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第十五章【禁忌】
第七十六節 夢見た未来
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ビアンカはぼんやりとした様子で、その場所に立ち尽くしていた。
辺りは様々な色彩の花や装飾品に彩られ――、建物から建物の間に通された飾り罫には、“全知全能の女神”として各国で崇められている六対の翼を持つ女神を象った紋様が描かれている。
色鮮やかな様相を見せるそこは多くの人で賑わい――、行き交う人々の皆が皆、楽しげで気持ちが華やいでいる様を見せていた。
多くの人混みで紛れてしまってはいるが、往来のそこかしこには多種多彩な品物を扱う屋台が立ち並んでいる。
場所によっては、演劇と思しき催しものを行っている者たちや寓意を披露している者を囲い込み、それを夢中になって見学している人々がいるのも目に付いた。
そこは非常に活気付き、生き生きとした――、幸せそうな人々の営みの雰囲気をビアンカに伝えていた。
ビアンカには、その光景に見覚えがあった――。
(――これは……、“豊穣祈願大祭”のお祭り……?)
ビアンカは、今――、自身が目にしている光景に信じられない思いを抱く。
“豊穣祈願大祭”――。
それは、リベリア公国で秋に執り行われる、豊穣を感謝する祝祭の一つである。
“全知全能の女神・マナ”を崇める世界宗教の風習であり、その女神をその時だけは“豊穣の女神”として祀り上げ、その年の豊作を祝い感謝すると共に、次の年の豊作を祈願するために行われる――。リベリア公国を揚げての、盛大な政だった。
秋に執り行われる、この“豊穣祈願大祭”を、ビアンカは毎年楽しみにしていたのを良く覚えていた――。
――だけど、リベリア公国は……、もう存在しない国のはずじゃ……。
ビアンカ自身が、“喰神の烙印”の呪いの力を持ってして、リベリア公国を滅亡に追いやった。そのために、もうリベリア公国という名前の国は、この世に存在しないものとなっている。
その事実があった故――、今のこの情景にビアンカは酷く困惑してしまう。
困惑し、辺りを見回していたビアンカの後ろから――、彼女が立ち尽くしていることに気が付いた一人の少年が、慌てた様子で駆け寄って来ていた。
「いたいた。おい、ビアンカッ!!」
不意に背後から声を掛けられ、振り向いたビアンカは――、声を掛けてきた主を目にして、信じがたい思いを抱き驚愕した表情を見せる。
ビアンカに声を掛けてきたのは、彼女の見覚えのある人物だった。
赤茶色の髪に同じ色の瞳を持つ少年――。
「ハル……ッ?!」
立ち尽くしていたビアンカの元に駆け寄って来た人物は――、ビアンカが見紛うことがあるはずのない見知った少年――ハルであった。
あまりにも唐突な出来事に、ビアンカは驚き、戸惑いを隠しきれなかった。
だが――、ビアンカを見つけて駆け寄って来たハルは、そんな彼女の戸惑いに気が付かず、走って来たことで息を切らせて荒い呼吸を繰り返していた。
「――全く。どこに行っちまったのかと思ったよ。あれだけはぐれるなよって言ったのに……」
余程慌てて走り回っていたのであろう。ハルの額には微かに汗が浮かび、息を切らせながら安堵を窺わせる表情を見せた。
「祭りではしゃぎたい気持ちは分かるけど。――あんまり心配させるなよな」
ハルは息を整えながら、微かに笑みを浮かべビアンカに諭しの言葉を投げ掛ける。
それは――、平穏だった頃のリベリア公国で、日常的に見られてきた風景だった。
ビアンカが何か厄介事を起こす毎、決まってハルは心配を窺わせる言葉と共に、諭しの言葉も口にしていた。
(――これは……、あり得ないこと。だって……、ハルは、もう……)
ビアンカには目の前に立つハルの存在に、我が目を疑っていた。
――ハルは……、私を助けるために……。
ハルは、死の淵に立たされたビアンカのために、自らの命を投げ出した――。
そのことはビアンカの眼前で起こり――、ビアンカ自身がハルを看取ったからこそ、彼女を戸惑わせていた。
そんな戸惑いの様子を見せていたビアンカに、ハルは眉を寄せる。
「どうかしたのか? 顔色悪いぞ、お前……?」
「――ハルは……、私を助けるために、“喰神の烙印”に魂を喰われて……、死んだはずじゃ……」
「俺が死んだだってえ……っ?!」
ビアンカが震える声で発した言葉に、ハルは少年らしく大きな笑い声を上げだした。
「なんだよ、ビアンカ。寓意でも観て怖い思いでもしたのか?」
ハルはくつくつと笑いながら、口にする。
ビアンカは、そんなハルの態度に唖然としていた。
ハルの取る仕草や笑い声、からかうような口調。全てが――、ビアンカの知るハルそのものだった。
「もしくは――、一人で迷子になって。夜に見た怖い夢でも思い出したか……?」
ハルは不意に笑うのを止め、優しさを宿す赤茶色の瞳でビアンカを見やる。
「夢……、だったのかな……?」
ハルの発した言葉を聞き、ビアンカはポツリと呟いた。
――今まで起こったことは、全て夢だった……?
