モーニングコーヒーはぬるめで

慶野るちる

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本編

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 週明け月曜日。
「起立、礼」
 だるそうな日直の掛け声のあとにガラガラと椅子をしまう音が教室中に響く中。
 俺は名前を呼ばれる前に、樫木の立つ教壇へ鞄を持って近寄った。
「よしよし、いい心がけだ、荷物小僧」
 どんなネーミングだよと思いながらも教卓に置かれた樫木の私物の筆入れやら出席簿、数冊の教材を手に取る。
「あれ? 多田どうしたの。先生の奴隷になっちゃって」
 背中から声を掛けたのはクラス委員長の桜野。面倒見のいいニコニコ美人だけどどこか掴みどころのない奴。
「俺、先生に弱み握られちゃってさー」
 冗談でもなく本当のことだ。
「わ、そりゃ大変だ。そういう時は握り返すといいよ」
 ニコニコのまま、結構恐ろしいことを言うんだよな。二年になって初めてしゃべった奴だけど、あんまり敵に回したくないと思わせる何かがある。や、邪悪とまでは言わないんだけども。
「そりゃいいや、そうするわ。ありがと桜野」
「お前らな、そういうのは俺に聞こえないように話せよ」
 樫木が苦笑いしている。俺が弱み握るより、桜野に頼んだ方が早いかもしれない。
「はーい、じゃあね多田、バイバイ」
 桜野はやっぱりニコニコして俺に手を振って教室を出て行った。
「じゃ、戻るか。多田、社会科準備室まで頼むな」
「……はい」
 一週間の我慢だ、仕方ない。部活をしているわけではないから放課後は暇と言えば暇だ。今日にしてもこの後に急ぐ何かがあるわけでもない。
 階段の横にポツンとある社会科準備室。職員室からは離れていて一年生の教室に近い場所にある。
 樫木はポケットから鍵を取り出してドアを開けた。
「俺一人だから遠慮なくどうぞ」
「失礼します」
 教材がびっしり詰まっている背の高いスチール棚に同じくスチール製の事務机、端の長机に電気ポットとお茶セットらしきものが置いてある。準備室というだけあって、基本は物置だ。だから狭い。
「長机の上に荷物置いて壁のパイプ椅子出して座って。茶出すから」
 正直、樫木と二人しかいない場所に長居はしたくなかった。規則違反を咎められた上に石井さんとのことも知られていて。無邪気に話なんてできない。
「いいですよ、気を遣っていただかなくても。罰ですし、もう戻りますから」
 樫木は開けかけていたインスタントコーヒーの蓋を閉めて。
「お前、マッチングアプリ、開かなかっただろうな?」
 またその話か。俺ってそんなに誰かとやりたくて堪らない顔をしてるのか。
「先生は色情狂だと思ってるんですかね。どう思おうが先生の勝手ですけど、普通にそれなりの性欲ですよ、俺」
 石井さんだって俺から誘ったわけじゃないんだし。
「そうだろうな。北見にそんなに当てつけたいか」
 は? 何言ってんだ。
「それとも北見を忘れたいのか?」
 樫木はコーヒーの瓶を置いて俺に一歩近寄った。
「何の話ですか」
 なんだよ、北見北見って。
「なんでそんな話になるんですかね。石井さんとの話ならわかりますが、急に北見の名前が出てくるっておかしいでしょ」
 北見とは一年の時同じクラスで相部屋で、二年では違うクラスになって部屋も変わった。二年続けて同じ部屋になることはない。
「お前は北見が好きなんだろ? だけどあいつは彼女持ちだった」
 ……。
 こいつは一体なんなんだ。なんで北見の彼女の話まで知ってるんだよ。
「北見はすごくいい奴で俺は好きですよ、それが何か?」
 一年間同じ部屋で寝起きを共にして、どれだけ出来た奴か多分俺が一番よく知ってる。みんなから好かれる、気取ったところがない好青年だ。そりゃ彼女ぐらいいるだろう。
「二年になって、北見と部屋もクラスも別れてほっとしてるだろ、お前」
「先生は俺に何を言わせたいんですかね」
「振られて辛いって縋って欲しいんだわ。お前の素顔が見たいわけ」
 冗談きつい。なんであんたに。
 ここまでずっと樫木は真顔で。ふざけてる様子は一ミリもない。
「誰もいないところでは辛そうな顔をしてるくせに、みんながいるところじゃさっきの桜野の時みたいに飄々としてるだろ」
 苦しんでる生徒を解放した気になって聖職者マインドが満たされるってわけか。勝手にマスかいてろ。
