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2人の聖女編 〜臣従儀礼式典とサプライズ〜
328.おっさん、駆け引きをする
翌日も俺は比較的余裕がある。
ルイス宮殿で行われる式典は午後5時からで、その後すぐに夜会となる。
つまり、俺は準備が始まる3時頃まで暇なのだ。
ロイとディーはまだ陽も登っていない早朝に目を覚まし、寝ぼけている俺にキスをして王宮に戻った。
それから2度寝をして7時過ぎに起きた俺は身支度を整えてバーニーが淹れてくれたお茶を飲んで目を覚ました。
朝は食堂に行かず、軽い食事を運んでもらうと自室で食べた。
食事の途中でオリヴィエが到着し、一緒に今日のスケジュールの確認をする。
スケジュールといっても3時まではやることもない。
瑠璃宮以外は式典で慌ただしいし、邪魔にならないようにと、今日も俺は引きこもることに決定する。
ただ暇だとはいってもやることはある。
暇だからこそ、事前に考えなければと思い、バーニーにお願いした。
「カレーリアの詳細な地図があれば見せて欲しいんだ。
大聖堂や教会内部の見取り図、そして上下水道の図面とかもあれば」
「畏まりました。すぐにご用意いたします」
バーニーは俺が知ろうとしていることをすぐに理解し退室する。
「なるほどね」
オリヴィエも理解して、あたしも一緒に見せてもらうわ、と笑った。
王国聖女が力を示すパフォーマンスに毒を使うのならば、当前飲み水も警戒しなくてはならない。
水源や給水施設、川水なのか井戸水なのか、それらを把握しておいても損はないと思ったのだ。
さらに俺はユリアに伝達魔鳥を飛ばし、王国聖女が使ったとされる毒物のサンプルを分けてもらえないか確認した。
万が一のため、解毒魔法を使うことになった時、感じる違和感を事前に知ることが出来ればと考えた。
同じ毒を使うという保証はないし、濃度も違うかもしれないが、それでも考え得ることを出来るだけやっておこうと思った。
1時間もしないうちにバーニーが戻ってくるが、一緒にギルバートも瑠璃宮を訪れた。
「おはよう、ショーヘイ君。そこでちょうどバーニーに会いましてね」
「おはようございます」
笑顔で挨拶しつつ、相変わらずいつもビシッときまっているな、とタキシードに似たスーツ姿に見惚れる。
だが、ギルバートは挨拶後立ち止まることはなく、ずんずんと進んで俺に近付いてくると手をギュッと握ってきた。
「少し時間をもらえるかな?」
迫ってこられて思わず逃げ腰になるが、それよりも、ギルバートが俺に話をしに来たことに、その内容にピンと来た。
「すまないが、ショーヘイ君と2人で話がしたいので席を外してもらえないだろうか」
ギルバートは俺の手を握ったままオリヴィエを振り向く。
だが、オリヴィエは良い顔をしない。
バーニーは何かを言える立場ではないので黙しているが、ほんの少しだけ口元がひくついていた。
「ごめん、多分大事な話だから」
俺はオリヴィエに言って、2人きりにしてもらえるように頼んだ。
「ギル様。襲わないって約束出来ますか?」
「君達は私をなんだと思っているんですか」
そう文句を言うがその口元は笑っている。自分が隙あれば俺に言い寄り、かつセクハラをしていることに自覚がある証拠で、しかもそれをとても楽しんでいる。
今も俺の手を離さず、俺の腰や尻のあたりをさわさわと撫で回しているのだから、セリフと行動が真逆である。
「ショーへーちゃん、大丈夫?」
「……多分…」
それしか言えず、はははと乾いた笑いを漏らす。
これからギルバートと話すことは、間違いなくダニエルとロビンのことで、人に聞かれるわけにはいかない。
貞操の危機を感じないわけではないが、2人きりになる必要があった。
「遮音魔法は禁止よ。隣の部屋にいるから、何かあったらすぐに叫んで」
「うん。わかった」
オリヴィエは考えた末、仕方ないという表情で最大限に譲歩すると、翔平の自室リヴィングから共有リヴィングに出て行った。
彼女はドアを閉じた瞬間、バッと全身を使ってドアにへばりつき耳をくっつけ、全神経を集中して中の様子を探り始める。
それを見たバーニーは驚きつつ、思わず口を両手で抑えて笑いを堪えた。
俺はお茶を淹れますから、と丁寧に手を離させて体を離す。
ギルバートはそんな俺をじっと見つめて楽しそうに微笑んでいる。
そんな視線を背中に感じながら俺はお茶を淹れた。
「どうぞ」
「ありがとう」
受け取ったギルバートはまず香りを楽しんでから口に含む。
その一連の動きがとても優雅で、長い足を組んで座る姿も見惚れるほどかっこいいと思う。かっこよくて、とてもセクシーだ。
本当にセクハラさえなければな、と尊敬や憧れの気持ちがそのせいで半減していると心の中で笑った。
「ショーヘイ君、こちらに座ってください」
俺が自分のティーカップを持って向かい側に座ろうとすると、ギルバートは自分の隣をポンポンと手で叩き、ここに、と場所を示された。
「……」
俺はそれに思い切り眉間に皺を寄せて拒否の意を示しつつ、従わずテーブルをはさんで向かい側に座った。
ギルバートは俺の警戒にニヤリと笑う。
「それで、お話というのは」
「…の………す……」
「え?」
「…………です」
