろしいですね』

『はっ。この身に代えましても』

 表情は悲しみに染めたまま、しかし声はいつものように毅然としながら、シンパは返事をする。

 そのシンパの声を聞いて、王妃たる最後の仕事を終えたプリメータは、再び瞳を開く。
 
 すぐ側で心配そうにのぞき込んでくる、長男と次女を見つめる。

 重い病状で苦しんでいるのは己自身にも関わらず、慈愛に満ちた母親の顔で。

『カリオス、最期の最期まで貴方に重責を押し付けてごめんなさい……でも、どうかお願い。リリライトのこと、宜しくね。私がこれから愛してあげたかった分は、あなたとラミアが注いであげて』

 徐々にプリメータの瞳が虚ろになって、その焦点を失っていくのが分かる。いよいよその時が来るのだ、と確信するカリオスは、唇を噛みしめながら必死に嗚咽が漏れるのを耐える。

 いつもはたくましい長男が、必死に泣くのを我慢しているのを、そのぼやける視界の中でもしっかり見ていたプリメータは、なんだかおかしくなってクスリと笑う。

 そして、その視線を、今度は涙をポロポロと流すリリライトへ。

『リリ。大好きなリリ。好きよ、大好き。愛しているわ。これからもっといーっぱい愛してあげるつもりだったけど……ごめんね、母様はもう貴女の側にいてあげられないわ』

『母様ぁ……』

 顔を撫でてくる母の暖かい手を、リリライトは両手で包み込むように握る。こんなにも暖かくて優しいのに、もう間もなく命が失われていくのは間違いないと、リリライトも直感していた。

『リリ、カリオスを宜しくね。貴女の兄様は、これからもっともーっと強くならないといけないの。そのためには、貴女の愛が、その純白な想いが必要なの。だから、カリオスを愛してあげて、そして貴女もカリオスに愛されて――そして、強くなりなさい。それが、母様の最期のお願い』

『やだ……やだよぅ、母様。ねえ、兄様。母様がいなくなっちゃう……やだ、やだよぅ。兄様何とかしてよぉ』

 母親にべったりだったリリライトの心は、この現実を受け入れられず、愛する兄へと訴える。以前のカリオスならば、このリリライトの幼くて弱弱しい心に反吐が出ていただろう。何なら、母が死に瀕したこの場でリリライトを怒鳴り散らしていたかもしれない。

