ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました

ならん

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第4章 成長と魔族との出会い

50. 戻れる場所と、戻らない場所

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 集落の朝は、いつも通りに始まった。

 水を汲む音、木を割る乾いた響き、子供たちの甲高い笑い声。昨日までと変わらないはずの光景なのに、胸の奥にだけ、わずかなざらつきが残っていた。

(……リディアが来たから、か)

 彼女の「変わったな」という一言が、まだ耳の奥に引っかかっている。肯定とも否定ともつかない、けれど確かな境界線を引く言葉だった。

 俺は、広場の端で薪を整えながら、ぼんやりと空を見上げる。雲の流れはゆっくりで、急ぐ理由なんてどこにもないように見えた。

「人間」

 背後から声をかけられ、振り返る。

 腕を組んだ、見慣れた魔族が立っていた。最初に森で出会い、集落へ案内した、あの先頭の魔族だ。

「……何かありましたか」

「境界だ」

 短い一言。

「境界?」

「人間の気配がある」

 その瞬間、胸の奥がひくりと鳴った。

(……来た、か)

 予感は、ずっとあった。ここで穏やかな日々を過ごせば過ごすほど、いずれは人間側が動くと分かっていた。

「どのくらい近い」

「半日もあれば、ここに届く」

 集落の空気が、わずかに張りつめる。周囲の魔族たちも、その会話を聞き取り、視線を向けてきた。

 不安、警戒、そして――期待。

(……期待?)

 その感情に気づいて、胸がざわつく。

「正樹」

 年配の魔族が、低く声をかけてきた。

「人間は、お前を探しているのか」

「……分かりません。ただ、俺がここにいると知れば、放ってはおかないでしょう」

 嘘はなかった。

 俺は、人間側にとって扱いづらい存在になっている。魔族と共に過ごし、文化を否定せず、弔いで声を上げた人間。

(戻れ、って言われるだろうな)

 いや、戻れで済めばいい。

 最悪の場合――。

 考えが、そこまで及んだところで、強く首を振る。

「……俺は、どうすればいい」

 思わず、口に出ていた。

 その問いに、誰もすぐには答えなかった。

 沈黙が落ちる。

 以前なら、この沈黙に耐えられず、俺は何か言葉を足していた。責任を引き受けるふりをして、場をまとめようとしていた。

 だが、今は違う。

 答えを、待つ。

 先頭の魔族が、静かに言った。

「戻れる」

「……え?」

「人間の場所へ戻ることは、できる」

 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

「だが――」

 言葉が続く。

「戻ったあと、ここは戻れない」

 はっきりとした断定だった。

(……そうだろうな)

 頭では、分かっていた。

 俺は、魔族の文化を否定しなかった。声を上げ、輪に入り、助言し、悲しみを分け合った。

 それは、ここに足跡を残したということだ。

「逆も同じだ」

 別の魔族が続ける。

「ここに残れば、人間の場所へは戻れぬ」

 胸の奥で、二つの場所が並ぶ。

 整えられた秩序。
 正しさが言葉になっている世界。

 そして、

 叫び、笑い、沈黙し、寄り添う場所。

(……選べる、のか?)

 選択肢があるようで、もう片方は薄くなっている。

 俺は、ゆっくりと息を吐いた。

「……戻れる場所があるのは、ありがたいです」

 その言葉に、魔族たちは黙って頷いた。

「でも」

 言葉を続ける。

「戻らない場所が、はっきりしたのも……悪くない」

 自分でも、驚くほど落ち着いた声だった。

 誰かが、低く笑った。

「覚悟、というやつか」

「……まだ、そこまでは」

 正直に答える。

「ただ、選ばされる前に、分かっておきたかった」

 年配の魔族が、深く頷いた。

「それでいい」

「選ぶのは、追い詰められてからでは遅い」

 その言葉が、胸に残る。

 遠くで、見張りの角笛が鳴った。

 短く、鋭い音。

「来るぞ」

 空気が、一気に引き締まる。

 俺は、無意識に一歩前へ出ていた。

(……ああ)

 もう、分かっている。

 戻れる場所は、まだある。

 だが――。

 戻らない場所は、もう決めている。

 集落の中央で、魔族たちが武器を手に取り始める。その輪の中に、俺も自然と立っていた。

 誰も、俺に命令しない。
 誰も、離れろと言わない。

 それだけで、十分だった。

 空を見上げると、雲の流れが少しだけ速くなっていた。

(……来いよ)

 心の中で、そう呟く。

 選択は、もう始まっている。
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