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1巻

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「本当に美味しかったです。ありがとうございました。……あの、ところで。ここは」

 改めて周りを見回すと、どうやら彼女の立っているのは台所のようだ。
 土の床に備え付けられたかまどの一つに火が灯っている。その上で熱せられている鍋からは、先ほどのミルクの匂いが漂っていた。
 左を向けば、五脚ほどのテーブルが、しんとした空間に立ち並んでいる。

「食堂、ですか?」

 恭一郎は、どこか懐かしい空気を感じながら、ゆっくりと彼女に向き直った。

「あ、……はい。一応、そうです。はは、恥ずかしいな。ごめんなさいね、こんなところで」

 彼女は、少し表情をくもらせる。どう答えたらいいものか、そんな気持ちが恭一郎にも伝わってきた。
 まさか、自分を看病するために店を閉めているのだろうか。 

「すみません。僕のせいで、お店まで閉めさせちゃって」

 恭一郎は、どれだけの迷惑をかけているんだと、申し訳なさでいっぱいになる。

「え? いえ、その。そういうわけじゃ。……開けては、いるんですが。その……お客さんが」

 しかし、彼女は本当に気まずそうにつぶやいた。

「え?」

 しまった、と思った時にはもう遅い。恭一郎はつい聞き返してしまっていた。
 彼女の尻尾が、しゅんとしなだれていく。

「これでも、少し前までは流行はやってたんですよ。ただ、切り盛りしてた私のお父さんが去年亡くなっちゃって。皿洗いと皿運びしかやっていなかった私では、どうすることも……」

 尻尾は、すっかり垂れ下がっている。いじいじと動き、見るからに彼女が落ち込んでいるのが分かった。

「その、それは。すみません。辛いこと思い出させてしまって」
「いえ、いいんです。旅人さんのせいじゃありませんし。ろくなものが作れない、私が悪いんです」

 彼女の視線が、誰もいない客席へと移る。そのひとみは寂しげで、懐かしい風景を思い出しているようだった。

「前は、毎日、色んな人がきてくれたんです。料理を運ぶだけでも、休む暇なんてなかった」

 恭一郎も、つられて店内へと目を向ける。誰もいない席の群れが、寂しさを語りかけてきた。

「私が継いで、初めは常連さんも心配してよく来てくれてたんですけどね。ただ、やっぱりお仕事もありますし。毎日来てくれなんて、言えないじゃないですか」

 恭一郎は、黙って彼女の話に耳を傾ける。改めて見渡してみれば、確かに人の気配はないものの、床も机も、台所だって汚れ一つなく磨かれている。彼女がしんに仕事に取り組んでいる証拠だろう。
 料理さえなんとかすれば、大丈夫なはずだ。
 恭一郎の胸に、一つの決意が宿る。

「……その。なら、手伝ってもいいかな?」

 この人に、恩返しがしたい。
 この世界で、最初にすることが決まった。


「その。これが、今出せるうちのゆいいつのメニューなんですが」

 恭一郎の目の前に、ごとごとと、「食材」が並べられていく。

「……これが、ですか」

 恭一郎の言葉に、彼女が恥ずかしそうに顔を伏せた。

「やっぱり、その。……だめ、でしょうか?」

 恭一郎は、じっとテーブルの上を見つめる。そして、一筋の汗が恭一郎の額を伝った。
 パンとチーズとレタス、のようなもの。
 恭一郎の常識を当てはめるならば、テーブルの上のそれらは「メニュー」ではなく、「食材」だった。

