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商会立ち上げ編
第8話 サミエラは狙われる
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諸々の手続きがつつがなく終わり、サミエラは無事に海事ギルド員としての登録を完了し、父の商会と遺産を引き継ぐことができた。そして住まいに関しても、サミエラの安全のためにこのまま身の回りの荷物だけまとめてロッコの家に移ることにする。
ジャンがサミエラの家の売却手続きとサミエラの手元にはほとんど遺産が残っていないという噂を流すことを請け負ってくれたので、ほどなくすればサミエラを遺産目的で狙う者もいなくなるだろう。
……そう、噂が広まってしまえば。
交易所の二階にある商談部屋からサミエラとロッコが一階のロビーに降りてきたところで一人の男がサミエラに声をかける。
「おやおや、これはこれはゴールディ商会のご令嬢ではないですか」
肉付きのいい身体に豪華な紫の衣服をまとったいかにも羽振りの良さそうな30代半ばほどの商人風の男だ。
「……カサグラン商会の若旦那のダニエル様、ご無沙汰しております」
記憶を照合して、ワンピースの裾をつまんで当たり障りのない挨拶をする。そんなサミエラに対し、得意気な表情で胸を張るダニエル・カサグラン。
「ふふん。もう若旦那ではない。最近、どこぞの商会の商会長が死んで、持ち船が売りに出されたからうちの商会で買い取って、新たな商会を立ち上げることになったのだ。俺が商会長だ」
「……それは、おめでとうございます」
努めて感情を表に出さないように応じるサミエラに、ダニエルはふんと鼻で笑って続ける。
「船と共にそれまで雇われていた船長や航海士もそのまま雇ってやったんだ。連中はこれまでの得意先と顔が利くし、扱ってきた商品も熟知しているからな。俺は船と共に販路をそのまま手に入れたってわけだ。まったく、商人としての最大の財産をあっさり手離してくれた娘には感謝してもしきれないよ」
挑発的な物言いだが、サミエラとしてはさほど惜しいとは思っていない。どうせ、今までと同じ規模の商売を続けることなど出来っこないのだ。むしろ、ゴールディ商会から解雇された船乗りたちが路頭に迷わずに済んで良かったと思った。
「……うちで雇えなくなった者たちを引き受けてくれてありがとうございます。きっと亡き父も安心していることと思います」
わりと本心からの感謝を述べて微笑むサミエラに一瞬惚けたような表情を浮かべたダニエルだったが、気を取り直してなおも話を続ける。
「……フルート商船2隻と護衛のブリッグ1隻で10000ペソは実に良い買い物だった。普通に買おうと思ったら30000ペソはしただろう。いや、安く譲ってもらえて実にありがたいと思っている。……まあ安いと言っても10000ペソは大金だ。お嬢さんには10000ペソでも十分過ぎるのかもしれんが、俺としてはもう少しばかり感謝を形で示したいところだ」
「……チッ さんざん値切って買い叩いておいてどの口が言うか」
実際にゴールディ商会の商船の売却交渉にあたったロッコが忌々しげに言うが、ダニエルは気にした風もなく続ける。
「実際に船を見たら実に管理状態も良くて期待以上だったよロッコ君。まあ船の現金化を急がなければもっと高く売れただろうがね。……さて、ここで会ったのも一つの縁だ。サミエラ嬢、君は若く美しい。俺の愛人にしてあげようじゃないか。船を売って得た10000ペソなどちょっと贅沢すればすぐに尽きるだろう。だが、俺の愛人になればその金を元手にもっと増やしてやるし、これからも何不自由ない生活を保証してあげよう」
サミエラの顔を身体を舐めるように見ながらダニエルが好色な笑みを浮かべる。ああ、これが目的で声をかけてきたのね、とサミエラは納得した。サミエラ自身を、そしてサミエラの持つ資産も狙っているのだろう。
