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第1章 異世界に持ち込まれたマナー警察
6. 村で炸裂!マナー警察VSリディア
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翌日、俺はリディアと一緒に城外の小さな集落へ向かった。道はなだらかで、風がやさしい。けれど胸の奥は少しざわついている。昨夜の晩餐会――強く言い切った自分の声が、まだ耳の奥に残っている。
「顔がこわいぞ、講師」
歩きながら、リディアが横目で俺を見る。
「緊張してるだけです」
「またやらかすつもりじゃないよな」
「やらかしません。今日は“挨拶”だけ、整えます」
「だけ、ね。『だけ』が長いのがあんただろ」
「短く、分かりやすく」
「口では何とでも言える」
軽くあしらわれて、俺は苦笑いした。昨夜の強気は、確かに誰かを刺しかけた。けれど、あの少年の皿の骨が端に寄った時、給仕の子が笑った。あれは、良かった。
村の広場に着くと、子どもが十人ほど集まっていた。泥のついた靴、日焼けした頬、元気な目。村長らしき老人が腰を伸ばす。
「勇者隊の騎士さんが、礼を教えてくれるそうで」
「異界の講師、佐藤正樹です。今日は“挨拶”を一つだけ」
「一つだけ、だってよ」
リディアがわざと大きな声で言い、周りが笑う。俺は胸を張りすぎないように注意して、子どもたちの前にしゃがみ込んだ。目線を合わせる。
「まず、並び方を決めましょう。半歩ずつ間を空けて、肩の幅で立つ。ぶつからないように」
「はーい!」
元気な返事。だけど、列は蛇みたいに曲がっている。俺は一人ずつ肩に手を当て、少しずつ前後をずらした。動きは小さく、段階的に。
「よし。じゃあ“挨拶”。顔は相手に向ける。目線は眉と目の間くらい。声は腹から――」
「腹から?」
前列の男の子が目を丸くする。俺は胸の前で拳を握り、ゆっくり息を吐いた。
「おへその少し下に空気を入れて、ふうっと出す。『おはようございます!』」
「おはよー!」
元気だ。けれど、音がばらばらで、半分は空に消えた。
「うーん……もう一回。手は下腹の前で軽く組むと声が出やすい。背中を少し伸ばして――」
「おい、講師」
リディアが手を挙げて遮る。
「子ども相手に、いきなり腹式呼吸は難しい。『元気に言う』『相手を見る』で十分だ」
「理想は高く――」
「現実を見ろ」
「……はい。では二つに絞ります。『相手を見る』『元気に言う』」
「最初からそう言え」
子どもたちがくすくす笑っている。俺は照れ隠しに咳払いを一つ。
「じゃあ、三人ずつ順番に。向かい合って――」
「先生、手を振っていい?」
背の低い女の子が手をひらひらさせる。
「振ってもいい。でも、まずは言葉を先に」
「はいっ!」
三人が向かい合い、同時に一歩出た。
「おはようございます!」
声が重なる。俺の胸の内で、小さな火花が弾けた。合った。今のは合った。
「いいね。そのまま――」
その時だ。後ろからばたばたと足音。大柄の兵士が広場に入ってきて、木の桶をどさりと置いた。
「水を持ってこいと言われてな!」
桶の水が波打ち、子どもたちが歓声を上げる。兵士は得意げに腰に手を当て、ついでと言わんばかりに槍を肩に担ぎ直した。穂先がぶん、と空を切る。
「それ!!マナー違反ですよ!!!」
俺の声が先に出た。兵士がきょとんとする。
「え?」
「子どもたちがいる前で、刃や穂先を肩に担がない。休む時は垂直に。向けない。さっき言いました」
「……悪かったな」
兵士は槍を垂直に立て、頭を掻く。子どもたちの目が一斉に俺に向いた。胸がむず痒い。強く言いすぎたか。
「講師」
リディアが横から肩を軽く叩く。
「子ども相手の時は、まず水に礼だ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「礼は短く」
「ありがとう」
「よし」
小さなやり取りに、緊張の針が少し下がる。俺は子どもたちへ向き直り、両手で丸を作って見せた。
「今のは“危ないものは立てて休む”という話。覚えなくてもいい。今は“挨拶”に集中しよう」
「はーい!」
女の子が手を挙げた。
「目って、どこ見ればいいの?」
「眉と目の間くらい。じっとにらまない。見て、笑って、すぐ言う」
「笑って?」
「口の端を少しだけ上げてみよう」
「こう?」
