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2人の聖女編 〜惨劇の結末〜
360.おっさん、守りに入る/惨劇の結末8
カーターの辞退の言葉に沈黙が訪れる。
今ここでカーターが辞退すれば、残るはリアムだけとなり、必然的に彼が教皇に選ばれることになる。選挙そのものが無くなることを意味した。
「一応、理由を聞かせてもらえるか」
リーが癖のように顎鬚を撫でながら冷静に尋ねる。責任を取ってと言ったが、その一言で片付けられるほど、事は小さくない。
「私もまんまと騙された。まさかエレノアの奇跡が自作自演だなんて思いもしなかったよ」
カーターは深いため息をつきながら言った。
俺達は心の中で「白々しい」と思いつつも表情にも口も出さずに最後まで聞く。
カーターは用意していた筋書きの中の一つを語る。
全てエレノアの独断の行動によるもので、自分もまた騙された1人であるとする。
エレノアが犯人だとバレた今なら、あの女が何を言おうが誰も信用するわけがない。
都合が良いことに、エレノアは自作自演がバレて心神喪失状態に陥った。状況を飲み込めず、受け入れることも、考えることも放棄している。
「私が彼女と出会ったのは5年前だ。視察に出向いた先で不幸な事件があり、彼女は両親を含めた身内全てを失って天涯孤独となってしまった。
私は偶然その惨事に遭遇し、ここで出会ったのも何かの縁だと、彼女を司教区の孤児院で引き取ることにしたのだ」
俺はカーターの話と黒騎士の調査報告を頭の中で照らし合わせる。
カーターとエレノアが出会ったのは約6年前。
そこからカーターは彼女の薬学の知識を利用して毒を作らせ、暗殺を繰り返した。それにジェラール王家も加担、便乗している。
5年前というのは、エレノアが聖教会に入信した時のことを言っている。正確には入信ではなくカーターが彼女を囲った時期だ。
不幸な事件は、囲う直前にあったエレノアの両親を含む『ナストラの聖女の子孫一族』の殺害事件のことだ。一族が隠れ住んでいた集落を襲い、一族全員何十人も殺しておきながら、単なる事故であるかのような言い方に怒りが湧き起こった。
「入信し、家族を亡くした悲しみからか、彼女は懸命に神に祈りを捧げるようになった。
彼女が癒しの力を見せたのは、入信して3年後のことだ。一度のヒールで複数人を癒す力を見て驚いたよ。
彼女は元々薬師一族の子で、人々を治療し救いたいという思いが人一倍強かったのだろう。そんな彼女の願いに神が応えるように、癒しの力を顕現させたのだ」
カーターはゆっくりと過去のことを思い出すように、感情を込めて語る。
「彼女はまさに神が今この時代に授けてくれた聖女だと思ったのだ。
だからこそ、彼女のためだけの礼拝室を作り、より神への感謝と忠誠を注ぐことに集中させた。彼女も今よりも多くの人を癒したいとそれを望んだのだ。
毎日毎日ひたすら神へ祈る姿は多くの人の心を打ったよ」
エレノアを語りながら自分に酔いしれるように話すカーターに、俺は嫌悪を抱き鳥肌が立った。はっきりと気持ち悪いと思い、吐き気すら感じる。
「そして数ヶ月前、視察に同行させた時に立ち寄った村で食中毒事件が起こった。
彼女は目の前で奇跡を起こし、ただの水を解毒薬に変えた。修行の成果が出たのだと、私は歓喜に打ち震えた」
熱弁を振るうカーターの言葉を誰も遮らない。じっと彼の言葉を聞き、飲み込んで行く。
何も知らない者が聞けば、彼もまたエレノアに騙された被害者だと思っても仕方がないだろう。
それほどカーターの語りは声や抑揚によって劇的な印象を与えていた。
案の定、傍にいる司教2人や数人はカーターの語りに引き込まれるように聞き入っている。カーターを、その言葉を信じるような目を向けていた。
これこそがカーターが大司教になった理由の一つでもある。
彼の言葉、話し方、演技力には人を惹きつけるものがある。
俺はカーターの話を聞きながら、俳優か政治家向きだな、と馬鹿にしたように考えていた。
「だが、全て偽物だったのだな…。食中毒ではなく毒だった…。
エレノアはより自分の力を示し、聖女として認められようと、暴挙に至った…」
悲しそうにガックリと項垂れ、これみよがしに大きなため息をつく。
「認めよう。彼女が聖女になることに固執したのは私のせいだ。
お前は聖女だと讃え、褒め、もっと人々を救えと奮起させた…。
きっと彼女はそのプレッシャーに耐えられなかったのだろう……」
ここにきてカーターは彼女の心が病んだという話を持ち出した。
過度な期待と重圧が今回のことを引き起こすことに繋がったと、反省するようなことを口にする。
「私は……彼女に聖教会の聖女となってもらいたかったのだ。
伝説でしか存在していなかった聖女が、聖教会の信徒から現れる。創造神への祈りが聖女を生んだ。聖教会の教えは正しい。祈りは必ず創造神に通じることを、聖教会の聖女となり万人に知らしめてくれると……」
ここで一度言葉を切り、カーターは項垂れながら席に座った。