 しかし、今はリリライトがどれだけ母を愛していたのかが分かる。だから、妹の深い悲しみを理解できる。

 だからといってカリオスに人の生死をどうにかするような力はなく、弱弱しく首を横に振った。

『リリ……もう、最期だ。最期にリリの可愛らしい笑顔で送ってやれ。そして、ちゃんと母さんの願いに、うなずいてやるんだ』

『あ、あううう……あう、あう……』

『リリ、お願い』

 それは、たくさんの人から愛されて、言葉を選ばずにいえば甘やかされながら育てられてきたリリライトにとっては、あまりに過酷なお願いだったかもしれない。

 母の死を受け入れ、そして強くなる……死にゆく母へそう誓うのは、その時のリリライトにとっては他人の想像を絶する程の辛さがあった。

 しかしそうしている間にもプリメータの命の灯は消えようとしている。迷うリリライトだが、もう時間はない。

 プリメータがにその瞳に、記憶に、最期に焼き付けるのは、このままではいつまでも泣きじゃくっているリリライトの悲しい顔――

『大丈夫だ、俺がいる。一緒に強くなろう』

 大きな大きな、とても逞しくて、暖かくて、優しい兄の手。リリライトの細くて砕けそうな肩を抱くようにして、強く抱きしめてくれる。

 ただただ母の死が悲しい、母を失うという絶望に染まっていたリリライトの心。その絶望の色が、カリオスの暖かさで打ち払われていく。

 --そうだ、大丈夫だ。自分にはこんなにも愛してくれている兄がいる。こんなにも大好きな兄が、これからも側にいてくれるのだ。

 すると自然に勇気と力が湧いてくる。

 母はもう自分といられない。だから強くなる。そして笑顔で送る。その母との誓いを守るため

『母様、今までありがとうございます! リリは、強くなります! 兄様がいれば大丈夫です。だから……さようなら、です』

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、リリライトは最高の笑顔を作って、母に誓う。

 プリメータは、この世で最高に愛していた愛娘の太陽のような笑顔を最後に見ると、至福の表情を浮かべて笑う。

『リリ、母様は生まれてきてよかったわ。この日のために、きっと母様はリリを生んだのよ。そして、生まれてきてくれてありがとう、リリ。母様は、とっても幸せだわ』

 そうしてプリメータは、この世の誰よりも幸せそうに、愛する2人の子供に見送られながら、この世を去ったのだった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 更に時は経過し、5年後。

 現在から3年前――ネルグリア帝国との戦争が始まる1年前のことだった。

 妻を失ったことがきっかけになったのか、急にヴィジオールは老け込んだように活力を失い、国の決定権は徐々に長男が継いでいくようになっていた。カリオスが聖アルマイトの中心となりつつあった時期である。

 奴隷取引の撤廃や身分制度の緩和など、革新的なカ政治方針をアリオスが訴え始めたのもこの時期からである。

 プリメータが健在だったころに輪をかけて多忙になったカリオスは、とある日、たまたま予定が空白の日があった。そのため、近頃はすっかり一緒にいる時間が少なくなったリリライトと一緒に過ごすことにした。

 この日はリリライトの要望で、2人にとって忘れられない場所――へブリッジ薔薇園を訪れていた。

『兄様、こっちです』

 色とりどりの薔薇に囲まれているリリライト。柔らかな金髪が風に揺れて、兄に優雅な微笑みを向ける彼女は、もういつまでも幼いばかりの子供ではなかった。

 その仕草一つ一つが王族らしく優雅でありながら、その純粋無垢で可憐な魅了は失っていない。母に誓った純白の想いをそのままに成長した妹は、その通り「純白の姫」という呼び名で、大陸中から賞賛されるほどになったのだ。

『リリもお姉さんになったなぁ。あの時は、こーんなにちびっこで、びーびー泣いてばっかりいたのに』

『ぶう。またそうやって兄様はリリのことを子供扱いする。そんな兄様は嫌いです』

 頬を膨らませて不満げに言うリリライトは、いつの間にかそんな冗談が言える程度には成長していた。

 そしてまた笑うと、足早に、薔薇がしきつめられた草原を進んでいく。

『おいおい、転ぶなよ』

『もうリリは16ですよ。何もないところで転ぶわけが――ぶぎゃっ!』

 言っている端から、薔薇の茎にでも足をひっかけたのだろうか、リリライトが転ぶ。カリオスは頭を抱えながら近寄っていくと、その前にリリライトは立ち上がる。

 鼻を打ったのか、鼻を赤くしながら照れ臭そうに笑う。

『え、えっと……仕方ありません。何もなくはないですから! 兄様だって、足に何かひっかかったら転ぶでしょう? そ、それに泣いていません。うん、リリは泣きませんよ。ほら、強くなりました』

 必死になって慌てながらそう言う妹は――確かに強くなった。カリオスは、そんなリリライトを嬉しそうに笑いながら見ていると

『あ、あーっ! またリリを子供扱いしています。兄様嫌いです! ぷんぷん』

『えーっと、どうすりゃ正解なんだ、俺は……?』

 困り果てた苦笑を浮かべるカリオスと、頬を膨らませるリリライト。

 そんな微笑ましいやり取りを続けながら、リリライトがカリオスを案内した場所は、へブリッジ薔薇園のとある一角。

 そこは、中の上程度の平民が持てるくらいの庭園程の大きさ――決して広いとはいえない程の面積が、簡易的な柵で区切られている。

 そこには、聖アルマイト国第2王女たるリリライトの象徴ともいえる白薔薇が咲き乱れていた。

『……おぉ』

 そのあまりに予想外の光景に、カリオスは言葉を失う。

『あっ、あ……さ、先に言いますと、園長さんは犯罪をしていませんよ? その、陛下や兄様に秘密にしていたのは申し訳ないのですが、これはリリがお願いしたことなんです。というよりも、リリが育てたんです』