「そう。――もう一回!」
「おはようございます!」
さっきより声がやさしい。広場の空気が少し明るくなった。村長がひげを撫でる。
「ほほう、顔だな。わしはいつも“眉間”ばかり見ておったわ」
「眉間だと、相手が身構えます。眉と目の間くらいが、ちょうどいいんです」
「覚えておこう」
そこへ、若い母親が赤子を抱いてやって来た。目の下に薄い隈。眠そうな顔だが、笑っている。
「すみません、遅くなって。上の子も混ぜていいですか」
「どうぞ。――それと、抱っこしている時の“挨拶”は、首を大きく動かさずに、目と声だけで十分です」
「そんなことまで」
「重たいですから」
「助かります」
母親がほっとして笑い、肩の力が少し抜けたのが見えた。俺の胸も温かくなる。こういう時、強く言い切るより、そっと置く方がいい。
「じゃあ最後、みんなで“ありがとう”の練習。水を運んでくれた兵士さんに」
「え、俺か?」
兵士が目を白黒させる。俺は頷いた。
「せーの」
「ありがとう!」
広場に声が響く。兵士が照れくさそうに後頭部を掻いた。
「お、おう。どういたしまして」
その言い方に、子どもたちが笑い、村長も笑い、リディアも笑った。俺は胸の奥の緊張がほどけていくのを、呼吸で確かめる。
「講師」
「はい」
「今日はいい。『相手を見る』『元気に言う』。それで十分だ」
「最初からそう言えばよかった」
「そうだ」
「けど、将来のために腹から声を出すのも――」
「ほら始まった」
「……“少しずつ”にします」
「そうしろ」
休憩の間、子どもたちは水を飲み、走り回り、すぐ戻ってくる。俺は広場の端で、汗を拭いながら空を見た。青い。風が気持ちいい。喉は乾いているのに、胸の内側は満たされている。
と、背後から低い声。
「おい、異界の講師」
振り返ると、ひげ面の商人が腕を組んで立っていた。荷馬車の脇には木箱が積まれている。
「お前さん、昨日の晩餐で偉そうに言ってたやつだろ」
「偉そうでは――」
「偉そうだった」
「……はい」
「子どもには優しいのに、大人には厳しいのか」
「状況によります」
「へえ。じゃあ俺にも一つ、商人の“挨拶”を教えてくれ。初対面の取引先に言う最初のひと言だ」
不意打ちに、心が一瞬固まる。けれど、すぐに整える。短く、分かりやすく。
「まずは名前。そして、相手の手間を減らす言葉。『今日の荷は三箱、帳面はここに。時間は取らせません』」
「おもしれえ。確かに手間は減る」
「次に、相手の顔を見て、一拍置いてから要件。早口は置いていきます」
「置いていく?」
「相手の思考を、です」
「なるほどな」
商人は鼻で笑い、肩をすくめた。
「言い方は偉そうだが、中身は悪くない」
「ありがとうございます」
「礼は短く、だろ」
「……ありがとう」
「よし」
そのやり取りを横で聞いていたリディアが、わざとらしくため息をつく。
「講師、今日は“ほぼ合格”だ。あと一歩で自慢しそうだったから、鼻をへし折っておいた」
「へし折らなくていい」
「さて、午後は村の巡回だ。ついて来い」
「はい」
俺は立ち上がり、腰の小袋を直し、リディアの後ろについた。子どもたちが手を振る。
「先生、また来てね!」
「また来る。――その時まで、相手を見て元気に言うんだぞ」
「はーい!」
背中に声が響く。足取りが軽い。けれど、心のどこかに小さな棘が残っている。さっきの「それ!!マナー違反ですよ!!!」。あれは、必要だった。危なかったから。けれど、あの兵士の顔に、一瞬だけ陰が差したのも見えた。
「講師」
歩きながら、リディアがぽつりと言う。
「今の“マナー違反”、私は良いと思う。危ない時は強く言え。……でも、毎回それだと、みんな疲れる」
「分かってる。強く言うのは“命と安全”。それ以外は“短く置く”。そう決めます」
「ならいい」
彼女は前を向いたまま、指を一本だけ立てる。
「一つだけ。さっきの子どもたち、顔が明るかった。あれはあんたのおかげだ」
足が止まりそうになる。胸の真ん中が熱くなる。俺はそれを隠すように、わざとらしく咳払いをした。
「ありがとうございます」
「礼は短く」
「ありがとう」
「よし」
村の端で、巡回の兵がこちらに手を振った。家の前では、母親が赤子を寝かしつけ、若い父親が桶を洗っている。昼の光が、いつもより静かに見えた。
――“押し付け”になっていないか。心の中で何度も問い直す。だが、広場の「ありがとう」の声と、子どもたちの笑いが、しつこい不安を少しずつ洗い流していく。