ギルバートは口を動かしているが、まるでその声が聞こえない。
隣に座らなかった腹いせのように、極小さな声で話すギルバートにイラッとしてしまった。
再び眉間に皺を寄せると、俺はため息をつきながら立ち上がり、ギルバートの隣にドサッと座り直す。
「これでいいですか?」
口を尖らせて隣のギルバートを睨みつけると、突然肩を抱かれて引き寄せられた。
「誰にも聞かれたくない話なのでね」
耳に唇が触れる距離で、ギルバートの低くいい声で囁かれる。それと同時に触れた唇とかかった息に、俺の背筋をゾワゾワとした感覚が走り抜けた。
「ひぁ…」
鳥肌が立つのと同時に顔を真っ赤にした翔平が自分の耳を手で押さえて離れる。
「ふ、普通に話してくださいよ」
耳を擦ってゾクゾクする感覚を逃がしながら言うと、ギルバートの金色の縦長の瞳孔が妖しく光りながら楽しそうに笑う。
「本当に感じやすいですね」
「そ…」
そんなんじゃないわ!と叫びたいが、叫べばオリヴィエがすっ飛んできてしまう。
無理矢理口を閉じて言葉を飲み込むと、ぐうと喉が音を立てた。
さささと体を移動させてソファの端まで逃げると、置いてあったクッションを抱えて盾にするように身構えた。
「ふふ…」
そんな小さな抵抗に、本当に可愛らしい、と笑うと本題に入ろうと姿勢を元に戻した。
「ロビンのことです」
俺はやっぱりと思いつつ、まだクッションを盾にしたまま、離れた位置で座り直した。
「私が彼をスカウトすることになっていたんですが、横槍を入れられましてね。
あぁ、スカウトの件は聞いていますよね?」
「はい」
俺はコクコクと頷く。
「今日の夜会で、直接バシリオ王に彼の譲渡をお願いする手筈だったんです」
「夜会で?それって、人前でってことですか?」
「そうです」
最初バシリオが考えていたのは、彼の受け入れ先を探してもらい、候補に上がった公国貴族とロビンを夜会で引き合わせる。
そして後日スカウトの挙手をしてもらい、正式に手続きを踏む、ということだった。
「なんか…お見合いみたいですね…」
俺は思ったことをそのまま言うと、ギルバートは笑う。
「近いものはありますね。
貴族社会において、自分の従者を他家に譲る時に行われていることなんです。
今まで忠実に仕えてくれた者を、適当な輩に渡すことは出来ませんからね。主人が引退する時などに用いられる方法なんですよ」
ギルバートが簡単に説明してくれた。
現役を引退し隠居する時、単純に契約終了ということで暇を出す、紹介状を書いて新たな勤め先を、とする場合がほとんどなのだが、優秀でかつ家族のような存在の従者の場合は、その後の行き先を選ぶパーティーを開くのだという。
主人が認めた者だけを招待したお見合いのような方法は、従者側にも選ぶ権利がある。従者にもプライドがあり、今まで仕えてきた主人と同様に、忠誠を誓える人物であるかどうかを見極めるためのお見合いだそうだ。
「残念ですが、今はそこまでする貴族は随分と減りましたけどね…」
長命種のギルバートは、昔はよくあった話だが、今ではとんと聞かなくなったと言った。
「なるほど…。それで今回ロビンを従者として連れて来たんですね」
「まあ、ロビンの場合は従者になったばかりですし、候補を選ぶのもこちら側ですからレアケースですが」
通常の主人選びのお見合いとは異なるが、手順としては正しいのだとギルバートは言った。
「彼の事情を知り、かつ理解してくれる貴族となると、限られてしまいます。
当初は私の他に、テイラー侯爵家、フィッシャー伯爵家、イグリット伯爵家なんかが候補に上がったんですよ」
俺はその候補貴族の名前に、間違いない人選だとうんうんと頷いた。
「ですが、悠長に後日とは言ってられなくなりましてね。私にということになったわけです」
「……ハルバート公爵が何かしようとしてるんですか?」
俺は今更「実子だから返せ」と言ってきた公爵が何かを企んでいると察した。
「ええ。その通りです」
ギルバートは察しのいい翔平に微笑む。
「王がロビンを従者にした時点で、公爵も察したのでしょう。
考えていた計画を実行に移す動きがありまして」
その計画がロビンを道具として使う気なんだと理解し、顔をしかめた。
昨日の夕食会後の酒の席に、公爵という身分であっても参加しなかったのは、ハルバート家の立場がかなり悪くなっているからだ。
後継であるニコラスが起こした不祥事は、いくら家とは無関係だったと言っても、実際にはかなり尾を引いているのだろう。その発言力は落ち、追い込まれている。
それを打開するために、ロビンを利用する。
きっとロビンをどこかに売る計画があるのだ。だから返せと言ってきた。そのための認知であり、道具なのだ。
家の力を取り戻すため、再び派閥を盛り上げるため、国内か他国の高位貴族に差し出されることになる。
まさに生贄にされるのだ。
俺がむぅと口を真横に結んで、怒りを表したことに、全部説明しなくても翔平はきちんと理解していると、ギルバートは微笑んだ。
「ロビンをキドナに帰すことが出来なくなりました。おそらく戻った時点で、ハルバートは強硬手段に出ます。
いくら王の従者になったとはいえ、認知した我が子を取り返す手段はいくらでもありますからね」
「なるほど、それで今夜…」
