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甘い餌、甘い罠
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「何をしているの!?」
従者が慌てて、ヘンリエッタとバートを引き離す。乱れた呼吸で、助かったことが信じられないまま、ヘンリエッタは身体を起こしてデリラを見た。
「お、奥、さま……」
もしかしたら、いや、もしかしなくとも、デリラはバートの味方だろう。そう思って絶望したヘンリエッタだったが、その顔をちらりと見たデリラは、怒ることもなくはぁと肩をすくめた。
「まったく。困るわよ、バート。事情は今朝説明したでしょう」
デリラがちらりとバートを見る。するとバートは、母に小言を言われた事が信じられないらしく、叫んだ。
「そ、それは……っ。こいつは経験がないから、俺が手ほどき、してやろうかと……」
デリラは首を振った。
「そんな事したら、意味がないでしょう。まったく……いいかげん、私の苦労もわかってちょうだい」
「っ……」
珍しく、デリラがバートをたしなめている。その怒りの矛先が自分に向かうのではないか――。恐れつつも、ヘンリエッタは二人が向かい合っているスキに、暖炉の横に置いてある鍋を取り上げた。するとデリラが、冷たい目でヘンリエッタに命令した。
「何してるの。さっさとついてきなさい」
突然デリラの部屋へと連れていかれ、ヘンリエッタは侍女の手によって問答無用で行水をさせられ、彼女のおさがりの、どぎつい紫色のドレスを着せられた。
(いったいどういうこと……?)
しかしデリラのピリピリした雰囲気から、ヘンリエッタは察していた。
――きっとろくでもないことが、今から己の身にふりかかるのだと。
侍女の手により髪を結われ、薄化粧を施されたヘンリエッタに、デリラは言い放った。
「あんたに仕事よ。いい? それはそれは大事な仕事なの。失敗したらただじゃおかないわよ」
ヘンリエッタはおそるおそる聞いた。
「どういう仕事です……?」
しかしデリラはそれを無視して聞いた。
「あんた生娘よね? 正直に答えなさい」
「は……え?」
するとデリラは舌打ちした。
「何かまととぶってんのよ。売女の娘が。ちゃんと答えないと殺すわよ」
デリラは、亡き夫の愛妾であったヘンリエッタの母の事を、今でも憎んでいた。そして当然、ヘンリエッタの事も。
「……そのような経験はないですが」
するとデリラは少し機嫌を直してうなずいた。
「そう。ならいいわ。お前はさる偉いお方を、もてなすのよ。身体を使ってね」
その言葉に、ヘンリエッタは凍り付いた。
「そ……それは、どういう」
「代々受け継がれてきた我が家の所領が取り上げられたのは、お前も知っているでしょう?」
突然の質問にめんくらいながらも、ヘンリエッタは素直に答えた。
「ええ、陛下が代替わりをして、領地整理とかいって……でもこのソーンフィールド家だけの話ではないのですよね?」
数年前、この国では政変があり、前の皇帝が今の皇帝に譲位をした。円満な退位ではなかったらしいが、ヘンリエッタはその事情は詳しくは知らない。知っているのは、皇帝が変わってから、貴族たちへの対応が今までと変わった事。
「そうよ。あいつは、私たち貴族の力を弱らせようとしているのよ。まったく強引ったら」
「あいつ……?」
「陛下の事じゃないわよ。この方針の黒幕は、陛下の後ろにいるバーンズ宰相よ」
ヘンリエッタも、名前だけは聞いた事があった。都の貴族に敬意を払わず、逆らう者には容赦しない、冷酷な男であるらしい、と。
「あの軍人上がりの若造を引きずりおろして、もとの都に戻すのよ。そのために、あんたの働きが必要なの。あの男を虜にして、弱点を引き出しなさい」
あまりの仕事内容に、ヘンリエッタはあとずさった。
自分みたいなごく普通の人間に務まることではない。
「そ、そんな……どうやって」
「あんたの母親がやったみたいに、取り入って媚びるのよ。簡単にできるでしょ?」
母はたしかに踊り子だった――が、春をひさいでいたわけではない。その上ヘンリエッタは、母が死んだのちはこの屋敷に引き取られ、外の男性と接触を持ったことなどほぼない。
「私ではその……む、難しいかと……」
渋るヘンリエッタに、デリラはねこなで声で言った。
「気が進まないのはわかるわ。誰だって、タダ働きはしたくないものね。だから成功したら、いいものをあげるわ」
ぴら、とデリラは机から紙を取り出した。
「紹介状、書いてあげる。この家を出ていく許可をあげるわ。まともな仕事先も、コレがあれば簡単に見つかるでしょうし。成果次第では、手当てをあげなくもないわ」
「え……!」
デリラの手にあるそれは、ヘンリエッタにとっては願ってもないものだった。この家を出ていきたくとも、紹介状がなければ女にまともな仕事などないからだ。
ヘンリエッタの肩をぎゅっと掴んで、デリラは言った。
「自由にしてあげる。でも失敗したら……私はもうバートを止めないわ」
従者が慌てて、ヘンリエッタとバートを引き離す。乱れた呼吸で、助かったことが信じられないまま、ヘンリエッタは身体を起こしてデリラを見た。
「お、奥、さま……」
もしかしたら、いや、もしかしなくとも、デリラはバートの味方だろう。そう思って絶望したヘンリエッタだったが、その顔をちらりと見たデリラは、怒ることもなくはぁと肩をすくめた。
「まったく。困るわよ、バート。事情は今朝説明したでしょう」
デリラがちらりとバートを見る。するとバートは、母に小言を言われた事が信じられないらしく、叫んだ。
「そ、それは……っ。こいつは経験がないから、俺が手ほどき、してやろうかと……」
デリラは首を振った。
「そんな事したら、意味がないでしょう。まったく……いいかげん、私の苦労もわかってちょうだい」
「っ……」
珍しく、デリラがバートをたしなめている。その怒りの矛先が自分に向かうのではないか――。恐れつつも、ヘンリエッタは二人が向かい合っているスキに、暖炉の横に置いてある鍋を取り上げた。するとデリラが、冷たい目でヘンリエッタに命令した。
「何してるの。さっさとついてきなさい」
突然デリラの部屋へと連れていかれ、ヘンリエッタは侍女の手によって問答無用で行水をさせられ、彼女のおさがりの、どぎつい紫色のドレスを着せられた。
(いったいどういうこと……?)