「私の責任だ。彼女の所業に気付かず、信徒である彼女を救えず、彼女を壊してしまった…。
だから私は辞退する。教皇になる資格はない」
「カーター様…」
配下の司教が頭を抱え込んだカーターを慰めるように声を出す。
「……お前の言い分はわかった」
辞退の理由を聞き、リーが納得するように言い仲間達の顔を見渡して聞いた。
「私は本人がこう言っているのだから、辞退を受け入れようと思うが、皆はどうかね?」
「私も本人の意思なら仕方がないと思うわ」
「いやしかし…。確かにカーターが彼女を連れてきたわけだが、カーターも騙されていたのだろう?辞退する必要は…」
「そうだ。カーターは聖教会のため良かれと思って…」
「だが…」
「でも…」
大司教達が話し合いを始め、ロイとディーは顔を見合わせた。
「すまんが、辞退を受け入れるかどうかは、俺達の話を聞いてからにしてくれ」
ロイが大司教達の話合いを打ち切るように言った。
カーターは俯いて項垂れる演技をしながら、舌打ちした。
目的だった教皇就任を諦めたのだ。もういいだろう、終わりにしろと言いたいが、口を出すわけにも行かない。
「まだ何かありますか?」
「ああ。ある」
まだ終わっていないとロイは全員の顔を見渡すと、大司教達は怪訝な表情をした。
「毒をどうやって入手したのか、という話です」
「まぁ確かに…。でもそれはエレノアに聞けばわかることですよね」
「ああ、そうだな。だが、当の本人がこんな状態じゃな」
ロイがエレノアを振り向き、呆然自失に陥っている様子を示す。
「先ほども言いましたが、毒は化合物で誰かが作ったものでした。
では誰が作ったのか」
「そんな物を公国に持ち込まれた以上、このまま有耶無耶にすることは出来ん」
ロイが断言したように言い切る。
「まさか、殿下方はその入手経路にも心当たりがあるんですか?」
毒について語る2人に、サリーンがいち早く、今この場で毒の入手経路を突き止める必要があるのだと気付いた。
「その通りです」
ディーが即答し、シーゲルへ視線を向け合図を送る。
シーゲルは静かに頷くと部下に指示を出す。黒騎士が1人近付き、彼女に持っていた書類ケースを渡した。
カーターは顔を上げその一連の動作を見ながら、また別の自作自演の、毒の証拠を出してくるのだと思った。
毒は入手したのではなく、彼女が作った。闇市場や反社会組織、毒を扱うブローカーから仕入れたわけではない。
毒の材料は薬師ならば手に入れらるもので、街の薬店に売られている。大蜘蛛の毒も薬の一つで、一度に大量に購入しない限り足がつくことはない。
書類ケースから紙の束を取り出してディーゼルに渡すのをじっと見つめ、ただの書類ではなく何かの建物の図面であることに気付く。
図面?設計図か?
なぜそんな物をと考え、すぐに先ほど自分が言った言葉を思い出した。
『彼女のためだけの礼拝室を作った』
カーターはヒュッと息を呑み、瞬間的に悟った。
ガタンと大きな音が響き、書類を受け取ったディーを見ていた大司教達が、音のした方へ視線を向ける。
そこに、椅子をひっくり返して立ち上がり、顔面蒼白になったカーターの姿を見た。
「どうしました?座ってください」
ディーが手を止めてカーターを正面から見据えながら低い声で言った。
「……そ、それ、は…」
カーターは掠れた声で呟くと、ディーはカーターを睨みつけたまま、受け取った折り畳まれた紙をテーブルの上に広げる。
「お察しの通りですよ」
「………」
カーターは広げられた図面へ目を向け、すぐにエレノアの礼拝室がある場所で視線を止めた。
その図面には、はっきりと礼拝室に地下があることが描かれている。
何故これがここにある。
当時の図面は改築工事の終了とともに目の前で焼却処分させた。かつ手の者を仕向け、工事関係者を事故に見せかけて処分し、生かしても記憶改竄の魔法をかけて、記憶から抹消した。
存在していない物がここにあるということは、調査し新たに図面に起こしたということだ。
カーターは全てを悟った。
こんな周りくどく進めたのは、全てエレノアや自分から言質を引き出すためだった。
公国聖女を貶める噂を調査した時点で、何もかも調べ尽くしたのだ。
全部何もかもわかった上で証言を引き出し、裏付けるように証拠を出す。一切言い逃れ出来ないように、外堀を埋められた。
終わった。
語るに落ちるとはこのことだ。
聞かれてもいないのに、自分から言ってしまったと気付いた時にはもう遅かった。
「これは?見たところ教会の図面のようだが…」
カーターが愕然と立ちつくす様子を訝しみながら、ロダンが広げられた図面を見つめる。
「これは、現在のカーター司教座聖堂の図面だ」
「先ほどカーターが3年前にエレノアの礼拝室を用意したと言いましたが、実際は5年前です。彼女が信者になってからすぐの話なんですよ。信徒達の証言もあります」
ディーはその食い違いを指摘し、図面の中の1箇所を指さす。
「ここが、そうです」
示したのは、司教座聖堂にある大聖堂から居住区に続く1階の廊下だった。
「元々は別の用途で使われていた部屋を、礼拝室として改築したようです」
