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隋身(薩長同盟を成した影の男)
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随身 (薩長同盟を成した影の男)
私は是非とも天下の青年がこれらの事蹟(薩長同盟の意)感憤して国家のために有用の人間になって貰いたいことを渇望する。
これは、土佐藩上士でありながら土佐勤皇党に入党し激動の幕末を高名な坂本龍馬や中岡慎太郎らと活躍し、維新後は政府の要人となり伯爵の爵位を得た土方久元(楠左衛門)が龍馬・慎太郎の五十周忌の祭典において講演した時の檄文である。
明治維新の立役たる薩長の重臣たち、その起爆剤となった薩長同盟。そのために奔走した若き志士たち。その中でも維新の主人公となった坂本龍馬、同志中岡慎太郎らは郷士という低い身分ながら、その足跡の大きさゆえ、多大な脚光を浴び偉人として人々に知られている。しかし、この大事業は彼らだけで成し得たものではない。彼らの相談役として、三条実美とのパイプ役として、そして賢明な策士として彼らと同等、いやそれ以上の功績があったのが土方久元その人であった。事実、攘夷派公家の実力者である三条公の存在なしには一介の郷士が西郷や大久保や小松ら薩摩藩の首脳、木戸や高杉らの長州藩の先駆者と会談することなどできなかったであろう。西郷、木戸らは三条公が政変で長州三田尻および肥前大宰府に落ち延びた折に頻繁に謁見しており土方にも面識があり、龍馬や慎太郎にも会っている。特に慎太郎はその博学さや行動力を評価され衛士というよりも諜報員として三条公の朝廷復帰のために活躍している。
つまり、龍馬や慎太郎らの下級武士が大名や公家および雄藩の実力者と面談できた背景には、三条実美公のご威光によるものがあり
、そこには三条公の信頼厚き隋身であり、彼らの同志あるいは兄貴分としての土方久元の存在があってこそ実現したのである。そして
、その背景には武市瑞山の遺志「尊皇攘夷」「理想国家」が脈々と受け継がれ、その根底を流れていたのである。
一、 八月十八日の変
土方久元は土佐藩士の家に生まれたいわゆる上士であった。郷士の家に生まれ、上士との差別によって生じた憤懣を原動力として幕末を疾風のごとく走り抜けた武市半平太、坂本龍馬らとは根本的に違っていた。しかし、人智に富み、学識に優れた好漢であり、人徳もあり藩重臣の人望も厚く、龍馬ら土佐勤皇党の志士たちも慕われる男であった。
その頃の土佐藩は藩全体で尊皇攘夷を掲げており、藩命によって多くの志士を京や江戸へ遊学させていた。武市率いる土佐勤皇党も藩主の庇護の元、京などで数多く活躍しており朝廷内でも生き生きと闊歩していた。
やがて若き久元も藩命にて江戸へ遊学し、大橋納庵という儒学者から多いに尊皇攘夷論を学び、上士でありながらも志を持って土佐勤皇党に賛同し、武市瑞山ら勤皇の志士たちと日夜語り合う日々を送っていた。
その後文久三年、再び藩命により今度は京都の学習院御用掛の藩命をいただき、朝廷において尊王攘夷派の頭目であり学習院の総裁であった三条実美の隋身として側近し、また謁見を請う攘夷派の長州藩の俊英たちとの交流し、一層尊王攘夷の実現を目指す志士へと生長していった。
学習院とは公家専属の教育機関であり、御用掛とは朝廷への建白書や陳情を受け付けたり上申する施設であった。現在で言えば宮内庁および教育委員会総務課であろう。かの高名な高杉晋作・久坂玄瑞らもかつては長州藩から学習院へ赴任していた。
三条公は母親が土佐山内家から輿入れされており、兄嫁も山内容堂の妹ということもあり、土佐藩士特に聡明な武市瑞山、土方久元や俊英な中岡慎太郎らを信頼し庇護していた
ので朝廷において土佐勤皇党の志士たちは他藩の優秀な若き志士たちと大いに交流し、より尊皇攘夷への造詣を深めていった。実際、武市半平太や坂本龍馬ら下級武士が三条公の庇護無しに、公家や他藩重臣と頻繁に交流することなど到底考えられない時代である。
土方久元は同じく上士出身の土佐勤皇党の同志間崎鉄馬とともに藩命にて三条公に仕え
朝廷内で多忙な日々を過ごしていた。
この文久三年は尊王攘夷派にとって、雪辱的な事件が起きた年でもあった。
外様雄藩の薩摩は先進的尊皇攘夷派だった故島津斉彬の施政の元、目覚しく発展していた
。斉彬は下級武士でも見所のある者を次々と登用したので西郷吉之助ら若手の実力のある藩士が数多く育っていた。彼らの下級武士ながら志厚く忠誠心が強い集団が後の精忠組となり藩の実働部隊となっていくのである。
しかし斉彬が急逝した後、弟の島津久光が自分の子である幼い島津茂久を新藩主として立て、自らその後見となり国父として実権を握ってからは精忠組の中心者であり斉彬に忠誠心が高かった西郷とあらゆる面で意見が合わずとことん疎外した。そして、その結果として藩命に背き行動する西郷を島流ししてしまった。精神的支柱を失った藩内は混乱してしまい、困惑した国父久光は代わりに人望のあった小松帯刀を家老に据え、西郷の盟友であった大久保一蔵、吉井幸輔ら穏健慎重派を登用し、その結果として精忠組らの精鋭集団を掌握していた。つまり、幕府への保身ゆえ邪魔で過激な攘夷尊皇派を押さえ込み、佐幕藩へと変わり始めていた。
しかし、精忠組内でも西郷を慕う藩士らと国父を藩主として従順する藩士らの間で意志の疎通が図れず、罪人となった西郷を慕う藩士らの憤懣が溜まり今や爆発寸前であった。そういう状況の中、薩摩藩を揺るがす事となる悲劇が起きてしまった。
会津藩ら佐幕派に牛耳られていた朝廷から攘夷急進派の鎮静命令を受けた国父島津久光は
、取り込んだ精忠組藩士を尊皇攘夷を目指す長州藩士や土佐藩士らと決起のために寺田屋に集結し会合していた薩摩藩攘夷派の精忠組の藩士を急襲させたのである。つまり薩摩藩士が薩摩藩士を襲い同士討ちをさせてしまったのである。これは大久保らの陳謝により遠島を許され一時復帰していた西郷が幕府の言いなりであった国父久光の藩政に馴染めず藩命に応じず国父の怒りを買い、再び島流しされて薩摩に不在だったことも影響していた。この時西郷が過激派藩士を説得していればこの悲劇は回避できたのかもしれない。
この襲撃によって長州、土佐の尊皇攘夷派の志士と共に幼少期を西郷らと過ごした薩摩藩士も多く殺されてしまったのであった。この悲劇によって長州は薩摩に対して強い憤りを持つようになっていった。
そのころ京都でも攘夷派志士と佐幕派がいたる所で衝突し、長州藩士や武市らによる天誅と称する佐幕派の暗殺・粛清事件が多発しており、一方、薩摩・会津ら佐幕派による攘夷派弾圧が新撰組らによって行われていた。時代の本流は公武一体派による佐幕へと着実に流れが変わりつつあった。そしてこれを期に、長州を中心とした尊皇攘夷派は反徳川の倒幕派へと変わりつつあった。
朝廷内でも同じで、それまでは三条実美を中心とした尊王攘夷派の公家が実権を握り天皇の側近公家としてかなりの影響力をもっていたが、幕府や薩摩藩の後押しを受けた公武一体派の公家が勢力を増しており、混沌としていた。
そんな中でも、攘夷急進派は盛り返そうと徳川幕府に圧力をかけ、将軍家茂に対して攘夷決行の約束をさせていた。事実、孝明天皇はそれまでは攘夷派公家の影響を受け尊皇攘夷の考えを持っていた。そこで勢いに乗りたい攘夷の旗頭である長州藩は久坂玄端ら優秀な人材をそれまで以上に朝廷で精力的に動かせて、その勢力拡大・地位挽回を図っていた。そして幕府に対して押し付けていた攘夷決行日に長州藩は攘夷を国中に示さんがために、なんと下関にてアメリカ商船を砲撃してしまった。しかし、長州にとって攘夷のために起こした聖戦であったこの攻撃も現実として近代兵器を装備した欧米連合軍の反撃により完膚なきまでに打ちのめされてしまうものとなってしまった。長州はこの戦争によって、改めて外国との軍事力の差を痛感させられることとなった。外国船の攻撃により戦意を失った長州藩は、それまでの勢いを失い、窮地に追い込まれていった。また、その聖戦において頼りにしていた隣藩からの応援も無く、幕府からも阻害され孤立化した長州藩は朝廷内においても厳しい状況に追い込まれていた。
その窮地を救うべく久坂ら朝廷の攘夷急進派は天皇による攘夷親征の軍議を各地の主要神社で行い、意気高揚を図ろうと画策したのである。つまり、天皇の攘夷という意思を利用してなんとか長州の窮地を救おうとしたのである。そして八月の朝議において、長州の圧力により朝廷は応戦要請に非協力的だった小倉藩等を処罰した。しかし、その処罰に対し公武一体派はその処分が長州の画策であり幕府の意向ではないということを理由に鳥取藩らを使い、強く反発させたのである。
その頃の孝明天皇の意思は攘夷ではあったが
、本来なら攘夷は幕府や諸藩が行うべきではないかという考えに変わりつつあり、急激に走り始めた攘夷急進派に対していささか不満を感じ始めていた。そして、攘夷急進派への対応についてかつて攘夷派であった薩摩藩に相談したのだが、薩摩藩は生麦事件から噴出した不平等条約による賠償問題によって勃発した薩英戦争後の被害が大きく、どうしても応対できる首脳がおらず、天皇への返答を先送りしていた。同時期、薩摩もまた大国英国と戦ったのである。薩摩藩も外国の軍事力を身を持って感じていた。そして今の幕府では外国には対抗できないと考え始めていた。
そうこうしている間に朝廷内の攘夷急進派は八月十三日に朝廷を動かし天皇による攘夷親征を合議させるための大和行幸(ヤマトギョウコウ)の詔を強引に発し、朝廷を利用して幕府に対してより優位に立とうとしたのである。
しかし、八月十五日、それが実際は天皇にとって本意ではなく天皇を京より外部に出すことが危険であることを察した会津・薩摩を中心とした公武一体派が強引に中川宮親王を担ぎ出し、攘夷急進派を一掃するクーデターを起こしたのである。つまり、武力によって朝廷内の攘夷派を制圧したのであった。これは見事成功し、三条実美ら公家の尊皇攘夷派は失脚してしまった。会津・薩摩ら公武一体派はこの期を逃さず、孝明天皇から中川宮親王に勅命を下していただき、急進派が画策した大和行幸を延期し、それと同時に長州藩を朝廷護衛の任を解き、京都から退去させることに成功した。これにより朝廷警護の重責を担っていた長州藩主らは都から追放させられ、三条実美を中心とした七人の攘夷派公家たちも土方らわずかな側近と共に、長州へと下ったのである。
これが後に言う八月十八日の変であり、七卿落ちと呼ばれる政変である。
それ以降、朝廷の勢力は長州を中心とした尊王攘夷派から会津・薩摩を中心にした公武一体派に勢力構図が変わり、長州藩の朝廷における勢いはほとんどなくなっていた。
政変後、三条実美ら七卿は長州三田尻に居を移し、僅かな手勢と共に上京の機会を窺がっていた。それでも三田尻には長州藩の重臣や全国の攘夷派志士たちが三条公らを拝謁していたので隋身土方らも多忙な日々を送っていた。
その後、公武一体派は佐幕派、尊皇攘夷派は倒幕派と姿を変えていった。
二、策士
「土方君、薩摩と土佐の変わりようは難儀なものです。さきほど容堂公から陳謝の使いがあって、せっかく久坂らが私らと長州藩の恩赦の建白書を嘆願してくれたというのに、土佐が薩摩と共に阻止したことを私に侘びておった。容堂公も私が問責するのではないかと落ち着かぬ様子です。容堂公もいつの間にか佐幕派の参議とやらになったようですね。辛いことでしょうね。今や、先の戦で長州はすっかり弱りきっておる。しかも嘆願さえも朝廷に通らず久坂らは思い悩んでおることでしょう。」「たしかに。わが殿も恥ずかしながら、酔えば勤皇、醒めれば佐幕と陰口されることがあります・・・藩第一の殿なのですが。」土方は弱々しく呟いた。
「そう言わずとも、容堂公のことはよくわかっていますから安心しなさい。山内家は徳川家より一国をいただいたということへの忠孝が厚いからでしょう。いたし方ないことですね。」「はっ。総裁、ご厚情ありがとうございます。」
ちょうどその時、衛士の松山深蔵が入ってきた。
「土方様、顕助(田中光顕)様から文が。」
その頃顕助は脱藩し、長州へ落ち延び土方の世話で高杉晋作の弟子となって長州藩と三条公の橋渡しをしていた。
「どれ、なにごとでしょうか?・・なんと」
「久元、いかがした?」「はい、顕助が申すに土佐藩でも容堂公の信任厚い後藤象二郎らが土佐勤皇党の粛清を断行し、武市先生が投獄され、京都の脱藩者らも次々に逮捕されはじめたようでございます。間崎、収二郎らの切腹といい、今回の粛清といい容堂公のお考えがわかりません。」
間崎は土方と一緒に京へあがり朝廷内の職務についた上士で、平井修二郎も同じ上士であったが共に土佐勤皇党に属し、盟主武市らと朝廷内で尊皇攘夷を目指し活躍していた。しかし、土佐藩が徳川家への恩恵の念から佐幕化してゆくことに危機感を抱き、公家青蓮院宮(後の中川宮)に請うて佐幕の考えを諭す令旨(皇太子としての命令)を発しようとした。しかし、一連の行動について親交のある青蓮院宮から直に聞き、間崎らの謀と認め、藩の行く末を一藩士らが危惧することは出過ぎた行為でありこの令旨を出させたことに激高した山内容堂は切腹を命じたのであった。
「そうか、武市が・・。」「土佐勤皇党を骨抜きにする気でしょう。薩摩は西郷が流刑されて不在のようですし、佐幕派の勢いはとまりませぬ・・。」「薩摩も土佐も今や佐幕の旗頭ですね。西郷さえおってくれたら薩摩も
ここまで変わることはなかったでしょう。ところで深蔵よ、少し頼みがあるのですが。」「はい、何でございましょうか。」「うむ、三田尻の東久世の所に中岡がおるはずだから
、すぐに呼んできてはくれませんか。」「はい、ただいま。」三条の命によって、松山深蔵は直ちに中岡慎太郎の元へ出て行った。
「土方よ。中岡が着たら容堂公への親書を頼もうかと思っています。ですが、中岡君は脱藩の身ですから土佐へ入るのは命がけだと思います。わしから行け、とは言いにくいので
、すまんが君からうまく伝えてくれませんでしょうか?」「わかりました。中岡は頼まれると嫌とは言えぬ性分です。万事、お任せ下さい。」「すまぬなあ。そこで土方君、私は
容堂公に武市君の放免と私の隋身として三田尻へ来させようと考えています。」「えっ、武市先生をですか?」「はい。このまま武市君を土佐においておくことは勿体無いように思います。どうでしょうか?」「総裁!、本当ですか?武市先生をお迎えできるとならば高杉さんも桂さんも歓迎してくれるでしょう
。ぜひともお願いいたします。」「私もあなたと武市君がいてくれたら心強いと思ういます。」「総裁・・・。」三条公は書斎に入り書状を書き文机の上においた。
すると、すぐに息を切らせて中岡慎太郎が入ってきたので土方は驚いて中岡を見つめた。
「なんぼ俊敏な慎太郎じゃち、早いやか?」「はあはあ・・・ちょうど、総裁宅を伺うつもりで参っとったんですが途中、深蔵に会い急いで参りました。急な御用とは?」
「ん。すまぬなあ。実はなあ、」「中岡君、よう聞いてくれ。」そこへ土方が割って入ってきた。「実は先日武市先生が投獄されたらしい。京におる勤皇党も何人か捕まり土佐へ送られたようじゃ。後藤が本格的に勤皇党粛清に動き出したようじゃ。中岡君、すまんが今から秘密裏に帰国し武市先生らの様子を探ってきてくれんろうか?」「わかりました。私も国許の父が病に臥せっておるようですき帰国するつもりでおりましたので。」
「すまんがよろしく頼むきよ。」「中岡、頼みますよ。」「は。」「真木君、例のものをここへ持ってきてくれませんか。」真木和泉守は久留米藩士で藩命によって三条の衛士として仕えていたが八月の政変により三条公と共に長州三田尻に入っていた。「総裁、どうぞ。」「ああ、すみません。中岡君これが私からの容堂公への書状です。これを大至急だれか藩士を頼って渡してくれませんか。それと、これは本当に些少じゃが・・。」三条公は直筆の書状とともに路銀を少々中岡に手渡した。
「かたじけのうございます。それでは中岡、
直ちに土佐へ帰国いたしてまいります。」「頼むぞ。」中岡はいつものように疾風がごとく飛び出して行った。
「総裁、実はご相談が・・・。」「なんでしょうか?」「実はこの和泉守殿とも話しておりましたが、ここに島津公宛の西郷赦免の嘆願を記しております。それを家老の小松様を通じて上申したいと考えております。何卒総裁に一筆お添え書きをお願いしたいのですがいかがでしょうか・・・。」
「そうか、私も西郷とは相通ずるものがあり斉彬公の遺志を継ぐ者であると感じ入っておりました。少し待ってください。」
「申し訳ございません。」三条公はすぐさま筆を執り嘆願への添え書きを記した。「ありがとうございます。」土方は自らと真木が記した書状に封をした。「松山君、すまんがこれを薩摩の吉井幸輔殿に渡してくれんか?内密の書状じゃ。決して他の者に露見せんよう気をつけてくれ。」「わかりました。命に代えてもお届け致します。」「大げさな奴よ。医師のくせに!命は大事にしい。」
この松山深蔵も土佐藩郷士で七卿落ちの折、土方らと共に三田尻に入った志士であった。「それでは、すぐ出立いたします。」そういうとまるで中岡のように飛び出していった。
結果として、この書状は吉井の元には届かなかった。松山深蔵らは肥後藩の山中で取押さえられたのである。しかし、吉井らは後日その西郷恩赦嘆願の書状を土方がしたためていた事を知り大いに感じ入ったのであった。
「土方君、土佐の者はみな威勢が良いのはあなたの所為でしょうか。」「総裁、この土方殿がよくまとめ上げております。すばらしいものでございます。」「いやいや真木殿、これも武市半平太という男の偉大で高尚な想いをみなが目指しているからでございます。」「なるほど・・。あの久坂をも黙らせたという男ですな。ハハハ。」
「総裁、私からもお願いがございます。」
「はて?」「ここ三田尻はこの土方殿が居られますので総裁のお世話はお任せして私は京へ上がりたいと思います。中岡君らとの面談に同席させていただいておりましたが私といたしましては、かの政変以後の京の様子が案じられてなりません。三度上京し久坂君たちと共に七卿様に上廷していただくよう仕事がしとうございます。何卒、上洛をお許しください。お願いいたします。」「なんと・・?そなたはもうそんなに若くない。無理をしてはいけません。」「ありがとうございます。しかし、この真木和泉まだまだ若いものには負けないと自負しております。何卒、上洛の下命をお願いいたします。」三条公はしばし考え込んでたが真木の心中を察し、頷いた。「わかりました。和泉守殿、京での活躍を期待いたします。」「ありがとうございます」
老兵は勢いよく立ち上がり三田尻をあとにした。真木和泉守、身長が百九十センチ体重百キロという大男で楠正成を崇拝するがゆえに「今楠」と呼ばれた剛の人であった。その上神職でもあり、博学であり、かの有名な「大和行幸」を立案したほどの人物であった。
「土方・・。」「はっ。」「和泉守はいくつであった?」「はっ、たしか五十一かと。」
「なんと・・。」「しかし、総裁。久坂も来島も真木殿の上京を心待ちにしております。
京には久留米藩士も多くおりますので士気は上がるものと思われます。」「五十一でまだ血気盛んとは、至宝ですな。」「はっ。」
中岡が土佐へ発ってから一月後の文久三年十月、中岡は三田尻へ戻ってきた。
「総裁、ただいま帰りました。」「ご苦労でした。尊父殿の加減はいかがでしたか?」「ありがとうございます。父は高齢ですのでかなり弱っていましたが年の割には元気でございました。」「息災でなりよりじゃ。」「武市先生の方はどうやった?」「はい、それはむごい尋問と拷問が続いています。このままでは岡田も島村も強制的に自白させられるかも知れません。土佐藩の勤皇党粛清は止めようもない勢いで行われております。」「そうか?先生に対する拷問はどうぜ?」「はい、武市先生は牢屋において口頭尋問です。白札とはいえ上士扱いですき。しかし、連日の同志への拷問による悲鳴にかなり参っているようです。」「そうですか・・・。総裁の請願も無理のようですねえ。」「はい、容堂公の元まで届いてないように思います。政変以後は幕府の参議として多忙なようでございます。」「後藤による叔父東洋のかたき討ちみたいになっておるということか?」
「はい、目の色を変えて追求しているようですが、私も脱藩のお尋ね者ですき、これ以上は調べることができませんでした。」
「ご苦労でした。土方、中岡、あなた方の気持ちはよくわかっています。私も直接容堂公に申しておきます。」「恐れ入ります。総裁よろしくお願いいたします。」「ところで、中岡、明日高杉さんが顕助と拝謁に来る。お前にも同席してほしいがどうじゃ?。」「高杉さんが。わかりました。すみませんがこのいでたちですき、旅の垢を落としてきます」
そういうと、招賢閣を出て行った。
翌日、高杉晋作が田中を連れて拝謁した。
三条公に拝謁した後、土方・中岡のところへやってきた。「土方さん、中岡さんお久しぶりです。武市先生はどんな様子でしたか?」顕助が入ってくるなり聞いてきた。「ああ、以蔵や衛吉らあの拷問の声を聞きながら辛い日々を送っているようじゃ・・。」「そうですか・・やはり吉田東洋のことですか?」「ああ・・。」顕助は自分が吉田東洋暗殺に直接関わっていただけに複雑な表情だった。
「やあ、土方さん。三条公の警護ご苦労様です。中岡君も。」「高杉様、顕助がお世話になっております。」「いやいや、ようやってくれています。」「この度は奥番頭役にご就任された由、顕助からお聞きしております。いよいよ桂・高杉の出番ですね。」「いや、私は奇兵隊の隊長が一番似合うてると思っとります。百姓や町人たちとわいわいがやがやが一番です。奥のことは桂さんにすべて任せております。ハハハ、のう顕助。」「はい。毎日の訓練の後の宴会が楽しゅうて楽しゅうて・・。訓練が苦になりません。」「今度奇兵隊の見学に行かせてもらいます。」「どうぞ、ぜひおいで下され。」「ところで土方さん、先に久留米の和泉守殿にお聞きしましたが、西郷赦免の嘆願を出しておられると。さすが策士土方さんですね。薩摩も西郷が出てこないとまとまりができません。あの男は大人物です。倒幕には絶対必要な人物です。」
「そう思っております。総裁も高く評価しておられます。」「先生、これから岩国へ行く予定ですので本日はこのあたりで失礼しないと・・。」
「おう、そうだったのう。土方さん中岡君、今日はこれで失礼いたします。萩の方へも来てくだされ。」「はい、必ずお伺いいたします。」
高杉は後ろ手を上げながら出て行った。
「土方さん、あの高杉さんを見よったら、なんか龍馬のような気がします。」
「おう龍馬かあ、飾り気のない飄々としちゅうところがなんか似いちゅうねや。憎めれん男やねえ。龍馬はどこでなにしゆうろう。」
「さあ、つかみどころのない男やき見当もつきません。」「そうやねや。ハハハ。」
三、禁門の変
元治元年二月、三条公は中岡を呼んだ。
七卿はひとりが亡くなり、ひとりが出奔し、五卿となっていた。
「土方さん。」「おお、中岡君か、会議所の方はどうぜよ。」中岡は脱藩浪士たちが集まった長州三田尻の招賢閣会議所のまとめ役のようなことをしていた。そこには各地より尊皇攘夷を仰ぐ志士たちが日々訪れていた。「毎日、各地より志士たち集まってくれゆうき。けんど、最近は攘夷そのものより倒幕の意見が多くなってきました。」「そうかえ、中岡君もますます忙しくなっておるようですね。」「はい。」「時に、今日はどうしたがぜよ?」「わからんけど、三条公からここへ来るよう連絡もろうて、急遽、薩摩からもんて来たがです。」
「薩摩?」「はいっ、西郷さんをなんとかせんことには薩摩は相変わらず佐幕論ばかりで
・・薩摩が倒幕になってもらわんことには茶も湯もわかんがです。小松さんも大久保さんも精力的に動きよって、今月、島から西郷さんを召還できそうなのでもんて来ました。」
「まだ帰ってきたばっかりやにご苦労ですねえ・・ところで中岡よ・。」
「はい?。」「実はわしも君の意見を聞きとうて仕方なかったがよ。」「はて・・」
「実は先日、福岡藩の月形洗蔵という御仁が拝謁に参られてからはたびたび会うんじゃが
、げにまっことあの男の意見は尤もやと思うて。おまんにも聞かせちゃりたいと思うてのう。」
「土方さん、もしや、薩長が連合せなあ・・
言う話かえ?。」「おっ、そのとおりや。」
「私も去年、月形さんらが萩へ来た時に初めてお会いし話を聞いたがです。聞いて、鳥肌が立ったがをよう覚えちょります。それからというもの私はその話が忘れれんがです。やき、年が明けてすぐ薩摩へ行き、攘夷派の藩士と会うちょりました。そして、西郷さんも長州遠征には快く思っておらずということを聞き、吉井友実という藩士らのご配慮によってご家老の小松様に面会させてもろうたがです。ご家老も西郷さんを帰ってこんとまとまらん言うておりました。実は、私も薩長の連合のために走りよります。武市先生は前に言いよりました。薩長の亀裂は天下の一大事やと。薩長の融和を計らなあいかんぞと。月形さんも武市先生と面識ないろうにおんなじことを言うてました。そのためには亡き斉彬公の懐刀、西郷吉之助が絶対必要ながです。」
「そうじゃ。今の薩摩はあの日和見の久光公では無理よ。」
月形洗蔵は福岡藩士で尊皇攘夷派の加藤司書らと長州と接触があり、最初に薩長融合を唱えた、いわば薩長同盟の立案者であった。事実、そのために元治元年、西郷と高杉を下関で会わせているのだが、おしくも、その後の福岡藩の佐幕化のため失脚していた。
そこへ三条公が入ってきた。
「おう、中岡君よう着てくれました。招賢閣でのまとめ役大変でしょう。」「いえ、とても勉強になります。日々、新しい知らせも入ってきます。総裁、私にとってありがたいお役目感謝しております。」「そうかそうか。土方が中岡君しかいないと言うもんだからお願いしました。まことに君は勤皇のためにいつも先頭に立って頑張ってくれている。本当にご苦労なことです。」「いえいえ・・これも国家のためと心得ております」「そうですか。心強く思います。」「ありがとうございます。さて総裁、今日はいかなる御用でございましょうか?」
「ああ、私らが京を落ちてから随分と時が過ぎました。昨年は尋常なからぬことが続き私も混乱しています。しかし尊王攘夷の気概は変わらぬ思いです。今、京がなにやら不穏だと聞くし朝廷のことも心配じゃ。尊皇倒幕のためには一刻も早く京へ、そして朝廷へ戻らないといけません。そこで土方君と二人で朝廷の様子を調べてきてはもらえないでしょうか?」「総裁、京は非常に危険な状況だと聞きおよんでおります。同志も会津の手先である新撰組なる野党らによってかなり粛清されておるようで。」「おおごとな様子は聞いております。」「はい、総裁、今我々が安堵できる場所などございません。しかし中岡と二人、京都の探索に行ってまいります。総裁が朝廷にお戻りになってもらわないと尊皇など叶うわけがございません。」「そうか、行ってくれますか?」「はい。」
その年の三月、土方と中岡は高杉と京都にいた。八月十五日の政変以後も京に居た久坂を尋ね、共に五卿の恩赦と長州藩の挽回の為に日々画策していた。「久坂さん、会津・薩摩の牙城は思いのほか堅固ですねえ。あの三郎(島津久光)めの愚行が目につきます。あやつをなんとかせんことには事は進みません。僕はこの中岡君と三郎の首を取ろうかと思いますがいかがなものでしょうか?」「なんと高杉さんがですか。」「久坂様、八月の政変では我が土佐藩も多くの同志を失いました。それは奴の愚行のためとも考えております。三郎さえいなくなれば久坂様の行いも陽の目を見ることになりましょう。西郷も赦免されるでしょう。是非、ご了承ください。」
「しかし、中岡君・・薩摩の護衛も固いですよ。並みの藩士のようにはいきません。」「わかっております。」「久坂さん、この高杉にお任せ願います。」「んんん・・・。」
翌日より高杉と中岡は薩摩屋敷に目を光らせ好機を待っていたが久光公の警護はかなり厚く苦悩していた。そうしている間に久坂玄瑞に毛利公より帰還の命があり高杉を連れて帰国してしまい、残った中岡は単独で好機を狙っていたがその甲斐もなく、久光は所用で薩摩へ帰国してしまった。
しかし、久光暗殺計画が頓挫したが皮肉なことに翌月西郷吉之助は小松・大久保らの尽力により赦免され藩に元職で復帰できた。
六月、土方と中岡の二人はまだ京都におり、手分けしつつ慎重に京都の様子を探索していた。
「のう中岡よ、総裁らに上京してもらうにはかなり無理があるねや。」「はい。新撰組のやつらがしつこうてなかなか探索もできんがです。亀弥太らがおるはずなんですがどこに潜んじゅうか全くわからんき面会さえできんがです。」「朝廷もじゃ。昨日久坂君にやっと会えたがやけど、請願や陳情を何通書いたかわかりません、ち言いよった。朝廷の中は会津と薩摩ばっかりよ。」
「土方さん、大坂へ下ってほかの情報を探ってみます。」
「そうじゃな、京都は危険すぎていかんねや
。わしは薩摩屋敷に入ってみろかねや。西郷ももんた言うし、朝廷におった時代の知人でもおるかも知れんき。」「薩摩なら安全ですねえ。それでは大坂の船宿を探って見ます」「おう。四,五日ばあでもんて来いや。」「はい、そうしますき。」土方と中岡は、その後も京都にいて情報を探索していた。
「土方さん、大変です。」「どうしたがな」
「三条の池田屋が新撰組に襲われました。長州、肥後、土佐藩の志士が・・・土佐藩は望月亀弥太、石川潤次郎、野老山吾吉郎が・・私は別用があり行きませんでしたが、ほか大勢の同志が死んでしもうた。桂さんも出て来るはずでしたが未だ消息不明です。」「なんと・・・亀弥太、潤次郎が・・吾吉郎はまだ若かったのに・・・残念じゃ。桂殿も、無事であればよいのじゃが・・・。」
「吾吉郎は十八でした。おのれ近藤め!。」