短く、分かりやすく。相手を見る。危ない時だけ強く言う。
そう決めて、俺はリディアの背中を追い、午後の巡回へ歩き出した。
「顔がこわいぞ、講師」
歩きながら、リディアが横目で俺を見る。
「緊張してるだけです」
「またやらかすつもりじゃないよな」
「やらかしません。今日は“挨拶”だけ、整えます」
「だけ、ね。『だけ』が長いのがあんただろ」
「短く、分かりやすく」
「口では何とでも言える」
軽くあしらわれて、俺は苦笑いした。昨夜の強気は、確かに誰かを刺しかけた。けれど、あの少年の皿の骨が端に寄った時、給仕の子が笑った。あれは、良かった。
村の広場に着くと、子どもが十人ほど集まっていた。泥のついた靴、日焼けした頬、元気な目。村長らしき老人が腰を伸ばす。
「勇者隊の騎士さんが、礼を教えてくれるそうで」
「異界の講師、佐藤正樹です。今日は“挨拶”を一つだけ」
「一つだけ、だってよ」
リディアがわざと大きな声で言い、周りが笑う。俺は胸を張りすぎないように注意して、子どもたちの前にしゃがみ込んだ。目線を合わせる。
「まず、並び方を決めましょう。半歩ずつ間を空けて、肩の幅で立つ。ぶつからないように」
「はーい!」
元気な返事。だけど、列は蛇みたいに曲がっている。俺は一人ずつ肩に手を当て、少しずつ前後をずらした。動きは小さく、段階的に。
「よし。じゃあ“挨拶”。顔は相手に向ける。目線は眉と目の間くらい。声は腹から――」
「腹から?」
前列の男の子が目を丸くする。俺は胸の前で拳を握り、ゆっくり息を吐いた。
「おへその少し下に空気を入れて、ふうっと出す。『おはようございます!』」
「おはよー!」
元気だ。けれど、音がばらばらで、半分は空に消えた。
「うーん……もう一回。手は下腹の前で軽く組むと声が出やすい。背中を少し伸ばして――」
「おい、講師」
リディアが手を挙げて遮る。
「子ども相手に、いきなり腹式呼吸は難しい。『元気に言う』『相手を見る』で十分だ」
「理想は高く――」
「現実を見ろ」
「……はい。では二つに絞ります。『相手を見る』『元気に言う』」
「最初からそう言え」
子どもたちがくすくす笑っている。俺は照れ隠しに咳払いを一つ。
「じゃあ、三人ずつ順番に。向かい合って――」
「先生、手を振っていい?」
背の低い女の子が手をひらひらさせる。
「振ってもいい。でも、まずは言葉を先に」
「はいっ!」
三人が向かい合い、同時に一歩出た。
「おはようございます!」
声が重なる。俺の胸の内で、小さな火花が弾けた。合った。今のは合った。
「いいね。そのまま――」
その時だ。後ろからばたばたと足音。大柄の兵士が広場に入ってきて、木の桶をどさりと置いた。
「水を持ってこいと言われてな!」
桶の水が波打ち、子どもたちが歓声を上げる。兵士は得意げに腰に手を当て、ついでと言わんばかりに槍を肩に担ぎ直した。穂先がぶん、と空を切る。
「それ!!マナー違反ですよ!!!」
俺の声が先に出た。兵士がきょとんとする。
「え?」
「子どもたちがいる前で、刃や穂先を肩に担がない。休む時は垂直に。向けない。さっき言いました」
「……悪かったな」
兵士は槍を垂直に立て、頭を掻く。子どもたちの目が一斉に俺に向いた。胸がむず痒い。強く言いすぎたか。
「講師」
リディアが横から肩を軽く叩く。
「子ども相手の時は、まず水に礼だ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「礼は短く」
「ありがとう」
「よし」
小さなやり取りに、緊張の針が少し下がる。俺は子どもたちへ向き直り、両手で丸を作って見せた。
「今のは“危ないものは立てて休む”という話。覚えなくてもいい。今は“挨拶”に集中しよう」
「はーい!」
女の子が手を挙げた。
「目って、どこ見ればいいの?」
「眉と目の間くらい。じっとにらまない。見て、笑って、すぐ言う」
「笑って?」
「口の端を少しだけ上げてみよう」
「こう?」
「そう。――もう一回!」
「おはようございます!」
さっきより声がやさしい。広場の空気が少し明るくなった。村長がひげを撫でる。
「ほほう、顔だな。わしはいつも“眉間”ばかり見ておったわ」
「眉間だと、相手が身構えます。眉と目の間くらいが、ちょうどいいんです」
「覚えておこう」
