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第八章:散るは忠誠、燃ゆるは誇り――約束の交差点、勇者計画の終焉
第148話:コハクの五日目──幻術の檻、九尾を喰らう影
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長い、長い夢を見ていたような気がするのじゃ。
暗い闇の中、わらわは彷徨っていた。出口どころか、入り口さえもわからぬ。
そして目を閉じると──
「ミラージュ、運転中のお眠りは危ないわよ。」
懐かしい声がしたのじゃ。再び目を開けると、わらわは車の運転席に座っていた。後部座席には、いつもと変わらぬ佇まいで、あの方がいる。
「これは失礼しました、総統閣下。何せ昨夜は……激しかったものですから。」
「生々しい表現はやめてちょうだい。」
そうおっしゃるは、ツバキ・ブラッドムーン、帝国の女帝その人なのじゃ。
おかしい。わらわは確かに、戦場の中にいたはず。うろ覚えではあるが、わらわは確かに──
モリアの姿に変化し、総指揮室に紛れ込み、混乱に乗じてドクターを背後から襲った。そして見事に、わらわの尾が彼の急所を貫き、絶命させたはず。なのに、その後の記憶がわらわにはない。
「ミラージュ!ミラージュ!まだボーッとしている。まだそんな年でもないでしょ。」
「はい、聞こえております、総統閣下。今日のご予定ですね。あれ……?」いつもならびっしりと書き込まれているはずの手帳が、真っ白なのじゃ。新しいものに替えた覚えはない。記憶が混乱している。まさか、ドクターを暗殺したこと自体が、わらわの夢だったのか?
そんなはずがない。わらわには確かな触感があった。この尻尾があの男を貫く、あの生々しい感触が。
「申し訳ございません。新しい手帳に替えたもので、今日のスケジュールはまだ記入しておりません。今すぐ確認いたしますので、少々お待ちください。」
「調べる必要はないわ。だって……裏切り者に、教えることは何もないから。」
頭の中が一瞬、真っ白になった。バレたのか?このコハクは、ミラージュという仮の姿で二十年も潜伏し、女帝の腹心まで登り詰め、これまで一切のボロを出さなかった。今さらバレるはずがない。これは罠だ。
「裏切り者?ご冗談を。このミラージュは、いつも総統閣下の味方ですよ。まさか、皇帝殿下とご喧嘩なさったのですか?」あくまで、ミラージュという仮面を崩さぬ。わらわは証拠を何一つ残していない。
「へえ~……役者ね。それとも、狐は皆そうなのかしら。ティアノはあんなに正直なのに。」
正体まで見抜かれていたのじゃ!!どうする?知らぬ存ぜぬを通すか、それとも……
こっそりと尾を身構えさせる。いざとなれば、女帝に「不慮の死」を演じてもらうのじゃ。
「酷いわね。私を魔王ダークソウルに差し出すことで、息子のティアノの安全を守りたいだなんて……自分勝手すぎるわ。それに──」ツバキは膨らんだ腹を優しくなでた。「あなたも母親でしょう?この子から母親を奪うなんて、そんな残忍なことがよくできますね。」
瞬間、九本の尾が暴れ出し、後部座席のツバキを貫いた!
「あなたは、総統閣下では……ありませんね。あの方は、そこまでのことをご存知ないはずですから。」
しかし、コハクの尾に貫かれたはずのツバキは、何ごともなかったように話し続けた。体にはいくつもの穴が開いているのに、一滴の血も流れていない。不気味すぎる。
「あなただって、『ミラージュ』じゃないでしょう?九尾の狐、コハク。」
ツバキの姿は次第に白い糸へと変わり、逆にわらわを捕え縛り上げようとする。
これは……!蜘蛛の糸だ。粘々として解けにくい。いや、この光景……覚えがある。あの時──
わらわがドクターを尾で貫いた時、あの男からも血は流れなかった。そして今と同じ、この蜘蛛の糸を!
