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「アレが全部悪霊化したことが分かった。これで、街に悪魔と増えれば死魔に馬鹿にされるどこじゃすまないんだよね。国の方から何かしらの勧告がくるかも」
「社会人って大変だな」
悪霊を退治して民を守る霊媒師つうから、もっとヒーローのように賛美される存在を想像していた。しかし、現実は社畜みたいだ。
「頑張っているのにな」
「上は結果しか見ないからね」
悪霊退治を経験している勇樹としては数字だけで評価されることに不満であった。
「でもまぁ、その分対価貰えるから。今回の報告書出してね」
「え……? マジ」
「うん。学生だけどここに所属するって登録したじゃん? 報告書が受理されたら入金あるよ」
 今回の依頼をこなす前、そんな書類を書いたのを思い出した。
金が入るのは嬉しかったが、報告書を作ることにゲンナリした。庵の身体になってから真面目に授業をうけているが生前は殆ど喧嘩にあけくれていた。警察の世話になった数は手の指では数えきれなかった。
「えー、書けねぇ」
「君はさ。霊媒師としてここに住んでいるからやらないと追い出されるよ?」
「そんな条件だったけ?」
「そんな契約」
実家を追い出された日に宿が決まり、スムーズにことが運んだことを不思議に思ってはいた。登録って言われたままにやっただけで、辞書のように分厚い霊媒師約款に目を通してはいない。あの時はどこかで自分の身体じゃないからいいやと言う思いがあったことは確かだ。安易に考えていた自分が悪いと諦めて報告書の作成を承諾した。
「悪霊なんだけど、私が一度捕まえているから痕跡は追えたんだよね。でも結構な量なんだよね」
「それで疲れているんだ」
「まぁね」
そう言って、人差し指を向けるとおでこをつつかれた。その瞬間、頭の中に地図が広がった。悪霊のいる場所のその大まかな特性が分かった。
「なにこれ? 行けってこと」
「うん。夏休みでしょ。働いて」
以前、退治した悪霊を思い出して気が進まなかった。すぐに返答をせずに想から視線をそらして下を見た。いつもと変わらない床がそこにあった。想は困ったような顔をした。
「実践はキツイ?」
「いや」勇樹は口ごもった。「悪霊って人間だったんだなって。改めて思った。センセイの悪霊は血もでないし。なんか……」
「それは、私の境域で戦ったからだよ。初心者モード。いきなりアレだと霊媒師いなくなちゃうじゃん。それじゃなくても途中脱落者多いのに」
「途中脱落者」
「そ、途中脱落者」
 想はにこにこと話すが怖い言葉だった。それはきっと退職以外の意味もある。支給額を見た時絶対やばい仕事だと思った。
「悪霊を追えばお父さんに会えるかもよ?」
「別に親父に会いたいわけじゃねぇけど……」
「多分、君の身体はお父さんが持っているよ」
その言葉に勢いよく顔を上げた。すると、勇樹がくいついたことにニヤリと想は口角を上げて長い足を組んだ。
「なんで?」
「彼が封霊甕を奪ったのは君が亡くなった翌年なんだよ。君が亡くなったことで人が変わったように落ち込んでね」
「そうなんだ」
意外だった。対して世話もしない息子が死んだことなんて気にしていないと思っていた。
「葬式も誰も呼ばずに、彼と彼の母……君のお祖母さんと一緒に行った」
祖母が悲しんでくれるのは分かる。彼女と過ごし、警察に世話になった時も喧嘩で相手に大けがを負わせた時も謝罪して自分を守ってくれたのだ。その時は感じなかったが、今思えば彼女に愛されたいたことが分かる。
「ばあちゃんどうしてっかな」
急に懐かしくなり会いたくなった。今まで苦労かけた分、返さなくてはいけないと思った。
「うーん……。お祖母さんは君が亡くなってすぐにこの世を去っているよ」
「そうなんだ。なんで?」
 祖母の死のついては特に何も感じなかったが、なんとなく理由を聞いた。
「……」想は頬をかいて言いづらそうな顔をした。
「……?」
口ごもる想に勇樹は首を傾げた。年齢的なことを考えるといつ死んでも可笑しな話ではなかった。
「……君の御祖母さんは亡くなった」想の言葉を選ぶような口を開いた。「公式には事故死となっているが、悪霊に呪い殺された形跡がある」
「黒鉄雄路の仕業の可能性があるってことか」
父親が祖母を殺していても、彼への感情を特になかった。しかし、自分がここまで興味を持てない父親と言う存在に関心を持った。
「分かった。悪霊倒しながら親父の場所突き止める」
「見つけたらどうする?」
「……封霊甕の窃盗。霊体の悪霊化。一般人殺害容疑で現在逃走中である黒鉄雄路に下された判決は?」
「ハハハ」
大きな声で大げさに笑うと想が立ち上がった。勇樹より三十センチ以上高い彼に見下ろされると居心地の悪さを感じた。一通り笑った想は腰を曲げて、ぐっと顔を近付けてきた。
「怖いの?」彼のまっすぐな瞳は全てを見透かしているようであった。「自分で決断するのがさ。まぁいいけど、誰かのせい、何かのせいにした方が楽だよね」
顔を離し、上から見下ろす想の顔は氷にように冷たかった。真夏なのに真冬のように体が震えた。彼の言っていることは正論だ。きっと今から進もうとしている道は生半可な気持ちでは進めないだろう。
勇樹は大きく息を吸い、ゆっくり吐き身体の震えを止めた。
「殺るよ」
「オッケー」今までの空気をぶち壊す明るい声で想は返事をしながら、どこらか紙を出してテーブルに置いた。勇樹が目をパチクリさせていると、想はその紙を人差し指で叩いた。
「なに?」
「正式な依頼書。前回の依頼は私の見習いとしてこなしたけど今回は君に直接うける。あー、単独じゃないよ」
勇樹はさっき想が座っていた椅子をテーブルの方に向けると、座り置かれた紙を確認した。そこには佐伯想、佐伯幻の名前もあった。
「名前書けばいいのか?」
「そう。依頼で死んだら事故死扱いになるから。あ、庵海斗の名前だよ?」
「そっか」書き始めようとして少し考え想の顔を見た。「いいのか?」
