聖植物園日誌

小達出みかん

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思い出のミント

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夏が終わりをつげ、季節は秋にさしかかろうとしていた。その日はけぶるような細い雨が降っていた。サチは畑へ向かう芹花を見送った後、ベッドを抜け出し書庫へ向かった。すこし階段を登っただけで眩暈がしたので、サチは思わず舌打ちした。日に日に体は弱っている。博士のように動けなくなるまで、あとどの位か…。だがサチには、やらなければいけない事があるのだ。
 博士がこの島を出た後、彼と共にいつのまにか姿を消したものが一つあった。
 それは、彼の使っていた端末だった。なくなった事に気が付いたのはだいぶ時間がたってからだったのだが、報告を受けてGNG社は血眼になって端末を捜索した。
 だが結局、どこを探しても端末は見つからなかった。本人が死んでいるのでわかるはずもなく、そのまま端末の事は忘れ去られた。
 今、サチはそれを探していた。
(博士は、あれを意図的に隠していった…おそらく)
 彼は端末を大事に持ちあるき、パスワードも設定していた。そんな大切なものを単になくすことがあるはずがない。そして博士は、その端末で時々誰かと話をしていた…
(きっと博士は、あの端末に見られたくないものがあったんだ。だから隠した…)
 博士が隠したかったものに興味はないが、あの端末なら監視なしで外部との連絡が取れるかもしれない。芹花を助けるには、それが一番確実な方法だ。問題は、どこに隠したかだ。社があれほど探しても見つからなかったのだから、そう簡単には出てこないだろう。が、やってみなくてはわからない。その結果、書庫を探し回ってサチはくたくたになった。
(ああもう、また熱が上がってきた…。どこだ、博士が、あの人が隠しそうな場所は…)
 サチはずるずると本棚にもたれて座り込んだ。
 博士が愛していたのは、植物と、あのカナリア…。博士は植物学の事ならば何でも知っていて、サチにいろいろな知識を与えてくれた。だが、最後の数週間は衰弱し、わけのわからないうわごとを言っていた。なにを言っていたのかすら、もうサチには思い出せない。
(ああなってしまう前に、早く…この仕事を終わらせなくてはいけないのに)
 サチはふらつく体で一日中探したが、結局なにも見つからなかった。
(もしこのまま、見つからなかったら…どうすればいいんだ)
サチはベッドにドサリと横になり、顔を覆った。
「サチさん…今、帰りました。具合どうです?」
 芹花だ。サチは顔から手をはずして平静を装った。
「お疲れ様です。私は大丈夫ですよ」
 芹花はしかめっつらでサチのそばまで歩いてきた。
「うそはダメですよー。うわ熱いっ。大変!ご飯食べられそうですか?」
 芹花はあわててサチの額から手をひっこめた。
「大丈夫ですよ」
 サチは起き上がった。彼女に心配をかけたくない。
「無理、しないでくださいよ…?」
 今夜の夕食はトマトシチューにサラダのようだ。こんな料理の名前も、芹花がくるまでは無縁のものだった。そう思って見ると自然と笑みが出た。
「いただきますね…」
 味はわからない。だが芹花がその手で、2人だけのために作ってくれたと思うと何ものにも変えがたい気がした。それを口にできるのも、あと少しの間だ。サチはゆっくりとサラダを口に運んだ。すると、妙な事に気が付いた。舌がピリピリするのだ。ミント水の時と同じだ。味がする。
「芹花さん、この野菜は、なんです?」
「それすか?さすがサチさん、生野菜にすぐ気がつきましたね!」
 生野菜?畑のものではないし、食料の野菜は缶詰かフリーズドライのものしかない。一体どういうことだろう。芹花はえへへと頭をかいた。
「実はですね…私の部屋で…お、怒らないでくださいね!二十日大根を、栽培してたんです」
「ハツカダイコン?」
「はい。書庫にあった「ハイキ」のダンボールの中から種をもらって」
「ああ、そういうことですか」
 サチはやっと合点がいった。
「あ…怒らないんすか?」
「どのみち廃棄物ですし…それより、これは特別な野菜なのですか?味がしましたが…」
 芹花は屈託なく笑った。
「サチさん、ハツカダイコン食べるの初めてだったんですね。これって、ピリッとするんすよ。辛いの、苦手でした?」
「苦手も何も、私は味がわからないはずなのですが…」
 芹花はちょっと考えてから口を開いた。
「多分、サチさんの舌って、甘いとか苦いとかはわからないけど、温かい、とか冷たい、はわかるんじゃないですか?」
「そうですね、温度の区別はつきます」
「だから多分、大根のピリッとするのとか…あとミント水!あの時も驚いていましたよね。こういう食べ物って、味というより冷たさや温かさの感覚を刺激するから、サチさんでも感じとれたんじゃないですか?」
 その芹花の言葉を聴いて、サチは雷に打たれたかのように固まった。
 はっきりと思い出したのだ。あのミント水をいつ飲んだのかを。
「芹花さん…あなたはなぜ、ミント水を作ったんですか?ただの…思いつきですか?」
「え?あれですか?レシピを見つけたんですよ、手書きの」
 芹花は自分の部屋からメモを持ってきて見せた。
「これです。誰が書いたのか、サチさんならわかります?」
 芹花は冗談めかして言ったが、サチは真顔でそれを見つめていた。
「これは…これは、博士の字です…昔あの人はこれを作って、私に飲ませてくれた…」
 芹花も真顔になった。
「昔って…サチさんが小さいころ?」
「まだ10にもなっていないころです。何で博士は、ミント水なんか作ったんだろう…?」
 考え込むサチに、芹花は思ったそのままを告げた。
「多分博士は、サチさんの味覚がないのを不憫に思って作ったんじゃないかな?ミント水なら、味を感じられるから、って」
サチはそういわれて複雑な思いだった。
「まさか…あの人が、そんなこと」
「そもそも果樹園のミントって、博士が植えたんじゃないですか?木は枯れてましたけど、ハーブは元気そうでしたから…他にもハーブで作った水、飲まされませんでした?」
 サチの記憶の中に漂っていた靄が、その言葉で一気に晴れた。
――これは、なんの種なの?博士
――これはミント、これはローズマリー
――食べれるの?
――いいや、食べれない。香りのついた草といった所だ。だがお前の役に立つかもしれん
――じゃあ手伝います
――よし、そこの花壇からがいいだろう…
「そうだ、あれは2人で植えたんだった…何で忘れていたのか…」
 頭をかかえるサチに、芹花はやさしく言った。
「小さいころのことなんでしょ?無理もないですよ」
 それは数少ない、博士との良い思い出だった。カナリヤや博士の死に、その優しい思い出は圧迫され、奥底に閉じ込められていた。恨みや辛さのほうが、それより勝っていたのだ。
「そうか…芹花さんのおかげで思い出せました…ありがとうございます」
 微笑みながらサチは言った。この時、サチはもう一つ大事な事を思い出した。博士の最後の言葉だ。ただの妄言だと気にも掛けなかったが、今ならその意味がはっきりわかる。
 衰弱した彼が切れ切れにサチの耳に向かって伝えた言葉、それは…
「ミントの下」であった。
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