【第1部完結】佐藤は汐見と〜7年越しの片想い拗らせリーマンラブ〜

有島

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Chapter14 - Side:Salt - D

218 > 後日ー12(北川専務ー後編)

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「……これも誤解のないように言っておくと……佐藤くんが、君の奥さんの不倫を知っても、彼は誰にもそのことを話してはいない。僕らは、たまたま彼が現場を目撃してしまったのを見ただけだから……」
「僕、ら……」

 もう何がなんだかわからなかった。この人は何を言ってるんだろう? 確かにオレの妻の不倫なんて他人事だ。だから適当なことを言っているんだ、そうに違いない。そう自分に納得させかけている時

「うちの社には、コンプラ(※)に関わる内偵者がいる」
「?」

「いまや企業の従業員の犯罪は大きく取り沙汰され、1人の従業員の失態で会社の名が失墜することなど日常茶飯事だからね。その内偵者たちは常に問題人物をマークしている」
「……なぜ、紗妃を……それも、退職した後まで……」

 オレはますます混乱していた。佐藤のことといい、紗妃のことといい、退職した従業員まで監視するなんて、そんなの完全に組織の職権を逸脱している。

「そうだな。……彼女を監視することと引き換えに、当社に条件が」
「は? 条件?」

「長く水面下で当社と提携していた吉永が、最近になって力をつけてきた分野」
「?」

 オレはもう聞くだけしかできなかった。オレが知らないどころか、紗妃すら知らないところで色々なことが動いていた?

「海外事業展開のネットワークの提供。それを、紗妃さんが退職後も監視することの条件として提示された」
「……そんな! ……紗妃のプライベートと会社の利益とがなぜ……天秤にかけられるはずが!」

「通常なら。ただ、彼女と吉永……いや、三浦隆氏の不倫問題を取り沙汰することが、引いては吉永が抱えていたアキレス腱を取り除くことになるとしたら?」
「?!」

「志弦さんは、ずっと吉永から三浦家を断絶させるチャンスを伺っていた。だが、一族の末端とはいえ向こうも旧家だ。それに父親の意向もあってなかなか一筋縄ではいかなかった。恨みを抱きながら、少しも好意を持っていない彼との結婚に踏み切ったのも、近くにいれば彼の失脚のきっかけを掴めると思っての手段だったと」
「!! そこまでして……どれだけの怨恨えんこんが……」

「……婚姻前に、婚約者である彼女のビジネス上の手柄……億単位のやつだ。それを持ち前の口の上手さと用意周到な根回しによって、自分がしたということにすること数回」
「!!!」

「……彼女が女性だからという理由だけで役員の間でも彼女の反論は却下された。……誰も彼女の巨大な成果を認めようとしなかった」
「……」

「……まぁ、だから……だろうな。もうココに未練はないと言っていたよ」

 オレは思い出していた。
 恋人の話をしていた吉永社長の、嬉しそうにしている表情の中にある悲しげな影を。

「で、ですが……吉永社長の怨恨と……紗妃のプライベートを監視することが、YGDC社の海外事業のネットワークと対価になるほどのものとは……」

 北川専務からの情報を汲みつつ、脳みそをフル回転させながら呟くと

「そうだ。だから、当社からも吉永に……志弦さんに持ちかけた。もし、紗妃さんと隆氏の再度の不倫が発覚し、それが原因であなたの目論見通りに事が運び、吉永の海外ネットワークを提供いただけたなら」

 ロマンスグレイが苦笑しながら続けた。

「当社が強みにして、門外不出を貫いていた事業の一部門を、そちらと提携します、とね」
「?」

「優秀な社員を、吉永が新しく立ち上げようと動いている部署に出向させると」
「!?!?」

〝新規事業!?〟

「その新規事業を立ち上げることで、彼女はもう1つ手札として持っていた米国の巨大企業との取引が可能になる……だから、紗妃さんの不倫が吉永と当社にとっては相互利益のきっかけにもなった……」

 はぁーっ、と大きなため息をついた北川専務は、その表情に乗った疲労を隠せていなかった。

「これは私から、というより……当社、磯永コーポレーションからの申し出と思って欲しい」
「……」

「紗妃さんが支払うことになった慰謝料。それを、そちらが指定する金額分、当社で負担させていただきたい。紗妃さんの真意はわからないが……君は巻き込まれただけだ」

 オレは、ここに至ってもまだ、何か架空の物語を聞いているような気分だった。

 自分の妻の不倫の裏に、大企業トップの個人的な怨恨と自分が所属する会社の間になんらかの取引があるなんて、誰が想像する?
 そんな小説以上に奇怪な事実が凡人のオレの身に降りかかるなんて、誰が思いつく?

〝しかも……この人達が望んでいた……そんな最悪なタイミングで、オレたち夫婦は……〟

 割れた食器のように元に戻すことすらできず、オレは一人絶望の淵にいた。

〝しかも……佐藤も……知っていたなんて……なのに……オレに言わなかったんだ……〟

 どうして、とか、なぜ、とか、北川専務に対しても、佐藤に対しても、いろんな考えと感情がゴチャ混ぜになってオレの思考と気持ちを混沌とさせる。

〝オレは……〟

「汐見くん、大丈夫かね?」

〝この人は、オレが紗妃に刺されたことは知ってるんだろうか?〟

「……大丈夫、です……」

 今まで、尊敬の対象だったこの人が、会社のためとはいえ、自分の部下を売った卑劣な人間に見える。

〝佐藤も……〟

 オレに隠し通すつもりだったのか、それとも────

〝どういうつもりで……なんで、あの時にでも……〟

 目撃した当時に言わなかっただけでなく、弁護士事務所に行く前に佐藤の家で紗妃の話をした時ですら『紗妃の不倫を目撃した』なんて話は一言も出なかった。

〝なんで……どういう、つもりで……〟

 佐藤への気持ち──失いたくないという──を自覚したばかりなのに────
 
 佐藤がオレに対して不実を働いているんじゃないかという疑念が湧いてくる。

 それは過去に、信頼して、期待した人間に裏切られた時の気持ちに似て────

 オレは思わず、北川専務に対して口に出した。

「600万。吉永社長から請求された慰謝料を全額。それと……」

〝もうダメだ……オレは、ここにいられない……〟

「僕に、退職の許可を」








※コンプラ=コンプライアンス:企業などが、法令や規則をよく守ること。法令遵守。
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