その部屋の両脇にも同じような部屋があり、資料室や倉庫として使われている記載があった。
「んで、こっちが建物の断面図だ」
ロイが平面図と断面図の位置を合わせるように重ねて置くと、エレノアの礼拝室の真下にもう一部屋、大きな部屋があることがわかった。
「地下室?」
図面上では礼拝室の倍はありそうな地下室が真上から降りられるようになっていた。
「そう地下室です。そこが彼女の本当の礼拝室になります」
ディーがニヤリと笑い、カーターを見た。
2つの毒の犯人を突き止め、エレノアの自作自演の奇跡も暴いた。
そして、カーターが不用意に言ったエレノアとの関係説明から欲しい言葉も引き出した。
もう出し惜しみする必要はなく一気に手に入れた証拠と情報を開示する。
カーターの驚愕した様子から、抵抗し言い訳したとしても、その全てを論破する用意がこちらにはあると、すでに何もかも突き止めていることを理解しただろう。
「本当の礼拝室?」
「そうです。正しくは礼拝室ではなく調合室ですね」
「…調合……?」
「はい。礼拝室内の祭壇の下に出入口が隠されています。誰も地下にそんなものがあること知りません」
「毎日毎日、熱心に祈りを捧げるフリをして、調合室にこもっていたんだ」
ロイとディーがエレノアが何をしていたのかをバラし、大司教達はゆっくりと頭の中で情報を飲み込み、理解していく。
「毒を、調合していたのか」
「解毒薬も、作ってた…」
「そうです。カーターも言っていたでしょう?彼女は薬師一族の者だと」
ディーはニコリと笑顔を作り、大司教達は目を大きく見開いて、立ちつくすカーターへ視線を向けた。
「エレノアは薬師を生業としていた一族の生き残りだ。カーターと出会った頃にはすでに一人前の薬師だった」
「……カーター。貴様、子供だったエレノアに毒を作らせていたのか」
エレノアは現在21歳。その5年前からと知り、数人は子供になんてことをさせていたのかと青ざめた。
リーが低い声でカーターに問いかけるが、カーターは立ち尽くしたまま答えなかった。
ここで疑いを否定しても、さらに別の証拠も確実にあると悟り、もう手遅れだと、カーターは何も言わなかった。
「自作自演の奇跡も、お前の指示か」
「全て教皇になるために、お前が仕組んだのか」
「何年も前から計画していたんだな!!」
「よくもこんな!!」
「恥を知れ!!!」
大司教の数人が立ち上がって怒鳴り、口々にカーターを罵り始めたが、反論出来るはずもない。全ては紛れもない事実で覆す言い訳も、逃れるための道筋も、もう無い。
カーターは口を閉じたままギリギリと奥歯を噛み締めて悔しそうに目を細め、両拳を強く握りしめる。
両脇に座っている司教はカーターを見上げ、その目に涙を溜めていた。
違う、そんなはずはないとカーターを擁護したいが、カーター本人が何も言わないことで事実だと受け止めるしかなかった。信頼していたカーターに裏切られていたと理解して脱力し、何も言うことも動くことも出来なかった。
「殿下、念の為に聞きますが、証拠はあるんですね?」
そんな中冷静にサリーンが尋ねる。
「これからいくらでも証拠は見つかるでしょう」
「すでに外務局を通じて聖王国側の当局と連携を取っている」
サリーンの目を見て答え、すぐにカーターへ視線を移した。
「今頃、お前の司教座聖堂にガサ入れが入っている。晩餐会と同時に関係各所に一斉捜索に入るようになっていたんだ」
カーターの目が大きく見開き、その言葉に愕然とした。
「な……そん…」
そんなこと出来るわけがない、とカーターは言おうとして、カラカラに乾いた喉で上手く声に出すことが出来なかった。
「無理だと言いたそうだな」
だがロイはフンと鼻を鳴らす。
「残念だが事実だ。現ジェラール王家とお前の癒着も捜査対象で、こっちは最初からそのつもりで動いていた」
最初からと言われ、カーターはまんまと出し抜かれ、泳がされていたことを知った。
素知らぬ顔をして、エレノアの魔力測定に立ち合い、澄ました表情で挨拶を交わしたあの時も、彼らはすでに見抜き動いていた。
そんな彼らの前で、些細な状況の変化にも対応出来る完璧な計画だと酔っていた。
もうとっくに計画は破綻していたのだ。
その事実を晒され、カーターは羞恥心に襲われる。今まで感じたことがないほどの恥ずかしさが込み上げ、顔を赤くした。
「カーター」
そして静かな声でロマが話しかける。
「策に溺れたね。あんたが失敗した最大の要因はショーヘイを巻き込んだことだよ」
冷静に分析するように言われ、カーターは頭に血が上る。
そうだ。
数ヶ月前、公国に本物の聖女が現れるまでは、何事もなく粛々と計画は進んでいたのだ。
だが、公国聖女の登場により計画は大きく変更を余儀なくされた。
大きく狂うことになった計画を修正だけで押し進めたのは、5年以上の歳月をかけた計画を無駄にしたくないという感情のせいだった。
その感情はエレノアに起因する。
彼女と行動を共にする内に、彼女の欲に呑まれてしまった。利用し操っていたつもりが、彼女の心に触れ影響を受けてしまっていた。
それもこれも、公国聖女のせいだ。