「うん。許可とった。つうか、彼はあまりその身体に未練がないみたいだね。まほちゃんが戻れって言ったから君の身体探すって感じだし」
「そっか」名前を書きながら、不死身である自分が死ぬのかと想に聞いてみた。彼は笑いながら明るく「分らない」と答えを返した。
「前も言ったけど、魂と肉体が別々の場合は前例がない」
「じゃ、センセイは?」
 勇樹が恐る恐る聞くと想はニコリと笑った。
「私? 死ぬよ」どこかに出かけるような軽い口調で想は言った。「そもそも不死身じゃない。身体が治るのは自然治癒力を速めているだけだから、限界が来たら治んないよ」
「げっ」思わずペンを止めると、書くように促された。書き終わると乱暴にペンを置いた。「マジ? 不死身じゃねぇの?」
「うん」想は勇樹の書いた書類を確認しながら軽く頷いた。
「なんでも、もっと早く言わないんだよ。俺、結構攻撃くらって回復しまくっているよ。マズイじゃない?」
「悪魔との契約だよ? そんな都合が言い訳ないじゃん。それとも」想は勇樹が名前を書いた紙を突きつけた。「死なないから依頼承諾したならおりていいよ。荷物まとめて出て行って構わないよ」
彼の本気の目に息を飲んだ。ここは学校ではない。自分本位の意見は通らないし、優しく面倒見てくれるわけではない。ふと、前回倒した悪霊を思い浮かべた。あの時回復能力がなければきっと死んでいた。
このまま、ここを出て普通の学生に戻るのが一番安全なのかもしれない。だけど、それじゃ何も解決しない。
――逃げるなんて俺じゃない。
「やるって」
「だよね」目を細めて想が笑うと場の空気が緩んだ。「まぁ、ここから逃げてもきっと君は追われる身になるんだけどね」
「へ?」
ここをやめたら平穏な生活が待っているかと思ったが、そうではないらしい。
「悪魔と契約した以上、上は黙ってないだろうね」
「上って国?」
「そう、国の組織。薄暮冥々って言ってね。その下に佐伯家がある霊媒師の家はいくつかあるからね」
「じゃ、霊媒師の家って全部国の監視下にあるんだな」
「う~ん。直接、薄暮冥々から支援を受けられるのは佐伯含めて四家かな。これらが国家機関とか上位家とか言われる。それ以外は下請けみたいなものかな。四家の仕事の手伝いをしてもらうんだよね」
「じゃ、今回も?」
想が強いことは分かっていたが、多くの悪霊と戦うのに三人では心細かった。しかし、その期待はあっけなく裏切られた。
「いや。佐伯の失敗だからね」
目が笑っていない笑顔ってこういうのを言うのだと思った。
「まぁ、そんなわけで悪魔と契約した一般人なんて危険人物を薄暮冥々がほっとくわけないだよね。四家から構成された暗殺部隊が向かうと思うよ」
「センセイも?」
「私? 依頼があればこなすよ」
そう言った想の目に瞬間背筋が凍った。血の通った人間とは思えないほど冷たかった。
「センセイ……?」
「うん」一瞬にしてその氷が融けると、彼はいつもの笑顔に戻った。「じゃ、私はこれから西に向かうからさ。ここ東地区はよろしく」
「一緒にじゃないのか?」
別々の場所になると聞いて一気に不安になった。この数か月間、稽古も実践もほとんど想と二人で行ってきた。
「不安? 大丈夫だよ。まほちゃんや庵君もいるでしょうが」
「そうだけど……」
「大丈夫。誰といても死ぬときは死ぬ」
想は持っていた紙をペラペラとふりながら、明日の準備をするように伝えて不安そうな顔をする勇樹を横目に部屋を出た。
長い廊下をしばらく歩くと、想は使用人を呼び止めて勇樹にサインしてもらった書類を渡した。使用人は頭を下げると両手で書類を受け取ると一枚の封書を手渡した。想はその差出人を見ると眉をひそめ乱暴に封を切った。内容を見ると小さく息を吐き頭に手をやると首を振った。使用人はそれを無表情で見ている。
「分かった」
想は短く答えると手紙を握りしめた霊力を込めた。すると、青い炎がつき手紙は灰となって散った。使用人はそれを確認すると頭を下げその場を去った。使用人の姿が見えなくなると、想はゆっくりと歩き始めた。その時背後から気配がしたため足をとめてゆっくりと振り返った。
「なにかな?」
「出発前の挨拶だよ。優しい妹はお兄様の見送りに来たんだよ」
風船のように庵のリードを持っている幻は穏やかに笑っていた。
「どーも」と想は一言いうと自室へ向かった。幻は楽しそうに身体を揺らしながら想の後を追った。首をひっぱられている庵は何も言わずに従っている。
「どこまでついて来るの?」想は部屋に入るとクローゼットを開けた。「着替えるだけど」
「何? 恥ずかしい?」
ニヤニヤと笑う幻の対応が面倒くさくなり、何も言わずに着替えを始めた。黒の長いピッタリとしたズボンに黒いパーカーを着た。
「なに、それー。暗殺部隊の仕事かよ」
「そうだよ」
「ほえ? 封霊甕から出た悪霊退治じゃないの?」
「その予定だったんだけど。西に黒鉄雄路がいるらしい。どうやら天魔と契約しているらしく上級クラスの暗殺部隊が召集された」
両手に黒い手袋をはめると、両手を見てぐっと握りしめた。
「上級って当主?」
「うん。けど花ヶ前の当主は東地区基地の統括だから次期当主が行くみたいだね」
想の言葉に、幻は眉をひそめリードを手繰り寄せると庵を後ろからぬいぐるみのように抱きしめた。それに庵は顔を赤くして、目をきょろきょろとさせた。彼女のそんな姿を見ていると彼を男としてではなく愛玩動物として可愛がっているだろうなと感じた。
「庵君はどう思う?」
「ふぇ、ぼ、僕?」
予想外に幻から話を振られて、庵はどもり更に目を素早く動かし唇を震わせた。彼の一般的で年齢相応の反応に想は笑いがこぼれた。
「だって、庵君のおじい様は花ケ前陽炎さんダヨネ」
「え?」
「うん?」
幻に抱かれている庵は意味が分からないようで首を傾げていたが、想は驚きすぎて言葉を失い固まった。
「だから、これだの霊力があるんだよ」
「そうか。当時は黒鉄勇樹のことばかり考えていたから。そんな報告があったことを失念していた」