……そうじゃ。あの時も同じ糸に捕らわれたのじゃ。
気付いた時には、わらわはすでに再び──蜘蛛の繭の中に封じられていたのじゃ。
*
「ミラージュ!運転中のお眠りは危ないわよ。」
再び目を開ける。驚くことに、先ほどとまったく同じ光景が広がっていた。わらわはまだ同じ車を運転しており、窓の外の景色も同じ。なにより、後部座席に座る「総統閣下」の姿も──
「ミラージュ!ミラージュ!まだボーッとしている。まだそんな年でもないでしょ。」
同じ言葉が、同じ口調で、わらわに投げかけられる。
わらわはこの状況を、もう何度も繰り返しているのじゃ。
幻術。わらわは幻術に嵌められた。そうとしか考えられぬ。もし、わらわがまたあの「ツバキ」を殺せば、新たな輪廻が始まるのだろう。永遠に終わらない檻の中に。
「……なれなのじゃ、お主。ツバキではないのじゃろ。」
「あなただって、『ミラージュ』じゃないでしょう?お互い様じゃない。」
偽物のツバキは、やはり同じ言葉を返してきた。術者本人なのか、それとも単なる作り物か。迂闊に手を出せぬなら、会話で情報を引き出すしかないのじゃ。
「そうなのじゃ。わらわは前代の魔王として、今は魔王軍四天王の第五人、九尾の狐、コハクなのじゃ。」
「ははは……無理無理無理、面白すぎる~!魔王って……はははっ……アスにゃん、ツボに入ったかも~!はははっ!」
偽物のツバキは、腹を抱えて、ありえないほど大げさに笑い転げた。あの本物のツバキなら、絶対に取らない態度だ。彼女が偽物であることを再び証明した。それに、「アスにゃん」などという言葉──どこかで聞いたことが……
「あっ!」
思い出したのじゃ。帝国附属高校で、「恋愛相談部」を開きたいと騒いでいた、あのおかしな学生。「アスモデウス」。
「正解~♡」
ツバキの姿が次第に形を変え、金髪に小麦色の肌をもつ少女へと変わった。ふざけたようにピースサインを掲げ、ウインクしてくる。
「地獄七十二柱の一つ、王クラス、色欲の悪魔アスモデウス。よろしくね♪ ミラージュせ・ん・せ・い♡」
悪魔だと!?ありえない。あれは伝説の存在。何万年も前に地獄に封じられたはずの幻の生き物。それが、こんなふざけた姿で現れるはずがない。ドクターの策略か?しかし、彼が幻術を使えるとは聞いたことがない。
「もし、お主が本当の悪魔ならば、なぜわらわの邪魔をするのじゃ!悪魔は我ら魔族の味方のはず。なぜ人間を助ける真似をするのじゃ!」
「あなたたちが悪いんだよ~♪ あなたも、あのダークソウルっていう痛い奴も、『魔王』とか名乗るでしょ。人間の王様が『神』を自称するのと同じじゃん。今まで好きにさせてた分、感謝されるべきだと思わない?♪ そ・れ・に──」
アスモデウスは後ろから腕をわらわの首に回し、魅惑的で甘い声で、わらわの耳元に唇を寄せて囁いた。
「本物の魔王様を襲っちゃ、ダメでしょ~?♪ それも、モリリンの姿で襲うなんて♡」
その声は、魂の底に直接響くように冷たく、暖かいはずの車内が、全身を走る悪寒で凍りついた。冷や汗が襟を濡らす。生き物の本能が、わらわに警告する──危険、食われる。
先手必勝!
九本の尾を総動員し、車体を粉砕して脱出する。素早く陰陽術の札を取り出し、詠唱を開始。
「唵 阿瑟吒 紇哩」
木の真言。木の文字が現れた。
「唵 阿祢陀羅 紇哩」
火の真言。火の文字が現れた。
「唵 阿毘羅 紇哩」
土の真言。土の文字が現れた。
「唵 阿囉吒 紇哩」
金の真言。金の文字が現れた。
「唵 阿婆羅 紇哩」
水の真言。水の文字が現れた。
「五行結成、陰陽一如、急急如律令!」
五枚の札が光の線で結ばれ、五芒星が形成される。物理攻撃が通じぬなら、五つの属性を調和させたこの陰陽術で喰らうのじゃ!
「接近戦得意のアスにゃんの前で、呪文唱えてる余裕があるんだね~♪」
術が発動するより先に、アスモデウスは既にわらわの懐に潜り込んでいた。右足に刈りを入れられ、体勢を崩され、後ろへと倒れていく。マズい!体を反らせ、後方への重心移動を抑えねば!
だが、それさえも見透かされていたかのように、アスモデウスは力で押し切ろうとはせず、わらわの力を「受け流して利用」した。
「巴投げ(ともえなげ)!」
大外刈りの引き手を強く引き上げ、釣り手でわらわの腕を自らの方へ引き寄せる。その右足を地面につけず、そのままわらわの膝裏に踏み込み、支え軸とし、自ら積極的に後方へ倒れ込む。
地面に背中を強打する衝撃が、骨の髄まで響き渡る。一瞬、意識が飛びそうになった。ここは幻術の中ではなかったのか?なのに、この痛みは何なのじゃ?