計画を変更したのも、公国が調査に乗り出したのも、全部聖女のせい。
あいつが現れなければ、何もかも上手く行った。
カーターの中で沸々と静かに怒りが湧き起こる。
カーターが黙り込んだのを尻目に、大司教達は暴かれたカーターの企みに顔をしかめていた。
「殿下、連携というのは……」
ロダンが思ったことを確かめるように尋ねる。
「ご想像の通りですよ。現王の姉君、アデレイド様を通じて、公爵閣下を中心に動いています」
「聖王国軍、内政、司法関係にも手は回っている」
サイファーやダリア、アランが動いた結果だった。
たった数週間しか時間がなかったが、ダリアがまずアデレイドへ密書を送り、サイファーが王と宰相に次ぐ権力者だったアデレイドの夫であるバッカス公爵を動かした。
戦争後、元々瓦解寸前だった現王政権に対して、公爵は反勢力組織を一気にまとめ上げた。戦争反対派だった貴族や大臣達、軍関係者は未だに現王に対する不信感を持ったままずっと燻っていたため、現王の姉アデレイド、そして王弟であるヘンリーを擁立して組織が形成されるまでさほど時間は必要としなかった。
アランが軍や騎士団を動かして、演習と称して国境沿いに集結し圧力をかけたことで、聖王国軍の指揮系統は混乱に陥り、そこに元将軍だったバッカス公爵が乗り込み、全てを掌握した。
アデレイドとヘンリーが内政を、バッカスが軍、騎士団を掌握し、今日の晩餐会と同じ1月31日の午後6時に一斉蜂起したのだ。
公国がやったことは他国への内政干渉に抵触するだろう。
だが、彼らはその辺も上手く動いている。あくまでもきっかけは公国聖女であり、そこで掴んだ情報を提供しただけに過ぎず、公爵を誘導したわけでもない。
ダリアとアデレイドは王族に連なる女性として建前上の親交があったため、密書という形であっても、アデレイドを心配する内容で送っている。
彼女なら、その内容を正確に理解すると踏んだためだが、案の定すぐにバッカス公爵側から接触を受けた。
やったのは、裏で情報や証拠を提供することだけで、その出所が公国であるとわからなくなっている。公爵もそれを重々承知した上で、公国の介入はアデレイドと公爵の胸の内だけにしまわれている。
公国にとってはカーターとエレノアは聖王国籍の外国人なのだ。ましてカーターはジェラール王家と親密な関係にあり、こちらで捕らえても横槍を入れられ、ただ聖王国に身柄を引き渡すだけになる可能性が高かった。それでは意味がない。
確実に息の根を止めるには、カーターを擁護する現ジェラール王家も破滅させねばならなかったのだ。
アデレイドもバッカスも、そのことを充分に理解した上で、カーターを確実に追い詰めるという意思を公国に示した。
公国の目的は翔平を貶めようとしたカーターとエレノアを罪人として捕らえ、罪を明らかにして裁くこと。
バッカス公爵はカイル王を更迭し、政権を奪取すること。
お互いに利害が一致し、貸し借りなしという暗黙の了解で動いている。
たった数週間で反勢力を組織出来たということはとても異常なことであるが、裏を返せば、そこまで聖王国の現政権が綱渡状態であったことの証拠であった。
だが、それだけではない。
これから始まるのだ。
2人の聖女というきっかけで、聖王国、そして聖教会も大きく揺らぐことになる。
それは今ここで明らかにすることではないので、ロイとディーは差し障りのないことだけを説明すると、聖王国の現状を知っている大司教達は感心したように小さく笑った。
カーターだけでなく、その周囲にも逃げ場を失わせて追い込むやり方に、数人は「敵に回したくない」とゾッとする。
カーターは自分が招いた結果だと理解していても、それを受け入れることが出来なかった。
怒りに頭が支配され、爆発しそうになる感情を必死に抑え込む。
「殿下、もうよろしいですね?」
リアムが立ち上がって尋ねながら聖騎士に声をかけた。
ロイ達は頷きながら後ろに下がるが、その目線は騎士達に向けて合図を送る。
「カーターを拘束してください。彼女も……」
リアムが2人を拘束するように指示を出し、駆け寄ってきた聖騎士がそれぞれに近寄った。
だが、その瞬間、エレノアの体から爆発したような衝撃と風が起こる。
「どうしてよ!!!!」
その衝撃波に聖騎士2人は吹き飛ばされ、アビゲイルと黒騎士2人が瞬時に防御壁を展開しながらエレノアの腕を掴もうとする。
だが、反発し合う磁石のように掴むことは出来なかった。3人が腕を伸ばしても押し返され、腕が弾かれる。
「防御壁展開!!!」
ロイが怒鳴り、数人が魔力風に煽られて椅子ごと倒れ、立ち上がった数人はかろうじて転ばなかったものの、突然襲ってきた魔力風の圧に立っているのがやっとだった。
大柄なロダンが周囲にいた仲間達を庇って立ち塞がり、少々手荒ではあるが黒騎士が倒れた司教の後ろ襟を掴んで引っ張り1箇所に集め、ロダンと黒騎士6人で大規模な防御結界を張った。
ジャニスとウィルが、カーターと聖騎士、そして残されていた実行犯1人を守り、オリヴィエとエミリアが翔平とエミールを守る。
やはりこうなった!