俺は納得して頷いた。
夜会で直接主人であるバシリオに譲渡をお願いし、そしてバシリオもロビンも応じる意思があるならば、その時点で彼はランドール家のものとなる。
諸々の手続きは後日となるが、夜会でそれを目撃した全員が証人となる。
両国の王や高位貴族が多数参加している状況で、否とは口出し出来ない。
言えば、ロビンの置かれた状況を知っている他貴族から非難されるのは必至だ。
そして俺は最初にギルバートが言った言葉を確認した。
「それで横槍というのは…」
横槍を入れたのがダニエルだというのがわかっているので、俺は少しドキドキしながら続きを促した。
「ロビンを欲しいと、彼をスカウトする権利を譲ってくれと言われました」
「誰に、ですか?」
俺が聞くとギルバートは勿体つけたようにニヤニヤと笑う。
「ショーヘイ君、ダニエルに何を言ったんですか?」
ギルバートは、キースと同じ質問を俺にした。
「俺は別に……」
ダニエルがどこまでギルバートに話したのかわからない以上、言葉を濁すしかない。内緒にすると約束したのだから、口が裂けても言わないと心に決めていた。
「ダニエルは理由を言ったんですか?」
「…さあ、どうでしょうね」
俺が濁したようにギルバートも濁してきた。
俺はむーと口を尖らせ、盾にしていたクッションを握り込むと口元を押し付けた。
お互いに口を閉ざし、無言の時間が続く。
だが、ギルバートは何かを閃いたのか、スッと目を細めると体を少しだけ移動する。
「ダニエルが私に何を言ったのか教えて差し上げてもいいですよ。
そのかわり、貴方からキスしてください」
「……」
なんじゃそりゃと俺は呆れてギルバートを見た。
「私がつい口を滑らせるようなキスを」
俺はジト目でギルバートを見て考える。
キスすれば教えてくれる。
ちょっとキスするだけだ。
キスなんて挨拶みたいに何度もされた。
挨拶だと思えば……。
悶々と考えて、キスして教えてもらう方向へ傾きかけた。
だが、冷静になり、客観的に自分を見て、そこまで自分を安売りする必要がどこにあるのかと思った。
今ここでギルバートから聞かなくても、今日中に結果はわかるのだ。
「教えてくださらなくても結構です」
俺は胸元に抱えていたクッションを手放してソファに置き、ソファから立ち上がる。
ギルバートは、おや、という表情を浮かべた後に、ふふふと含んだ笑いを漏らす。
「怒らないで」
そう言いながら腕を伸ばし、離れようとする俺の手を握って引き止めてきた。
「すみません、意地悪が過ぎましたね。教えますから座ってください」
「……」
俺は眉間に皺を寄せたままジト目でギルバートを見下ろし、引っ張られるままにストンとソファに座り直した。
「許してください。貴方からのキスが欲しくて」
俺の左手を握って離さず、そのまま口元に持って行くと、甲にチュッとキスを落とす。その言葉と行動が恥ずかしく感じて顔を赤くして視線を逸らした。
ギルバートは耳まで赤くなった翔平に、心の中で、可愛いとほくそ笑んだ。それと同時に今の駆け引きは負けたが、ほんの小手調べに過ぎないと、少しだけ本気を出そうと決める。
手を離して足を組み直すと話を続ける。
「ダニエルの事情、きっとショーヘイ君は聞いているんでしょう?」
事情と言われ、内容は言わないが、聞いたという事実だけは肯定し頷いた。
「ダニエルはとにかく権利を譲ってくれ、俺が彼をスカウトする、それしか言わなかったんですよ」
ギルバートはダニエルが必死な姿を思い出してくすくすと笑う。
ダニエルがギルバートの所に行ったのは、翔平に相談した次の日の夜だった。
王都邸に戻って夕食を食べていたギルバートに、アンドリューがダニエルから面会申し込みの先触れが来たと報告され、了承した。
夜9時という約束の時間ぴったりに現れたダニエルを応接室に通すと、夜遅くの訪問を詫びながら、何処か焦っている様子に、珍しいと思ったそうだ。
そしてダニエルは、スカウトする権利を譲ってくれと、それしか言わなかった。
ギルバートが理由を尋ねても話すことはなく、ただただお願いしますと頭を下げてきたという。
「ダニエルは今まで一切彼に関わって来なかったのに、突然言われてもね」
確かにその通りだ。
バシリオもキースも、彼をその境遇から救うために動いていたのに、ダニエルは突然口を出してきたのだ。それをあっさり認めることは出来ないのだろう。
「どう、答えたんですか?」
俺はおずおずと聞き返す。
「残念ながらそれは出来ないと言いました。
もうすでに私はロビンと何度も面会し、彼の素質や能力を見極めています。
彼はとても優秀ですよ。ハルバート家の道具となるよう、しっかりとした知識と教養を身につけさせられたのでしょう。頭が良く回転も早い。
戦闘執事としては年齢的にもう無理ですので、私は彼に領地管理の勉強をさせようと思っています。ゆくゆくは領主代行になれるほどの素質と才能がありますよ。
ロイの伴侶になる君にとっても、非常に有益で有能な人材です」
ギルバートは笑顔で早口に言った。
彼がここまで人を褒めるのはあまり聞いたことがない。ベタ褒めに近い表現に驚いてしまった。
それほどロビンが優秀なのだ。
ハルバート家の道具となるべく受けてきた教育がこんな所で発揮されるなんて、と俺は複雑な気持ちになってしまう。