ハルが死んだことも、父親であるミハイルが死んだことも。リベリア公国で起こった“リベリア解放軍”による反乱も。そして――、ビアンカ自身がリベリア公国を滅ぼしたことも、全て夢だった。
(まさか……、そんなはずは……)
心の片隅であろう筈がないと考えつつもビアンカは――、全てが悪い夢だったと。そうであったならば、どれほど良いだろうかと思う。
「夢見が悪かったんなら、後で俺がゆっくり聞いてやるからさ。誰かに話せば、そんなはずあるわけないって笑い話にできるだろ?」
優しい声音で、まるでビアンカをあやすようにハルは言う。
ハルの言葉に――、ビアンカは腑に落ちない気持ちを抱きつつも、小さく頷く。
「とりあえずさ。――みんな、お前のことを待っているぞ」
「みんな……?」
ビアンカはハルの言う言葉に、疑問混じりに声を零して首を傾げる。
ビアンカの問いにハルは頷き――、顔を動かし自身の後ろを示した。
ハルの仕草に釣られるように、そちらへと視線を向けたビアンカは、胸を締め付けられるような錯覚を起こした。
「お父様……。それに――、お母様も……」
そこには――、ビアンカにとって、再び出会うことを切望していた者たちの姿があった。
ビアンカが目にした人物――。
それは、微笑みを浮かべてビアンカに目を向けて佇む父親――ミハイル。
そして、ミハイルに寄り添うようにし、優しげな笑みを見せる母親――カタリナの姿であった。
その後ろには笑顔で手を振るヨシュア――。
傍らには――、不愛想な表情で控えるレオンの姿。
「さっき、ホムラ師範代やゲンカクお師匠様にも会ってさ。ビアンカがここら辺でぼんやり立っていたって聞いたから、急いで迎えに来たんだぞ」
驚嘆の表情を浮かべるビアンカを意に介さず、ハルは言う。
「屋敷で待っているマリアージュさんやノーマンさんたちにも、土産を買って帰ってやりたいのも分かるけどさ」
苦笑混じりにハルは、ビアンカを茶化す。
ハルはビアンカが、“豊穣祈願大祭”の祭りで、屋台や見世物に夢中になってはぐれたと――、そう思い込んでいるようだった。
「もうすぐ、リベリア国王とリベリア王妃の祝祭の挨拶が始まっちまうぞ。ミハイル将軍と一緒に、お前もそれに参列しないといけないんだろう?」
“豊穣祈願大祭”は、リベリア公国が執り行う政の一つであるため、毎年決まってリベリア国王とリベリア王妃による祝祭の開幕式礼が行われる。
開幕式礼には――、リベリア公国に所縁のある、騎士の家系や貴族の家系の者たちが参列するのが決まり事となっている。
但し、“豊穣祈願大祭”自体は無礼講に近い政なため、一般国民にも祭りの日はリベリア王城内に入城することを許され、その開幕式礼に自由に参列することができるものであった。
「とりあえず――、行こうぜ」
ハルは少年らしい満面の笑みを見せ、ビアンカに革のグローブが嵌められた左手を差し出した。
ビアンカは呆気に取られた表情を浮かべ――、ハルの差し出された左手を見つめる。
(――そうか……。今までのことは……、悪い夢を見ていたんだ……)
ビアンカは心中で、そう考える。
今まで起こった出来事の全てが――、悪い夢だったのだと。
――平穏な日々。これは……、私が夢見て望んでいた幸せな未来の一つ……。
そうビアンカは思いながら、差し出されたハルの左手に、自らの手を伸ばしていた――。
辺りは様々な色彩の花や装飾品に彩られ――、建物から建物の間に通された飾り罫には、“全知全能の女神”として各国で崇められている六対の翼を持つ女神を象った紋様が描かれている。
色鮮やかな様相を見せるそこは多くの人で賑わい――、行き交う人々の皆が皆、楽しげで気持ちが華やいでいる様を見せていた。
多くの人混みで紛れてしまってはいるが、往来のそこかしこには多種多彩な品物を扱う屋台が立ち並んでいる。
場所によっては、演劇と思しき催しものを行っている者たちや寓意を披露している者を囲い込み、それを夢中になって見学している人々がいるのも目に付いた。
そこは非常に活気付き、生き生きとした――、幸せそうな人々の営みの雰囲気をビアンカに伝えていた。
ビアンカには、その光景に見覚えがあった――。
(――これは……、“豊穣祈願大祭”のお祭り……?)