数日後、桂小五郎は無事脱出していたことが判明した。急ぎ長州に戻った桂は七月、合議を開き、経緯を説明した。その結果、幕府の考えに激高した家老ら三人が来島又兵衛を隊長に長州軍を京都へ向かわせたのである。
「土方さん、長州が上京します。久坂さん、来島様と話したんですが家老たちが治まらないがです。話し合いの結果、私も来島さんの要請で天竜寺で三田尻の部隊を率いて挙兵することになりました。薩摩はどうやら幕府軍には参戦せんらしいですき、そうなると朝廷を占拠できそうです。では」「待てえや。中岡、久坂はどう言いよったがな?」「久坂さんは最後まで朝廷と協議すべし、と言っていますが、会津の防御が強く難儀しよります。ご家老らと来島さんらあは強行策です。池田屋の襲撃のことで激高しています。もう止まらんがです。」「わしも行くき、待ちや。」「駄目です。倒幕派とは言え土方さんは土佐藩士です。もし、土佐藩上士が参戦となれば容堂公の立場も損なわれます。それに土方さんは総裁へのご連絡があります。ここは、わたしらあにお任せ下さい。」
「いたしかたない・・・。中岡よ、死んだらいかんで。」「はい。」中岡は飛び出して行った。長州は八月十五日の政変で受けた毛利公への断罪、五卿の入京などを求めて幕府に迫り、久坂玄瑞は連日朝廷に建白しようとしたが受け入れられず、七月十九日ついに攘夷派による京都奪回をすべく来島隊が会津藩が警護している蛤御門へ突入したのである。当初、長州藩の勢い凄まじく会津軍を撃破、御門を突破し朝廷に迫った。しかし、ここで今まで動かなかった薩摩軍の突然の参戦で形勢は逆転した。西郷・大久保らの意思を無視した佐幕の意向強い島津久光が幕府の要請通りに救援の兵を送ったのである。薩摩藩兵の迫力凄まじく、一気に長州軍へ突入し、これを排除したのであった。薩摩の参戦により勢いに乗った幕府軍は各地で長州軍を撃破し、来島又兵衛戦死、真木和泉負傷自刃、久坂玄瑞も最後まで建白書を渡すことができず公家鷹司邸で無念の切腹をした。司令官を失った長州軍は乱れ天王山へ逃避した。幕府軍は長州の息の根を止めるべく、この追討を全藩に命じたが、薩摩藩は西郷・大久保の判断で拒否した。しかし、長州軍は幕府軍に天王山に追い詰められ玉砕。残兵も敗走してしまった。勢いに乗った幕府は八月、長州藩の息の根を止めるべく、長州征討を各藩に命じた。
中岡は中立売門で足に傷を負っていたが意を決して薩摩藩京屋敷を訪ねた。
「吉井さん、西郷さんに会わせてもらえませんろうか?」「中岡さん、そりゃ無理じゃ。
蛤御門のことはなにも言えん。薩摩は幕府の一員じゃから・・・。仕方なか。」「わかっちゅう。わしゃあ、西郷さんの真意が聞きたいがよ。それによっては薩長融合も話にならんなるきよ。吉井さん、西郷さんに会わせてくれんかえ。頼むき。」「中岡さん、そげな格好で・・・片足で・・少し待ちなされ。」
吉井は満身創痍の中岡を残し官邸へ入った。
「中岡さん、西郷が会うてくれもす。入りなされ。」「かたじけないです。」中岡は足をひきづりながら入っていった。「吉井さん、足がこうじゃから座れませんき、ここで待ちますき。」中岡は庭木の松の下で待っていた
。すると、大男が近寄ってきた。「西郷でごわす。」「私、土佐藩浪士で中岡慎太郎と申します。中沼了三先生の弟子で吉井さんとは親交がございます。」「そうでごわすか・・してその足は?」「はい、中立売門で彦根藩の攻撃に合いまして負傷いたしました。ほんのかすり傷ですき。」「なんと、先の頃は敵兵でごわすか・・ハハハ。」「はい。長州の京都入京は悲願ですき。私は三条実美公の衛士でございます。」「なるほど、攘夷急進派でごわすな。」「はい。今は倒幕派です。」
「はっきり物言う、お人じゃ。」西郷は中岡の顔を覗きこんだ。中岡の表情が変わった。
「西郷様、この度の戦において薩摩の対応についてお聞きしたい。前々から薩摩藩は攘夷をお考えのはず。中沼先生からも尊皇の教えをいただいております。予てより西郷様は薩長融合に賛同せれたりと高杉さんからも聞いております。賢君斉彬公も尊王攘夷を推奨しておったはずです。この度の戦においても幕府には従わぬ、と言うのが薩摩の方針のはず
。しかし、参戦され長州軍を攻撃された。これは、いかなる由でございましょうや?」「うむ、確かに・・。おいたちは今回の戦において参戦する気はござりもはん、藩内合議においても幕府いや会津からの要請に従う必要なし、となっておりもうした。しかしながら、御上より勅命がござったのじゃ。長州が恐れ多くも朝廷に向けて砲撃したことに対し
、幕府ではなく朝廷から直々に下命されもうした。薩摩藩としては長州が朝廷に対し砲撃してきたとあらば、いたしかたなかったのでごわす。たとえそれが、朝廷内の佐幕派が下命させたものでごわしても、逆らうことはできもはん。家老小松帯刀も苦渋の命令でごわした。ご理解いただきたい。そん証拠に薩摩藩は天王寺へは派兵いたしもはんで。朝廷さえお守りすれば無駄な追討はすまい、ということでごわした。」謙虚な西郷の姿勢に中岡の憤怒の念は収まっていた。「よう、わかりましたき。では、西郷様は長州との融合に係る合議にお立ち会う意思はあるということですね?」「もちろんでごわす。亡き主君斉彬公は攘夷の方でごわした。私も側近として毛利公や高杉さんとも談義したこともありもうす。その折も尊皇攘夷について意見を交換させていただいた。久光公が幼き藩主に代わり執政し、幕府や会津によって持ち上げられたため公武一体派の重鎮となられもした。そんこつによって私も徳之島やら沖永良部島へ流刑させられ、今年ようやっと赦免されたということはご存知だと思いもはん。そのおり三条公や貴藩の土方さんや真木どんから陳情をいただいたことには感謝いたしておりもうす
。が、おいどんらは薩摩でごわす。藩主の命
は聞かんと・・。」「その真木殿も殺したがは薩摩やろ!」「いかに朝命とはいえ、申し訳ごわはん・・・。しかし、戦でごわす。どのような方でごわしても刀を抜いたら敵でごわす。中岡どん、そうではないと言えもはんか?。」
「はい。そのとおりです。私は薩摩が幕府の命令に従うたと思っておりました。それゆえ西郷様に確認したかったがです。会津らはなおも長州に対して追討し完膚無きまで攻撃いたすと思われます。薩摩は、いかがいたしますか。」「薩摩は追討軍には合流いたしもはん。仮に幕府が朝廷の御旗を掲げての出兵なら、いたしかたありもはんが」「ようわかりましたき。西郷さん、これから私は三田尻に戻ります。そして今回の戦について薩摩の意志を伝えます。そのおりには長州に対し、薩長融合の話をしますき、桂さんに会ってもらえますか?」「わかりもうした。」
事実そのあとすぐ、西郷は全軍を率いて薩摩へ帰還したのであった。
中岡はその足で京の宿へ土方を訪ねた。
「ごめん。」「おう、中岡君負傷したと聞き心配しておったぞ。傷はどうじゃ?」「はい
。まだ歩くががたいそうですけんど、傷は治りましたき。」「そうかそれはよかった。しかし、長州は薩摩の攻撃を受け惨敗したと聞く。何千もの長州兵の亡骸で宇治川は血に染まったとも。」「はい凄まじい戦でございました。忠勇隊も総崩れで柳井健次、尾崎幸之進、千屋菊次郎、中平龍之介、そして松山深蔵ら十一人が死にました。黒岩直方、池蔵太
、田中顕助らが負傷いたしました。それに、土方さん、あの久留米の真木さんも死んだがちや。」「真木さんも・・あのお歳でのう。あの深蔵も死んだがか。あの真木さんが。総裁もさぞお嘆きになろうのう。わしはなんもできんかったき、口惜しいことじゃ。」
「土方さん、薩摩が・・・参戦すまいと思うていた薩摩が来たことですべてが終わりました。薩摩は恐ろしく強いです。土佐は今後、薩摩と融合すべきやと身にしみて思いましたき。」「薩摩がのう・・。」「私はここへ来る前に薩摩藩邸に行ってきて西郷さんに会うてきました。」
「なんと・・・。」「土方さん、西郷はすごい人物です。久光公が流刑に処したのも、大久保さんらが免赦されるまで待ち続けたがは、ようわかりましたき。おそろしいばあの人物でしたき。私が面と向かって、長州軍に参戦しちょったことを言うと大笑いですき。ほんで、何で動かんかった薩摩が急に参戦したがか聞いたがよ。」
「なんと、中岡・・・おまんという男は困った命知らずやき・・・。ほんで、どう言うたがで。」「戦が始まってから劣勢になるや、御上から勅命が来たがやと。長州が朝廷に向けて砲撃してきたき助け、言うて。長州はまんまと朝敵にされてしもうたがですよ。幕命やのうて勅命やったき仕方なく動いたと堂々と言うた。」
「ほんに・・。」「土方さん、わしゃあこれから招賢閣へ戻るき。会津らは絶対長州へ攻め込んで来るき。帰って忠勇隊を立て直さんといかん。けんど、西郷ははっきり言うたが
で。長州征討には参戦せんと。その証拠に薩摩軍は汽船に乗って、全軍薩摩へ帰ったがよ
。まっこと薩摩のすることはすごいき。」
「中岡、待っちょき。わしも一緒に帰るき。
三田尻にもんて報告もせんといかん。」
ふたりはその晩早くも大坂へ入り明朝の船の手配をした。ちょうど港には薩摩の汽船が入っており大勢の薩摩藩兵が乗り込んでいた。
「土方さん、もう帰りゆうで。すごいろう。
一糸乱れずやき。薩摩はほんまに強かったで
。わしゃあ、薩摩とは二度と戦いとうないき
よ。」「薩摩と長州はほんま強いき。薩長連合は絶対まとめんといかん。」「はい。」
主君の無罰を願い、五卿の入京を願った長州藩の悲願は薩摩藩の近代武器による武力によって壊滅した。数千人の長州兵の血が京の町を赤く染めたという。
これがこれからの長州の運命を大きく変えた有名な禁門の変(蛤御門の変)である。
長州は敗走し最上の屈辱と最大の被害を被ってしまった。それゆえ、長州人の薩摩人への憎しみは最高潮に達していた。
二人は翌日、乗船し二日後下関に着いた。
中岡は招賢閣へ戻り忠勇隊総督に就任し兵力を整え武器を用意しようとしたが、すべて旧式であり、武具も不十分であった。
「これでは、あの薩摩には到底勝てん・。」
「中岡さん、武器はのうても攘夷派浪士の意地をみせましょうや。全員、玉砕覚悟で突っ込みましょうや。」戦死した真木和泉守の子真木外記が勇ましく咆えた。「真木よ。戦とは戦法と兵器ながよ。刀は大砲には勝てんのよ。長州の大砲は届く距離がせいぜい半里。薩摩のエゲレスの大砲は1里ながよ。勝負にならんのよ・・・。」総督になったがゆえに悩み多き中岡であった。
ちょうどその頃、幕府は長州征伐の命令を下した。長州にとっては廃藩という屈辱の日がすぐそこまできていた。
土方は三条公を拝謁し京都の悲惨で残酷なことを報告していた。
「そうか・・・わかった。長州が惨敗か。御所のまわりも長州兵の亡骸でいっぱいじゃったとな。哀れなことです。深蔵も真木ものうなったか・・・。長州が滅んだらわしも滅ぶこととしよう・・・。」「総裁、弱気になってはいけません。私は今から薩摩へ参ります
。総裁より薩摩へ長州討伐への不参加およびエゲレスらの四国連合艦隊の長州襲撃の中止の嘆願書をお願いできませんでしょうか?今、長州は幕府とも連合艦隊とも戦う余力はありませんき、今止めんと長州は滅んでしまいます。総裁、お願いします。」「あい、わかったぞ。いましばらく待ってください。」
その頃、薩摩には幕臣勝麟太郎の紹介状を持った坂本龍馬がいた。龍馬は勝に西郷吉之助に会うて来いと言われ、初めて面会した。そしてその度量、その男気、その優しさに触れ、驚いていた。西郷もまた尊敬する勝が遣した風来坊のような龍馬の計ることができないような大風呂敷の発想と世界情勢に関する知見にいたく感激し数日間共に過ごし、日本の将来と龍馬の夢について語り明かしたのであった。その時西郷はかつて、勝に日本はこのままでは外国に占拠されること。公武一体の幕府などいらない、これからはアメリカのような民主的な国になるべきだという話を聞いたことにいたく感銘を受けたことを龍馬に語ったのである。西郷の度量を知り感銘を受けた龍馬が大坂へ戻る日、偶然にも土方と出会った。「龍馬!龍馬よ、おまん、ここでどうしゆうがぜよ?」「ありゃ、土方さんかよ
。兄やんこそ、なんでまた?」「わしは西郷様に会いにきたがよ。」「なんでまた?わしゃあ、さっきまで西郷さんと一緒におったがちや。」「どいたつか?龍馬よ、ほんまか?
ほんなら、今からわしを西郷様に引き会わせてくれんかよ。」「えいですよ。まだ、お屋敷におるはずやき、行ってみるかよ?」「龍馬に会えてよかったちや。頼まあよ。」
二人は西郷の屋敷へ向かった。「龍馬、西郷さんちどんな男で?怖いかよ?。」「なんちゃあ、馬鹿なら大馬鹿やし、利口なら大利口や。ようわからんけど器のでかいお人じゃきよ。たぶんびっくりするで。人も家もフハハハ。」
「西郷さん。おるかよ?。」「なんじゃ龍馬どんか。忘れもんでもしなさったか?」
「いやあ、そこの道で土佐の同志に会うて、西郷さんの家へ連れて行ってくれ言うき連れて来たわよ。あしの同志で土方久元さんよ。あしと違うて上士やきハハハ。」「そうでごわすか。どうぞ、入ってくれもんせ。」「龍馬、ここがかの大西郷の家かよ?」「ひどいろう?雨が降ったら雨漏りするし、隙間風はびゅーびゅーやし。まあ、夏は相当涼しいやろうて。ハハハ。」
「龍馬殿の同志でごわすか?ならば土佐勤皇党でごわすか?西郷でごわす。これ、茶を持て。」「西郷さん、わしゃいらんきよ。酒ならもらうけんど・・。」「昼間っからなんちゅうことを。フハハハ。」「西郷さん、あしの先輩で上士の土方さんですき。」「上士はいらんき!。お初にお眼にかかります。土佐藩士土方久元でございます。三条実美公の隋身でございます。」「おうこれはごていねいに、西郷です。」「これは三条公からの書簡でございます。どうかご確認願います。」「うむ、拝見いたそう。」西郷は三条公の書簡を見てくれた。
「三条公には幾たび朝廷でも斉彬公と一緒に謁見させてもらいもんした。いたく尊皇攘夷に熱心な方でごわした。ご意見、ようわかりもんした。さっそく京の御前会議でおはかりいたしもす。」
「え、」あまりも早い返事と対処に土方は驚いた。「西郷さん、ほんまに読んでくれたがかよ?適当はいかんぜよ。あしの先輩ながやき。」「もちろん。おいもそうせなあと思いよった。長州をこれ以上攻めることは許せんからて。」「ありがとうございます。ほんに中岡が申しておったように度量の大きいお方で感心いたします。」「なんの、土方どんは中岡さあの知り合いで?」「はい。同じように五卿様のお世話をしております。先日は中岡が大変失礼なことを申しまして・・・。」「兄やん、中岡も一緒かえ?」「いや、中岡は三田尻じゃ。」「いやはや、土佐の方はこん龍馬どんといい、中岡さあといいおもしろかあ。して中岡さあの怪我はようなりもうしたか?」「はい。あいつは少々の怪我で寝込むような男じゃないですき。」「兄やん、慎太郎がどうしたが?」「蛤御門で薩摩と戦い怪我をしたがよ。」「薩摩とかよハハ。相変わらず血の気の多い戦好きやねや。」「薩摩はいかがな理由で攻めてきたっち怒られもうした。ガハハ。」「中岡らしいちやハハハ。ところで兄やんはまだ勤皇の仕事しゆうがかよ?。」「そうよ。けんど今は倒幕派じゃ。三条公のもとへ集まる全国の浪士や武家の面談の取りつなぎをしゆうがよ。浪士に化けた刺客もおるき、気が抜けん。」「中岡は?」「中岡とわしは薩摩と長州の融合を目指しゆうがよ。今はずっと倒幕を考えゆう。もう幕府には日本を任せれん。」「もう攘夷の時代やないきねや。倒幕?ほんで薩長同盟かよ。そりゃ面白そうや。兄やん、わしの混ぜてくれやあ。」「龍馬よ、わしも中岡も命がけながぞ!混ぜてやはないろう。」「すまんちや
。けんど、兄やん、長州言うたら大将は桂さんやないが?」「そうじゃ。この西郷さんと桂さんを会わすことが第一歩よ。」「兄やん
、わしゃあ、桂さんとは友達ながぜ。」「どいたちや、そうかよ。ほいたらおまんも混ぜちゃらあよ。」「ハハハ、おまんさあらの話を聞いとったら面白かあ。じゃっどん、桂さんは薩摩が大嫌いじゃろ?おいどんとは会わんじゃなかもん?」「そうよ。西郷さん、桂は賢いけんど肝玉がこんまい男ながよ。」「そうでごわすか。けど、おいもこんまかけん、大丈夫ちゃ」「ハハハそれはないろう。蛇がでたら桂さんは悲鳴をあげ、西郷さんは食うろう。」
「龍馬!」「よかよか、おいは龍馬どんが大好きじゃもんて。蛇は島でよう喰うた。うまかよお。」「ハハハそらみいや。」そこへ西郷の弟の晋吾が入ってきた。「龍馬さあ、今
、大坂行きの船が来もんした。」「そうですか。西郷さん、あしゃこの船で神戸へ戻りますき。」「そうでごわすかぁ。勝先生によろしくお伝え下され。」「はい。お元気で。」「龍馬よ。その船はどっかに寄るか?」「豊前と佐賀関に寄りますよ。」「ほいたらわしも乗らせてくれるかよ。」「はい。路銀さえ払えば、ハハハ。」「こいつめフフフ。西郷様、三条公よりの嘆願の件、何卒よろしくお願いいたします。」「お約束いたす。薩摩は長州を攻めもはん。四国連合の総攻撃の中止もエゲレスの提督に言うときます。」
「よろしくお願いします。」
大任を龍馬のおかげでたった一日で済ませることができた土方は龍馬と船上にいた。
「兄やん。薩長連合の話、げに面白かあ。ハハハ。」「龍馬、その時は頼むぞ。おまんがどこにおるか必ず連絡してくれよ。」「わかりもした。」「もう薩摩弁はえいき!」「兄やん、楽しゆうやりましょうやハハハ。」
数日後、久元は三条公に謁見し西郷との話を説明した。「そうか、西郷は約束してくれたか。斉彬公の側近として二、三度ほど会うたことがあります。頑強な男でした。」
「はい、しかしなかなか度量の大きい男と感心いたしました。」「どうやら、土方の眼に叶うたようですね。」「いやはや・・。」「しかし、薩摩が配慮してくれるのなら安心してよいのでしょうか。」「いえ、幕府も一橋公がおるだけに油断はできません。」「慶喜ですね。」「はい。なかなかの策士のようで油断なりません。」
その頃幕府軍は広島へと進軍していた。
「一橋様、薩摩より書簡があり、長州の敗北宣言に係る長州征伐の中止を願い出ております。」「言うことを聞かぬと薩摩が出てくるぞ・・か。西郷めが。」「どのように。」「なんの見返りもなく撤退はできぬ。」「ただ、西郷から、強行策を講じた長州藩三家老の切腹を申し出されています。」「そうか、わかった。それでは西郷を征長総督参謀を命じよ。そして、三家老の切腹の沙汰を西郷に命じさせるのじゃ。」「なるほど、薩長の仲を益々悪化させるには妙案でございます。」「うむ。幕府の威厳は保てようぞ。」
西郷は京都の薩摩屋敷に来ていた。
「吉之助さあ、今幕府から返事が・・。」「どれ。」「慶喜め、おいに征長総督参謀を命じてきおった。家老の切腹をおいに命じよ
かあ・・。奴も策士よのう。」
「なんと・・。」「じゃっどん、長州ば救うち、こうするしか・・。」「西郷さあ・。」
「吉之助どん、坂本ちゅう汚げな浪士がきちょりもうす。」「坂本君でごわすか、入ってもらいなんせ。」廊下をドンドンと走り龍馬が入ってきた。「西郷さん、おるかよ?。」
「坂本さあ、久しぶりじゃもんて。」「薩摩以来やき。」「そうかそうか、どがな?。」
「神戸の海軍操練所が閉鎖させられそうながですよ。」「なんと。」「これが、勝先生からの書状じゃき。」「拝見いたそう。」西郷は龍馬から手渡された書状に眼を通した。「勝先生は江戸に帰られ申すようじゃて。ほんで龍馬さあ、操練所が閉鎖させられたらおまんさらあを薩摩で預ってほしか言うておりもうす。」「西郷さん、閉鎖になったらわしらを薩摩の汽船で使うてくれんかよ。訓練生はみんなあ操船はうまいきよ。」
「帯刀どん、どげなもんよ。」「勝先生の頼みじゃ断れもはんじゃろ。」「そげんなかも
、こん人らは操船の名人やから軍艦に乗せたらどげんじゃろ?へのこらも操船覚えもんそ
。」「わかりもんした。久光公にお伺いばたてもんそ。」「お願いしもんそ。」「吉之助さあ、ちょっと・・・。」「どげんした?一蔵どん。」「ちょうど、よかところへ坂本が来もうした。」「なんぞ?。」
「長州への説得ば、坂本さあにお願いできもんそうか?」「そりゃよか。坂本君は長州に顔広かあ。それに話がうまか。」「そげんな
。」「西郷さん、どこへ行っちょったが。」
「ちと、一蔵どんと内緒話が、ハハ。坂本君
、操練所が閉鎖になったら受け入れはできもんそ。そん時はみなさんを薩摩が受け入れる準備ばすると連絡しといてくだされ。ところで、坂本どんにお願いしたいことがごわはんで。」「西郷さんがそういう言い方するのはまっこと怖いのう・・。」
「坂本君、土方さあから長州征伐の件頼まれもうしたんは覚えとろう?。」「はい。」
「実はのう、わしは長州は降参しもんで、もう白旗ば上げとる敵に攻撃せんでもよかち、
と進言しもうした。ところが、幕府は高杉と桂の首を差し出せっち言うて来もんした。わしは今、この両人の首を差し出しちは長州の未来はなかもんち考え、勝手に長州藩の三家老の切腹をば言いもした。」「桂さんはまずいで。」「桂さんは長州の柱じゃて。そこで坂本さん、おまえさあに長州にこのことを伝えてくれまいかのう?わしら薩摩もんが長州に直接言えん話でごわす・・・。」「三家老の処罰かよ?わかりましたき。今から萩へ行ってきますき、終わったら神戸へ戻り、みんなに閉鎖後のこと話してもえいですか?」
「もちろんでごわす。すべて小松が面倒みます。坂本君、頼みもうす。」
「任しちょきや。土方さんにもちくと力を借りますき。」
龍馬はさっそく土方に早飛脚を出し大坂へ向かった。龍馬の行動は実に素早かった。紀州藩浪士で海軍操練所の仲間陸奥陽之助を伴い三日後には下関へ着き、土方と落ち合い、毛利公に面会を求めた。
「坂本君、僕らだけじゃいかんのかね?。」
「桂さん、今日は薩摩の西郷さんの代理できたがじゃき。」「ふん・・、西郷は長州討伐の総督参謀になったつか?相手に不足なしよ
。なあ、高杉。」「桂さん・・。」「相変わらずやねえ桂さん、竹やりで薩摩に勝てるがかよ。」「長州は・・・。」「意地張りなや
桂さん。長州はもう負けちゅうがやき。」
「その言葉、いかに坂本君でも許せんぞ!」
「桂さん、実はこの土方、三条公の頼みで先月西郷さんに長州を救うてほしい言うて頼んできたがです。」「なんと・・」「西郷は四国艦隊の攻撃中止と長州征伐の再考を幕府に伝えてくれたがよ。」「幕府の策略どおり海から四国艦隊、陸から幕府軍に攻められても勝てるがですか?」「長州は・・」「桂さん
、冷静になってください。奇兵隊も忠孝隊も大打撃を受け武器さえ揃えることもできないんです。・・・」「高杉、弱腰はいかん。」
「桂さん、負けちゅうがですよ。西郷さんが言うてくれんかったら四国艦隊にやられちゅうし、幕府に滅ぼされちゅうがですよ。」
「桂さん冷静に考えて下さい。」「しかし、高杉よう・・」桂は悔し泣きしていた。「高杉さん、西郷さんは征長総督参謀として長州処分を任されたがやき。慶喜は長州を西郷さんに潰させようとしよるがです。桂さんと高杉さんの首を要求しゆうがです。」「僕の首ならいつでも渡す覚悟はできていますよ。」
「桂さん!」「坂本さん、私と桂さんの首で長州は守れるんでしょうか?」「おまんらの首を差し出したら長州は終わりよ。おまんらなしでは、一切戦えんろう。」「しかし。」
「桂さん、高杉さん、蛤御門での攻撃に高杉さんや久坂さんは反対やったと聞いとります
。長州藩の三家老が池田屋事件で激怒し指示した聞いとります。そのうえ、ご家老らあが総大将として部隊を指揮したと。」「それはたしかに・。」
そこへ毛利慶親が入ってきた。「殿。」
一同がひれ伏した。「頭を上げて下され。」
「高杉、世に面会とはこの御仁か?」「はい
、土佐藩士土方久元殿と坂本龍馬でございます。」「して、話とは?」「それが・・。」
「初めてお目にかかります。拙者三条実美公隋身土方久元と申します。これは坂本龍馬と申します。」「おう、三条公の。苦しゅうない続けよ。」「毛利公、家老国司親相、益田親施、福原元武の三名を蛤御門砲撃の先導指揮したという罪で切腹させてください。」「急になにを!無礼者めが!」「殿、お待ち下さい。」「高杉どういうことなのじゃ?」
「それが・・・」「毛利公、この三人の首と五卿の動座で長州が救えるがです。」「よう意味がわからん。その方らは下がっておれ」
「坂本君、後は私が殿に説明しますので一旦下がってお待ち願います。」「龍馬、そうさせてもらおう。」「けど、兄やん。」「高杉さんに任せようや。」「しかし、一つだけ、桂さん、西郷さんが長州人捕虜を手厚く扱い手当てし長州へ送還してくれたことだけは殿に申し上げて下さいよ。お願いしますき。」「わかりました。」
土方らは別棟に移され半日ほど待たされた。
やがて、桂が入ってきた。「土方さん、坂本君。殿も苦渋の決断をしてくれた。そして家老らも潔く了承してくれました。長州の未来のためとあれば・・と。長州は西郷さんの立場を考えた。薩摩も長州の立場も考えてもらいたい。五卿さまのことは君ら衛士が責任もって対処してほしい。そして、薩摩との融合
を。長州にはもうこうするしかないんです。坂本君。」「桂さんわしらあを信用してください。今から三田尻へ行ってきます。」
その後、西郷吉之助が岩国にて長州藩と会談、長州藩家老三人の処分と三条公ら攘夷派公家の長州退去を申し入れ了承された。ここに長州藩は西郷の寛大な考えにより致命的な処分から回避することができた。また、五卿は筑前藩が土方らの努力により受け入れを了承し幕府の広島総督府に申し出た。そして西郷は征長隊を解兵させ長州征討は終わり、結果として長州の降伏ということになった。
ここに薩摩が動けば日本が動く、と言えるほど薩摩の力を幕府のみならず、朝廷・諸藩も認めることとなり、長州は薩摩と融合する以外、倒幕の手段はないということを悟った。
しかし、このことによって長州は幕府に恭順すべきという考えを持つ藩内の佐幕恭順派が奇兵隊を率いる高杉らを追放させた。
しかし数ヵ月後、倒幕派は高杉に蜂起を要請し下関で挙兵、慶応元年1月とうとう長州藩内で佐幕派を撃退し再び藩の中枢に返り咲いたのであった。時は薩長同盟という日本の根底をひっくり返すほどの威力がある流れが支流から本流へと変わろうとする慶応元年になっていた。
四 大宰府
西郷が下した五卿の長州から大宰府動座にはこのようないきさつがあった。
慶応元年1月、五卿は土方久元、中岡慎太郎ら隋士を伴い肥前赤間の黒田公別邸の御茶屋へ入った。しかし、その御茶屋はあまりにも狭く安普請であった。わずか八畳間に五卿が入れられているような状況であった。怒った土方、中岡らはすぐに福岡藩月形洗蔵らに面会した。
「月形さん、三条公らを受け入れてくれたことは本当に感謝しちゅう。けんど、一時とはいえ、あの住まいはいかんろう・・。もうちょっと配慮してくれてもえいがやないろうか
?落ち延びてきたいうても元右大臣様ながぜよ。わしらは三条公らをあそこに逗留ようささんき。」
「中岡さん、申し訳なか・・。土方さんらがお怒りのこともわかっております。しかし、わが福岡藩は長州降伏後佐幕派の俗論党が藩内の中枢になりもうした。加藤さん早川さんもわしもこのままでは投獄されるかもしれんのです。お力になれず申し訳ありません。土方さん、中岡さん、本当に申し訳なかよ。」月形は顔さえ上げることができなかった。
福岡藩では勤皇派が藩内でも優位な頃は加藤司書らが西郷と共に五卿動座をしぶる長州藩を説得し大宰府へ五卿をお迎えすることになったのだが倒幕の志士たちとのつながりを幕府から談判され藩自体苦しい立場になり佐幕派が優位になり始めていた。
「土方さん。もうこれ以上月形さんらあには頼めんです。黒田公が佐幕になりゆう言う話は早川さんから聞いてましたき。わしゃあ薩摩へ頼みに行きますわ。」「そうじゃのう・
幕府に物申せるがは薩摩しかないか・・。」
「はい。」二人は赤間へと戻ってきた。
「総裁、このような処遇になり申し訳ありません。福岡藩は物申せんですき、中岡を薩摩へ行かせてえいですろうか?」「私たちは一時じゃと思うて辛抱しますから、無理しないでください。ところで土方よ、そういうてくれるのなら、昨日薩摩の大久保が上京途中にここへ立ち寄るという連絡がありました。その時でようないですか?」
「えっ、それはいつです?」「二十八日と書いてあった。」「そうですか。すぐでございますねえ。大久保もこの現状を見たら驚くかと思います。」「うむ。」
やがて、大久保一蔵から謁見の連絡が届いた
。そして二日後、赤間に着いて訪ねてきた。
「大久保さん、この別邸の状況をごらんになり、どう思われました?」「土方さん・・・
これはあまりにもひどすぎでごわすな。」
「福岡藩はこれ以上は無理や言うがです。なんとか黒田公にお申し入れ願えませんでしょうか?」「大久保さん、これじゃああまりにも総裁らが不憫です。こんな狭いところにお公家衆を押し込んで・・・わしゃあ情けないがです。」中岡は悔し涙を流し訴えた。
「わかりもうした。今から福岡藩へ申し入れしてきもんそ。お待ち願います。」
その後、大久保は福岡藩に赴いたが、そこはもはや佐幕派の巣窟になり、かつての同志たちもつぎつぎに排除されていた。
「土方どん、もう福岡藩は加藤司書らもおらず手のうちようがございもはん。大宰府のご用意ができるまでもう少し辛抱していただくようお伝え願いもはん。」「・・・・。」
数日後、五卿一行は福岡藩・久留米藩の警護の中、土方・中岡らと共に大宰府延寿王院に到着した。今後、五卿は慶応三年十二月の王政復古までここ大宰府に約三年間滞在することとなる。
