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第一章 -ゲームの始まり-

第4話 11月7日

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 翌朝、いつものように合流した蓮に、小春は事の顛末を話した。

 ────壁際まで追い詰められた小春は、絶望の淵で最悪を覚悟した。

 瑠奈がステッキを翳す。

 その瞬間、目の前から瑠奈が忽然と姿を消した。

 唐突で、そして一瞬の出来事だった。

「……え?」

 困惑に明け暮れながら辺りを見渡す。何処にも瑠奈の姿はない。

 やっと動くようになった足を半ば引きずるようにして立ち上がり、小春は駆け出した。

 得体の知れない恐怖が全身に絡み付いてくる。

 これも、何者かの魔法なのだろうか。消えてしまうなんて恐ろし過ぎる。

 小春は瑠奈からでなく、姿の見えない魔術師から逃げたのだった。

「確かに怖ぇ魔法だな。……けど“消える”って、どういうことなんだ?」

 蓮は首を傾げる。

 存在そのものが抹消されるのか、肉体が消滅するのか、いずれにせよ強力過ぎるほどの魔法だ。

「瑠奈も私たちと同じ魔術師なんだよね……? ステッキって何なの?」

「よく分かんねぇけど、発動にそういうのが必要な魔法があるとかじゃねぇか?」

 瑠奈本人が消えてしまったため、真相は不明だ。

 小春は眉を下げ、ぽつりと呟く。

「瑠奈、生きてるかな……」

 蓮は何処までもお人好しな小春を一瞥した。

 自分を害そうとした相手など何故案じられるのだろう。

 友だちだったとはいえ、生きるために自分を裏切った相手なのに。

「生きてたら、また狙われることになる。小春が本当は魔術師だってバレるのも時間の問題だろうしな。他人の、それもの心配してる場合じゃねぇよ」

 あえて厳しく蓮は言った。

 情けをかけて馬鹿を見るのは、いつだって善意を持ち合わせた優しい人間なのだ。

 小春は押し黙る。

 ああして瑠奈に“刃”を向けられても尚、敵という呼び方には抵抗を感じた。

 瑠奈だって、生きたいだけなのだろう。

 こんなゲームに巻き込まれさえしなければ、手を汚す必要もなかったはずだ。

 そんな小春の心情など露ほども知らない蓮は「とにかくさ」と話を切り替えた。

「瑠奈を消した魔術師、見つけたいとこだな。小春を助けてくれたってことだろ? もしかしたら、味方になってくれるかも」



 教室に着くと、小春と蓮は驚愕した。
 消えたはずの瑠奈がいたのだ。

 瑠奈は小春を見つけると、怒りを滲ませながら歩み寄ってきた。

「来て」

「え……っ」


 小春の返事を待たず、その手首を掴んで引っ張っていく。

 あまりの力に小春は振りほどくことすら出来ず、瑠奈に連れられるがまま歩いた。

「おい、待て!」

 蓮も二人の後を追いかける。



 屋上まで上がると、瑠奈はやっと足を止めた。

 眉を顰め、憤慨しながら小春を睨みつける。

「小春ちゃん、魔術師じゃないんじゃないの!? あたしを騙したんだね」

 その言葉に、小春も蓮も戸惑った。

 小春の嘘が露呈する要素は何処にもなかったはずだ。

「昨日……あたしに何をしたの?」

 その一言で合点がいった。

 瑠奈は、自身を消したのが小春だと勘違いしているのだ。

 小春が魔術師であることを見破ったわけではなかった。

「私は何も……。いきなり瑠奈が目の前から消えて、本当に怖かったんだよ」

 小春の言葉に瑠奈はさらに憤った。そんな言い訳は通用しない。

 嘘つき、と罵ろうとして、咄嗟に言葉を飲み込んだ。

 小春が泣きそうな表情で息をついたからだ。

「良かった……、無事で」

 噛み締めるように呟いた小春に、蓮は呆れてしまう。呆れるが、それでこそ小春だとも思う。

 いつだって自分より他人を想い、優先するのだ。

「ば、馬鹿じゃないの! 右手、なくなりかけたくせに」

「でも、なくならなかったよ」

「それはあんたに邪魔されたから! それがなければ今頃、小春ちゃんの右手は石になって粉々だったのに」

 瑠奈は怒気を滲ませた眼差しを小春に突き刺した。

「自分であたしをおいて、何が“無事で良かった”よ……。白々しい」

 飛ばした……?