背後からロッコが今にも怒りを爆発させそうな様子が感じ取れたので、サミエラは密かに手の合図でロッコを抑え、ダニエルにニッコリと笑いかけた。
「まぁ、ダニエル様。それはとても魅力的なお誘いですわね。何不自由ないということは、アタシの借金も肩代わりしてくださる、ということなのよね?」
「あ? 借金だと? なんだそれは?」
怪訝な表情を浮かべるダニエルにサミエラが続ける。
「ええ。実は父は最後の航海に出るに当たってずいぶんと高額な商品を無理して揃えていたらしく、遺言に従ってロッコが処分してくれた資産だけでは支払いが足りず、今日はその返済の相談のためにこちらに来ていたのです」
「……そんな話は聞いてないぞ。いくらあるんだ?」
架空のサミエラの借金の額はすでにロッコとジャンと口裏を合わせてある。女一人のために肩代わりしようなんて気が決して起きないような金額だ。
「……実は、とりあえず現在で30000ペソほどありまして。持ち家を処分してその分も返済に回してもなお20000以上は借金が残りそうなのです。正直なところどう返済しようかと途方に暮れていたところでしたので、ダニエル様が肩代わりしてくださるなら渡りに船ですわ」
「な、さ、30000だと!? いったい何を扱ったらそんな馬鹿げた金額になるんだ!?」
あまりの金額に目を剥くダニエルに、サミエラが小首を傾げながら困ったように言う。
「アタシも詳しくは聞いていないのですけど、副王庁からの仕事で金貨の鋳造用に純金を集めていたようでして……物が物だけに信頼できるごく少数の者にしか知らせておらず、その金塊ごと沈んでしまったので仕入れのために借り入れた借金だけが残ってしまったのです。それで、持ち家は処分して、船と倉庫はロッコに引き受けてもらい、アタシ自身はロッコの元に身を寄せるということで今日はこちらで話し合いをしていたのですけど……」
サミエラがじっとダニエルを見つめると、ダニエルは焦った様子でサミエラの背後のロッコに目を向ける。
「嬢ちゃんの言う通りだぜ。さすがに30000ともなると商会の残った資産を全部売って、嬢ちゃんが娼館に身売りしても返せそうにねぇからよぉ、とりあえず家は売るが、船と倉庫は俺が引き受けて、うちの農園の砂糖を売ることでちっとずつでも返していこうって話になってんだ。幸い借金は海事ギルドからの融資だけだから毎月の定額返済で話がついたからよ。疑うなら副所長のジャン・バールにでも聞いてくれりゃいい」
ロッコもしれっとサミエラの話を肯定する。ダニエルは引きつった笑みでサミエラを見て言った。
「いや……その、た、助けてやりたいのは山々なのだが、俺もまだ商会を立ち上げたばかりでさほど資金に余裕はないのでな。申し訳ないが今の話は無かったことにしてくれ」
狙い通りのダニエルの手のひら返しに、サミエラは精一杯の悲しげな表情を浮かべて物わかりよく頷いた。
「ええ。どうぞお気になさらず。……もし、アタシがいよいよ返済が出来なくなって娼館に身売りすることになったら、せめてダニエル様がお得意様になってくださると嬉しいですわ」
「うっ……失礼する」
サミエラの最後の言葉に良心を抉られつつ、ダニエルが踵を返して交易所を出ていくのをサミエラとロッコは見送った。周囲に聞こえない小声でロッコが囁く。
「さすがにあの最後の一言はエグいだろ」
ロッコがコンッとサミエラの頭を小突く。サミエラは不敵に笑った。
「ふふ。まあ善人ではないけど、あれで良心の呵責を感じるならそこまで悪人でもないってことよね。少なくとも、これでアタシが商売に関わってもあえて邪魔まではしてこないんじゃないかしら」
「まったく末恐ろしい嬢ちゃんだな。だが、さしあたっての一番の障害になりそうなダニエルの野郎を牽制できたのは大きいな」
「あ、そうだわ。商会のエンブレムだけど、泣き女なんてどうかしら? 父の死を嘆きつつも健気さを示せると思うんだけど」