慶応元年二月五日、薩摩藩の吉井幸輔と合流した土方、中岡らは再び京都探索の命により筑前赤間から出船した。途中、下関で下船し商人白石正一郎邸で休憩していた。白石正一郎は薩摩藩の御用商人で西郷とも面識があり、高杉の強引でありながらも計算高く男気のあるところを認め、奇兵隊発足時大金を出した親尊皇派の商人であり、高杉びいきであった。そこへ長府藩家老三好内蔵助ら四人が訪ねてきた。そしてここ下関にて、土佐、長州、薩摩の倒幕の意をもった志士たちの熱い論議が繰り広げられたのである。そして、倒幕への硬い意志を薩長融合、薩長同盟という目標という形にするということで一致していた。特にこの長州、薩摩が世情に左右されながらも本意が勤皇攘夷から倒幕へ変わり維新という近代的な考えとなりつつある背景には封建制度の撤廃という命題があった。
それを薩摩・長州が成しえる背景には、下層階級でも優れた人材があれば登用するという考え方、また優れた指導者がいたこと、そして地理的な要因もあり貿易という手段で幕府の眼の届かないところで収益を上げたために経済力があったということである。その中心は藩主や有力家老等ではなく、新しい考えを持ち憂国の意を持つ、桂小五郎であり、西郷吉之助であり、村田蔵六であり、高杉晋作であった。薩長では吉田松陰、島津斉彬という指導者に恵まれ優秀な人材がつぎつぎと現れた。土佐では武市半平太という傑物のもと多くの志士が育った。坂本龍馬、中岡慎太郎、土方久元らがそれである。
慶応元年三月、土方久元は中岡慎太郎と共に三条公の命により京都に着いた。そして、吉井幸輔と共に京都薩摩屋敷に逗留し朝廷や幕府の情勢を探索していた。
「土方さん、あしゃあ昨日鳥取の松田正人君に会うたがやけど、去年敦賀で武田耕雲斎様ら天狗党が何百人も処刑されて、残りの残党らも今月次々処刑されゆうようや。武田様の息子も・・。それに、水戸の奥方や娘、孫まで処刑されそうながやと。」
「女、子供まで・・・慶喜はどうしゆうがよ
。水戸の攘夷の芽は全部潰す気ながか。」
「慶喜は水戸を見放したがよ。松田が言うには天狗党の残党がまたなんかしそうながらしい。」「だれぞ、まとめれる人物はおるがやろか」「それが、武田様を始め藤田小四郎らの先達は全部殺されて、残っちゅうがは報復報復言うて騒ぎゆうだけの雑兵集団だけのようでちゃんとした指導者はほとんどおらんらしいがよ。」
「烏合の衆ながか・・・。わしらが手本にさせてもらいよった水戸攘夷派はもう済んだねや。」「はい。土佐勤皇党みたいに粛清されてしもうたがです。東には尊皇倒幕の雄藩がもう、おりませんき・・・。」「わしらが水戸の同志の分までやらなあいかんねや。」「はい。それと、昨今の会津の動きが妙なようです。」「出立か?」
「はい。また長州征討の用意やと思われます
。」「会津はあくまでも長州の息の根を止めるつもりながや・・。中岡君、こうしてはおれん。幕府の動きを抑えれるがは薩摩しかおらんき。早速、吉井君に大久保さんに面談の請願をお願いしてくれんか?」「はい。もう吉井さんには連絡しちゅう。」「さすがやな
。」「今日にも返答が・・。」
その日の夕刻、中岡の予想通り吉井幸輔が訪ねてきた。「土方様、中岡君の請願を一蔵どんが請けてくれもうした。明日、午後藩邸にて大久保が会ってくれもうす。」「かたじけない。礼を申す。」「いやいや、中岡君の様子、ただ事ではないと言うておきもうした」
翌日、二人は薩摩藩邸を訪れた。
「中岡君、なんぞ藩邸の様子がいつもと違うことないか?」「はい。なんぞ、騒々しゅう感じます。やはり、長州征討の命が・・・ですろうか?」「たぶん。」
やがて大久保一蔵が入ってきた。「大久保様肥前ではお世話かけました。おかげさまで三条様らあも落ち着いております。」「十分なこともできませんで申し訳なか。ところで、急な用件とはいかがなことでごわすか?」
中岡が詰め寄った。「はっきり申します。薩摩に対して長州征討の命が下ったがやないですか?藩邸内の様子がいつもと違うぜよ。」
「中岡・・。」「土方さん。よかです。中岡さあのことは吉之助どんに聞いとりもす。はっきり言うてもろうたほうがよかです。して
?」「薩摩はどうするつもりながです?」
「中岡さあ、どこで聞いたか知りもはんで、そんな話はなか。」「本当のことを言うて下さい。会津が江戸へ向かったことはわかっちゅうがやき。水戸からの報やき間違いないはずです。大久保さん・・。」「吉井どん、土佐の御仁は怖かあ・・。」「大久保さん、こん二人は信用できもうす。この吉井幸輔、神に誓いもうす。大久保さあの口から真実ば話してたもんせ。」大久保は真顔になって二人の顔を凝視した。「大久保様、西郷様は長州を攻撃せぬと申されたことを坂本も言うておりました。長州は今や四面楚歌。これを救うのは薩摩だけです。この中岡も蛤御門のことも朝廷からの要請であったからと西郷様が申されたと言うておりました。決して幕府の命には従わんとも・・。大久保様、命は下ったがですか?」「大久保さん、はっきり言うてや。」
大久保一蔵は静かに口を開いた。「まだ命は下っておりもはん。が、先の朝議で他のご重役は長州征討すべしということになりもうした。容堂公も・・。」
「やはり・・・。しかし幕府からの命は出ちょらんがですね。」「うむ・・。」
「大久保様、幕府はもういかんがです。体を成しておりません。慶喜公においては貴藩らがあってこそ威厳を持たれておりますが実情は家老どもや会津公の言いなりだと思うとります。フランスは属国の将と揶揄しているとか、聞いております。」
「フランスの後ろ盾がのうなったらなにもできやせんがよ。慶喜は水戸の天狗党を見殺ししてまだ、武田様の一族を女子供まで処刑しゆうと言います。慶喜は威信を保つには、もはや長州を朝敵として攻撃することしかないがです。大久保さん、長州と共に幕府を倒して下さい。武市さんは薩長融合こそ真の道だと言うてました。長州は強がっていても薩摩の援助を待ちゆうがです。」
「大久保どん。拙者、昨年よりこのご両人と行動してきもんした。長州のご要職ともお会いしもんした。長州は薩摩との融合を心から望んでおりもす。土方さんも中岡さんも命をかけて国を守ろうとしてごわんぞ・・。土佐のためでも長州のためでもごわはん。この日本のために走りまわっておりもす。坂本さんも土佐の志士たちも日本のためだけに働いておりもす。土佐を捨ててまで働いておりもす
。決して自分らが欲のために動いてはおりもはん。正直、拙者は薩摩んことしか考えておりごあはんで恥ずかしかって思うとりました
。大久保さあ、今こそ薩摩が日本を守るために立ちあがらんといきもはんが・。」
「土方どん。こん吉井ばあ、こげん気持ちにさせとうち、大したもんでごわすな。ようわかりもした。じゃども、こんことはおい一人の意見だけでお返事できもはん。じゃっどん吉之助さあは聞きいれてくれもんそう。」
「お願いいたします。」土方と中岡は深々と頭をさげ礼を言った。
「中岡君、薩摩はなんとかなりそうや。」
「はい。おの大久保さんがああ言うてくれたがやき、吉井君が言うには薩摩のお偉いさんじゃあ、いちばん難しいお人らしいき。土方さんによう似ちょるハハハ。」「そうかよハハ。」「ところで中岡よ。善は急げや。わしは今から長州へ入り、高杉さんと桂さんに会うて今日の話するき。おんしは薩摩へ行って西郷さんを下関へ来させるよう段取ってくれんか?」「わかりました。今から薩摩屋敷へ行って吉井さんとこれからのことを話してきますき。」「うむ。」
中岡は薩摩屋敷に吉井を訪ねた。
「おう、中岡君、どげんな?」「はい。実は私と土方は一旦大宰府に戻ろう思うちょります。三条公に謁見してから土方さんは長州へわしは薩摩へ行って薩長の話を煮詰めたいと思うとります。なんとしても西郷さんを桂さんに会わせんといかんがです。」
「わかりもした。しかし、吉之助さあは今頃
、三条公らに謁見して京都に向かっておるかと思いもはんぞ。我が胡蝶丸は明日、大坂から出港しますが乗られますか?我が父もそん船で鹿児島へ帰りもす。」「そうながですか
?ぜひとも乗せてもらいたいです。して西郷さんはどのあたりでしょうか?」「大宰府あたりかと・・・大久保さあと入れ替わり京都にはいられもす。」「そうですか、それなら薩摩へは行かず、長州で土方さんと働いてきます。吉井さん、西郷さんには今日の話をしちょって下され。」「わかりもした。おいも明日は父を送りに大坂へ行きもんでえ。」「それでは・・」「うむ。あっ、中岡さあ、知っておるとは思いもすが、この吉田も大宰府に参りますので同行させます。」
「清右衛門殿かあ。久しいのう。土方さんも喜ぶき。薩摩の腕利きが護衛じゃきハハ。」
吉田清右衛門は以前、薩摩藩から五卿の衛士として追随していた剛の者である。
中岡は吉田と共に土方を追いかけ、大坂の手前で追いついた。「土方さん、やっと追いつきました。実は吉井さんの父上が明後日の胡蝶丸で薩摩へお帰りになるがですと、それと吉田さんが大宰府へ赴任せれるとかで乗船させてもらえるようになったがです。」「そうかよ、わしゃあ早う行って大坂で船を構えないかん思うて急いじょった。胡蝶丸かあ、あれは早いきありがたいのう。吉田君かあ、久しいのう。大坂の晩も吉田君がおったら安心やねえ。」
京都の薩摩屋敷での面会からの数日後、二人は大坂の川口港で薩摩の汽船胡蝶丸上にいた
。港には吉井幸輔が見送りにきてくれた。
「それでは行って参ります。」「土方さん、なにとぞよしなにと大久保も申しておりました。お気をつけて。吉田さあ頼みもんそ。薩摩にとっても大事なお人らでごわす。」「かたじけない。薩摩隼人の決断、決して無碍にはいたしません。」胡蝶丸は出航した。
「中岡君、この汽船は長州領には寄港できまい。よって私は豊前で下船いたす。君は薩摩に入り西郷殿を必ず解きふせてもらいき頼むきぜよ。」「兄やん、ところが西郷さんは薩摩におられんがです。」「いったいどこにおるがよ?」「船で京都へ来ゆうがですと。今は大宰府やないろうかち、言うちょった。やき、わしらあ長州へ行って話まとめてすぐに戻らんといかんがです。」「なんと行き違いかよ。」
薩摩藩船である胡蝶丸は今はまだ敵船であり長州には寄港できないため通過し、二日後豊前に着いた。三人はそこから船で大宰府に向かった。「兄やん、蒸気の船はまっこと早いでねえ。あっという間に豊前やも・。」
「わしは二回目やけどまっことじゃ。龍馬が欲しがるはずよ。」「龍馬がいいよったかよ
。龍馬は船が好きやき。ハハ。」
翌日三人は大宰府に着き三条公に謁見した。
「総裁、ただいま帰りました。」「お疲れでした。して京都のようすはどうでしたか?」「はい、その前に総裁、先日薩摩の西郷殿が拝謁しに来ませんでしたか?」「おう、おいでじゃった。」「どのような用件で?」「流刑恩赦の嘆願のことの礼を言いに来たと。そのため、京都へ向かう途中で寄ってくれたようじゃったが。なにがあろうとも薩摩がわしらを守ってくれると言うておったわ。」「薩長のことは?」「土方と中岡に直言されて藩内ではおおごとじゃったらしい。久光公が幕府と会津らに抑えられておるからのう。しかし、西郷らは幕府も会津も信じておらぬような口ぶりじゃった。君たちに力を貸すよう言うておいたぞ。」「ありがとうございました
。総裁、会津は先日、長州征討のため出立しました。幕府の朝議で参与衆は長州征討で話がまとまったようです。薩摩以外は。」
「それでは、もうすぐ長州討伐の勅令があるやもしれんのですね。」「はい。急がねばなりません。私と中岡は今からすぐに長州へ向かいます。まずは下関の白石邸から行動しますので御用があれば下関へお願いいたします
。」「わかった。頼みます。」「はっ。」二人は草鞋を脱ぐ間もなく長州へ走った。そしてその途中、福岡で月形を尋ねた。
「月形さん。月形さんらが描きよった薩長連合の件、いよいよ実現しそうになってきよりましたき。先月、薩摩の大久保と面談し了承されました。あとは西郷だけですき。見よって下さい。」「そうか。頑張ってくれたまえ
・・・拙者たちはもう身動きとれなくなったゆえ。」「どうゆうことながです。」「昨日ご家老加藤が罷免謹慎させられた。私が率いる勤皇倒幕派がことを急きすぎて、殿の怒りを買うてしもうた。毛利と計り殿の弟を擁立させようとしているというでたらめな話を・
・・佐幕派の仕掛けた策よ。加藤様を失ったわれらはもう駄目じゃ、早川も投獄され、私もやがて・・・今はこうして謹慎しておる。土方さん、中岡さん、どうか我らの志を継いでくだされ。お願いいたす。」
「月形さん・・。心配御無用です。薩長が融合されたあかつきには黒田公もまた尊皇倒幕のお考えに変わってくれようぞ。」「どうかお願いします。」
「中岡、もう時間がないぞ、すぐに長州へ行かねば・・。恩義ある月形さんらを救うのじゃ。」「はい。」二人は走り去った。
慶応元年三月二十九日、土方らは下関白石邸においてとうとう長州藩の山県狂介、伊藤俊輔、井上多聞らと会い、薩摩の考えを伝え薩長連合について長州の理解を得た。当初は薩摩憎しの面々であったが山県が高杉の考えを述べ一堂納得した。そして、四月三日に桂と面談する約束をした。
その日、渋る桂を伊藤が連れてきた。「土方様、桂さんを連れてきました。」「俊輔に聞いたがわれらは何度と無く薩摩にはやられておる。いまさら何を言うても戯言でござる。土佐のお二人は何ゆえ薩摩と長州を結びつけたがるのじゃ?なんの徳があるのじゃ?朝廷から報奨金でも出るのかのう。ハハハ。」
「桂さん、えい加減にしいよ!。」中岡が立ち上がった。「これ、慎太郎!」「土方さんかまんがよ。この人はわかっちょって、わざとこう言いゆうがやき。薩摩の強さも西郷の男気も長州の現状も・・全部知っちょって言いゆうがやき。」「桂さん、桂さんがわしらを引っ張ってくれんと困る。」伊藤がしがみついた。
「桂さん、わしが褒美がほしゅうて招賢閣の議員をしゆうかよ?忠孝隊の面倒を見ゆうかよ?来島さんらあと戦したがかよ?桂さんと高杉さんが一番わかっちゅうはずやろ。」
「桂さん、この土方も中岡も日本を救いたいがです。フランスの操り人形みたいな幕府や自分の利益しか考えてない会津や老中、奴らに日本を任せれんがです。強国薩摩と長州が手を結べば日本は変わります。攘夷のために外国と戦うたがは長州と薩摩だけです。西郷さんもこのことで長州を認めちゅうがです。
薩摩は手を結んでもえいと言うてくれゆうに桂さんが昔の遺恨ばっかり言うて・・伊藤君も井上君も山県君もわかってくれたに、なんで桂さんはわかってくれんがです。」「桂さん!この中岡を信じてくれんがですか?」
桂は立ち上がり真っ赤な顔をして出て行った
。「土方さん、すみません。中岡さん・・・
桂はああいう男です。しかし、薩摩によって殺された長州人に対して、宿敵薩摩と手を容易に結ぶことができんのです。許してやって下さい。」伊藤は泣いて詫びた。
「伊藤君、桂さんの考え、ようわかりました
。あとのことはよろしゅう頼みます。」「高杉といっしょに桂と話をします。薩摩の方はよろしくお願いします。」「伊藤さんわかったきよ。任しちょってや。」
二人はすぐに大宰府に戻り三条公に桂との面談を報告しその足で京都へ向かった。
一刻の猶予もない状況であった
五 薩賊会奸
討、薩賊会奸。長州藩士は八月の政変、禁門の変以降、薩摩藩と会津藩を憎み草鞋の裏にこう書いていた。つまり、賊軍薩摩・奸物会津を討つ。という気持ちを始終持っていた
。この気持ちは決して忘れ去ることのできない長州人の深い憎しみが込められていた。
桂が薩摩に対する気持ちは決して個人的な憎しみではなく、薩摩を恨みながら死んでいった長州兵たちの憎悪が桂の脳裏から離れられないものだったのであった。
桂がこの藩士の気持ちを察し煮え切らない態度をとっていたのも頷けることである。
龍馬は困惑していた。勝麟太郎が開設した神戸の海軍操練所が脱藩浪士など激徒の巣窟とされ、とうとう閉鎖されたのであった。勝は江戸へ送還され隊士たちは行き場所がなくなっていた。他の隊士は国許へと帰ったが脱藩の身である土佐勤皇党の隊士と紀州藩脱藩の陸奥陽之助は帰ることができなかった。勝は約束どおり彼らを薩摩の海軍で引き取って貰うよう西郷に嘆願した。そこでその嘆願書を胸に龍馬は京都の薩摩藩邸を目指した。
薩摩藩邸で勝からの嘆願書を西郷に渡すよう頼み、吉井幸輔邸で待機していた。そこへ土方が尋ねてきた。「おや、龍馬ではないか?どうしよった?」「こりゃ兄やん、薩摩以来ですのう。神戸の操練所が潰されてしもうたがよ。」「そりゃまたどうしてぜ?」「亀弥太らが池田屋で騒動起こすし、蛤御門にも操練所の隊士がおったことらあが幕府にばれてのう。わしら脱藩浪士が危険な奴らじゃ言うて潰されたがよ。勝先生も江戸じゃあ・・。そんでもって勝先生が口利いてくれゆうき、みんなで薩摩へ行こうかと思うて西郷さんに会いにきたがよ。」「そうかよ。幕府も大したことないき。金もないがじゃろ?」「そんなことよ。ところで兄やんはどういたで?」
「わしも西郷に会いにきたがよ・」「そうかよ。」吉井が入ってきた。「坂本どん、西郷が会うち、連れてこいと言いもんど。」「すぐ行くというてたもんせ。ハハ。兄やんわしも急ぐき西郷に会うてきます。話はまた次の機会にしましょうや。」「そうやな。」
龍馬もまた走り去っていった。その後龍馬は約束どおり隊員たちと薩摩へ渡り、薩摩藩海軍でイギリスの操練術を隊士と共に学び、後には薩摩から蒸気船を借り受け、薩摩に資金援助してもらい海運業を長崎で始める。これが亀山社中であり、後の海援隊である。
一方、土方はなかなか西郷に面談できずにいた。数日待ったが、西郷は急遽薩摩へ戻ることになり結局会うことができなかった。
「土方殿、誠に申し訳ない。じつは幕府が長州再征討令を布告しもうした。西郷は久光公と大久保さあと合議されに薩摩へ帰られもうした。龍馬どんも一緒に・・」「しもうた、
わしも行きたかった。龍馬に話しちょいたらよかった。」
土方は悔しがったが西郷らは出立していた。
西郷に面会できないまま土方は急ぎ、大宰府へ戻った。
「中岡君、幕府が長州再征討令を布告したがよ。西郷さんは薩摩におる。わしはちと身体の具合がようないき、おまん薩摩へ行ってくれんか?わしはここにしばらく居って長州の状況を調べゆうことにするき。すまんのう」
「わかりました。土方さんはちと動きすぎたきやろ。あしに任しちょってや。」
依然として元気な中岡は薩摩へ向かった。
西郷は急遽薩摩に戻り久光公を囲んで幕府の布告について合議した。そして、強引な長州再征に対し薩摩は出兵を拒否するように決定されたのである。
その頃龍馬は海軍操練所の隊員たちと神戸で合流し、薩摩へ向かっていた。
龍馬たちが薩摩に到着すると、家老小松帯刀がすべて準備してくれていたので二日ほど休養した後、薩摩海軍の軍艦に乗り訓練を始めた。隊員たちは水を得た魚のように熱心に訓練し薩摩藩の船員育成に努めた。
「蔵太、あしゃあ、ちくと西郷さんの所へ行ってくるき、おまんらあは訓練を続けよってや。」「はい。」
実は龍馬はこの先、蒸気船を一艘薩摩から借り受け長崎で薩摩名義で仕事をしようと考えていた。この話は薩摩も受け入れられ、名義と資金を龍馬に貸すことになる。これがやがて薩長同盟締結に重要なこととなる。
「西郷さん、あの話は島津公が許してくれたかえ?」「久光公も認めてくれもうした。ただし、今しばらくは薩摩のために働いてたもんせ。おまんさあらの操船技術は大したもんでごわす。うちのヘノコらを一人前にしてたもんせ。殿はそうお望みじゃ。」「わかったき。薩摩のヘノコもなかなか筋がえいぜよ。ハハハ。」
「吉之助どん、また土佐の中岡が来られもんしたがいかがしもんせ?」
「通してやんなせ。」すると、中岡が息を切れして入ってきた。
「ありゃ、龍馬、なんでここに?」「わしゃ西郷さんに拾うてもろうたがよ。ハハハ。おんしこそ、どういた?そんなに慌てて。」
「西郷さん、幕府の布告に対する薩摩の答えは?」「中岡さあ、いきなりでごわすか?」
「はい。薩摩の答えを聞きとうて来ました」
「薩摩は再征を拒否しもす。久光公も同意してくれもした。一蔵どんは朝廷に長州再征討み反対する請願を出す用意をしておりもす」
「そうですか・・よかった・。」そういうと中岡は安心して座り込んでしまった。
「中岡、おまんあの薩長同盟のことを世話しゆうがかよ?」「そうよ。土方さんもだれて寝込んじゅうけんど、長州を説得しゆうがやき、けんど桂がなかなか・・。」「あいたあ強情やき。またどうせ昔のことを言いゆうがやろ?」「そうよ。まっことしわい人よ。」
「そうやろ、桂やったらわしに任しや。わし
も薩長同盟のことは気になっちょたがよ。土方さんにも頼まれちゅうし。後のことは内蔵太に任せて、わしが長州へ行ってくるき。」
「待ちなんせ、坂本どん。おはんらだけの意見で決めてもろうても困りごはんで。おはんがおらんでヘノコらあの訓練はどげん?」
「西郷さん、教えるがはわしより池の方がうまいき。わしゃあ、いらんこと言うて、うろうろしゆうばあやき。」「じゃっどん・。」
「西郷さん、長州はかわいそうやろ。朝敵にされ幕府に攻められ身動きさえできんがです
。これで長征が始まったら、もう玉砕しかないがです。」「それは、ようわかっておりもす。が・・。」「西郷さん、長州は助けてくれ!言いゆうがです。ただ、口に出せんだけながです。」「が・・・。」
二人の話を聞いていた龍馬が立ち上がった。「おまんらあ、なにを言いゆう。話す必要があるかえ?中岡、西郷さんに桂に会えっち言いや!西郷さん、助けるっち言いや!理屈はいらんがやき。桂も西郷さんも、自分らあの面子は捨てや。そうせんと話しても無駄やきよ。ほんま、煮えきらん・・・。わしゃあ、そういうがが一番嫌いや。」「龍馬・・。」
「わかりもした。じゃどん、おいが長州へと
行くことは小松さあや久光公のお許しがのううてはできもうさん。」「よし、そんなら中岡、おまんはお許しが出たら西郷さんを連れて長州へきいや。その間にわしはあの頑固者をなんとかするきよ。」「わかった。龍馬頼むで。」「おうよ!」龍馬は急いで港へ行き
陸奥陽之助を連れて長州へ向かった。
慶応元年閏五月六日のことであった。
二日後、龍馬は大宰府の三条公に拝謁し薩摩の状況を説明した。そこには運よく長州藩士小田村素太郎と長府藩士時田少輔が居合わせており、明日、桂と面談できるよう頼んだ
。三条公も頭を下げたので二人は無碍にできず急遽、桂に会うべく長州に戻った。
そして龍馬は土方と共に下関へ渡り、白石邸に入った。「土方さん、身体は大丈夫かえ」
「天下の大事、寝てはおれんろう。」二人はその日は明け方まで倒幕について理想国家について語りあかした。
翌日、時田と一緒に桂が白石邸を訪ねた。
「桂さん、お気持ちは固まりましたか?」
「土方さん、この前会うた時に伊藤に聞いたと思いますが、私は薩摩に殺された長州藩士たちに対して薩摩と手を組むとはよう言わんのです。どうしても・・・。」「桂さん、おまんばあ執念深うて、これからの長州を荷のうていけるがかよ?意地張るがも大概にしいよ。」「龍馬!言いすぎじゃ。」「かまんちや、無礼やきと腹立ったらわしを斬りや。わしゃあどうせ身分の低い郷士やき。かまんぜよ。」「坂本君、江戸で修行中の頃から君のことは知ってました。私はあなたを身分が低い郷士やとか思ったことはない。しかし、長州人として薩摩のことは許せんのです。」
「おまん、まだ長州人とか薩摩人とか言いゆうがかよ。なら、わしらあは土佐人かよ。みんなあ同じ日本人やないがかよ。黒船以来、日本は異国に攻められゆうがぜよ。清国みたいにしたいがかよ。もう攘夷らあ言いゆう暇はないがぜよ。あんな異国の僕みたいになっちゅう幕府は倒さんといかんが。そのためには長州と薩摩が手を組まなあいかんが。おまんはそんなこともわからんがかよ。」
桂は奥歯が折れんばかり噛みしめ龍馬の顔を凝視していた。時田が口を挟んだ。
「坂本さん、桂さんは土方さんたちと面談してからずっと考え込んでおります。悩んでおります。しかし、伊藤が申したように桂さんはどうしても割り切れないんです。今日は一旦帰らせていただきます。桂さん・・。」
桂は時田に抱えられて白石邸を出た。
「坂本さん、桂を許してやってくれんかのう
、あの男は昔っからあんな男じゃて。まじめで藩のことしか考えれん男じゃき。高杉のように割り切れんところがあって・・・。」
白石翁が頭を下げた。
「白石さん、私が今から文を書きますき、高杉さんに渡してくれませんろうか?」土方が白石翁の肩をたたきながら言った。「ようございます。」「土方さん、なんと?」「ああ
、桂さんに薩長同盟は諦めて長州は総力を挙げて幕府と戦おうと言うてみてくれとな。」
「なるほど、逆療法やねえ。」「ああ、桂は薩摩の後ろ盾がないことにはどうしようもないことはわかっちゅうはずやき。高杉さんがそう言うたら決心もつかあよ。」「さすが土方さんや。」土方は書簡を白石翁の手代に渡した。「いますぐ渡してくだされ。」手代は全速で走っていった。
「ところで龍馬、西郷には談判したがえ?」「はい。薩長がどっち向くかで日の本は変わるがで、と言うちゅう。」「そうか。後は中岡がやってくれるろうのう。中岡の言い負かしは天下一やから・・・。」「土方さん仕込みやきねや。」「よし、薩摩はなんとかなりそうやな。あとは長州や。」「土方さん、長州は話がついちょったがやなかったがかよ」
「だいたいはのう・・けんど、あのとおりよ
。桂さんよ。三好様ら重臣も高杉さんも会うてくれる約束はしてくれたがやけど。桂さんは難しい・・。けんども今日来てくれたし、あとは高杉さんに任すしかあるまい。」
翌日、今度は伊藤、井上、時田の三人が桂を連れて来た。しかし、相変わらず桂は遺恨ばかり並べて話は一向に前に進まないまま、また帰っていった。
「龍馬さん、あの桂いう男はまっこと女みたいな奴ですのう。ああじゃこうじゃ、まっこと煮えきらん。」「陽之助よ、あの人に長州の命運がかかっちゅうがやき、あしがあの立場やったら、桂さんみたいになるろうて。」
「土方さん・・。」「あしも上士やに土佐勤皇党に入るが二カ月ばあ考えたがよ。家族はみんな反対したきねや。」「そうながですか
。大変やったろうう・・。陽之助、土方さんは上士やき、いらんことせんでもかまんかったがよ。わしらあと違うて随分考えたと思うで。」「はい。私も父は元家老でした。けれど、父が図られて失脚して面白くのうなって脱藩した身です。」
翌日、今度は高杉が時田を伴って桂と来た。
「土方さん、私も高杉の一緒に長州で戦って死のうという言葉で心を決めました。薩摩と手を結びます。ただし、先に薩摩が口に出してくれんと私からは口に出しません。」
「わかりました。よう決心してくれました。後は私らに任せて下され。それでえいろう?龍馬よ。」「ほんま強情やき。」「龍馬、桂さんの顔も立てちゃりや。」「坂本君、桂のことを理解してやってくれないか。頼みますよ。」「高杉さんは優しいねや。ようわかったき。中岡が来るまで酒でもやろや。」
「いいですねえ。」「私は帰らせてもらいます。酒を飲む気にはなれん。」桂は高杉を残し、帰っていった。
「あんな男です。ハハハ今夜は私の三味線でもご披露しますか。」「そりゃ楽しみや。あんな辛気臭い男は放っちょこ。」
その頃、中岡はまだ薩摩にいた。
西郷が何度となく久光公に請願したのだが幕府に対していい顔がしたいため、なかなか首を縦に振ろうとはしなかったのである。
「小松さあ、長州との融合の件でごわすが、
久光公はどうしても許してくれもはん。長州をこのまま攻め滅ぼしたら幕府は薩摩へも圧力ばかけてくることは間違いありもはん。
おいとしましては薩摩と長州が手を結ぶことは幕府にこれ以上無理ば言わさんがためには必要だと思いもす。ご家老からもお口添え願えもはんか?」「亡き斉彬公がごと意思が強かお人なら決断も早かろうに・・。わかりもした。吉之助どん、おいからもう一度進言いたしもす。もう将軍は大坂に入られたらしいしゆっくりはできもはん。」「小松さあ、どうかお願いいたしもす。」
後日、家老小松帯刀を中心に藩の重臣たちすべてが後押ししてくれたため、とうとう久光も西郷の長州入りを許した。
「中岡どん、やっと久光公のお許しがでもした。すぐにでも出港いたしもんそう。」
「ありがとうございます。」西郷は中岡を伴い下関をめざした。しかし、船が豊前に寄港したおり京都の大久保から西郷に緊急の書簡が届いた。
「中岡どん、おいは今から急遽京都へ行くことになりもうした。大久保どんがすぐに来るよう言うてきもんした。」「西郷さん、どうしてながですか?桂さんは待ってくれておるがですよ。」「承知しておりもす。じゃどん
、大久保さあの大至急上京の報がごわす。中岡さあはここで降りてくだされ。早く、もう船は出もうす。」「西郷さん・・・」「早く降りてたもんせ。」中岡は理由も告げられず強制的に下船させられた。
実は、西郷と中岡が乗船していた船に幕府の密偵がいるらしい、という情報が届いた。今西郷が下関で下船したことが幕府に知られることは薩長同盟が根本から潰れてしまうと西郷が判断したことであった。
「桂さんや龍馬にどう言えばえいがじゃろうか・・土方さんにも・・。」
中岡は気を落としながらもいくつか漁船を乗り継いで、やっと下関に着いた。もう、身なりも気持ちもボロボロであった。
下関の白石邸には連日、桂よりの使いがあった。西郷が来ると言ってもう十日が過ぎていた。実は、桂と高杉が訪れた日に土方がつい二,三日後に西郷が来ると言ってしまっていたのである。
「龍馬、あしがすぐに来るような返事したき桂さんは随分苛立っちゅうみたいやねや。あれからもう十日も経つ・・・今日の文には薩摩はもう信用できんち書いちょったし。」
「土方さん、気にしなや。中岡が連れて来るきよ。陽之助、港へ行って様子見てきいや」
そこへボロボロの中岡が帰ってきた。
「龍馬さん、もんてきた、もんてきた。」
「慎太郎~遅いやか。みんなあ待ちかねちゅうがやき。」「中岡君おつかれ、西郷さんは
?」「どこにおるがな?」どこを見ても西郷の姿はなかった。「まさか、どっかで待ちゆうがやろ?」「すまん、龍馬・・すみません
、土方さん・・・すみません。」中岡は倒れるように崩れ落ちた。「どういうことながな
、慎太郎よ。西郷はどうしたがな?」「龍馬