俺は立ち上がると自分とエミールの前に防御魔法を展開した。
エレノアが魔力暴走を引き起こし、その膨大な魔力が溢れ出す。
彼女を拘束しようとアビゲイル達に加えてロイとディーも近付こうとするが、エレノアから放たれる魔力は、他者を拒絶し、受け付けなかった。
その目は焦点が合わず、正気も失っている。
だが、とめどなく涙が流れていた。
今ここでカーターが辞退すれば、残るはリアムだけとなり、必然的に彼が教皇に選ばれることになる。選挙そのものが無くなることを意味した。
「一応、理由を聞かせてもらえるか」
リーが癖のように顎鬚を撫でながら冷静に尋ねる。責任を取ってと言ったが、その一言で片付けられるほど、事は小さくない。
「私もまんまと騙された。まさかエレノアの奇跡が自作自演だなんて思いもしなかったよ」
カーターは深いため息をつきながら言った。
俺達は心の中で「白々しい」と思いつつも表情にも口も出さずに最後まで聞く。
カーターは用意していた筋書きの中の一つを語る。
全てエレノアの独断の行動によるもので、自分もまた騙された1人であるとする。
エレノアが犯人だとバレた今なら、あの女が何を言おうが誰も信用するわけがない。
都合が良いことに、エレノアは自作自演がバレて心神喪失状態に陥った。状況を飲み込めず、受け入れることも、考えることも放棄している。
「私が彼女と出会ったのは5年前だ。視察に出向いた先で不幸な事件があり、彼女は両親を含めた身内全てを失って天涯孤独となってしまった。
私は偶然その惨事に遭遇し、ここで出会ったのも何かの縁だと、彼女を司教区の孤児院で引き取ることにしたのだ」
俺はカーターの話と黒騎士の調査報告を頭の中で照らし合わせる。
カーターとエレノアが出会ったのは約6年前。
そこからカーターは彼女の薬学の知識を利用して毒を作らせ、暗殺を繰り返した。それにジェラール王家も加担、便乗している。
5年前というのは、エレノアが聖教会に入信した時のことを言っている。正確には入信ではなくカーターが彼女を囲った時期だ。
不幸な事件は、囲う直前にあったエレノアの両親を含む『ナストラの聖女の子孫一族』の殺害事件のことだ。一族が隠れ住んでいた集落を襲い、一族全員何十人も殺しておきながら、単なる事故であるかのような言い方に怒りが湧き起こった。
「入信し、家族を亡くした悲しみからか、彼女は懸命に神に祈りを捧げるようになった。
彼女が癒しの力を見せたのは、入信して3年後のことだ。一度のヒールで複数人を癒す力を見て驚いたよ。
彼女は元々薬師一族の子で、人々を治療し救いたいという思いが人一倍強かったのだろう。そんな彼女の願いに神が応えるように、癒しの力を顕現させたのだ」
カーターはゆっくりと過去のことを思い出すように、感情を込めて語る。
「彼女はまさに神が今この時代に授けてくれた聖女だと思ったのだ。
だからこそ、彼女のためだけの礼拝室を作り、より神への感謝と忠誠を注ぐことに集中させた。彼女も今よりも多くの人を癒したいとそれを望んだのだ。
毎日毎日ひたすら神へ祈る姿は多くの人の心を打ったよ」
エレノアを語りながら自分に酔いしれるように話すカーターに、俺は嫌悪を抱き鳥肌が立った。はっきりと気持ち悪いと思い、吐き気すら感じる。
「そして数ヶ月前、視察に同行させた時に立ち寄った村で食中毒事件が起こった。
彼女は目の前で奇跡を起こし、ただの水を解毒薬に変えた。修行の成果が出たのだと、私は歓喜に打ち震えた」
熱弁を振るうカーターの言葉を誰も遮らない。じっと彼の言葉を聞き、飲み込んで行く。
何も知らない者が聞けば、彼もまたエレノアに騙された被害者だと思っても仕方がないだろう。
それほどカーターの語りは声や抑揚によって劇的な印象を与えていた。
案の定、傍にいる司教2人や数人はカーターの語りに引き込まれるように聞き入っている。カーターを、その言葉を信じるような目を向けていた。
これこそがカーターが大司教になった理由の一つでもある。
彼の言葉、話し方、演技力には人を惹きつけるものがある。
俺はカーターの話を聞きながら、俳優か政治家向きだな、と馬鹿にしたように考えていた。
「だが、全て偽物だったのだな…。食中毒ではなく毒だった…。
エレノアはより自分の力を示し、聖女として認められようと、暴挙に至った…」
悲しそうにガックリと項垂れ、これみよがしに大きなため息をつく。
「認めよう。彼女が聖女になることに固執したのは私のせいだ。
お前は聖女だと讃え、褒め、もっと人々を救えと奮起させた…。
きっと彼女はそのプレッシャーに耐えられなかったのだろう……」
ここにきてカーターは彼女の心が病んだという話を持ち出した。
過度な期待と重圧が今回のことを引き起こすことに繋がったと、反省するようなことを口にする。
「私は……彼女に聖教会の聖女となってもらいたかったのだ。
伝説でしか存在していなかった聖女が、聖教会の信徒から現れる。創造神への祈りが聖女を生んだ。聖教会の教えは正しい。祈りは必ず創造神に通じることを、聖教会の聖女となり万人に知らしめてくれると……」
ここで一度言葉を切り、カーターは項垂れながら席に座った。
「私の責任だ。彼女の所業に気付かず、信徒である彼女を救えず、彼女を壊してしまった…。