「ですので、私としてもこのままダニエルにロビンを渡したくはありません。
彼には今言ったことをそのまま伝えましたよ」
ギルバートに悪気はない。それだけ優秀な人材だとわかれば、理由も言わず突然寄越せなんて認めるわけもない。
だが、それでも俺はしょぼんと項垂れてしまった。
ダニエルとロビンが会って何を話したのかはわからない。
だが、ダニエルが起こした行動を知った時、まさかそういう展開になるとはと驚き、嬉しくなった。
たった一度の行為で体の異常をきたすほど心が揺り動かされたのに、それを彼は罪悪感という気持ちにすり替えてしまっていた。
ダニエルは常日頃の行動が他人に揶揄されるもので、普通ではないと理解している。
亡き父親と同じ行動をしているだけだが、父親のダニーは両親の不仲を見せられ虐待を受けて1人の人を愛せなくなったためで、ダニエルとは違う。
彼はダニーから愛情を受けて育ち、血が繋がっていないが兄弟を得て、愛情がとても深い男になった。
父親とは全く別の人間で心の有り様も違うのに、行動を同じくしたことで、彼が認識しない心の奥深くでしこりとなった。
そしてロビンに対して罪悪感という形で姿を現したしこりは、勝手に『自分は相応しくない』という思い込みを生んだ。
ダニエルの話を聞いた時、俺はロビンに惚れたのかと思った。
『途中からロビンに夢中になった。どうしようもなく掻き立てられた』
あの言葉はロビンを強く求めたから起こったことではないのか。
だが、ダニエルは気持ちに気付いた様子はなかったため、俺からは何も言わなかった。
他人から恋愛感情を指摘されれば先入観が生まれてしまう。それが上手く話をまとめることもあるが、逆に強い抵抗と否定に繋がることもある。
だから言えなかった。
そんなダニエルが行動に出たと聞き、良い方向に向かっていると思ったのだが、ここで1ヶ月の放置という障害が立ち塞がった。
ギルバートはいつもの翔平の考え込む癖を見て、くすくすと笑う。
静かに体を寄せても、翔平は考え事に集中して全く気付かない。
それをいいことに、ギルバートはギリギリまで近付くと、次の瞬間翔平の体を抱きしめるように引き寄せる。
「あ!え!?」
突然抱き寄せられ、翔平は思考の中断を余儀なくされ、さらに触れて伝わってきた温かい魔力に驚いて顔を上げる。
ち、近…。
ギルバートの皺が多少あっても張りも艶もある顔が間近にあり、俺は慌てて離れようとしてギルバートの胸を両手で押すが、回された右腕によって数ミリも離れられない。
「ぎ、ギル様、近い…」
顔を赤くして抗議したが、被せるように言われた。
「私もダニエルが何故言わないのか、その理由は察しましたよ。ですから私からも助言はしました」
「え……?」
ギルバートの言葉に、抵抗して押し返そうとしていた手の力が緩む。
すると、左手で俺の頬を撫でながら優しく微笑む。
「欲しいのなら奪いなさい。そう言いました」
「…それって…?」
俺は奪えというその真意がわからなかった。
「ロビンが私の元へ来ることは決定しています。それを横から掻っ攫うことは容易ではありません。ダニエルよりも位の高い公爵である私が否と言えばそれまでなのです。
と、これも言いました」
「じゃあ…どうやって…」
奪えと言いつつ認めないという言葉に首を捻る。
「それはダニエルが考えることですよ。
彼も爵位持ち。身分差はよく理解しているでしょう。
ああ…そういえば彼は今夜伯爵に陞爵するんでしたね」
「????」
ニコリとギルバートが微笑み、俺は?をいっぱい飛ばした。
今の言葉のどこが助言なのだろう。全く渡す気はないと聞こえるが、今のセリフの中にヒントがあるのだろう、と必死に頭を使う。
そんな訝しむ俺の顔を見ながらギルバートは頬をゆっくりと撫で、その親指が俺の唇に触れた。
「!」
考えることに集中し過ぎて、頬に触れた手を払うのを忘れていた俺は、ビクッとすると慌てて振り払おうとした。
だが、その両手を逆に掴まれ、呆気なく唇を奪われていた。
チュゥ、チュルと舌が吸われ絡めとられると、ゾクゾクとした快感が腰から脳天へと這い上がってくる感覚を覚え、俺は流されまいと抵抗した。
全身に筋力アップの魔法を瞬時に展開すると、掴まれた両手を振り解き、ギルバートの胸を全力で押し返す。
「おや」
通常の力ではびくともしないギルバートの体を簡単に押し返すことができ、キスから逃れた。
ギルバートは魔法によって引き剥がされ、がっかりした表情を浮かべるが、すぐに笑顔になった。
「ダニエルが私からロビンを奪える唯一の方法、知りたくありませんか?」
ニヤリと笑うギルバートに、俺は腕を突っぱねたまま眉間に皺を寄せた。
「…知りたいです」
「では」
ギルバートは俺に手を差し出し、その報酬を求めてきた。
俺は顔を歪ませてさっきの駆け引きの続きを始めたギルバートを睨む。
「知りたいですが、それは俺のただの好奇心で我儘です」
俺は身を守るようにギルバートから離れて立ち上がった。
俺の言葉にギルバートは何も言わず、ただ苦笑する。
「それに…」
俺は移動して向かい側のソファに座るとじっとギルバートを見つめた。
「きっとその方法をダニエル自身が導き出すことに意味があるんでしょう?