「あの、調理とかは……」

 パンとおぼしきものを手に取る。ずいぶん硬いが、この表面の粉っぽさは、恭一郎のよく知るパンとさほど変わりはないように思えた。

「それが、初めはお父さんの真似をしてたんですけど。失敗ばっかりで。食材を無駄にするなら、いっそのことそのままと思いまして」

 やや申し訳なさそうに言うものの、彼女の表情は真剣そのものだ。このテーブルの上の「食材」たちは、彼女が試行錯誤した結果なのだろう。

「なる、ほど。確かに、炭にするよりかは……」

 恭一郎は、どうしたものかとテーブルの上を見る。レタスのようなものはかろうじて器に入っているが、パンとチーズは直置き。ここらへんは、文化の違いだろうか。

「ちょっと、食べてみてもいいですか?」

 とりあえず、味を知らないことには何とも言えない。恭一郎が目配せすると、彼女はこくりとうなずいた。どうぞ、ということだろう。

「ん、硬いな。っと」

 パンのようなものを、指で力任せに引きちぎる。意外にも、中身は柔らかいようだった。

「あむ。……うん。パンだ」

 かじると、恭一郎の口の中にほろ苦さが広がった。粉っぽさはあるが、食べられないというほどではない。ライ麦パンに近いだろうか。

「このパンで、あのミルクがゆも作ったんですよね?」
「え。あ、はい。……まあ、もっとも、そのポアンは粉屋さんが作ったのを仕入れているだけなんですが」

 彼女は照れくさそうに頬を染めると、尻尾をいじいじとくねらせた。

「えと。じゃあ、このチーズも?」

 恭一郎は、まさかと思って目の前のチーズを指さす。

「あ、はい。テーズは以前買ったものが、まだ大分残っているので」

 彼女の言葉を聞き、恭一郎の視界がくらりと揺らいだ。
 お客が来てくれるはずがない。
 彼女は街で買ってきた食材を、ただそのままお客に提供しようとしているのだ。台所にある量を見るに、大量購入による割引なんかもされていないだろう。
 そして、利益を生み出すために、当然値段を仕入れ値よりも高く設定しているはずだ。
 つまり、街で売っているものをそれよりも高い値段で売っているだけなのだ。

「だ、大丈夫ですか? ポアン自体は粉屋さんのなので、そんな変な味はしないと思うんですが」

 突然ぐらついた恭一郎を心配して、彼女が慌てて声をかける。
 おそらく、彼女には経営の知識がこれっぽっちもないのだろう。恭一郎はくじけそうになる心を立て直しながら、必死で打開策を考える。

「……ん、まてよ。パンに、チーズに……レタスまであるんだから」

 恭一郎の頭に、一つの案が浮かんだ。急いでチーズらしきものをつかんで、その欠片かけらを口の中に放り込む。
 しゃくすると、ボソボソとした固めの食感がした。こちらもややけものくささは強いものの、濃厚な味わいはおおむね恭一郎の想像するチーズだ。

(これなら、いけるんじゃないか?)
「すみません。包丁ありますか」
「ホーチョー、ですか? すみません、そんな食材はうちには。売ってるのも見たことないです」

 振り返った恭一郎に、彼女はきょとんとした表情を見せる。どうやら包丁が通じないらしい。

「えっと、調理用の刃物です。肉とかパンとか切ったりする」

 恭一郎は戸惑いながらも、彼女になんとか包丁の説明を試みる。

「ああ、ナイフですか。旅人さんの故郷って、変わった言い方するんですね」

 彼女は、説明でてんがいったというふうに、カウンターの上に置いてあったナイフを手にとった。

「はい、どうぞ」

 持ち手をこちら側にして手渡してくる彼女。このようなマナーは恭一郎の世界と同じらしい。

「あ、ありがとう」

 恭一郎はナイフを受け取ると、パンをスライスしていく。思ったよりも鋭い切れ味だ。

「それで、こっちもと」

 パンを薄く切り終えた恭一郎は、次にチーズを同じように薄くスライスしていく。固いチーズも、体重をのせるとみちみちと切ることができた。
 横で見ている彼女は、頭に「?」を浮かべながら、恭一郎の作業を興味深げに見守っている。

