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第一章 -ゲームの始まり-

第2話 11月5日

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 結局、夜が明けても和泉から返事はなかった。

 身支度と朝食を済ませた小春は、いつも通りの時間に家を出る。

 昨日言っていた通り、門前で蓮が待っていた。

「おはよ」

「ん? おー、おはよ」

 蓮は何やらスマホと睨めっこ状態だった。学校へ向かいつつ、小春はその理由を尋ねる。

「何見てるの?」

「いや、何っつーか……」

 何処か険しい表情でスマホをポケットにしまうと、その調子のまま答えた。

「他県の高校行った友だちなんだけどさ、何かずっと返信返って来ねぇんだよな」

 嫌われちゃったんじゃない? などと小春は冗談めかしてからかおうとしたが、神妙な蓮の様子に憚られた。

「……どのくらい前から?」

「一、二か月前が最後だな。十一月に東京来るっつってたから、飯でも行こうって約束したのに」

 それならば、どうやら嫌われたという可能性は希薄と言えそうだ。

 和泉の音信不通とも関係があるのだろうか。一概にはどちらとも言えない気がする。

 和泉については、今日は来ているという可能性もある。だとしても────。

「何か物騒だね、世の中……」

「……そうだな」

 これほど周囲で消息不明者が出るとは、やはり何事かが起きているのではないだろうか。

 小春は鞄を肩に掛け直し「そういえば」と口を開く。

「昨日ね、何か変なメッセージが来たの」

「変な? 誰から?」

 ちょっと待ってね、とスマホを取り出す。

 そのまま画面を見せようとしたが、不意に注釈を思い出し踏みとどまった。

 “トーク画面及び本アプリの画面を他者と共有した場合、ペナルティが与えられます”