俺が聞いたことをダニエルに教えても、ギル様はきっとさらに覆す用意もしてあるんじゃないですか?」
俺が指摘するとギルバートの顔がゆっくりと歪み、最後には満面の笑顔になった。
「あっはっはっは」
大きめの声で楽しそうにギルバートが笑い出し、俺が言ったことが正解であったとわかった。
「意地悪ですね」
俺は苦笑しながらギルバートに言うと、彼は笑いながらも謝ってきた。
そして、そのギルバートの笑い声がオリヴィエの耳に入り、ノックと同時にドアが開けられる。
「何事!?ショーへーちゃん、大丈夫!?」
オリヴィエは向かい合って座っている俺達の位置にホッとし、ギルバートの笑う姿に唖然とした。
「大丈夫」
先ほどのキスはカウントしないことに決め、オリヴィエに何もなかったと伝えると、ギルバートは立ち上がる。
「その通りだよ、ショーヘイ君。
誰かに言われて行動するようではまだまだです。
今日の所は私の完敗ですね」
ギルバートは駆け引きに負けたと言ったが、楽しいのかまだ笑っていた。
「大丈夫。ヒントはきちんと与えましたから、彼ならきっと自分で導き出すでしょう。彼が本気ならね」
最後にギルバートはダニエルならきっとと微笑み、俺の肩をポンポンと叩く。
これで話は終わりと、共有リヴィングに戻った。
様子を伺っていたバーニーもホッとしたような表情を浮かべ、共有リヴィングのテーブルに俺が頼んだ物を広げ始める。
「カレーリアの地図、それに教皇の宮殿ですね」
ギルバートが広げられた図面を見て翔平が何を知ろうとしているのか察した。
「私もわかる範囲で説明しましょう」
彼も残ることになり、王国聖女の毒への対策を講じることになった。
ルイス宮殿で行われる式典は午後5時からで、その後すぐに夜会となる。
つまり、俺は準備が始まる3時頃まで暇なのだ。
ロイとディーはまだ陽も登っていない早朝に目を覚まし、寝ぼけている俺にキスをして王宮に戻った。
それから2度寝をして7時過ぎに起きた俺は身支度を整えてバーニーが淹れてくれたお茶を飲んで目を覚ました。
朝は食堂に行かず、軽い食事を運んでもらうと自室で食べた。
食事の途中でオリヴィエが到着し、一緒に今日のスケジュールの確認をする。
スケジュールといっても3時まではやることもない。
瑠璃宮以外は式典で慌ただしいし、邪魔にならないようにと、今日も俺は引きこもることに決定する。
ただ暇だとはいってもやることはある。
暇だからこそ、事前に考えなければと思い、バーニーにお願いした。
「カレーリアの詳細な地図があれば見せて欲しいんだ。
大聖堂や教会内部の見取り図、そして上下水道の図面とかもあれば」
「畏まりました。すぐにご用意いたします」
バーニーは俺が知ろうとしていることをすぐに理解し退室する。
「なるほどね」
オリヴィエも理解して、あたしも一緒に見せてもらうわ、と笑った。
王国聖女が力を示すパフォーマンスに毒を使うのならば、当前飲み水も警戒しなくてはならない。
水源や給水施設、川水なのか井戸水なのか、それらを把握しておいても損はないと思ったのだ。
さらに俺はユリアに伝達魔鳥を飛ばし、王国聖女が使ったとされる毒物のサンプルを分けてもらえないか確認した。
万が一のため、解毒魔法を使うことになった時、感じる違和感を事前に知ることが出来ればと考えた。
同じ毒を使うという保証はないし、濃度も違うかもしれないが、それでも考え得ることを出来るだけやっておこうと思った。
1時間もしないうちにバーニーが戻ってくるが、一緒にギルバートも瑠璃宮を訪れた。
「おはよう、ショーヘイ君。そこでちょうどバーニーに会いましてね」
「おはようございます」
笑顔で挨拶しつつ、相変わらずいつもビシッときまっているな、とタキシードに似たスーツ姿に見惚れる。
だが、ギルバートは挨拶後立ち止まることはなく、ずんずんと進んで俺に近付いてくると手をギュッと握ってきた。
「少し時間をもらえるかな?」
迫ってこられて思わず逃げ腰になるが、それよりも、ギルバートが俺に話をしに来たことに、その内容にピンと来た。
「すまないが、ショーヘイ君と2人で話がしたいので席を外してもらえないだろうか」
ギルバートは俺の手を握ったままオリヴィエを振り向く。
だが、オリヴィエは良い顔をしない。
バーニーは何かを言える立場ではないので黙しているが、ほんの少しだけ口元がひくついていた。
「ごめん、多分大事な話だから」
俺はオリヴィエに言って、2人きりにしてもらえるように頼んだ。
「ギル様。襲わないって約束出来ますか?」
「君達は私をなんだと思っているんですか」
そう文句を言うがその口元は笑っている。自分が隙あれば俺に言い寄り、かつセクハラをしていることに自覚がある証拠で、しかもそれをとても楽しんでいる。
今も俺の手を離さず、俺の腰や尻のあたりをさわさわと撫で回しているのだから、セリフと行動が真逆である。
「ショーへーちゃん、大丈夫?」
「……多分…」
それしか言えず、はははと乾いた笑いを漏らす。
これからギルバートと話すことは、間違いなくダニエルとロビンのことで、人に聞かれるわけにはいかない。
貞操の危機を感じないわけではないが、2人きりになる必要があった。
「遮音魔法は禁止よ。隣の部屋にいるから、何かあったらすぐに叫んで」
「うん。わかった」
オリヴィエは考えた末、仕方ないという表情で最大限に譲歩すると、翔平の自室リヴィングから共有リヴィングに出て行った。
彼女はドアを閉じた瞬間、バッと全身を使ってドアにへばりつき耳をくっつけ、全神経を集中して中の様子を探り始める。
それを見たバーニーは驚きつつ、思わず口を両手で抑えて笑いを堪えた。
俺はお茶を淹れますから、と丁寧に手を離させて体を離す。
ギルバートはそんな俺をじっと見つめて楽しそうに微笑んでいる。
そんな視線を背中に感じながら俺はお茶を淹れた。
「どうぞ」
「ありがとう」
受け取ったギルバートはまず香りを楽しんでから口に含む。
その一連の動きがとても優雅で、長い足を組んで座る姿も見惚れるほどかっこいいと思う。かっこよくて、とてもセクシーだ。