「んで、こいつらを挟んで完成っと。どうです、こういうのって見たことあります?」

 出来上がったばかりのものを、恭一郎は彼女に手渡す。彼女はしばらくそれを見た後、ふるふると首を振った。
 恭一郎に促された彼女が、一口かじる。

「……はむ。……むぐむぐ。……あ、美味おいしい」

 次の瞬間には、驚いたように手の中の「料理」を見つめていた。

「サンドイッチって言うんですよ。俺が住んでたところでは、珍しいもんじゃないんですがね。知らないっていうなら話は早い。それ、とりあえず売っちゃいましょうよ」

 恭一郎の言葉に、彼女の顔がぱあと明るくなる。

「すごい美味しいです。火も鍋も使ってないのに、こんなに美味しいなんて。旅人さんすごいです」

 彼女はうれしそうにサンドイッチを囓りながら、何度もその味を確かめていた。恭一郎も忘れていたことだが、このサンドイッチ、実は結構な大発明なのである。

「サンドイッチですか。変わった名前だけど、美味しいです」

 彼女は、恭一郎の目の前でぺろりとサンドイッチを平らげた。この食べやすさこそがサンドイッチの肝である。
 しかし、すぐに彼女の表情が暗くなる。

「あ、でも。……お客さんが来ないと、どうしようもないですよね」

 せっかく恭一郎が料理を考えてくれたのに、それを食べてくれるお客がいないということだろう。
 申し訳ないとがっくりする彼女に向かい、恭一郎はから立ち上がる。

「そこらへんも大丈夫ですよ。任せてください」

 恭一郎は、とりあえずと腕をまくる。ここからは、力仕事だ。

「この店、れいさっぱり片づけちゃいましょう」

 「ね、ねこのしっぽ亭の新作料理サンドイッチです! よ、よかったらお昼にどうですか!」
 昼時、人が増えてきた店の前で、恭一郎はせっせとサンドイッチをお客に配っていく。

「あ、ありがとうございます! ひとつ四百ギニーです。あ、ありがとうございます!」

 恭一郎の隣りでは、猫耳と尻尾をせわしなく動かしながら、彼女が久しぶりの忙しさに目を回していた。

「一緒にホットミルクもいかがですかー? こっちは一杯二百ギニーで、店内でも飲んでいただけますよー。器はカウンターに返してくださいねー」

 恭一郎も、汗を垂らす彼女に負けじと声を張り上げる。鍋から器にミルクを注ぎ、サンドイッチと一緒に店内で食べる人に渡していく。

「なんだいメオちゃん。なんか面白いことしてるじゃない」

 恭一郎の目の前で、ぶくぶくに肥えた豚が彼女に向かって声をかけていた。豚のように太った人ではない。服を着た豚そのものである。それだけでも奇妙なのに、やたらと濃いべにをしている。

「あ、はい! そうなんです! そこの旅人さんが考えてくれて!」

 メオと呼ばれた彼女は、笑顔で恭一郎を振り返った。

「へー、あんたが。俺はリュートってんだ。メオちゃんのことは、気になってはいたんだが……すまねぇな」

 豚の横で、鎧を着込んだトカゲの男が恭一郎の方を眺め、メオに申し訳なさそうに頭をいた。
 恭一郎が軽い自己紹介とともに頭を下げると、リュートは右手を挙げてそれに応える。
 額にまでびっしりと緑色のうろこが付いているが、その顔には、店に来られなかったことへの後悔の念がはっきり表れていた。

「いえ、そんなことは。皆さん、最初はあししげく通ってくださいましたし。その、私が何も分からなかったから……」

 メオが告げると、にぎわっていた店頭に一瞬せいじゃくが訪れる。

「……はいはい。そういう話は食べてからにして。お昼休み終わっちゃいますよ」

 その空気を、手をたたいて打ち切ったのは恭一郎だった。

「せっかく頑張って、机も店の前まで動かしたんだし。これ、後で元に戻さないといけないんですからね」
「あ、ああ。そうだな。商売の邪魔しちゃ悪い。メオちゃん、俺もひとつもらおうか」

 恭一郎の意図を察してか、リュートはわざとらしく声を明るくし、メオに注文する。

「私も、今日のお昼はこれにしようかしら。六つ貰える? あと、ミルクを二杯。あ、私が全部食べるわけじゃないわよ。余りは家族に持って帰るから」

 豚のおばさんも、やだわあと手を折りながらカバンの中から財布を取り出した。

「あらやだ。一万ギニーしかないわ。メオちゃん、お釣り大丈夫?」

 中身を確認したおばさんが、困ったようにキラキラと光る大判のコインをメオに見せている。


 言うまでもなく恭一郎からすれば、先ほどから目の前で次々繰り広げられる光景は、意識が吹っ飛びそうなくらいに驚くべきことばかりだった。
 豚の女性。トカゲの顔をした男。やけに耳がとがった美男美女。極めつけは、骨だけになった龍の化石。それらがみんな、当然のようにメオに向かって声をかけ、サンドイッチを購入していくのだ。
 でも恭一郎は、とりあえず目の前の非常識は気にしない方向で行くことに決めていた。気にしていたら、身がもたない。

「あ、はい。えっと、リュートさんは四百ギニーで。ピグおばさんは六つと二杯だから、えーっと……」
「二千八百ギニーで、お釣りは七千二百ギニーです。僕は硬貨の違いが分からないから、メオさんのほうで確認してください」