そこへ、若い母親が赤子を抱いてやって来た。目の下に薄い隈。眠そうな顔だが、笑っている。
「すみません、遅くなって。上の子も混ぜていいですか」
「どうぞ。――それと、抱っこしている時の“挨拶”は、首を大きく動かさずに、目と声だけで十分です」
「そんなことまで」
「重たいですから」
「助かります」
母親がほっとして笑い、肩の力が少し抜けたのが見えた。俺の胸も温かくなる。こういう時、強く言い切るより、そっと置く方がいい。
「じゃあ最後、みんなで“ありがとう”の練習。水を運んでくれた兵士さんに」
「え、俺か?」
兵士が目を白黒させる。俺は頷いた。
「せーの」
「ありがとう!」
広場に声が響く。兵士が照れくさそうに後頭部を掻いた。
「お、おう。どういたしまして」
その言い方に、子どもたちが笑い、村長も笑い、リディアも笑った。俺は胸の奥の緊張がほどけていくのを、呼吸で確かめる。
「講師」
「はい」
「今日はいい。『相手を見る』『元気に言う』。それで十分だ」
「最初からそう言えばよかった」
「そうだ」
「けど、将来のために腹から声を出すのも――」
「ほら始まった」
「……“少しずつ”にします」
「そうしろ」
休憩の間、子どもたちは水を飲み、走り回り、すぐ戻ってくる。俺は広場の端で、汗を拭いながら空を見た。青い。風が気持ちいい。喉は乾いているのに、胸の内側は満たされている。
と、背後から低い声。
「おい、異界の講師」
振り返ると、ひげ面の商人が腕を組んで立っていた。荷馬車の脇には木箱が積まれている。
「お前さん、昨日の晩餐で偉そうに言ってたやつだろ」
「偉そうでは――」
「偉そうだった」
「……はい」
「子どもには優しいのに、大人には厳しいのか」
「状況によります」
「へえ。じゃあ俺にも一つ、商人の“挨拶”を教えてくれ。初対面の取引先に言う最初のひと言だ」
不意打ちに、心が一瞬固まる。けれど、すぐに整える。短く、分かりやすく。
「まずは名前。そして、相手の手間を減らす言葉。『今日の荷は三箱、帳面はここに。時間は取らせません』」
「おもしれえ。確かに手間は減る」
「次に、相手の顔を見て、一拍置いてから要件。早口は置いていきます」
「置いていく?」
「相手の思考を、です」
「なるほどな」
商人は鼻で笑い、肩をすくめた。
「言い方は偉そうだが、中身は悪くない」
「ありがとうございます」
「礼は短く、だろ」
「……ありがとう」
「よし」
そのやり取りを横で聞いていたリディアが、わざとらしくため息をつく。
「講師、今日は“ほぼ合格”だ。あと一歩で自慢しそうだったから、鼻をへし折っておいた」
「へし折らなくていい」
「さて、午後は村の巡回だ。ついて来い」
「はい」
俺は立ち上がり、腰の小袋を直し、リディアの後ろについた。子どもたちが手を振る。
「先生、また来てね!」
「また来る。――その時まで、相手を見て元気に言うんだぞ」
「はーい!」
背中に声が響く。足取りが軽い。けれど、心のどこかに小さな棘が残っている。さっきの「それ!!マナー違反ですよ!!!」。あれは、必要だった。危なかったから。けれど、あの兵士の顔に、一瞬だけ陰が差したのも見えた。
「講師」
歩きながら、リディアがぽつりと言う。
「今の“マナー違反”、私は良いと思う。危ない時は強く言え。……でも、毎回それだと、みんな疲れる」
「分かってる。強く言うのは“命と安全”。それ以外は“短く置く”。そう決めます」
「ならいい」
彼女は前を向いたまま、指を一本だけ立てる。
「一つだけ。さっきの子どもたち、顔が明るかった。あれはあんたのおかげだ」
足が止まりそうになる。胸の真ん中が熱くなる。俺はそれを隠すように、わざとらしく咳払いをした。
「ありがとうございます」
「礼は短く」
「ありがとう」
「よし」
村の端で、巡回の兵がこちらに手を振った。家の前では、母親が赤子を寝かしつけ、若い父親が桶を洗っている。昼の光が、いつもより静かに見えた。
――“押し付け”になっていないか。心の中で何度も問い直す。だが、広場の「ありがとう」の声と、子どもたちの笑いが、しつこい不安を少しずつ洗い流していく。
短く、分かりやすく。相手を見る。危ない時だけ強く言う。
そう決めて、俺はリディアの背中を追い、午後の巡回へ歩き出した。
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