本当にセクハラさえなければな、と尊敬や憧れの気持ちがそのせいで半減していると心の中で笑った。
「ショーヘイ君、こちらに座ってください」
俺が自分のティーカップを持って向かい側に座ろうとすると、ギルバートは自分の隣をポンポンと手で叩き、ここに、と場所を示された。
「……」
俺はそれに思い切り眉間に皺を寄せて拒否の意を示しつつ、従わずテーブルをはさんで向かい側に座った。
ギルバートは俺の警戒にニヤリと笑う。
「それで、お話というのは」
「…の………す……」
「え?」
「…………です」
ギルバートは口を動かしているが、まるでその声が聞こえない。
隣に座らなかった腹いせのように、極小さな声で話すギルバートにイラッとしてしまった。
再び眉間に皺を寄せると、俺はため息をつきながら立ち上がり、ギルバートの隣にドサッと座り直す。
「これでいいですか?」
口を尖らせて隣のギルバートを睨みつけると、突然肩を抱かれて引き寄せられた。
「誰にも聞かれたくない話なのでね」
耳に唇が触れる距離で、ギルバートの低くいい声で囁かれる。それと同時に触れた唇とかかった息に、俺の背筋をゾワゾワとした感覚が走り抜けた。
「ひぁ…」
鳥肌が立つのと同時に顔を真っ赤にした翔平が自分の耳を手で押さえて離れる。
「ふ、普通に話してくださいよ」
耳を擦ってゾクゾクする感覚を逃がしながら言うと、ギルバートの金色の縦長の瞳孔が妖しく光りながら楽しそうに笑う。
「本当に感じやすいですね」
「そ…」
そんなんじゃないわ!と叫びたいが、叫べばオリヴィエがすっ飛んできてしまう。
無理矢理口を閉じて言葉を飲み込むと、ぐうと喉が音を立てた。
さささと体を移動させてソファの端まで逃げると、置いてあったクッションを抱えて盾にするように身構えた。
「ふふ…」
そんな小さな抵抗に、本当に可愛らしい、と笑うと本題に入ろうと姿勢を元に戻した。
「ロビンのことです」
俺はやっぱりと思いつつ、まだクッションを盾にしたまま、離れた位置で座り直した。
「私が彼をスカウトすることになっていたんですが、横槍を入れられましてね。
あぁ、スカウトの件は聞いていますよね?」
「はい」
俺はコクコクと頷く。
「今日の夜会で、直接バシリオ王に彼の譲渡をお願いする手筈だったんです」
「夜会で?それって、人前でってことですか?」
「そうです」
最初バシリオが考えていたのは、彼の受け入れ先を探してもらい、候補に上がった公国貴族とロビンを夜会で引き合わせる。
そして後日スカウトの挙手をしてもらい、正式に手続きを踏む、ということだった。
「なんか…お見合いみたいですね…」
俺は思ったことをそのまま言うと、ギルバートは笑う。
「近いものはありますね。
貴族社会において、自分の従者を他家に譲る時に行われていることなんです。
今まで忠実に仕えてくれた者を、適当な輩に渡すことは出来ませんからね。主人が引退する時などに用いられる方法なんですよ」
ギルバートが簡単に説明してくれた。
現役を引退し隠居する時、単純に契約終了ということで暇を出す、紹介状を書いて新たな勤め先を、とする場合がほとんどなのだが、優秀でかつ家族のような存在の従者の場合は、その後の行き先を選ぶパーティーを開くのだという。
主人が認めた者だけを招待したお見合いのような方法は、従者側にも選ぶ権利がある。従者にもプライドがあり、今まで仕えてきた主人と同様に、忠誠を誓える人物であるかどうかを見極めるためのお見合いだそうだ。
「残念ですが、今はそこまでする貴族は随分と減りましたけどね…」
長命種のギルバートは、昔はよくあった話だが、今ではとんと聞かなくなったと言った。
「なるほど…。それで今回ロビンを従者として連れて来たんですね」
「まあ、ロビンの場合は従者になったばかりですし、候補を選ぶのもこちら側ですからレアケースですが」
通常の主人選びのお見合いとは異なるが、手順としては正しいのだとギルバートは言った。
「彼の事情を知り、かつ理解してくれる貴族となると、限られてしまいます。
当初は私の他に、テイラー侯爵家、フィッシャー伯爵家、イグリット伯爵家なんかが候補に上がったんですよ」
俺はその候補貴族の名前に、間違いない人選だとうんうんと頷いた。
「ですが、悠長に後日とは言ってられなくなりましてね。私にということになったわけです」
「……ハルバート公爵が何かしようとしてるんですか?」
俺は今更「実子だから返せ」と言ってきた公爵が何かを企んでいると察した。
「ええ。その通りです」
ギルバートは察しのいい翔平に微笑む。
「王がロビンを従者にした時点で、公爵も察したのでしょう。
考えていた計画を実行に移す動きがありまして」
その計画がロビンを道具として使う気なんだと理解し、顔をしかめた。
昨日の夕食会後の酒の席に、公爵という身分であっても参加しなかったのは、ハルバート家の立場がかなり悪くなっているからだ。
後継であるニコラスが起こした不祥事は、いくら家とは無関係だったと言っても、実際にはかなり尾を引いているのだろう。その発言力は落ち、追い込まれている。
それを打開するために、ロビンを利用する。
きっとロビンをどこかに売る計画があるのだ。だから返せと言ってきた。そのための認知であり、道具なのだ。
家の力を取り戻すため、再び派閥を盛り上げるため、国内か他国の高位貴族に差し出されることになる。
まさに生贄にされるのだ。
俺がむぅと口を真横に結んで、怒りを表したことに、全部説明しなくても翔平はきちんと理解していると、ギルバートは微笑んだ。
「ロビンをキドナに帰すことが出来なくなりました。おそらく戻った時点で、ハルバートは強硬手段に出ます。
いくら王の従者になったとはいえ、認知した我が子を取り返す手段はいくらでもありますからね」
「なるほど、それで今夜…」
俺は納得して頷いた。
夜会で直接主人であるバシリオに譲渡をお願いし、そしてバシリオもロビンも応じる意思があるならば、その時点で彼はランドール家のものとなる。