、西郷は下関に来るつもりで鹿児島を出たがちや、けんど豊後についた時、京都から連絡がきて西郷はわしを降ろして京都へいってしもうた。わしは五日前から漁船を乗り継いで
、今日やっと下関へ着いたがちや。わしゃあ
、おまんにも土方さんにも桂さんにも合わす顔がないがちや・・。龍馬よ・・・わしゃどうしたらえいがな。腹切れ!言うたらいつでも切るき、許してくれ。」中岡は立ち上がることもできなかった。
「わかった、わかったき、慎太郎。おまんと土方さんは今まで死ぬ気でやってきたがやか
、そのことはみんなあ知っちゅう。わしらあ後から手伝いゆうだけやき。桂さんにはわしが会うてくるき、心配しな。陽之助、行くぜよ。これからがわしらあの仕事よ。」「はい
。」「龍馬、待ってくれ。わしも行くき。」
土方も龍馬の後を追った。
萩城は幕府の征長軍の攻撃に備えて奇兵隊らが集合し、高杉の指揮のもと慌しく準備していた。高杉は龍馬の姿を見つけると駆け寄ってきた。「坂本君、やっと来てくれましたか
。桂さんも待ちかねています。」
「高杉さん、西郷は来ません・・。」「えっ
、どういうことです。中岡君は?」「慎太郎は高杉さん、桂さんに会わす顔がない。腹を切ってお詫びする言うて、桂さんからの沙汰を待ちよります。」「なにか事情があったんでしょう。わが藩は中岡君の切腹なんか望んではおりません。」そこへ桂がやってきた。
怒りが見えるように真っ赤な顔をしていた。
「坂本君、やっぱり薩摩にしてやられた。だから私は最初から断っていたんじゃ。いつもいつも薩摩は長州を馬鹿にしておる。もうよい!長州は最初から薩摩ごとき芋侍なんぞ当てにはしておらん。長州は長州だけで幕府を退けてみせます。帰って下さい。」「桂さん
、申し訳ありません。西郷様は下関へ向かって鹿児島を出たのです。が、急遽京都へ向かうたがには必ずわけがあったはずですき。」
「ほう、土方さん、どういうわけが?」「いえ、それは・・・。」「答えられんじゃないですか?われらは薩摩に騙されたんですよ。馬鹿にされているんですよ。」「桂さん。」
桂はそういうと奥座敷へと戻って行った。
「土方さん、今日のところは帰りましょうや
。これ以上おっても桂は許してくれんき。」
「けんど、龍馬・・。」「桂さんは騙されたと熱うなっちゅうき、今はなに言うても無理じゃき。高杉さん、また来ますき。」「わかりました。坂本君頼みます。どうかよろしくお願いします。」
三人は、白石邸へ戻った。中岡は相変わらず喚いていた。「慎太郎、やかましいぞ。おまんがなんぼ喚いてもどうにもならん。ちっとは冷静になりや!」「けんど龍馬、桂さんは怒っちゅうろう。」「そりゃもうかんかんよ
。けんど、高杉さんはまだ冷静やきなんとかなる。陽之助、田中顕助いう男が高杉さんのところにおるき呼んで来てくれんかよ。」「はい。」龍馬は高杉の書生をしている田中顕助を呼びに行かせた。「中岡君、とりあえず中へ入ろうや。」「土方さんすみません。土方さんにも恥かかせてしもうたき・・。」「大丈夫やき、西郷さんとの話ゆっくり聞かせや。」三人は白石邸へ入り一息ついた。
「中岡君、わしはおまんとずっといっしょに働いてきた。おまんがそんなざっとした男やないことはわかっちゅうき。豊前でなにがあったか話してくれやあ。」「慎太郎!なにがあったがぜよ。」「わしと西郷さんは久光公の許しが出てすぐ鹿児島を出たがよ。もちろん下関を目指しちょった。途中、石炭を積みに佐賀関に寄ったがよ。そこで西郷は大久保からの書簡を受け取ったが。それを見た西郷は急に、わしを降ろしたがよ。京都へ急ぎの用ができたきゆうて、わけは言わんとわしの話を聞くこともなく出港したがよ。わしゃあ
なにがなにやら、さっぱりわからんがよ。」
「大久保さんから急用があったがやねや。わかった。悪いがは西郷や。西郷にわしが責任を取らせるき。」
「けんど龍馬、わしは桂さんを怒らせた、西郷に責任取らせる言うても桂さんにまた会うてくれとは言えんぞ。」「慎太郎、おまんはなに言いゆう。おまんは誰よりも長州のために働いちゅうやないか。あの八月の戦でも蛤御門の時も命がけで長州のために働いたがやないがかえ。それは桂さんも高杉さんも知っちゅはずや。おまんを責めることらできん。
桂は西郷に裏切られた、薩摩に騙されたき言うて怒っちゅうがぞ。時間がたてば冷静になれる男やき。」その時、顕助が入ってきた。「龍馬さんお呼びのようで。」
「おう顕助、おまんはずっと高杉さんについちゅうろう?」「はい。」「今の高杉さんの様子はどうよ?」「確かに怒っちゅうけんど
、近いうちに龍馬さんらが来るろうと言うてました。」「そうか、さすがは高杉さんじゃな。顕助、明日午後伺うき高杉さんに言うちょってくれんかよ。」「わかりました。」
「龍馬よ、明日は早すぎやないかえ?」「土方さん、時が経てば落ち着くけんど、長すぎたらわしらあが策たてゆうように桂さんは考えるき。早目がえいろう。慎太郎明日はおまんも行くで。」「龍馬・・なにか考えがあるがかよ。」「ない。」「ないち龍馬・・。」
「わしらには策士土方がおるき。のう土方さん、ハハハ」「ハハやないき。」しばらく三人は話し込んでいた。と土方が手を打った。
「そうじゃ、龍馬、おまん西郷さんに責任取らす言うたねや。」「言いました。」「それで思うたがよ。長州に薩摩名義で鉄砲買うてもらうように言うたらどうよ。長州はどこからも武器を買えんき困っちゅうがやし。」
「そりゃえい。龍馬、今年は薩摩は米が不作や言いよったでねや。」「たしかに西郷さんも困っちょた。」「長州は豊作ながよ。そうや、薩摩がエゲレスから武器を買うて長州に売る。そんで長州の米を薩摩が買う。それを条件に話したらどうやろ。この前長州の伊藤が最新の武器がほしいち言いよった。」「それや!さすがは土方さんや。明日はその話を桂さんにしょうや。絶対許してくれるき。」三人は手を取り合った。
翌日、三人は田中顕助の案内で萩へ入った。
「坂本君、また私の前に顔を出すとは図々しいものですね。帰って下さい。中岡君もよく私に会いに来れましたね。」「桂さん、土佐の方々は私らのために来てくれているのですよ。冷静に話を聞きましょうや。」「ふん」
「桂さん、本当にすみませんでした。西郷さんをお連れできず申し訳ありません。」
「桂さんえいかげんにしいよ!中岡が今までどればあ長州のために働いたか、死を覚悟して働いたがやないかよ。その中岡が謝りゆうがぜ。許しちゃりや。」「中岡君の話を聞こうか。」「高杉さん。」「桂さん、聞きませんか?」「言い訳はいらないよ。中岡君。」
「皆さん、まずは中へ入ってください。」
桂、高杉、伊藤、土方、中岡、龍馬、陽之助が向かい合って座った。龍馬が口を開いた。
「桂さん、悪いのはすべて西郷です。西郷に責任を取らせるき。」「坂本君意味がわかりません。」「桂さん、高杉さん、これは土方さんの案です。長州にエゲレスから武器を調達するのはどうで?」「ハハ坂本君、長州に武器を売ってくれる国がないのは知っているでしょう。馬鹿な。」「桂さん、薩摩が名義を貸してくれたら買えるがやないですか?」「なんと。そんなことできまい。」「西郷に責任を取らすち、そういう意味やき。わしらが絶対に、うんと言わせるき、それやったら西郷に会うてくれるかよ?」「桂さんこれはいけます。私らが長崎でいくら頑張っても買えませんでしたが薩摩名義なら軍艦でも買えます。桂さん、坂本さんたちにお願いしましょう。高杉さん、いいですね?」「俊輔、貴様まだ薩摩を信用できるのか?悔しくないのか?どうよ。」「悔しいですが、坂本さんは西郷が悪いといいました。信じましょう。今長州の味方は土佐の方々しかおりません。
すべて任せましょう。桂さん!」
「これが最後ですよ。坂本君、中岡君、土方さん。」「ありがとうございます。必ず西郷を説き伏せます。それと、薩摩に米を売ってくれませんか?」「米?」「はい。今年も薩摩は不作で兵糧米がぜんぜん足りんがです。
そんな薩摩に米を売って下さい。」「いいでしょう。」「みなさんに任せます。」高杉も頭を下げた。「坂本君、ちょっと。」「高杉さん、なんですろう?」「これを。」「こりゃピストルですか?」「はい。私が上海で買ったものです。これからあなたには矢面にたってもらわなければなりません。護身用にお持ちください。」「ありがたく、いただきます。前からほしかったがですき。」
三人は下関に戻った。「さあ、大仕事や。坂本君と中岡君は京都へ行って西郷さんを説得してくれるかよ。わしは大宰府に帰って総裁に報告してくるき。」「わかりました。陽之助おまんも来いや。」一行は下関で別れた。
六 意地
慶応元年六月、龍馬と中岡は京都薩摩藩邸に着き、吉井宅で西郷の返事を待っていた。
そしてとうとう西郷に面談を許された。
「坂本君、中岡君、待たせて悪かごつ、許してたもんせ。」「いえ、西郷さん忙しいにすまんですき。」「西郷さん、わしゃ、佐賀関で降ろされてからほんまに難儀しました。」
「ほんにあん時ば悪かごつ申しわけごわはん
でもした。桂さんはさぞお怒りのこと思いごわはん。」「わたしゃ、切腹も覚悟しましたき。」「ほんに悪かこつしもんした。」「西郷さん理由は聞かんき。けんど今回のことは西郷さん、おまんが一番悪い。」「坂本さあ
おいは、どげんしたらよかち。」「聞いてくれるかよ。」「どげんことでごわすか。おいも男でごわす。約束を破った以上、どげんことじゃっとしもす。」「もう一回機会をくれませんろうか?」「長州は会うてくれもうさんじゃろて。」「私が言う条件を薩摩がのんでくれたら長州は考え直してくれます。」
大久保が口をはさんできた。
「吉之助さあ、なんち、おいらあが長州ば気つかわんといかんのでごわすか?おいらあは別に長州と手ば結ばんとでも構いもはん。」「大久保どん、おいはこん土佐の御仁に恥ばかかせたち、こんことは薩摩隼人として謝らなあいきもはん。」「じゃっどん・・。」「坂本さあ、そん条件とは?」「はい、長州に薩摩名義で武器を買うことをお願いしたい
。長州は幕府が邪魔して、金はあっても外国からは鉄砲ひとつ買えんがじゃ。金は出すき武器を買っちゃってくれんか?。」
「吉之助どん、それば幕府にわかったら久光公の立場がなくなりもうそう。坂本さあ、そんはできもはん。」「大久保さん、おまんが朝廷にだした長州再征討反対の親書はどうなったがですか?」「あれはまだ・・。」
「今こうしゆう間にも幕府は長州に攻め込む準備をしゆうがですよ。現に将軍は大坂城まで着いちゅういうやないですか?朝廷は薩摩の親書ら受けるつもりはないがです。薩摩は朝廷の命には逆わんとタカを括っちゅうがですよ。けんど、朝廷言うても幕府のいいなりでしょう。公家さんは金ないき幕府に頼っちゅうろう。幕府はフランスに頼っちゅう。こんな朝廷や幕府をいつまで立てるがです。薩摩は凶作で兵糧もないがですろう?幕府が構えてくれるがですか?長州は米をタダで出してもえいと言うがです。西郷さん、大久保さん、長州はここまで考えちゅうがですよ。薩摩隼人が義ばっかり言いよって本当にえいがですか?」
「中岡さあ、そんは土方さあの策でごわすか
?」「この中岡もあしも土方さんも薩長同盟に命かけちゅうがです。異国に干渉されん、強い日本にしたいがです。これが本当の攘夷やないかよ。薩摩隼人の意地ば見せちゃり!長州は意地を見せゆうき。」「ようわかりました。坂本君、薩摩ん強か意地ばお見せいたしもんそ。」
「吉之助さあ・・。」「一蔵どん。土佐の方らあが、新しか日本のためにこんくらいやりよう横で薩摩隼人が知らん顔ばできもはん。義を言うなち、そんとおりでごわはんか?」
「吉之助さあ・・」「坂本さん、中岡さん、おいの気持ちは固まりもんした。武器ば買いましょう。じゃっどん、薩摩ん船で運ぶことはできもはん。」「西郷さん、わしは薩摩のご家老に尽力してもろうて長崎に亀山社中を作っちゅうがよ。亀山社中がグラバーから武器を買うて長州へ送らあよ。グラバーも薩摩の名義があれば売ってくれるき。」「そうでごわすか。坂本さんには勝てんのう。もうそこまで用意されてごわすか?」「あとは龍馬に任せてくれんかよ。大久保さん。」
「・・仕方ありもはん。」
「坂本さん。大変でごわす!」その時、吉井幸輔が走りこんできた。「幸輔どん、なにごとじゃ?」「ただいま国許より文があり、土佐の武市半平太が切腹。他の郷士らは斬首。とのことでごわす。」「武市先生が?なんと
・・・総裁の嘆願も届かなかったか・・。」
「アギ(武市のあだ名)が切腹?以蔵らが斬首?おのれ容堂!おのれ後藤!・・土方さん
、わしゃあ今から土佐へ帰るき。後藤らを斬る!許せんき。アギ・・・以蔵・・・わしがおまんらの無念晴らしちゃうき。待ちよりよ
わしが・・わしが斬るきよ!。」
龍馬は立ち上がった。「坂本どん・・。」「龍馬よ。待ちや。今、おまんが土佐へ行っても殺されるだけや。」「慎太郎!おまんは我慢できるがか?もう薩長らどうでもえい!こんな国らあ潰れてしもうたらえい!異国の奴隷になったらえいがよ!」「龍馬・・。」「どうした慎太郎、おまんが一番先に殴りこむ気性やろが!」「坂本どん、今はそういう時期ではありもはんぞ。」「大久保さん、おまんは他人事やき、そう言うがやろ。放っちょきや。」「えいかげんにしいよ!龍馬。」「慎太郎?」慎太郎は眼に一杯の涙を溜めていた。
「龍馬、わしは武市先生を心から尊敬しちゅう。ほかの同志もそうよ。武市先生のために立ち上がった野根山の同志も全員殺された。わしの身内もおった・・・。大久保さんも池田屋で薩摩藩同士の殺し合いを止められなかった。みんなあ、今の幕府のやり方が間違うちゅうき倒幕に動きゆうがよ。久光公も容堂公も幕府の圧力に耐えれんかっただけよ。武市先生も薩摩の有村さんも元は藩主のお気に入りよ。けんど時代の波がちょっと変わってしもうて、こうなっただけよ。もとは一本の流れながよ。この流れを堰き止めて二つの流れに変えたがは幕府ながよ。そうでしょう?西郷さん、大久保さん。やき、流れを元に戻すために働きゆうがですろう?」
「中岡さあ・・・。」「けんど、慎太郎よ。
わしゃあ悔しくて悔しくて・・。なんもしてやれんかったがが悔しくて・・・。」「龍馬
、先生は怒っちゃあせんき。あとは頼んだぞ龍馬って言いゆうき!おまんには亀山社中もあるやか!今おまんが悋気起こしてどうするがよ?武市先生が描きよった理想国家作らんといかんがやろが。」「慎太郎・・。土方の兄やんに言われゆうような気がしたちや。」
「坂本どん、中岡どん、おまんさあらの気持ちはようわかりもした。おいもそん理想国家というもんのために京都で幕府軍を足止めさせるようしもす。一刻も早く長州に戻って桂さんらあをお連れ願いもす。薩摩名義の武器購入も許可しもんそう。」「西郷さん、ありがとうございます。龍馬、泣きゆう場合やないぞ。行くぞ。」「おうよ!」
三人は西郷の書状を胸に飛び出して行った。
「陽之助!」「はい。」「おまんは今すぐ長崎へ戻れ。そしてこの書状をグラバーに渡して武器と軍艦を買うよう段取ってくれ。交渉はおまんと饅頭屋に任す。わしは長州で米の段取りをするき、船を下関へ出してくれ。」
「わかりました。」陽之助は疾風のごとく飛び出して行った。「龍馬よ。あの陸奥、若いのになかなか利口な奴やねや。」「ああ、やがては亀山も陽之助に任そうと思いゆう。」
「して、饅頭屋ち、あの長次郎かよ?」「ああ、長次郎も長崎に来ちゅうがよ。あいつは商人の出やけど英語も話せるしなんちゅうても金の交渉がうまいき。」「そうかよ。」
この陽之助は英語に精通し維新後も政府の中枢として活躍した後の名外務大臣、陸奥宗光である。陸奥は始終龍馬に追随し多くの人物に接し、龍馬の考えを身を持って学べた。饅頭屋長次郎は英語力を生かしたいがために英国留学を画策したがそのことを隊員に責められ自害してしまう。
龍馬と中岡はその後京と朝廷の様子を探り、慶応元年八月大坂をあとにした。
数日後、二人は下関に着いた。「龍馬よ。わしは大宰府に行って三条公っと土方さんに会うて来るき、おまんは桂さんに会うてきてくれんかよ。」「おう、西郷の話と米の段取りしてくらあ。終わったら長崎へ戻るき、総裁と兄やんによろしゅう言うちょってや。」「ああ、ほんなら・・。」中岡は下船せず大宰府へ向かった。
下関に下船した龍馬は白石邸に落ち着いた。
そして、翌日には田中顕助の案内で桂、高杉に面会した。
「坂本君、ご苦労です。」「高杉さん。無事西郷の念書いただき武器と軍艦の購入ができますき。」「はい、先日伊藤とともに長崎に伺い、陸奥君と銃の数量などを注文いたしました。これで長州は生き返ります。ありがとう。」「わしゃあ、長州のためにしゆうわけやないがやき。社中の仕事やき。ハハハ。」
「そうですねえ。そのほうが気が楽です。」
「やあ、坂本君!」桂も出てきた。そこにはあの女々しい桂の姿はなく凛々しい笑顔の桂があった。「桂さん。えらい機嫌がえいですのう。」「いや、今回は土佐の方々には本当に迷惑をおかけした。申し訳ない。」「わしゃあ、商売ですき!ハハハ」「なるほど。」
「ところで桂さん、薩摩への兵糧の件ですが本当にタダでえいがですか?」「もちろんです。薩摩がほしいだけ言うて下さい。」
「ほんならとりあえず五百俵ほどお願いします。」「わかりました。勘定奉行のほうへ指示しておきます。」「それでは後日伺いますので。」そういうと龍馬は長崎へ向かった。
後日、この兵糧米はタダでは受け取れない、一度タダと言った以上、代金はもらえない、そうゆう両藩の間で行き来している間に消えてしまい、その行方はわかっていない。おそらくは龍馬がどちらもいらないのなら貰っておけ、と言ったのではないだろうか?
中岡は大宰府に戻り、三条公の衛士として護衛していた。そして、間を見ては長州に渡り三田尻を訪れ招賢閣で忠勇隊の面倒をみていた。そして、奇兵隊の演習に参加しており
、これが後の陸援隊の組織作りの基盤となっていた。「顕助、奇兵隊はすごいねや。高杉さんの元、固くまとまった隊員らあの眼の色が違う。昔の土佐勤皇党のようや。高杉晋作
、武市半平太。人望のある人の元に集まった隊は集められた隊とは全然違うねや。」「はい。百姓はもちろん、蕎麦屋や魚屋もおります。そこへ藩士も集まり、みな同じ釜のめしを食い同じ場所で寝起きしよります。身分らあ全然ないがです。奇兵隊は強いですよ。」
「土佐でもこんな軍隊作りたいねや。」「はい。」「顕助、よう習うちょけよ。」「はい
。勉強しよりますき。」
後に中岡慎太郎は土佐藩専属の軍隊として、陸援隊を組織し、田中顕助は中岡亡き後、二代目の陸援隊長となる。
一方龍馬は、貿易を主として武器や軍艦を調達し、軍艦奉行だった勝海舟の目指した海軍をも眼中にいれた海援隊を組織するが、争いや戦いに対して懐疑心を持ち海運業を目的とし世界に飛躍する組織にしたいと考えたが志半ばで帰幽してしまう。そして、彼の遺志は土佐藩で幼少期を共に過ごした岩崎弥太郎が受け継ぎ、後の三菱財閥を築く。
七 薩長同盟
慶応元年十一月、大宰府に今後の五卿の処遇にとって大事件の報が届いた。
「総裁、一大事でございます。」隋身土方が三条を訪ねた。「どうしたのですか。」「はい。三田尻より太宰府への転座で尽力願った
、月形洗蔵斬首、翌日、加藤司書切腹の報でございます。」「なんと・・・間にあわなかったか。。」「総裁、この大宰府、加藤様のお力で平穏でございましたが、切腹とは。」
「黒田公に会うてまいる。」「総裁、それは無理です。藩内は佐幕派の陰謀でもはや以前の黒田公ではございません。先の頃、月形と会うた時も佐幕派の切り崩しのために加藤様と月形は袂を分けられて加藤様は投獄されておりました。月形もいつご沙汰がくるやらと
嘆いておりました。ここも再び転座となるかもしれません。」「そうか・・・。」「とりあえず、三田尻から中岡を呼び戻します。」
十日後、中岡が急いで戻ってきた。
「土方さん、どういうことながです?」
「中岡君、知らせたように加藤司書が切腹、月形洗蔵が斬首。われらの後ろ盾が粛清されてしもうたがよ。」「なんという・・。土方さん、今から福岡藩へ行ってきます。」「行くとは中岡、誰を頼って行くがよ?」「そ、それは・・・。」「おらんろうが。いまや、この肥前にわれらを守ってくれる人はおらんがで。」「しかし、このままでは・・・。」
「それに、昨日福岡藩より書状が届いた。」
「なんと?」「五卿を分散命令が出たようじゃ。総裁には江戸へ転座の要請じゃ。」「えっ江戸ですか・・・。」「うん。江戸じゃ。東は佐幕一辺倒じゃ。総裁は一切身動きもとれまい。わしらも終わりじゃ。」「土方さん
、何をいいゆう?薩長融合が成せれば一気に倒幕になるがぜよ。もう、桂と西郷が会うだけになっちゅうがで。もうちょっとやか。」
「龍馬はどうしゆう?」「龍馬は長崎で武器の調達をしゆうき。」「おまんは?」「三田尻で倒幕の準備をしてました。」「そんな弱腰の土方さん、見たことないで。」「わしは総裁の身が心配で落ち着かんがよ。中岡、どうしたらえいろうかねや・・・。」「とにかく、今日からわしは大宰府から離れんき。」
「そうか、おってくれるか?」「はい。」
「あとは龍馬に任せます。龍馬ならやってくれるろう。土方さん、いますぐ江戸へ行けゆうがやないろう?」「いずれ沙汰が来るから準備しておけということや。」「薩長同盟が成すまで時間稼ぎしましょう。」「わかった
。中岡君、おまんに今日から五卿応接係を任命してもらうよう総裁に頼んでくるき。」
やがて中岡は三条実美より五卿応接係に任命されたのである。以後、中岡は大宰府を離れることができなくなった。
十一月、薩摩藩より黒田了介が案内役として長州を訪れた。いよいよ、桂ら長州藩士が京の薩摩屋敷へと出立したのである。長州藩からは桂小五郎ら三名が出向き、高杉は持病のこともあり桂に華を持たせたかったがそう言うと桂が怒るので第二次長州征討に対する作戦準備と武器調達で多忙だということにして加わらなかった。一向は街道は通らず山道を人知れず踏破し、十二月には京都に着き、無事薩摩屋敷に入った。そして西郷に挨拶した後、宿舎であった家老小松邸にて旅の疲れをとっていた。しかし、薩摩藩の首脳が挨拶に訪れることもなく、ただただ連絡を待っていた。そして、数日経ったある日案内係りの黒田がやってきた。西郷から夕食の案内がきた。その後も薩摩藩からは西郷、小松、吉井
、桐野ら4名、長州からの桂、品川、三好
、早川ら4名らがほぼ無言で食事する日が続いた。年明けの一月、とうとう桂の堪忍袋の緒が切れた。「いったい、われらはなんのために苦労して京へ来たのだ。毎日毎日ただ飯食うだけに来たのではない。西郷は一言も喋らん。長州を馬鹿にしておる。三好、私は長州へ帰るぞ。」「・・。」この同行三人には桂を諌めることができる者もおらず、ただ無言であった。「坂本君も中岡君も来ないとは薩土でわれらを笑うておるのじゃ。このような侮辱は初めてだ。はよう仕度をせんか!」「はっ。」「はよう、はようせぬか・・。」桂の苛立ちは頂点に達していた。
運よくそこへ龍馬がやってきた。「桂さん、話はうまく進みゆうかよ?」怒りが頂点に達している桂は真っ赤な顔をしていた。「三好さんよ。どうしたがで?」「じつは・・。」
「桂さんよ!」「坂本君、もう僕は長州へ帰る。」「三好さん、どうしたがで?なんかあったがかよ?」「坂本さん、京へ来てもう二十日が経ちます。連日、ご馳走が出て歓待されておりますが薩摩は同盟について一言も喋ってくれんのです。」「桂さん、どういうことながよ?」「坂本君、西郷は長州と同盟を結ぶ気などないのです。」「そんなことはないき。」「なら、どうして一言も喋らないんですか?」「おまんはよ?」「むこうが口を開かないのにどうして?」「どうしてち。」
「坂本さん、実は。」「なんで三好さん。」
「最初の日は、桂さんから今までのことやらを話はしましたが・・・。」「わかったき。どうせまた、今までの薩摩のことをあれこれ言うたがやろ?薩摩がどうした、こうした、長州はこうされた、ああされたと。」桂は下を向いたままであった。「はい。」「三好、余計なことは言わなくてよい!」「すみません・・・。」「相変わらずやねや。それがおまんの一番いかんところやき。」「しかし。坂本君、長州は長州は・・・。」「助けてくれとよう言わんがやろ?」「口が裂けても・
・言えません。」「助けて欲しいとも思うておりません。」「なんちゃあじゃない・・。もう話が済んだと思うて来て見たらこれかよ
・・。あきれてものが言えん。」「坂本君、
長州には長州の・・・。」「意地があるがかよ?ほんまに困った人や・・。おまんらあもただの飾りかよ?ただ桂さんについてきただけかよ?情けないちや。」「す、すみません
・・・。」「わかった。わしが西郷に会うてくる。おまんらあはここで待ちよりよ。三好さん、絶対に桂さんを帰したらいかんき。」
「はい。」
龍馬は薩摩屋敷に来た。
「門を開けてくれんかよ。西郷さんに取り次いでやあ。」「なにごとでごわすか?」「土佐の坂本龍馬が来たゆうて西郷さんに伝えてや。頼むき。」「待ってたもんせ。」
龍馬は薩摩屋敷に入った。そして、西郷に面会を頼んだ。
「坂本さん、どうぞ。」吉井が案内にやってきた。「吉井さん、西郷さんはおるがかよ?
」「おられもす。」廊下の向こうに西郷の姿をみると脱兎のごとく走り寄った。
「坂本さあ、こんな夜分になんでごわす?」
龍馬は刀を抜いた。「なにを・・・。」藩士たちも全員刀を抜いて龍馬を取り囲んだ。
「西郷さん、おまんはそればあの人間やったがかよ?桂の気持ちはわかっちゅうろう?」
「なんのことでごわすか?」「それがわからんがやったらこの場でおまんを斬る!」藩士たちが色めき立った。「待ちなんせ!話を聞きもんそ。刀を納めなさい。」「いや、おまんの返答いかんでは、おまんを斬る!」
「どういうことでごわすか?」「西郷さん、いや西郷!桂がここへ命がけで来たがを無碍にするがかよ。おまんらは日本中を大手を振って歩けるがやけど、桂らあは街道を逸れ、偽名を語り、隠れながら何日もかけて命がけで京へ来たがで。新撰組やら幕府やら道中は敵ばっかりで、わしらも同じでほんまに命がけながよ。おまんにはわからんろう?」
「・・・。」「そうまでして来た桂さんのことをなんでわかっちゃらんがで?」「じゃっどん・・・。」「桂さんは長州の代表ながよ
。今までのことごじゃごじゃ言うたろう。けんど、それは長州藩のすべての人の代弁ながよ。薩長が争い、憎みあい、殺しあったがは事実やき。今でも、長州の兵士は薩摩を憎んじゅう。末端の兵士や百姓らは、まさか薩長が手を結ぶことらあ知らんがで!長州の家老や藩士にも薩長融合には大反対の人もいっぱいおる。けんど、桂さんは長州が生き残るがは薩摩と手を握ることしかないと判断して命がけで来たがですき。幕府は明日にでも長州へ攻め込むかもしれんがです。高杉さんは来てないろう?どうしてかわかるかよ。二人が同時に命を取られることが長州には大ごとながよ。もし、この同盟が叶わんかった時のために長州は玉砕の戦の準備をしよらんといかんがよ。桂は失敗したら腹切るしかないがよ
!西郷、おまん、この桂に同盟お願いしますと言わせたいがかえ?おまんと桂は立ち居地が違うがよ。薩摩は結ばんでもかまんろうけど・・・。おまんの首は繋がったままやろう
。けんど、桂は・・桂は・・桂は全責任を取らんといかんがで。そこがおまんはわかってない。西郷!西郷!長州が可哀想やないかえ
。惨めやないかえ。桂が可哀想やないかよ。このまま桂を帰らすがなら、わしはおまんを斬らなあいかん。腹ワタが収まらん。」
龍馬は泣いていた。
「わしゃあ、このままやったら三条様にも土方さんにも中岡にも、死んだ肥前の加藤さんや月形さんにも合わす顔がない。みんなあ命がけで日本のために働きゆうがで。おまんらみたいに自分の藩のためだけに動きやあせんがで。わしが土佐のために動きゆうかよ?死んだ大勢の志士らあはみんなあわしらと一緒で脱藩してまで働きよった。もうこれ以上、幕府やおまんらあの好き勝手にやらすわけにはいかん。できん。やき、おまんを斬る。」
西郷はずっと目を閉じたままだった。刀を抜いた藩士は今にも飛びかかろうとしていたが吉井が懸命に抑えていた。小松が西郷の前にでてきた。「坂本君、薩摩は長州に武器購入の手助けはしもした。我が藩は藩としてできることはいたしもはんで。兵糧も頂いておりもはん。」「おまん、なにを言いゆう?なにが薩摩で!なにが長州で!この薩長同盟は薩摩と長州だけの同盟やないがで!わしらあの命もかけちゅうがで!幕府を倒すために。」
「坂本さん!」吉井も泣いていた。
「吉井さん、すまん。けんどわしはこの同盟がまとまらんと生きておれんがよ。土方さんと中岡は幕府から三条様を江戸へ行かされるという通知を受けたきいうて大宰府で命がけでお護りしゆう。みんなあ、おまんらあみたいに紋付羽織りでおりやあせん。鎧着て寝る間を惜しんで警護しゆう。小松さんも西郷さんも知っちゅうはずよ。」
西郷は目を開け小松の前に出た。
「おまんさあら、刀をしまいもんせ。」「西郷様。」「西郷様。」「西郷様。」「しもうてくれ!。坂本さあは、おいを斬りゃあせん
。刀をおさめてもんせ。」「しかし・・。」
「しまえ!」そう怒号すると龍馬の前に座り頭をさげた。「吉之助!。」「小松さあも座ってくだされ。」龍馬は立ったままで刀を納めず、肩で息をしていた
「坂本どん、この西郷、坂本どんに比べたら赤子のごとくでごあした・・・。恥ずかしかあ・・・。桂さんを呼んできてくれもはんか
?今から桂さんに会いもうそ。小松様も幸輔どんも同席してたもんせ。」「吉之助さあ」
「さすがは大西郷や。大きく打てば大きく響く。勝先生の言いよったとおりや。待ちよってよ。」龍馬は刀をしまうのも忘れ小松邸へ向かった。
「桂さん!桂さん、おるかよ?桂さんよ。」
「坂本君、その刀で私を斬るのですか?」
「おう、しまうがを忘れちょった。」「私は帰るつもりでしたが、この池君たちが坂本君が帰るまで待てというもんで・・・。」
「そうか、内蔵太、ようやった。おおきに!