確かに、考えてみれば庵の身体には相当の量の霊力があった。勇樹がそれを使いこなせていないだけであり、上手く扱えれば霊力切れをすることはまずない。
「あの色ボケじぃじ」
口もとに手をやり、想はため息をついた。花ケ前陽炎の女好きは有名で婚外子が大量にいる。花ケ前本家でも把握できないくらいの人数という話だ。
「そうそう、陽炎さんの大量の子どもの一人の子どもだよ。その陽炎さんの子どもは霊力皆無だったらしく見向きもされなかったんだ」
「それを良く見つけたね」
「私は鼻がいいからね」
嬉しそうに微笑む幻とは反対に庵は不安そうな顔をした。
「だ、だから?」庵は今にも泣きそうな顔をしていた。「だから、ぼ、僕といるの? 霊力があるから……?」
「はぁ? なに? 可愛い」
幻は庵を強く抱きしめると、涙がたまっている瞳に口を近付けるとペロリと舐めた。その瞬間庵は真っ赤になり沸騰したやかんのように煙をだした。
「それだけで、こんなに尽くすわけないでしょ」幻は嘗め回すように庵の顔に触れた。「可愛い顔も臆病な性格も全て好みなんだよ。霊力はあくまでも庵君を知るきっかけ、わかる?」
高校生とは思えないほどの色気を出され庵はひん死状態であった。それを見て想は庵に同情した。
彼女の執着心は異常だ。幼い頃、彼女が可愛がっていた犬が死んだことがあった。想は犬の埋葬業者に電話しようとした時、彼女はそれを泣いてとめ犬の死体を自室に持って行ってしまった。数日彼女は部屋に引きこもり一切出てこなくなった。使用人が様子を見に行っていたため、こそまで心配はしていなかった。ある日部屋をおとずれると、そこには剥製となった犬がいた。部屋には剥製に関する専門書や機材であふれていた。「兄さん」と笑顔を向ける幻は剥製を抱きしめていた。その剥製に霊体を捕まえる首輪がついており、犬の霊体が悲しそうな顔をして想を見ていた。後日、死魔に犬の霊体を連れていかれた時は激怒して剥製もろとも部屋が破壊された。それで使用人が何人も重症の怪我をして事件になった。それを隠蔽するため、当時の当主であった父と一緒に走り回ったのは懐かしい思い出だ。
「あの……。僕のおじいさんがすごい人って言うのは初めて知りました。だからって何かわかるわけじゃないのですが……。僕個人の意見でいいですか?」
気持ちが着いたらしく、怯えた表情をしながらも庵は口を開けた。それに想は微笑み頷いた。
「悪魔との契約って簡単にできませんよね?」
「……そうだね」
悪魔との契約準備を自分で行っていない想はその辺をはっきりと示すことができなかった。身体が弱く生まれた想は、当主である父が用意した悪魔と契約をして健康を手に入れたのだ。契約事態は一瞬であるが、悪魔を呼び出すと手段も期間も分からない。
「霊体になり悪魔を探さなくてはなりませんし……。しかも天魔様ですよね」
「よく知っているね」
庵の知識に想が素直に感心すると、幻がにやりと笑って得意げな顔をした。
「私の庵君はね。悪霊と話せるんだよ。だから、なんでも知っている」
「すごいけど……。なんでまほちゃんが偉そうなの?」
すると、幻は庵の頭をなぜて自分の頬にちかづけると彼に髪の匂いをかぎながら頬をすりつけた。
「庵君は私のなの。だから、彼の知識も私の知識だから。ねぇ庵君」
同意を求められると、庵は嬉しそうに頷いた。
「そう。佐伯さんの……」と庵が言いかけると幻に睨まれ「佐伯じゃないくて、幻」と強く訂正された。庵はビクリと身体を震わせると幻と言い直した。
「偉いね。庵君は佐伯ではなく幻のだよ」
楽しそうに微笑む幻に庵は何度も頷いていた。
―その原理でいくと、庵と呼ぶ意味は……。
庵の父が彼を捨ててからも彼の母親から一日何百という着信があった。勇樹にうるさいからとスマートフォンを預かったが、すぐにその着信が来なくなった。
それがすこし前の話だ。その件に関して何か情報が入ってくることはなかった。なさすぎたからあえて調べなかった。
幻の顔を見て、自分の行動が正解だったと確信した。佐伯に影響がなければお互い深く干渉しないのが家の決まりだ。
「それで、話続けてもらえる?」
「え、はい」庵は幻に構われて赤くなった顔を落ち着かせると真剣な顔をして想を見た。「天魔様の事はご存知だと思いますが、善行を妨げる悪魔です。そのため、死を集める死魔と違い決まった行動パターンや範囲がありません。霊体になって探したとしてもまず会うのが困難です」
「そうだね」
庵の言葉に納得しながら、自分が契約している五蘊魔をどこから連れてきたのかと思った。悪魔との契約は自分と契約するより他者と契約させる方がはるかに困難であった。
「天魔様を惹きつける何かがあったのだと思います」
「何かねぇ。そもそも、黒鉄雄路はいつ契約したんだろうね。薄暮冥々は、今契約が発覚したという言い方をしている。契約も最近であるような言い方なんだよね」
口を曲げて、想は頬をかくとつま先で床を軽く叩いた。
『面白いことになってきているな』
突然頭の中で瀬々笑う声が聞こえた。
『五蘊魔へイン様。楽しんで頂けて光栄です』
『天魔はなぁ、負けず嫌いなんだ。死魔は快楽主義だがな。我はお主とお主の父と契約することで二体の有能な魂を得る事が確約した。黒鉄雄路の霊力もお主ほどではないが質が良い魂だったがお主と契約したあたりから汚れた。天魔は汚れを好む』
『ありがとうございます』
丁寧に礼を言うと五蘊魔の気配が消えた。
「なに、悪魔?」
しばらく黙っていた想を見て幻は嬉しそうに聞いた。想は何が起こるか分からない悪魔のことをあまり幻に伝えたくなくて曖昧な返事をした。
すると。
「五蘊魔様ですか」
はっきりと言った庵に驚いた。
「僕は悪霊だけでなく、悪魔の声も聞こえます」
その瞬間、部屋の開いていた窓が大きな音をたて全て閉まった。電気がバチバチと何度も点滅して消えた。月の明かりが部屋の中を照らした。
