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第二幕 鬼と人形
陸
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浮遊感と、熱。牡丹はぼんやりとした意識のまま、本当に人形にでもなった気分だった。邪気を注ぐ儀式を終えた後はいつもこうだ。邪気――妖や鬼の生命力や残滓であるそれは、少量であればどうということはない。ただ、一度に多量に流し込むと、そうもいかなかった。
身体の内側で、何かが暴れるような感覚。時に針を刺すように、時に拳で殴るように。外へ出ようとするのだ。それを抑え込むまで、苦しみが続いて牡丹は身動ぎもままならない。
そうやってぼんやりとしている間に、あれよあれよと、運ばれ、服を脱がされ、洗われて。はっきりと意識が戻った頃には布団の上に寝かされている状態だった。
障子窓の外はとっぷり日も暮れて、部屋の中では行灯に火が灯されている。そこでようやく、随分と長い間、意識が朦朧としていたのだと気が付いた。
――お腹空いた……。
はっきりとした時刻こそ判然としないものの、腹の空き具合だけは正直にぐうと鳴る。こういった場合、大抵何か食べ物は用意されているはず。動くようになった首を横に向ければ、当然のように頬杖を突いて寝転ぶ鬼が牡丹を眺めていた。視線を交わした赤い目は、いつも通りににたりと笑って――同時に伸ばされた手が牡丹の頬を優しく撫でた。
前髪を掬い上げるように、鬼の手が幾度となく牡丹の顔を撫でる。慈しむような、ただ撫で心地を堪能しているだけのような。
――もういっそ猫でも飼えば良いのに。
そんな、ぼんやりとした思考が牡丹の脳裏を過ぎるも、牡丹も鬼の行動が嫌ではなかった。
――あと、三年。
通例通り、鬼が贄を食うとすれば十五歳前後。その頃にもなると、贄が身のうちの穢れに耐えきれなくなり、毒されていく。もがき苦しみ、鬼に恐怖しながら肉を貪り喰われるその時。ようやく人生は終わりを迎えるのだ。それが、牡丹の考える一生でもある。
その残り三年、鬼の人形遊びが続くかどうかは知らない。ただ、死ぬまでの間、惨めでなければそれで良い。鬼が自身を気に入っているというのならば、利用するだけ。
そうやってぼんやりと鬼を眺めていると、鬼の手がピタリと止まった。
「何考えてる」
「……お腹空いたなって」
それも嘘ではない。先ほどは隠した腹の虫がぐうと鳴って、鬼はふっと笑うと起き上がった。
「握り飯がそこにある。喰うか」
「うん」
牡丹も続いて上体を起こすと、部屋の隅に置かれていたのか鬼が握り飯二つと大根の漬物、冷めた茶が乗った盆を牡丹の傍へと置く。
鬼の大きな手では小さい。けれども、牡丹の小さな手では大きな菜飯の握り飯が一つ手渡される。両手で抱えた握り飯をもそもそと食んでいる最中も、終始、鬼は牡丹を眺めた。猫に餌でもやっている気分だろうか。牡丹は咀嚼にだけ集中して、漸く一つ食べ終わると、もう腹はいっぱいだった。
「もう一個は食べて良いよ」
小皿に乗せられた漬物だけをポリポリ摘む余裕はあったが、茶を飲んで一息ついてみても、やはり腹の具合に変化はない。
「お前、そんなんだから痩せっぽっちなんだよ」
鬼は「ガリガリの肉は食いでがないから太れ」と言いつつも、ちゃっかりと残った握り飯を口へと頬張る。
「太ってた方が美味しい?」
「脂ばっかでもな」
「じゃあ、ほどほどに太れば良いの?」
「どうせ喰えねぇだろ」
鬼はケラケラと笑いながら、あっという間に握り飯を食べてしまう。穢れを溜め込むのには自信がある。しかし実際の食事はというと、そこまで。肉付きを変えるのであれば喰わねばならないが、それはなかなかに難しい。
どちらにしろ、鬼の反応を鑑みたところで、太れば良いのかどうかが判らない。じゃあ、どうすれば良いのかと問えば、「さあなぁ」とはぐらかされるだけだった。
そのまま、鬼の手が牡丹へと伸びる。髪を撫で、一つ束にして指に絡めて遊び始めた鬼は、何を考えているとも知れない。
「もう寝るか?」
また、牡丹が見つめてしまったからだろう。鬼の目が、牡丹の瞳を覗き込んで――髪を弄っていた手が、再び牡丹の頬へと移った。大きな手は牡丹の頬を包み込む。それこそ、慈愛でも込めていそうな――勘違いをしてしまいそうなほどには手つきは優しかった。
牡丹は思考を振り払うように、首を振る。
「ううん、本読む」
牡丹は枕元に置いたままにしていたはず、と一冊の書籍に手を伸ばしてようやく届いた――と思いきや。身体はふわりと浮いて、すっぽりと鬼の腕の中に収まっていた。
鬼を背凭れにするような形で収まった牡丹は抵抗することもなく本に目を落とす。鬼は牡丹を抱きしめる形で腹のあたりに手を回して、感触を確かめているようだった。腹のあたりを弄っていたかと思えば、喉元を撫でることもある。そのまま、頬、髪を撫でることも。
牡丹はただ、遊ばせておくだけだ。人形になりきって、鬼に気に入られたままでいるだけ。
そう、もう慣れたもの。
けれども時々、牡丹は尋ねたくもなる。
――これって、どういう意味なの?
――人形? 猫? それとも……?