だが、アスモデウスの手は緩んでいなかった。
着地と同時に、その両腿でわらわの首と胴体を挟み込み、体勢を固定する。さらに、わらわの腕をその胸の上で十字に組み、完全に封じた。
「やっぱり、投げ技の後は絞め技で決めないとね~♪ 腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)。今回のアスにゃん、手を抜かないよ。」
最初はただ、肘が引き伸ばされる奇妙な張力だけだった。だが、アスモデウスは徐々に、しかし確実に力を込めていく。次の瞬間、関節の奥深くから、金属のバネが限界まで引き伸ばされるような、鈍い軋む音を伴う痛みが走った。その痛みはすぐに、『もうこれ以上は耐えられない』と警告する、鋭い切断感へと変貌する。脳裏に、枯れ枝がぽっきりと折れる幻聴が響く。
痛くてたまらぬ!四肢は動かせぬが、わらわには尾がある……くたばれ、古き時代の遺物よ!
わらわが痛みに耐え、必死で尾を動かそうとしたその時──
「残念~♡ 時間切れだよ♪」
軽い、「くしっ」という音。
強烈な痛覚が、わらわの全神経を焼き尽くす。わらわの骨、靭帯、それに全てが、彼女の力の前にあっけなく折れたのだ。
悲鳴が、幻術の世界に反響する。だが、ここにいるのはわらわと彼女だけ。彼女の嗜虐的な笑みと、激しい苦痛の波の中で、わらわの意識は暗闇へと沈んでいった。
*
「ミラージュ♪ 運転中のお眠りは危ないわよ♡」
何度目の目覚めか、もはやわからぬ。再び目を開ければ、先ほどとまったく同じ光景が広がっていた。わらわはまだ同じ車を運転し、窓の外の景色も同じ。なにより、後部座席に座る「総統閣下」の姿も──
「ミラージュ♪ ミラージュ♪ まだボーッとしている。まだそんな年でもないでしょ♡」
同じ言葉が、同じ甘ったるい口調で、わらわに投げかけられる。
「今回は、女帝の真似はせぬのね。どんな風の吹き回しなのじゃ。」
「総統閣下」はツバキではなく、ツバキの服を着たアスモデウスだった。
「ええ~? せっかくアスにゃんが女帝コスプレでサービスしてるのに♡ もっと喜んでくれてもいいのにな♪」
どこまでふざけているのか。彼女が悪魔であることは、もはや疑いようもないのじゃ。
幻術に柔道。この二つだけでも厄介極まりないのに、まだ何か隠した能力があるに違いない。とにかく、この幻術の檻から脱出せねば。
「無駄だよ~♪ あなたがアスにゃんの幻術にかかった時点で、もう詰んでるんだから。アスにゃんの幻術が効かない相手ってね……」アスモデウスは指を折りながら数え始める。
「神様でしょ、明けの明星でしょ、モリリンでしょ、それに魔王様。この四人だけかな♪ あれ? こう見ると、アスにゃんって結構強いかも♡ こんなこともできるんだからね♪」
アスモデウスが指を鳴らすと、車内に一人の青年が現れた。
「皇帝陛下……!」わらわの最愛なる一人息子、帝国皇帝ティアノ・ブラッドムーン。これもまた、アスモデウスの創り出した幻影に違いない。しかし──
「あれ? 僕、なぜここに……? ミラージュ? あれ?」何も理解できず、困惑する姿は本物と見分けがつかない。まさか、彼女の狙いは……「やめるのじゃ!」
「嫌だよ~♡」
数万の剣が現れ、幻影のティアノを次々と貫いていく。ティアノの悲鳴が耳元で響く。偽物と知りながら、わらわの心はズタズタに引き裂かれる思いだった。
「母……さん……た……すけ……て……」そう呟いて、幻影のティアノは絶命した。その姿は、あまりにも痛々しい。
許さぬ……許さぬ、許さぬ!
全てを打ち払え。この悪魔だけは、絶対に許せぬ!