「バンシーか。偉人や英雄の死を嘆く妖精だな。面白いんじゃねぇか。いっそのこと今あるスループ船もバンシー号にして船首像もバンシーにしちまうか」
「いいわね、それ。あ、そうだせっかくだから船も見ておきたいのだけどご一緒してもらえる?」
「おう。いいぜ」
ジャンがサミエラの家の売却手続きとサミエラの手元にはほとんど遺産が残っていないという噂を流すことを請け負ってくれたので、ほどなくすればサミエラを遺産目的で狙う者もいなくなるだろう。
……そう、噂が広まってしまえば。
交易所の二階にある商談部屋からサミエラとロッコが一階のロビーに降りてきたところで一人の男がサミエラに声をかける。
「おやおや、これはこれはゴールディ商会のご令嬢ではないですか」
肉付きのいい身体に豪華な紫の衣服をまとったいかにも羽振りの良さそうな30代半ばほどの商人風の男だ。
「……カサグラン商会の若旦那のダニエル様、ご無沙汰しております」
記憶を照合して、ワンピースの裾をつまんで当たり障りのない挨拶をする。そんなサミエラに対し、得意気な表情で胸を張るダニエル・カサグラン。
「ふふん。もう若旦那ではない。最近、どこぞの商会の商会長が死んで、持ち船が売りに出されたからうちの商会で買い取って、新たな商会を立ち上げることになったのだ。俺が商会長だ」
「……それは、おめでとうございます」
努めて感情を表に出さないように応じるサミエラに、ダニエルはふんと鼻で笑って続ける。
「船と共にそれまで雇われていた船長や航海士もそのまま雇ってやったんだ。連中はこれまでの得意先と顔が利くし、扱ってきた商品も熟知しているからな。俺は船と共に販路をそのまま手に入れたってわけだ。まったく、商人としての最大の財産をあっさり手離してくれた娘には感謝してもしきれないよ」
挑発的な物言いだが、サミエラとしてはさほど惜しいとは思っていない。どうせ、今までと同じ規模の商売を続けることなど出来っこないのだ。むしろ、ゴールディ商会から解雇された船乗りたちが路頭に迷わずに済んで良かったと思った。
「……うちで雇えなくなった者たちを引き受けてくれてありがとうございます。きっと亡き父も安心していることと思います」
わりと本心からの感謝を述べて微笑むサミエラに一瞬惚けたような表情を浮かべたダニエルだったが、気を取り直してなおも話を続ける。
「……フルート商船2隻と護衛のブリッグ1隻で10000ペソは実に良い買い物だった。普通に買おうと思ったら30000ペソはしただろう。いや、安く譲ってもらえて実にありがたいと思っている。……まあ安いと言っても10000ペソは大金だ。お嬢さんには10000ペソでも十分過ぎるのかもしれんが、俺としてはもう少しばかり感謝を形で示したいところだ」
「……チッ さんざん値切って買い叩いておいてどの口が言うか」
実際にゴールディ商会の商船の売却交渉にあたったロッコが忌々しげに言うが、ダニエルは気にした風もなく続ける。
「実際に船を見たら実に管理状態も良くて期待以上だったよロッコ君。まあ船の現金化を急がなければもっと高く売れただろうがね。……さて、ここで会ったのも一つの縁だ。サミエラ嬢、君は若く美しい。俺の愛人にしてあげようじゃないか。船を売って得た10000ペソなどちょっと贅沢すればすぐに尽きるだろう。だが、俺の愛人になればその金を元手にもっと増やしてやるし、これからも何不自由ない生活を保証してあげよう」
サミエラの顔を身体を舐めるように見ながらダニエルが好色な笑みを浮かべる。ああ、これが目的で声をかけてきたのね、とサミエラは納得した。サミエラ自身を、そしてサミエラの持つ資産も狙っているのだろう。
背後からロッコが今にも怒りを爆発させそうな様子が感じ取れたので、サミエラは密かに手の合図でロッコを抑え、ダニエルにニッコリと笑いかけた。
「まぁ、ダニエル様。それはとても魅力的なお誘いですわね。何不自由ないということは、アタシの借金も肩代わりしてくださる、ということなのよね?」