 小春と蓮は一瞬視線を交わした。

「どういうことだ? お前の身に何があったって言うんだよ」

 蓮に問われた瑠奈は嘲るように笑う。

「何で蓮くんまでとぼけるの? あれだけ一緒にいたんだから、小春ちゃんの魔法くらい把握してるでしょ」

「あー! もう、うぜぇな」

 蓮は苛立たしげに言うと、かえって決然と告げる。

「俺も小春も確かに魔術師だ。でもな、小春は魔法なんか持ってねぇよ。俺が保証する」

 突然打ち明けた蓮に小春は驚きを禁じ得なかった。

 しかし、感情に任せて口走ったわけではないだろう。

 蓮は、勉強は出来ずとも頭は悪くない。考えがあるはずだ。

 瑠奈は表情を変えなかった。

 二人ともが魔術師であることは、これまでのやり取りから予測出来ていた。

「保証? 画面も見てないのに何で分かるの?」

「小春がそう言ったから」

 真剣な顔で言ってのけた蓮に、小春は嬉しいような気恥ずかしいような気持ちになった。

 それほどまでに信用されているとは思わなかった。

 瑠奈は可笑しそうに笑う。

「何それ、そんなの何の根拠にもならないし」

 腕を組んだ瑠奈は二人に詰め寄った。

「じゃあ、何? あの場にあたしと小春ちゃん以外にもう一人誰かがいたって言うの?」

「……そうとしか考えられない。だって、私は何もしてないから」

「小春ちゃんはそいつのこと見たの?」

「それは────」

 見ていない、というのが答えだった。

 あの場に第三者がいたと主張する小春自身、それが信じ難いのだ。

 瑠奈が消えた後、誰の姿も気配もなかったのだから。

「もういい。どうせならもっと上手に嘘ついてよね」

 瑠奈はカーディガンの袖口からステッキを取り出した。

 昨日のことを思い出した小春は思わず身を硬くする。

 蓮はすぐさま小春の前に立ち、いつでも応戦出来る態勢を取った。

「二人まとめて石にしてやる」

 瑠奈はステッキを向ける。

 やむなく蓮が炎を宿そうとしたとき、不意に声がした。

「……まったく、血の気が多いわね」

 そう言いながら現れたのは、琴音だった。

 小春と蓮は瞠目する。いったい、いつからここにいたのだろう。

 瑠奈も驚いたものの、今度は琴音にステッキを向けた。

「いつからいたの!?」

「和泉も、あなたの仕業なのね。石化魔法か……」

 琴音は瑠奈の問いかけには答えず、淡々と言った。

 その口振りから、琴音自身も魔術師であることが分かる。

 しかも、この場において、それを隠そうという気はさらさらなさそうだ。

「それで、和泉からはどんな魔法を奪ったの?」

「か、関係ないでしょ! 邪魔しないでよ。小春ちゃんたちを殺ったら次はあんたの番だからね」

 強気に息巻く瑠奈。

 一方の琴音は、涼し気な顔で口端を持ち上げた。

「頭を冷やしなさい。……また、飛ばされたいの?」

 小春も蓮も、はっとした。

 昨日、小春を助けた魔術師の正体は、琴音だったのだ。

 瑠奈は慌てて琴音から距離を取った。

 すっかり余裕を失い、恐れをなしているのが見て取れる。

「遠慮しとく! 今日のところは見逃してあげるけど、覚えておいてよ!」

 仔細は不明だが、身をもって琴音の魔法を体験した瑠奈は、敵わないと判断してか早々に退散した。



 小春は琴音に向き直る。

「あの、ありがとう。瀬名さん」

「気にしないで。大変な目に遭ったわね 」

 小春を労る琴音の眼差しは、思いのほか柔らかく優しかった。

 てっきり、もっと冷たい性格で、他人に無関心なものだとばかり思っていた。

「……お前も、魔術師ってことで良いんだよな」

 瑠奈のこともあり、蓮は警戒心を剥き出しにしながら、確かめるように琴音に問う。

「ええ、そうよ」

「どんな魔法を持ってるの……? “飛ばす”っていうのは────」

 首肯した琴音に、小春が続けて尋ねると、琴音は「待って」と制止した。

「あまり遅くなるといけない。続きは昼休みと行きましょう。信用出来るもう一人の魔術師も紹介するわ」



 先に戻るよう言われ、小春と蓮は校舎内に入った。

 階段を下りつつ、瑠奈や琴音に思いを馳せる。

 何だか思わぬ展開続きで、一気に事が進んだような気がする。

「まさか、助けてくれたのが瀬名さんだったとは……」

「割と友好的だったよな。他の魔術師も紹介してくれるってことは、あいつも協力し合える仲間を増やしたいって考えてんのかも」

 小春たちが魔術師であると知った上での、瑠奈と琴音の態度の違いを考えてみる。

 瑠奈はバトルロワイヤルのルールに則り、自分以外はすべて敵だと見なし、問答無用で襲いかかってきた。

 一方の琴音からは、蓮の言う通り、敵意や戦意をあまり感じられなかった。

 他の魔術師と共同戦線を張り、無用な戦いをなるべく避けたい意図があるのかもしれない。

 いずれにせよ、何らかの強力な魔法を有する琴音が味方となってくれるのであれば、心強いことこの上ない。

「誰だろうね? もう一人の魔術師って」

「予測もつかねぇな。……ってことは、上手いこと隠して紛れ込んでる奴だ」

 小春たちが教室に戻ってから、およそ五分後に琴音も戻ってきた。

 小春は思わず琴音を見やったが、琴音は徹底して目を合わせなかった。



 ────昼休みになると、小春と蓮は屋上へ向かった。

 念のため瑠奈の動向を確認したが、彼女は弁当片手に別のクラスの友人の元へ行っていた。