わらわは、全ての力を解放する。もはや、人間の姿を保っている余地はない。
*
コハクの姿が微かに揺らぐ。まるで遠くの陽炎のように、その輪郭が滲み始める。
最初に変化したのは背中だった。肩甲骨のあたりから柔らかな光が滲み出し、それが黄金の柔らかな毛並みへと変じていく。彼女の体が前傾する。背骨が優雅な弧を描き、獣のそれへと伸びていく。衣服は光の粒子となって散り、肌からは一気に金色の毛が生え揃う。それは陽光を浴びた小麦穂の色で、一本一本が微かに輝いている。
耳が尖り、顔立ちは妖艶な狐面へと変化する。目は細長く吊り上がり、瞳孔が紅玉のように深く輝く。口元からは、鋭く美しい牙が覗いた。
そして──尾が生える。
一本、また一本と、背骨の付け根から金色の流れのような尾が湧き出る。九本の尾は独立してうねりながらも、一つの生き物として調和し、周囲を優雅に旋回する。尾先は光の束のように、空間に細かな金色の軌跡を残す。
四肢は細くしなやかに伸び、爪が研ぎ澄まされた宝石のように地面を捉える。
最後に、彼女の全身を柔らかな光が一瞬包み──
そこに立っていたのは、もはや人間の女性ではない。優美な肢体を持ち、九本の黄金の尾をなびかせる、気高き妖獣そのものだった。琥珀色の瞳は虚空を見据え、深い怒りと力を宿している。
「へえ~♪ これが九尾の狐の本当の姿ね。かっこいい~! でも残念だけど、それでもアスにゃんには届かないんだよね~」
どうやら、柔道への対策で体を大きくしたわけね。だけど、アスにゃんは色欲の悪魔。幻術や柔道より、性魔術の方が一番得意なんだから♪
なぜか、あの時のモリリンの言葉を思い出す。
『彼の前で、私の姿を利用した暗殺行為は万死に値しますわ。だけど、彼女もまた一人の母親。それに免じて、半殺しで許してあげますわ。ふふふ。』
モリリンがあそこまで怒るのは初めてかも。アスにゃん、ちょっとお漏らししちゃいそうだったよ~。
狐化したコハクが、アスモデウスに襲いかかる。鋭い牙と爪、それぞれが意志を持つ九本の尾。どれも敵を八つ裂きにするには十分すぎる凶器だが、アスにゃんに接近戦を挑む時点で、負けは確定なのさ♪
あたしは何の抵抗もせず、彼女に噛みつかせた。大きく鋭い牙がアスにゃんの体に刺さる。ちょっと……エロくない? 考えただけで、軽くイっちゃいそう♡
「ああん♡ 大きい……ダメ、そんなに激しくされたら、アスにゃん壊れちゃうよ~♪」
攻撃側のコハクの方が、なぜか段々おかしくなっていく。なぜだかわかる? アスにゃんの体に粘膜接触した時点で、もうおしまいなんだから♡ 精力が吸われるのは当然。アスにゃん自身がエナジードレインを発動しているから、その速度はさらに倍増するんだよ。
「本番までしちゃうと、ミリリンがやきもち焼いちゃうから、今回はキスだけにしてあげる♡」
もはや立つことすらぎりぎりの獣化コハクに、あたしは唇を重ねた。
「♡エクスタシア・ブリーズ♡」
美味しい~♡ この精力は、きつねうどんの油揚げのように……爽やかで深いコクがある。
最初に軽やかな歯応え。薄い黄金色の皮がパリッと割れ、中からほんのり湯気とともに、大豆の優しい香りがふわり。
噛み進むと、表面の微かな甘みから、じんわり広がる優しい塩気へ。衣の食感が心地よく、中心はしっとり。油っこくなく、あっさりしていて、ついもうひと口……と手が伸びる軽食感。
アスにゃん、思わず食レポしちゃうほど美味な精気。さあ、もっと舌を動かして、あたしを楽しませて♪
精気がどんどん吸い取られ、コハクは巨大な狐の姿を保てなくなり、元の人間サイズに戻る。しかし、アスにゃんの食事はまだ終わっていない。
「やっ……ぱり……はむ……女の子……も結構いけるね♡ その……唇の柔らかさには……はむ……まれそう♪」
さらに精気を奪われ、コハクの体はどんどん小さくなっていく。しかし、もはやあたしの性魔術の支配下にある彼女に、反抗する術はない。蜘蛛の糸に絡め取られた虫のように、ただ一方的に食われるだけの運命だ。
「やっば、食べ過ぎたかも~♪」