「あ? 借金だと? なんだそれは?」
怪訝な表情を浮かべるダニエルにサミエラが続ける。
「ええ。実は父は最後の航海に出るに当たってずいぶんと高額な商品を無理して揃えていたらしく、遺言に従ってロッコが処分してくれた資産だけでは支払いが足りず、今日はその返済の相談のためにこちらに来ていたのです」
「……そんな話は聞いてないぞ。いくらあるんだ?」
架空のサミエラの借金の額はすでにロッコとジャンと口裏を合わせてある。女一人のために肩代わりしようなんて気が決して起きないような金額だ。
「……実は、とりあえず現在で30000ペソほどありまして。持ち家を処分してその分も返済に回してもなお20000以上は借金が残りそうなのです。正直なところどう返済しようかと途方に暮れていたところでしたので、ダニエル様が肩代わりしてくださるなら渡りに船ですわ」
「な、さ、30000だと!? いったい何を扱ったらそんな馬鹿げた金額になるんだ!?」
あまりの金額に目を剥くダニエルに、サミエラが小首を傾げながら困ったように言う。
「アタシも詳しくは聞いていないのですけど、副王庁からの仕事で金貨の鋳造用に純金を集めていたようでして……物が物だけに信頼できるごく少数の者にしか知らせておらず、その金塊ごと沈んでしまったので仕入れのために借り入れた借金だけが残ってしまったのです。それで、持ち家は処分して、船と倉庫はロッコに引き受けてもらい、アタシ自身はロッコの元に身を寄せるということで今日はこちらで話し合いをしていたのですけど……」
サミエラがじっとダニエルを見つめると、ダニエルは焦った様子でサミエラの背後のロッコに目を向ける。
「嬢ちゃんの言う通りだぜ。さすがに30000ともなると商会の残った資産を全部売って、嬢ちゃんが娼館に身売りしても返せそうにねぇからよぉ、とりあえず家は売るが、船と倉庫は俺が引き受けて、うちの農園の砂糖を売ることでちっとずつでも返していこうって話になってんだ。幸い借金は海事ギルドからの融資だけだから毎月の定額返済で話がついたからよ。疑うなら副所長のジャン・バールにでも聞いてくれりゃいい」
ロッコもしれっとサミエラの話を肯定する。ダニエルは引きつった笑みでサミエラを見て言った。
「いや……その、た、助けてやりたいのは山々なのだが、俺もまだ商会を立ち上げたばかりでさほど資金に余裕はないのでな。申し訳ないが今の話は無かったことにしてくれ」
狙い通りのダニエルの手のひら返しに、サミエラは精一杯の悲しげな表情を浮かべて物わかりよく頷いた。
「ええ。どうぞお気になさらず。……もし、アタシがいよいよ返済が出来なくなって娼館に身売りすることになったら、せめてダニエル様がお得意様になってくださると嬉しいですわ」
「うっ……失礼する」
サミエラの最後の言葉に良心を抉られつつ、ダニエルが踵を返して交易所を出ていくのをサミエラとロッコは見送った。周囲に聞こえない小声でロッコが囁く。
「さすがにあの最後の一言はエグいだろ」
ロッコがコンッとサミエラの頭を小突く。サミエラは不敵に笑った。
「ふふ。まあ善人ではないけど、あれで良心の呵責を感じるならそこまで悪人でもないってことよね。少なくとも、これでアタシが商売に関わってもあえて邪魔まではしてこないんじゃないかしら」
「まったく末恐ろしい嬢ちゃんだな。だが、さしあたっての一番の障害になりそうなダニエルの野郎を牽制できたのは大きいな」
「あ、そうだわ。商会のエンブレムだけど、泣き女なんてどうかしら? 父の死を嘆きつつも健気さを示せると思うんだけど」
「バンシーか。偉人や英雄の死を嘆く妖精だな。面白いんじゃねぇか。いっそのこと今あるスループ船もバンシー号にして船首像もバンシーにしちまうか」
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