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第1話(3) ロペールとメイド長とニコレット

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 メイド長は中庭の様子を、屋敷二階の窓から見ていた。メイドのニコレットとダルコーニュ伯爵の弟、ロペールがイチャついて……。誤解だ。
 裾が邪魔にならないよう、長いスカートの裾を少し摘んで、早足で廊下を走る。階段を降りたら、ダルコーニュ伯爵とロペールが、立ち話をしていた。
 後退りしながら、廊下の曲り角に隠れ、聞き耳を立てる。
「兄さん、俺に譲ってくれ」
「もう興味ないから、いいぞ」
 メイド長は、女性を物のように扱われた。彼女にはそう思えたのだ! 苛立ちの気持ちが沸いた。深呼吸をして怒りを静めてから、廊下を歩く。おいさめするのもメイド長の務めだ。
 兄の散弾銃を譲ってもらったロペールは、ほっこり顔だ。窓枠で兄弟二人そろって、リンゴ園とぶどう園を眺めている。二人に近づいたメイド長は、ゴホンとせき払いをした。
「あ、メイド長」
 ロペールは、振り返って素っ頓狂な声を出した。
「天国にいらっしゃるお母上さまは、さぞ悲しむことでしょう」
「覚悟の上だ」
 母親は子供たちの前では、銃器の取り扱いに細心の注意をしていた。兄弟にとって自分たちは、大人であるのに。顔を合わせて笑ってしまう。
「おいさめしても、お聞き届けいただけませんか?」
「ならぬ!」
 ダルコーニュ伯爵は、しかるような口調で、眉をつり上げメイド長をにらむ。
「命令でございますか?」
「命令だ」
 メイド長はがっくり肩を落としていたが、恭しく礼をしてその場を去る。

 洗濯場でハンカチ一つを洗い終え、洗濯ひもへつるすニコレットにメイド長が声をかける。
「一緒にお越しなさい」
「畏まりました」
 城の客間に案内される。いつも、ニコレットがメイドとして掃除する部屋の一つだ。
 ニコレットは掃除のことで、お小言を覚悟して、真面目顔になる。
 クローゼットから、メイド長が壮麗なドレスを用意していた。
「バスタブにお湯を張りましょう」
「はい」
 条件反射で調子を合わせてしまったが、モヤモヤ感が残る。メイド長と二人で、厨房から寸胴鍋で湯を運ぶ。
 ニコレットはバスタブに湯を張る。
 急な来客の受け入れ準備は整った、と解放感で安らぐ表情のニコレットに。
「体を清めるのはニコレットさんです」
「良いのですか?」
 ニコレットは笑顔だった。噴水で体が濡れて、ロペール様が配慮してくれたのだ。
 誤った理解である。
 脱衣所には、一人で入る。衣擦れの音を立てながら、メイド服を脱ぎ、生まれたばかりの姿になった。大きな鏡に映る自分の姿は気恥ずかしい。
 目を逸らしながら、立派な陶器製のバスタブに身を沈める。
「こんな経験は初めて、ありがたいです」
 普段はお湯を洗面器に張り、手拭で清潔を保っていた。お金持ち気分を満喫して、バスタブを上がる。
 脱衣所で体を拭くが、メイド長が入ってきた。新品の肌着を着させて、コルセットを取り出した。
 ニコレットはウエストを締め付けられ、痛みで顔をゆがめる。
「いたたっ」
「我慢しなさい」
 上半身を覆う、ドレスにはフリルやモールが就いていた。ニコレットにとっては、自分と無縁な、上流階級のような姿だ。膨らんだ傘を反対にしたような骨組みはパニエと呼ばれる。そのパニエが仕込まれたスカートを履かせられる。
 立ったまま、メイド長がニコレットの頬に化粧を始めた。ニコレットは、化粧も初めてで緊張してしまう。
 髪をメイド長がブラシで整え、髪飾りをつけていた。
 鏡に映る自分の姿は、不思議そのものだ。
「意味は分かってるわね?」
「分かっております」
 ダルゴーニュ伯爵主催のパーティーで、若い貴婦人の数は少ない。人数合わせでもするんだ、と勘違いしていた。
 旅回りする劇団一座の新人のように、目立たない場所で立っていよう。そう、意を決していた。
 客間をノックして、ロペールが部屋に足を踏み入れる。
「メイド長、今日の夕食の時は、コックを除いて全員休んでくれ」
 ロペールは、義姉に小遣いで話したいことがあり、人払いをしたかったのだ。メイド長は、ニコレットとの交わりを、使用人たちに知られたくない、と勘違いしてしまう。
 ロペールが立ち去った。
 ニコレットは客間で待機するよう、メイド長から指示を受けた。彼女は、人数合わせをする、と受け止めて、清々しい顔をしていた。
 夜、他のメイドが休みなら、ほかの日に休憩を一人で、楽しめるはずだからだ。
 ロペール、メイド長、ニコレット、それぞれが、これでもかと言うほど勘違いをしていた。(第1話、完。第2話へ続く)

【※フランスに『カナイド県』は存在しません。ダルゴーニュ伯爵は架空の人物です。第1話の登場人物は、実在の人物ではありません。また、当時、フランスのメイド服は、現在日本、メイド喫茶のようなデザインではありません。創作なのでお許しください】
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