『リリが?』

 つまりリリライト自身が、この一角を園長に与えてもらい、自ら手入れをして白薔薇を育てたということか。

『どうですか、兄様?』

『いや……凄いな! こんなにたくさんの白薔薇を! 熟練の庭師以上だ!』

『えへへ、嬉しいです。兄様』

 それは、明らかに兄としての贔屓目。過剰なお世辞だったが、それでも嬉しいのかリリライトは満面の笑顔を浮かべる。

 とはいっても、全てがお世辞ではない。確かに素人仕事であるのは見て分かる程で、剪定や花びらの色など、おそらく熟練の庭師と比べてみれば明らかだろう。

 それでも言葉にできない何か――おそらくは素人であるリリライト自身が必死に勉強して、想いを込めて育てた白薔薇は美しく、カリオスの心を打ったのは確かな事実だった。

『それにしても、どうしてわざわざへブリッジ薔薇園なんだ?』

 何気ないカリオスの言葉――それはリリライトの表情を微妙に変えた。

 兄に褒められてただただ無邪気に笑っていたリリライトは、何かを思い出しすようにその小さな胸に手を当てながら、兄をじっと見つめる。

『リリは、今も信じていますよ? 兄様はずっとずっと、リリのことを愛してくれたって』

『――は?』

 唐突に脈絡のないリリライトの言葉――しかし微笑みながらも、真剣な表情をしている妹に、カリオスは余計な言葉で水を差すのを控える。

『兄様は優しいから、子供の頃の事――多分思い出す度に心を痛めているのでは、とリリはずっと気にしていました』

 リリライトがそこまで言うと、カリオスはハッとした表情になる。

 ――そうだ、この場所はリリライトがカリオスに強くなるきっかけをくれた場所であると同時に、カリオスにとっては苦々しい思い出も色濃く残る場所だ。

 理不尽な思いで妹を騙し、傷つけ、危うく失ってしまいかねない程の失態を犯した場所。

 苦々しい表情をするカリオスに、リリライトは優し気ににっこりとほほ笑む。

『大丈夫です。リリは兄様のこと、今は勿論、昔からずっと、ずーっと大好きですから』

 まるで兄を安心させるような口調だった。

 さすがに10代も半ばを越えれば、リリライトも成長する。ただただ無邪気に、思考を放棄して、愛する兄が嘘を吐くことなど有り得ない――それが幼さゆえの愚かさだと理解する程には成長していた。

 だから今となっては、あの日カリオスがリリライトに嘘を吐いたことも分かる。その理由も自分が疎んじられていたからだ、と受け入れることも出来る。

 ここまでであれば、人としてごく一般的な心の成長に過ぎなかったかもしれない。

 しかしリリライトはしっかりと母と兄に誓ったことを守っていた。

 彼女は、王族の姫たるに相応しく、更に強くなっていたのだ。

『兄様のあの時の言葉が嘘にならないように、リリがここに白薔薇を育てました。あの時はリリの力不足で兄様を喜ばせることが出来ませんでしたが……』

 自分が作った小さな薔薇園を誇るように両手を広げるリリライト。

『兄様はあの時からずーっとリリを愛していてくれたんです。だってほら、嘘じゃなかった。ここに白薔薇はあるんです。兄様があの時、リリに頼んだ白薔薇はこれだったんです』

『リリ、お前は――』

 カリオスは、今になってもあの時リリライトに感じたことと、同じことを思う。

 どうして、お前はそこまで他人を愛することが出来るんだ。

 理不尽に傷つけられた過去に遡ってまで、残酷な現実から目を背けずに、それでも愛を信じ続けて、遂にはその強すぎる愛で、カリオスがリリライトを憎んでいたという過去すら塗り替えようというのか。