だから私は辞退する。教皇になる資格はない」
「カーター様…」
配下の司教が頭を抱え込んだカーターを慰めるように声を出す。
「……お前の言い分はわかった」
辞退の理由を聞き、リーが納得するように言い仲間達の顔を見渡して聞いた。
「私は本人がこう言っているのだから、辞退を受け入れようと思うが、皆はどうかね?」
「私も本人の意思なら仕方がないと思うわ」
「いやしかし…。確かにカーターが彼女を連れてきたわけだが、カーターも騙されていたのだろう?辞退する必要は…」
「そうだ。カーターは聖教会のため良かれと思って…」
「だが…」
「でも…」
大司教達が話し合いを始め、ロイとディーは顔を見合わせた。
「すまんが、辞退を受け入れるかどうかは、俺達の話を聞いてからにしてくれ」
ロイが大司教達の話合いを打ち切るように言った。
カーターは俯いて項垂れる演技をしながら、舌打ちした。
目的だった教皇就任を諦めたのだ。もういいだろう、終わりにしろと言いたいが、口を出すわけにも行かない。
「まだ何かありますか?」
「ああ。ある」
まだ終わっていないとロイは全員の顔を見渡すと、大司教達は怪訝な表情をした。
「毒をどうやって入手したのか、という話です」
「まぁ確かに…。でもそれはエレノアに聞けばわかることですよね」
「ああ、そうだな。だが、当の本人がこんな状態じゃな」
ロイがエレノアを振り向き、呆然自失に陥っている様子を示す。
「先ほども言いましたが、毒は化合物で誰かが作ったものでした。
では誰が作ったのか」
「そんな物を公国に持ち込まれた以上、このまま有耶無耶にすることは出来ん」
ロイが断言したように言い切る。
「まさか、殿下方はその入手経路にも心当たりがあるんですか?」
毒について語る2人に、サリーンがいち早く、今この場で毒の入手経路を突き止める必要があるのだと気付いた。
「その通りです」
ディーが即答し、シーゲルへ視線を向け合図を送る。
シーゲルは静かに頷くと部下に指示を出す。黒騎士が1人近付き、彼女に持っていた書類ケースを渡した。
カーターは顔を上げその一連の動作を見ながら、また別の自作自演の、毒の証拠を出してくるのだと思った。
毒は入手したのではなく、彼女が作った。闇市場や反社会組織、毒を扱うブローカーから仕入れたわけではない。
毒の材料は薬師ならば手に入れらるもので、街の薬店に売られている。大蜘蛛の毒も薬の一つで、一度に大量に購入しない限り足がつくことはない。
書類ケースから紙の束を取り出してディーゼルに渡すのをじっと見つめ、ただの書類ではなく何かの建物の図面であることに気付く。
図面?設計図か?
なぜそんな物をと考え、すぐに先ほど自分が言った言葉を思い出した。
『彼女のためだけの礼拝室を作った』
カーターはヒュッと息を呑み、瞬間的に悟った。
ガタンと大きな音が響き、書類を受け取ったディーを見ていた大司教達が、音のした方へ視線を向ける。
そこに、椅子をひっくり返して立ち上がり、顔面蒼白になったカーターの姿を見た。
「どうしました?座ってください」
ディーが手を止めてカーターを正面から見据えながら低い声で言った。
「……そ、それ、は…」
カーターは掠れた声で呟くと、ディーはカーターを睨みつけたまま、受け取った折り畳まれた紙をテーブルの上に広げる。
「お察しの通りですよ」
「………」
カーターは広げられた図面へ目を向け、すぐにエレノアの礼拝室がある場所で視線を止めた。
その図面には、はっきりと礼拝室に地下があることが描かれている。
何故これがここにある。
当時の図面は改築工事の終了とともに目の前で焼却処分させた。かつ手の者を仕向け、工事関係者を事故に見せかけて処分し、生かしても記憶改竄の魔法をかけて、記憶から抹消した。
存在していない物がここにあるということは、調査し新たに図面に起こしたということだ。
カーターは全てを悟った。
こんな周りくどく進めたのは、全てエレノアや自分から言質を引き出すためだった。
公国聖女を貶める噂を調査した時点で、何もかも調べ尽くしたのだ。
全部何もかもわかった上で証言を引き出し、裏付けるように証拠を出す。一切言い逃れ出来ないように、外堀を埋められた。
終わった。
語るに落ちるとはこのことだ。
聞かれてもいないのに、自分から言ってしまったと気付いた時にはもう遅かった。
「これは?見たところ教会の図面のようだが…」
カーターが愕然と立ちつくす様子を訝しみながら、ロダンが広げられた図面を見つめる。
「これは、現在のカーター司教座聖堂の図面だ」
「先ほどカーターが3年前にエレノアの礼拝室を用意したと言いましたが、実際は5年前です。彼女が信者になってからすぐの話なんですよ。信徒達の証言もあります」
ディーはその食い違いを指摘し、図面の中の1箇所を指さす。
「ここが、そうです」
示したのは、司教座聖堂にある大聖堂から居住区に続く1階の廊下だった。
「元々は別の用途で使われていた部屋を、礼拝室として改築したようです」
その部屋の両脇にも同じような部屋があり、資料室や倉庫として使われている記載があった。
「んで、こっちが建物の断面図だ」