イヤな予感をした。部屋中が五蘊魔の強い気配で包まれた。幻は立っていられないようで庵を抱きしめて座り込んでいる。それでも逃げることなく気を失わず庵を守ろうとしながら気配の一番強い中央を睨みつけているところは腐ったも霊媒師だ。
「我を呼んだか」
黒い靄が出てくると筒状になり、ローブに変わった。数センチ床から浮いているがそれを差し引いたとしても長身であり天井に頭がつきそうであった。横幅もあるが太っているわけではなくボディビルのような体型であった。
全身がローブで隠れているがそれでもガタイの良さは浮き彫りになっていた。
フードから黒髪がみえるが顔は隠れている。
想はなんとか穏便にお引き取り願うことを考えた。想は五蘊魔のモノであり、彼に逆らうことはできない。
幻は真っ青な顔をして今にも倒れそうだ。庵はそんな幻を心配しながら全身を震わせている。
「お主ではない」
想が話そうとすると一括された。その言葉で全身に響き動けなくなった。五蘊魔はゆっくりと宙を移動して、庵に近づいた。怯えていた彼は幻を守ろうと、彼女に何かつぶやくと腕からすり抜けると五蘊魔の前に出た。
「ぼ、僕が呼びました」
「うむ」
五蘊魔はローブをはためかせながら顎に手を当てて、じっくりと庵を見た。彼は恐怖と緊張で手が震えている。
「お主は我の声が聞こえるのか」
「……はい」
「この霊力。面白い。お主は我と契約せぬか?」
その時、窓が全部開いて強い風が入ってきた。その風で想の結っていて髪がほどけた。その髪と同じように風で激しく揺れ動くカーテンを見て五蘊魔は舌打ちをした。
「死魔。悪趣味な」
低い声でゆっくりと五蘊魔がつぶやくと、「アハハ」と笑い声が聞こえた。カーテンが更に大きく揺れるとのその中から黒いローブ姿の人物が現れた。五蘊魔とそっくりな恰好であるが彼よりも身長か低く細身である。五蘊魔が異常に大ききだけで彼が低いわけではない。想と変わらない。
死魔が出現すると開いていた窓はゆっくりとしまった。今まで、重かった空気も一気に軽くなり気持ちが楽になった。それが帰って君が悪かった。死魔が五蘊魔の圧を消し挑発しているようであった。
「ダメだって、その子は僕ちゃんと契約しているんだよ」
ゆっくりと揺れながら、死魔は空中を移動すると五蘊魔と庵に間に入った。すると死魔の顔が五蘊魔に近づき、小さくうなりながら五蘊魔は身体を下げた。
「正しくは黒鉄勇樹の魂とその魂が入っている庵海斗の身体だよ」
「黒鉄勇樹か。貴様、何を考えている」
五蘊魔は不愉快そうな声上げた。顔が見えないが全身に彼の感情がぶつかってきたため痛いほど不快感が分かった。
「いや、何も。別に」
全く動かない五蘊魔に対して、死魔は動かないと死んでしまうのかというほどふらふらとゆれて一か所にいない。まるで二人の重力が違うように感じられた。死魔の動きが大きいためちらちらの話す口元が見えた。
「何も考えずに天魔に喧嘩を売ったのか」
この言葉に想は引っ掛かった。
―なぜ勇樹と契約することが天魔に喧嘩売ることになる?
天魔と関係があるのは父の黒鉄雄路だ。彼が契約しているからと言って勇樹も契約に関わるわけではない。そもそも、勇樹が天魔と契約しているなら死魔との契約はできないはずである。それこそ、喧嘩を売るというのではなく宣戦布告であり、天魔に勝利して初めて契約が成立する。
死魔が契約できた所を見ると天魔が勇樹の権利を主張できるわけではないが、なにか関係ある。しかし、いくら考えても分からなかった。
「喧嘩っていうか、別にアイツの契約者じゃないじゃん」口をとんがらして強く主張するため唾が飛び、五蘊魔は袖で隠した手で口を抑えた。「大体、黒鉄勇樹から僕ちゃんに名前聞いてきたんだよね。だから答えて契約成立ちゃん」
「脅したのか」
「しないよ。大体、あの子契約って知らなくて僕ちゃんと戦うために名前きいたみたーい」死魔は腹を抱えてケラケラと笑っている。「武将かよ。マジ、ウケんね」
五蘊魔は全く動かず何も言わないがイラついているのが伝わってきた。彼のここまでわかりやすい感情を受けたのは初めてだ。そもそも、悪魔同士の対話を見たのも初めてであった。
「ウケぬ」
段々怒りを始めた。しかし、死魔の方が一切気にせずに笑っている。五蘊魔があまり死魔と会いたがらない理由が分かった気がした。低い声で唸りながら五蘊魔は庵を見た。彼はビクリと身体を震わせたが逃げる様子なく、幻の前に立ち五蘊魔を見返した。
それを見て、幻の一方的な思いでないことに安心した。
五蘊魔が黒い爪がある人差し指をローブから出すと庵に向けた。庵は怯えた顔をしたが、その場から動くことはなかった。
「ダーメだって。へインちゃん」
そう言いて、死魔は五蘊魔の手を叩き落した。
「うむ。名前を呼ぶ出ない」
手を竦めると五蘊魔が低い声で唸るように言った。それに、死魔はフンと言って手を組んで足を広げた。ローブから出た足は真っ白で爪は五蘊魔同様長くかったが赤い色をしていた。
「それは、君の行いが悪いからでしょ」
怒って暴れる死魔はまるで幼い子どものようであった。余りに大きく動くからローブから銀色の髪と赤い目が見えた。その姿に思わず見惚れてしまった。
「危害を加えようという訳ではない」
ため息をつきながら答える五蘊魔からは疲れを感じた。それを面白がっているように死魔は空中で胡坐をかき足首を持つと前かがみになった。
「この子の記憶読むのは危害ですー」完全に馬鹿にしているような口調であった。
「あー、分かった。分かった」
ローブから手を出すと上下に振った。完全に振り回されている五蘊魔を見るのが面白くなった。それは庵も同じようで、彼の顔には恐怖の色は消え口元が微かに震えている。それはまるで笑いたいのを堪えているようであった。
「では、お主が教えてくれ。そやつは我々をどこまで知っている」
「さぁ」
手を上げて軽く肩を竦めると、五蘊魔が停止した。その間数秒であったがえらく長い時間のように感じた。
「知らぬのか」
「うん。興味なし。あ、でも僕らとの契約規則は知っていたよ。だから、説明なしで契約できた」
