ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました

ならん

文字の大きさ
21 / 50
第2章 押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~

21. 勇者、疑念を抱く

しおりを挟む
 夕暮れの城壁は赤く染まり、土の匂いに鉄の味が混じっていた。討伐から戻った俺たちは、小さな会議室に集められた。木の机、粗末な椅子、壁にかけられた薄い地図。窓の外でカラスが鳴く。

 俺は背筋を伸ばして椅子に座り、手のひらを膝に重ねる。姿勢を整えるのは、心を整える儀式だ。——そう思いながらも、胸の奥はじわりと冷えていた。今日の訓練場での衝突が、まだ尾を引いている。

 先に口を開いたのはミラだった。「本題、手短に。私は儀式の準備に戻りたいの」

「準備は一日二十四時間ある」ガレスが欠伸を噛み殺す。「寝ることも儀式に入れとけ」

「入れてるわよ。睡眠儀式」

 軽口に笑いが起きる……はずだったが、今日は空気が湿っている。リディアは腕を組んで壁にもたれ、視線は床に落ちたまま。勇者カインは沈黙したまま地図を見つめ、指先で国境線をなぞっていた。

「——正樹」カインがようやく視線を上げ、俺の名を呼ぶ。その声は平板で、感情の気配が薄い。

「はい」

「今日の訓練、どう見た」

 喉が渇く。「……形を整える重要性は確かです。ただ、俺の指導が過ぎた。反省しています」

 カインは頷きもせず、問いを重ねる。「お前は、俺たちにとって必要か」

 机の木目が急に鮮やかになる。視界が狭まって、指の汗が冷たく感じられた。「必要です。式典、外交、戦場の連携——俺の役割は、皆の力を最大化すること」

「最大化、ね」ミラが鼻で笑う。「爆発の最大化は得意そう」

「ミラ」リディアが制した。だが彼女の声も弱い。

「俺は——」言葉を探す。「俺は、正しさで皆を守れると信じてきた。型は揺れない柱だ。乱戦の中で、柱があれば倒れない」

「柱は、持つ相手の腕力次第だ」ガレスが低く言う。「重すぎりゃ、逆に押し潰される」

 心臓に刺さる比喩だった。俺は拳を握り、胸の内のざわめきを押さえる。

「カイン」リディアが顔を上げる。「こいつ、悪いやつじゃない。やりすぎるけど、全部、皆のためだと思ってやってる」

 カインはリディアを見、それから俺を見た。その瞳は澄んでいて、残酷なほどに正直だ。「俺も、最初はそう思ってた」

 沈黙。壁の向こうで、夕風が窓を叩く。

「戦は近い」カインは言う。「儀礼も式典も、この先は減る。必要なのは、一瞬で判断し、一瞬で動ける仲間だ。お前の“正しさ”は、その一瞬を遅らせることがある」

「一瞬が命取り、ですか」

「そうだ」

 喉の奥が焼ける。「なら、俺はどうすればいい」

「黙ってろ」ミラが即答する。

「言い方!」リディアが肘でつつく。

「でも、正直、それが一番助かる」ガレスが肩をすくめる。「戦いの最中はな」

 俺は視線を落とした。黙る。講師が最も苦手とする処方箋だ。言葉で整えることを仕事にしてきた。言葉を奪われたら、俺は空っぽになる。

「……黙るだけで、本当に役に立てるのか」思わず漏れる。

 カインは首を横に振る。「黙るだけでは足りない。空気を読むこと。俺の合図だけ動くこと。仲間の目を見て、次に必要なことを推すこと——推し付けるんじゃない。押し支えるんだ」

