異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第8章:春、急カーブと思っていたらまさかのクランク

第6話:兄と弟

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 レイの授爵が決まり、王宮がその準備で動き始めたころのことです。レイの兄であるライナスは、通信省にある自分の執務室でいつものように仕事をしていました。すると、そこに同い年で同僚のクライヴが駆け込んできました。

「ライナス! お前の弟が授爵されるぞ!」
「……はあっ?」

 ライナスは怪訝な顔でクライヴを見ました。こいつは忙しすぎて頭がおかしくなったのかと、その目は言おうとしているようでした。

「レイモンド・ファレルってお前の弟だろ?」
「どうして知っているんだ?」
「だから、そのレイモンドが男爵になるって話になったんだよ、ついさっき。ほら、見てみろ」

 新しいダンジョンが見つかり、それによって新しい男爵が誕生することになった。授爵式は明後日に行う。宮内省から通信省に、そのような内容の手紙を配達する仕事が届いたのです。

「なるほどなあ。仕事が終わったら覗いてみるか」

 のんびりとした様子のライナスを見て、クライヴは呆れた顔をしました。

「なあ、弟が貴族になるのに驚かないんだな」
「ん? うちの弟なら、何があってもおかしくないと思っていたからな」

 長兄のトリスタンだけでなくライナスも、レイのことをただ者ではないと感じていました。
 レイは五つの時点で読み書き計算を完璧に覚えると、父親が書いた手紙の添削を行うようになりました。八つのときには、領民を増やすための政策を父親から任されていました。それほどの弟です。男爵になったくらいで、今さら何を驚くのかと。
 さすがに弟が国王になればライナスでも驚くでしょう。しかし、冗談でもそれを王宮内で口にすれば、間違いなく首が飛ぶので、絶対に言いませんが。
 ライナスに特異な部分があるとすれば、レイに対してまったく嫉妬しなかったことでしょう。弟のほうが優秀なら、兄としては複雑な気分になるはずです。
 長兄のトリスタンは、レイに対して複雑な感情を持っている時期がありました。自分が長男なのは事実ですが、跡取りの一人でしかなかったからです。レイに時期領主の地位を奪われるのではないかという考えが、レイが成長するにつれて大きくなっていたからです。それはレイが五歳から八歳、トリスタンが一三歳から一六歳のころでした。
 ところが、ライナスにはそのような嫉妬はありませんでした。そもそも、彼は次男であり、跡を継ぐのは難しいのです。さらに、自分には領地を治めるだけの力はないと思っていました。こう思っていたからこそ、家を出ることに対して抵抗はありませんでした。それよりも長兄に対して、「早く二人目を作ってくれないかな」と思っていたくらいだったのです。

「クライヴ、手土産は何がいいと思う?」
「……ワインでいいんじゃないか?」

 泰然自若なライナスに、クライブはもう何も言えませんでした。

 ◆◆◆

「レイ」
「あ、兄さん」
「急だから何も用意できていないが、とりあえず祝いだ」

 仕事が終わったライナスはワインの瓶を片手にレイが泊まっている部屋を訪れました。レイはツマミになりそうなものを取り出しました。ワインをグラスに注ぐと、目の高さに掲げて乾杯します。

「こうやって乾杯するのは、クラストン以来だな」
「ありましたね」

 あれは去年の夏でした。ライナスたちが乗っていた馬車がタスクボアーの群れに襲われました。シーヴが街道の異変に気づいたので間に合いましたが、あと五分到着が遅れていれば、もしくはレイたちが狩りに出かけていなければ、ライナスはここにいなかったでしょう。

「あれからずっとクラストンにいたんだよな?」
「はい。あれからすぐに、家というか、店舗付きの住宅を領主様からいただきまして、そこを拠点にしていました」

 あのころのレイたちは、まだ白鷺亭で部屋を借りていました。ギルド長のザカリーに呼ばれ、そのまま領主邸に連れていかれました。そこでレイが家をもらうという話になりました。領主のローランドとしては、グレーターパンダの件で、恩を返しておきたかったのです。

「クラストンはエルフと魔道具の取り引きをしているんですが、当時はエルフを嫌がる冒険者が多くて、それで仕事が俺たちに回ってきました」
「エルフなあ。言葉が悪いな」
「やっぱり兄さんでもそう思いますか?」
「ああ、そう思う」
「それが、わりと誤解なんですよ」