 何てことはない、ただのゲームだ、そう思うのに軽々しく無視出来なかったのは、このゲームの持つ異様な雰囲気に飲み込まれているからかもしれない。

「……ウィザードゲームって、知ってる?」

 小春は結局スマホをポケットに戻しつつ尋ねた。

 ぴた、と蓮の足が止まる。

 訝しげに首を傾げると、蓮の顔色が悪くなっていることに気が付いた。

「嘘だろ……」

 ほとんど声にならない呟きをこぼし、勢いよく小春の両肩を掴む。

「ガチャとか、回してねぇよな? いや……それより、誰にも襲われてねぇか?」

 小春は切迫した蓮の様子に圧倒され、半ば唖然としながら何とか頷いた。

 確かに異様な代物ではあったが、それでもゲームはゲームだろう……。

 何故、蓮がこうも取り乱しているのか、小春はそのことに戸惑った。

「……知ってるんだね、あのゲーム」

 蓮の反応を受け、確かめるように言うと、蓮は小春から離れた。

 些か落ち着きを取り戻したようだ。

「……ああ、知ってる」

「良かった、聞きたいことがあって。あのね……メッセージが来てから勝手にインストールされたの。消したいんだけど消せなくて。どうすれば良い?」

「どうしようもねぇよ」

 諦めとも嘆きとも違う声色だったが、恐らくそのどちらもを経たのだろうことが分かるほど、いっそ毅然としていた。

「メッセージにも書いてあっただろ? 俺たちに、拒否権なんてねぇ」

 どく、と心臓が重い音を立てる。

 昨日恐れを抱いた不穏な一文が、現実感を増して伸し掛ってきた。

「プレイヤーに選ばれた以上……“最後の一人”を目指して、命懸けで戦うしかねぇんだ」

 蓮があえて感情を押し殺しているからか、小春には目の前にいる彼が機械のように感じられた。

 あまりにも淡々と言うから、その言葉の意味を理解出来なかった。

「命懸け……?」

 小春の瞳が揺れる。

 おおよそリアリティのない話だが、戸惑う傍らで何処か冷静な自分が、既に受け入れようとしていた。

 確かにアプリ内には、戦うというような項目はなかった。

 魔術師になるのは自分自身、プレイヤーは自分自身────現実という舞台で、この身一つで戦うということなのだ。

 混乱と動揺の入り交じった表情を浮かべる小春を見つつ、蓮は首肯する。

「この先、非現実的でわけ分かんねぇことばっか起こる。お前も狙われることになるかも。けど、心配すんな。俺が守る」

 蓮の、突き刺すほどの真剣さは伝わってきたが、そう言われても戸惑いや不安は消えない。

 そんな顔をされたら、むしろ怯んでしまう。

「分かるように言って……」

「すぐに分かる。俺も知りうる限りは話す」

 蓮は歩を進める。立ち止まったままの小春の脇を過ぎると振り返った。

「とりあえず学校行くぞ。……昨日言った通り、ぜんぶ説明するから」

 小春は、はっと顔を上げる。

 蓮の抱えているものは、あのゲームに関わっているということだろうか。

 蓮は表情を引き締めた。まさか“そのうち”がこれほど早く訪れるとは思わなかった。

 日常を侵食する不穏な気配を肌で感じ、小春は思わず緊張しながら足を踏み出した。



 ほとんど会話もないまま学校へ到着した。

 “名花めいか高等学校”と書かれた校門を潜り、昇降口で靴を履き替える。

「ねぇ、それで────」

 ウィザードゲームについて詳細を尋ねようとした小春だったが、しっ、と蓮に制された。

 蓮は周囲を見回す。校門からの道のりも昇降口も廊下も、登校してきた生徒たちで賑わっている。

「迂闊に言わない方が良いぞ。つか、言うな」

 何を、と言われずとも分かった。小春は気圧されるような形で頷く。

 さらに声を落とした蓮が続けた。

「説明は昼休みにするから、とりあえず普段通りでいるんだ」

「……分かった」