 屋上へ出ると、程なくして琴音が現れる。各々寄り、地面に腰を下ろした。

「よし、そんじゃ聞かせて貰おうか。お前は何の魔術師だ?」

 蓮はいつものように焼きそばパンを頬張りつつ、単刀直入に琴音に問うた。

「────瞬間移動」

 琴音は端的に答え、右手を掲げる。

「自分自身は勿論、この右手で触れれば物体も瞬間的に移動させられる」

 小春は咄嗟に、何て便利な魔法なのだろう、と思った。

 誰しもが一度は夢見る能力だろう。

「そっか。じゃあ、瑠奈は消えたんじゃなくて瞬間移動してたんだね」

「そうよ。昨日はあえて水無瀬さんにも姿を見せなかったの。驚かせてごめんね」

 瑠奈の意味ありげな態度を目にしたことがあった琴音は、前々から彼女を魔術師ではないかと疑っていたようだ。

 昨日、小春とのやり取りを耳にし、ともに学校を出るところまで確認した琴音は、密かに二人を尾行していたらしい。

 そして、瑠奈の豹変により、疑念が確信へと変わった。

 瞬間移動で瑠奈の背後に現れ、瑠奈に触れると同時に自身も再び瞬間移動した。

 だから小春の目には、瑠奈だけが突然消えてしまったかのように見えたのだ。

「悪いけど、念のためその後も水無瀬さんを尾行させて貰ったわ。瑠奈のことは学校に飛ばしたけど、また戻って来たら危険だったし」

「瀬名さんが謝ることなんてないよ。本当にありがとう」

「ああ、マジで助かった。……くそ、俺も油断してた」

 くしゃりと髪をかき混ぜる蓮。小春は慌てた。

「悪いのは私だよ。蓮に頼り切りだし、そのくせ勝手なことして……心配かけてごめん」

「お前も謝るなって。そうしろっつったのは俺なんだから」

 蓮はそう言うと琴音に向き直る。

「しかし強ぇ魔法だな。敵に出くわしても、触れるだけで勝ちじゃねぇか。それが無理なら、自分が瞬間移動すれば撒けるし」

「そうね、怖いものなしよ。……って、言いたいところだけど、そう甘くないわ」

 琴音は答えつつ、サンドイッチの包装を破った。

「魔法を使うと反動があるのは知ってる?」

「そうなのか? そんなになるほど使ったことねぇから分かんねぇ」

「反動自体はすべての魔法にあるの。でも、私の魔法はそれが大きい」

 瞬間移動という能力が強力であるため、重大な反動を伴うことによりバランスを調整している、ということなのだろうか。

 かなりゲームっぽい話になってきた。

向井むかいの言うように、敵に出くわしたとき、瞬間移動は確かに強力。でも、敵にはやられずとも、自滅する可能性の方が高いの。反動によってね」

 納得するように小春は数度頷いた。

 強力ではあるが、万能ではないということだ。

 その大きな反動というものが、琴音の弱点なのだろう。

「あと、移動先には制約があるわ。私が直接見たか、訪れた場所じゃないと無理」

 それは“ゲームバランス”を考慮した運営側の妥当な措置と言えた。

 その制約がなければ、極端な話、国内や世界各地の危険地帯へ敵を飛ばしてしまえば良いということになる。
 
「ふーん、なるほどな。それ込みでもやっぱ強ぇよ」

 蓮の感想には小春も同意見である。

 しかし────小春は琴音の左目を見た。

 いつからかずっとつけている眼帯だが、もしや強力な魔法と引き換えに失ったのではないだろうか。

「……左目が気になる?」

 琴音は微笑み、眼帯に触れた。

「あ、えと……ごめん。そんなつもりじゃ────」

「気を遣われても困るし、今のうちに話しておくわ」

 普段と変わらない調子で言を紡ぐ琴音。

「私の左目はもともとほとんど見えてなかったんだけど、ガチャの代償になって完全に役目を終えたわ。眼球もなくなったから、あえて見せたりはしないけど」

 何でもないことのように言い、サンドイッチを頬張る。

 小春は相槌以上の、掛けられるような相応しい言葉を見つけられずにいた。

「……二人とも、変な顔しないでくれる? 私としてはラッキーだったと思ってるのよ。犠牲に出来るのは、むしろ左目以外にないんだから」

 まったく気付かなかったが、蓮ともども“変な顔”をしていたようだ。

 琴音は小さく笑みながら、二つ目のサンドイッチに手を伸ばしていた。

「なぁ。……昨日の話に戻るけど、何で小春からも隠れてたんだ?」

「当然でしょ、その場にいたら私が魔術師だってバレるじゃない。水無瀬さんが魔術師かどうか分からなかったし、下手に正体を明かすわけにはいかないわよ。人助けが趣味なわけじゃないしね」

 琴音がそう答えたとき、ちょうど屋上のドアが開いた。

 錆びた重々しい音に、小春と蓮は振り返る。

「お前……」

 蓮は瞠目した。

望月もちづきくん?」

 小春も驚き混じりにその名を呼ぶ。

 現れたのはクラスメートの望月けいだった。

 頭脳明晰で成績優秀。

 琴音同様に一人を好む慧だが、テストはいつも学年トップで、その存在感は大きなものだった。

「そう、彼も魔術師」

 琴音が言う。慧はボストンメガネの細いフレームを押し上げた。

「……勝手に明かさないでくれ」

「あら。隠し通す気ならそもそもここへは来ないでしょ」

 不満気な慧に、あっけらかんと琴音は返す。

 慧は息をつき、三人に歩み寄ると、少し離れた段の部分に腰を下ろした。

「さて、役者が揃ったことだし────私と望月から一つ提案させて貰うわ」

 琴音はそれぞれの顔を見やる。

「私たちで共同戦線を張らない?」

 小春と蓮は顔を見合わせた。共同戦線?