おおきに。ほんで桂さん、西郷がもう一度会いたい言いゆうき、会うちゃってや。」
「坂本君、僕は高杉といっしょに戦って長州の意地を幕府と薩摩にみせてやる決心をしました。君たちにはお世話をかけました。」「桂あ!おまんまだ長州、長州言いゆうがかえ!長州がなんで、薩摩がなんで、土佐がどういた?会津がなんながで!みんなあ同じ日本人やろ?なんで日本人同士が戦わなあいかんがで?わしらあ、長州のためにも薩摩のためにも働きゆうがやないがで?なんぼ言うてもわからん人やねや・・。西郷が会いたい言いゆうがで?」「しかし坂本君、私たち長州は幾度となく薩摩に煮え湯を飲まされてきました・・。」「桂あ!おまん、まだ言うがかえ。呆れた・・・。もう知らんき、薩摩とでもどことでも戦しいや。わしゃあ知らんき。ほとほとおまんには愛想つきた。内蔵太、いぬるぞ!この石頭のことはもう知らんき。」「けんど、龍馬さん。」「けんどもなんもないき、早うしいや!」
「失礼いたす。」障子を開けると吉井幸輔が入ってきた。「坂本さあ、いかかがしもした
?顔がまた真っ赤でごわすが。」「この石頭がまだゴジャゴジャ言うき、わしゃあもう知らん。薩摩と長州の間におると頭がおかしくなりそうやき。おまんら斬り合いでもなんでもしいや。わしゃあ、もう知らんき!」
「坂本さあ、まあ座ってたもんせ。」
すると、そこへ西郷が入ってきた。「さ、西郷・・。」桂も慌てた。「おまんなんで?向こうでわしらを待ちゆうがやないがかえ?」「こん、幸輔どんが呼び出すよりこちらから伺うのが筋じゃって言うもんで来もした。」「そうかよ。さすがは吉井さんや。おまんらあとは人が違うき。」「これ、龍馬さあ。」
「よか、よか。」と、それまで微笑んでいた西郷の顔が座った時に大きく変わった。
「桂さん、今まで何度となくご迷惑をかけもした。申し訳ごわはん。この通りです。」
あの大西郷が深々と頭を下げた。
「いや・・・。」桂はうろたえていた。
「今から急でごわすが薩摩と長州の融合についてお話をしたいのですがよろしゅごわはんか?」「はい、それは。」桂は座を正した。
慶応二年一月二十一日、薩摩藩家老小松帯刀邸において、薩摩藩は西郷吉之助、小松帯刀
、吉井幸輔、桐野利秋の四人、長州からは桂小五郎、三好軍太郎、品川弥次郎、早川渉の四人が同席し、見届人として土佐藩坂本龍馬
、池内蔵太、新宮馬之助の三人が列席して薩長同盟の会議が行われ、薩摩と長州は手を取り合うことを決議した。
しかし、この同盟は口上の決議であり公文書として決議されたものではなかったので内容について正確な資料は残っていない。現存している薩長同盟の決議書は会議の内容を桂が思い出しながら記したものに立会人の龍馬が裏書したものであった。
この決議書は、桂が長州藩に報告するため記したものであり、内容はすべて長州に有利なことが書かれていた。よって薩長両藩の合意の決議書とは言えないものであるが、倒幕と言う命題に対して薩長が連携するということは佐幕派にとっては驚愕する決議であった。
また、この頃の西郷は薩長同盟について、大久保の進言もあり、薩摩にとっては有用なものではないという判断をしていた。長州を味方にせずとも薩摩は強藩であることに変わりはなかったのである。しかも決議の内容は長州を助ける内容がほとんどであり、且つ正式な決議ではなかったのでそれほど重要なものだと考えてなかったと後述している。しかし
、その決議内容より薩長が手を握ったこと自体が幕府側に対する大きな脅威であったことが重要であった。どうして、西郷が薩長同盟に記名したかその理由は不明である。しかしその裏側で自藩のためではなくこの同盟締結に命をかけた龍馬や慎太郎や土方に対しての配慮があったのかもしれない。
事実、薩長同盟後日本の勢力図は大きく変わり、土佐・肥前ら雄藩も倒幕気運が高まり、薩土同盟の締結により維新への時代の流れが本流へと変わったことは否定できない。
やがて龍馬の尽力により土佐藩も山内容堂が大政奉還の建白書を上申した。そして、これを契機に時代の流れは轟々とその速度を増し、結果として十五代将軍徳川慶喜は慶応三年十月政権を朝廷に奉還したのである。
薩長同盟から一気に維新へと時代の流れはその速度を激増させた。そしてその本流に位置した薩摩・長州・土佐・肥前らの所謂「薩長土肥」の雄藩によって倒幕が成され維新を成就することができたのである。その最大の起爆剤がこの薩長同盟であったことは紛れのない事実であろう。
八 エピローグ
維新の最大の起爆剤となった薩長同盟。その原動力となった薩長土肥の連携、そして維新のために尽力した志士たち・・・事実、これに携わった西郷吉之助、大久保一蔵、桂小五郎は維新三傑と呼ばれ、維新後の明治政府の中枢として活躍した。惜しくも維新の陽の目を見られなかった坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作らが存命であれば戊辰戦争も佐賀の乱も西南戦争も起こることはなかったのかも知れない。龍馬を中心とした政府が誕生していれば少なくとも平和は保たれ日本人同士が争うことはなかったのではないかと考える。
龍馬の遺志は陸奥陽之助や後藤象二郎が、慎太郎の遺志は土方久元や田中顕助が、高杉の遺志は伊藤俊輔や井上多聞が受け継いだ。彼らもまた明治政府の高官として活躍したが龍馬や慎太郎や高杉のような高潔なものとは言えないものもあった。しかし、確実に時代の流れを変え現代に至った。ただ、平和国家のために龍馬最期の想いであった徳川家の新政府への関与は断ち切られ、薩長を中心の偏った政府になってしまったのも史実である。当然のことだがそこには政権争いや利権争いが発生する。やがてそれは再び醜い争いに変わってしまい、西郷の失脚や大久保の暗殺に繋がってしまう。
肥前の月形らが提起し、土佐の土方・中岡らが脚本し、西郷・桂らを主役に据え、龍馬がプロデュースした薩長同盟。この日本の根幹を変える出来事は近代日本への大きな橋渡しの意味があり、龍馬が記した船中八策へと繋がった。じつはこの八策も龍馬が発案したものではなく、武市半平太、高杉晋作、勝海舟
横井小楠、吉田東洋らの思想を集約したものである。このように多くの偉人の素晴らしく近代的な意見を編集し記した龍馬は幕末最大のプロデューサーであり、土方は幕末有数の脚本家であり、中岡は幕末を代表するディレクターであったと考える。近代日本の礎は彼ら脱藩浪士の私利私欲を捨てた大志のもと築かれたと言っても過言ではないだろう。
終
私は是非とも天下の青年がこれらの事蹟(薩長同盟の意)感憤して国家のために有用の人間になって貰いたいことを渇望する。
これは、土佐藩上士でありながら土佐勤皇党に入党し激動の幕末を高名な坂本龍馬や中岡慎太郎らと活躍し、維新後は政府の要人となり伯爵の爵位を得た土方久元(楠左衛門)が龍馬・慎太郎の五十周忌の祭典において講演した時の檄文である。
明治維新の立役たる薩長の重臣たち、その起爆剤となった薩長同盟。そのために奔走した若き志士たち。その中でも維新の主人公となった坂本龍馬、同志中岡慎太郎らは郷士という低い身分ながら、その足跡の大きさゆえ、多大な脚光を浴び偉人として人々に知られている。しかし、この大事業は彼らだけで成し得たものではない。彼らの相談役として、三条実美とのパイプ役として、そして賢明な策士として彼らと同等、いやそれ以上の功績があったのが土方久元その人であった。事実、攘夷派公家の実力者である三条公の存在なしには一介の郷士が西郷や大久保や小松ら薩摩藩の首脳、木戸や高杉らの長州藩の先駆者と会談することなどできなかったであろう。西郷、木戸らは三条公が政変で長州三田尻および肥前大宰府に落ち延びた折に頻繁に謁見しており土方にも面識があり、龍馬や慎太郎にも会っている。特に慎太郎はその博学さや行動力を評価され衛士というよりも諜報員として三条公の朝廷復帰のために活躍している。
つまり、龍馬や慎太郎らの下級武士が大名や公家および雄藩の実力者と面談できた背景には、三条実美公のご威光によるものがあり
、そこには三条公の信頼厚き隋身であり、彼らの同志あるいは兄貴分としての土方久元の存在があってこそ実現したのである。そして
、その背景には武市瑞山の遺志「尊皇攘夷」「理想国家」が脈々と受け継がれ、その根底を流れていたのである。
一、 八月十八日の変
土方久元は土佐藩士の家に生まれたいわゆる上士であった。郷士の家に生まれ、上士との差別によって生じた憤懣を原動力として幕末を疾風のごとく走り抜けた武市半平太、坂本龍馬らとは根本的に違っていた。しかし、人智に富み、学識に優れた好漢であり、人徳もあり藩重臣の人望も厚く、龍馬ら土佐勤皇党の志士たちも慕われる男であった。
その頃の土佐藩は藩全体で尊皇攘夷を掲げており、藩命によって多くの志士を京や江戸へ遊学させていた。武市率いる土佐勤皇党も藩主の庇護の元、京などで数多く活躍しており朝廷内でも生き生きと闊歩していた。
やがて若き久元も藩命にて江戸へ遊学し、大橋納庵という儒学者から多いに尊皇攘夷論を学び、上士でありながらも志を持って土佐勤皇党に賛同し、武市瑞山ら勤皇の志士たちと日夜語り合う日々を送っていた。
その後文久三年、再び藩命により今度は京都の学習院御用掛の藩命をいただき、朝廷において尊王攘夷派の頭目であり学習院の総裁であった三条実美の隋身として側近し、また謁見を請う攘夷派の長州藩の俊英たちとの交流し、一層尊王攘夷の実現を目指す志士へと生長していった。
学習院とは公家専属の教育機関であり、御用掛とは朝廷への建白書や陳情を受け付けたり上申する施設であった。現在で言えば宮内庁および教育委員会総務課であろう。かの高名な高杉晋作・久坂玄瑞らもかつては長州藩から学習院へ赴任していた。
三条公は母親が土佐山内家から輿入れされており、兄嫁も山内容堂の妹ということもあり、土佐藩士特に聡明な武市瑞山、土方久元や俊英な中岡慎太郎らを信頼し庇護していた
ので朝廷において土佐勤皇党の志士たちは他藩の優秀な若き志士たちと大いに交流し、より尊皇攘夷への造詣を深めていった。実際、武市半平太や坂本龍馬ら下級武士が三条公の庇護無しに、公家や他藩重臣と頻繁に交流することなど到底考えられない時代である。
土方久元は同じく上士出身の土佐勤皇党の同志間崎鉄馬とともに藩命にて三条公に仕え
朝廷内で多忙な日々を過ごしていた。
この文久三年は尊王攘夷派にとって、雪辱的な事件が起きた年でもあった。
外様雄藩の薩摩は先進的尊皇攘夷派だった故島津斉彬の施政の元、目覚しく発展していた
。斉彬は下級武士でも見所のある者を次々と登用したので西郷吉之助ら若手の実力のある藩士が数多く育っていた。彼らの下級武士ながら志厚く忠誠心が強い集団が後の精忠組となり藩の実働部隊となっていくのである。
しかし斉彬が急逝した後、弟の島津久光が自分の子である幼い島津茂久を新藩主として立て、自らその後見となり国父として実権を握ってからは精忠組の中心者であり斉彬に忠誠心が高かった西郷とあらゆる面で意見が合わずとことん疎外した。そして、その結果として藩命に背き行動する西郷を島流ししてしまった。精神的支柱を失った藩内は混乱してしまい、困惑した国父久光は代わりに人望のあった小松帯刀を家老に据え、西郷の盟友であった大久保一蔵、吉井幸輔ら穏健慎重派を登用し、その結果として精忠組らの精鋭集団を掌握していた。つまり、幕府への保身ゆえ邪魔で過激な攘夷尊皇派を押さえ込み、佐幕藩へと変わり始めていた。
しかし、精忠組内でも西郷を慕う藩士らと国父を藩主として従順する藩士らの間で意志の疎通が図れず、罪人となった西郷を慕う藩士らの憤懣が溜まり今や爆発寸前であった。そういう状況の中、薩摩藩を揺るがす事となる悲劇が起きてしまった。
会津藩ら佐幕派に牛耳られていた朝廷から攘夷急進派の鎮静命令を受けた国父島津久光は
、取り込んだ精忠組藩士を尊皇攘夷を目指す長州藩士や土佐藩士らと決起のために寺田屋に集結し会合していた薩摩藩攘夷派の精忠組の藩士を急襲させたのである。つまり薩摩藩士が薩摩藩士を襲い同士討ちをさせてしまったのである。これは大久保らの陳謝により遠島を許され一時復帰していた西郷が幕府の言いなりであった国父久光の藩政に馴染めず藩命に応じず国父の怒りを買い、再び島流しされて薩摩に不在だったことも影響していた。この時西郷が過激派藩士を説得していればこの悲劇は回避できたのかもしれない。
この襲撃によって長州、土佐の尊皇攘夷派の志士と共に幼少期を西郷らと過ごした薩摩藩士も多く殺されてしまったのであった。この悲劇によって長州は薩摩に対して強い憤りを持つようになっていった。
そのころ京都でも攘夷派志士と佐幕派がいたる所で衝突し、長州藩士や武市らによる天誅と称する佐幕派の暗殺・粛清事件が多発しており、一方、薩摩・会津ら佐幕派による攘夷派弾圧が新撰組らによって行われていた。時代の本流は公武一体派による佐幕へと着実に流れが変わりつつあった。そしてこれを期に、長州を中心とした尊皇攘夷派は反徳川の倒幕派へと変わりつつあった。
朝廷内でも同じで、それまでは三条実美を中心とした尊王攘夷派の公家が実権を握り天皇の側近公家としてかなりの影響力をもっていたが、幕府や薩摩藩の後押しを受けた公武一体派の公家が勢力を増しており、混沌としていた。
そんな中でも、攘夷急進派は盛り返そうと徳川幕府に圧力をかけ、将軍家茂に対して攘夷決行の約束をさせていた。事実、孝明天皇はそれまでは攘夷派公家の影響を受け尊皇攘夷の考えを持っていた。そこで勢いに乗りたい攘夷の旗頭である長州藩は久坂玄端ら優秀な人材をそれまで以上に朝廷で精力的に動かせて、その勢力拡大・地位挽回を図っていた。そして幕府に対して押し付けていた攘夷決行日に長州藩は攘夷を国中に示さんがために、なんと下関にてアメリカ商船を砲撃してしまった。しかし、長州にとって攘夷のために起こした聖戦であったこの攻撃も現実として近代兵器を装備した欧米連合軍の反撃により完膚なきまでに打ちのめされてしまうものとなってしまった。長州はこの戦争によって、改めて外国との軍事力の差を痛感させられることとなった。外国船の攻撃により戦意を失った長州藩は、それまでの勢いを失い、窮地に追い込まれていった。また、その聖戦において頼りにしていた隣藩からの応援も無く、幕府からも阻害され孤立化した長州藩は朝廷内においても厳しい状況に追い込まれていた。
その窮地を救うべく久坂ら朝廷の攘夷急進派は天皇による攘夷親征の軍議を各地の主要神社で行い、意気高揚を図ろうと画策したのである。つまり、天皇の攘夷という意思を利用してなんとか長州の窮地を救おうとしたのである。そして八月の朝議において、長州の圧力により朝廷は応戦要請に非協力的だった小倉藩等を処罰した。しかし、その処罰に対し公武一体派はその処分が長州の画策であり幕府の意向ではないということを理由に鳥取藩らを使い、強く反発させたのである。
その頃の孝明天皇の意思は攘夷ではあったが
、本来なら攘夷は幕府や諸藩が行うべきではないかという考えに変わりつつあり、急激に走り始めた攘夷急進派に対していささか不満を感じ始めていた。そして、攘夷急進派への対応についてかつて攘夷派であった薩摩藩に相談したのだが、薩摩藩は生麦事件から噴出した不平等条約による賠償問題によって勃発した薩英戦争後の被害が大きく、どうしても応対できる首脳がおらず、天皇への返答を先送りしていた。同時期、薩摩もまた大国英国と戦ったのである。薩摩藩も外国の軍事力を身を持って感じていた。そして今の幕府では外国には対抗できないと考え始めていた。
そうこうしている間に朝廷内の攘夷急進派は八月十三日に朝廷を動かし天皇による攘夷親征を合議させるための大和行幸(ヤマトギョウコウ)の詔を強引に発し、朝廷を利用して幕府に対してより優位に立とうとしたのである。
しかし、八月十五日、それが実際は天皇にとって本意ではなく天皇を京より外部に出すことが危険であることを察した会津・薩摩を中心とした公武一体派が強引に中川宮親王を担ぎ出し、攘夷急進派を一掃するクーデターを起こしたのである。つまり、武力によって朝廷内の攘夷派を制圧したのであった。これは見事成功し、三条実美ら公家の尊皇攘夷派は失脚してしまった。会津・薩摩ら公武一体派はこの期を逃さず、孝明天皇から中川宮親王に勅命を下していただき、急進派が画策した大和行幸を延期し、それと同時に長州藩を朝廷護衛の任を解き、京都から退去させることに成功した。これにより朝廷警護の重責を担っていた長州藩主らは都から追放させられ、三条実美を中心とした七人の攘夷派公家たちも土方らわずかな側近と共に、長州へと下ったのである。
これが後に言う八月十八日の変であり、七卿落ちと呼ばれる政変である。
それ以降、朝廷の勢力は長州を中心とした尊王攘夷派から会津・薩摩を中心にした公武一体派に勢力構図が変わり、長州藩の朝廷における勢いはほとんどなくなっていた。
政変後、三条実美ら七卿は長州三田尻に居を移し、僅かな手勢と共に上京の機会を窺がっていた。それでも三田尻には長州藩の重臣や全国の攘夷派志士たちが三条公らを拝謁していたので隋身土方らも多忙な日々を送っていた。
その後、公武一体派は佐幕派、尊皇攘夷派は倒幕派と姿を変えていった。
二、策士
「土方君、薩摩と土佐の変わりようは難儀なものです。さきほど容堂公から陳謝の使いがあって、せっかく久坂らが私らと長州藩の恩赦の建白書を嘆願してくれたというのに、土佐が薩摩と共に阻止したことを私に侘びておった。容堂公も私が問責するのではないかと落ち着かぬ様子です。容堂公もいつの間にか佐幕派の参議とやらになったようですね。辛いことでしょうね。今や、先の戦で長州はすっかり弱りきっておる。しかも嘆願さえも朝廷に通らず久坂らは思い悩んでおることでしょう。」「たしかに。わが殿も恥ずかしながら、酔えば勤皇、醒めれば佐幕と陰口されることがあります・・・藩第一の殿なのですが。」土方は弱々しく呟いた。
「そう言わずとも、容堂公のことはよくわかっていますから安心しなさい。山内家は徳川家より一国をいただいたということへの忠孝が厚いからでしょう。いたし方ないことですね。」「はっ。総裁、ご厚情ありがとうございます。」
ちょうどその時、衛士の松山深蔵が入ってきた。
「土方様、顕助(田中光顕)様から文が。」
その頃顕助は脱藩し、長州へ落ち延び土方の世話で高杉晋作の弟子となって長州藩と三条公の橋渡しをしていた。
「どれ、なにごとでしょうか?・・なんと」
「久元、いかがした?」「はい、顕助が申すに土佐藩でも容堂公の信任厚い後藤象二郎らが土佐勤皇党の粛清を断行し、武市先生が投獄され、京都の脱藩者らも次々に逮捕されはじめたようでございます。間崎、収二郎らの切腹といい、今回の粛清といい容堂公のお考えがわかりません。」
間崎は土方と一緒に京へあがり朝廷内の職務についた上士で、平井修二郎も同じ上士であったが共に土佐勤皇党に属し、盟主武市らと朝廷内で尊皇攘夷を目指し活躍していた。しかし、土佐藩が徳川家への恩恵の念から佐幕化してゆくことに危機感を抱き、公家青蓮院宮(後の中川宮)に請うて佐幕の考えを諭す令旨(皇太子としての命令)を発しようとした。しかし、一連の行動について親交のある青蓮院宮から直に聞き、間崎らの謀と認め、藩の行く末を一藩士らが危惧することは出過ぎた行為でありこの令旨を出させたことに激高した山内容堂は切腹を命じたのであった。
「そうか、武市が・・。」「土佐勤皇党を骨抜きにする気でしょう。薩摩は西郷が流刑されて不在のようですし、佐幕派の勢いはとまりませぬ・・。」「薩摩も土佐も今や佐幕の旗頭ですね。西郷さえおってくれたら薩摩も
ここまで変わることはなかったでしょう。ところで深蔵よ、少し頼みがあるのですが。」「はい、何でございましょうか。」「うむ、三田尻の東久世の所に中岡がおるはずだから
、すぐに呼んできてはくれませんか。」「はい、ただいま。」三条の命によって、松山深蔵は直ちに中岡慎太郎の元へ出て行った。
「土方よ。中岡が着たら容堂公への親書を頼もうかと思っています。ですが、中岡君は脱藩の身ですから土佐へ入るのは命がけだと思います。わしから行け、とは言いにくいので
、すまんが君からうまく伝えてくれませんでしょうか?」「わかりました。中岡は頼まれると嫌とは言えぬ性分です。万事、お任せ下さい。」「すまぬなあ。そこで土方君、私は
容堂公に武市君の放免と私の隋身として三田尻へ来させようと考えています。」「えっ、武市先生をですか?」「はい。このまま武市君を土佐においておくことは勿体無いように思います。どうでしょうか?」「総裁!、本当ですか?武市先生をお迎えできるとならば高杉さんも桂さんも歓迎してくれるでしょう
。ぜひともお願いいたします。」「私もあなたと武市君がいてくれたら心強いと思ういます。」「総裁・・・。」三条公は書斎に入り書状を書き文机の上においた。
すると、すぐに息を切らせて中岡慎太郎が入ってきたので土方は驚いて中岡を見つめた。
「なんぼ俊敏な慎太郎じゃち、早いやか?」「はあはあ・・・ちょうど、総裁宅を伺うつもりで参っとったんですが途中、深蔵に会い急いで参りました。急な御用とは?」
「ん。すまぬなあ。実はなあ、」「中岡君、よう聞いてくれ。」そこへ土方が割って入ってきた。「実は先日武市先生が投獄されたらしい。京におる勤皇党も何人か捕まり土佐へ送られたようじゃ。後藤が本格的に勤皇党粛清に動き出したようじゃ。中岡君、すまんが今から秘密裏に帰国し武市先生らの様子を探ってきてくれんろうか?」「わかりました。私も国許の父が病に臥せっておるようですき帰国するつもりでおりましたので。」
「すまんがよろしく頼むきよ。」「中岡、頼みますよ。」「は。」「真木君、例のものをここへ持ってきてくれませんか。」真木和泉守は久留米藩士で藩命によって三条の衛士として仕えていたが八月の政変により三条公と共に長州三田尻に入っていた。「総裁、どうぞ。」「ああ、すみません。中岡君これが私からの容堂公への書状です。これを大至急だれか藩士を頼って渡してくれませんか。それと、これは本当に些少じゃが・・。」三条公は直筆の書状とともに路銀を少々中岡に手渡した。
「かたじけのうございます。それでは中岡、
直ちに土佐へ帰国いたしてまいります。」「頼むぞ。」中岡はいつものように疾風がごとく飛び出して行った。
「総裁、実はご相談が・・・。」「なんでしょうか?」「実はこの和泉守殿とも話しておりましたが、ここに島津公宛の西郷赦免の嘆願を記しております。それを家老の小松様を通じて上申したいと考えております。何卒総裁に一筆お添え書きをお願いしたいのですがいかがでしょうか・・・。」
「そうか、私も西郷とは相通ずるものがあり斉彬公の遺志を継ぐ者であると感じ入っておりました。少し待ってください。」
「申し訳ございません。」三条公はすぐさま筆を執り嘆願への添え書きを記した。「ありがとうございます。」土方は自らと真木が記した書状に封をした。「松山君、すまんがこれを薩摩の吉井幸輔殿に渡してくれんか?内密の書状じゃ。決して他の者に露見せんよう気をつけてくれ。」「わかりました。命に代えてもお届け致します。」「大げさな奴よ。医師のくせに!命は大事にしい。」
この松山深蔵も土佐藩郷士で七卿落ちの折、土方らと共に三田尻に入った志士であった。「それでは、すぐ出立いたします。」そういうとまるで中岡のように飛び出していった。
結果として、この書状は吉井の元には届かなかった。松山深蔵らは肥後藩の山中で取押さえられたのである。しかし、吉井らは後日その西郷恩赦嘆願の書状を土方がしたためていた事を知り大いに感じ入ったのであった。
「土方君、土佐の者はみな威勢が良いのはあなたの所為でしょうか。」「総裁、この土方殿がよくまとめ上げております。すばらしいものでございます。」「いやいや真木殿、これも武市半平太という男の偉大で高尚な想いをみなが目指しているからでございます。」「なるほど・・。あの久坂をも黙らせたという男ですな。ハハハ。」
「総裁、私からもお願いがございます。」
「はて?」「ここ三田尻はこの土方殿が居られますので総裁のお世話はお任せして私は京へ上がりたいと思います。中岡君らとの面談に同席させていただいておりましたが私といたしましては、かの政変以後の京の様子が案じられてなりません。三度上京し久坂君たちと共に七卿様に上廷していただくよう仕事がしとうございます。何卒、上洛をお許しください。お願いいたします。」「なんと・・?そなたはもうそんなに若くない。無理をしてはいけません。」「ありがとうございます。しかし、この真木和泉まだまだ若いものには負けないと自負しております。何卒、上洛の下命をお願いいたします。」三条公はしばし考え込んでたが真木の心中を察し、頷いた。「わかりました。和泉守殿、京での活躍を期待いたします。」「ありがとうございます」
老兵は勢いよく立ち上がり三田尻をあとにした。真木和泉守、身長が百九十センチ体重百キロという大男で楠正成を崇拝するがゆえに「今楠」と呼ばれた剛の人であった。その上神職でもあり、博学であり、かの有名な「大和行幸」を立案したほどの人物であった。
「土方・・。」「はっ。」「和泉守はいくつであった?」「はっ、たしか五十一かと。」
「なんと・・。」「しかし、総裁。久坂も来島も真木殿の上京を心待ちにしております。
京には久留米藩士も多くおりますので士気は上がるものと思われます。」「五十一でまだ血気盛んとは、至宝ですな。」「はっ。」
中岡が土佐へ発ってから一月後の文久三年十月、中岡は三田尻へ戻ってきた。
「総裁、ただいま帰りました。」「ご苦労でした。尊父殿の加減はいかがでしたか?」「ありがとうございます。父は高齢ですのでかなり弱っていましたが年の割には元気でございました。」「息災でなりよりじゃ。」「武市先生の方はどうやった?」「はい、それはむごい尋問と拷問が続いています。このままでは岡田も島村も強制的に自白させられるかも知れません。土佐藩の勤皇党粛清は止めようもない勢いで行われております。」「そうか?先生に対する拷問はどうぜ?」「はい、武市先生は牢屋において口頭尋問です。白札とはいえ上士扱いですき。しかし、連日の同志への拷問による悲鳴にかなり参っているようです。」「そうですか・・・。総裁の請願も無理のようですねえ。」「はい、容堂公の元まで届いてないように思います。政変以後は幕府の参議として多忙なようでございます。」「後藤による叔父東洋のかたき討ちみたいになっておるということか?」
「はい、目の色を変えて追求しているようですが、私も脱藩のお尋ね者ですき、これ以上は調べることができませんでした。」
「ご苦労でした。土方、中岡、あなた方の気持ちはよくわかっています。私も直接容堂公に申しておきます。」「恐れ入ります。総裁よろしくお願いいたします。」「ところで、中岡、明日高杉さんが顕助と拝謁に来る。お前にも同席してほしいがどうじゃ?。」「高杉さんが。わかりました。すみませんがこのいでたちですき、旅の垢を落としてきます」
そういうと、招賢閣を出て行った。
翌日、高杉晋作が田中を連れて拝謁した。
三条公に拝謁した後、土方・中岡のところへやってきた。「土方さん、中岡さんお久しぶりです。武市先生はどんな様子でしたか?」顕助が入ってくるなり聞いてきた。「ああ、以蔵や衛吉らあの拷問の声を聞きながら辛い日々を送っているようじゃ・・。」「そうですか・・やはり吉田東洋のことですか?」「ああ・・。」顕助は自分が吉田東洋暗殺に直接関わっていただけに複雑な表情だった。
「やあ、土方さん。三条公の警護ご苦労様です。中岡君も。」「高杉様、顕助がお世話になっております。」「いやいや、ようやってくれています。」「この度は奥番頭役にご就任された由、顕助からお聞きしております。いよいよ桂・高杉の出番ですね。」「いや、私は奇兵隊の隊長が一番似合うてると思っとります。百姓や町人たちとわいわいがやがやが一番です。奥のことは桂さんにすべて任せております。ハハハ、のう顕助。」「はい。毎日の訓練の後の宴会が楽しゅうて楽しゅうて・・。訓練が苦になりません。」「今度奇兵隊の見学に行かせてもらいます。」「どうぞ、ぜひおいで下され。」「ところで土方さん、先に久留米の和泉守殿にお聞きしましたが、西郷赦免の嘆願を出しておられると。さすが策士土方さんですね。薩摩も西郷が出てこないとまとまりができません。あの男は大人物です。倒幕には絶対必要な人物です。」
「そう思っております。総裁も高く評価しておられます。」「先生、これから岩国へ行く予定ですので本日はこのあたりで失礼しないと・・。」
「おう、そうだったのう。土方さん中岡君、今日はこれで失礼いたします。萩の方へも来てくだされ。」「はい、必ずお伺いいたします。」
高杉は後ろ手を上げながら出て行った。
「土方さん、あの高杉さんを見よったら、なんか龍馬のような気がします。」
「おう龍馬かあ、飾り気のない飄々としちゅうところがなんか似いちゅうねや。憎めれん男やねえ。龍馬はどこでなにしゆうろう。」
「さあ、つかみどころのない男やき見当もつきません。」「そうやねや。ハハハ。」
三、禁門の変
元治元年二月、三条公は中岡を呼んだ。
七卿はひとりが亡くなり、ひとりが出奔し、五卿となっていた。
「土方さん。」「おお、中岡君か、会議所の方はどうぜよ。」中岡は脱藩浪士たちが集まった長州三田尻の招賢閣会議所のまとめ役のようなことをしていた。そこには各地より尊皇攘夷を仰ぐ志士たちが日々訪れていた。「毎日、各地より志士たち集まってくれゆうき。けんど、最近は攘夷そのものより倒幕の意見が多くなってきました。」「そうかえ、中岡君もますます忙しくなっておるようですね。」「はい。」「時に、今日はどうしたがぜよ?」「わからんけど、三条公からここへ来るよう連絡もろうて、急遽、薩摩からもんて来たがです。」
「薩摩?」「はいっ、西郷さんをなんとかせんことには薩摩は相変わらず佐幕論ばかりで
・・薩摩が倒幕になってもらわんことには茶も湯もわかんがです。小松さんも大久保さんも精力的に動きよって、今月、島から西郷さんを召還できそうなのでもんて来ました。」
「まだ帰ってきたばっかりやにご苦労ですねえ・・ところで中岡よ・。」
「はい?。」「実はわしも君の意見を聞きとうて仕方なかったがよ。」「はて・・」
「実は先日、福岡藩の月形洗蔵という御仁が拝謁に参られてからはたびたび会うんじゃが
、げにまっことあの男の意見は尤もやと思うて。おまんにも聞かせちゃりたいと思うてのう。」
「土方さん、もしや、薩長が連合せなあ・・
言う話かえ?。」「おっ、そのとおりや。」
「私も去年、月形さんらが萩へ来た時に初めてお会いし話を聞いたがです。聞いて、鳥肌が立ったがをよう覚えちょります。それからというもの私はその話が忘れれんがです。やき、年が明けてすぐ薩摩へ行き、攘夷派の藩士と会うちょりました。そして、西郷さんも長州遠征には快く思っておらずということを聞き、吉井友実という藩士らのご配慮によってご家老の小松様に面会させてもろうたがです。ご家老も西郷さんを帰ってこんとまとまらん言うておりました。実は、私も薩長の連合のために走りよります。武市先生は前に言いよりました。薩長の亀裂は天下の一大事やと。薩長の融和を計らなあいかんぞと。月形さんも武市先生と面識ないろうにおんなじことを言うてました。そのためには亡き斉彬公の懐刀、西郷吉之助が絶対必要ながです。」
「そうじゃ。今の薩摩はあの日和見の久光公では無理よ。」
月形洗蔵は福岡藩士で尊皇攘夷派の加藤司書らと長州と接触があり、最初に薩長融合を唱えた、いわば薩長同盟の立案者であった。事実、そのために元治元年、西郷と高杉を下関で会わせているのだが、おしくも、その後の福岡藩の佐幕化のため失脚していた。
そこへ三条公が入ってきた。
「おう、中岡君よう着てくれました。招賢閣でのまとめ役大変でしょう。」「いえ、とても勉強になります。日々、新しい知らせも入ってきます。総裁、私にとってありがたいお役目感謝しております。」「そうかそうか。土方が中岡君しかいないと言うもんだからお願いしました。まことに君は勤皇のためにいつも先頭に立って頑張ってくれている。本当にご苦労なことです。」「いえいえ・・これも国家のためと心得ております」「そうですか。心強く思います。」「ありがとうございます。さて総裁、今日はいかなる御用でございましょうか?」
「ああ、私らが京を落ちてから随分と時が過ぎました。昨年は尋常なからぬことが続き私も混乱しています。しかし尊王攘夷の気概は変わらぬ思いです。今、京がなにやら不穏だと聞くし朝廷のことも心配じゃ。尊皇倒幕のためには一刻も早く京へ、そして朝廷へ戻らないといけません。そこで土方君と二人で朝廷の様子を調べてきてはもらえないでしょうか?」「総裁、京は非常に危険な状況だと聞きおよんでおります。同志も会津の手先である新撰組なる野党らによってかなり粛清されておるようで。」「おおごとな様子は聞いております。」「はい、総裁、今我々が安堵できる場所などございません。しかし中岡と二人、京都の探索に行ってまいります。総裁が朝廷にお戻りになってもらわないと尊皇など叶うわけがございません。」「そうか、行ってくれますか?」「はい。」