 教室へ入ると、蓮は男子の友だちの元へ向かった。

 なるほど談笑する姿はあまりに自然で、異様な出来事などすべて忘れてしまったかのようだった。

「おはよー、小春ちゃん」

 声を掛けられ、小春は振り向いた。そこにいたのは、クラスメートの胡桃沢瑠奈くるみざわるなだった。

「あ、おはよ」

 蓮ほどではないが、それなりに交友関係の広い小春は瑠奈とも交流を持っていた。

 いつも一緒に行動する、というほどではないが、ともに弁当を食べたり、放課後に遊びに出掛けたりしたことはある。

「今日も蓮くんと一緒に来たの?」

 瑠奈はふわふわのツインテールを揺らしながら首を傾げる。

 小春は苦く笑いつつ頷いた。

「うん、そうだよ」

「帰りも一緒なんでしょ? お陰で小春ちゃん、あたしと遊びに行けないんだけどー」

 瑠奈は、じとっと遠目から蓮を軽く睨んだ。当の本人は気付いていない。

「愛されてるのは分かるけど、大変だね……束縛彼氏は」

「彼氏じゃないってば。ただの腐れ縁だよ」

「えー、そう?」

「そうだよ! 何で毎日こうも一緒にいるのか……」

 瑠奈の誤解(というか、からかい)のお陰で小春も蓮に倣い、普段通りに振る舞うことが出来た。

 くすくすと楽しげに笑う瑠奈。一瞬、鋭くなった眼光に小春は気付かない。

「心当たりはないの?」

 普段より若干低めの声で、ぽつりと呟くように瑠奈が尋ねる。

「え?」
「ほら、とか」

 挑むような試すような瑠奈の表情と含みのある言葉に、小春は惑った。

 いつもと違うことならば確かに色々あった。

 もしかすると瑠奈は、何かを知っているのかもしれない。

 防衛本能が働いた。小春は笑って誤魔化す。

「何のこと?」

「ううん、何でもないよ。……何か、蓮くんなりの理由があるんだろうね」

 いつも通りの声色に戻った瑠奈は、いつも通りに明るく笑った。

 それから眉を下げ、大袈裟気味にため息をつく。

「でも残念だなぁ……。一緒に新作飲みに行きたかったのに」

「……本当にごめんね。今度行こう」

 昨日までであれば、蓮と交渉するなり蓮の言葉など無視するなりして、瑠奈に付き合っていただろう。

 しかし、ウィザードゲームなどという意味不明なものに巻き込まれてしまった今、頼れるのは蓮しかいなかった。

 そんな彼の言葉を軽んずることは出来ない。



 本鈴が鳴り、瑠奈が席に戻っていく。小春も自分の席についた。

 何処からか視線を感じ振り向くと、窓際の一番後ろの席に座っている女子生徒と目が合う。

「…………」

 瀬名琴音せなことねは、無言で小春を見据えていた。

 小春は戸惑う。

 一人を好む彼女はなかなか他人を寄せ付けず、小春も確か話したことはなかったはずだ。

 大人びた美人という印象で、左目には眼帯をしている。

 そのせいか、見られると余計に圧を感じてしまう。小春は咄嗟に前を向いた。

 ガラ、と教室の扉が開き、神妙な面持ちの担任が入ってくる。

 三十代半ばの体育会系の担任は、挨拶もそこそこに、E組の和泉が消息を絶っていること、両親により捜索願いが出されたことを告げる。

「皆の中で何か情報を知ってる人がいたら、何でも良いから先生に教えてくれ。それと、皆も二十三時以降は出歩かないように────」

 ホームルームが終わると、和泉を案ずる声や事件性を疑う声で教室が埋め尽くされた。

 昨日の時点で先んじて聞いていた小春でさえ衝撃を禁じ得なかったのだから、このざわめきは当然と言える。

 不穏な空気に浸されながら、スマホを取り出してみた。

 未だに和泉からの返信はなく、既読もついていない。

【大丈夫? みんな心配してるよ】

 小春は思わずメッセージを送信する。

 クラスメートたちの話し声の隙間で、通知音が鳴ったのが聞こえた。

(え……?)