 どうして、そんなに強くいられるのか。

 その妹の愛が嬉し過ぎるカリオスが身動きできないでいると、おもむろにリリライトはいそいそと奥の方へ駆けていき、そしてすぐに戻ってくる。

『これ、私が育てた中で、一番きれいな白薔薇です』

 これ以上に嬉しいことなどない――そう思っていたカリオスは、それを上回る嬉しさに身を震わせる。

『はい、兄様。リリは兄様のこと、大好きですよ』

 満面の太陽のような笑顔で見上げながら、両手に持った白薔薇の束を差し出してくるリリライト。

『ネルグリア帝国と、戦争になるんですよね? リリは心配です。必ず……必ず、無事に戻ってきてくださいね。リリは兄様をお待ちしています』

 5年越しに果たされたカリオスの“お使い”。

 その純白で強すぎる想いを受け取ったカリオスは、それまでに花になどほとんど興味が無かったのに、この日から特に白薔薇を好むようになった。

 そして、これからも生きている限りは、必ずリリライトを愛し、守り続けると、固く心の誓うのだった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 長い回想が終わったところで、カリオスの意識は現実に戻る。

 リリライトと共に育った思い出は、まだリリライトとの仲が険悪だった苦々しい少年時代も含めて、思い出すだけでも嬉しさがこみ上げてくる、カリオスにとってはとても綺麗で大切なものだった。

 当然だが、そんな過去の美しい思い出に浸ったところで、現実は変わらない。

 カリオスに決断を求める期限は容赦なく迫っていた。いつまで経っても先延ばしにするカリオスに、コウメイから出された期限は明日。

 明日には聖アルマイト国民に対して、此度の第2王女の反乱とそれに対するカリオスの態度について説明――演説を行わなければいけない。

 もう、決断しなければいけない。

 ――決断? バカバカしい。選択肢など1つだ。

 リリライトは明確に、カリオスに対して叛意を示したのだ。明確に「第1王子を討つ」と口にした。

 それが誰かに言わされたもの――例えば悪辣極まりない大臣に――だとしても、もはやリリライトはその罪を赦されることなどない。全てはグスタフが悪いのだと、それじゃリリライトは仕方ないね、となるはずがないのだ。

 リリライトは、その命をもって今回の罪を償わなければならない。王族だからこそ、そこを厳にしなければ、聖アルマイトの国としての根幹か崩れる。兄としての感情を優先しリリライトを赦せば、国内外で秩序は乱れ、崩壊し、数多くの民が犠牲になる未来が容易に想像できる。

 よしんばグスタフを倒せたとして、そんな未来に何の意味があるのか。

 聖アルマイト王国第1王子として、次期国王として、厳粛なる決断を。王に相応しい責任と覚悟を持った決断を、いい加減に決めなければいけない。

 ――叛逆者リリライト=リ=アルマイトを討つ。

「無理に……決まってんだろうが、そんなことっ!」

 灯りもついていない、暗い執務室の中でカリオスは頭を抱える。

 そう簡単に決断出来るのならばここまで悩むことなどない。淡々と決断して兵を差し向けるだけだ。

 せめて、カリオスが何も知らされることなく、リリライト自身が本当に叛意を抱いていると思い込んでいれば、いくばくか決断もしやすかったかもしれない。

 しかしカリオスは真実を知っている。リリライトは被害者でしかない。何も悪くない。何も……悪くなどないのだ。

 もしくは、王族だから罪になるということか。

 王族にも関わらず、悪辣な悪魔の陰謀に捉われてしまった弱さが罪なのか。弱いということが罪だというのか。

 ――いや、違う。誰がリリライトを弱いなどと言えるのだろうか。

 リリライトは強い。カリオスが知る、誰よりも強いのだ。

 愛する人に憎しみを、怒りをぶつけられて、それでもなおただひたすらに愛し続けて、挙句の果てにその人を変えてしまう。

 そんなことが出来る人間が、この世界にどれだけいるというのだ。王族ですらできやしない。リリライトが弱いなどという奴は、今すぐにでもこの手で八つ裂きにしてやる。

 あんな強い人間を、カリオスは他に知らない。

 それに母の前で、カリオスは母とリリライトに誓ったのだ。

『大丈夫だ、俺がいる。一緒に強くなろう』

 その言葉を信じてくれて、安心して幸せそうな表情で逝った母を裏切ることなどできるわけがない!