ビアンカは、今――、自身が目にしている光景に信じられない思いを抱く。
“豊穣祈願大祭”――。
それは、リベリア公国で秋に執り行われる、豊穣を感謝する祝祭の一つである。
“全知全能の女神・マナ”を崇める世界宗教の風習であり、その女神をその時だけは“豊穣の女神”として祀り上げ、その年の豊作を祝い感謝すると共に、次の年の豊作を祈願するために行われる――。リベリア公国を揚げての、盛大な政だった。
秋に執り行われる、この“豊穣祈願大祭”を、ビアンカは毎年楽しみにしていたのを良く覚えていた――。
――だけど、リベリア公国は……、もう存在しない国のはずじゃ……。
ビアンカ自身が、“喰神の烙印”の呪いの力を持ってして、リベリア公国を滅亡に追いやった。そのために、もうリベリア公国という名前の国は、この世に存在しないものとなっている。
その事実があった故――、今のこの情景にビアンカは酷く困惑してしまう。
困惑し、辺りを見回していたビアンカの後ろから――、彼女が立ち尽くしていることに気が付いた一人の少年が、慌てた様子で駆け寄って来ていた。
「いたいた。おい、ビアンカッ!!」
不意に背後から声を掛けられ、振り向いたビアンカは――、声を掛けてきた主を目にして、信じがたい思いを抱き驚愕した表情を見せる。
ビアンカに声を掛けてきたのは、彼女の見覚えのある人物だった。
赤茶色の髪に同じ色の瞳を持つ少年――。
「ハル……ッ?!」
立ち尽くしていたビアンカの元に駆け寄って来た人物は――、ビアンカが見紛うことがあるはずのない見知った少年――ハルであった。
あまりにも唐突な出来事に、ビアンカは驚き、戸惑いを隠しきれなかった。
だが――、ビアンカを見つけて駆け寄って来たハルは、そんな彼女の戸惑いに気が付かず、走って来たことで息を切らせて荒い呼吸を繰り返していた。
「――全く。どこに行っちまったのかと思ったよ。あれだけはぐれるなよって言ったのに……」
余程慌てて走り回っていたのであろう。ハルの額には微かに汗が浮かび、息を切らせながら安堵を窺わせる表情を見せた。
「祭りではしゃぎたい気持ちは分かるけど。――あんまり心配させるなよな」
ハルは息を整えながら、微かに笑みを浮かべビアンカに諭しの言葉を投げ掛ける。
それは――、平穏だった頃のリベリア公国で、日常的に見られてきた風景だった。
ビアンカが何か厄介事を起こす毎、決まってハルは心配を窺わせる言葉と共に、諭しの言葉も口にしていた。
(――これは……、あり得ないこと。だって……、ハルは、もう……)
ビアンカには目の前に立つハルの存在に、我が目を疑っていた。
――ハルは……、私を助けるために……。
ハルは、死の淵に立たされたビアンカのために、自らの命を投げ出した――。
そのことはビアンカの眼前で起こり――、ビアンカ自身がハルを看取ったからこそ、彼女を戸惑わせていた。
そんな戸惑いの様子を見せていたビアンカに、ハルは眉を寄せる。
「どうかしたのか? 顔色悪いぞ、お前……?」
「――ハルは……、私を助けるために、“喰神の烙印”に魂を喰われて……、死んだはずじゃ……」
「俺が死んだだってえ……っ?!」
ビアンカが震える声で発した言葉に、ハルは少年らしく大きな笑い声を上げだした。
「なんだよ、ビアンカ。寓意でも観て怖い思いでもしたのか?」
ハルはくつくつと笑いながら、口にする。
ビアンカは、そんなハルの態度に唖然としていた。
ハルの取る仕草や笑い声、からかうような口調。全てが――、ビアンカの知るハルそのものだった。
「もしくは――、一人で迷子になって。夜に見た怖い夢でも思い出したか……?」
ハルは不意に笑うのを止め、優しさを宿す赤茶色の瞳でビアンカを見やる。
「夢……、だったのかな……?」
ハルの発した言葉を聞き、ビアンカはポツリと呟いた。
――今まで起こったことは、全て夢だった……?