 押し支える。聞き慣れない言葉が胸で転がる。俺はゆっくり息を吐いた。

「分かりました」口が勝手にそう言う。心はまだ追いついていない。押し付けではなく、押し支える。どんな角度だ、それは。どこに手を置けば、相手は前に進める。

「試用期間だ」カインが短く告げた。「次の遠征まで、お前は戦場で口を出さない。俺の『いまだ』だけ動け。それで改善しなければ、考える」

「考える、とは」

 カインは答えない。答えなくても分かる。胸の奥で細い氷が軋んだ。

「異議は?」

 ミラは「ない」と即答し、ガレスは頷いた。リディアだけが迷って、俺の顔を見てから小さく「……ない」と言った。その瞳の揺れが、逆に痛い。

「異議はありません」俺は背筋を伸ばした。形式は、俺の最後の盾だ。盾の裏で、手が汗で濡れる。

「よし」カインは席を立つ。「解散。各自、準備を」

 椅子が擦れる音。ミラはそそくさと出ていき、ガレスは腰を伸ばしてあくびをする。「腹減った。肉」

「炭水化物も取れ」リディアが呟く。二人は軽口を交わしながら出ていった。部屋に残ったのは、俺とカインだけになった。

「……カイン」

「なんだ」

「俺は、お前に認められたくて、ここにいるのかもしれない」自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。「王の前でも、貴族の前でもなく。お前に」

 カインは少しだけ目を見開いた。次に見せた笑みは、とても短い。「なら、俺の言葉を守れ」

「はい」

「リディアを見ろ」

 意外な名前に、瞬きをする。「リディア、を?」

「彼女は空気を読む。読むだけじゃない。空気の流れを先に作る。お前が真似すべきは角度じゃない。彼女の“間”だ」

 間。俺は息を止める。沈黙が数拍、部屋に置かれる。心臓の音が数えるリズムになる。

「……やってみるよ」自分の声がかすれていた。

 カインは頷き、扉に向かった。「期待してる」

 扉が閉まる。会議室に残ったのは、夕暮れの匂いと、言葉の余韻だけ。俺は椅子に座り直し、深く息を吸った。押し付けではなく押し支える。角度ではなく間。俺の知らない辞書が、目の前にぽんと置かれた気分だった。

 窓の外、石畳を歩く足音。リディアだろうか。俺は立ち上がり、扉へ向かう前に、机に手を置いて小さく一礼した。誰にも見えない三十度。——今度は、角度ではなく、タイミングを合わせるための礼だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極限効率の掃除屋 ――レベル15、物理だけで理を解体する――

銀雪 華音
ファンタジー
「レベル15か? ゴミだな」 世界は男を笑い、男は世界を「解体」した。 魔力も才能も持たず、万年レベル15で停滞する掃除屋、トワ。 彼が十年の歳月を費やして辿り着いたのは、魔法という神秘を物理現象へと引きずり下ろす、狂気的なまでの**『極限効率』**だった。 一万回の反復が生み出す、予備動作ゼロの打撃。 構造の隙間を分子レベルで突く、不可視の解体。 彼にとって、レベル100超えの魔物も、神の加護を受けた聖騎士も、ただの「非効率な肉の塊」に過ぎない。 「レベルは恩恵じゃない……。人類を飼い慣らすための『制限(リミッター)』だ」 暴かれる世界の嘘。動き出すシステムの簒奪者。 管理者が定めた数値(レベル)という鎖を、たった一振りのナイフで叩き切る。 これは、最弱の掃除屋が「論理」という名の剣で、世界の理(バグ)を修正する物語。気になる方は読んでみてください。 ※アルファポリスで先行で公開されます。

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します

桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

平凡なサラリーマンが異世界に行ったら魔術師になりました~科学者に投資したら異世界への扉が開発されたので、スローライフを満喫しようと思います~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
夏井カナタはどこにでもいるような平凡なサラリーマン。 そんな彼が資金援助した研究者が異世界に通じる装置=扉の開発に成功して、援助の見返りとして異世界に行けることになった。 カナタは準備のために会社を辞めて、異世界の言語を学んだりして準備を進める。 やがて、扉を通過して異世界に着いたカナタは魔術学校に興味をもって入学する。 魔術の適性があったカナタはエルフに弟子入りして、魔術師として成長を遂げる。 これは文化も風習も違う異世界で戦ったり、旅をしたりする男の物語。 エルフやドワーフが出てきたり、国同士の争いやモンスターとの戦いがあったりします。 第二章からシリアスな展開、やや残酷な描写が増えていきます。 旅と冒険、バトル、成長などの要素がメインです。 ノベルピア、カクヨム、小説家になろうにも掲載

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

処理中です...