 ――では、リリライトに罪はないとして、助けるのか。コウメイの言う通り、誰になんと言われようと妹を救うという、国王代理ではなく兄としての選択肢を取るのか。

 それも、出来るはずがない。

 王族という立場は、そんなに軽くない。一個人の感情で身内を優先し、多くの民に犠牲を強いることなど出来るはずもない。

 でも、カリオスは王族である前に1人の人間だ。妹を溺愛する、1人の兄なのだ。

 王族としての誇りと責任、リリライトへの想いの深さ――その両方を併せ持つカリオスが決断出来るはずがなかった。

 もはや、カリオスの試行は終わりのない螺旋の環に捉えられたように、堂々巡りを繰り返す。

 しかしいくら悩もうとも、それでも、決断の時は刻一刻と迫る。無慈悲に、カリオスを決断を求めるのだ。

 現実はカリオスが決断しないことを許さない。時間が、これ以上先延ばしにすることを許さない。

「うぐ……うぅぅ」

 母の死にすら涙を耐えていたカリオスが、1人きりの執務室で嗚咽を漏らす。

(どうして、こんなことに……どうして……)

 いくら悩もうが、苦しもうが、決断は2つに1つ。それはもう変わらない。

 決して外には声が漏れ出ないように、カリオスが1時間もの間、ずっと泣き続けた。泣いて、泣いて、泣き続けて……その真っ赤に腫らした瞳に力を込めて--

 ーーいよいよ、決断する。

 リリライトは、カリオスにとってどういう人間なのか。

 カリオスに残っている、最期のリリライトの姿ーー

『あぼおおおおおっ! おほっ、んおおおおおん! に、兄様っっ……兄様っ! あへへへ、チンポサイコー! セックス、しゅごい気持ちいいです! あ゛~~~! ん゛お゛お゛お゛! 脳みそ、エロ豚になりゅうううううう!』

 ミュリヌス領で、戦場にも関わらず、白目を剥き、舌を突き出し獣のような声を上げながら、醜く肥え太った男と肉の快楽を貪り合う、変わり果てたリリライトの姿。

 あのおぞましい姿。

 悪魔に弱みにつけこまれて、狂わされて壊れてしまった挙句に、反乱を起こして多くの民を犠牲にしようとする、もはや討つべき愚姫である。

 そう、リリライト=リ=アルマイトは聖アルマイト王国、ひいてはこの大陸全土の平和を脅かす悪魔の傀儡と成り下がったのだ。もう、あれは「純白の姫」でも、カリオスが愛すべき、愛してやまなかった最愛の妹ではない。

 あれは、人の皮をかぶった獣。

 この世に混乱と破壊を招く、おぞましい悪魔の1人だ。

 聖アルマイト王国第1王子、今は国王代理という責任において、決断する

 この大陸に、この世界に生きる人々のために。

 悪魔リリライト=リ=アルマイトを討つ、と。






















 


『はい、兄様。リリは兄様のこと、大好きですよ』



 しかしカリオスの記憶の中では、いつだってリリライトは太陽のように眩しい笑顔を向けていた。



 ーーそして、カリオスは決断した。


    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 翌日。

 後世の歴史研究家達の間で「最高」「最低」と両極端の評価と共に、どちらの側にも「歴史に残り続ける伝説」と言わしめる、カリオスの大演説が行われる。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

鉱夫剣を持つ 〜ツルハシ振ってたら人類最強の肉体を手に入れていた〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,087pt お気に入り:160

婚約破棄させてください!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,455pt お気に入り:3,013

【R18】私も知らないわたし

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:66

リンの異世界満喫ライフ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:546pt お気に入り:3,414

規格外で転生した私の誤魔化しライフ 〜旅行マニアの異世界無双旅〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,442pt お気に入り:139

処理中です...