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第三章 校則文芸部
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三
その日の放課後、私は驚くべきものを見た。高柳くんが部室で執筆をしていたのだ。原稿用紙に万年筆を走らせている。
「珍しいわね」
荷物を置き、私はワープロの前に腰を下ろす。挨拶もろくにしないのはいつものことだ。
「久しぶりに書く気が湧いたよ。君のおかげだ」
「私の?」
「そうだ」
顔も上げずに返事をする彼。読書をする時も、執筆をする時も、彼の姿勢は美しい。
「まさか本当にハウツー本を書く気じゃないでしょうね」
笑う気にもなれない。ワープロの電源を入れてフロッピーを差し込むと、私は私の執筆作業を始めた。
集中しているのだろう、もう彼は答えない。私はむっとした。
「今日も倉持くんとおしゃべりしてたみたいね」
一拍置いて、彼は顔を上げた。子供のような表情で目をしばたかせている。
「昼休みかい?」
「それ以外の時間もいちゃいちゃしてるの?」
「いや今日は昼休みだけだね」
冷静な声音で「ね」とつけられたのが妙に癪に障った。すると彼は続けて、
「声をかけてくれても良かったが」
と付け加える。今度は「が」が癇に障った。
「どうして私が貴方たちの問答に口を挟まないといけないの」
「いけなくはないよ。だが君の嫌いな話題ではなかったと思う」
「あらそう」
今度は私が黙る番だった。
少し間があって、彼は尋ねてくる。
「君は倉持くんとは知り合いなのかい」
「知らないわ」
「ときどき、君のことを聞かれる」
「そうなの」
キーボードのタイピングが乱れる。
私がその時思い出したのは倉持くんのことではなく、クラスメイトの藤枝さんのことだった。今にも彼女の声が聞こえてきそうだ。倉持くんとなに話してたの。なんでいつも話してるの。どうして話すの。あんたなんなの――。頭の中に響く声が、さらに神経を逆撫でする。イメージを振り払いたくて、私は思いついた言葉を口にしていた。
「人生は縮むのかしら」
さすがに奇妙に聞こえたようだ。彼は訝しげにこちらを見た。ワープロの画面を挟んで目線を合わせないようにしながら、私は続ける。
「読書だけであっという間に駆け抜けたいわ。いっそ……」
「人生を?」
問われたが、私は答えない。
「それは矛盾しているように思うよ」
彼の指摘はもっともだ。短時間でより多くの知識を得るのが私の望みである。それは人生の時間を惜しむことと同義だ。その私が、人生を早く終わらせたいと言うなんて。
「思うように読書もできない人生なら、一気に読み飛ばしてしまいたい。その程度の意味よ」
「ああそうか。難しいな」
私の(苦し紛れの)返答に、彼は納得したともそうでないとも取れる声をあげた。初めて目にする反応だ。
「最初、君が読書に費やす時間とは外的時間のことだと思っていたよ。でもそれは内的時間のことらしいね。そしてそれは外的時間とも一致している……」
本気で考え込んでいる。無茶苦茶いうなと一蹴してくれればいいのに、彼のせいで私はいつの間にか逃げ場を失っており、さらに出任せを吐かざるを得ない。
「難しくなんてないわ。私が望むのは時間を忘れることだもの。時間を惜しいと思わない充実した読書」
「だがそれは」
言いかける彼に、私は言葉を重ねる。
「それが叶えば、知識を得るのにどんなに時間がかかっても、自分にとってその読書の時間は最短だった――と言えるはずよね。読書で得る知識の量が多いか少ないかも、所要時間が長いか短いかも、しょせんは私が決めることだもの」
「なるほど。基準は君か」
納得したようだ。彼はまぶしそうな表情になり、顎に指を当ててゆっくりと俯いた。私との対話から抜け出し、思考の世界へ潜り込んでいる。
「書き直さないと」
そう呟くのが聞こえた。ふと気になり、私は尋ねる。