「同盟を結んで、四人で仲間を作るの」

「ソシャゲで言うギルドみたいなことか?」

「そういうこと」

 蓮の問いかけに琴音は首肯する。

「このゲームは、所謂バトロワではあるけど、チーミングは許容されてるみたい。人数がいた方が何かと有利に決まってるわ」

 普段それほど熱心にゲームをしない小春にとっては馴染みのない単語が頻出し、首を傾げてしまう。

 しかし、言いたいことは分かる。

 四人でチームを作って協力しよう、ということだ。

「確かにな」

 琴音の言葉に同調する蓮。

 味方がいる方が何かにつけて上手く事が運ぶだろう。生き残れる可能性も高くなる。

 最終的にどうなるにせよ、仲間がいればリスクも格段に下がる。

 不明点の多いこのゲームにおいて、情報も得られるかもしれない。

 蓮は窺うように小春を見やる。

「どうする? 小春」

「私は、皆がいいならそうしたいかな……。その方が心強いし」

「なら、俺も賛成」

 琴音は口元を綻ばせ、慧は数度頷いた。

「良かった、決まりね」

「じゃあ、能力の共有をしておこう。それが分からないんじゃどうしようもない」

 そう言った慧は立ち上がり、三人のいる地面へと座った。

 手を軽く掲げると、バチバチと音を立てながら、青白く細い光が走る。

「僕の能力は見ての通り。雷のような電気を操ることが出来る、というものだ」

 慧はすぐに魔法を解いた。

 立ち入り禁止の屋上には自分たちの他に誰もいないが、校舎内の何処から見られるか分からない。

「瀬名の能力は聞いたか?」

「うん、瞬間移動って……」

「ああ。僕の場合、瀬名のような激しい体力消耗や肉体への強い負荷といった大きな反動はない。一般的な反動と同レベルだな」

 魔法という非現実的なものに“一般的”という概念が存在するのか、慧は言いながら妙な気持ちになった。

 こんな非科学的な代物が存在するなど、以前ならば信じられなかったことだろう。

「なぁ、その反動ってどんなもんなんだ?」

「基本的に短時間のうちに連続で魔法を使用したりすると起こる。主に頭痛、吐血、震え……身体からの警告だな。反動を無視して使い続ければ死に至る」

 恐らく人間の身体は本来“魔法”などという異能に対応していないために起こるのだろう、と慧は考えている。

 あるいは単にゲームを盛り上げるための要素かもしれない。

「そうなのか。気を付けねぇとやべぇな」

 蓮は自身の右手を握ったり開いたりして眺めた。

「向井の能力は何なんだ?」

「あー、俺は火炎だ」

 言いながら、先ほどの慧のように一瞬だけ炎を宿して見せる。

「へぇ……、便利だし強力な魔法ね」

 琴音は感心したように言う。

 仮に戦闘という場面になったとしても、主戦力となるだろう。

「水無瀬は?」

「私は……何もないの」

 慧に問われ、小春は俯きがちに答えた。

 こうも強力そうな魔法を持つ面子に囲まれると、何だか気後れしてしまう。

「代償が怖いし、殺し合いとかも……したくないし」

 言いながら、小春は発言に自信を失ってしまう。

 自身の持ち合わせた道徳観や倫理観が誤っているのかもしれない、という気がしてくる。

 この状況において小春のしていることは、周囲に甘え切ったわがままでしかないのかもしれない。

「だが、それじゃ危険だろ。能力の使用で魔術師だとバレることはないが、魔術師を見分けられる奴に遭遇したらどうする。対抗手段もない」

「いいんだよ、俺が守るから。それは心配いらねぇ」

 慧の指摘にいち早く蓮が反論した。

「そういうことなら私たちも水無瀬さんを守るわ。仲間なんだし」

 同調した琴音は慧を見やる。

「いいわよね」

「……ああ」

 小春は曖昧な笑顔で「ありがとう」と告げたが、微妙な心情だった。

 守ってくれるというのはありがたいことなのだが、その厚意を無遠慮に受け取れない。

 皆に負担や迷惑をかけてしまう。荷物になりやしないだろうか。

 ただ、勝手な理由でゲームやガチャを拒絶しているだけなのだ。

 頼り切るのは心苦しい。

「……ねぇ、あのメッセージって誰が送ってるのかな?」

 小春は話を切り替えた。

 このゲームに向き合おうとするほど、その部分への疑問が強くなる。

 “人間ではない”ということは共通認識としてあるのだろうが、だったら何だと言うのだろう。

 推し量ることも難しい。

「さぁ……? 運営の情報は欲しいけど、なかなか調べようがないのよね」

「あのメッセージは、文体や口調にまるで統一感がない。人物像をぼかすためにあえて……というのはあるかもしれないが、単純に考えれば、送信者は一人じゃない、ってことだろうな」

 慧は妥当な推測を口にした。

 しかし、謎はむしろ一層深まるばかりだ。

「私たちのクラスに恨みがある、異能者の集団?」

 琴音は不思議がるように呟く。ますます意味が分からない。

「それなんだけどさ、魔術師は俺たちのクラス以外にもいるぞ」

 蓮の言葉に慧は意外そうに瞠目した。

「でも、そうか。和泉は捨て身覚悟で襲われたのかと思っていたが、犯人は胡桃沢だった。その胡桃沢はペナルティを受けてないようだしな」

 すぐに納得したらしい慧は、思案するように顎に手を当てつつ言った。

 瑠奈が魔術師であることは琴音から伝達済みだった。

 魔術師が二年B組にしか存在しないと仮定すると、他クラスの和泉を殺害した瑠奈は、ルール違反で魔術師の資格を剥奪されていたはずだ。

 しかし昨日、彼女は確かに魔法を使用していた。

 ペナルティを受けていないということは、和泉は魔術師だった、ということなのだ。

 直に見ていた琴音は、驚くことはなかったが、なかなか理解し難い事実であった。

「二年B組の殲滅なんてはったりで、ただ魔法を与えられた人間が右往左往する様を見たいがための……“暇を持て余した神々の遊び”なんじゃないの」

 琴音は眉を顰める。

「だが、それならわざわざあんなメッセージを送る必要ないだろ。ゲームのようにする必要もない。……まぁ尤も、だからこそこの状況を楽しんでる、悪趣味な連中だと言い切れるんだけどな」