 慌てて周囲を見回した。

 スマホを出している人もいるが、だからと言ってそれは何の根拠にもならない。

 さすがに偶然だろう。タイミングが合っただけだ。

 今の通知音が小春によるものなら、和泉のスマホはこの教室内にある、ということになる。それはおかしい。ありえない。



 ────その後、何とか授業を乗り切り、昼休みを迎えた。

 今は正直授業どころではなく、当然集中など出来なかった。

 蓮について行く形で、立ち入り禁止の屋上へ出た。

 蓮はくまなく周囲を確認し、自分たちの他に人がいないことが分かると、柵に背を預けつつ地面に腰を下ろす。

 少し間を空け、小春もその隣に座った。
 蓮はパックのジュースにストローを挿しつつ口を開く。

「マジで現実味のねぇ話だけど、俺たちは“魔術師”とかいうもんに選ばれたんだ」

「……それって何なの? どういうことなの?」

「所謂、魔法使いだな。あのメッセージを受け取ったら強制的にアプリを入れられて、ウィザードゲームのプレイヤーになる」

 そこまでの流れは小春も、納得はともかく理解は容易に出来た。身をもって経験したからだ。

 しかし、まず前提として────。

「魔法なんて使えるの……?」

 自分たちは平凡な高校生、ただの人間だ。魔法など使えるはずがない。

 そもそもそんなファンタジーなものが現実に存在するのかどうかも怪しい。にわかには信じられない。

「使える」

 しかし、蓮は端的に断言した。

「あのアプリ開いて見たか?」

「え、うん……」

「ガチャってあったろ。あれを回せば魔法を得られるんだよ。自分のと引き換えに」

 小春は“必要消費アイテム”というところに書かれていた文言を思い出した。

 四肢や内臓といったあれらは、魔法会得の“代償”だったのだ。

「回さなければ無力な魔法使いっつーわけだ」

「魔法を持たない魔法使い? そんなの魔法使いって言うの?」

「まぁ、だから生き残りたいなら結局回すしかねぇんだよな。代償にビビって回さなかったら、他の魔術師に狙われたとき、十中八九為す術なくゲームオーバーだ」

 空になったパックをくしゃりと潰す蓮。

 彼の言う通り、おおよそ現実味のない話だったが、小春は懸命に理解しようと努めた。

 実際、奇妙なメッセージを受け取ってしまったわけだし、何より、蓮がこんな冗談を言うはずがない。

「私はどうすれば────」

「魔術師になった以上、ベストなのはガチャ回して早いとこ魔法を手に入れることだな。使いこなさねぇとだし。……でも、お前は回すな」

「えっ?」

 思わぬ言葉に小春は戸惑った。

 蓮はガチャに肯定的で推奨派のように見受けられたが、違うのだろうか。どういうことなのだろう。

「再三言うけど、魔法の会得には代償が必要だ。でも、何を失うかは分からない」

 確かに四肢や臓器といった大きなカテゴリーの中からは、自分自身で選択出来る。

 しかし、例えば“臓器”を選んだとしても、どの臓器を失うかまでは選べない。

 会得出来る魔法は勿論、代償の部分も運によるのだ。

「それがもし“心臓”だったら?」

 その言葉に小春は息をのむ。

 どく、と存在感を主張するように、心音が大きく鳴る。

「……土俵にすら立てず、ゲームオーバー」

 蓮は淡々と答えを言ってのけた。

 ぞくりと小春の背筋が冷える。

 蓮の示した可能性は、大いにありうるものだと言えた。
「だからお前は引くな。俺が守るから」

 蓮は凜然とした眼差しを真っ直ぐ小春に注いだ。

 小春はしかし、大人しく引き下がりたくなかった。

 それでは、蓮が危険に晒され続けるという意味にしか捉えられないからだ。

「他に、魔法を得る方法はないの?」

「まぁ、あるけど……無理だな」

「どうして?」

 “無理”だと断言した蓮に、小春は反射的に尋ねていた。

 身体の一部を差し出す以上に難易度の高い条件があると言うのだろうか。

「良いか、魔法を得る方法は二つだ。一つは魔法ガチャ、もう一つは────」

 蓮は射るような厳しい表情を浮かべた。

「魔術師を殺して奪う」

 一瞬、小春は呼吸を忘れた。

 自身の何かを犠牲にするか、他者の命を奪うか、二つに一つなのだ。

「魔術師を殺せばそいつの持ってる魔法を奪えるんだ。でも、な? 無理だろ?」

 蓮は焼きそばパンの包装を破りながら言った。

 小春は否定出来ない。殺すなど無理に決まっている。

 何故、蓮がここまで平然としていられるのか分からなかった。

 それに、そんなことはメッセージにもアプリ内にも何処にも記載されていなかった。

 どうして、蓮は知っているのだろう。

(まさか、試して……)

 誰か魔術師を殺した、とか。

 小春の瞳が揺れる。

 その恐れるような視線に気付いた蓮は少し慌てた。

「おい、俺は誰一人殺してねぇぞ。これは他校にいる魔術師に聞いたんだよ。……まぁ、そいつも故意じゃなかったんだけどな」

 今朝蓮の言っていた“狙われる”という言葉を、本当の意味で理解出来た。

 ただメッセージに従い、他の魔術師を殺す、という以外に、持っている魔法を狙って殺す、ということがありうるのだ。

 ひとたび魔術師だと判明すれば、命を狙われる。

 尤も、小春は現在何の魔法も持っていないのだが。

「あれ……? ちょっと待って、今“他校”って言った?」

 小春は眉を顰める。おかしい。

 メッセージには“二年B組の生徒を殲滅する”と書いてあった。

 てっきり、クラス内で殺し合いをさせられるものかと思っていたのに。

「ああ、変だよな。確かにうちの学校とは書いてねぇけどさ……。少なくともあいつは“二年B組”じゃねぇ。命張って戦う謂れなんかねぇんだよな。それ言ったら和泉もだけど」