「貴方が書いてるその作品は、いつ読めるのかしら」
「今はまだ」
にべもない。
その日の放課後、私は驚くべきものを見た。高柳くんが部室で執筆をしていたのだ。原稿用紙に万年筆を走らせている。
「珍しいわね」
荷物を置き、私はワープロの前に腰を下ろす。挨拶もろくにしないのはいつものことだ。
「久しぶりに書く気が湧いたよ。君のおかげだ」
「私の?」
「そうだ」
顔も上げずに返事をする彼。読書をする時も、執筆をする時も、彼の姿勢は美しい。
「まさか本当にハウツー本を書く気じゃないでしょうね」
笑う気にもなれない。ワープロの電源を入れてフロッピーを差し込むと、私は私の執筆作業を始めた。
集中しているのだろう、もう彼は答えない。私はむっとした。
「今日も倉持くんとおしゃべりしてたみたいね」
一拍置いて、彼は顔を上げた。子供のような表情で目をしばたかせている。
「昼休みかい?」
「それ以外の時間もいちゃいちゃしてるの?」
「いや今日は昼休みだけだね」
冷静な声音で「ね」とつけられたのが妙に癪に障った。すると彼は続けて、
「声をかけてくれても良かったが」
と付け加える。今度は「が」が癇に障った。
「どうして私が貴方たちの問答に口を挟まないといけないの」
「いけなくはないよ。だが君の嫌いな話題ではなかったと思う」
「あらそう」
今度は私が黙る番だった。
少し間があって、彼は尋ねてくる。
「君は倉持くんとは知り合いなのかい」
「知らないわ」
「ときどき、君のことを聞かれる」
「そうなの」
キーボードのタイピングが乱れる。
私がその時思い出したのは倉持くんのことではなく、クラスメイトの藤枝さんのことだった。今にも彼女の声が聞こえてきそうだ。倉持くんとなに話してたの。なんでいつも話してるの。どうして話すの。あんたなんなの――。頭の中に響く声が、さらに神経を逆撫でする。イメージを振り払いたくて、私は思いついた言葉を口にしていた。
「人生は縮むのかしら」
さすがに奇妙に聞こえたようだ。彼は訝しげにこちらを見た。ワープロの画面を挟んで目線を合わせないようにしながら、私は続ける。
「読書だけであっという間に駆け抜けたいわ。いっそ……」
「人生を?」
問われたが、私は答えない。
「それは矛盾しているように思うよ」
彼の指摘はもっともだ。短時間でより多くの知識を得るのが私の望みである。それは人生の時間を惜しむことと同義だ。その私が、人生を早く終わらせたいと言うなんて。
「思うように読書もできない人生なら、一気に読み飛ばしてしまいたい。その程度の意味よ」
「ああそうか。難しいな」
私の(苦し紛れの)返答に、彼は納得したともそうでないとも取れる声をあげた。初めて目にする反応だ。
「最初、君が読書に費やす時間とは外的時間のことだと思っていたよ。でもそれは内的時間のことらしいね。そしてそれは外的時間とも一致している……」
本気で考え込んでいる。無茶苦茶いうなと一蹴してくれればいいのに、彼のせいで私はいつの間にか逃げ場を失っており、さらに出任せを吐かざるを得ない。
「難しくなんてないわ。私が望むのは時間を忘れることだもの。時間を惜しいと思わない充実した読書」
「だがそれは」
言いかける彼に、私は言葉を重ねる。
「それが叶えば、知識を得るのにどんなに時間がかかっても、自分にとってその読書の時間は最短だった――と言えるはずよね。読書で得る知識の量が多いか少ないかも、所要時間が長いか短いかも、しょせんは私が決めることだもの」
「なるほど。基準は君か」
納得したようだ。彼はまぶしそうな表情になり、顎に指を当ててゆっくりと俯いた。私との対話から抜け出し、思考の世界へ潜り込んでいる。
「書き直さないと」
そう呟くのが聞こえた。ふと気になり、私は尋ねる。
「貴方が書いてるその作品は、いつ読めるのかしら」
「今はまだ」
にべもない。
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