ひどい目

小達出みかん

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真夏の夜のにわか狂乱(2)

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朝日がすがすがしい午前八時。


 千寿は早起きして、裏庭に裸足で降り立った。裏庭は奉公人しか出入りしないから、気楽だ。のびっぱなしの雑草が足の裏にくすぐったい。こんな感触いつぶりだろう。


「あれ、千寿さんこんな時間にどうしましたか」


ギイっと粗末なくぐり戸が開き、若衆の逸郎が食材を手にかかえ入ってきた。

「うーんと、ちょっと舞の練習」


「ああ、今年の俄ですね。楽しみですねえ」


「なんだけど、あとの二人が来ない…」


「千寿さんは偉いですねえ。こんな朝早く、遊君はふつう起きれませんよ」


「いいだしっぺは鈴鹿なんだけどね…この時間しか3人あつまれないからって」


「起こすよう声かけてきましょうか?」


「うーん、どうせ禿たちが起こそうとしてるだろうし…いいよ」


 逸郎が去るのと入れ違いに梓が登場した。あれ以来、梓と二人きりになるのは初めてだ。千寿は一瞬身構えた。

 梓は今朝は時間がなかったと見え、さらりとした着流しで化粧も薄い。相変わらず、冷たそうな肌だ。


「あー、やっぱ先いってたか。部屋まで迎えにいったんだけど」


 いかにも大儀そうに、梓が肩を廻しながら言った。


「それは…すみません」


 わざわざ部屋まで来てくれたのか。千寿はちょっと反省して素直に頭をさげた。


「あーいや、いいよべつに。ただ鈴鹿がちょっと」


「ちょっと?」


「なんか起きれないんだと」


「え?」


「いや、俺も部屋に入らせてもらえなくてさあ。禿があたふたしてたから、たぶん月のなにやらじゃないの」


「ああー…」


 この間鈴鹿が、自分の月のものは重いと話していたのを千寿は思い出した。


「せっかく公然と仕事休める日なのにさ。こうだるくっちゃ、嫌になるわよ…」


 その憂鬱そうな顔を眺めて、千寿はそんなものなのか、と内心つぶやいたのだった。


「わかりました。う~ん…」


 千寿は梓を前に一瞬考えた。鈴鹿はいないし梓と2人きり。せっかくの貴重な時間、練習はしたいが…。


「今日はなしってことでいいんじゃね?」


 梓がだるそうに言った。そのやる気のない態度は、逆に千寿を元気付けた。梓のほうはこの間のことなんて、すっかり忘れてるみたいだ。きっと彼にしたら大したことではないのだ。

 あれこれ警戒して貴重な時間も無駄にするのはもったいない。よし、水に流そう。


「いや、やっぱり練習しましょう」


 きっぱり千寿が言ったのを見て、梓がうんざりした声を出した。


「ええー。言い出しっぺがいなんだから、もういいだろ…」


「だって、せっかく二人そろって早起きしたんですし。踊りはなんとなくわかりますから、できますよ」


「はあー。何だよ急にやる気出して…」


「さっ、せっかくの時間、無駄に出来ません。始めましょう」


「・・・わかったよ。で、どんな踊りなんだ?」


「ええと・・・・」


 千寿の脳内に、前に踊りを見た時の光景が蘇った。






ーードンッ、ド、ドンッ、ド、ドンッ、ド、ドンドン!