諸々の手続きは後日となるが、夜会でそれを目撃した全員が証人となる。
両国の王や高位貴族が多数参加している状況で、否とは口出し出来ない。
言えば、ロビンの置かれた状況を知っている他貴族から非難されるのは必至だ。
そして俺は最初にギルバートが言った言葉を確認した。
「それで横槍というのは…」
横槍を入れたのがダニエルだというのがわかっているので、俺は少しドキドキしながら続きを促した。
「ロビンを欲しいと、彼をスカウトする権利を譲ってくれと言われました」
「誰に、ですか?」
俺が聞くとギルバートは勿体つけたようにニヤニヤと笑う。
「ショーヘイ君、ダニエルに何を言ったんですか?」
ギルバートは、キースと同じ質問を俺にした。
「俺は別に……」
ダニエルがどこまでギルバートに話したのかわからない以上、言葉を濁すしかない。内緒にすると約束したのだから、口が裂けても言わないと心に決めていた。
「ダニエルは理由を言ったんですか?」
「…さあ、どうでしょうね」
俺が濁したようにギルバートも濁してきた。
俺はむーと口を尖らせ、盾にしていたクッションを握り込むと口元を押し付けた。
お互いに口を閉ざし、無言の時間が続く。
だが、ギルバートは何かを閃いたのか、スッと目を細めると体を少しだけ移動する。
「ダニエルが私に何を言ったのか教えて差し上げてもいいですよ。
そのかわり、貴方からキスしてください」
「……」
なんじゃそりゃと俺は呆れてギルバートを見た。
「私がつい口を滑らせるようなキスを」
俺はジト目でギルバートを見て考える。
キスすれば教えてくれる。
ちょっとキスするだけだ。
キスなんて挨拶みたいに何度もされた。
挨拶だと思えば……。
悶々と考えて、キスして教えてもらう方向へ傾きかけた。
だが、冷静になり、客観的に自分を見て、そこまで自分を安売りする必要がどこにあるのかと思った。
今ここでギルバートから聞かなくても、今日中に結果はわかるのだ。
「教えてくださらなくても結構です」
俺は胸元に抱えていたクッションを手放してソファに置き、ソファから立ち上がる。
ギルバートは、おや、という表情を浮かべた後に、ふふふと含んだ笑いを漏らす。
「怒らないで」
そう言いながら腕を伸ばし、離れようとする俺の手を握って引き止めてきた。
「すみません、意地悪が過ぎましたね。教えますから座ってください」
「……」
俺は眉間に皺を寄せたままジト目でギルバートを見下ろし、引っ張られるままにストンとソファに座り直した。
「許してください。貴方からのキスが欲しくて」
俺の左手を握って離さず、そのまま口元に持って行くと、甲にチュッとキスを落とす。その言葉と行動が恥ずかしく感じて顔を赤くして視線を逸らした。
ギルバートは耳まで赤くなった翔平に、心の中で、可愛いとほくそ笑んだ。それと同時に今の駆け引きは負けたが、ほんの小手調べに過ぎないと、少しだけ本気を出そうと決める。
手を離して足を組み直すと話を続ける。
「ダニエルの事情、きっとショーヘイ君は聞いているんでしょう?」
事情と言われ、内容は言わないが、聞いたという事実だけは肯定し頷いた。
「ダニエルはとにかく権利を譲ってくれ、俺が彼をスカウトする、それしか言わなかったんですよ」
ギルバートはダニエルが必死な姿を思い出してくすくすと笑う。
ダニエルがギルバートの所に行ったのは、翔平に相談した次の日の夜だった。
王都邸に戻って夕食を食べていたギルバートに、アンドリューがダニエルから面会申し込みの先触れが来たと報告され、了承した。
夜9時という約束の時間ぴったりに現れたダニエルを応接室に通すと、夜遅くの訪問を詫びながら、何処か焦っている様子に、珍しいと思ったそうだ。
そしてダニエルは、スカウトする権利を譲ってくれと、それしか言わなかった。
ギルバートが理由を尋ねても話すことはなく、ただただお願いしますと頭を下げてきたという。
「ダニエルは今まで一切彼に関わって来なかったのに、突然言われてもね」
確かにその通りだ。
バシリオもキースも、彼をその境遇から救うために動いていたのに、ダニエルは突然口を出してきたのだ。それをあっさり認めることは出来ないのだろう。
「どう、答えたんですか?」
俺はおずおずと聞き返す。
「残念ながらそれは出来ないと言いました。
もうすでに私はロビンと何度も面会し、彼の素質や能力を見極めています。
彼はとても優秀ですよ。ハルバート家の道具となるよう、しっかりとした知識と教養を身につけさせられたのでしょう。頭が良く回転も早い。
戦闘執事としては年齢的にもう無理ですので、私は彼に領地管理の勉強をさせようと思っています。ゆくゆくは領主代行になれるほどの素質と才能がありますよ。
ロイの伴侶になる君にとっても、非常に有益で有能な人材です」
ギルバートは笑顔で早口に言った。
彼がここまで人を褒めるのはあまり聞いたことがない。ベタ褒めに近い表現に驚いてしまった。
それほどロビンが優秀なのだ。
ハルバート家の道具となるべく受けてきた教育がこんな所で発揮されるなんて、と俺は複雑な気持ちになってしまう。
「ですので、私としてもこのままダニエルにロビンを渡したくはありません。
彼には今言ったことをそのまま伝えましたよ」
ギルバートに悪気はない。それだけ優秀な人材だとわかれば、理由も言わず突然寄越せなんて認めるわけもない。
だが、それでも俺はしょぼんと項垂れてしまった。
ダニエルとロビンが会って何を話したのかはわからない。
だが、ダニエルが起こした行動を知った時、まさかそういう展開になるとはと驚き、嬉しくなった。
たった一度の行為で体の異常をきたすほど心が揺り動かされたのに、それを彼は罪悪感という気持ちにすり替えてしまっていた。
ダニエルは常日頃の行動が他人に揶揄されるもので、普通ではないと理解している。
亡き父親と同じ行動をしているだけだが、父親のダニーは両親の不仲を見せられ虐待を受けて1人の人を愛せなくなったためで、ダニエルとは違う。
彼はダニーから愛情を受けて育ち、血が繋がっていないが兄弟を得て、愛情がとても深い男になった。