 そのため、琴音の言葉の後半はいくらか合っていると慧も思っていた。

 ただ見たいだけなのか、戦わせることに意味があるのかは不明だが。

「あーもう! いいよ、そういう分かんねぇことは今考えなくて」

 蓮は早々に話題を打ち切った。

 不確定要素を並べ立て、考察するのは苦手だ。

 結論が出ても結局推測の域を出ないため、丁寧に仮説を構築する意味を見出せない。

 テーブルの上に慎重に並べられていくグラスをすべてひっくり返し、投げ出したくなる。

「起点を作ったのはお前と水無瀬だろ……」

「そうだけど、俺はそんな話がしたいんじゃねぇんだよ」

 困惑する慧に蓮は言った。

「魔術師の話だけど、他クラスだけじゃない。他校にもいるんだって」

 さすがに琴音も慧も驚きを顕にした。

 あらかじめ軽く聞いていた小春も、それが如何に不自然な事実かを改めて認識する。

「どういうこと? なら、やっぱり“二年B組”に意味なんてないんじゃないの?」

 皆殺しなどという脅し文句のもと、それを起爆剤に殺し合う様を運営側は鑑賞したいのかもしれない。

 琴音の言うように、本当にクラスの指定に意味などないのなら、危機感を持たせるためだけに添えられた文言なのかもしれない。

 実際、嫌でも他人事でなくなった。当事者にされた。

「……その他校の魔術師は、向井の知り合いか?」

「ああ、一個上だけど俺の親友だ」

「だったら、都合がいい。少なくともメッセージの謎は、その人に聞けば解けるだろ」

 小春は、はっとした。確かにそうだ。

 その魔術師に届いたメッセージに“二年B組”とあれば、はったりや脅迫、あるいは真実味を強めるためだけの要素ではない可能性が高くなる。

 つまり、本当に小春たちのクラスが狙われているということだ。

 そうでなければ────の話は、実際にメッセージを見てみなければ分からない。

「よし、じゃあ放課後に会いに行こうぜ。近ぇし」

「……その人も仲間になってくれるかな」

「ああ、もともと俺と協力してたしな。……皆さえ良ければ」

 小春と蓮の言葉に琴音たちは頷いた。

「私は大歓迎よ。向井の親友なら瑠奈みたいなこともないだろうし」

「僕も構わない」

 小春は少々意外に思った。

 一匹狼を好む琴音と慧が進んで仲間を持とうとしている。

「決まりだな。連絡しとく」

「今日の今日で大丈夫なの?」

「大丈夫、あいつ暇してるし。入院ってていで休んでるからさ」

 案ずる小春に蓮は答えた。

「どういうこと?」

「会えば分かる」

 琴音の問いかけに短く答える蓮。

 そろそろ昼休みも終わる頃だった。

「じゃあ、放課後に」

 先に琴音、慧がそれぞれ時間をずらして戻っていく。



 後から校舎内に入った小春と蓮が廊下を歩いていると、突き当たりに不穏な三つの人影を見つけた。

 A組の教室前だ。小春は歩調を速める。

「小春?」

 突然のことに蓮は呆気に取られた。

「何してるの? 莉子りこ

 人影の一つ、朝比奈あさひな莉子に声を掛ける小春。

 莉子は驚きつつ振り返り、顔を引きつらせた。

 一緒にいた莉子の彼氏である斎田雄星さいだゆうせいも、ばつが悪そうに顔を背ける。

 床に這いつくばるように俯いている三つ目の人影は、五条雪乃ごじょうゆきのだった。

 和泉同様、彼女と莉子は小春と一年次に同じクラスだった。

「誰かと思えば、小春じゃーん。何って別に何もしてないよ。ねぇ?」

「お、おう」

 傷みかけた長い金髪をかき上げ、答えた莉子は雄星に同意を求める。

 雄星は頷いたものの、馬鹿正直であるが故に嘘がつけず、気まずそうに目を泳がせていた。

 どう見ても、行き着く答えは一つだけだ。

「あのさ────」

「ごめーん、もう時間だから戻るわ。じゃあね」

 小春の言葉を遮り、莉子は手を振って教室内へ入って行った。雄星も追従する。

 一言で言えば、莉子はギャル、雄星は不良、といった感じだ。

 それに対し、雪乃は大人しく控えめな性格。二人が去っても、下を向いたまま顔を上げない。

 小さく肩が震えているのが分かる。恐らく、彼女は────。

「大丈夫……?」

 小春は雪乃に手を差し出した。

 その表情は長い髪に隠れて見えない。

「……っ」

 雪乃は小春の手を借りず、一人で立ち上がると、何も言わずにその場から駆けて行った。

 行き場をなくした手を引っ込めると、その場で黙していた蓮が訝しげな顔をする。

「もしかしてあいつ、雄星たちにいじめられてんのか?」

 断言は出来ないが、小春も十中八九そうだろうと思っていた。

 しかし、それに気付いても小春に出来ることなどほとんどないに等しい。

 下手に莉子や雄星を刺激すれば、かえって状況が悪化するかもしれない。

 それでは雪乃からしても迷惑でしかない。

「とりあえず教室戻ろうぜ。授業始まる」

「うん……」

 蓮も同じことを考えているのだろう。深入りせずに切り上げ、そう促す。

 小春は雪乃を気にかけつつ、B組の教室へと入った。



 放課後、小春たちは、校門を出て角を曲がったところで待っていた琴音と慧と合流した。

 蓮の先導で、彼の親友だという魔術師の家を目指す。

「共闘のこと軽く話したけど、ぜひって感じだったぜ」

「良かったわ」

 蓮と琴音のやり取りを耳に、小春は周囲を見回す。

「ここ、星ヶ丘ほしがおか高校の近くだね」

「ああ、そこに通ってる」

 星ヶ丘高校は名花高校の付近にある高校で、最寄りの地下鉄駅は隣同士である。

 学校間は徒歩で十分もかからない。

 そうこうしているうちに、蓮が立ち止まった。

「着いたのか?」

「……誰かいる」

 慧が尋ねると、蓮が緊張を滲ませたような声色で返した。

 視線の先には一軒家がある。三角屋根の洋風な造りだ。