「それはどういうことなんだ。貴様は誰と契約した」
「だから、さっき言ったじゃん。ちゃんと聞いててよ」胡坐をかいたまま身体を揺すり、人差し指を口のあたりに持っていった。「契約に承諾した黒鉄勇樹だよ。その時の身体が庵海斗だったから彼の身体も。魂は違うけど、勇ちゃんが身体使っているかぎり影響がないとはいえないかな」
「うむ。だから、庵海斗が非契約者だと思ったのか」五蘊魔はふらふらする死魔を視界から外して考え始めた。「では、黒鉄勇樹の身体にあるモノは魂に影響しないのか?」
ぶつぶつと独り言にように言う五蘊魔の言葉に答えずに、死魔は庵に方に近づいて行った。
「へ~。えらく男前になったね。女の子いるから僕らを怖がって逃げないの?」
庵は幻を庇うように立ち、何も言わずに死魔を見た。すると、彼はケラケラと笑ったので庵も安堵したような顔した。
その瞬間。
「何? 僕ちゃんから守れると思っているの?」空気が張り詰めた。
まさか。
想は慌てて、霊力で指を間にナイフ六本つくり投げた。しかし、そのナイフは死魔まで行かず空中で溶けるように消えた。圧倒的な差を感じ、緊張が走ったが死魔が笑いだしたので空気が和んだ。
「アハハ、じょーだんだって」
死魔は庵から離れると、胡坐をかいたまま身体を回転させて周囲をみた。「帰ろ」っとつぶやくと消えた。死魔がいなくなると嵐が去ったように静かになった。
残った五蘊魔はゆっくりと想の元へきた。そして姿を消すと声だけが頭に響いた。
『お主、出掛けるのだろう』
『はい』
『目的に連れて行ってやろう。だから黒鉄勇樹について話せ』
『承知しました』
想はほどけた長い髪を後ろでまとめお団子にすると、庵と幻の傍に行った。彼らは今おきた出来事が整理できないようでその場で固まっていた。
「大丈夫?」
声を掛けると、幻は慌てて立ち上がり顔を引きつりながら笑顔を作った。
「疲れたでしょ。私は出掛けるから、部屋に戻るといいよ」
「あ、うん」力なく幻は答えるとリード引いた。その先にいた庵はうつ伏せ状態で風船のように浮いている。髪で顔が隠れて見えないが相当疲れているのが伝わってきた。
幻と庵の気配が完全になくなったことを確認すると想はベッドに腰を掛けて膝に手を置いた。
『お待たせ致しました』と念じながら、五蘊魔の言葉に集中するためゆっくりと目を閉じた。
『うむ。黒鉄勇樹について聞きたい』
五蘊魔は前置きなしに聞いてきた。そこから、かなり重要な案件なんだと感じ想自身も彼について詳しく知りたかったが相手が五蘊魔であるため自分の感情は抑えた。
『奴が死んだのは二年前だ。なぜ今、奴がここにいる』
『よく、ご存知ですね』そう言って少し彼の言葉を待ったが返答が帰って来ない上に圧を感じた。五蘊魔相手に駆け引きをするものじゃないと思い口を開いた。
『妹の佐伯幻が、黒鉄勇樹の魂が入った庵海斗と庵海斗の魂を連れてきました』
『奴は自分の死因や死んでからの事は何か言っていたか』
五蘊魔は勇樹の死因を知っているような口ぶりであった。しかし、先ほどの質問から推測するに死んでから二年間の消息がおえていないのかと思った。もしかしたら輪廻に乗せず消滅させようとしたのかもしれない。勇樹に何らかの原因があり悪魔が消滅させた。
しかし、生きていた。
分からないことが多すぎて考えがまとまらなかった。
『覚えてないらしいです』
『奴は父である黒鉄雄路についてどこまで知っている』
黒鉄雄路と勇樹は親子以外に何か繋がりがあると確信した。
『死魔が封霊甕に入った霊体を悪霊化したのは黒鉄雄路だと勇樹に伝えていました』
その瞬間、五蘊魔の舌打ちが頭に響いた。彼の負の感情が強くなり頭痛がした。今日は彼の感情が良く見えた面白いと思った。
『他は』
段々言葉が荒れていった。いつも、人を見下したような話し方をするが今は余裕がないようである。
『私の知ってるかぎりでは、天魔契約していること佐伯にいたことは知りません』
『うむ。貴様が、去年封霊甕を奪ったことや黒鉄雄路が実母殺害を伝えていたな』
『彼が悪霊退治をするための必要な情報です』
それには納得したようで、五蘊魔は頷いた。死魔との話は知らないが勇樹との対話は聞いているようであり彼はどこまで自分を監視しているのかよくわからなかった。
『我は暇ではない。だから常に貴様を監視してはおらぬ。ただ、悪魔と接触した時は確認しておる』
伝えようとしないことが彼に流れていくことはないのに伝わっていたことに驚いた。
『……はい』
『お主のような小者の考えることなど手に取るようだ』
機嫌が良くなってようで、大きな笑い声が頭の中で響いた。彼が機嫌いいと体調や身体能力も向上するため歓迎すべきことだ。
『お主は黒鉄勇樹を殺したいか?』
『五蘊魔様の命であれば』
話の流れから、その命がくることは想定出来ていたが実際に言われると心臓を掴まれるような痛みを感じた。
『否。お主の気持ちを聞いておる』
『気持ち?』
五蘊魔と契約してから彼に何かを命じられたことはない。今回のように尋問されることもだ。彼は常に傍観者であり、“面白い”と言っては情報提供や助言をするだけであった。
『うむ。我が命で契約者に無理を強いると魂が濁る。濁った魂は自我を持たぬ人形となる。我が傍に置くにはつまらぬ。お主はお主のまま我が配下になれ』
『はい。では、私は彼を殺したくはないです。短期間ですが一緒に過ごし情があります』
素直な気持ちを言った。
『ならば、奴に近づかないことだ。黒鉄雄路のみ集中することだな』
彼の言葉が終わった瞬間、周囲が暗闇に包まれたがすぐ周りが確認できる状況になった。
気づくと赤い絨毯が敷かれた長い廊下に立っていた。天井は高く、豪華なつくりをしている。想はその場所を知っていた。
薄暮冥々の西地区基地だ。
その時、背後がヒールの音がした。想は足音でその主がわかり、ゆっくりと振り向くと挨拶をした。
「お久しぶりです。院(い)瀬見(せみ)明空(みよく)さん」