最後に、モリリンの「半殺し」という言葉を思い出し、コハクが吸い殺される前に引き留めた。だけど、かつて妖艶を誇った美女コハクは、10歳にも満たない童女のような姿に変わっていた。どうやら、精気を奪いすぎたようだ。でへへ♪
「狐ちゃんの精気、美味しかったから、これからアスにゃんのベッドにしてあげるね♡」
気絶したロリ姿のコハクのお腹に、あたしのシジルが浮かび上がる。これで狐ちゃんは、永遠にアスにゃんのエネルギー供給源。彼女がそれ以上回復する精気は、全てあたしのシジルに吸収される。食べ物の心配がなくなったね。でも、狐ちゃんも永遠にこの姿のまま。
まあ、可愛いからいいかな♪
コハクサイド、五日目、終了。
暗い闇の中、わらわは彷徨っていた。出口どころか、入り口さえもわからぬ。
そして目を閉じると──
「ミラージュ、運転中のお眠りは危ないわよ。」
懐かしい声がしたのじゃ。再び目を開けると、わらわは車の運転席に座っていた。後部座席には、いつもと変わらぬ佇まいで、あの方がいる。
「これは失礼しました、総統閣下。何せ昨夜は……激しかったものですから。」
「生々しい表現はやめてちょうだい。」
そうおっしゃるは、ツバキ・ブラッドムーン、帝国の女帝その人なのじゃ。
おかしい。わらわは確かに、戦場の中にいたはず。うろ覚えではあるが、わらわは確かに──
モリアの姿に変化し、総指揮室に紛れ込み、混乱に乗じてドクターを背後から襲った。そして見事に、わらわの尾が彼の急所を貫き、絶命させたはず。なのに、その後の記憶がわらわにはない。
「ミラージュ!ミラージュ!まだボーッとしている。まだそんな年でもないでしょ。」
「はい、聞こえております、総統閣下。今日のご予定ですね。あれ……?」いつもならびっしりと書き込まれているはずの手帳が、真っ白なのじゃ。新しいものに替えた覚えはない。記憶が混乱している。まさか、ドクターを暗殺したこと自体が、わらわの夢だったのか?
そんなはずがない。わらわには確かな触感があった。この尻尾があの男を貫く、あの生々しい感触が。
「申し訳ございません。新しい手帳に替えたもので、今日のスケジュールはまだ記入しておりません。今すぐ確認いたしますので、少々お待ちください。」
「調べる必要はないわ。だって……裏切り者に、教えることは何もないから。」
頭の中が一瞬、真っ白になった。バレたのか?このコハクは、ミラージュという仮の姿で二十年も潜伏し、女帝の腹心まで登り詰め、これまで一切のボロを出さなかった。今さらバレるはずがない。これは罠だ。
「裏切り者?ご冗談を。このミラージュは、いつも総統閣下の味方ですよ。まさか、皇帝殿下とご喧嘩なさったのですか?」あくまで、ミラージュという仮面を崩さぬ。わらわは証拠を何一つ残していない。
「へえ~……役者ね。それとも、狐は皆そうなのかしら。ティアノはあんなに正直なのに。」
正体まで見抜かれていたのじゃ!!どうする?知らぬ存ぜぬを通すか、それとも……
こっそりと尾を身構えさせる。いざとなれば、女帝に「不慮の死」を演じてもらうのじゃ。
「酷いわね。私を魔王ダークソウルに差し出すことで、息子のティアノの安全を守りたいだなんて……自分勝手すぎるわ。それに──」ツバキは膨らんだ腹を優しくなでた。「あなたも母親でしょう?この子から母親を奪うなんて、そんな残忍なことがよくできますね。」
瞬間、九本の尾が暴れ出し、後部座席のツバキを貫いた!
「あなたは、総統閣下では……ありませんね。あの方は、そこまでのことをご存知ないはずですから。」
しかし、コハクの尾に貫かれたはずのツバキは、何ごともなかったように話し続けた。体にはいくつもの穴が開いているのに、一滴の血も流れていない。不気味すぎる。
「あなただって、『ミラージュ』じゃないでしょう?九尾の狐、コハク。」
ツバキの姿は次第に白い糸へと変わり、逆にわらわを捕え縛り上げようとする。
これは……!蜘蛛の糸だ。粘々として解けにくい。いや、この光景……覚えがある。あの時──
わらわがドクターを尾で貫いた時、あの男からも血は流れなかった。そして今と同じ、この蜘蛛の糸を!