 表札に“佐伯さえき”とあるのが、この位置からでも見える。

 あの家が目的地なのだろうが、その門前に一人の女子生徒が立っていたのだった。

「誰……? うちの制服みたいだけど」

 琴音が警戒を顕にする。

 頭につけたリボンのカチューシャが特徴的だが、四人とも見覚えはなかった。

 声を掛けるかどうか迷っているうちに、その女子生徒は突如として姿を消してしまった。

「え!?」

 全員が瞠目し、息をのんだ。

 ありえない。立ち去ったのではなく、明らかに消えた。

 周囲を見渡すが、彼女の姿はない。

「魔術師だ」

 慧が呟くように言う。戸惑いが見え隠れしている。

 今の消え方はまるで、琴音の“瞬間移動”だった。

 同じ魔法が存在するということなのだろうか。あるいは“透明化”などの類だろうか。

「魔術師ってことは……まさか────」

 蓮は焦った。さっと血の気が引く。

 もしや、今の魔術師にやられてしまっていたら……。

 蓮はインターホンを鳴らした。何度も連打する。

奏汰かなた!」

 応答を待つのがもどかしく、大声で叫んだ。

 耐え切れず門の取っ手に手を掛けたとき、カチャリと玄関のドアが開かれた。

「もー、どうしたの? そんなに鳴らさなくても聞こえてるよ」

 暢気な調子で首を傾げつつ、蓮の親友である奏汰が姿を現した。

 蓮はその身に怪我がないことを確認し、ほっと安堵の息をつく。

「良かった……。マジで焦った」

「え?」

「……今、ここに魔術師がいて」

 急速な不安と安心の波に飲まれ、気抜けしている蓮に代わり、小春が説明した。

 それを受け、奏汰は目を見張る。

「とりあえず、皆入って。中で話そう」

 奏汰に促され、四人は家に上がった。



 家族が出ていていない時間帯だから、とリビングに通される。

 広々とした空間に余裕をもって各々が腰を下ろすと、奏汰が茶を運んできた。

 蓮がいち早くコップを配る。

「色々話したいことあるけど、とりあえず自己紹介からでいいかな」

 空いた盆をテーブルの端に置き、奏汰は柔和な笑みを湛えた。

「俺、佐伯奏汰。学年は一個上だけど、蓮とは小学校時代からの付き合い。皆も敬語とか使わなくていいからね」

 表情も語り口も穏やかな奏汰は、壁を崩しつつ続ける。

「で、これはたまたまなんだけど、あのメッセージを受け取ったタイミングも蓮と同じだった」

「そっから色々と情報共有したりしてんだ」

 補足した蓮は、ついでに小春たち三人のことをざっくり奏汰に紹介する。

「皆は何の魔法使いなの?」

「私は瞬間移動で、彼は雷撃。彼女は……」

 琴音が小春について告げようとしたとき、奏汰は小春を見て微笑んだ。

「あ、知ってるよ。無魔法だよね? 君のことは蓮からよく聞いてる」

「え」

 いつの間に、と小春が思わず蓮を見やると、蓮は「余計なこと言うな」と奏汰に抗議していた。

「ごめんごめん。ちなみに俺は氷魔法と硬直魔法を持ってる」

 二つ────琴音と慧が驚きを顕にする。

 小春は以前、蓮が話していたことを思い出す。

 魔法の会得方法は、自身の何かを犠牲にガチャを回すか、あるいは魔術師を殺して奪う。

 後者の方法は他校の魔術師から聞いたと言っていた。恐らく、それは……。

「先に言っとく。俺は人を殺した」

 空気が重くならないよう気を遣っているが、その事実を重く受け止めているのが分かる。

「正当防衛だったけど、結果的には俺が殺したのと同じ。……それで分かったんだ。死んだ魔術師から魔法を奪えるってこと」

 奏汰は自身の掌を見下ろしつつ言った。

「なるほど。力を得るには、やはり何らかの代償が必要なんだな」

 納得したように慧が呟く。

 人を殺すという行為は、手を下す側にも一生逃れられない呵責の念を負わせる。

 たとえ、罪には問われずとも。

「……そうだね。氷の方は最初にガチャから引いた。代償は左腕」

 ぽん、と右手で自身の左腕に触れる奏汰。

 厚手のカーディガンのせいで気付かなかったが、確かに腕が片方しかない。

「マジで、何で“四肢”にしたんだよ? 一番不便だろ」

「だって“四肢”なら死にはしないの確定してるし。出血もしなかったよ」

 そういう考え方はなかった。小春は驚く。

 確かに出血多量という概念がないのなら、腕や足の一本を失っても死にはしない。

 “臓器”を選ぶより余程安全かもしれない。

 だからといって、小春に同じ選択が出来るかと言えば、そんなことはまったくないが。

「入院っていうのはそういうことなのね」

「うん。事故ってことになってる」

 琴音の言葉に奏汰は頷いた。それから眉を下げる。

「でも、確かに困ってるんだよね。片腕しかないから使い勝手悪いし、氷と硬直って何か能力的に被るとこあるから持て余しそうだし」

「硬直魔法というのは、具体的にどういうものなんだ?」

 そう尋ねた慧に、奏汰は右手を挙げるよう言った。

 慧が訝しみつつ従うと、奏汰は拳を作った自身の右腕を挙げる。

「下ろしてみて」

 慧は言われた通りに右手を下ろそうとしたが、意思に反し動けなかった。

 視線を動かす以外、身体が動かない。金縛りのような状態だった。

「なるほど……。話すことは出来るんだな」

「そうだね。効果の持続は最大二十秒間。もしくは────」

 奏汰は右手の拳をほどいた。慧の硬直が解ける。

 今の場合、慧が自力で硬直を解除することは不可能であり、二十秒が経過するか、術者が拳をほどかない限り動けないのだそうだ。

 硬直させられる対象は、一度につき一人までらしい。

「厄介は厄介だけど、確かに氷魔法でも応用が効きそうね」

「でしょ? どっちかを小春ちゃんにあげられたら良いんだけどね、魔法の譲渡だけはどうやっても出来ないからなぁ……」

