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1.白いカラスと海の底のお茶会
しおりを挟む隣の部屋にその人が引っ越して来てもう半年になるのに、俺はまだ彼女と会ったことがなかった。そのうち会うだろうと思っていたが、俺と彼女は見事に生活時間が真逆だったらしく、俺が仕事から帰ってきた後の夜遅くに出ていく音が聞こえ、俺が起き出す頃に帰って来る。
半年間で彼女について知ったことは、名字と使っている自転車だけだ。
俺が出勤する時に見上げれば、隣の部屋はぴっちりと遮光カーテンが閉まっている。なんとなく、それを確認するのが朝の日課になってしまったのが、彼女が俺に及ぼしたささやかな影響だった。
その休日は、目覚ましの設定を変え忘れていたのでいつもの時間に起きてしまった。顔を洗い、寝間着から着替えたところで休みだと気付く。
ちょっと損した気持ちになったが、ふと思い立ってコーヒーのマグカップを片手に屋上に上がる。
手すりに手をかけ、群青から浅葱色に変わりゆく空に取り残された星を、眠ったままの静かな街を順番に眺める。
「……?」
ふと気配を感じて下を見ると、頭からパーカーのフードをすっぽり被った女性が朝日の中、自転車を押しながらアパートの敷地に入って来るところだった。
……そういや、今日は帰って来た音を聞いてなかったな。
なんとなく彼女の様子を覗っていると、彼女は自転車の横にしゃがみこんでなにやら奮闘している様子だった。
ああそういうことか。と納得して部屋に戻り、工具箱を取って下に下りる。
そして、チェーンの外れた自転車を直そうと頑張っている彼女に声をかけた。
「よかったら手伝うよ?」
「えっ?」
振り向いた彼女の顔を初めて見て息を呑んだ。
白人よりも白い乳白色の肌。赤紫の瞳。フードからこぼれる限りなく薄い色の銀髪。
それはあまりにも現実離れした外見。彼女は生まれながらにメラニン色素を持たない遺伝子疾患、先天性白皮症いわゆるアルビノだったのだ。
彼女がくすりと笑う。
「驚きましたか? 私、白いカラスなんです」
◻️◻️◻️
「私、白いカラスなんです」
私の外見に驚きを隠せないでいる彼にそう言うと、彼は納得した様子で頷いた。
「そっか。……だから君は夜に仕事してるんだな」
「……っ!」
正直驚いた。まず「白いカラスって?」と、聞き返してくると思っていた。彼の答えは私のアルビノという先天性遺伝子疾患への理解、つまり私の肌が紫外線に極めて弱いことへの理解があることを意味していて、ちょっと彼に対して興味が湧いた。
ちなみに白いカラスというのはアルビノの黒人男性が主人公のアメリカの映画のタイトルだ。
「……意外。知ってるんですね。アルビノのこと」
白いカラスなんてかなりマニアックな映画なのに。
「うん。小学生の頃、そういう友だちがいたんだ」
「納得」
「ならこの朝の日差しの中で作業するのは辛いだろ。俺がやってやるから君は陰にいるといい」
「あ、ありがとうございます。正直助かります」
彼の親切な申し出に甘えて、自転車置き場の屋根の下から彼の作業を見守る。自転車の修理なんてやったことがなかったから正直困っていた。この時間では自転車屋さんも開いてないし。
彼は帰宅途中でチェーンが外れてしまった私の自転車をいとも簡単に直してくれた。こんなにすぐ直せるものなのね。
「はい、おっけ」
「本当にありがとうございました」
「いいさ。俺もちょうど今日は休みだったしね」
彼と一緒に三階の自分の部屋に戻ってきて、今まで面識のなかった隣室の住人が彼であることが判明する。彼とは生活サイクルが真逆なのは分かっているから、この機会を逃したら次に会えるのがいつになるかわからない。だからちょっとだけ勇気を振り絞る。
「あの、お時間があるならちょっとお茶でもご一緒しませんか?」
ドアノブに手を掛けていた彼が振り向く。
「……いいけど、どこか喫茶店でも行く?」
「いや、その、この日差しの中で出かけるのは厳しいので、よかったら私の部屋で」
彼があからさまに呆れた顔をする。
「……君さ、俺が悪い人だったらどうすんの? 若い女性が見知らぬ男を部屋に上げるとか、警戒心なさすぎじゃない?」
「えーでも、あなたは困ってる私をわざわざ助けに来てくれるいい人だから、酷いことなんてしないでしょ? 悪い人ならこんな風にわざわざ注意してくれたりしないと思うし、それに……」
私が引っ越してきてほどなくして、隣の彼の部屋からの生活音がほとんどしなくなった。きっと私が夜勤であると知ってなるべく音を出さないように気遣ってくれたのだ。
そう。彼が見知らぬ隣人にも気遣ってくれる優しい人だと、私はすでに知っている。直接会うのは初めてだけど、以前から親しみを感じていて、どんな人なのかもっと知りたいと思っていた。
「それに?」
「……いえ、なんでもないです。とにかく、せっかく縁あってお隣になれたあなたと知り合いになれたのだから、この機会にあなたのことをもっと知りたいです」
ちょっと驚いた様子の彼は、ふっと微笑んで小さく頷いた。
「おっけ。じゃあ、会社で貰ったお菓子があるからそれ持って15分後ぐらいにお邪魔してもいいかな?」
「はい。お待ちしています」
急いで普段着に着替え、ケトルを火にかけ、リビングを片付ける。テーブルに出しっぱなしの書きかけの報告書、ボールペン、空のマグカップ。
ケトルのお湯が沸いたちょうどその時、彼がやってきたのでリビングに通す。
群青の遮光カーテンが閉まったリビングのコーディネートイメージは海の底。壁紙は下から上に向かって群青から薄い水色にグラデーションしていて、間接照明で照らした天井は明るい水面。壁にはラッセンの絵を飾り、小物類も貝殻やヒトデなどの海の物が多い。
この部屋に人を招くのは初めてなのでちょっとドキドキしながら彼の反応を見守る。
「へぇ、海の底みたいだ」
彼の反応に嬉しくなる。
「海の底でのお茶会なんてちょっと素敵でしょ?」
【作者コメント】
全6話の連作ショートストーリーです。よかったら🌟登録して更新チェックしてくださいませ。
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