その年の三月、土方と中岡は高杉と京都にいた。八月十五日の政変以後も京に居た久坂を尋ね、共に五卿の恩赦と長州藩の挽回の為に日々画策していた。「久坂さん、会津・薩摩の牙城は思いのほか堅固ですねえ。あの三郎(島津久光)めの愚行が目につきます。あやつをなんとかせんことには事は進みません。僕はこの中岡君と三郎の首を取ろうかと思いますがいかがなものでしょうか?」「なんと高杉さんがですか。」「久坂様、八月の政変では我が土佐藩も多くの同志を失いました。それは奴の愚行のためとも考えております。三郎さえいなくなれば久坂様の行いも陽の目を見ることになりましょう。西郷も赦免されるでしょう。是非、ご了承ください。」
「しかし、中岡君・・薩摩の護衛も固いですよ。並みの藩士のようにはいきません。」「わかっております。」「久坂さん、この高杉にお任せ願います。」「んんん・・・。」
翌日より高杉と中岡は薩摩屋敷に目を光らせ好機を待っていたが久光公の警護はかなり厚く苦悩していた。そうしている間に久坂玄瑞に毛利公より帰還の命があり高杉を連れて帰国してしまい、残った中岡は単独で好機を狙っていたがその甲斐もなく、久光は所用で薩摩へ帰国してしまった。
しかし、久光暗殺計画が頓挫したが皮肉なことに翌月西郷吉之助は小松・大久保らの尽力により赦免され藩に元職で復帰できた。
六月、土方と中岡の二人はまだ京都におり、手分けしつつ慎重に京都の様子を探索していた。
「のう中岡よ、総裁らに上京してもらうにはかなり無理があるねや。」「はい。新撰組のやつらがしつこうてなかなか探索もできんがです。亀弥太らがおるはずなんですがどこに潜んじゅうか全くわからんき面会さえできんがです。」「朝廷もじゃ。昨日久坂君にやっと会えたがやけど、請願や陳情を何通書いたかわかりません、ち言いよった。朝廷の中は会津と薩摩ばっかりよ。」
「土方さん、大坂へ下ってほかの情報を探ってみます。」
「そうじゃな、京都は危険すぎていかんねや
。わしは薩摩屋敷に入ってみろかねや。西郷ももんた言うし、朝廷におった時代の知人でもおるかも知れんき。」「薩摩なら安全ですねえ。それでは大坂の船宿を探って見ます」「おう。四,五日ばあでもんて来いや。」「はい、そうしますき。」土方と中岡は、その後も京都にいて情報を探索していた。
「土方さん、大変です。」「どうしたがな」
「三条の池田屋が新撰組に襲われました。長州、肥後、土佐藩の志士が・・・土佐藩は望月亀弥太、石川潤次郎、野老山吾吉郎が・・私は別用があり行きませんでしたが、ほか大勢の同志が死んでしもうた。桂さんも出て来るはずでしたが未だ消息不明です。」「なんと・・・亀弥太、潤次郎が・・吾吉郎はまだ若かったのに・・・残念じゃ。桂殿も、無事であればよいのじゃが・・・。」
「吾吉郎は十八でした。おのれ近藤め!。」
数日後、桂小五郎は無事脱出していたことが判明した。急ぎ長州に戻った桂は七月、合議を開き、経緯を説明した。その結果、幕府の考えに激高した家老ら三人が来島又兵衛を隊長に長州軍を京都へ向かわせたのである。
「土方さん、長州が上京します。久坂さん、来島様と話したんですが家老たちが治まらないがです。話し合いの結果、私も来島さんの要請で天竜寺で三田尻の部隊を率いて挙兵することになりました。薩摩はどうやら幕府軍には参戦せんらしいですき、そうなると朝廷を占拠できそうです。では」「待てえや。中岡、久坂はどう言いよったがな?」「久坂さんは最後まで朝廷と協議すべし、と言っていますが、会津の防御が強く難儀しよります。ご家老らと来島さんらあは強行策です。池田屋の襲撃のことで激高しています。もう止まらんがです。」「わしも行くき、待ちや。」「駄目です。倒幕派とは言え土方さんは土佐藩士です。もし、土佐藩上士が参戦となれば容堂公の立場も損なわれます。それに土方さんは総裁へのご連絡があります。ここは、わたしらあにお任せ下さい。」
「いたしかたない・・・。中岡よ、死んだらいかんで。」「はい。」中岡は飛び出して行った。長州は八月十五日の政変で受けた毛利公への断罪、五卿の入京などを求めて幕府に迫り、久坂玄瑞は連日朝廷に建白しようとしたが受け入れられず、七月十九日ついに攘夷派による京都奪回をすべく来島隊が会津藩が警護している蛤御門へ突入したのである。当初、長州藩の勢い凄まじく会津軍を撃破、御門を突破し朝廷に迫った。しかし、ここで今まで動かなかった薩摩軍の突然の参戦で形勢は逆転した。西郷・大久保らの意思を無視した佐幕の意向強い島津久光が幕府の要請通りに救援の兵を送ったのである。薩摩藩兵の迫力凄まじく、一気に長州軍へ突入し、これを排除したのであった。薩摩の参戦により勢いに乗った幕府軍は各地で長州軍を撃破し、来島又兵衛戦死、真木和泉負傷自刃、久坂玄瑞も最後まで建白書を渡すことができず公家鷹司邸で無念の切腹をした。司令官を失った長州軍は乱れ天王山へ逃避した。幕府軍は長州の息の根を止めるべく、この追討を全藩に命じたが、薩摩藩は西郷・大久保の判断で拒否した。しかし、長州軍は幕府軍に天王山に追い詰められ玉砕。残兵も敗走してしまった。勢いに乗った幕府は八月、長州藩の息の根を止めるべく、長州征討を各藩に命じた。
中岡は中立売門で足に傷を負っていたが意を決して薩摩藩京屋敷を訪ねた。
「吉井さん、西郷さんに会わせてもらえませんろうか?」「中岡さん、そりゃ無理じゃ。
蛤御門のことはなにも言えん。薩摩は幕府の一員じゃから・・・。仕方なか。」「わかっちゅう。わしゃあ、西郷さんの真意が聞きたいがよ。それによっては薩長融合も話にならんなるきよ。吉井さん、西郷さんに会わせてくれんかえ。頼むき。」「中岡さん、そげな格好で・・・片足で・・少し待ちなされ。」
吉井は満身創痍の中岡を残し官邸へ入った。
「中岡さん、西郷が会うてくれもす。入りなされ。」「かたじけないです。」中岡は足をひきづりながら入っていった。「吉井さん、足がこうじゃから座れませんき、ここで待ちますき。」中岡は庭木の松の下で待っていた
。すると、大男が近寄ってきた。「西郷でごわす。」「私、土佐藩浪士で中岡慎太郎と申します。中沼了三先生の弟子で吉井さんとは親交がございます。」「そうでごわすか・・してその足は?」「はい、中立売門で彦根藩の攻撃に合いまして負傷いたしました。ほんのかすり傷ですき。」「なんと、先の頃は敵兵でごわすか・・ハハハ。」「はい。長州の京都入京は悲願ですき。私は三条実美公の衛士でございます。」「なるほど、攘夷急進派でごわすな。」「はい。今は倒幕派です。」
「はっきり物言う、お人じゃ。」西郷は中岡の顔を覗きこんだ。中岡の表情が変わった。
「西郷様、この度の戦において薩摩の対応についてお聞きしたい。前々から薩摩藩は攘夷をお考えのはず。中沼先生からも尊皇の教えをいただいております。予てより西郷様は薩長融合に賛同せれたりと高杉さんからも聞いております。賢君斉彬公も尊王攘夷を推奨しておったはずです。この度の戦においても幕府には従わぬ、と言うのが薩摩の方針のはず
。しかし、参戦され長州軍を攻撃された。これは、いかなる由でございましょうや?」「うむ、確かに・・。おいたちは今回の戦において参戦する気はござりもはん、藩内合議においても幕府いや会津からの要請に従う必要なし、となっておりもうした。しかしながら、御上より勅命がござったのじゃ。長州が恐れ多くも朝廷に向けて砲撃したことに対し
、幕府ではなく朝廷から直々に下命されもうした。薩摩藩としては長州が朝廷に対し砲撃してきたとあらば、いたしかたなかったのでごわす。たとえそれが、朝廷内の佐幕派が下命させたものでごわしても、逆らうことはできもはん。家老小松帯刀も苦渋の命令でごわした。ご理解いただきたい。そん証拠に薩摩藩は天王寺へは派兵いたしもはんで。朝廷さえお守りすれば無駄な追討はすまい、ということでごわした。」謙虚な西郷の姿勢に中岡の憤怒の念は収まっていた。「よう、わかりましたき。では、西郷様は長州との融合に係る合議にお立ち会う意思はあるということですね?」「もちろんでごわす。亡き主君斉彬公は攘夷の方でごわした。私も側近として毛利公や高杉さんとも談義したこともありもうす。その折も尊皇攘夷について意見を交換させていただいた。久光公が幼き藩主に代わり執政し、幕府や会津によって持ち上げられたため公武一体派の重鎮となられもした。そんこつによって私も徳之島やら沖永良部島へ流刑させられ、今年ようやっと赦免されたということはご存知だと思いもはん。そのおり三条公や貴藩の土方さんや真木どんから陳情をいただいたことには感謝いたしておりもうす
。が、おいどんらは薩摩でごわす。藩主の命
は聞かんと・・。」「その真木殿も殺したがは薩摩やろ!」「いかに朝命とはいえ、申し訳ごわはん・・・。しかし、戦でごわす。どのような方でごわしても刀を抜いたら敵でごわす。中岡どん、そうではないと言えもはんか?。」
「はい。そのとおりです。私は薩摩が幕府の命令に従うたと思っておりました。それゆえ西郷様に確認したかったがです。会津らはなおも長州に対して追討し完膚無きまで攻撃いたすと思われます。薩摩は、いかがいたしますか。」「薩摩は追討軍には合流いたしもはん。仮に幕府が朝廷の御旗を掲げての出兵なら、いたしかたありもはんが」「ようわかりましたき。西郷さん、これから私は三田尻に戻ります。そして今回の戦について薩摩の意志を伝えます。そのおりには長州に対し、薩長融合の話をしますき、桂さんに会ってもらえますか?」「わかりもうした。」
事実そのあとすぐ、西郷は全軍を率いて薩摩へ帰還したのであった。
中岡はその足で京の宿へ土方を訪ねた。
「ごめん。」「おう、中岡君負傷したと聞き心配しておったぞ。傷はどうじゃ?」「はい
。まだ歩くががたいそうですけんど、傷は治りましたき。」「そうかそれはよかった。しかし、長州は薩摩の攻撃を受け惨敗したと聞く。何千もの長州兵の亡骸で宇治川は血に染まったとも。」「はい凄まじい戦でございました。忠勇隊も総崩れで柳井健次、尾崎幸之進、千屋菊次郎、中平龍之介、そして松山深蔵ら十一人が死にました。黒岩直方、池蔵太
、田中顕助らが負傷いたしました。それに、土方さん、あの久留米の真木さんも死んだがちや。」「真木さんも・・あのお歳でのう。あの深蔵も死んだがか。あの真木さんが。総裁もさぞお嘆きになろうのう。わしはなんもできんかったき、口惜しいことじゃ。」
「土方さん、薩摩が・・・参戦すまいと思うていた薩摩が来たことですべてが終わりました。薩摩は恐ろしく強いです。土佐は今後、薩摩と融合すべきやと身にしみて思いましたき。」「薩摩がのう・・。」「私はここへ来る前に薩摩藩邸に行ってきて西郷さんに会うてきました。」
「なんと・・・。」「土方さん、西郷はすごい人物です。久光公が流刑に処したのも、大久保さんらが免赦されるまで待ち続けたがは、ようわかりましたき。おそろしいばあの人物でしたき。私が面と向かって、長州軍に参戦しちょったことを言うと大笑いですき。ほんで、何で動かんかった薩摩が急に参戦したがか聞いたがよ。」
「なんと、中岡・・・おまんという男は困った命知らずやき・・・。ほんで、どう言うたがで。」「戦が始まってから劣勢になるや、御上から勅命が来たがやと。長州が朝廷に向けて砲撃してきたき助け、言うて。長州はまんまと朝敵にされてしもうたがですよ。幕命やのうて勅命やったき仕方なく動いたと堂々と言うた。」
「ほんに・・。」「土方さん、わしゃあこれから招賢閣へ戻るき。会津らは絶対長州へ攻め込んで来るき。帰って忠勇隊を立て直さんといかん。けんど、西郷ははっきり言うたが
で。長州征討には参戦せんと。その証拠に薩摩軍は汽船に乗って、全軍薩摩へ帰ったがよ
。まっこと薩摩のすることはすごいき。」
「中岡、待っちょき。わしも一緒に帰るき。
三田尻にもんて報告もせんといかん。」
ふたりはその晩早くも大坂へ入り明朝の船の手配をした。ちょうど港には薩摩の汽船が入っており大勢の薩摩藩兵が乗り込んでいた。
「土方さん、もう帰りゆうで。すごいろう。
一糸乱れずやき。薩摩はほんまに強かったで
。わしゃあ、薩摩とは二度と戦いとうないき
よ。」「薩摩と長州はほんま強いき。薩長連合は絶対まとめんといかん。」「はい。」
主君の無罰を願い、五卿の入京を願った長州藩の悲願は薩摩藩の近代武器による武力によって壊滅した。数千人の長州兵の血が京の町を赤く染めたという。
これがこれからの長州の運命を大きく変えた有名な禁門の変(蛤御門の変)である。
長州は敗走し最上の屈辱と最大の被害を被ってしまった。それゆえ、長州人の薩摩人への憎しみは最高潮に達していた。
二人は翌日、乗船し二日後下関に着いた。
中岡は招賢閣へ戻り忠勇隊総督に就任し兵力を整え武器を用意しようとしたが、すべて旧式であり、武具も不十分であった。
「これでは、あの薩摩には到底勝てん・。」
「中岡さん、武器はのうても攘夷派浪士の意地をみせましょうや。全員、玉砕覚悟で突っ込みましょうや。」戦死した真木和泉守の子真木外記が勇ましく咆えた。「真木よ。戦とは戦法と兵器ながよ。刀は大砲には勝てんのよ。長州の大砲は届く距離がせいぜい半里。薩摩のエゲレスの大砲は1里ながよ。勝負にならんのよ・・・。」総督になったがゆえに悩み多き中岡であった。
ちょうどその頃、幕府は長州征伐の命令を下した。長州にとっては廃藩という屈辱の日がすぐそこまできていた。
土方は三条公を拝謁し京都の悲惨で残酷なことを報告していた。
「そうか・・・わかった。長州が惨敗か。御所のまわりも長州兵の亡骸でいっぱいじゃったとな。哀れなことです。深蔵も真木ものうなったか・・・。長州が滅んだらわしも滅ぶこととしよう・・・。」「総裁、弱気になってはいけません。私は今から薩摩へ参ります
。総裁より薩摩へ長州討伐への不参加およびエゲレスらの四国連合艦隊の長州襲撃の中止の嘆願書をお願いできませんでしょうか?今、長州は幕府とも連合艦隊とも戦う余力はありませんき、今止めんと長州は滅んでしまいます。総裁、お願いします。」「あい、わかったぞ。いましばらく待ってください。」
その頃、薩摩には幕臣勝麟太郎の紹介状を持った坂本龍馬がいた。龍馬は勝に西郷吉之助に会うて来いと言われ、初めて面会した。そしてその度量、その男気、その優しさに触れ、驚いていた。西郷もまた尊敬する勝が遣した風来坊のような龍馬の計ることができないような大風呂敷の発想と世界情勢に関する知見にいたく感激し数日間共に過ごし、日本の将来と龍馬の夢について語り明かしたのであった。その時西郷はかつて、勝に日本はこのままでは外国に占拠されること。公武一体の幕府などいらない、これからはアメリカのような民主的な国になるべきだという話を聞いたことにいたく感銘を受けたことを龍馬に語ったのである。西郷の度量を知り感銘を受けた龍馬が大坂へ戻る日、偶然にも土方と出会った。「龍馬!龍馬よ、おまん、ここでどうしゆうがぜよ?」「ありゃ、土方さんかよ
。兄やんこそ、なんでまた?」「わしは西郷様に会いにきたがよ。」「なんでまた?わしゃあ、さっきまで西郷さんと一緒におったがちや。」「どいたつか?龍馬よ、ほんまか?
ほんなら、今からわしを西郷様に引き会わせてくれんかよ。」「えいですよ。まだ、お屋敷におるはずやき、行ってみるかよ?」「龍馬に会えてよかったちや。頼まあよ。」
二人は西郷の屋敷へ向かった。「龍馬、西郷さんちどんな男で?怖いかよ?。」「なんちゃあ、馬鹿なら大馬鹿やし、利口なら大利口や。ようわからんけど器のでかいお人じゃきよ。たぶんびっくりするで。人も家もフハハハ。」
「西郷さん。おるかよ?。」「なんじゃ龍馬どんか。忘れもんでもしなさったか?」
「いやあ、そこの道で土佐の同志に会うて、西郷さんの家へ連れて行ってくれ言うき連れて来たわよ。あしの同志で土方久元さんよ。あしと違うて上士やきハハハ。」「そうでごわすか。どうぞ、入ってくれもんせ。」「龍馬、ここがかの大西郷の家かよ?」「ひどいろう?雨が降ったら雨漏りするし、隙間風はびゅーびゅーやし。まあ、夏は相当涼しいやろうて。ハハハ。」
「龍馬殿の同志でごわすか?ならば土佐勤皇党でごわすか?西郷でごわす。これ、茶を持て。」「西郷さん、わしゃいらんきよ。酒ならもらうけんど・・。」「昼間っからなんちゅうことを。フハハハ。」「西郷さん、あしの先輩で上士の土方さんですき。」「上士はいらんき!。お初にお眼にかかります。土佐藩士土方久元でございます。三条実美公の隋身でございます。」「おうこれはごていねいに、西郷です。」「これは三条公からの書簡でございます。どうかご確認願います。」「うむ、拝見いたそう。」西郷は三条公の書簡を見てくれた。
「三条公には幾たび朝廷でも斉彬公と一緒に謁見させてもらいもんした。いたく尊皇攘夷に熱心な方でごわした。ご意見、ようわかりもんした。さっそく京の御前会議でおはかりいたしもす。」
「え、」あまりも早い返事と対処に土方は驚いた。「西郷さん、ほんまに読んでくれたがかよ?適当はいかんぜよ。あしの先輩ながやき。」「もちろん。おいもそうせなあと思いよった。長州をこれ以上攻めることは許せんからて。」「ありがとうございます。ほんに中岡が申しておったように度量の大きいお方で感心いたします。」「なんの、土方どんは中岡さあの知り合いで?」「はい。同じように五卿様のお世話をしております。先日は中岡が大変失礼なことを申しまして・・・。」「兄やん、中岡も一緒かえ?」「いや、中岡は三田尻じゃ。」「いやはや、土佐の方はこん龍馬どんといい、中岡さあといいおもしろかあ。して中岡さあの怪我はようなりもうしたか?」「はい。あいつは少々の怪我で寝込むような男じゃないですき。」「兄やん、慎太郎がどうしたが?」「蛤御門で薩摩と戦い怪我をしたがよ。」「薩摩とかよハハ。相変わらず血の気の多い戦好きやねや。」「薩摩はいかがな理由で攻めてきたっち怒られもうした。ガハハ。」「中岡らしいちやハハハ。ところで兄やんはまだ勤皇の仕事しゆうがかよ?。」「そうよ。けんど今は倒幕派じゃ。三条公のもとへ集まる全国の浪士や武家の面談の取りつなぎをしゆうがよ。浪士に化けた刺客もおるき、気が抜けん。」「中岡は?」「中岡とわしは薩摩と長州の融合を目指しゆうがよ。今はずっと倒幕を考えゆう。もう幕府には日本を任せれん。」「もう攘夷の時代やないきねや。倒幕?ほんで薩長同盟かよ。そりゃ面白そうや。兄やん、わしの混ぜてくれやあ。」「龍馬よ、わしも中岡も命がけながぞ!混ぜてやはないろう。」「すまんちや
。けんど、兄やん、長州言うたら大将は桂さんやないが?」「そうじゃ。この西郷さんと桂さんを会わすことが第一歩よ。」「兄やん
、わしゃあ、桂さんとは友達ながぜ。」「どいたちや、そうかよ。ほいたらおまんも混ぜちゃらあよ。」「ハハハ、おまんさあらの話を聞いとったら面白かあ。じゃっどん、桂さんは薩摩が大嫌いじゃろ?おいどんとは会わんじゃなかもん?」「そうよ。西郷さん、桂は賢いけんど肝玉がこんまい男ながよ。」「そうでごわすか。けど、おいもこんまかけん、大丈夫ちゃ」「ハハハそれはないろう。蛇がでたら桂さんは悲鳴をあげ、西郷さんは食うろう。」
「龍馬!」「よかよか、おいは龍馬どんが大好きじゃもんて。蛇は島でよう喰うた。うまかよお。」「ハハハそらみいや。」そこへ西郷の弟の晋吾が入ってきた。「龍馬さあ、今
、大坂行きの船が来もんした。」「そうですか。西郷さん、あしゃこの船で神戸へ戻りますき。」「そうでごわすかぁ。勝先生によろしくお伝え下され。」「はい。お元気で。」「龍馬よ。その船はどっかに寄るか?」「豊前と佐賀関に寄りますよ。」「ほいたらわしも乗らせてくれるかよ。」「はい。路銀さえ払えば、ハハハ。」「こいつめフフフ。西郷様、三条公よりの嘆願の件、何卒よろしくお願いいたします。」「お約束いたす。薩摩は長州を攻めもはん。四国連合の総攻撃の中止もエゲレスの提督に言うときます。」
「よろしくお願いします。」
大任を龍馬のおかげでたった一日で済ませることができた土方は龍馬と船上にいた。
「兄やん。薩長連合の話、げに面白かあ。ハハハ。」「龍馬、その時は頼むぞ。おまんがどこにおるか必ず連絡してくれよ。」「わかりもした。」「もう薩摩弁はえいき!」「兄やん、楽しゆうやりましょうやハハハ。」
数日後、久元は三条公に謁見し西郷との話を説明した。「そうか、西郷は約束してくれたか。斉彬公の側近として二、三度ほど会うたことがあります。頑強な男でした。」
「はい、しかしなかなか度量の大きい男と感心いたしました。」「どうやら、土方の眼に叶うたようですね。」「いやはや・・。」「しかし、薩摩が配慮してくれるのなら安心してよいのでしょうか。」「いえ、幕府も一橋公がおるだけに油断はできません。」「慶喜ですね。」「はい。なかなかの策士のようで油断なりません。」
その頃幕府軍は広島へと進軍していた。
「一橋様、薩摩より書簡があり、長州の敗北宣言に係る長州征伐の中止を願い出ております。」「言うことを聞かぬと薩摩が出てくるぞ・・か。西郷めが。」「どのように。」「なんの見返りもなく撤退はできぬ。」「ただ、西郷から、強行策を講じた長州藩三家老の切腹を申し出されています。」「そうか、わかった。それでは西郷を征長総督参謀を命じよ。そして、三家老の切腹の沙汰を西郷に命じさせるのじゃ。」「なるほど、薩長の仲を益々悪化させるには妙案でございます。」「うむ。幕府の威厳は保てようぞ。」
西郷は京都の薩摩屋敷に来ていた。
「吉之助さあ、今幕府から返事が・・。」「どれ。」「慶喜め、おいに征長総督参謀を命じてきおった。家老の切腹をおいに命じよ
かあ・・。奴も策士よのう。」
「なんと・・。」「じゃっどん、長州ば救うち、こうするしか・・。」「西郷さあ・。」
「吉之助どん、坂本ちゅう汚げな浪士がきちょりもうす。」「坂本君でごわすか、入ってもらいなんせ。」廊下をドンドンと走り龍馬が入ってきた。「西郷さん、おるかよ?。」
「坂本さあ、久しぶりじゃもんて。」「薩摩以来やき。」「そうかそうか、どがな?。」
「神戸の海軍操練所が閉鎖させられそうながですよ。」「なんと。」「これが、勝先生からの書状じゃき。」「拝見いたそう。」西郷は龍馬から手渡された書状に眼を通した。「勝先生は江戸に帰られ申すようじゃて。ほんで龍馬さあ、操練所が閉鎖させられたらおまんさらあを薩摩で預ってほしか言うておりもうす。」「西郷さん、閉鎖になったらわしらを薩摩の汽船で使うてくれんかよ。訓練生はみんなあ操船はうまいきよ。」
「帯刀どん、どげなもんよ。」「勝先生の頼みじゃ断れもはんじゃろ。」「そげんなかも
、こん人らは操船の名人やから軍艦に乗せたらどげんじゃろ?へのこらも操船覚えもんそ
。」「わかりもんした。久光公にお伺いばたてもんそ。」「お願いしもんそ。」「吉之助さあ、ちょっと・・・。」「どげんした?一蔵どん。」「ちょうど、よかところへ坂本が来もうした。」「なんぞ?。」
「長州への説得ば、坂本さあにお願いできもんそうか?」「そりゃよか。坂本君は長州に顔広かあ。それに話がうまか。」「そげんな
。」「西郷さん、どこへ行っちょったが。」
「ちと、一蔵どんと内緒話が、ハハ。坂本君
、操練所が閉鎖になったら受け入れはできもんそ。そん時はみなさんを薩摩が受け入れる準備ばすると連絡しといてくだされ。ところで、坂本どんにお願いしたいことがごわはんで。」「西郷さんがそういう言い方するのはまっこと怖いのう・・。」
「坂本君、土方さあから長州征伐の件頼まれもうしたんは覚えとろう?。」「はい。」
「実はのう、わしは長州は降参しもんで、もう白旗ば上げとる敵に攻撃せんでもよかち、
と進言しもうした。ところが、幕府は高杉と桂の首を差し出せっち言うて来もんした。わしは今、この両人の首を差し出しちは長州の未来はなかもんち考え、勝手に長州藩の三家老の切腹をば言いもした。」「桂さんはまずいで。」「桂さんは長州の柱じゃて。そこで坂本さん、おまえさあに長州にこのことを伝えてくれまいかのう?わしら薩摩もんが長州に直接言えん話でごわす・・・。」「三家老の処罰かよ?わかりましたき。今から萩へ行ってきますき、終わったら神戸へ戻り、みんなに閉鎖後のこと話してもえいですか?」
「もちろんでごわす。すべて小松が面倒みます。坂本君、頼みもうす。」
「任しちょきや。土方さんにもちくと力を借りますき。」
龍馬はさっそく土方に早飛脚を出し大坂へ向かった。龍馬の行動は実に素早かった。紀州藩浪士で海軍操練所の仲間陸奥陽之助を伴い三日後には下関へ着き、土方と落ち合い、毛利公に面会を求めた。
「坂本君、僕らだけじゃいかんのかね?。」
「桂さん、今日は薩摩の西郷さんの代理できたがじゃき。」「ふん・・、西郷は長州討伐の総督参謀になったつか?相手に不足なしよ
。なあ、高杉。」「桂さん・・。」「相変わらずやねえ桂さん、竹やりで薩摩に勝てるがかよ。」「長州は・・・。」「意地張りなや
桂さん。長州はもう負けちゅうがやき。」
「その言葉、いかに坂本君でも許せんぞ!」
「桂さん、実はこの土方、三条公の頼みで先月西郷さんに長州を救うてほしい言うて頼んできたがです。」「なんと・・」「西郷は四国艦隊の攻撃中止と長州征伐の再考を幕府に伝えてくれたがよ。」「幕府の策略どおり海から四国艦隊、陸から幕府軍に攻められても勝てるがですか?」「長州は・・」「桂さん
、冷静になってください。奇兵隊も忠孝隊も大打撃を受け武器さえ揃えることもできないんです。・・・」「高杉、弱腰はいかん。」
「桂さん、負けちゅうがですよ。西郷さんが言うてくれんかったら四国艦隊にやられちゅうし、幕府に滅ぼされちゅうがですよ。」
「桂さん冷静に考えて下さい。」「しかし、高杉よう・・」桂は悔し泣きしていた。「高杉さん、西郷さんは征長総督参謀として長州処分を任されたがやき。慶喜は長州を西郷さんに潰させようとしよるがです。桂さんと高杉さんの首を要求しゆうがです。」「僕の首ならいつでも渡す覚悟はできていますよ。」
「桂さん!」「坂本さん、私と桂さんの首で長州は守れるんでしょうか?」「おまんらの首を差し出したら長州は終わりよ。おまんらなしでは、一切戦えんろう。」「しかし。」
「桂さん、高杉さん、蛤御門での攻撃に高杉さんや久坂さんは反対やったと聞いとります
。長州藩の三家老が池田屋事件で激怒し指示した聞いとります。そのうえ、ご家老らあが総大将として部隊を指揮したと。」「それはたしかに・。」
そこへ毛利慶親が入ってきた。「殿。」
一同がひれ伏した。「頭を上げて下され。」
「高杉、世に面会とはこの御仁か?」「はい
、土佐藩士土方久元殿と坂本龍馬でございます。」「して、話とは?」「それが・・。」
「初めてお目にかかります。拙者三条実美公隋身土方久元と申します。これは坂本龍馬と申します。」「おう、三条公の。苦しゅうない続けよ。」「毛利公、家老国司親相、益田親施、福原元武の三名を蛤御門砲撃の先導指揮したという罪で切腹させてください。」「急になにを!無礼者めが!」「殿、お待ち下さい。」「高杉どういうことなのじゃ?」
「それが・・・」「毛利公、この三人の首と五卿の動座で長州が救えるがです。」「よう意味がわからん。その方らは下がっておれ」
「坂本君、後は私が殿に説明しますので一旦下がってお待ち願います。」「龍馬、そうさせてもらおう。」「けど、兄やん。」「高杉さんに任せようや。」「しかし、一つだけ、桂さん、西郷さんが長州人捕虜を手厚く扱い手当てし長州へ送還してくれたことだけは殿に申し上げて下さいよ。お願いしますき。」「わかりました。」
土方らは別棟に移され半日ほど待たされた。
やがて、桂が入ってきた。「土方さん、坂本君。殿も苦渋の決断をしてくれた。そして家老らも潔く了承してくれました。長州の未来のためとあれば・・と。長州は西郷さんの立場を考えた。薩摩も長州の立場も考えてもらいたい。五卿さまのことは君ら衛士が責任もって対処してほしい。そして、薩摩との融合
を。長州にはもうこうするしかないんです。坂本君。」「桂さんわしらあを信用してください。今から三田尻へ行ってきます。」
その後、西郷吉之助が岩国にて長州藩と会談、長州藩家老三人の処分と三条公ら攘夷派公家の長州退去を申し入れ了承された。ここに長州藩は西郷の寛大な考えにより致命的な処分から回避することができた。また、五卿は筑前藩が土方らの努力により受け入れを了承し幕府の広島総督府に申し出た。そして西郷は征長隊を解兵させ長州征討は終わり、結果として長州の降伏ということになった。
ここに薩摩が動けば日本が動く、と言えるほど薩摩の力を幕府のみならず、朝廷・諸藩も認めることとなり、長州は薩摩と融合する以外、倒幕の手段はないということを悟った。
しかし、このことによって長州は幕府に恭順すべきという考えを持つ藩内の佐幕恭順派が奇兵隊を率いる高杉らを追放させた。
しかし数ヵ月後、倒幕派は高杉に蜂起を要請し下関で挙兵、慶応元年1月とうとう長州藩内で佐幕派を撃退し再び藩の中枢に返り咲いたのであった。時は薩長同盟という日本の根底をひっくり返すほどの威力がある流れが支流から本流へと変わろうとする慶応元年になっていた。
四 大宰府
西郷が下した五卿の長州から大宰府動座にはこのようないきさつがあった。
慶応元年1月、五卿は土方久元、中岡慎太郎ら隋士を伴い肥前赤間の黒田公別邸の御茶屋へ入った。しかし、その御茶屋はあまりにも狭く安普請であった。わずか八畳間に五卿が入れられているような状況であった。怒った土方、中岡らはすぐに福岡藩月形洗蔵らに面会した。
「月形さん、三条公らを受け入れてくれたことは本当に感謝しちゅう。けんど、一時とはいえ、あの住まいはいかんろう・・。もうちょっと配慮してくれてもえいがやないろうか
?落ち延びてきたいうても元右大臣様ながぜよ。わしらは三条公らをあそこに逗留ようささんき。」
「中岡さん、申し訳なか・・。土方さんらがお怒りのこともわかっております。しかし、わが福岡藩は長州降伏後佐幕派の俗論党が藩内の中枢になりもうした。加藤さん早川さんもわしもこのままでは投獄されるかもしれんのです。お力になれず申し訳ありません。土方さん、中岡さん、本当に申し訳なかよ。」月形は顔さえ上げることができなかった。
福岡藩では勤皇派が藩内でも優位な頃は加藤司書らが西郷と共に五卿動座をしぶる長州藩を説得し大宰府へ五卿をお迎えすることになったのだが倒幕の志士たちとのつながりを幕府から談判され藩自体苦しい立場になり佐幕派が優位になり始めていた。
「土方さん。もうこれ以上月形さんらあには頼めんです。黒田公が佐幕になりゆう言う話は早川さんから聞いてましたき。わしゃあ薩摩へ頼みに行きますわ。」「そうじゃのう・
幕府に物申せるがは薩摩しかないか・・。」
「はい。」二人は赤間へと戻ってきた。
「総裁、このような処遇になり申し訳ありません。福岡藩は物申せんですき、中岡を薩摩へ行かせてえいですろうか?」「私たちは一時じゃと思うて辛抱しますから、無理しないでください。ところで土方よ、そういうてくれるのなら、昨日薩摩の大久保が上京途中にここへ立ち寄るという連絡がありました。その時でようないですか?」
「えっ、それはいつです?」「二十八日と書いてあった。」「そうですか。すぐでございますねえ。大久保もこの現状を見たら驚くかと思います。」「うむ。」
やがて、大久保一蔵から謁見の連絡が届いた
。そして二日後、赤間に着いて訪ねてきた。
「大久保さん、この別邸の状況をごらんになり、どう思われました?」「土方さん・・・
これはあまりにもひどすぎでごわすな。」
「福岡藩はこれ以上は無理や言うがです。なんとか黒田公にお申し入れ願えませんでしょうか?」「大久保さん、これじゃああまりにも総裁らが不憫です。こんな狭いところにお公家衆を押し込んで・・・わしゃあ情けないがです。」中岡は悔し涙を流し訴えた。
「わかりもうした。今から福岡藩へ申し入れしてきもんそ。お待ち願います。」
その後、大久保は福岡藩に赴いたが、そこはもはや佐幕派の巣窟になり、かつての同志たちもつぎつぎに排除されていた。
「土方どん、もう福岡藩は加藤司書らもおらず手のうちようがございもはん。大宰府のご用意ができるまでもう少し辛抱していただくようお伝え願いもはん。」「・・・・。」
数日後、五卿一行は福岡藩・久留米藩の警護の中、土方・中岡らと共に大宰府延寿王院に到着した。今後、五卿は慶応三年十二月の王政復古までここ大宰府に約三年間滞在することとなる。
慶応元年二月五日、薩摩藩の吉井幸輔と合流した土方、中岡らは再び京都探索の命により筑前赤間から出船した。途中、下関で下船し商人白石正一郎邸で休憩していた。白石正一郎は薩摩藩の御用商人で西郷とも面識があり、高杉の強引でありながらも計算高く男気のあるところを認め、奇兵隊発足時大金を出した親尊皇派の商人であり、高杉びいきであった。そこへ長府藩家老三好内蔵助ら四人が訪ねてきた。そしてここ下関にて、土佐、長州、薩摩の倒幕の意をもった志士たちの熱い論議が繰り広げられたのである。そして、倒幕への硬い意志を薩長融合、薩長同盟という目標という形にするということで一致していた。特にこの長州、薩摩が世情に左右されながらも本意が勤皇攘夷から倒幕へ変わり維新という近代的な考えとなりつつある背景には封建制度の撤廃という命題があった。