 やはり、魔法を得るにはガチャを回すか、魔術師を殺すしかないのだ。

「────それはさておき、聞きたいことがある」

 メガネを押し上げ、慧が言った。

 奏汰は首を傾げる。

「運営からのメッセージだが、何て書いてあった?」

 端的に本題に入った。

 返答によっては、さらなる疑問が湧く可能性がある。

 あるいは正解が得られるかもしれない。

「えっと、読めばいい?」

「ああ、頼む」

 ここでも、見せ合えないルールはもどかしいものだった。

 それは、疑心暗鬼を生むためなのか、答え合わせの時間稼ぎなのか。

「“来る十二月四日、あなたたち三年二組の生徒は全員死にます”」

 奏汰はスマホ画面を見ながら、メッセージを読み上げた。

 二年B組ではなく、三年二組。奏汰の属するクラスである。

 琴音の言った通り、二年B組というクラスそのものは無関係だったのだ。

「“殺されたくなければ、魔術師を捜し出して皆殺しにすること。魔術師の中で────”」

「分かった、もう充分だ。悪いな」

 慧は奏汰の読み上げを打ち切った。この先は同じだろう。

「メッセージがどうかしたの?」

 奏汰は不思議そうに尋ねた。

「実は……私たちに来たものには“二年B組”って書いてあったの」

 眉を下げ、小春が答える。

 奏汰は一瞬瞠目し、真剣な表情になった。

「でも、そっか。皆が皆“三年二組”や“二年B組”じゃおかしいもんね。……ってことは、その部分はメッセージを受け取った人が所属するクラスになるのかな」

「だったら、魔術師は学校に通ってる奴から選ばれるのか?」

 珍しく蓮が、ゲームに関する推測を口にした。

 慧も「大いにありうる」と同調する。

 現状、自分の知る限り魔術師は高校生のみだ。

 主に高校生がプレイヤーの対象なのかどうかを確かめるには、例外を探した方が早いような気がする。

「まぁ、それを考えるのは後回しでいいや。そんなことより、奏汰の家の前にいたあいつは何なんだよ」

 眉を寄せ、蓮は言った。

 すっかり後回しになっていたが、喫緊の問題である。

「奏汰くんの知り合いなのかな……? 私たちの学校の子だったけど」

「いや、名花には蓮と皆以外の知り合いはいないよ」

 小春たちも奏汰も知らない、謎の魔術師────。 

 何故、奏汰の家の前にいたのだろう。

「同じ学校みたいだし、捜してみようぜ。敵か味方か確かめねぇとな」

 蓮の言葉に琴音は同意を示した。慧も頷く。

 小春の胸の内を靄が掠めた。

 捜し出して見つかったとして、敵だったらどうするつもりなのだろう。

 何となく恐ろしい想像をしてしまい、小春は聞くことが出来なかった。



 十七時を回った頃、四人は奏汰の家を後にすることにした。

「気を付けろよ」

「うん、ありがとう。またね、皆」

 にこやかに手を振りながら門の外まで見送ってくれる奏汰と別れ、四人は帰路につく。

「結局、謎は謎のままだったな」

「でも、収穫はあった。良かったわ」

 程なくして分かれ道で琴音が立ち止まった。

「じゃあ、私こっちだから。また週明けにね」

 小春が手を振って見送ると、長いポニーテールを翻しつつ琴音は歩いて行った。

 夕陽に照らされ、長い影が伸びる。────慧は密かに目を細めた。

「……僕もここで」

 少し歩いた曲がり角で、慧は足を止めた。

「おう、そっか。じゃあな」

「またね」

 こく、と頷き、慧も踵を返す。

 二人になると、普段と違う道でもいつも通りの空気感が戻ってくる。

 色々なことが一気に動き出したような、濃い一日だった。

 小春は不思議な感覚を覚えていた。

 自分の他にも、この奇妙な状況に置かれている人は少なくないと知り、むしろ以前のような日常の方に違和感を感じる。

 ゲームはいつから始まっていたのだろう。

 魔法なんていつから存在していたのだろう。

 蓮が密かに守り続けてくれていたように、小春が知らなかっただけで、日常はとっくに崩壊していたのかもしれない。

 間違い探しをしているような気分だ。

「結局、今日は朝以降何ともなかったけど……瑠奈はどうなるのかな」

 どうなる、と言うか、どうする、と言うか迷った。

 あくまで小春たちとは敵対するつもりかもしれないが、たった一人の瑠奈はどう足掻いても何も出来ないだろう。

 それこそが琴音の狙いなのだろうが。

「どうだろうな。……ともかく小春、お前も気を付けろよ。俺や琴音たちから離れるな」

  昨日のように“餌”として使われる可能性は低くない。

 魔法を持っていなくても、小春にはそういう利用価値があるのだ。

 小春が蓮の言葉に頷こうとすると、不意に、ぴちゃ、と水溜まりを踏んだ。

 ……おかしい。雨など降っていないのに。

「何……? この水」

 地面に目を落とすと、じわじわとアスファルトの色が濃くなっていくのが分かった。

 不自然に水が湧いている。

 小春たちは足を止めた。

「……嫌な予感しかしねぇな」

 蓮がそう言ったとき、足元の水溜まりが渦を巻き始めた。

 描かれる円がみるみる加速していき、はっと蓮は息を飲んだ。

「下がれ!」

 小春はほぼ反射でその言葉に従った。

 直後、ゴォオッと大きな音を立て、目の前で水柱が上がる。

 その勢いと風に気圧され、小春は思わず呆然としてしまった。

「あー、くっそ! 避けたか」

 背後から聞こえた声に振り返った蓮は、咄嗟に戦闘態勢を取った。

 そこにいたのは、星ヶ丘高校の制服を身につけた、背の低い男子だった。

 あどけない顔立ちも相まって、それを着ていなければ中学生くらいに見える。

「とんでもねぇ奴だな。こんな住宅街で仕掛けてくるなんて」

「俺は魔術師だってことを隠すつもりないからな! 何故なら、誰にも負けないから」