 思わぬ大量購入に指を必死に折って考え込んでいたメオに、恭一郎が助け船を出す。それを聞いた豚のおばさんが、あらあらと言いながらコインをメオに手渡した。

「あ、はい。……確かに、一万ギニーいただきました」

 ぽかんとした表情で恭一郎を見つめるメオに、恭一郎は訳が分からず不思議な顔をする。

「やるなあ、兄ちゃん。キョーイチローって言ったかい? そんだけ計算速いってことは、行商人か何かやってたろ。聞いてるとは思うが、びんな子なんだ。できるだけ力になってやってくれや」

 リュートも、へえといった顔で恭一郎に向き直った。見つめられた恭一郎は、なんだか気恥ずかしい。

「そんなに速いですかね? 普通だと、思いますけど」

 当たり前のことをしただけなのに、ここまで驚かれると照れてしまう。恭一郎は、メオのほうにちらりと目を向けた。

「いえいえ、すごいですよ。うちのお父さんも計算上手で自慢してましたけど、旅人さんの方が速いかもですよ」

 メオは、尊敬の眼差しで恭一郎を見つめている。恭一郎にとっては、なんだか騙しているみたいで居心地が悪い。

「やっぱ、旅するとなると身につくもんなんだろうな。このサンドイッチっつーのも、兄ちゃんの考えなんだろ? ……うん、うめえ! 片手で持って食えるってのはありがたいな。仕事仲間にも配るから、あと三つ買っていくぜ」

 リュートは、心底よかったよかったという風に恭一郎の肩をたたき、最後に「メオちゃん泣かせたら承知しねぇぞ」と、恭一郎に釘を刺して帰っていった。ぎらりと光る爪を見て、恭一郎は冷や汗を流す。
 そして、騒がしい店頭に誘われてきた人がだんだんと列をなすようになり、恭一郎のねこのしっぽ亭での一日目は、あわただしい時間とともに過ぎていった。


「すごいすごい! 大成功ですよ! こんなに売れたのは、お父さんの時にもあんまりなかったかも。旅人さん、ほら! 見てください!」

 メオはうれしそうにはしゃぎながら、机の上に積み上げられたコインを一枚一枚分別していく。
 結局、材料が尽きるまでサンドイッチは売れ続け、夕方になる頃には店じまいをすることになってしまった。メオが買いだめしていた食材は、もう何も残っていない。

「まあ、これからが大変なんですけどね」

 しかし、笑顔のメオとは違い恭一郎は思案顔だ。
 売れたには売れたが、それは昔の常連客が買いに来てくれたからである。積もる話もあってか、ずいぶんと店の前に人だかりが出来た。それに釣られた新規の客も今日は確保できたわけだが、この勢いは長くは続かないだろうと恭一郎は予想する。店の復興には、リピーターの獲得が必要不可欠だ。

「でもこれだけあれば、仕入れも大丈夫かな。明日は、もうちょっとサンドイッチの中身を考えて売ってみましょう」

 しかしながら、恭一郎も、コインの山を見てなんだか楽しくなる。金が積み上がる様というのは、どこの世界でもいいものだ。
 だいたいの、コインの種類も覚えられた。恭一郎が見た限りでは、日本の硬貨と紙幣がコインになった感じだ。十ギニー、百ギニー、五百ギニー、そして千ギニーと一万ギニーのコインがあるらしい。日本でたとえるなら、一円玉と五円玉、それと五十円玉と五千円札がない感じか。

「中身って? 明日の分の、テーズとレシャスを買いに行くんじゃないんですか?」

 恭一郎に、きょとんとした顔でメオが首をかしげてくる。どうやら、サンドイッチの凄さをあまり認識できていないらしい。

「ああ。今回は、言わばあり合わせのもので作りましたから。サンドイッチには何挟んでもいいんです。卵でも肉でも、魚でも。いっそのこと、日替わりで中身変えるのも面白いかも」

 今日の忙しさを考えるに、確実に人手不足な感じは否めない。複数の種類をさばくのはぼうというものだろう。しばらくは、日替わり制でいろいろと試すのがよさそうだ。そのうち、ヒット商品なんかも出来るかもしれない。