ハルが死んだことも、父親であるミハイルが死んだことも。リベリア公国で起こった“リベリア解放軍”による反乱も。そして――、ビアンカ自身がリベリア公国を滅ぼしたことも、全て夢だった。
(まさか……、そんなはずは……)
心の片隅であろう筈がないと考えつつもビアンカは――、全てが悪い夢だったと。そうであったならば、どれほど良いだろうかと思う。
「夢見が悪かったんなら、後で俺がゆっくり聞いてやるからさ。誰かに話せば、そんなはずあるわけないって笑い話にできるだろ?」
優しい声音で、まるでビアンカをあやすようにハルは言う。
ハルの言葉に――、ビアンカは腑に落ちない気持ちを抱きつつも、小さく頷く。
「とりあえずさ。――みんな、お前のことを待っているぞ」
「みんな……?」
ビアンカはハルの言う言葉に、疑問混じりに声を零して首を傾げる。
ビアンカの問いにハルは頷き――、顔を動かし自身の後ろを示した。
ハルの仕草に釣られるように、そちらへと視線を向けたビアンカは、胸を締め付けられるような錯覚を起こした。
「お父様……。それに――、お母様も……」
そこには――、ビアンカにとって、再び出会うことを切望していた者たちの姿があった。
ビアンカが目にした人物――。
それは、微笑みを浮かべてビアンカに目を向けて佇む父親――ミハイル。
そして、ミハイルに寄り添うようにし、優しげな笑みを見せる母親――カタリナの姿であった。
その後ろには笑顔で手を振るヨシュア――。
傍らには――、不愛想な表情で控えるレオンの姿。
「さっき、ホムラ師範代やゲンカクお師匠様にも会ってさ。ビアンカがここら辺でぼんやり立っていたって聞いたから、急いで迎えに来たんだぞ」
驚嘆の表情を浮かべるビアンカを意に介さず、ハルは言う。
「屋敷で待っているマリアージュさんやノーマンさんたちにも、土産を買って帰ってやりたいのも分かるけどさ」
苦笑混じりにハルは、ビアンカを茶化す。
ハルはビアンカが、“豊穣祈願大祭”の祭りで、屋台や見世物に夢中になってはぐれたと――、そう思い込んでいるようだった。
「もうすぐ、リベリア国王とリベリア王妃の祝祭の挨拶が始まっちまうぞ。ミハイル将軍と一緒に、お前もそれに参列しないといけないんだろう?」
“豊穣祈願大祭”は、リベリア公国が執り行う政の一つであるため、毎年決まってリベリア国王とリベリア王妃による祝祭の開幕式礼が行われる。
開幕式礼には――、リベリア公国に所縁のある、騎士の家系や貴族の家系の者たちが参列するのが決まり事となっている。
但し、“豊穣祈願大祭”自体は無礼講に近い政なため、一般国民にも祭りの日はリベリア王城内に入城することを許され、その開幕式礼に自由に参列することができるものであった。
「とりあえず――、行こうぜ」
ハルは少年らしい満面の笑みを見せ、ビアンカに革のグローブが嵌められた左手を差し出した。
ビアンカは呆気に取られた表情を浮かべ――、ハルの差し出された左手を見つめる。
(――そうか……。今までのことは……、悪い夢を見ていたんだ……)
ビアンカは心中で、そう考える。
今まで起こった出来事の全てが――、悪い夢だったのだと。
――平穏な日々。これは……、私が夢見て望んでいた幸せな未来の一つ……。
そうビアンカは思いながら、差し出されたハルの左手に、自らの手を伸ばしていた――。
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