……そうじゃ。あの時も同じ糸に捕らわれたのじゃ。
気付いた時には、わらわはすでに再び──蜘蛛の繭の中に封じられていたのじゃ。
*
「ミラージュ!運転中のお眠りは危ないわよ。」
再び目を開ける。驚くことに、先ほどとまったく同じ光景が広がっていた。わらわはまだ同じ車を運転しており、窓の外の景色も同じ。なにより、後部座席に座る「総統閣下」の姿も──
「ミラージュ!ミラージュ!まだボーッとしている。まだそんな年でもないでしょ。」
同じ言葉が、同じ口調で、わらわに投げかけられる。
わらわはこの状況を、もう何度も繰り返しているのじゃ。
幻術。わらわは幻術に嵌められた。そうとしか考えられぬ。もし、わらわがまたあの「ツバキ」を殺せば、新たな輪廻が始まるのだろう。永遠に終わらない檻の中に。
「……なれなのじゃ、お主。ツバキではないのじゃろ。」
「あなただって、『ミラージュ』じゃないでしょう?お互い様じゃない。」
偽物のツバキは、やはり同じ言葉を返してきた。術者本人なのか、それとも単なる作り物か。迂闊に手を出せぬなら、会話で情報を引き出すしかないのじゃ。
「そうなのじゃ。わらわは前代の魔王として、今は魔王軍四天王の第五人、九尾の狐、コハクなのじゃ。」
「ははは……無理無理無理、面白すぎる~!魔王って……はははっ……アスにゃん、ツボに入ったかも~!はははっ!」
偽物のツバキは、腹を抱えて、ありえないほど大げさに笑い転げた。あの本物のツバキなら、絶対に取らない態度だ。彼女が偽物であることを再び証明した。それに、「アスにゃん」などという言葉──どこかで聞いたことが……
「あっ!」
思い出したのじゃ。帝国附属高校で、「恋愛相談部」を開きたいと騒いでいた、あのおかしな学生。「アスモデウス」。
「正解~♡」
ツバキの姿が次第に形を変え、金髪に小麦色の肌をもつ少女へと変わった。ふざけたようにピースサインを掲げ、ウインクしてくる。
「地獄七十二柱の一つ、王クラス、色欲の悪魔アスモデウス。よろしくね♪ ミラージュせ・ん・せ・い♡」
悪魔だと!?ありえない。あれは伝説の存在。何万年も前に地獄に封じられたはずの幻の生き物。それが、こんなふざけた姿で現れるはずがない。ドクターの策略か?しかし、彼が幻術を使えるとは聞いたことがない。
「もし、お主が本当の悪魔ならば、なぜわらわの邪魔をするのじゃ!悪魔は我ら魔族の味方のはず。なぜ人間を助ける真似をするのじゃ!」
「あなたたちが悪いんだよ~♪ あなたも、あのダークソウルっていう痛い奴も、『魔王』とか名乗るでしょ。人間の王様が『神』を自称するのと同じじゃん。今まで好きにさせてた分、感謝されるべきだと思わない?♪ そ・れ・に──」
アスモデウスは後ろから腕をわらわの首に回し、魅惑的で甘い声で、わらわの耳元に唇を寄せて囁いた。
「本物の魔王様を襲っちゃ、ダメでしょ~?♪ それも、モリリンの姿で襲うなんて♡」
その声は、魂の底に直接響くように冷たく、暖かいはずの車内が、全身を走る悪寒で凍りついた。冷や汗が襟を濡らす。生き物の本能が、わらわに警告する──危険、食われる。
先手必勝!
九本の尾を総動員し、車体を粉砕して脱出する。素早く陰陽術の札を取り出し、詠唱を開始。
「唵 阿瑟吒 紇哩」
木の真言。木の文字が現れた。
「唵 阿祢陀羅 紇哩」
火の真言。火の文字が現れた。
「唵 阿毘羅 紇哩」
土の真言。土の文字が現れた。
「唵 阿囉吒 紇哩」
金の真言。金の文字が現れた。
「唵 阿婆羅 紇哩」
水の真言。水の文字が現れた。
「五行結成、陰陽一如、急急如律令!」
五枚の札が光の線で結ばれ、五芒星が形成される。物理攻撃が通じぬなら、五つの属性を調和させたこの陰陽術で喰らうのじゃ!
「接近戦得意のアスにゃんの前で、呪文唱えてる余裕があるんだね~♪」
術が発動するより先に、アスモデウスは既にわらわの懐に潜り込んでいた。右足に刈りを入れられ、体勢を崩され、後ろへと倒れていく。マズい!体を反らせ、後方への重心移動を抑えねば!
だが、それさえも見透かされていたかのように、アスモデウスは力で押し切ろうとはせず、わらわの力を「受け流して利用」した。
「巴投げ(ともえなげ)!」
大外刈りの引き手を強く引き上げ、釣り手でわらわの腕を自らの方へ引き寄せる。その右足を地面につけず、そのままわらわの膝裏に踏み込み、支え軸とし、自ら積極的に後方へ倒れ込む。
地面に背中を強打する衝撃が、骨の髄まで響き渡る。一瞬、意識が飛びそうになった。ここは幻術の中ではなかったのか?なのに、この痛みは何なのじゃ?