 と、蓮は暢気な調子でパンを齧る。

 小春よりも随分先にプレイヤーとなった蓮にとっては、既に非日常が日常になりつつあるのかもしれない。

 ともかく、小春の疑問も蓮の言葉も真っ当と言えた。

 “二年B組”が小春たちのクラスを指すとしても、現実、その他にも魔術師は存在している。

 十二月四日に皆殺しにされる対象が小春たちのクラスだけならば、他の魔術師は何のために戦うのか、という話である。

 命懸けで小春たちのクラスを守る理由もない。

 そういう意味では、和泉も他校の魔術師同様、何のために巻き込まれたのか不明だった。
「……まぁ、それは今考えても分かんねぇから置いとくぞ」

 蓮はそう言い、説明を再開した。

「魔術師は基本的に、自分以外、誰が魔術師なのか分かんねぇ。見分けることが出来る魔法もあるらしいけどな」

 どんな魔法なのだろう。小春には想像も及ばない。

「それ以外でバレるとしたら、普通に魔法使ってるとこ見られたりして奇襲かけられるとか。……たぶん、和泉はそのパターンだと俺は思う」

「え……!?」

 蓮は真剣な、やや緊張したような声色で言う。

 和泉の名が出るとは思わず、小春は驚愕した。

「昨日見た左手の石像だけど、あれは和泉の手だ。和泉があの腕時計つけてるとこ見たことあるし」

「い、和泉くんも魔術師だったってこと?」

「そういうことだ。犯人はたぶん、石化魔法か何かを使う魔術師。でもって、ゲームを楽しんでる」

 そうでなければ、殺した相手の手をあんなふうに晒したりしない。

 どういうつもりなのだろう。

 力の誇示か、あるいはあれを見た者の反応を窺っているのか……。

「少なくとも近くにいるのは確かだな。魔術師だってバレたら、次にああなるのは俺たちかも」

 蓮の言葉に、ぞくりと背筋が冷えた。

 鋭い牙を隠した魔物が、すぐそこにいるかもしれないという恐怖心を覚える。

「……んな不安そうな顔すんなって。ビビらせて悪かったよ。大丈夫、そうならないために話してんだから」

 蓮は強気に笑った。その笑顔は何よりも安心感をくれる。

 小春は怯える感情を潰すように、両手をぎゅっと握った。

 脳裏に石像が過ぎる。あれは本当に人間の手だった。

 和泉は恐らく、無事ではないのだろう。

 魔法と同じくらい、同級生の死というのも信じ難いものだった。

 ついこの間まで元気な姿を見ていたし、会話も交わしていたからこそ余計にそうだ。

 サッカー部員たちの言葉を思い出した。

 和泉の言っていた“ゲーム”とは、ウィザードゲームのことだったのだろう。

「……先生に言わなきゃ」

 今朝の担任の言葉を思い出した小春は言う。

「何て言うんだ? 和泉が石化して死んでる、って? そんなの誰が信じるんだよ。犯人に目付けられるだけだぞ」

 蓮の尤もな言葉に小春は反論出来なかった。

 和泉には申し訳ないが、同じ轍を踏まないためには、知らない振りをして傍観者でいるしかないのだ。

「……まぁ、つってもメッセージにもあったように、魔術師じゃねぇ奴を殺すとペナルティがある。よっぽど確信がない限り襲われねぇよ」

 だからこそ、魔術師であることは隠しておいた方が身を守る上で得策なのである。

 その意味で他の魔術師も、基本的に自ら大っぴらに明かすことはしないだろう。

「普段通りにするべきなのはそのためなんだね。下手に警戒したりすると逆に怪しまれるから……」

「そうだな。……で、改めて大枠を説明するけど────」
 主にメッセージの内容通りだ。

 魔術師に選ばれた者は、他の魔術師を全員倒し、唯一の生き残りを目指す。