「あら、お早い到着ですわね」
四家の一家である院瀬見の当主。彼女の黒いスーツはエナメルのような質感でありダイビングスーツのように体にフィットしている。そのためスタイルの良さがはっきり分かった。高いヒールの靴を履くことで更に足が長く見え、身長は想と変わらないはずであるがヒールのため見下ろされる。
余り見下ろされることのない想からしたら新鮮であったが屈辱のような気持ちもあった。
「もしかして、送ってもらったのですか? 貴方の悪魔はお優しいですわね」
「電子機器が発展している時代に手紙という古風な連絡方法では集合時間に間に合いませんので」
「あら」明空はわざとらしく、微笑みなが声を上げた。「そうでしたわね。佐伯家は東にしか家がないのでしたわね。でしら、下位家にでも当主代理を依頼すればよいのではないでしょうか」
国家機関ではない家にそんな依頼をしたら、全て自分の手柄にして佐伯を蹴落としにくることは間違いない。実績だけのなりあがり歴史のない佐伯が霊媒師界隈で疎まれていることは承知している。
「私たち仲間ですもの」頬に手を当てた明空は見下すように目を細めて笑っている。「黒鉄雄路の件は力を合わせてお助けしますわ」
言いたいことだけを言い、挨拶もせずに明空は背を向けると去った。彼女が想に挨拶をしたことがないため、これは通常運転だ。今回は佐伯の失敗の尻ぬぐいということで機嫌が悪いようであった。
会議室に入った瞬間、異様な気配を感じた。その元凶は円卓に肘をついてダルそうな顔しているの少年だ。平気な顔をして強い霊幕発動している。
霊幕を普段着のように纏う彼に底知れぬ力に身体の芯から震えた。勇樹よりも若い花(はな)ケ前(けさき)陽(かげ)真(ま)を次期当主とする意味を全身で感じた。
「想さっさと座らんか。始まっている」キツイ声で想を呼びつけたのは久遠(くぜ)飛鳥(あす)馬(ま)。四家の一家、久遠家の当主だ。
「申し訳ございません。手紙をもらったのが本日でしたもので」
「うん?」想の言葉に飛鳥馬は首を傾げた。そして、明空を睨みつけると彼女はビクリとして床をみた。
「明空、私は連絡をお前に任せた。めーるとやらで届けるから大丈夫だと一週間前に言っていたな」
飛鳥馬に睨まれて、明空は「ごめんね」と舌を出しながら軽く誤った。それに、飛鳥馬はため息をつきしわくちゃな顔に更にしわを寄せた。
「すまないね。佐伯の坊」
「いえ。私は佐伯想ですよ」
座りながら呼び名を訂正すると、飛鳥馬の皺で半分隠れている目が鋭くひかった。
「そうかい。佐伯の当主様だったな。坊主が偉くなった」鼻を鳴らすと飛鳥馬は前のめりになり両手を組みテーブルに音立てて置いた。「じゃ、今回の解決策を教えて貰うか。院瀬見が天魔とつながっているという情報を持ってきてくれたんだ。みんなお前さんに協力的だよ」
まるで邪悪な魔女のようであった。明空も誘惑する魔女のようであるしここは化け物巣窟だ。
「その前に確認したいことがあります。院瀬見さんはなぜ黒鉄雄路が悪魔とつながっていると知っていたのでしょうか? またそれはいつ入った情報ですか?」
一気に明空に注目が集まった。ただ、陽真だけはテーブルに顔つけて寝始めた。
「……」考え込んでいるようで明空は口をへの字にまげて何も言わない。その間、数秒であったはずであるが想に長く感じられた。
明空は覚悟を決めたようで正面を見て深呼吸した。
「話すつもりだったからいいですけどね」明空は想を見てため息をついた。「情報提供者は私が契約している悪魔です」
その言葉に驚いたの想だけであった。飛鳥馬は知っているようであったが、陽真は熟睡していて話を聞いていない。
「黒鉄雄路が天魔と契約したのは十八年前。勘違いしないでくださいよ。私が知ったのは一週間前ですから」
人差し指を立てて、忠告した。
十八年前と言えば勇樹が生まれる前年でこの年に黒鉄雄路は想の父佐伯幻治の妹の娘と結婚している。幻治がいたく彼を気に入ていて進めたと想は記憶していた。
「その翌年に彼は佐伯家の人間との間に子どもを産んでいますよね。その子の名前が黒鉄勇樹です」
そこまで話すと横目で想を見た。その目はまるで知っておる情報を提供しろとでも言っているようだが想はその件に関してそれ以上の事は知らなかった。
「その時点で契約を佐伯は把握していません。そもそも、悪魔契約を知るすべはありません。分かるのは悪魔同士でしょう」
テーブルに肘をついて、手の上に顎を乗せると小さく息を吐いた。その態度が明空癇に障ったようで彼女は立ち上がると想を指さした。
「その時点で、貴方は契約しているのではないですの? 病弱であった貴方が学校に通い始めていますよね」
「流石多くの下位家を束ねているだけありますね。よく知っておられる」
そう言いながら想はゆっくりと周囲を見た。陽真は良く寝ているし、飛鳥馬は何もいうつもりはないようで、手をテーブルに置いた姿勢から動かない。ロボットなんじゃないかと思う。
「院瀬見さんもご存知と思いますが契約しても彼が人間の言いなりになることはありません。個性はありますが基本的に快楽主義で利己主義です。それなのに、なぜ院瀬見さんの悪魔は十八年もたって黒鉄雄路の悪魔契約を人間に伝えたのでしょうか」
「……貴方って本当に嫌なやつですわね」
口をへの字に曲げて、不満そうな顔しながら明空は乱暴に椅子に座ると足を組んだ。スラリと伸びた長い足は椅子の高さにあわずもてあましていた。
「黒鉄雄路の悪魔は自分の血を彼に渡したのですわ」
衝撃すぎて、言葉は耳に入ってきたが脳が理解するのに時間掛かった。それは飛鳥馬も同じようで皺の奥の目が鋭く光っている。
「これは悪魔の界隈で禁忌らしいですわ。以前、それをやった悪魔がいたらしいのです。普通の人間はその毒に耐えられないですけどね。たまに吸収でいる人もいるらしいのですわ」
明空は人差し指を立てて数えるように動かした。「例えば、強力な霊力を持っていたり魔力と相性の良い霊力を持っていたりですわね」