と。
けれども言葉がうっかり喉を通り過ぎる事はない。もし、下手に質問して鬼の機嫌を損ねたのなら、この平和は消えてしまうかもしれないからだ。それは、都合が悪い。
まだ、鬼には都合の良い存在でいてもらわねば。ただ人形遊びに乗じていてもらわねば。
そう、あと――三年ほど。
身体の内側で、何かが暴れるような感覚。時に針を刺すように、時に拳で殴るように。外へ出ようとするのだ。それを抑え込むまで、苦しみが続いて牡丹は身動ぎもままならない。
そうやってぼんやりとしている間に、あれよあれよと、運ばれ、服を脱がされ、洗われて。はっきりと意識が戻った頃には布団の上に寝かされている状態だった。
障子窓の外はとっぷり日も暮れて、部屋の中では行灯に火が灯されている。そこでようやく、随分と長い間、意識が朦朧としていたのだと気が付いた。
――お腹空いた……。
はっきりとした時刻こそ判然としないものの、腹の空き具合だけは正直にぐうと鳴る。こういった場合、大抵何か食べ物は用意されているはず。動くようになった首を横に向ければ、当然のように頬杖を突いて寝転ぶ鬼が牡丹を眺めていた。視線を交わした赤い目は、いつも通りににたりと笑って――同時に伸ばされた手が牡丹の頬を優しく撫でた。
前髪を掬い上げるように、鬼の手が幾度となく牡丹の顔を撫でる。慈しむような、ただ撫で心地を堪能しているだけのような。
――もういっそ猫でも飼えば良いのに。
そんな、ぼんやりとした思考が牡丹の脳裏を過ぎるも、牡丹も鬼の行動が嫌ではなかった。
――あと、三年。
通例通り、鬼が贄を食うとすれば十五歳前後。その頃にもなると、贄が身のうちの穢れに耐えきれなくなり、毒されていく。もがき苦しみ、鬼に恐怖しながら肉を貪り喰われるその時。ようやく人生は終わりを迎えるのだ。それが、牡丹の考える一生でもある。
その残り三年、鬼の人形遊びが続くかどうかは知らない。ただ、死ぬまでの間、惨めでなければそれで良い。鬼が自身を気に入っているというのならば、利用するだけ。
そうやってぼんやりと鬼を眺めていると、鬼の手がピタリと止まった。
「何考えてる」
「……お腹空いたなって」
それも嘘ではない。先ほどは隠した腹の虫がぐうと鳴って、鬼はふっと笑うと起き上がった。
「握り飯がそこにある。喰うか」
「うん」
牡丹も続いて上体を起こすと、部屋の隅に置かれていたのか鬼が握り飯二つと大根の漬物、冷めた茶が乗った盆を牡丹の傍へと置く。
鬼の大きな手では小さい。けれども、牡丹の小さな手では大きな菜飯の握り飯が一つ手渡される。両手で抱えた握り飯をもそもそと食んでいる最中も、終始、鬼は牡丹を眺めた。猫に餌でもやっている気分だろうか。牡丹は咀嚼にだけ集中して、漸く一つ食べ終わると、もう腹はいっぱいだった。
「もう一個は食べて良いよ」
小皿に乗せられた漬物だけをポリポリ摘む余裕はあったが、茶を飲んで一息ついてみても、やはり腹の具合に変化はない。
「お前、そんなんだから痩せっぽっちなんだよ」
鬼は「ガリガリの肉は食いでがないから太れ」と言いつつも、ちゃっかりと残った握り飯を口へと頬張る。
「太ってた方が美味しい?」
「脂ばっかでもな」
「じゃあ、ほどほどに太れば良いの?」
「どうせ喰えねぇだろ」
鬼はケラケラと笑いながら、あっという間に握り飯を食べてしまう。穢れを溜め込むのには自信がある。しかし実際の食事はというと、そこまで。肉付きを変えるのであれば喰わねばならないが、それはなかなかに難しい。
どちらにしろ、鬼の反応を鑑みたところで、太れば良いのかどうかが判らない。じゃあ、どうすれば良いのかと問えば、「さあなぁ」とはぐらかされるだけだった。
そのまま、鬼の手が牡丹へと伸びる。髪を撫で、一つ束にして指に絡めて遊び始めた鬼は、何を考えているとも知れない。
「もう寝るか?」
また、牡丹が見つめてしまったからだろう。鬼の目が、牡丹の瞳を覗き込んで――髪を弄っていた手が、再び牡丹の頬へと移った。大きな手は牡丹の頬を包み込む。それこそ、慈愛でも込めていそうな――勘違いをしてしまいそうなほどには手つきは優しかった。
牡丹は思考を振り払うように、首を振る。
「ううん、本読む」
牡丹は枕元に置いたままにしていたはず、と一冊の書籍に手を伸ばしてようやく届いた――と思いきや。身体はふわりと浮いて、すっぽりと鬼の腕の中に収まっていた。
鬼を背凭れにするような形で収まった牡丹は抵抗することもなく本に目を落とす。鬼は牡丹を抱きしめる形で腹のあたりに手を回して、感触を確かめているようだった。腹のあたりを弄っていたかと思えば、喉元を撫でることもある。そのまま、頬、髪を撫でることも。
牡丹はただ、遊ばせておくだけだ。人形になりきって、鬼に気に入られたままでいるだけ。
そう、もう慣れたもの。
けれども時々、牡丹は尋ねたくもなる。
――これって、どういう意味なの?
――人形? 猫? それとも……?
と。
けれども言葉がうっかり喉を通り過ぎる事はない。もし、下手に質問して鬼の機嫌を損ねたのなら、この平和は消えてしまうかもしれないからだ。それは、都合が悪い。
まだ、鬼には都合の良い存在でいてもらわねば。ただ人形遊びに乗じていてもらわねば。
そう、あと――三年ほど。
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