 そうすれば、十二月四日に殺されずに済む。
 言わば、魔法によるバトルロワイヤルである。

 魔術師に選ばれた者のみが、プレイヤーとして戦う権利を得られる。

 ────蓮としては複雑だった。

 小春が魔術師に選ばれたことで、小春自身が単なる部外者で終わるということはなくなった。

 “機会”が与えられたのは良いが、それは同時に危険も倍増したことを意味する。

 今まで以上にしっかりと守らなければならない。

「どう動くかは本人と状況次第だな。前線で戦っても良し、守りを徹底しても良し。運要素も多い」

「運?」

「そ。あのガチャでどんな魔法を得るか、何を失うか……。そもそも、あのメッセージを受け取れなきゃほぼ詰み」

 蓮の言いたいことは小春にも分かった。

 メッセージを受け取れなければ、魔術師になれなければ、十二月四日の惨劇を知る由もなく、魔法も得られないために戦う機会すらない。助かる術はない。

「選ばれたんだよな、俺たち。誰かに選別されてる」

 蓮の言う通り“運”による選別だとしたら────、選ばれなかったら、不運を呪って死ね、ということだ。

 何と救いようのない身勝手なゲームなのだろう。改めて嫌悪感を抱く。

 小春は微妙な気持ちだった。

 殺し合いはともかく、魔術師となったことで少なくとも生き残る機会は得られたことになる。

「なぁ、アプリの画面見たっつったよな。スロットがあったの分かるか?」

 蓮は小春に問うた。小春は首肯する。

 それほど複雑な作りではないものの、画面を見せ合ってはならない、という制約はやや煩わしいものだった。

「魔法は一人五個まで保有出来る。画面のスロットに保存されてるのが自分の持ってる魔法だ。……まぁ、つっても五個埋めるのは現実的じゃねぇな。多くてもせいぜい二つくらいか」

「どうして?」

「そんなにガチャ回したら死ぬだろ。代償を払い切れねぇ。殺して奪う、ってのも簡単じゃねぇし。倫理観とかの問題だけじゃなくて、まず魔術師かどうかを特定するのが難しいんだよ」

 ペナルティシステムが存在する以上、その点の確認は大前提だが、最も難易度の高い部分でもあった。

 小春はそっと安堵する。

 どんなに残忍な人でもなんかは出来ないわけである。

 関係のない人たちが巻き込まれることはなさそうだ。

「とにかく、しつこいようだけど……小春、お前はガチャなんか回すな」

 蓮は再度、鋭い声で言った。

「魔法を持たない魔術師は無力だ。普通のバトロワで言ったら武器持ってねぇのと一緒だし。でも、代償は馬鹿にならねぇ。回す方がよっぽど危険だ」

 小春としても、出来ることならば回したくはなかった。

 蓮の言う通り、代償が恐ろしくて堪らないのだ。

 先ほど言っていたように、それが心臓だったら……?

 そうでなくとも、こんなわけの分からないゲームのために、身体の一部を失う判断は出来ない。

「蓮は……何を失ったの?」

「俺は脾臓。よく分かんねぇけど、この通り生きてるし大丈夫そうだ」

 蓮のことだしきっと深く考えず回したのだろう、と小春は思った。

 そういう意味では確かに運が良いのだろう。

「引いたのは────」

 蓮は空いている方の手を持ち上げる。

 次の瞬間、ぼうっと目の前が明るいオレンジ色になった。

「火炎魔法」

 緩やかな炎に照らされた小春は言葉を失った。

 蓮の手に宿っている火炎。

 この火が本物であることは、じんわりとあたたかくなった空気の温度で分かる。

 (本当に、本当なんだ……)