「そんな知ったようなことを言わないでください。一年の時の担任でもないのに」
 いつ見てたって言うんだよ。適当なことを言うな。
「俺は普通の顔をした普通の傷ついた子が大好きで、見つけては観察してんだよ。授業担当でもあったし。お前の場合、身体もすでに傷モノだけどな。一生囲っておきたくなる」
 聖職者撤回。変態の部類だな。
 しかし普通普通って。そりゃ普通だと俺自身もわかってるし、モデルやらアイドルやらになれるような顔じゃない。どこにでもいる高校生だ。
「で構いすぎて束縛しすぎて逃げられるパターンなんだよな……俺重いんだわ」
 俺は一体何の話を聞かされてるんだ。樫木の趣味の話なんか聞きたいとも思わない。
「そうですか。じゃあ俺帰りますね」
 床に置いていた鞄を掴み上げる。
「まてまて、話は終わってない」
「終わってるでしょ、先生の性癖聞いて終わりましたよ?」
「石井に戻るわけないよな? でも北見には振られた。辛さを紛らすために外へ相手を探しに行くぐらいなら俺にしとけ。俺はウエルカムだぞ」
 は? 何言ってんだ。
 正確には振られたわけじゃない。北見には何も言っていないのだ。彼女がいると聞いた時点で、俺の中で終わったというだけだ。
「自分で何言ってるか、わかってます?」
「わかってるとも。お前の言う後腐れのない外のおっさんの代わりに俺が抱いてやるって言ってる」
 石井さんよりタチ悪いだろ。教師の倫理観はないのか。俺はがっつりあんたの教え子だぞ。現役の。樫木の口から一言も出てきてないがセフレってことだぞ。
「お前をどこの馬の骨とも知れないキモオヤジに触れさせるなんて、教師として、寮で預かる親代わりとして、そんな危ないことさせられるか」
 それ、理屈通ってるか? その理由で俺を抱くとか言うのかよ。
 しかも。
 樫木と俺は十離れてるだろ。どうなんだその年の差は。外のおっさん、って呟いたあれが効いてるのか、もしかして。俺おっさん趣味だと思われてんのか。だから自分もやれると思ってんのか。それに親って程の歳でもないだろうに。
 ……当てつけなんかじゃない。あいつにそんなことするか。
 北見を性の対象として好きだった。樫木の指摘は間違ってない。本人には結局何も言えなかったが。
 忘れたいわけじゃないがそれに近いのかもしれない。北見への想いを消し去りたい。友人として隣にいることは許されるだろうから、そうであれるように、俺はなりたいのだ。
 人間として北見はやっぱり好きだから。桜野のように派手ででもなんでもない、地味と言ってもいいかもしれないが、足が地についてる、そばにいてほっとする奴なのだ。
 だから俺の邪な性欲を別の奴で発散したかった。
 はっきりとそうしたいと思ったのは石井さんに声を掛けられた時。それでも樫木の指摘通りしんどいままで。まだ足りないのだと思う。
 石井さんの代わりが樫木にできるのかどうか知らないが、いちいち外に行って探すよりは楽ではある。樫木は俺に外で面倒な問題を起こされるのは嫌なのだろう。まあ誰だって嫌だよな、受け持ちの生徒がしかも援交めいたことで問題起こしたら。学校側だって、伝統校で進学校でございと長年看板を掲げてるのに、俺を退学にしたとしてもダメージはでかい。石井さんの代わりを学校で探すのは懲り懲りだしな……。
 樫木が消去法で浮上するわけだが、教師で担任で、なんて笑うしかない。ありえない。
 断ればずっとこのまま絡まれ続けるのか? それもな……セックスの相手を探しに行かないとかマッチングアプリは使わない、とか言ったってどうも俺は信用されてないみたいだしな。要は受け入れるってことにして樫木と何もしなきゃいいわけだろ。その間に相手を……ってどうやって見つけんだよ。石井さんにもう一度……いや、それはないか。あの人疲れてんだろうな。
 まあいいや。とりあえず今ここを乗り切るのが先だ。
「じゃあ、先生にしときますんで、今日は帰ります」
 言ったぞ、これで満足だろ。
 俺は踵を返した。
「多田、お前は嘘は吐かないよな?」
「今のところは吐いてませんよ」
 背中に投げかけられた言葉にほんの少し躊躇して返す。
「明日も荷物持ち、頼むな」
「了解です」
 右手を軽く上げて俺は社会科準備室を出た。
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