ロイが平面図と断面図の位置を合わせるように重ねて置くと、エレノアの礼拝室の真下にもう一部屋、大きな部屋があることがわかった。
「地下室?」
図面上では礼拝室の倍はありそうな地下室が真上から降りられるようになっていた。
「そう地下室です。そこが彼女の本当の礼拝室になります」
ディーがニヤリと笑い、カーターを見た。
2つの毒の犯人を突き止め、エレノアの自作自演の奇跡も暴いた。
そして、カーターが不用意に言ったエレノアとの関係説明から欲しい言葉も引き出した。
もう出し惜しみする必要はなく一気に手に入れた証拠と情報を開示する。
カーターの驚愕した様子から、抵抗し言い訳したとしても、その全てを論破する用意がこちらにはあると、すでに何もかも突き止めていることを理解しただろう。
「本当の礼拝室?」
「そうです。正しくは礼拝室ではなく調合室ですね」
「…調合……?」
「はい。礼拝室内の祭壇の下に出入口が隠されています。誰も地下にそんなものがあること知りません」
「毎日毎日、熱心に祈りを捧げるフリをして、調合室にこもっていたんだ」
ロイとディーがエレノアが何をしていたのかをバラし、大司教達はゆっくりと頭の中で情報を飲み込み、理解していく。
「毒を、調合していたのか」
「解毒薬も、作ってた…」
「そうです。カーターも言っていたでしょう?彼女は薬師一族の者だと」
ディーはニコリと笑顔を作り、大司教達は目を大きく見開いて、立ちつくすカーターへ視線を向けた。
「エレノアは薬師を生業としていた一族の生き残りだ。カーターと出会った頃にはすでに一人前の薬師だった」
「……カーター。貴様、子供だったエレノアに毒を作らせていたのか」
エレノアは現在21歳。その5年前からと知り、数人は子供になんてことをさせていたのかと青ざめた。
リーが低い声でカーターに問いかけるが、カーターは立ち尽くしたまま答えなかった。
ここで疑いを否定しても、さらに別の証拠も確実にあると悟り、もう手遅れだと、カーターは何も言わなかった。
「自作自演の奇跡も、お前の指示か」
「全て教皇になるために、お前が仕組んだのか」
「何年も前から計画していたんだな!!」
「よくもこんな!!」
「恥を知れ!!!」
大司教の数人が立ち上がって怒鳴り、口々にカーターを罵り始めたが、反論出来るはずもない。全ては紛れもない事実で覆す言い訳も、逃れるための道筋も、もう無い。
カーターは口を閉じたままギリギリと奥歯を噛み締めて悔しそうに目を細め、両拳を強く握りしめる。
両脇に座っている司教はカーターを見上げ、その目に涙を溜めていた。
違う、そんなはずはないとカーターを擁護したいが、カーター本人が何も言わないことで事実だと受け止めるしかなかった。信頼していたカーターに裏切られていたと理解して脱力し、何も言うことも動くことも出来なかった。
「殿下、念の為に聞きますが、証拠はあるんですね?」
そんな中冷静にサリーンが尋ねる。
「これからいくらでも証拠は見つかるでしょう」
「すでに外務局を通じて聖王国側の当局と連携を取っている」
サリーンの目を見て答え、すぐにカーターへ視線を移した。
「今頃、お前の司教座聖堂にガサ入れが入っている。晩餐会と同時に関係各所に一斉捜索に入るようになっていたんだ」
カーターの目が大きく見開き、その言葉に愕然とした。
「な……そん…」
そんなこと出来るわけがない、とカーターは言おうとして、カラカラに乾いた喉で上手く声に出すことが出来なかった。
「無理だと言いたそうだな」
だがロイはフンと鼻を鳴らす。
「残念だが事実だ。現ジェラール王家とお前の癒着も捜査対象で、こっちは最初からそのつもりで動いていた」
最初からと言われ、カーターはまんまと出し抜かれ、泳がされていたことを知った。
素知らぬ顔をして、エレノアの魔力測定に立ち合い、澄ました表情で挨拶を交わしたあの時も、彼らはすでに見抜き動いていた。
そんな彼らの前で、些細な状況の変化にも対応出来る完璧な計画だと酔っていた。
もうとっくに計画は破綻していたのだ。
その事実を晒され、カーターは羞恥心に襲われる。今まで感じたことがないほどの恥ずかしさが込み上げ、顔を赤くした。
「カーター」
そして静かな声でロマが話しかける。
「策に溺れたね。あんたが失敗した最大の要因はショーヘイを巻き込んだことだよ」
冷静に分析するように言われ、カーターは頭に血が上る。
そうだ。
数ヶ月前、公国に本物の聖女が現れるまでは、何事もなく粛々と計画は進んでいたのだ。
だが、公国聖女の登場により計画は大きく変更を余儀なくされた。
大きく狂うことになった計画を修正だけで押し進めたのは、5年以上の歳月をかけた計画を無駄にしたくないという感情のせいだった。
その感情はエレノアに起因する。
彼女と行動を共にする内に、彼女の欲に呑まれてしまった。利用し操っていたつもりが、彼女の心に触れ影響を受けてしまっていた。
それもこれも、公国聖女のせいだ。
計画を変更したのも、公国が調査に乗り出したのも、全部聖女のせい。
あいつが現れなければ、何もかも上手く行った。
カーターの中で沸々と静かに怒りが湧き起こる。
カーターが黙り込んだのを尻目に、大司教達は暴かれたカーターの企みに顔をしかめていた。
「殿下、連携というのは……」