 納得して受け入れるのに、あれこれ理屈を並べ立てる必要などなかった。

 信じ難い非日常が、現実へと介入してきているのだ。

 すっ、と蓮は炎を消した。

「信じられたか?」

「……うん。でも、分かんない。何でこんなこと……。誰が……?」

 小春は戸惑いと混乱を拭えず、呟くように尋ねた。

 いったい誰が、何のために、どうやってこんなゲームを運営していると言うのか。

 空になった袋を丸めた蓮は眉を寄せる。

「そこまでは分かんねぇ。でも、やばい連中なのは確かだろ。これが本当に魔法なら、相手は確実に人間じゃねぇだろうな」

 “人間じゃない”。

 言い知れぬ恐ろしさが、じわじわと這い寄ってくる。

 どうやら、とんでもない事態に巻き込まれてしまったようだ。

「もしかして」

 不意に小春は思い至った。

「蓮が部活休んでるのもこのせい?」

「……ああ」

 半分正解だ、と蓮は心の中で付け加えておく。

 怖いのは、自分より小春に害が及ぶことだった。

 魔術師は魔術師でない者を殺せない────しかし、命さえ奪わなければ痛めつけることは出来る。

 悪意のある魔術師に、小春が狙われるのが怖かった。

 だからこそ、蓮は可能な限り小春のそばにいるようにしていたのだった。

「……!」

 小春は不意に、あることに思い至る。

 唯一の生き残りを目指す、ということは、蓮とも敵同士になるということだ。

 いずれは殺し合わなければならない運命なのかもしれない。

「なぁ……何か馬鹿なこと考えてねぇか?」

 蓮も大概だが、小春も負けず劣らずすぐに表情に出るため分かりやすい。

 蓮は呆れたように言い、はっきりと告げる。

「言ったろ。俺はお前を守るって」

「あ、……ありがとう」

 小春の中に湧いた恐怖や不安が霧散していく。

 愚かしい心配をしていたようだ。蓮が味方でいてくれることにほっとした。だが────。

(最後に生き残れるのは一人だけなんだよね……)

 どうなっちゃうんだろう。

 漠然と想像しかけて、慌ててかぶりを振った。

(やめよう。今は考えたくない)