「……す、すごい。すごいです旅人さん! 昼間も思いましたけど、旅人さんって実はとんでもなくすごい人なんじゃないですか!」

 明日からどうするかと考える恭一郎に、メオは興奮したように尻尾をぶんぶんと振りながら詰め寄って来た。ふんすと鼻息を荒らげ、興味津々きょうみしんしんな様子だ。

「……そんな、大したもんじゃありませんよ。前居たところで上手くいかずに、逃げてきただけです」

 恭一郎はちょうに笑いながら、手を振った。それを聞いたメオが、申し訳なさそうな表情になって尻尾を垂らす。色々と聞き過ぎたとでも、思っているのだろう。

「でも、俺にできることなら力になります。メオさんは、俺の恩人だから。本当に、ありがとう」

 しかし、すぐに笑った恭一郎を見て、メオはぶんぶんと首を振った。

「い、いえ! お礼を言うのは私の方で! ……こちらこそ、ありがとうございます!」

 二人だけの店内に沈黙が訪れ、なんだか気まずい空気が流れる。

「え、えっと。少し早いですけど、お夕飯にしましょうか」

 耐え切れなくなったのか、顔を赤くしながらメオはカウンターの方へと歩み寄った。

「へへへ、残しておいたんですよ」

 持ってきたものは、昼間のサンドイッチだ。どうやら、自分たちの分をとっておいたらしい。

「ん? 三つあるけど、これは」

 恭一郎は、メオの手にサンドイッチがいくつも重なっていることに気がついた。まさか、恭一郎の分を多めに残しておいてくれたのだろうか。

「あ、これはアイジャさんの分です」

 しかし、どうやら違ったらしい。メオから返ってきたのは、初めて聞く名前だった。

「アイジャさん?」

 メオに向かい、恭一郎は首を傾げる。

「あ、そっか。旅人さんは知りませんよね。うちの二階に泊まってくれてる、お客さんです」

 そう言われ、恭一郎は自分が寝かされていた部屋を思い出す。ずいぶん殺風景な部屋だと思っていたが、なるほど、ここは宿屋もやっていたのか。
 だとすれば、宿代も払っていない恭一郎としてはもっと役に立ちたくなるというものである。

「アイジャさんは、魔法使いなんですよ」

 明日からも頑張ろう。そう思っていた恭一郎の耳に、なんとも異世界な単語が飛び込んできた。



 2 剣と魔法のファンタジー


「アイジャさんは、うちの一番大きな部屋に泊まってるお客さんなんですよ」

 メオは、皿の上に載せたサンドイッチを落とさないように、慎重に階段を踏みしめる。
 なんでも半年ほど前にふらっとこの街にやってきて、一年分の宿賃を一括で払ってくれたらしい。恭一郎にはこの世界の物価はよく分からないが、結構な大金であることは間違いないだろう。

ちょうお客さんも来なくなった頃で。アイジャさんがいなかったら、この店とっくにつぶれちゃってます」

 メオはわりと深刻な話を、えへへと笑いながら恭一郎に話す。恭一郎は乾いた笑いしか返せないが、もっのところ恭一郎の興味はそこではなかった。
 魔法使い。
 ある意味、恭一郎も聞きなれた言葉である。科学とはまったく別の、異世界の技術体系。それを使う者。
 恭一郎は、目の前を行くメオの頭を見た。ひくひくと動いている猫の耳。下を見れば、ご機嫌に揺れる尻尾が八の字に泳いでいる。
 メオだけではない。恭一郎は、今日出会った奇想天外な住人たちを思い浮かべていた。
 とうてい、すぐに受け入れられるものではない。メオはまだ、ほとんどが人間と言える容姿をしている。しかし、しゃべる豚。トカゲ男。お前はどうやってサンドイッチを食べるつもりだと突っ込みたくなる、骨だけの龍の化石。これらは、どう頑張っても恭一郎の常識の外の存在だ。
 しかし、それでも恭一郎はこの異形の人たちを否定する気にはならなかった。
 最初は、そりゃあ面食らいもした。でも、知ってしまったのだ。彼らが、自分と何も変わらないことを。
 リュートと言うトカゲの兵士は、この街を守る自警団の一員らしい。メオの力になってあげられなかったことを、とても後悔していた。そして、よそ者の自分を受け入れて、メオを頼むと背中をたたいてくれたのだ。
 ピグおばさんという太った豚の女性は、昔は誰もが振り向くほどの美人だったのだと、笑いながら語った。真偽のほどは分からないが、その仕草は恭一郎の知る、気のいい日本のおばさんたちと何一つ違いはない。
 心を許し始めていることに驚きながら、恭一郎はもう一度先ほどの単語をしゃくする。
 魔法使い。
 魔法というものが、本当にあるのだろうか。メオや街の人々が使っているところは見たことがないが。
 あの人たちに比べ、この言葉のなんとさんくさいことか。

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