だが、アスモデウスの手は緩んでいなかった。
着地と同時に、その両腿でわらわの首と胴体を挟み込み、体勢を固定する。さらに、わらわの腕をその胸の上で十字に組み、完全に封じた。
「やっぱり、投げ技の後は絞め技で決めないとね~♪ 腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)。今回のアスにゃん、手を抜かないよ。」
最初はただ、肘が引き伸ばされる奇妙な張力だけだった。だが、アスモデウスは徐々に、しかし確実に力を込めていく。次の瞬間、関節の奥深くから、金属のバネが限界まで引き伸ばされるような、鈍い軋む音を伴う痛みが走った。その痛みはすぐに、『もうこれ以上は耐えられない』と警告する、鋭い切断感へと変貌する。脳裏に、枯れ枝がぽっきりと折れる幻聴が響く。
痛くてたまらぬ!四肢は動かせぬが、わらわには尾がある……くたばれ、古き時代の遺物よ!
わらわが痛みに耐え、必死で尾を動かそうとしたその時──
「残念~♡ 時間切れだよ♪」
軽い、「くしっ」という音。
強烈な痛覚が、わらわの全神経を焼き尽くす。わらわの骨、靭帯、それに全てが、彼女の力の前にあっけなく折れたのだ。
悲鳴が、幻術の世界に反響する。だが、ここにいるのはわらわと彼女だけ。彼女の嗜虐的な笑みと、激しい苦痛の波の中で、わらわの意識は暗闇へと沈んでいった。
*
「ミラージュ♪ 運転中のお眠りは危ないわよ♡」
何度目の目覚めか、もはやわからぬ。再び目を開ければ、先ほどとまったく同じ光景が広がっていた。わらわはまだ同じ車を運転し、窓の外の景色も同じ。なにより、後部座席に座る「総統閣下」の姿も──
「ミラージュ♪ ミラージュ♪ まだボーッとしている。まだそんな年でもないでしょ♡」
同じ言葉が、同じ甘ったるい口調で、わらわに投げかけられる。
「今回は、女帝の真似はせぬのね。どんな風の吹き回しなのじゃ。」
「総統閣下」はツバキではなく、ツバキの服を着たアスモデウスだった。
「ええ~? せっかくアスにゃんが女帝コスプレでサービスしてるのに♡ もっと喜んでくれてもいいのにな♪」
どこまでふざけているのか。彼女が悪魔であることは、もはや疑いようもないのじゃ。
幻術に柔道。この二つだけでも厄介極まりないのに、まだ何か隠した能力があるに違いない。とにかく、この幻術の檻から脱出せねば。
「無駄だよ~♪ あなたがアスにゃんの幻術にかかった時点で、もう詰んでるんだから。アスにゃんの幻術が効かない相手ってね……」アスモデウスは指を折りながら数え始める。
「神様でしょ、明けの明星でしょ、モリリンでしょ、それに魔王様。この四人だけかな♪ あれ? こう見ると、アスにゃんって結構強いかも♡ こんなこともできるんだからね♪」
アスモデウスが指を鳴らすと、車内に一人の青年が現れた。
「皇帝陛下……!」わらわの最愛なる一人息子、帝国皇帝ティアノ・ブラッドムーン。これもまた、アスモデウスの創り出した幻影に違いない。しかし──
「あれ? 僕、なぜここに……? ミラージュ? あれ?」何も理解できず、困惑する姿は本物と見分けがつかない。まさか、彼女の狙いは……「やめるのじゃ!」
「嫌だよ~♡」
数万の剣が現れ、幻影のティアノを次々と貫いていく。ティアノの悲鳴が耳元で響く。偽物と知りながら、わらわの心はズタズタに引き裂かれる思いだった。
「母……さん……た……すけ……て……」そう呟いて、幻影のティアノは絶命した。その姿は、あまりにも痛々しい。
許さぬ……許さぬ、許さぬ!
全てを打ち払え。この悪魔だけは、絶対に許せぬ!