 そのとき、昼休みの喧騒とは明らかに異なるざわめきが下の方から聞こえてきた。

「何か、騒がしくない?」

 小春は立ち上がり柵から身を乗り出す。蓮もそれに倣い、騒ぎの出処を探した。

 屋上からはちょうど中庭を見下ろせる。

 中央に植えられている大きな広葉樹の周囲に人だかりが出来ていた。

 木の葉はほとんど落ちていたが、ここからだと騒がしさの原因が分からなかった。

「何だ……?」

 中庭と言えば、昨日和泉の手があったこともあり、あまり良い予感はしない。

 もしや、あの手が発見されたのだろうか。

「行こう」

 小春は駆け出した。蓮も後を追う。



 中庭まで来ると、人だかりをかき分け、その渦中を目の当たりにした。

「……!」

 小春は息をのんだ。蓮も瞠目する。

 太い木の根元に、大きな石像が置かれていた。

 男子生徒を模したそれは等身大で、足を伸ばして座った姿勢を取っている。

 左手首から先と頭部がなかった。

「和泉くんだよね……」

「……だな」

 顔が分からないが、和泉であろうことは分かる……。

 恐れおののき、腰が抜けたのだろうか。

 そう思わせるほどの切迫感が、石像から滲み出ている。

 石化が解けるのかどうかは不明だが、解けたとしても、この状態ではもう助からない。

 小春は低木の方を振り返った。昨日あったはずの左手は消えていた。

 犯人が持ち去ったのだろうか。

「危ない!!」

 誰かが叫んだのと、蓮に腕を引かれたのは同時だった。

 戸惑っているうちに目の前を何かが、上から下へ通り過ぎていった。

 ドッ、という鈍く重い音とともにその何かが地面に叩き付けられる。

 ────石化した和泉の頭部だった。

「ひ……っ」

 小春は息をのんだ。周囲からも悲鳴が上がる。

 無機質な和泉の目と、目が合った。小春は思わず後ずさる。

 昨日の左手と同様に、芝生であったために割れることはなかったが、お陰で恐怖は倍増であった。

「大丈夫か」

 蓮の焦ったように問いかけに頷く。

 怒気を滲ませつつ蓮は上を見上げた。小春も仰ぐ。

 まさか石像が空から降ってくることはあるまい。誰かが意図的に落としたのだ。

 人に当てる意思があったのかも、小春たちを狙ったのかも不明だが。

 騒ぎを聞きつけた生徒たちが、開けた窓から下を眺めていたため、石像を落とした犯人が誰なのかまでは分からなかった。

 しかし、小春は見た。

 一瞬だったが、なびく髪が消えたのだ。

 恐らく犯人だろう。

 和泉を殺めた、石化魔法の持ち主。そして今、和泉の頭部を落とした人物。

「蓮……」

 小春は屋上を見上げたまま、硬い声で呼び掛ける。

「どうしよう。私たちの話、犯人に聞かれたかも」

 屋上に出て、最初に蓮が確認したときは、確かに誰もいなかった。

 しかし、今犯人らしき人物が屋上にいたことを考えると、何とも言えない。

「マジかよ……」

 蓮が引きつった表情を浮かべたとき、教師が駆け付けてきた。
 
「彼が……二年E組の生徒というのは本当か?」

 動揺を顕にしながら石像を指し、誰にともなく尋ねる教師。ざわめきが一時的に凪ぐ。

 いち早く首肯したのは蓮だった。

「はい。和泉すよ」

 その名にピンと来たらしい教師は、集まっていた生徒たちに教室へ戻るよう素早く指示する。

 途中、小春たちは屋上へ寄ってみたが、そこには誰の姿もなかった。



 程なくして通報を受けた警察が駆け付け、午後からは休校となった。

 小春と蓮は帰路につく。

「誰だったんだろう、あれ……」

 小春は呟く。

 屋上に見えた犯人らしき人物のことだ。

「髪が見えたってことは女子か? ……っても、そんなの手掛かりにもならねぇな」

 校内に何人の女子生徒がいるのかという話である。

 もし、本当に犯人が小春と蓮の会話を聞いていたとすると、近いうちに接触してくるはずだ。

 あのように和泉を手に掛けたところを見ると、殺意は高く、ゲームに積極的である。油断ならない。

 小春の家の門前に着くと、二人は足を止める。

「気を付けろよ。何かあったら呼んでくれ。俺が守るから」

 今朝よりも真実味を帯びたその言葉に、小春は頷いた。

 こんなにも蓮を頼もしいと思ったのは初めてだ。

「うん、ありがとう。蓮も気を付けて」

「おう」



 小春が家の中へ入るのを見届け、蓮は歩き出した。

 ポケットからスマホを取り出し、SNSを開く。

 “ウィザードゲーム”と検索をかけるも、結果なしだった。

 次に、直接“ウィザードゲーム”と書き込み、投稿してみる。直後、自動的に投稿が削除された。

「……やっぱそうだよな」

 蓮が魔術師となった日から、情報を得るため何度も試しているが、決まってこの結果である。

 運営側が何らかの操作を行っているのはまず間違いないだろう。

 しかし、例えば掻い潜る術があるとしても、身元を特定されれば襲われるというリスクから、積極的にゲームに関して書き込む魔術師は少ないはずだ。

 蓮はSNS内の情報収集を諦め、メッセージアプリを立ち上げる。

【小春にもメッセージ届いたらしい】

【あと今日、他クラの奴が1人やられてた】

【しかも俺らのこと犯人にバレたかも】

 に、立て続けに送信しておく。

 既読も返信も待たずしてスマホをしまうと、警戒しつつ家路を歩いた。
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