 エルフの共通語は語彙がおかしく、上から目線になっているとレイは説明します。

「ははあ。そういうことか」

 自分が日常的に使っている言葉がおかしいことには、なかなか気づかないものです。ましてや、誰にも指摘されたことがないとすれば。

「ジンマのほうでは、正しい共通語というか、おかしな語彙を置き換えるための教本を配っています。これですね」

 教本を受け取ったライナスは、ぱらぱらとページをめくり、ふむふむとうなずきました。

「わかった。今度会ったら伝えておこう。で、これは他にもあるのか?」
「ありますよ。これくらいでいいですか?」

 レイはテーブルの上に二〇冊ほど出しました。自分たちで作ったので、元手はかかっていません。戻ればいくらでもあるものです。

「タルナスという、魔道具の維持管理をしているエルフがいるんだが、彼の行きそうな場所に渡しておこう。しかし、そうやって普通に冒険者をしていると思ったら、いつの間にか領主か」
「本来なら代官をするはずだったんですけどね」

 あのとき、ライナスはレイから冒険者をしていると聞きました。ライナスは冒険者ではありませんし、冒険者について詳しくはありません。ごく普通の貴族の息子です。だから、一頭で金貨一枚の稼ぎになるグレーターパンダを週に一〇〇頭も二〇〇頭も狩り、何体ものゴーレムを使役する冒険者が普通ではないことを、ライナスは知らなかったのです。

「そうだ。一つ聞いていいか?」
「はい」
「陛下から手紙の配達を頼まれたことがあった。あれはどういうことだったんだ? 聞いちゃマズければ聞かなくてもいいんだが」

 あるとき、ライナスの執務室に国王ランドルフ八世が現れました。レイに手紙を送ってほしいとライナスに頼みました。言われたとおりにすると、しばらくしてクラストンから大きな荷物が届きました。ライナスは国王と直接会って渡すという栄誉にあずかったのです。ライナス的にはちょっと迷惑でしたが。

「俺たちが染めた生地が貴族の間で流行ったみたいですね。今日もたくさん見かけましたが」
「最近はカラフルになったな」

 上下の色違いなら大人しいほうで、レイの目にはピエロのように見える貴族もいました。そう考えると、国王はまだ落ち着いた服装でした。キラキラと輝いていましたが。

「一足先に領主様経由で陛下にお渡ししていましたが、貴族たちが真似を始めたので、国王らしく目立つ方法はないかと尋ねられました」
「ああ、あれはそういう話だったのか」
「ええ。国王らしい衣装ということで、できる限り目立つようにしました。できたのは偶然ですけどね」

 金貨を粉末にする方法はなかなか想像できないだろうとレイは思っています。最初はケイトの持っている【衝撃】が組み込まれたとステータスカードの間に金貨を挟んで金箔を作ろうとしました。ところが、メイスとステータスカードの間で衝撃波が往復してしまい、一瞬にして金貨が微粒子になってしまったのです。
 レイたちはこの金粉の製法は今のところ秘匿しています。なかなかステータスカードを使うという方法は思いつかないはずなので、当分は隠せると考えています。
 この一連の話の中でローランドが子爵になり、レイに恩を返そうと考え、代官に指名することが決まりました。

「それで町の建設を始めたところで、ど真ん中にダンジョンができたんです」
「俺は冒険者じゃないからわからないが、ダンジョンってある程度大きくなってから見つかるらしいな」
「普通はそうらしいですね。ダンジョンがあると知らずに出かけた先でたまたま見つけるとか」

 たいていは何もない場所にできているのを発見されます。だから、新しく作っている町の中に突然現れることは想定外でした。とはいえ、元から周囲に何もない場所でしたので仕方ないですね。
 エルフの森の一番西の端に、ほぼ草しか生えていない場所がありました。いつからそうだったのかはわかりません。エルフたちに聞いても、森から出なかったのでわからないと言われました。ダンジョンができかけていたから木がなかったのではないか。そのような可能性をレイは考えました。

「とりあえず毎日記録をとるように頼んでいますから、ある程度そろったら国に提出しようと思います」
「それがどれくらいの価値になるか分からないが、珍しいことは間違いないな」
「そうですね。他の国でどれくらいあるか、ちょっと気にはなりますね」

 ダンジョンは世界中のどの国にもあります。場合によってはグリーンヴィルのように、できた直後に発見されたパターンもあるかもしれません。ただし、そのような情報を得る手段がないのがこの世界です。
 通信手段は手紙一択で、送り方がいくつかあるだけです。ギルドに頼んで馬車で送ってもらうか、ライナスのような鳥使いに送ってもらうかです。
 王族や貴族、平民でも富裕層なら後者でしょうが、平民の大半は前者です。しかも、平民には読み書きできない人もいます。届いた手紙を誰かに代読してもらわなければなりません。返事も代筆を頼むことになるでしょう。送料もかかります。手紙それ自体が庶民にとっては高すぎるハードルなのです。

「そうだ、あとで兄さんに実家に手紙を送りたいんですが」
「ああ、いくらでも送ってやる」
「お願いします」

 それからしばらく、兄弟は酒を酌み交わしながら、昔話やこれからの話に花を咲かせたのでした。
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