しかしデリラのピリピリした雰囲気から、ヘンリエッタは察していた。
――きっとろくでもないことが、今から己の身にふりかかるのだと。
侍女の手により髪を結われ、薄化粧を施されたヘンリエッタに、デリラは言い放った。
「あんたに仕事よ。いい? それはそれは大事な仕事なの。失敗したらただじゃおかないわよ」
ヘンリエッタはおそるおそる聞いた。
「どういう仕事です……?」
しかしデリラはそれを無視して聞いた。
「あんた生娘よね? 正直に答えなさい」
「は……え?」
するとデリラは舌打ちした。
「何かまととぶってんのよ。売女の娘が。ちゃんと答えないと殺すわよ」
デリラは、亡き夫の愛妾であったヘンリエッタの母の事を、今でも憎んでいた。そして当然、ヘンリエッタの事も。
「……そのような経験はないですが」
するとデリラは少し機嫌を直してうなずいた。
「そう。ならいいわ。お前はさる偉いお方を、もてなすのよ。身体を使ってね」
その言葉に、ヘンリエッタは凍り付いた。
「そ……それは、どういう」
「代々受け継がれてきた我が家の所領が取り上げられたのは、お前も知っているでしょう?」
突然の質問にめんくらいながらも、ヘンリエッタは素直に答えた。
「ええ、陛下が代替わりをして、領地整理とかいって……でもこのソーンフィールド家だけの話ではないのですよね?」
数年前、この国では政変があり、前の皇帝が今の皇帝に譲位をした。円満な退位ではなかったらしいが、ヘンリエッタはその事情は詳しくは知らない。知っているのは、皇帝が変わってから、貴族たちへの対応が今までと変わった事。
「そうよ。あいつは、私たち貴族の力を弱らせようとしているのよ。まったく強引ったら」
「あいつ……?」
「陛下の事じゃないわよ。この方針の黒幕は、陛下の後ろにいるバーンズ宰相よ」
ヘンリエッタも、名前だけは聞いた事があった。都の貴族に敬意を払わず、逆らう者には容赦しない、冷酷な男であるらしい、と。
「あの軍人上がりの若造を引きずりおろして、もとの都に戻すのよ。そのために、あんたの働きが必要なの。あの男を虜にして、弱点を引き出しなさい」
あまりの仕事内容に、ヘンリエッタはあとずさった。
自分みたいなごく普通の人間に務まることではない。
「そ、そんな……どうやって」
「あんたの母親がやったみたいに、取り入って媚びるのよ。簡単にできるでしょ?」
母はたしかに踊り子だった――が、春をひさいでいたわけではない。その上ヘンリエッタは、母が死んだのちはこの屋敷に引き取られ、外の男性と接触を持ったことなどほぼない。
「私ではその……む、難しいかと……」
渋るヘンリエッタに、デリラはねこなで声で言った。
「気が進まないのはわかるわ。誰だって、タダ働きはしたくないものね。だから成功したら、いいものをあげるわ」
ぴら、とデリラは机から紙を取り出した。
「紹介状、書いてあげる。この家を出ていく許可をあげるわ。まともな仕事先も、コレがあれば簡単に見つかるでしょうし。成果次第では、手当てをあげなくもないわ」
「え……!」
デリラの手にあるそれは、ヘンリエッタにとっては願ってもないものだった。この家を出ていきたくとも、紹介状がなければ女にまともな仕事などないからだ。
ヘンリエッタの肩をぎゅっと掴んで、デリラは言った。
「自由にしてあげる。でも失敗したら……私はもうバートを止めないわ」
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