それを薩摩・長州が成しえる背景には、下層階級でも優れた人材があれば登用するという考え方、また優れた指導者がいたこと、そして地理的な要因もあり貿易という手段で幕府の眼の届かないところで収益を上げたために経済力があったということである。その中心は藩主や有力家老等ではなく、新しい考えを持ち憂国の意を持つ、桂小五郎であり、西郷吉之助であり、村田蔵六であり、高杉晋作であった。薩長では吉田松陰、島津斉彬という指導者に恵まれ優秀な人材がつぎつぎと現れた。土佐では武市半平太という傑物のもと多くの志士が育った。坂本龍馬、中岡慎太郎、土方久元らがそれである。
慶応元年三月、土方久元は中岡慎太郎と共に三条公の命により京都に着いた。そして、吉井幸輔と共に京都薩摩屋敷に逗留し朝廷や幕府の情勢を探索していた。
「土方さん、あしゃあ昨日鳥取の松田正人君に会うたがやけど、去年敦賀で武田耕雲斎様ら天狗党が何百人も処刑されて、残りの残党らも今月次々処刑されゆうようや。武田様の息子も・・。それに、水戸の奥方や娘、孫まで処刑されそうながやと。」
「女、子供まで・・・慶喜はどうしゆうがよ
。水戸の攘夷の芽は全部潰す気ながか。」
「慶喜は水戸を見放したがよ。松田が言うには天狗党の残党がまたなんかしそうながらしい。」「だれぞ、まとめれる人物はおるがやろか」「それが、武田様を始め藤田小四郎らの先達は全部殺されて、残っちゅうがは報復報復言うて騒ぎゆうだけの雑兵集団だけのようでちゃんとした指導者はほとんどおらんらしいがよ。」
「烏合の衆ながか・・・。わしらが手本にさせてもらいよった水戸攘夷派はもう済んだねや。」「はい。土佐勤皇党みたいに粛清されてしもうたがです。東には尊皇倒幕の雄藩がもう、おりませんき・・・。」「わしらが水戸の同志の分までやらなあいかんねや。」「はい。それと、昨今の会津の動きが妙なようです。」「出立か?」
「はい。また長州征討の用意やと思われます
。」「会津はあくまでも長州の息の根を止めるつもりながや・・。中岡君、こうしてはおれん。幕府の動きを抑えれるがは薩摩しかおらんき。早速、吉井君に大久保さんに面談の請願をお願いしてくれんか?」「はい。もう吉井さんには連絡しちゅう。」「さすがやな
。」「今日にも返答が・・。」
その日の夕刻、中岡の予想通り吉井幸輔が訪ねてきた。「土方様、中岡君の請願を一蔵どんが請けてくれもうした。明日、午後藩邸にて大久保が会ってくれもうす。」「かたじけない。礼を申す。」「いやいや、中岡君の様子、ただ事ではないと言うておきもうした」
翌日、二人は薩摩藩邸を訪れた。
「中岡君、なんぞ藩邸の様子がいつもと違うことないか?」「はい。なんぞ、騒々しゅう感じます。やはり、長州征討の命が・・・ですろうか?」「たぶん。」
やがて大久保一蔵が入ってきた。「大久保様肥前ではお世話かけました。おかげさまで三条様らあも落ち着いております。」「十分なこともできませんで申し訳なか。ところで、急な用件とはいかがなことでごわすか?」
中岡が詰め寄った。「はっきり申します。薩摩に対して長州征討の命が下ったがやないですか?藩邸内の様子がいつもと違うぜよ。」
「中岡・・。」「土方さん。よかです。中岡さあのことは吉之助どんに聞いとりもす。はっきり言うてもろうたほうがよかです。して
?」「薩摩はどうするつもりながです?」
「中岡さあ、どこで聞いたか知りもはんで、そんな話はなか。」「本当のことを言うて下さい。会津が江戸へ向かったことはわかっちゅうがやき。水戸からの報やき間違いないはずです。大久保さん・・。」「吉井どん、土佐の御仁は怖かあ・・。」「大久保さん、こん二人は信用できもうす。この吉井幸輔、神に誓いもうす。大久保さあの口から真実ば話してたもんせ。」大久保は真顔になって二人の顔を凝視した。「大久保様、西郷様は長州を攻撃せぬと申されたことを坂本も言うておりました。長州は今や四面楚歌。これを救うのは薩摩だけです。この中岡も蛤御門のことも朝廷からの要請であったからと西郷様が申されたと言うておりました。決して幕府の命には従わんとも・・。大久保様、命は下ったがですか?」「大久保さん、はっきり言うてや。」
大久保一蔵は静かに口を開いた。「まだ命は下っておりもはん。が、先の朝議で他のご重役は長州征討すべしということになりもうした。容堂公も・・。」
「やはり・・・。しかし幕府からの命は出ちょらんがですね。」「うむ・・。」
「大久保様、幕府はもういかんがです。体を成しておりません。慶喜公においては貴藩らがあってこそ威厳を持たれておりますが実情は家老どもや会津公の言いなりだと思うとります。フランスは属国の将と揶揄しているとか、聞いております。」
「フランスの後ろ盾がのうなったらなにもできやせんがよ。慶喜は水戸の天狗党を見殺ししてまだ、武田様の一族を女子供まで処刑しゆうと言います。慶喜は威信を保つには、もはや長州を朝敵として攻撃することしかないがです。大久保さん、長州と共に幕府を倒して下さい。武市さんは薩長融合こそ真の道だと言うてました。長州は強がっていても薩摩の援助を待ちゆうがです。」
「大久保どん。拙者、昨年よりこのご両人と行動してきもんした。長州のご要職ともお会いしもんした。長州は薩摩との融合を心から望んでおりもす。土方さんも中岡さんも命をかけて国を守ろうとしてごわんぞ・・。土佐のためでも長州のためでもごわはん。この日本のために走りまわっておりもす。坂本さんも土佐の志士たちも日本のためだけに働いておりもす。土佐を捨ててまで働いておりもす
。決して自分らが欲のために動いてはおりもはん。正直、拙者は薩摩んことしか考えておりごあはんで恥ずかしかって思うとりました
。大久保さあ、今こそ薩摩が日本を守るために立ちあがらんといきもはんが・。」
「土方どん。こん吉井ばあ、こげん気持ちにさせとうち、大したもんでごわすな。ようわかりもした。じゃども、こんことはおい一人の意見だけでお返事できもはん。じゃっどん吉之助さあは聞きいれてくれもんそう。」
「お願いいたします。」土方と中岡は深々と頭をさげ礼を言った。
「中岡君、薩摩はなんとかなりそうや。」
「はい。おの大久保さんがああ言うてくれたがやき、吉井君が言うには薩摩のお偉いさんじゃあ、いちばん難しいお人らしいき。土方さんによう似ちょるハハハ。」「そうかよハハ。」「ところで中岡よ。善は急げや。わしは今から長州へ入り、高杉さんと桂さんに会うて今日の話するき。おんしは薩摩へ行って西郷さんを下関へ来させるよう段取ってくれんか?」「わかりました。今から薩摩屋敷へ行って吉井さんとこれからのことを話してきますき。」「うむ。」
中岡は薩摩屋敷に吉井を訪ねた。
「おう、中岡君、どげんな?」「はい。実は私と土方は一旦大宰府に戻ろう思うちょります。三条公に謁見してから土方さんは長州へわしは薩摩へ行って薩長の話を煮詰めたいと思うとります。なんとしても西郷さんを桂さんに会わせんといかんがです。」
「わかりもした。しかし、吉之助さあは今頃
、三条公らに謁見して京都に向かっておるかと思いもはんぞ。我が胡蝶丸は明日、大坂から出港しますが乗られますか?我が父もそん船で鹿児島へ帰りもす。」「そうながですか
?ぜひとも乗せてもらいたいです。して西郷さんはどのあたりでしょうか?」「大宰府あたりかと・・・大久保さあと入れ替わり京都にはいられもす。」「そうですか、それなら薩摩へは行かず、長州で土方さんと働いてきます。吉井さん、西郷さんには今日の話をしちょって下され。」「わかりもした。おいも明日は父を送りに大坂へ行きもんでえ。」「それでは・・」「うむ。あっ、中岡さあ、知っておるとは思いもすが、この吉田も大宰府に参りますので同行させます。」
「清右衛門殿かあ。久しいのう。土方さんも喜ぶき。薩摩の腕利きが護衛じゃきハハ。」
吉田清右衛門は以前、薩摩藩から五卿の衛士として追随していた剛の者である。
中岡は吉田と共に土方を追いかけ、大坂の手前で追いついた。「土方さん、やっと追いつきました。実は吉井さんの父上が明後日の胡蝶丸で薩摩へお帰りになるがですと、それと吉田さんが大宰府へ赴任せれるとかで乗船させてもらえるようになったがです。」「そうかよ、わしゃあ早う行って大坂で船を構えないかん思うて急いじょった。胡蝶丸かあ、あれは早いきありがたいのう。吉田君かあ、久しいのう。大坂の晩も吉田君がおったら安心やねえ。」
京都の薩摩屋敷での面会からの数日後、二人は大坂の川口港で薩摩の汽船胡蝶丸上にいた
。港には吉井幸輔が見送りにきてくれた。
「それでは行って参ります。」「土方さん、なにとぞよしなにと大久保も申しておりました。お気をつけて。吉田さあ頼みもんそ。薩摩にとっても大事なお人らでごわす。」「かたじけない。薩摩隼人の決断、決して無碍にはいたしません。」胡蝶丸は出航した。
「中岡君、この汽船は長州領には寄港できまい。よって私は豊前で下船いたす。君は薩摩に入り西郷殿を必ず解きふせてもらいき頼むきぜよ。」「兄やん、ところが西郷さんは薩摩におられんがです。」「いったいどこにおるがよ?」「船で京都へ来ゆうがですと。今は大宰府やないろうかち、言うちょった。やき、わしらあ長州へ行って話まとめてすぐに戻らんといかんがです。」「なんと行き違いかよ。」
薩摩藩船である胡蝶丸は今はまだ敵船であり長州には寄港できないため通過し、二日後豊前に着いた。三人はそこから船で大宰府に向かった。「兄やん、蒸気の船はまっこと早いでねえ。あっという間に豊前やも・。」
「わしは二回目やけどまっことじゃ。龍馬が欲しがるはずよ。」「龍馬がいいよったかよ
。龍馬は船が好きやき。ハハ。」
翌日三人は大宰府に着き三条公に謁見した。
「総裁、ただいま帰りました。」「お疲れでした。して京都のようすはどうでしたか?」「はい、その前に総裁、先日薩摩の西郷殿が拝謁しに来ませんでしたか?」「おう、おいでじゃった。」「どのような用件で?」「流刑恩赦の嘆願のことの礼を言いに来たと。そのため、京都へ向かう途中で寄ってくれたようじゃったが。なにがあろうとも薩摩がわしらを守ってくれると言うておったわ。」「薩長のことは?」「土方と中岡に直言されて藩内ではおおごとじゃったらしい。久光公が幕府と会津らに抑えられておるからのう。しかし、西郷らは幕府も会津も信じておらぬような口ぶりじゃった。君たちに力を貸すよう言うておいたぞ。」「ありがとうございました
。総裁、会津は先日、長州征討のため出立しました。幕府の朝議で参与衆は長州征討で話がまとまったようです。薩摩以外は。」
「それでは、もうすぐ長州討伐の勅令があるやもしれんのですね。」「はい。急がねばなりません。私と中岡は今からすぐに長州へ向かいます。まずは下関の白石邸から行動しますので御用があれば下関へお願いいたします
。」「わかった。頼みます。」「はっ。」二人は草鞋を脱ぐ間もなく長州へ走った。そしてその途中、福岡で月形を尋ねた。
「月形さん。月形さんらが描きよった薩長連合の件、いよいよ実現しそうになってきよりましたき。先月、薩摩の大久保と面談し了承されました。あとは西郷だけですき。見よって下さい。」「そうか。頑張ってくれたまえ
・・・拙者たちはもう身動きとれなくなったゆえ。」「どうゆうことながです。」「昨日ご家老加藤が罷免謹慎させられた。私が率いる勤皇倒幕派がことを急きすぎて、殿の怒りを買うてしもうた。毛利と計り殿の弟を擁立させようとしているというでたらめな話を・
・・佐幕派の仕掛けた策よ。加藤様を失ったわれらはもう駄目じゃ、早川も投獄され、私もやがて・・・今はこうして謹慎しておる。土方さん、中岡さん、どうか我らの志を継いでくだされ。お願いいたす。」
「月形さん・・。心配御無用です。薩長が融合されたあかつきには黒田公もまた尊皇倒幕のお考えに変わってくれようぞ。」「どうかお願いします。」
「中岡、もう時間がないぞ、すぐに長州へ行かねば・・。恩義ある月形さんらを救うのじゃ。」「はい。」二人は走り去った。
慶応元年三月二十九日、土方らは下関白石邸においてとうとう長州藩の山県狂介、伊藤俊輔、井上多聞らと会い、薩摩の考えを伝え薩長連合について長州の理解を得た。当初は薩摩憎しの面々であったが山県が高杉の考えを述べ一堂納得した。そして、四月三日に桂と面談する約束をした。
その日、渋る桂を伊藤が連れてきた。「土方様、桂さんを連れてきました。」「俊輔に聞いたがわれらは何度と無く薩摩にはやられておる。いまさら何を言うても戯言でござる。土佐のお二人は何ゆえ薩摩と長州を結びつけたがるのじゃ?なんの徳があるのじゃ?朝廷から報奨金でも出るのかのう。ハハハ。」
「桂さん、えい加減にしいよ!。」中岡が立ち上がった。「これ、慎太郎!」「土方さんかまんがよ。この人はわかっちょって、わざとこう言いゆうがやき。薩摩の強さも西郷の男気も長州の現状も・・全部知っちょって言いゆうがやき。」「桂さん、桂さんがわしらを引っ張ってくれんと困る。」伊藤がしがみついた。
「桂さん、わしが褒美がほしゅうて招賢閣の議員をしゆうかよ?忠孝隊の面倒を見ゆうかよ?来島さんらあと戦したがかよ?桂さんと高杉さんが一番わかっちゅうはずやろ。」
「桂さん、この土方も中岡も日本を救いたいがです。フランスの操り人形みたいな幕府や自分の利益しか考えてない会津や老中、奴らに日本を任せれんがです。強国薩摩と長州が手を結べば日本は変わります。攘夷のために外国と戦うたがは長州と薩摩だけです。西郷さんもこのことで長州を認めちゅうがです。
薩摩は手を結んでもえいと言うてくれゆうに桂さんが昔の遺恨ばっかり言うて・・伊藤君も井上君も山県君もわかってくれたに、なんで桂さんはわかってくれんがです。」「桂さん!この中岡を信じてくれんがですか?」
桂は立ち上がり真っ赤な顔をして出て行った
。「土方さん、すみません。中岡さん・・・
桂はああいう男です。しかし、薩摩によって殺された長州人に対して、宿敵薩摩と手を容易に結ぶことができんのです。許してやって下さい。」伊藤は泣いて詫びた。
「伊藤君、桂さんの考え、ようわかりました
。あとのことはよろしゅう頼みます。」「高杉といっしょに桂と話をします。薩摩の方はよろしくお願いします。」「伊藤さんわかったきよ。任しちょってや。」
二人はすぐに大宰府に戻り三条公に桂との面談を報告しその足で京都へ向かった。
一刻の猶予もない状況であった
五 薩賊会奸
討、薩賊会奸。長州藩士は八月の政変、禁門の変以降、薩摩藩と会津藩を憎み草鞋の裏にこう書いていた。つまり、賊軍薩摩・奸物会津を討つ。という気持ちを始終持っていた
。この気持ちは決して忘れ去ることのできない長州人の深い憎しみが込められていた。
桂が薩摩に対する気持ちは決して個人的な憎しみではなく、薩摩を恨みながら死んでいった長州兵たちの憎悪が桂の脳裏から離れられないものだったのであった。
桂がこの藩士の気持ちを察し煮え切らない態度をとっていたのも頷けることである。
龍馬は困惑していた。勝麟太郎が開設した神戸の海軍操練所が脱藩浪士など激徒の巣窟とされ、とうとう閉鎖されたのであった。勝は江戸へ送還され隊士たちは行き場所がなくなっていた。他の隊士は国許へと帰ったが脱藩の身である土佐勤皇党の隊士と紀州藩脱藩の陸奥陽之助は帰ることができなかった。勝は約束どおり彼らを薩摩の海軍で引き取って貰うよう西郷に嘆願した。そこでその嘆願書を胸に龍馬は京都の薩摩藩邸を目指した。
薩摩藩邸で勝からの嘆願書を西郷に渡すよう頼み、吉井幸輔邸で待機していた。そこへ土方が尋ねてきた。「おや、龍馬ではないか?どうしよった?」「こりゃ兄やん、薩摩以来ですのう。神戸の操練所が潰されてしもうたがよ。」「そりゃまたどうしてぜ?」「亀弥太らが池田屋で騒動起こすし、蛤御門にも操練所の隊士がおったことらあが幕府にばれてのう。わしら脱藩浪士が危険な奴らじゃ言うて潰されたがよ。勝先生も江戸じゃあ・・。そんでもって勝先生が口利いてくれゆうき、みんなで薩摩へ行こうかと思うて西郷さんに会いにきたがよ。」「そうかよ。幕府も大したことないき。金もないがじゃろ?」「そんなことよ。ところで兄やんはどういたで?」
「わしも西郷に会いにきたがよ・」「そうかよ。」吉井が入ってきた。「坂本どん、西郷が会うち、連れてこいと言いもんど。」「すぐ行くというてたもんせ。ハハ。兄やんわしも急ぐき西郷に会うてきます。話はまた次の機会にしましょうや。」「そうやな。」
龍馬もまた走り去っていった。その後龍馬は約束どおり隊員たちと薩摩へ渡り、薩摩藩海軍でイギリスの操練術を隊士と共に学び、後には薩摩から蒸気船を借り受け、薩摩に資金援助してもらい海運業を長崎で始める。これが亀山社中であり、後の海援隊である。
一方、土方はなかなか西郷に面談できずにいた。数日待ったが、西郷は急遽薩摩へ戻ることになり結局会うことができなかった。
「土方殿、誠に申し訳ない。じつは幕府が長州再征討令を布告しもうした。西郷は久光公と大久保さあと合議されに薩摩へ帰られもうした。龍馬どんも一緒に・・」「しもうた、
わしも行きたかった。龍馬に話しちょいたらよかった。」
土方は悔しがったが西郷らは出立していた。
西郷に面会できないまま土方は急ぎ、大宰府へ戻った。
「中岡君、幕府が長州再征討令を布告したがよ。西郷さんは薩摩におる。わしはちと身体の具合がようないき、おまん薩摩へ行ってくれんか?わしはここにしばらく居って長州の状況を調べゆうことにするき。すまんのう」
「わかりました。土方さんはちと動きすぎたきやろ。あしに任しちょってや。」
依然として元気な中岡は薩摩へ向かった。
西郷は急遽薩摩に戻り久光公を囲んで幕府の布告について合議した。そして、強引な長州再征に対し薩摩は出兵を拒否するように決定されたのである。
その頃龍馬は海軍操練所の隊員たちと神戸で合流し、薩摩へ向かっていた。
龍馬たちが薩摩に到着すると、家老小松帯刀がすべて準備してくれていたので二日ほど休養した後、薩摩海軍の軍艦に乗り訓練を始めた。隊員たちは水を得た魚のように熱心に訓練し薩摩藩の船員育成に努めた。
「蔵太、あしゃあ、ちくと西郷さんの所へ行ってくるき、おまんらあは訓練を続けよってや。」「はい。」
実は龍馬はこの先、蒸気船を一艘薩摩から借り受け長崎で薩摩名義で仕事をしようと考えていた。この話は薩摩も受け入れられ、名義と資金を龍馬に貸すことになる。これがやがて薩長同盟締結に重要なこととなる。
「西郷さん、あの話は島津公が許してくれたかえ?」「久光公も認めてくれもうした。ただし、今しばらくは薩摩のために働いてたもんせ。おまんさあらの操船技術は大したもんでごわす。うちのヘノコらを一人前にしてたもんせ。殿はそうお望みじゃ。」「わかったき。薩摩のヘノコもなかなか筋がえいぜよ。ハハハ。」
「吉之助どん、また土佐の中岡が来られもんしたがいかがしもんせ?」
「通してやんなせ。」すると、中岡が息を切れして入ってきた。
「ありゃ、龍馬、なんでここに?」「わしゃ西郷さんに拾うてもろうたがよ。ハハハ。おんしこそ、どういた?そんなに慌てて。」
「西郷さん、幕府の布告に対する薩摩の答えは?」「中岡さあ、いきなりでごわすか?」
「はい。薩摩の答えを聞きとうて来ました」
「薩摩は再征を拒否しもす。久光公も同意してくれもした。一蔵どんは朝廷に長州再征討み反対する請願を出す用意をしておりもす」
「そうですか・・よかった・。」そういうと中岡は安心して座り込んでしまった。
「中岡、おまんあの薩長同盟のことを世話しゆうがかよ?」「そうよ。土方さんもだれて寝込んじゅうけんど、長州を説得しゆうがやき、けんど桂がなかなか・・。」「あいたあ強情やき。またどうせ昔のことを言いゆうがやろ?」「そうよ。まっことしわい人よ。」
「そうやろ、桂やったらわしに任しや。わし
も薩長同盟のことは気になっちょたがよ。土方さんにも頼まれちゅうし。後のことは内蔵太に任せて、わしが長州へ行ってくるき。」
「待ちなんせ、坂本どん。おはんらだけの意見で決めてもろうても困りごはんで。おはんがおらんでヘノコらあの訓練はどげん?」
「西郷さん、教えるがはわしより池の方がうまいき。わしゃあ、いらんこと言うて、うろうろしゆうばあやき。」「じゃっどん・。」
「西郷さん、長州はかわいそうやろ。朝敵にされ幕府に攻められ身動きさえできんがです
。これで長征が始まったら、もう玉砕しかないがです。」「それは、ようわかっておりもす。が・・。」「西郷さん、長州は助けてくれ!言いゆうがです。ただ、口に出せんだけながです。」「が・・・。」
二人の話を聞いていた龍馬が立ち上がった。「おまんらあ、なにを言いゆう。話す必要があるかえ?中岡、西郷さんに桂に会えっち言いや!西郷さん、助けるっち言いや!理屈はいらんがやき。桂も西郷さんも、自分らあの面子は捨てや。そうせんと話しても無駄やきよ。ほんま、煮えきらん・・・。わしゃあ、そういうがが一番嫌いや。」「龍馬・・。」
「わかりもした。じゃどん、おいが長州へと
行くことは小松さあや久光公のお許しがのううてはできもうさん。」「よし、そんなら中岡、おまんはお許しが出たら西郷さんを連れて長州へきいや。その間にわしはあの頑固者をなんとかするきよ。」「わかった。龍馬頼むで。」「おうよ!」龍馬は急いで港へ行き
陸奥陽之助を連れて長州へ向かった。
慶応元年閏五月六日のことであった。
二日後、龍馬は大宰府の三条公に拝謁し薩摩の状況を説明した。そこには運よく長州藩士小田村素太郎と長府藩士時田少輔が居合わせており、明日、桂と面談できるよう頼んだ
。三条公も頭を下げたので二人は無碍にできず急遽、桂に会うべく長州に戻った。
そして龍馬は土方と共に下関へ渡り、白石邸に入った。「土方さん、身体は大丈夫かえ」
「天下の大事、寝てはおれんろう。」二人はその日は明け方まで倒幕について理想国家について語りあかした。
翌日、時田と一緒に桂が白石邸を訪ねた。
「桂さん、お気持ちは固まりましたか?」
「土方さん、この前会うた時に伊藤に聞いたと思いますが、私は薩摩に殺された長州藩士たちに対して薩摩と手を組むとはよう言わんのです。どうしても・・・。」「桂さん、おまんばあ執念深うて、これからの長州を荷のうていけるがかよ?意地張るがも大概にしいよ。」「龍馬!言いすぎじゃ。」「かまんちや、無礼やきと腹立ったらわしを斬りや。わしゃあどうせ身分の低い郷士やき。かまんぜよ。」「坂本君、江戸で修行中の頃から君のことは知ってました。私はあなたを身分が低い郷士やとか思ったことはない。しかし、長州人として薩摩のことは許せんのです。」
「おまん、まだ長州人とか薩摩人とか言いゆうがかよ。なら、わしらあは土佐人かよ。みんなあ同じ日本人やないがかよ。黒船以来、日本は異国に攻められゆうがぜよ。清国みたいにしたいがかよ。もう攘夷らあ言いゆう暇はないがぜよ。あんな異国の僕みたいになっちゅう幕府は倒さんといかんが。そのためには長州と薩摩が手を組まなあいかんが。おまんはそんなこともわからんがかよ。」
桂は奥歯が折れんばかり噛みしめ龍馬の顔を凝視していた。時田が口を挟んだ。
「坂本さん、桂さんは土方さんたちと面談してからずっと考え込んでおります。悩んでおります。しかし、伊藤が申したように桂さんはどうしても割り切れないんです。今日は一旦帰らせていただきます。桂さん・・。」
桂は時田に抱えられて白石邸を出た。
「坂本さん、桂を許してやってくれんかのう
、あの男は昔っからあんな男じゃて。まじめで藩のことしか考えれん男じゃき。高杉のように割り切れんところがあって・・・。」
白石翁が頭を下げた。
「白石さん、私が今から文を書きますき、高杉さんに渡してくれませんろうか?」土方が白石翁の肩をたたきながら言った。「ようございます。」「土方さん、なんと?」「ああ
、桂さんに薩長同盟は諦めて長州は総力を挙げて幕府と戦おうと言うてみてくれとな。」
「なるほど、逆療法やねえ。」「ああ、桂は薩摩の後ろ盾がないことにはどうしようもないことはわかっちゅうはずやき。高杉さんがそう言うたら決心もつかあよ。」「さすが土方さんや。」土方は書簡を白石翁の手代に渡した。「いますぐ渡してくだされ。」手代は全速で走っていった。
「ところで龍馬、西郷には談判したがえ?」「はい。薩長がどっち向くかで日の本は変わるがで、と言うちゅう。」「そうか。後は中岡がやってくれるろうのう。中岡の言い負かしは天下一やから・・・。」「土方さん仕込みやきねや。」「よし、薩摩はなんとかなりそうやな。あとは長州や。」「土方さん、長州は話がついちょったがやなかったがかよ」
「だいたいはのう・・けんど、あのとおりよ
。桂さんよ。三好様ら重臣も高杉さんも会うてくれる約束はしてくれたがやけど。桂さんは難しい・・。けんども今日来てくれたし、あとは高杉さんに任すしかあるまい。」
翌日、今度は伊藤、井上、時田の三人が桂を連れて来た。しかし、相変わらず桂は遺恨ばかり並べて話は一向に前に進まないまま、また帰っていった。
「龍馬さん、あの桂いう男はまっこと女みたいな奴ですのう。ああじゃこうじゃ、まっこと煮えきらん。」「陽之助よ、あの人に長州の命運がかかっちゅうがやき、あしがあの立場やったら、桂さんみたいになるろうて。」
「土方さん・・。」「あしも上士やに土佐勤皇党に入るが二カ月ばあ考えたがよ。家族はみんな反対したきねや。」「そうながですか
。大変やったろうう・・。陽之助、土方さんは上士やき、いらんことせんでもかまんかったがよ。わしらあと違うて随分考えたと思うで。」「はい。私も父は元家老でした。けれど、父が図られて失脚して面白くのうなって脱藩した身です。」
翌日、今度は高杉が時田を伴って桂と来た。
「土方さん、私も高杉の一緒に長州で戦って死のうという言葉で心を決めました。薩摩と手を結びます。ただし、先に薩摩が口に出してくれんと私からは口に出しません。」
「わかりました。よう決心してくれました。後は私らに任せて下され。それでえいろう?龍馬よ。」「ほんま強情やき。」「龍馬、桂さんの顔も立てちゃりや。」「坂本君、桂のことを理解してやってくれないか。頼みますよ。」「高杉さんは優しいねや。ようわかったき。中岡が来るまで酒でもやろや。」
「いいですねえ。」「私は帰らせてもらいます。酒を飲む気にはなれん。」桂は高杉を残し、帰っていった。
「あんな男です。ハハハ今夜は私の三味線でもご披露しますか。」「そりゃ楽しみや。あんな辛気臭い男は放っちょこ。」
その頃、中岡はまだ薩摩にいた。
西郷が何度となく久光公に請願したのだが幕府に対していい顔がしたいため、なかなか首を縦に振ろうとはしなかったのである。
「小松さあ、長州との融合の件でごわすが、
久光公はどうしても許してくれもはん。長州をこのまま攻め滅ぼしたら幕府は薩摩へも圧力ばかけてくることは間違いありもはん。
おいとしましては薩摩と長州が手を結ぶことは幕府にこれ以上無理ば言わさんがためには必要だと思いもす。ご家老からもお口添え願えもはんか?」「亡き斉彬公がごと意思が強かお人なら決断も早かろうに・・。わかりもした。吉之助どん、おいからもう一度進言いたしもす。もう将軍は大坂に入られたらしいしゆっくりはできもはん。」「小松さあ、どうかお願いいたしもす。」
後日、家老小松帯刀を中心に藩の重臣たちすべてが後押ししてくれたため、とうとう久光も西郷の長州入りを許した。
「中岡どん、やっと久光公のお許しがでもした。すぐにでも出港いたしもんそう。」
「ありがとうございます。」西郷は中岡を伴い下関をめざした。しかし、船が豊前に寄港したおり京都の大久保から西郷に緊急の書簡が届いた。
「中岡どん、おいは今から急遽京都へ行くことになりもうした。大久保どんがすぐに来るよう言うてきもんした。」「西郷さん、どうしてながですか?桂さんは待ってくれておるがですよ。」「承知しておりもす。じゃどん
、大久保さあの大至急上京の報がごわす。中岡さあはここで降りてくだされ。早く、もう船は出もうす。」「西郷さん・・・」「早く降りてたもんせ。」中岡は理由も告げられず強制的に下船させられた。
実は、西郷と中岡が乗船していた船に幕府の密偵がいるらしい、という情報が届いた。今西郷が下関で下船したことが幕府に知られることは薩長同盟が根本から潰れてしまうと西郷が判断したことであった。
「桂さんや龍馬にどう言えばえいがじゃろうか・・土方さんにも・・。」
中岡は気を落としながらもいくつか漁船を乗り継いで、やっと下関に着いた。もう、身なりも気持ちもボロボロであった。
下関の白石邸には連日、桂よりの使いがあった。西郷が来ると言ってもう十日が過ぎていた。実は、桂と高杉が訪れた日に土方がつい二,三日後に西郷が来ると言ってしまっていたのである。
「龍馬、あしがすぐに来るような返事したき桂さんは随分苛立っちゅうみたいやねや。あれからもう十日も経つ・・・今日の文には薩摩はもう信用できんち書いちょったし。」
「土方さん、気にしなや。中岡が連れて来るきよ。陽之助、港へ行って様子見てきいや」
そこへボロボロの中岡が帰ってきた。
「龍馬さん、もんてきた、もんてきた。」
「慎太郎~遅いやか。みんなあ待ちかねちゅうがやき。」「中岡君おつかれ、西郷さんは
?」「どこにおるがな?」どこを見ても西郷の姿はなかった。「まさか、どっかで待ちゆうがやろ?」「すまん、龍馬・・すみません
、土方さん・・・すみません。」中岡は倒れるように崩れ落ちた。「どういうことながな
、慎太郎よ。西郷はどうしたがな?」「龍馬
、西郷は下関に来るつもりで鹿児島を出たがちや、けんど豊後についた時、京都から連絡がきて西郷はわしを降ろして京都へいってしもうた。わしは五日前から漁船を乗り継いで
、今日やっと下関へ着いたがちや。わしゃあ
、おまんにも土方さんにも桂さんにも合わす顔がないがちや・・。龍馬よ・・・わしゃどうしたらえいがな。腹切れ!言うたらいつでも切るき、許してくれ。」中岡は立ち上がることもできなかった。
「わかった、わかったき、慎太郎。おまんと土方さんは今まで死ぬ気でやってきたがやか
、そのことはみんなあ知っちゅう。わしらあ後から手伝いゆうだけやき。桂さんにはわしが会うてくるき、心配しな。陽之助、行くぜよ。これからがわしらあの仕事よ。」「はい
。」「龍馬、待ってくれ。わしも行くき。」
土方も龍馬の後を追った。
萩城は幕府の征長軍の攻撃に備えて奇兵隊らが集合し、高杉の指揮のもと慌しく準備していた。高杉は龍馬の姿を見つけると駆け寄ってきた。「坂本君、やっと来てくれましたか
。桂さんも待ちかねています。」
「高杉さん、西郷は来ません・・。」「えっ
、どういうことです。中岡君は?」「慎太郎は高杉さん、桂さんに会わす顔がない。腹を切ってお詫びする言うて、桂さんからの沙汰を待ちよります。」「なにか事情があったんでしょう。わが藩は中岡君の切腹なんか望んではおりません。」そこへ桂がやってきた。
怒りが見えるように真っ赤な顔をしていた。
「坂本君、やっぱり薩摩にしてやられた。だから私は最初から断っていたんじゃ。いつもいつも薩摩は長州を馬鹿にしておる。もうよい!長州は最初から薩摩ごとき芋侍なんぞ当てにはしておらん。長州は長州だけで幕府を退けてみせます。帰って下さい。」「桂さん
、申し訳ありません。西郷様は下関へ向かって鹿児島を出たのです。が、急遽京都へ向かうたがには必ずわけがあったはずですき。」
「ほう、土方さん、どういうわけが?」「いえ、それは・・・。」「答えられんじゃないですか?われらは薩摩に騙されたんですよ。馬鹿にされているんですよ。」「桂さん。」
桂はそういうと奥座敷へと戻って行った。
「土方さん、今日のところは帰りましょうや
。これ以上おっても桂は許してくれんき。」
「けんど、龍馬・・。」「桂さんは騙されたと熱うなっちゅうき、今はなに言うても無理じゃき。高杉さん、また来ますき。」「わかりました。坂本君頼みます。どうかよろしくお願いします。」
三人は、白石邸へ戻った。中岡は相変わらず喚いていた。「慎太郎、やかましいぞ。おまんがなんぼ喚いてもどうにもならん。ちっとは冷静になりや!」「けんど龍馬、桂さんは怒っちゅうろう。」「そりゃもうかんかんよ
。けんど、高杉さんはまだ冷静やきなんとかなる。陽之助、田中顕助いう男が高杉さんのところにおるき呼んで来てくれんかよ。」「はい。」龍馬は高杉の書生をしている田中顕助を呼びに行かせた。「中岡君、とりあえず中へ入ろうや。」「土方さんすみません。土方さんにも恥かかせてしもうたき・・。」「大丈夫やき、西郷さんとの話ゆっくり聞かせや。」三人は白石邸へ入り一息ついた。
「中岡君、わしはおまんとずっといっしょに働いてきた。おまんがそんなざっとした男やないことはわかっちゅうき。豊前でなにがあったか話してくれやあ。」「慎太郎!なにがあったがぜよ。」「わしと西郷さんは久光公の許しが出てすぐ鹿児島を出たがよ。もちろん下関を目指しちょった。途中、石炭を積みに佐賀関に寄ったがよ。そこで西郷は大久保からの書簡を受け取ったが。それを見た西郷は急に、わしを降ろしたがよ。京都へ急ぎの用ができたきゆうて、わけは言わんとわしの話を聞くこともなく出港したがよ。わしゃあ