そこで指の動きを止めた明空は、その指を想にゆっくりと向けた。
「花ケ前も院瀬見も過去多くの人間が契約しましたもの相性は悪くないですわ。佐伯は悪魔から契約を持ち掛けられたそうですわね」
「私は関与していません」                                                 
嘘をついても仕方がないことであるため素直に言った。悪魔契約の詳細について父である佐伯幻治に何度も問いただしたが最後まで知ることはできなかった。死後、部屋中を探したが記録は一切なかった。
「そうですの」明空は残念そうに赤く紅を塗った口元に手をやるとまた足を組み替えた。「血を吸収することで人間が悪魔化するらしいですわ。悪魔は寿命ないのですが何かしらの要因で消滅はします。すると次の悪魔が生まれるので総数は変動しないらしいのですわ」
「血によって悪魔がふえると、起こる問題……」
今まで黙っていた飛鳥馬が口を開いた。その口調は何かを知っているようであり、今まで偉そうな態度を取っていた明空は膝をそろえて椅子を引き姿勢を正して飛鳥馬を見た。その態度はいつも見ても面白い。
「これは久遠の記録だ。知性を持った悪霊が現れたと記録がある。それが数体発見された。しかし、その数日後それを探しても発見できなかった」
同じ記録を佐伯の家でもみた気がした。
その時、背後で起き上がる気配がした。
「聖典制裁て、言うらしいスよ」
欠伸をしながら発言したのはずっと寝ていた陽真であった。首を動かしながらだるそう、また欠伸をした。
「おばさんの話、超退屈っスね」
「おばっ……」その言葉に明空は真っ赤な顔をしてわなわなと唇を震わせた。彼女の手は青い炎に包まれ「私はまだ若い」と怒りに任せてテーブルを叩いた。その力でテーブルにヒビが入った。
「あー、霊力でテーブル割り意味不っスね」
「明空」静かな声で飛鳥馬に呼ばれると、明空は不満そうに乱暴に椅子に座った。それを確認すると彼女は陽真の方を見た。「陽真君は何かしているのかい?」
「あー、悪魔って居て良い人数決まってんスよ。聖典制裁は数が増えたら神の使いっていうのかな?それが来て悪魔殲滅するっス。まぁ、悪魔は減ったら一定数は自動的に復活するから」
ヘラヘラと笑いながら陽真は話した。最初は彼の粗野な言葉にイラついていた明空もその内容に顔色を変えていた。
「神の使いって天使のことかい?」飛鳥馬は顎に手をあてた。「聞いた事ないねぇ」
「久遠ばぁちゃんが想像しているもんじゃないっスよ。多分。もっと自動的なもんで、一定数超えた瞬間、シュッって悪魔全部消えるんスよ」
「ばぁちゃんってこのガキ……」腹を立てる席を立つ明空を、飛鳥馬は睨みつけた。すると、ちいさな声で文句を言いながらしぶしぶ席に着いた。それを見て、陽真は彼女を指さして笑った。険悪な雰囲気になったのでしかなく、想は彼に優しく微笑んだ。
「君はよく知っていますね。素晴らしいです。どこでお知りになったのかお聞かせ下さい」
優しく褒めたことで、陽真は気分が良くなり少年らしい笑顔を見せた。
「悪霊や霊体に聞いたんだよ。彼らは話好きだよねぇ」
「お前、悪霊の声が……」そこまで明空がいうと、飛鳥馬は彼女の手のひらを向けて、皺の奥にある鋭い瞳を向けた。彼女は心底不満なようでテーブルを何度か叩き座っている椅子を揺らした。その様子に優越感を感じた陽真は上機嫌になり慣れ親しんだ人間に話すような口調になった。
「あのおばさんについているのは、煩悩魔なんだけど彼女が黒鉄勇樹を殺したんだよ」
話終わった後、わざとらしく陽真は明空を見た。彼女は諦めたらしく仏頂面をしながら話を聞いていた。絡んでこない事が面白くなかったのか、彼は鼻を鳴らして想の方に視線を移した。
「聖典制裁が起きる前にってことですよね。それなら、勇樹に血を与えた時点で殺せば良かったのではないですか?」
「やっぱり、お兄さんもそう思うよね」にこにこしながら陽真はテーブルの上に乗り想の傍まで来た。「悪魔ってね。すげー強いじゃん?」
両手を上に大きく上げて彼らの力を必死に表した。そんな陽真の姿が想の目には可愛らしく映った。
「そうですね」
「だから、個人主義なんだよ。お互いに会うことは殆どないし情報交換もしない」
彼の言っていることに思い当たるふしはいくつかあり想は頷いた。
「だから、黒鉄勇樹に悪魔の血が投与されたことを誰も気づかなかったんだ。そもそも、直接投与されたんじゃなくて、飲んだのは雄路だしね」
「ではなぜ気づいたのでしょうか」
「気になるよね」
もったいぶるように、ニヤリと笑った。大人の反応を楽しんでいるようであるため、それに乗ってあげることにした。
「ええ。教えてくださいますか?」
「じゃ、クイズにする」
陽真は足首を持つと身体を左右に揺らして楽しそうな顔をしている。どこかで、見たような光景であった。それがなんだかすぐに理解すると五蘊魔に共感し同情した。
「いいですよ。う~ん、黒鉄雄路の悪魔契約が十八年前ですと勇樹が母体にいるですよね」
「うんうん」頷きながら、期待に満ちた目で想を見た。
その時、忘れていた事実に気づいた。
「確か、母体は出産後亡くなっていますね。出産時の大量出血での死亡と記録されていましたが悪魔の血の影響ですね」
「いいね」
「悪魔の血に耐えられるのは雄路と勇樹だけであったとすると、勇樹が離れたことで母体に残った血の力に耐えられなかったですね。彼は生まれた時から血がありますから混ざって分からなかったでしょうか」
「そんなとこ」
彼の反応から正解に近づいていることは間違いないため、外さないように慎重に言葉を選び陽真の反応に全神経を集中させた。
「発覚したのが二年前。当時勇樹は十四歳……。いえ、もしかして殺されたのが十四歳であり発覚は十三歳でしょうか」
「マジ。お兄さんすごいね。十三は忌み数。その年齢から魔力が身体を包み始める。でも、その前の忌み数である六歳あたりから表面化してたんじゃないかな」