わらわは、全ての力を解放する。もはや、人間の姿を保っている余地はない。
*
コハクの姿が微かに揺らぐ。まるで遠くの陽炎のように、その輪郭が滲み始める。
最初に変化したのは背中だった。肩甲骨のあたりから柔らかな光が滲み出し、それが黄金の柔らかな毛並みへと変じていく。彼女の体が前傾する。背骨が優雅な弧を描き、獣のそれへと伸びていく。衣服は光の粒子となって散り、肌からは一気に金色の毛が生え揃う。それは陽光を浴びた小麦穂の色で、一本一本が微かに輝いている。
耳が尖り、顔立ちは妖艶な狐面へと変化する。目は細長く吊り上がり、瞳孔が紅玉のように深く輝く。口元からは、鋭く美しい牙が覗いた。
そして──尾が生える。
一本、また一本と、背骨の付け根から金色の流れのような尾が湧き出る。九本の尾は独立してうねりながらも、一つの生き物として調和し、周囲を優雅に旋回する。尾先は光の束のように、空間に細かな金色の軌跡を残す。
四肢は細くしなやかに伸び、爪が研ぎ澄まされた宝石のように地面を捉える。
最後に、彼女の全身を柔らかな光が一瞬包み──
そこに立っていたのは、もはや人間の女性ではない。優美な肢体を持ち、九本の黄金の尾をなびかせる、気高き妖獣そのものだった。琥珀色の瞳は虚空を見据え、深い怒りと力を宿している。
「へえ~♪ これが九尾の狐の本当の姿ね。かっこいい~! でも残念だけど、それでもアスにゃんには届かないんだよね~」
どうやら、柔道への対策で体を大きくしたわけね。だけど、アスにゃんは色欲の悪魔。幻術や柔道より、性魔術の方が一番得意なんだから♪
なぜか、あの時のモリリンの言葉を思い出す。
『彼の前で、私の姿を利用した暗殺行為は万死に値しますわ。だけど、彼女もまた一人の母親。それに免じて、半殺しで許してあげますわ。ふふふ。』
モリリンがあそこまで怒るのは初めてかも。アスにゃん、ちょっとお漏らししちゃいそうだったよ~。
狐化したコハクが、アスモデウスに襲いかかる。鋭い牙と爪、それぞれが意志を持つ九本の尾。どれも敵を八つ裂きにするには十分すぎる凶器だが、アスにゃんに接近戦を挑む時点で、負けは確定なのさ♪
あたしは何の抵抗もせず、彼女に噛みつかせた。大きく鋭い牙がアスにゃんの体に刺さる。ちょっと……エロくない? 考えただけで、軽くイっちゃいそう♡
「ああん♡ 大きい……ダメ、そんなに激しくされたら、アスにゃん壊れちゃうよ~♪」
攻撃側のコハクの方が、なぜか段々おかしくなっていく。なぜだかわかる? アスにゃんの体に粘膜接触した時点で、もうおしまいなんだから♡ 精力が吸われるのは当然。アスにゃん自身がエナジードレインを発動しているから、その速度はさらに倍増するんだよ。
「本番までしちゃうと、ミリリンがやきもち焼いちゃうから、今回はキスだけにしてあげる♡」
もはや立つことすらぎりぎりの獣化コハクに、あたしは唇を重ねた。
「♡エクスタシア・ブリーズ♡」
美味しい~♡ この精力は、きつねうどんの油揚げのように……爽やかで深いコクがある。
最初に軽やかな歯応え。薄い黄金色の皮がパリッと割れ、中からほんのり湯気とともに、大豆の優しい香りがふわり。
噛み進むと、表面の微かな甘みから、じんわり広がる優しい塩気へ。衣の食感が心地よく、中心はしっとり。油っこくなく、あっさりしていて、ついもうひと口……と手が伸びる軽食感。
アスにゃん、思わず食レポしちゃうほど美味な精気。さあ、もっと舌を動かして、あたしを楽しませて♪
精気がどんどん吸い取られ、コハクは巨大な狐の姿を保てなくなり、元の人間サイズに戻る。しかし、アスにゃんの食事はまだ終わっていない。
「やっ……ぱり……はむ……女の子……も結構いけるね♡ その……唇の柔らかさには……はむ……まれそう♪」
さらに精気を奪われ、コハクの体はどんどん小さくなっていく。しかし、もはやあたしの性魔術の支配下にある彼女に、反抗する術はない。蜘蛛の糸に絡め取られた虫のように、ただ一方的に食われるだけの運命だ。
「やっば、食べ過ぎたかも~♪」
最後に、モリリンの「半殺し」という言葉を思い出し、コハクが吸い殺される前に引き留めた。だけど、かつて妖艶を誇った美女コハクは、10歳にも満たない童女のような姿に変わっていた。どうやら、精気を奪いすぎたようだ。でへへ♪
「狐ちゃんの精気、美味しかったから、これからアスにゃんのベッドにしてあげるね♡」
気絶したロリ姿のコハクのお腹に、あたしのシジルが浮かび上がる。これで狐ちゃんは、永遠にアスにゃんのエネルギー供給源。彼女がそれ以上回復する精気は、全てあたしのシジルに吸収される。食べ物の心配がなくなったね。でも、狐ちゃんも永遠にこの姿のまま。
まあ、可愛いからいいかな♪
コハクサイド、五日目、終了。
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