ロダンが思ったことを確かめるように尋ねる。
「ご想像の通りですよ。現王の姉君、アデレイド様を通じて、公爵閣下を中心に動いています」
「聖王国軍、内政、司法関係にも手は回っている」
サイファーやダリア、アランが動いた結果だった。
たった数週間しか時間がなかったが、ダリアがまずアデレイドへ密書を送り、サイファーが王と宰相に次ぐ権力者だったアデレイドの夫であるバッカス公爵を動かした。
戦争後、元々瓦解寸前だった現王政権に対して、公爵は反勢力組織を一気にまとめ上げた。戦争反対派だった貴族や大臣達、軍関係者は未だに現王に対する不信感を持ったままずっと燻っていたため、現王の姉アデレイド、そして王弟であるヘンリーを擁立して組織が形成されるまでさほど時間は必要としなかった。
アランが軍や騎士団を動かして、演習と称して国境沿いに集結し圧力をかけたことで、聖王国軍の指揮系統は混乱に陥り、そこに元将軍だったバッカス公爵が乗り込み、全てを掌握した。
アデレイドとヘンリーが内政を、バッカスが軍、騎士団を掌握し、今日の晩餐会と同じ1月31日の午後6時に一斉蜂起したのだ。
公国がやったことは他国への内政干渉に抵触するだろう。
だが、彼らはその辺も上手く動いている。あくまでもきっかけは公国聖女であり、そこで掴んだ情報を提供しただけに過ぎず、公爵を誘導したわけでもない。
ダリアとアデレイドは王族に連なる女性として建前上の親交があったため、密書という形であっても、アデレイドを心配する内容で送っている。
彼女なら、その内容を正確に理解すると踏んだためだが、案の定すぐにバッカス公爵側から接触を受けた。
やったのは、裏で情報や証拠を提供することだけで、その出所が公国であるとわからなくなっている。公爵もそれを重々承知した上で、公国の介入はアデレイドと公爵の胸の内だけにしまわれている。
公国にとってはカーターとエレノアは聖王国籍の外国人なのだ。ましてカーターはジェラール王家と親密な関係にあり、こちらで捕らえても横槍を入れられ、ただ聖王国に身柄を引き渡すだけになる可能性が高かった。それでは意味がない。
確実に息の根を止めるには、カーターを擁護する現ジェラール王家も破滅させねばならなかったのだ。
アデレイドもバッカスも、そのことを充分に理解した上で、カーターを確実に追い詰めるという意思を公国に示した。
公国の目的は翔平を貶めようとしたカーターとエレノアを罪人として捕らえ、罪を明らかにして裁くこと。
バッカス公爵はカイル王を更迭し、政権を奪取すること。
お互いに利害が一致し、貸し借りなしという暗黙の了解で動いている。
たった数週間で反勢力を組織出来たということはとても異常なことであるが、裏を返せば、そこまで聖王国の現政権が綱渡状態であったことの証拠であった。
だが、それだけではない。
これから始まるのだ。
2人の聖女というきっかけで、聖王国、そして聖教会も大きく揺らぐことになる。
それは今ここで明らかにすることではないので、ロイとディーは差し障りのないことだけを説明すると、聖王国の現状を知っている大司教達は感心したように小さく笑った。
カーターだけでなく、その周囲にも逃げ場を失わせて追い込むやり方に、数人は「敵に回したくない」とゾッとする。
カーターは自分が招いた結果だと理解していても、それを受け入れることが出来なかった。
怒りに頭が支配され、爆発しそうになる感情を必死に抑え込む。
「殿下、もうよろしいですね?」
リアムが立ち上がって尋ねながら聖騎士に声をかけた。
ロイ達は頷きながら後ろに下がるが、その目線は騎士達に向けて合図を送る。
「カーターを拘束してください。彼女も……」
リアムが2人を拘束するように指示を出し、駆け寄ってきた聖騎士がそれぞれに近寄った。
だが、その瞬間、エレノアの体から爆発したような衝撃と風が起こる。
「どうしてよ!!!!」
その衝撃波に聖騎士2人は吹き飛ばされ、アビゲイルと黒騎士2人が瞬時に防御壁を展開しながらエレノアの腕を掴もうとする。
だが、反発し合う磁石のように掴むことは出来なかった。3人が腕を伸ばしても押し返され、腕が弾かれる。
「防御壁展開!!!」
ロイが怒鳴り、数人が魔力風に煽られて椅子ごと倒れ、立ち上がった数人はかろうじて転ばなかったものの、突然襲ってきた魔力風の圧に立っているのがやっとだった。
大柄なロダンが周囲にいた仲間達を庇って立ち塞がり、少々手荒ではあるが黒騎士が倒れた司教の後ろ襟を掴んで引っ張り1箇所に集め、ロダンと黒騎士6人で大規模な防御結界を張った。
ジャニスとウィルが、カーターと聖騎士、そして残されていた実行犯1人を守り、オリヴィエとエミリアが翔平とエミールを守る。
やはりこうなった!
俺は立ち上がると自分とエミールの前に防御魔法を展開した。
エレノアが魔力暴走を引き起こし、その膨大な魔力が溢れ出す。
彼女を拘束しようとアビゲイル達に加えてロイとディーも近付こうとするが、エレノアから放たれる魔力は、他者を拒絶し、受け付けなかった。
その目は焦点が合わず、正気も失っている。
だが、とめどなく涙が流れていた。
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