思い当たる勇樹の証言があったし、その件は自分でも調べている。彼が初めて友だちに暴行を加えたのが小学校に上がる前後だったはずだ。
「煩悩魔が黒鉄勇樹を殺したのとその理由おばさんも知っていたでしょ?」胡坐をかいたままクルリと明空の方に身体を向け彼女を見た後、後頭部に手を置きヘラヘラと笑った。「なのに、全然話そうとしないし。お兄さんのことを挑発してばかりでさ。頭悪いね」
「陽真君が賢いことは分かりましたが、院瀬見さんをあまり虐めないでください。様々な感情や事情があるのでしょう」
「お兄さんは大人だね」そう言いながら陽真は、今度は飛鳥馬の方を見た。「久遠のばぁさんはお兄さんに解決案出せって責任転換だよ。うんなの、黒鉄雄路見つけて殺せば終わりでしょ。人殺し案の発案者になりたくないからって」
「それはつまり」飛鳥馬はゆっくりと陽真を指さした。「花ケ前陽炎が発案と受け取ってよいのかい? お前さんはやつの代理なんだろう」
「あぁは年を取りたくないっスね。完全に老害スよね」
同意を求めるように陽真は想を見た。
「黒鉄雄路については確保して薄暮冥々の指示を仰ぎましょう。彼を殺して悪魔が出てきたら私の手には負えません。禁忌を犯す悪魔です話が通じないかもしれませんね」
その言葉に陽真は目を大きくしたが、すぐに笑顔になり何も言わなかった。すると、明空が険しい顔していた。
「まだ、大切な事を話してませんわ。私と契約した、かの方がなぜ今黒鉄雄路が契約者であることを伝えたかですわ」
嫌な予感がした。このまま、黒鉄雄路を処罰するという流れでいけると思ったのが甘かった。陽真は察しているようで「あーあ」という顔をしている。
「二年前殺したはずの黒鉄勇樹の霊体の気配があるらしいのですわ。肉体の抹消を行ったと同時に魂も消滅したと思ってたと、かの方はおっしゃてます。しかし、消滅したはずの黒鉄勇樹の霊体反応を感じたと言っていましたわ。なので、かの方はお調べにあらせられ西地区に黒鉄雄路がいることを発見されました。彼の傍に黒鉄勇樹がいるのでしょう」そこで、言葉を止めてチラリと想を見た。「貴方は先日、東地区で黒鉄雄路の痕跡をみつけたのですわよね」
相変わらず、彼女は想には強い態度を見せる。
「そうですね。それは以前報告書を上げた通りです。同行した庵海斗からも報告書が上がっていると思います」
「貴方に追われていることを気づいてそこを捨てたのでしょうね。もっと早く見つければ捕まえられたのに。新人なんて同行させる必要あったのでしょうかね」
黒鉄雄路の痕跡など過去に山ほど見ているため、あそこに向かう前はさほど重要視していなかった。勇樹の実践訓練程度に考えていた。しかし、大量の封霊甕があったことには驚いた。勇樹には“ハズレ”と言ったが大当たりであった。彼が悪霊を作っている確証を得ることができた。
「つまり、黒鉄勇樹の霊体が見つかないから見つけろって命令されたスか? で、その霊体が悪魔化していたら消滅させろとかスか?」
陽真は身体を揺らしながら自分の頭を乱暴にかいた。
「命令はされていないわ。ただ情報を下さってだけよ」
「まぁーそっスよね。悪魔が契約者の魂が濁るようなことはしないスよね」
彼の言葉に明空は苦い顔をした。陽真が口を開けば開くほど明空の機嫌は悪くなっていった。何も言わずの傍観者になっている飛鳥馬の手の打ちが分からず不安であった。彼女は一筋縄ではいかない。
「黒鉄雄路の場所が分かっているなら私が向かいます。そこで息子の霊体や死体を見つけたら報告致します」
「それは助かる。長距離移動は老体には辛いからな」と飛鳥馬は笑った。
「茶番スね。最初から全部お兄さんにまかせる気だったじゃないスか。久遠のばあちゃんは……」そこまで言って陽真は言葉を止めた。耳をかきながら気まずそうな顔で飛鳥馬を見た。彼女は何も言わずに陽真から視線を外さない。
奇妙な空気が流れた。
大きなため息をついて「諦めた」と言わんばかりの顔をした陽真は「行こうか」と想に声を掛けた。
「え……?」
「俺も一緒に行くよ」
彼の実力を目にしたことはないが、あの花ケ前当主が認めたのなら問題はないだろうが年齢について引っ掛かった。
「何? 子どもだから否定したいの?」彼の大きな瞳に想の顔が映った。それは全てを見透かされているようで居心地が悪く感じた。しかし、目をそらすのプライドが許さなかった。
「俺は代理だよ? 花ケ前当主である父、花ケ前陽炎から全てを一任されているんだよね。それとも、花ケ前と一緒では都合が悪いの?」
ニヤリと笑うその顔は、子供らしかぬ表情であった。どんなに幼くとも花ケ前なのだと実感した。
「いえ、私の態度で気分を害されたのあれば謝罪致します。どうかよろしくお願いいたします」
そう言って立ち上がると、陽真は嬉しそうに頷いた。
「オッケー」そう言うと、テーブルに両手をついて反動をつけるとバク転をして床に着地した。
想は飛鳥馬と明空に丁寧に挨拶をしたが、彼女たちは軽く頷くだけであった。陽真は二人の顔も見ずにスタスタと部屋を出て行った。彼の背中を見ながら想は扉に向かって足を進めた。
二人が出て行き、扉が閉まると明空は椅子に座りなおし不安そうな顔で飛鳥馬を見た。その姿は先ほどの居丈高な振る舞いは見る影もなかった。
「飛鳥馬さん……」
「何も心配することはない」飛鳥馬が優しく微笑んだ。それは、祖母が孫を見るような顔であった。
「やっぱり、私も探しに行った方が……」
立ち上がろうとする明空の手をそっと触れゆっくり左右に首を動かした。
「悪魔と契約した黒鉄雄路は危険なんだよ。もし奴らが失敗しても明空なら悪魔がいなくても大丈夫だよ。もう、何もできない子どもではない」
「……」明空は何も言わずに、眉を下げて飛鳥馬を見た。彼女の言葉が暖かく、いつも安心をくれた。
「院瀬見の当主は院瀬見明空だよ」
「はい」
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