父親とは全く別の人間で心の有り様も違うのに、行動を同じくしたことで、彼が認識しない心の奥深くでしこりとなった。
そしてロビンに対して罪悪感という形で姿を現したしこりは、勝手に『自分は相応しくない』という思い込みを生んだ。
ダニエルの話を聞いた時、俺はロビンに惚れたのかと思った。
『途中からロビンに夢中になった。どうしようもなく掻き立てられた』
あの言葉はロビンを強く求めたから起こったことではないのか。
だが、ダニエルは気持ちに気付いた様子はなかったため、俺からは何も言わなかった。
他人から恋愛感情を指摘されれば先入観が生まれてしまう。それが上手く話をまとめることもあるが、逆に強い抵抗と否定に繋がることもある。
だから言えなかった。
そんなダニエルが行動に出たと聞き、良い方向に向かっていると思ったのだが、ここで1ヶ月の放置という障害が立ち塞がった。
ギルバートはいつもの翔平の考え込む癖を見て、くすくすと笑う。
静かに体を寄せても、翔平は考え事に集中して全く気付かない。
それをいいことに、ギルバートはギリギリまで近付くと、次の瞬間翔平の体を抱きしめるように引き寄せる。
「あ!え!?」
突然抱き寄せられ、翔平は思考の中断を余儀なくされ、さらに触れて伝わってきた温かい魔力に驚いて顔を上げる。
ち、近…。
ギルバートの皺が多少あっても張りも艶もある顔が間近にあり、俺は慌てて離れようとしてギルバートの胸を両手で押すが、回された右腕によって数ミリも離れられない。
「ぎ、ギル様、近い…」
顔を赤くして抗議したが、被せるように言われた。
「私もダニエルが何故言わないのか、その理由は察しましたよ。ですから私からも助言はしました」
「え……?」
ギルバートの言葉に、抵抗して押し返そうとしていた手の力が緩む。
すると、左手で俺の頬を撫でながら優しく微笑む。
「欲しいのなら奪いなさい。そう言いました」
「…それって…?」
俺は奪えというその真意がわからなかった。
「ロビンが私の元へ来ることは決定しています。それを横から掻っ攫うことは容易ではありません。ダニエルよりも位の高い公爵である私が否と言えばそれまでなのです。
と、これも言いました」
「じゃあ…どうやって…」
奪えと言いつつ認めないという言葉に首を捻る。
「それはダニエルが考えることですよ。
彼も爵位持ち。身分差はよく理解しているでしょう。
ああ…そういえば彼は今夜伯爵に陞爵するんでしたね」
「????」
ニコリとギルバートが微笑み、俺は?をいっぱい飛ばした。
今の言葉のどこが助言なのだろう。全く渡す気はないと聞こえるが、今のセリフの中にヒントがあるのだろう、と必死に頭を使う。
そんな訝しむ俺の顔を見ながらギルバートは頬をゆっくりと撫で、その親指が俺の唇に触れた。
「!」
考えることに集中し過ぎて、頬に触れた手を払うのを忘れていた俺は、ビクッとすると慌てて振り払おうとした。
だが、その両手を逆に掴まれ、呆気なく唇を奪われていた。
チュゥ、チュルと舌が吸われ絡めとられると、ゾクゾクとした快感が腰から脳天へと這い上がってくる感覚を覚え、俺は流されまいと抵抗した。
全身に筋力アップの魔法を瞬時に展開すると、掴まれた両手を振り解き、ギルバートの胸を全力で押し返す。
「おや」
通常の力ではびくともしないギルバートの体を簡単に押し返すことができ、キスから逃れた。
ギルバートは魔法によって引き剥がされ、がっかりした表情を浮かべるが、すぐに笑顔になった。
「ダニエルが私からロビンを奪える唯一の方法、知りたくありませんか?」
ニヤリと笑うギルバートに、俺は腕を突っぱねたまま眉間に皺を寄せた。
「…知りたいです」
「では」
ギルバートは俺に手を差し出し、その報酬を求めてきた。
俺は顔を歪ませてさっきの駆け引きの続きを始めたギルバートを睨む。
「知りたいですが、それは俺のただの好奇心で我儘です」
俺は身を守るようにギルバートから離れて立ち上がった。
俺の言葉にギルバートは何も言わず、ただ苦笑する。
「それに…」
俺は移動して向かい側のソファに座るとじっとギルバートを見つめた。
「きっとその方法をダニエル自身が導き出すことに意味があるんでしょう?
俺が聞いたことをダニエルに教えても、ギル様はきっとさらに覆す用意もしてあるんじゃないですか?」
俺が指摘するとギルバートの顔がゆっくりと歪み、最後には満面の笑顔になった。
「あっはっはっは」
大きめの声で楽しそうにギルバートが笑い出し、俺が言ったことが正解であったとわかった。
「意地悪ですね」
俺は苦笑しながらギルバートに言うと、彼は笑いながらも謝ってきた。
そして、そのギルバートの笑い声がオリヴィエの耳に入り、ノックと同時にドアが開けられる。
「何事!?ショーへーちゃん、大丈夫!?」
オリヴィエは向かい合って座っている俺達の位置にホッとし、ギルバートの笑う姿に唖然とした。
「大丈夫」
先ほどのキスはカウントしないことに決め、オリヴィエに何もなかったと伝えると、ギルバートは立ち上がる。
「その通りだよ、ショーヘイ君。
誰かに言われて行動するようではまだまだです。
今日の所は私の完敗ですね」
ギルバートは駆け引きに負けたと言ったが、楽しいのかまだ笑っていた。
「大丈夫。ヒントはきちんと与えましたから、彼ならきっと自分で導き出すでしょう。彼が本気ならね」
最後にギルバートはダニエルならきっとと微笑み、俺の肩をポンポンと叩く。
これで話は終わりと、共有リヴィングに戻った。
様子を伺っていたバーニーもホッとしたような表情を浮かべ、共有リヴィングのテーブルに俺が頼んだ物を広げ始める。
「カレーリアの地図、それに教皇の宮殿ですね」
ギルバートが広げられた図面を見て翔平が何を知ろうとしているのか察した。
「私もわかる範囲で説明しましょう」
彼も残ることになり、王国聖女の毒への対策を講じることになった。
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