あたしの日記

LodeAmor

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2019.08.17

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 先輩はなんだか、中毒性が高い。

 何故か悉く予定が合わず、全てのお誘いを断ってきた先輩とやっと出かけることになった。きっかけはあちらの恋人との破局だった。二人は部活の同期カップルだったので同じ部活にいるうちは出かけづらく、こちらから誘うこともできずにいたが、あたしの長期留学もあり、一度会っておこうということになった。

 よく考えたら部活を引退してから数ヶ月ぶりに会うことになるわけなんだけれども、今の時代は昔なら疎遠になりかねない細い関係性もインターネットのおかげでつなぎとめることができるのだ。

 渋谷駅で待ち合わせ。駅前は人も多く蒸し暑い。田舎者のあたしが思い描いていた東京は渋谷だが、大学生になら片田舎といえども東京に越してきてからはすべての東京の町がこのようなわけではない、むしろ渋谷は特異であるということを知った。

 「お待たせしました」

 そう声をかけられて振り返るとそこにはラフな、でも隣においても恥ずかしくないという評価を受けそうな格好の先輩が立っていた。そうそう、これが先輩だ。しかし色の白いイメージの彼の肌は日焼けで真っ赤、皮がめくれていた。それが少しエロティックに感じたのは先輩には内緒。
 
 行こうと思っていたお店がとても混んでいたのでなんとなく見つけたバーに入った。カウンターで座って飲むのは人生の中で初めてだ。背の高い椅子にぎこちなく座るあたしは目の前に広がるアルコールの並ぶ棚がなんだかあたしを品定めしてるように見えた。あたしが想像していたよりもカウンターの椅子は狭くて肩も当たるし脚も当たる、暑かった。
 
 最初に飲んだのはキューバリブレ。コーラとラムが好きという単純な理由だけど、飲むものに困った時の強い味方。先輩はビールを頼んでいたので本当は合わせなきゃいけなかったのかも。あたしも先輩も、肌の白い人ならわかることだけど大して飲んでいないのに赤くなるのがわかりやすくて周りのひとはよくからかう。

 ウイスキーがたくさん並んでいた。あたしの目の前には 響 30年 のボトルが輝いていた。

  「これ、高いんですよ」
  「へぇ、そうなんだね、ウイスキー飲むんだ」
  「いいえ、飲みつけないんですけど、恋人が飲むんです」
  「はは、そうかそうか、彼は年上だっけ」
  「いや、高校の同級生なんです」
  「20歳でウイスキーか、渋いひとだね」
  「確かに、おじさんみたいなひとですよ」
  「おじさん好きなの」
  「おじさんは好きじゃないですよ、よく好かれますけど」

 二杯目はスカーレットオハラ。ある古い映画に登場する女の好きな女性、強く赤い女性。初めて頼んだけれど、冷えたシャンパングラスに注がれる赤いそのお酒は彼女の赤いドレスを連想させた。先輩はウイスキーを飲んでいた。あたしがウイスキーに興味を示したからだろうか、いやそんな訳はない。

  「あたしの好きなひとはみんな警察に厄介になってしまうんですよ」
  「え、それは歴代の恋人が、ってことなの」
  「いや、芸能人の話ですけど。例えば好きなバンドのボーカル、ヘロイン中毒で服役してますし、昔好きだったYouTuberも最近彼女に暴行して捕まりました」
  「はは、そうかそうか、じゃあついこないだ捕まった歌手も好きかい」
  「ええ、あたしも父もよく聞いてましたよ」
  「どうしてなんだろうね、悪いところが好きってことかな」
  「そうかもしれません、タバコとかも好きかなぁ」
  「そうなんだ、君は嗜むのかな」
  「あたしは付き合い程度ですけど、少し」

 お手洗いに立って戻ると、後ろから先輩を見ることができた。猫背の、サブカル男。大変なエリートなのにあたしなんかと飲んでる。なんだか退廃的で先輩が好みそうな話だけど、自分が主人公なら別の話か。

  「あれ、先輩吸うんですか」
  「ん、まぁね」
  「これなんですか、ピアニッシモかな」
  「そう、ピアニッシモ」
  「なんだか、女性的ですね、女の人の影響ですか」
  「おお、鋭いね」
  「あらあら怖い」
  「君も吸うかい」
  「あたしは自分の置いてきてしまったんで」
  「いいよ吸いなよ、ピアニッシモ 嫌いでなければ」
  「それならお言葉に甘えて」