なにがなにやら、さっぱりわからんがよ。」
「大久保さんから急用があったがやねや。わかった。悪いがは西郷や。西郷にわしが責任を取らせるき。」
「けんど龍馬、わしは桂さんを怒らせた、西郷に責任取らせる言うても桂さんにまた会うてくれとは言えんぞ。」「慎太郎、おまんはなに言いゆう。おまんは誰よりも長州のために働いちゅうやないか。あの八月の戦でも蛤御門の時も命がけで長州のために働いたがやないがかえ。それは桂さんも高杉さんも知っちゅはずや。おまんを責めることらできん。
桂は西郷に裏切られた、薩摩に騙されたき言うて怒っちゅうがぞ。時間がたてば冷静になれる男やき。」その時、顕助が入ってきた。「龍馬さんお呼びのようで。」
「おう顕助、おまんはずっと高杉さんについちゅうろう?」「はい。」「今の高杉さんの様子はどうよ?」「確かに怒っちゅうけんど
、近いうちに龍馬さんらが来るろうと言うてました。」「そうか、さすがは高杉さんじゃな。顕助、明日午後伺うき高杉さんに言うちょってくれんかよ。」「わかりました。」
「龍馬よ、明日は早すぎやないかえ?」「土方さん、時が経てば落ち着くけんど、長すぎたらわしらあが策たてゆうように桂さんは考えるき。早目がえいろう。慎太郎明日はおまんも行くで。」「龍馬・・なにか考えがあるがかよ。」「ない。」「ないち龍馬・・。」
「わしらには策士土方がおるき。のう土方さん、ハハハ」「ハハやないき。」しばらく三人は話し込んでいた。と土方が手を打った。
「そうじゃ、龍馬、おまん西郷さんに責任取らす言うたねや。」「言いました。」「それで思うたがよ。長州に薩摩名義で鉄砲買うてもらうように言うたらどうよ。長州はどこからも武器を買えんき困っちゅうがやし。」
「そりゃえい。龍馬、今年は薩摩は米が不作や言いよったでねや。」「たしかに西郷さんも困っちょた。」「長州は豊作ながよ。そうや、薩摩がエゲレスから武器を買うて長州に売る。そんで長州の米を薩摩が買う。それを条件に話したらどうやろ。この前長州の伊藤が最新の武器がほしいち言いよった。」「それや!さすがは土方さんや。明日はその話を桂さんにしょうや。絶対許してくれるき。」三人は手を取り合った。
翌日、三人は田中顕助の案内で萩へ入った。
「坂本君、また私の前に顔を出すとは図々しいものですね。帰って下さい。中岡君もよく私に会いに来れましたね。」「桂さん、土佐の方々は私らのために来てくれているのですよ。冷静に話を聞きましょうや。」「ふん」
「桂さん、本当にすみませんでした。西郷さんをお連れできず申し訳ありません。」
「桂さんえいかげんにしいよ!中岡が今までどればあ長州のために働いたか、死を覚悟して働いたがやないかよ。その中岡が謝りゆうがぜ。許しちゃりや。」「中岡君の話を聞こうか。」「高杉さん。」「桂さん、聞きませんか?」「言い訳はいらないよ。中岡君。」
「皆さん、まずは中へ入ってください。」
桂、高杉、伊藤、土方、中岡、龍馬、陽之助が向かい合って座った。龍馬が口を開いた。
「桂さん、悪いのはすべて西郷です。西郷に責任を取らせるき。」「坂本君意味がわかりません。」「桂さん、高杉さん、これは土方さんの案です。長州にエゲレスから武器を調達するのはどうで?」「ハハ坂本君、長州に武器を売ってくれる国がないのは知っているでしょう。馬鹿な。」「桂さん、薩摩が名義を貸してくれたら買えるがやないですか?」「なんと。そんなことできまい。」「西郷に責任を取らすち、そういう意味やき。わしらが絶対に、うんと言わせるき、それやったら西郷に会うてくれるかよ?」「桂さんこれはいけます。私らが長崎でいくら頑張っても買えませんでしたが薩摩名義なら軍艦でも買えます。桂さん、坂本さんたちにお願いしましょう。高杉さん、いいですね?」「俊輔、貴様まだ薩摩を信用できるのか?悔しくないのか?どうよ。」「悔しいですが、坂本さんは西郷が悪いといいました。信じましょう。今長州の味方は土佐の方々しかおりません。
すべて任せましょう。桂さん!」
「これが最後ですよ。坂本君、中岡君、土方さん。」「ありがとうございます。必ず西郷を説き伏せます。それと、薩摩に米を売ってくれませんか?」「米?」「はい。今年も薩摩は不作で兵糧米がぜんぜん足りんがです。
そんな薩摩に米を売って下さい。」「いいでしょう。」「みなさんに任せます。」高杉も頭を下げた。「坂本君、ちょっと。」「高杉さん、なんですろう?」「これを。」「こりゃピストルですか?」「はい。私が上海で買ったものです。これからあなたには矢面にたってもらわなければなりません。護身用にお持ちください。」「ありがたく、いただきます。前からほしかったがですき。」
三人は下関に戻った。「さあ、大仕事や。坂本君と中岡君は京都へ行って西郷さんを説得してくれるかよ。わしは大宰府に帰って総裁に報告してくるき。」「わかりました。陽之助おまんも来いや。」一行は下関で別れた。
六 意地
慶応元年六月、龍馬と中岡は京都薩摩藩邸に着き、吉井宅で西郷の返事を待っていた。
そしてとうとう西郷に面談を許された。
「坂本君、中岡君、待たせて悪かごつ、許してたもんせ。」「いえ、西郷さん忙しいにすまんですき。」「西郷さん、わしゃ、佐賀関で降ろされてからほんまに難儀しました。」
「ほんにあん時ば悪かごつ申しわけごわはん
でもした。桂さんはさぞお怒りのこと思いごわはん。」「わたしゃ、切腹も覚悟しましたき。」「ほんに悪かこつしもんした。」「西郷さん理由は聞かんき。けんど今回のことは西郷さん、おまんが一番悪い。」「坂本さあ
おいは、どげんしたらよかち。」「聞いてくれるかよ。」「どげんことでごわすか。おいも男でごわす。約束を破った以上、どげんことじゃっとしもす。」「もう一回機会をくれませんろうか?」「長州は会うてくれもうさんじゃろて。」「私が言う条件を薩摩がのんでくれたら長州は考え直してくれます。」
大久保が口をはさんできた。
「吉之助さあ、なんち、おいらあが長州ば気つかわんといかんのでごわすか?おいらあは別に長州と手ば結ばんとでも構いもはん。」「大久保どん、おいはこん土佐の御仁に恥ばかかせたち、こんことは薩摩隼人として謝らなあいきもはん。」「じゃっどん・・。」「坂本さあ、そん条件とは?」「はい、長州に薩摩名義で武器を買うことをお願いしたい
。長州は幕府が邪魔して、金はあっても外国からは鉄砲ひとつ買えんがじゃ。金は出すき武器を買っちゃってくれんか?。」
「吉之助どん、それば幕府にわかったら久光公の立場がなくなりもうそう。坂本さあ、そんはできもはん。」「大久保さん、おまんが朝廷にだした長州再征討反対の親書はどうなったがですか?」「あれはまだ・・。」
「今こうしゆう間にも幕府は長州に攻め込む準備をしゆうがですよ。現に将軍は大坂城まで着いちゅういうやないですか?朝廷は薩摩の親書ら受けるつもりはないがです。薩摩は朝廷の命には逆わんとタカを括っちゅうがですよ。けんど、朝廷言うても幕府のいいなりでしょう。公家さんは金ないき幕府に頼っちゅうろう。幕府はフランスに頼っちゅう。こんな朝廷や幕府をいつまで立てるがです。薩摩は凶作で兵糧もないがですろう?幕府が構えてくれるがですか?長州は米をタダで出してもえいと言うがです。西郷さん、大久保さん、長州はここまで考えちゅうがですよ。薩摩隼人が義ばっかり言いよって本当にえいがですか?」
「中岡さあ、そんは土方さあの策でごわすか
?」「この中岡もあしも土方さんも薩長同盟に命かけちゅうがです。異国に干渉されん、強い日本にしたいがです。これが本当の攘夷やないかよ。薩摩隼人の意地ば見せちゃり!長州は意地を見せゆうき。」「ようわかりました。坂本君、薩摩ん強か意地ばお見せいたしもんそ。」
「吉之助さあ・・。」「一蔵どん。土佐の方らあが、新しか日本のためにこんくらいやりよう横で薩摩隼人が知らん顔ばできもはん。義を言うなち、そんとおりでごわはんか?」
「吉之助さあ・・」「坂本さん、中岡さん、おいの気持ちは固まりもんした。武器ば買いましょう。じゃっどん、薩摩ん船で運ぶことはできもはん。」「西郷さん、わしは薩摩のご家老に尽力してもろうて長崎に亀山社中を作っちゅうがよ。亀山社中がグラバーから武器を買うて長州へ送らあよ。グラバーも薩摩の名義があれば売ってくれるき。」「そうでごわすか。坂本さんには勝てんのう。もうそこまで用意されてごわすか?」「あとは龍馬に任せてくれんかよ。大久保さん。」
「・・仕方ありもはん。」
「坂本さん。大変でごわす!」その時、吉井幸輔が走りこんできた。「幸輔どん、なにごとじゃ?」「ただいま国許より文があり、土佐の武市半平太が切腹。他の郷士らは斬首。とのことでごわす。」「武市先生が?なんと
・・・総裁の嘆願も届かなかったか・・。」
「アギ(武市のあだ名)が切腹?以蔵らが斬首?おのれ容堂!おのれ後藤!・・土方さん
、わしゃあ今から土佐へ帰るき。後藤らを斬る!許せんき。アギ・・・以蔵・・・わしがおまんらの無念晴らしちゃうき。待ちよりよ
わしが・・わしが斬るきよ!。」
龍馬は立ち上がった。「坂本どん・・。」「龍馬よ。待ちや。今、おまんが土佐へ行っても殺されるだけや。」「慎太郎!おまんは我慢できるがか?もう薩長らどうでもえい!こんな国らあ潰れてしもうたらえい!異国の奴隷になったらえいがよ!」「龍馬・・。」「どうした慎太郎、おまんが一番先に殴りこむ気性やろが!」「坂本どん、今はそういう時期ではありもはんぞ。」「大久保さん、おまんは他人事やき、そう言うがやろ。放っちょきや。」「えいかげんにしいよ!龍馬。」「慎太郎?」慎太郎は眼に一杯の涙を溜めていた。
「龍馬、わしは武市先生を心から尊敬しちゅう。ほかの同志もそうよ。武市先生のために立ち上がった野根山の同志も全員殺された。わしの身内もおった・・・。大久保さんも池田屋で薩摩藩同士の殺し合いを止められなかった。みんなあ、今の幕府のやり方が間違うちゅうき倒幕に動きゆうがよ。久光公も容堂公も幕府の圧力に耐えれんかっただけよ。武市先生も薩摩の有村さんも元は藩主のお気に入りよ。けんど時代の波がちょっと変わってしもうて、こうなっただけよ。もとは一本の流れながよ。この流れを堰き止めて二つの流れに変えたがは幕府ながよ。そうでしょう?西郷さん、大久保さん。やき、流れを元に戻すために働きゆうがですろう?」
「中岡さあ・・・。」「けんど、慎太郎よ。
わしゃあ悔しくて悔しくて・・。なんもしてやれんかったがが悔しくて・・・。」「龍馬
、先生は怒っちゃあせんき。あとは頼んだぞ龍馬って言いゆうき!おまんには亀山社中もあるやか!今おまんが悋気起こしてどうするがよ?武市先生が描きよった理想国家作らんといかんがやろが。」「慎太郎・・。土方の兄やんに言われゆうような気がしたちや。」
「坂本どん、中岡どん、おまんさあらの気持ちはようわかりもした。おいもそん理想国家というもんのために京都で幕府軍を足止めさせるようしもす。一刻も早く長州に戻って桂さんらあをお連れ願いもす。薩摩名義の武器購入も許可しもんそう。」「西郷さん、ありがとうございます。龍馬、泣きゆう場合やないぞ。行くぞ。」「おうよ!」
三人は西郷の書状を胸に飛び出して行った。
「陽之助!」「はい。」「おまんは今すぐ長崎へ戻れ。そしてこの書状をグラバーに渡して武器と軍艦を買うよう段取ってくれ。交渉はおまんと饅頭屋に任す。わしは長州で米の段取りをするき、船を下関へ出してくれ。」
「わかりました。」陽之助は疾風のごとく飛び出して行った。「龍馬よ。あの陸奥、若いのになかなか利口な奴やねや。」「ああ、やがては亀山も陽之助に任そうと思いゆう。」
「して、饅頭屋ち、あの長次郎かよ?」「ああ、長次郎も長崎に来ちゅうがよ。あいつは商人の出やけど英語も話せるしなんちゅうても金の交渉がうまいき。」「そうかよ。」
この陽之助は英語に精通し維新後も政府の中枢として活躍した後の名外務大臣、陸奥宗光である。陸奥は始終龍馬に追随し多くの人物に接し、龍馬の考えを身を持って学べた。饅頭屋長次郎は英語力を生かしたいがために英国留学を画策したがそのことを隊員に責められ自害してしまう。
龍馬と中岡はその後京と朝廷の様子を探り、慶応元年八月大坂をあとにした。
数日後、二人は下関に着いた。「龍馬よ。わしは大宰府に行って三条公っと土方さんに会うて来るき、おまんは桂さんに会うてきてくれんかよ。」「おう、西郷の話と米の段取りしてくらあ。終わったら長崎へ戻るき、総裁と兄やんによろしゅう言うちょってや。」「ああ、ほんなら・・。」中岡は下船せず大宰府へ向かった。
下関に下船した龍馬は白石邸に落ち着いた。
そして、翌日には田中顕助の案内で桂、高杉に面会した。
「坂本君、ご苦労です。」「高杉さん。無事西郷の念書いただき武器と軍艦の購入ができますき。」「はい、先日伊藤とともに長崎に伺い、陸奥君と銃の数量などを注文いたしました。これで長州は生き返ります。ありがとう。」「わしゃあ、長州のためにしゆうわけやないがやき。社中の仕事やき。ハハハ。」
「そうですねえ。そのほうが気が楽です。」
「やあ、坂本君!」桂も出てきた。そこにはあの女々しい桂の姿はなく凛々しい笑顔の桂があった。「桂さん。えらい機嫌がえいですのう。」「いや、今回は土佐の方々には本当に迷惑をおかけした。申し訳ない。」「わしゃあ、商売ですき!ハハハ」「なるほど。」
「ところで桂さん、薩摩への兵糧の件ですが本当にタダでえいがですか?」「もちろんです。薩摩がほしいだけ言うて下さい。」
「ほんならとりあえず五百俵ほどお願いします。」「わかりました。勘定奉行のほうへ指示しておきます。」「それでは後日伺いますので。」そういうと龍馬は長崎へ向かった。
後日、この兵糧米はタダでは受け取れない、一度タダと言った以上、代金はもらえない、そうゆう両藩の間で行き来している間に消えてしまい、その行方はわかっていない。おそらくは龍馬がどちらもいらないのなら貰っておけ、と言ったのではないだろうか?
中岡は大宰府に戻り、三条公の衛士として護衛していた。そして、間を見ては長州に渡り三田尻を訪れ招賢閣で忠勇隊の面倒をみていた。そして、奇兵隊の演習に参加しており
、これが後の陸援隊の組織作りの基盤となっていた。「顕助、奇兵隊はすごいねや。高杉さんの元、固くまとまった隊員らあの眼の色が違う。昔の土佐勤皇党のようや。高杉晋作
、武市半平太。人望のある人の元に集まった隊は集められた隊とは全然違うねや。」「はい。百姓はもちろん、蕎麦屋や魚屋もおります。そこへ藩士も集まり、みな同じ釜のめしを食い同じ場所で寝起きしよります。身分らあ全然ないがです。奇兵隊は強いですよ。」
「土佐でもこんな軍隊作りたいねや。」「はい。」「顕助、よう習うちょけよ。」「はい
。勉強しよりますき。」
後に中岡慎太郎は土佐藩専属の軍隊として、陸援隊を組織し、田中顕助は中岡亡き後、二代目の陸援隊長となる。
一方龍馬は、貿易を主として武器や軍艦を調達し、軍艦奉行だった勝海舟の目指した海軍をも眼中にいれた海援隊を組織するが、争いや戦いに対して懐疑心を持ち海運業を目的とし世界に飛躍する組織にしたいと考えたが志半ばで帰幽してしまう。そして、彼の遺志は土佐藩で幼少期を共に過ごした岩崎弥太郎が受け継ぎ、後の三菱財閥を築く。
七 薩長同盟
慶応元年十一月、大宰府に今後の五卿の処遇にとって大事件の報が届いた。
「総裁、一大事でございます。」隋身土方が三条を訪ねた。「どうしたのですか。」「はい。三田尻より太宰府への転座で尽力願った
、月形洗蔵斬首、翌日、加藤司書切腹の報でございます。」「なんと・・・間にあわなかったか。。」「総裁、この大宰府、加藤様のお力で平穏でございましたが、切腹とは。」
「黒田公に会うてまいる。」「総裁、それは無理です。藩内は佐幕派の陰謀でもはや以前の黒田公ではございません。先の頃、月形と会うた時も佐幕派の切り崩しのために加藤様と月形は袂を分けられて加藤様は投獄されておりました。月形もいつご沙汰がくるやらと
嘆いておりました。ここも再び転座となるかもしれません。」「そうか・・・。」「とりあえず、三田尻から中岡を呼び戻します。」
十日後、中岡が急いで戻ってきた。
「土方さん、どういうことながです?」
「中岡君、知らせたように加藤司書が切腹、月形洗蔵が斬首。われらの後ろ盾が粛清されてしもうたがよ。」「なんという・・。土方さん、今から福岡藩へ行ってきます。」「行くとは中岡、誰を頼って行くがよ?」「そ、それは・・・。」「おらんろうが。いまや、この肥前にわれらを守ってくれる人はおらんがで。」「しかし、このままでは・・・。」
「それに、昨日福岡藩より書状が届いた。」
「なんと?」「五卿を分散命令が出たようじゃ。総裁には江戸へ転座の要請じゃ。」「えっ江戸ですか・・・。」「うん。江戸じゃ。東は佐幕一辺倒じゃ。総裁は一切身動きもとれまい。わしらも終わりじゃ。」「土方さん
、何をいいゆう?薩長融合が成せれば一気に倒幕になるがぜよ。もう、桂と西郷が会うだけになっちゅうがで。もうちょっとやか。」
「龍馬はどうしゆう?」「龍馬は長崎で武器の調達をしゆうき。」「おまんは?」「三田尻で倒幕の準備をしてました。」「そんな弱腰の土方さん、見たことないで。」「わしは総裁の身が心配で落ち着かんがよ。中岡、どうしたらえいろうかねや・・・。」「とにかく、今日からわしは大宰府から離れんき。」
「そうか、おってくれるか?」「はい。」
「あとは龍馬に任せます。龍馬ならやってくれるろう。土方さん、いますぐ江戸へ行けゆうがやないろう?」「いずれ沙汰が来るから準備しておけということや。」「薩長同盟が成すまで時間稼ぎしましょう。」「わかった
。中岡君、おまんに今日から五卿応接係を任命してもらうよう総裁に頼んでくるき。」
やがて中岡は三条実美より五卿応接係に任命されたのである。以後、中岡は大宰府を離れることができなくなった。
十一月、薩摩藩より黒田了介が案内役として長州を訪れた。いよいよ、桂ら長州藩士が京の薩摩屋敷へと出立したのである。長州藩からは桂小五郎ら三名が出向き、高杉は持病のこともあり桂に華を持たせたかったがそう言うと桂が怒るので第二次長州征討に対する作戦準備と武器調達で多忙だということにして加わらなかった。一向は街道は通らず山道を人知れず踏破し、十二月には京都に着き、無事薩摩屋敷に入った。そして西郷に挨拶した後、宿舎であった家老小松邸にて旅の疲れをとっていた。しかし、薩摩藩の首脳が挨拶に訪れることもなく、ただただ連絡を待っていた。そして、数日経ったある日案内係りの黒田がやってきた。西郷から夕食の案内がきた。その後も薩摩藩からは西郷、小松、吉井
、桐野ら4名、長州からの桂、品川、三好
、早川ら4名らがほぼ無言で食事する日が続いた。年明けの一月、とうとう桂の堪忍袋の緒が切れた。「いったい、われらはなんのために苦労して京へ来たのだ。毎日毎日ただ飯食うだけに来たのではない。西郷は一言も喋らん。長州を馬鹿にしておる。三好、私は長州へ帰るぞ。」「・・。」この同行三人には桂を諌めることができる者もおらず、ただ無言であった。「坂本君も中岡君も来ないとは薩土でわれらを笑うておるのじゃ。このような侮辱は初めてだ。はよう仕度をせんか!」「はっ。」「はよう、はようせぬか・・。」桂の苛立ちは頂点に達していた。
運よくそこへ龍馬がやってきた。「桂さん、話はうまく進みゆうかよ?」怒りが頂点に達している桂は真っ赤な顔をしていた。「三好さんよ。どうしたがで?」「じつは・・。」
「桂さんよ!」「坂本君、もう僕は長州へ帰る。」「三好さん、どうしたがで?なんかあったがかよ?」「坂本さん、京へ来てもう二十日が経ちます。連日、ご馳走が出て歓待されておりますが薩摩は同盟について一言も喋ってくれんのです。」「桂さん、どういうことながよ?」「坂本君、西郷は長州と同盟を結ぶ気などないのです。」「そんなことはないき。」「なら、どうして一言も喋らないんですか?」「おまんはよ?」「むこうが口を開かないのにどうして?」「どうしてち。」
「坂本さん、実は。」「なんで三好さん。」
「最初の日は、桂さんから今までのことやらを話はしましたが・・・。」「わかったき。どうせまた、今までの薩摩のことをあれこれ言うたがやろ?薩摩がどうした、こうした、長州はこうされた、ああされたと。」桂は下を向いたままであった。「はい。」「三好、余計なことは言わなくてよい!」「すみません・・・。」「相変わらずやねや。それがおまんの一番いかんところやき。」「しかし。坂本君、長州は長州は・・・。」「助けてくれとよう言わんがやろ?」「口が裂けても・
・言えません。」「助けて欲しいとも思うておりません。」「なんちゃあじゃない・・。もう話が済んだと思うて来て見たらこれかよ
・・。あきれてものが言えん。」「坂本君、
長州には長州の・・・。」「意地があるがかよ?ほんまに困った人や・・。おまんらあもただの飾りかよ?ただ桂さんについてきただけかよ?情けないちや。」「す、すみません
・・・。」「わかった。わしが西郷に会うてくる。おまんらあはここで待ちよりよ。三好さん、絶対に桂さんを帰したらいかんき。」
「はい。」
龍馬は薩摩屋敷に来た。
「門を開けてくれんかよ。西郷さんに取り次いでやあ。」「なにごとでごわすか?」「土佐の坂本龍馬が来たゆうて西郷さんに伝えてや。頼むき。」「待ってたもんせ。」
龍馬は薩摩屋敷に入った。そして、西郷に面会を頼んだ。
「坂本さん、どうぞ。」吉井が案内にやってきた。「吉井さん、西郷さんはおるがかよ?
」「おられもす。」廊下の向こうに西郷の姿をみると脱兎のごとく走り寄った。
「坂本さあ、こんな夜分になんでごわす?」
龍馬は刀を抜いた。「なにを・・・。」藩士たちも全員刀を抜いて龍馬を取り囲んだ。
「西郷さん、おまんはそればあの人間やったがかよ?桂の気持ちはわかっちゅうろう?」
「なんのことでごわすか?」「それがわからんがやったらこの場でおまんを斬る!」藩士たちが色めき立った。「待ちなんせ!話を聞きもんそ。刀を納めなさい。」「いや、おまんの返答いかんでは、おまんを斬る!」
「どういうことでごわすか?」「西郷さん、いや西郷!桂がここへ命がけで来たがを無碍にするがかよ。おまんらは日本中を大手を振って歩けるがやけど、桂らあは街道を逸れ、偽名を語り、隠れながら何日もかけて命がけで京へ来たがで。新撰組やら幕府やら道中は敵ばっかりで、わしらも同じでほんまに命がけながよ。おまんにはわからんろう?」
「・・・。」「そうまでして来た桂さんのことをなんでわかっちゃらんがで?」「じゃっどん・・・。」「桂さんは長州の代表ながよ
。今までのことごじゃごじゃ言うたろう。けんど、それは長州藩のすべての人の代弁ながよ。薩長が争い、憎みあい、殺しあったがは事実やき。今でも、長州の兵士は薩摩を憎んじゅう。末端の兵士や百姓らは、まさか薩長が手を結ぶことらあ知らんがで!長州の家老や藩士にも薩長融合には大反対の人もいっぱいおる。けんど、桂さんは長州が生き残るがは薩摩と手を握ることしかないと判断して命がけで来たがですき。幕府は明日にでも長州へ攻め込むかもしれんがです。高杉さんは来てないろう?どうしてかわかるかよ。二人が同時に命を取られることが長州には大ごとながよ。もし、この同盟が叶わんかった時のために長州は玉砕の戦の準備をしよらんといかんがよ。桂は失敗したら腹切るしかないがよ
!西郷、おまん、この桂に同盟お願いしますと言わせたいがかえ?おまんと桂は立ち居地が違うがよ。薩摩は結ばんでもかまんろうけど・・・。おまんの首は繋がったままやろう
。けんど、桂は・・桂は・・桂は全責任を取らんといかんがで。そこがおまんはわかってない。西郷!西郷!長州が可哀想やないかえ
。惨めやないかえ。桂が可哀想やないかよ。このまま桂を帰らすがなら、わしはおまんを斬らなあいかん。腹ワタが収まらん。」
龍馬は泣いていた。
「わしゃあ、このままやったら三条様にも土方さんにも中岡にも、死んだ肥前の加藤さんや月形さんにも合わす顔がない。みんなあ命がけで日本のために働きゆうがで。おまんらみたいに自分の藩のためだけに動きやあせんがで。わしが土佐のために動きゆうかよ?死んだ大勢の志士らあはみんなあわしらと一緒で脱藩してまで働きよった。もうこれ以上、幕府やおまんらあの好き勝手にやらすわけにはいかん。できん。やき、おまんを斬る。」
西郷はずっと目を閉じたままだった。刀を抜いた藩士は今にも飛びかかろうとしていたが吉井が懸命に抑えていた。小松が西郷の前にでてきた。「坂本君、薩摩は長州に武器購入の手助けはしもした。我が藩は藩としてできることはいたしもはんで。兵糧も頂いておりもはん。」「おまん、なにを言いゆう?なにが薩摩で!なにが長州で!この薩長同盟は薩摩と長州だけの同盟やないがで!わしらあの命もかけちゅうがで!幕府を倒すために。」
「坂本さん!」吉井も泣いていた。
「吉井さん、すまん。けんどわしはこの同盟がまとまらんと生きておれんがよ。土方さんと中岡は幕府から三条様を江戸へ行かされるという通知を受けたきいうて大宰府で命がけでお護りしゆう。みんなあ、おまんらあみたいに紋付羽織りでおりやあせん。鎧着て寝る間を惜しんで警護しゆう。小松さんも西郷さんも知っちゅうはずよ。」
西郷は目を開け小松の前に出た。
「おまんさあら、刀をしまいもんせ。」「西郷様。」「西郷様。」「西郷様。」「しもうてくれ!。坂本さあは、おいを斬りゃあせん
。刀をおさめてもんせ。」「しかし・・。」
「しまえ!」そう怒号すると龍馬の前に座り頭をさげた。「吉之助!。」「小松さあも座ってくだされ。」龍馬は立ったままで刀を納めず、肩で息をしていた
「坂本どん、この西郷、坂本どんに比べたら赤子のごとくでごあした・・・。恥ずかしかあ・・・。桂さんを呼んできてくれもはんか
?今から桂さんに会いもうそ。小松様も幸輔どんも同席してたもんせ。」「吉之助さあ」
「さすがは大西郷や。大きく打てば大きく響く。勝先生の言いよったとおりや。待ちよってよ。」龍馬は刀をしまうのも忘れ小松邸へ向かった。
「桂さん!桂さん、おるかよ?桂さんよ。」
「坂本君、その刀で私を斬るのですか?」
「おう、しまうがを忘れちょった。」「私は帰るつもりでしたが、この池君たちが坂本君が帰るまで待てというもんで・・・。」
「そうか、内蔵太、ようやった。おおきに!
おおきに。ほんで桂さん、西郷がもう一度会いたい言いゆうき、会うちゃってや。」
「坂本君、僕は高杉といっしょに戦って長州の意地を幕府と薩摩にみせてやる決心をしました。君たちにはお世話をかけました。」「桂あ!おまんまだ長州、長州言いゆうがかえ!長州がなんで、薩摩がなんで、土佐がどういた?会津がなんながで!みんなあ同じ日本人やろ?なんで日本人同士が戦わなあいかんがで?わしらあ、長州のためにも薩摩のためにも働きゆうがやないがで?なんぼ言うてもわからん人やねや・・。西郷が会いたい言いゆうがで?」「しかし坂本君、私たち長州は幾度となく薩摩に煮え湯を飲まされてきました・・。」「桂あ!おまん、まだ言うがかえ。呆れた・・・。もう知らんき、薩摩とでもどことでも戦しいや。わしゃあ知らんき。ほとほとおまんには愛想つきた。内蔵太、いぬるぞ!この石頭のことはもう知らんき。」「けんど、龍馬さん。」「けんどもなんもないき、早うしいや!」
「失礼いたす。」障子を開けると吉井幸輔が入ってきた。「坂本さあ、いかかがしもした
?顔がまた真っ赤でごわすが。」「この石頭がまだゴジャゴジャ言うき、わしゃあもう知らん。薩摩と長州の間におると頭がおかしくなりそうやき。おまんら斬り合いでもなんでもしいや。わしゃあ、もう知らんき!」
「坂本さあ、まあ座ってたもんせ。」
すると、そこへ西郷が入ってきた。「さ、西郷・・。」桂も慌てた。「おまんなんで?向こうでわしらを待ちゆうがやないがかえ?」「こん、幸輔どんが呼び出すよりこちらから伺うのが筋じゃって言うもんで来もした。」「そうかよ。さすがは吉井さんや。おまんらあとは人が違うき。」「これ、龍馬さあ。」
「よか、よか。」と、それまで微笑んでいた西郷の顔が座った時に大きく変わった。
「桂さん、今まで何度となくご迷惑をかけもした。申し訳ごわはん。この通りです。」
あの大西郷が深々と頭を下げた。
「いや・・・。」桂はうろたえていた。
「今から急でごわすが薩摩と長州の融合についてお話をしたいのですがよろしゅごわはんか?」「はい、それは。」桂は座を正した。
慶応二年一月二十一日、薩摩藩家老小松帯刀邸において、薩摩藩は西郷吉之助、小松帯刀
、吉井幸輔、桐野利秋の四人、長州からは桂小五郎、三好軍太郎、品川弥次郎、早川渉の四人が同席し、見届人として土佐藩坂本龍馬
、池内蔵太、新宮馬之助の三人が列席して薩長同盟の会議が行われ、薩摩と長州は手を取り合うことを決議した。
しかし、この同盟は口上の決議であり公文書として決議されたものではなかったので内容について正確な資料は残っていない。現存している薩長同盟の決議書は会議の内容を桂が思い出しながら記したものに立会人の龍馬が裏書したものであった。
この決議書は、桂が長州藩に報告するため記したものであり、内容はすべて長州に有利なことが書かれていた。よって薩長両藩の合意の決議書とは言えないものであるが、倒幕と言う命題に対して薩長が連携するということは佐幕派にとっては驚愕する決議であった。
また、この頃の西郷は薩長同盟について、大久保の進言もあり、薩摩にとっては有用なものではないという判断をしていた。長州を味方にせずとも薩摩は強藩であることに変わりはなかったのである。しかも決議の内容は長州を助ける内容がほとんどであり、且つ正式な決議ではなかったのでそれほど重要なものだと考えてなかったと後述している。しかし
、その決議内容より薩長が手を握ったこと自体が幕府側に対する大きな脅威であったことが重要であった。どうして、西郷が薩長同盟に記名したかその理由は不明である。しかしその裏側で自藩のためではなくこの同盟締結に命をかけた龍馬や慎太郎や土方に対しての配慮があったのかもしれない。
事実、薩長同盟後日本の勢力図は大きく変わり、土佐・肥前ら雄藩も倒幕気運が高まり、薩土同盟の締結により維新への時代の流れが本流へと変わったことは否定できない。
やがて龍馬の尽力により土佐藩も山内容堂が大政奉還の建白書を上申した。そして、これを契機に時代の流れは轟々とその速度を増し、結果として十五代将軍徳川慶喜は慶応三年十月政権を朝廷に奉還したのである。
薩長同盟から一気に維新へと時代の流れはその速度を激増させた。そしてその本流に位置した薩摩・長州・土佐・肥前らの所謂「薩長土肥」の雄藩によって倒幕が成され維新を成就することができたのである。その最大の起爆剤がこの薩長同盟であったことは紛れのない事実であろう。
八 エピローグ
維新の最大の起爆剤となった薩長同盟。その原動力となった薩長土肥の連携、そして維新のために尽力した志士たち・・・事実、これに携わった西郷吉之助、大久保一蔵、桂小五郎は維新三傑と呼ばれ、維新後の明治政府の中枢として活躍した。惜しくも維新の陽の目を見られなかった坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作らが存命であれば戊辰戦争も佐賀の乱も西南戦争も起こることはなかったのかも知れない。龍馬を中心とした政府が誕生していれば少なくとも平和は保たれ日本人同士が争うことはなかったのではないかと考える。
龍馬の遺志は陸奥陽之助や後藤象二郎が、慎太郎の遺志は土方久元や田中顕助が、高杉の遺志は伊藤俊輔や井上多聞が受け継いだ。彼らもまた明治政府の高官として活躍したが龍馬や慎太郎や高杉のような高潔なものとは言えないものもあった。しかし、確実に時代の流れを変え現代に至った。ただ、平和国家のために龍馬最期の想いであった徳川家の新政府への関与は断ち切られ、薩長を中心の偏った政府になってしまったのも史実である。当然のことだがそこには政権争いや利権争いが発生する。やがてそれは再び醜い争いに変わってしまい、西郷の失脚や大久保の暗殺に繋がってしまう。
肥前の月形らが提起し、土佐の土方・中岡らが脚本し、西郷・桂らを主役に据え、龍馬がプロデュースした薩長同盟。この日本の根幹を変える出来事は近代日本への大きな橋渡しの意味があり、龍馬が記した船中八策へと繋がった。じつはこの八策も龍馬が発案したものではなく、武市半平太、高杉晋作、勝海舟
横井小楠、吉田東洋らの思想を集約したものである。このように多くの偉人の素晴らしく近代的な意見を編集し記した龍馬は幕末最大のプロデューサーであり、土方は幕末有数の脚本家であり、中岡は幕末を代表するディレクターであったと考える。近代日本の礎は彼ら脱藩浪士の私利私欲を捨てた大志のもと築かれたと言っても過言ではないだろう。
終
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