 空気をふるわせる並んだ太鼓の音が、青空に吸い込まれていく。


 その青空の下では、馬の飾りを腰につけた若者と花笠の娘が互いを見つめあいながら、高く高く飛ぶ。大地を蹴り、太陽に向かって。


 息の合った青年と娘の踊り。その動きを見ているうちに、千寿は辛くなって目をそらした。いくら考えまいとしても、それを止めることはできない。


 その光景に、つい、重ねてしまう。自分と「あの人」を。


・・・あんな風に、好きな人と踊れたら、どんなに楽しいだろう。


 だがその想像は、針を刺すようににちくりちくりと執拗に、千寿の心を痛めつけるのだった。


 まさかその踊りを、ほかの男と踊る日が来ようとは。千寿が皮肉にクスっとわらうと、梓は露骨に嫌な顔をしてみせた


「なんだよ思い出し笑いか?やらしいなあ」


「別にいやらしくないです」


「あっそ」


 梓がどうでもよさそうに肩をすくめた。


「で、まず基本の動きなんですが…」


 千寿はたすきで露になった腕をふりあげ、高く飛んだ。


「げっ、そんなに飛べないぜ、俺…」


 げんなりとした梓のつぶやきと共に、二人きりの朝練が始まったのだった。








「えーっと、こう?」


「惜しいです、こうです」


 扇子を持った梓の手の角度を、少し直す。


「胸の前で表にもって、返して、頭上にかざす…これが娘の基本の動きです」


「ふーん。じゃ、飛ばなくてもいいの?」


「馬ほどには」


「よかったわ…」


 梓が微妙な薄笑いでつぶやいた。よっぽど飛ぶのが嫌なのだろう。


「じゃ、ちょっとあわせて見ましょう。今の手の動きを繰り返しながら、私についてきてください」


「足は?歩くだけ?」


「歩くというより、小走りです」


「わかった」


 梓が覚悟を決めたようにうなずいた。


「せーのっ!」









 千寿は風を切って飛び出した。太陽に向かって、飛ぶ!飛びながら進む!


「一、二、三、四!」


 数を数えながら、あの時の動きを思い出しながら。

 こんな風に、風を切って外で踊るのは、久々だ…。千寿の顔に、まじりけなしの笑顔が浮かんだ。


「ここで向かい合います!」


 梓と向かい合う。ここで、馬と娘がたずなを引っ張りあい、引き合う。


「そうです、下がってください、馬をひっぱるように!」


 見交わす梓の目は、さすがにもう真剣だ。息はあがっているし、額に汗が伝っている。この人も汗をかくんだな。千寿は少し意外な発見をした気分だった。


「次は私が下がります、そちらは引きずられます!」


 梓が腕を差し出す。千寿はまよわず一瞬でその手を掴み、強く引きながら下がった。

 白い梓の腕から顔に目を向けると、梓と視線が交わった。躍動しながら一瞬の、意志疎通。千寿は思わず微笑んだ…。









「はぁーっ。疲れた…」


 練習終了。梓はとたんに地面にのびた。


「いい運動でしょう」


 千寿は涼しい顔で、逸郎が持ってきた水を飲み干した。


「お前、体力あるのな…」


 のびながら、梓はつぶやいた。


「伊達に踊っていませんから、ハイ水」


「・・・なんか、またしたいな」


 起きあがって水を受け取った梓が、ぽつりとつぶやいた。その言葉に、思わず千寿の頬がゆるむ。


「ふふっ。一度やると案外楽しいものでしょう。踊りって」


 千寿は梓の隣に腰を下ろした。なんだかすがすがしい、大昔にもどったような気分だ。


「おい、俺はいいけど千寿は地べたに座るなよ」


その小言を無視して、千寿は笑顔で言った。


「また、練習しましょうね」


「ああ…」


 梓があっけにとられたように、つぶやいた。梓の顔が、至近距離にある。頬が上気していつもより人間らしいな、と千寿は思った。


「そうだな…」


 ふっ、と梓の顔が近づく。


「梓さん?」


 ためらう隙もなく梓の唇が、千寿の唇に重なった。


「っ!」


 そして一瞬ふれあったのち、唇は離れた。


「千寿…いつもそうやって歯あ見して笑えよ。澄ましかえった顔より、そっちのがかわいいぜ」


 梓が、目を眇めて笑んだ。


「な、なにを…」


 千寿が目を白黒させている間に、もう一度唇が重ねられた。当惑の中、夏だというのにわずかに冷えている梓の舌を千寿は感じた。


 と、その時。


「梓さまぁーーっ!」


 梓の禿が庭に転がり出てきた。


「お手紙ですっ!」


 とたんに梓はがくっとうなだれた。


「さよ…なんで今なんだよ」


「そ、それが大事なお手紙だそうで…」


「どーせ庄屋の旦那のいつものだろ。やれやれ」


 どっこいしょ、と梓は立ち上がった。


「さて、じゃあ続きは次の練習の後…な」


 梓は意味ありげな視線を投げかけると、千寿を置いて部屋に戻っていった。

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