 ピアニッシモなんて吸ったことなかったけど、なんだか冷たくて温かった。煙が回ると酔いが覚める。いつもよりも飲めるんじゃないかという気もする。

 三杯目は楊貴妃。三代美女の一人、唐代の皇帝を魅了しその滅亡の原因にもなったと言われる妃。中国人のお酒だから紹興酒を使うのかしら、と思っていると出てきたのは綺麗な水色。そうか、チャイナブルー。ブルーキュラソーのその澄んだ青は中国の色なのか。

 「もっと恋人さんの話してよ」
 「え、といいますと」
 「なにしてる人なの」
 「サークルは文学サークルに入ってて、小説を書くんですよ」
 「文学か、あんまり読んでなかったけど最近は読んでる」
 「意外ですね、読んでそうなイメージ」
 「よく言われるけどあまり、学術書とかなら読んだけどね」
 「そうなんですね」
 「君はどうなの」
 「あたしですか、あたしは太宰治の斜陽が好きです」
 「あー、それ僕の元カノがみんな好きだっていうんだよ」
 「え、そうなんですね」

 四杯目はジンソーダ。ジンはあまり飲みつけないけれど、なんとなく、ただ飲んでみたかった。出てきたグラスはタンブラーで透明な液体に炭酸の泡が上る。ジン特有の香りに少しくらっとして。

 「君ってさ、一人称あたしなのいいね」
 「そうですか、小さい頃からそうです、あと歌手の影響かな」
 「誰の」
 「花火っていう歌うたってる、女性の」
 「あー、元カノがよぎりました」
 「あたし、元カノさんに似すぎてませんか」
 「あはは、そうだね。なんというのだろう、女性として似ているような気がします」
 「それはどういったところが」
 「なんといったらいいか、君って駆け引きとかするでしょ、そういうところが」
 「駆け引き、するといえばするかも」
 「僕にもしてきたことがありませんか」
 「あれあれ、バレていましたか」
 「うん、なんとなく」

 「あたしもう飲めないかもしれないです、もうだいぶ」
 「そうなのか、まあ君を門限までに家に返す必要もあるしね」
 「なんかすみません、もっとゆっくりお話しできたらよかったのに」

 そういうと先輩は会計を済ませて帰ってきた。

 「あたしの分はお支払いさせてください、いくらですか」
 「うーん、じゃあ3500サンゴーで」
 「500ゴーがないので4000ヨンでもいいですか」
 「わかった、じゃあ君が留学から帰ってきたらまた飲みに行こう」
 「ありがとうございます、ご馳走様です」

 土曜の渋谷の夜は騒がしくて蠢いている。田舎の出であるあたしにはあまりに刺激が強い。暑さとアルコールで頭が回らないのも相まってふわふわとした足取りで渋谷の街を歩く。人の多さに避けきれず度々先輩の腕にぶつかりながら歩く。

 「さっきからぶつかってしまってごめんなさい」
 「いえいえ、それよりさっきから気づいているかい」
 「なにがですか」
 「当たってるよ」
 「え、あ、ごめんなさい!」
 「大丈夫だよ、腕掴んで歩けばいいのに」
 「それは申し訳ないです」

 京王線に乗り込んだ帰り道、一つ空いていた席にあたしを座らせて談笑は続く。

 「暑いですね」
 「そうかな、車内はそれほどでも」
 「じゃあ酔ってるからかな、ほかほか」

 くすりと笑うと彼はあたしの頰に手を置いて確かめる。プニプニと頰を摘むその動きに呆気にとられる。

 「ほんとだね、あったかい」
 「そうですか」

 平静を装おうとしてもやはりあたしは下手くそなのか、変に素っ気なくなってしまう。言葉より態度より、直に来る皮膚の接触や体温には争うのが難しい。

 「頭が良くて、悪い人がすきなんです」
 「そうなのか、悪いってどんな人なの」
 「タバコ吸わなさそうな顔で吸っていたりするのが」
 「じゃあもう好きじゃん」
 「そうですね」

 口から言葉が出た時には「しまった」と思ったが遅かった。パッと顔を上げて先輩の顔を見ると微笑んでいた。その微笑みにはなんの意味があるのだろうか。あたしが外国に行っている間は彼には会うことはないだろう。連絡もとらないかもしれない。それでも、少し何かを期待してしまったということはこれから先も誰にも内緒。
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