 彼は八重歯を覗かせ、強気な笑みを湛えた。

 小春を背に庇いつつ、蓮は同じ調子で返す。

「そうかよ……、じゃあ俺が負かしてやる。逃げるなら今だぞ」

 小春はただ圧倒されながらその場に立ち尽くした。

 どうなるのだろう。どうすれば良いのだろう。

 無力な自分に出来ることなどないが、考えてしまう。

「逃げる? そんな選択肢、俺にはないね!」

「じゃあ遠慮なく殺らせて貰うぞ。後悔すんなよ」

「ごちゃごちゃ言ってないでさっさとかかって来いよ」

 彼が手を翳すと、先ほどのように地面に水が湧いた。

 蓮はすぐさま振り向き、小春の手を掴む。

「逃げるぞ」

「え……!?」

 思わぬ言葉に戸惑った。

 実を言えば、逃げたいのは蓮の方だったのだ。

 相手は恐らく水魔法の使い手────火炎魔法を使う蓮とは相性が最悪だ。言わば天敵である。

 小春の手を引き走り出した蓮だったが、すぐに足を止める羽目になった。

 目の前にが立ちはだかったのだ。

「な……っ」

「氷!?」

 氷は奏汰の持つ魔法のはずだ。

 水魔法と氷魔法が区別されている以上、前者の応用というわけでもないだろう。

「まさか、奏汰くんが────」

「さっきの今でやられたって言うのかよ」

 ありえない。信じられない。

 半ば言い聞かせるようにそう思いつつ、蓮は火炎を繰り出し、氷の壁を溶かした。

 飛沫しぶきが舞う。距離を詰めてきていた彼も被った。

「うわ、火じゃん! すげぇ、俺も欲しい」

 目を輝かせた彼は再び水を生成する。

 火炎に対して氷は天敵だと悟ったのだろう。

 彼の放った水は小春目掛けて飛んできた。

「小春!」

 蓮は思わず炎を放つが、当然ながら水には勝てない。

 咄嗟のことに避けきれなかった小春に、飛んできた水が巻きついた。

 液体のはずなのに、しっかりと形を保っている。

 鼻と口を覆われた上、拘束されてしまった。

(苦しい……!)

 水中にいるも同じだった。息が出来ない。

「お前は何の魔法持ってんだ? 死にたくないなら見せてよ」

 彼は挑発するように言った。

 確かにこのまま何もしなければ溺死してしまう。

 それが嫌なら魔法で応戦しろ、ということだ。

 しかし、小春にそれは無理だ。魔法を持っていないのだから。

「ふざけんな! 関係ない奴巻き込んでんじゃねぇよ。あいつは魔術師じゃねぇ。殺したらお前、ペナルティだぞ!」

 蓮ははったりを口にした。

 この状況でそれ以外に小春を助ける方法が浮かばない。

「嘘だな、あいつも魔術師だ。俺にはにおうぜ」

 彼はあっさりと蓮の出任せを見破った。

 蓮は焦りつつ、案ずるように小春を振り返る。まずい。

「だとしても、お前の相手は俺だ。卑怯な真似すんな!」

 彼目掛けて放った炎は、不意をついた形で彼の頬を掠めた。

「うわ、ち」

 一瞬余裕を失った彼に再び炎を差し向けたが、今度は水魔法により瞬時に打ち消された。

「……分かったよ、もう勝負は見えてるけどお前に集中することにする」

 そう言うと、小春に向け手を翳す。

 小春を捕らえていた水が液化し、ぱしゃっと地面に落ちた。

 咳き込む小春に慌てて蓮は駆け寄る。

「大丈夫か」

「う、うん……。何とか……」

 小春は思い切り酸素を吸っては吐き出した。

 顔色は真っ青だが、意識ははっきりとしている。

 安堵しつつ蓮が顔を上げると、彼は八重歯を覗かせた。

「……なーんてな」

 彼が再び小春の方に手を翳すと、何かが飛んできた。

 よく見えなかったが、蓮は咄嗟に庇った。

 背中にその“何か”が激突し、衝撃で半分反りながら咳く。血が落ちた。

「蓮!!」

 小春は動揺しながら蓮と血を見比べた。

 何が起きたのか分からなかったのは、小春も蓮も同じだった。

 くらくらする頭を押さえ、蓮は「平気だ」と掠れた声で答える。

 唇の端に滲んだ血を拭った。

「そいつに手出すのって別に正攻法じゃん。お前に我を失わせるための正当な作戦。だろ?」

 悔しいが、彼の読みは合っている。

 蓮の原動力は小春を守ることに帰属するのだから。

「お前……何個持ってんだよ」

 怯みと痛みをひた隠しに、蓮は彼を睨め付けた。

 確認出来ただけでも三つ目の魔法だ。

「さぁ? 死ぬまでに答え合わせ出来るといいな」

 彼は嘲笑った。地面の水が渦を巻き始める。

 小春にも蓮にも為す術はない。

 元より無力な小春は然ることながら、蓮も水魔法を前に無力化された状態だった。

 多彩な魔法を使う魔術師を前に、蓮まで無魔法の魔術師同然となってしまったのだ。

 ────そのときだった。

 彼の背後から誰かが駆けてくる足音が響いてきた。

「伏せろ!」

 言われるがまま、蓮は小春を庇うように手を添えつつその場に伏せた。

 ゴロゴロと地鳴りのような音がし、直後、眩い閃光とともに轟音が響き渡る。

 それが収まると、蓮たちは頭を擡げた。

 目の前で、慧と戦闘狂の彼が対峙している。

 絶体絶命を打開してくれたのは慧だった。

「望月くん!」

「悪い、遅れたな。もっと早く引き返せば良かった」

 奏汰の家からの道中、誰かがそばに潜んでいる気がしていた。

 気のせいかもしれない、という気持ちと、まさかこんなところで襲われはしないだろう、という甘えで、引き返す判断が遅くなった。

「いや、助かった。……けど今、命中したはずだよな?」

 あまりの衝撃に何が起きたかを目で捉えることは出来なかったが、慧の雷が彼に直撃したのではないのだろうか。

 水で濡れていたために威力増大で命中したはずだ。
 
「何だよ、お前もこの二人の仲間か? なかなかやるじゃん。雷も悪くないなー」

 しかし、彼は暢気にも楽しそうに笑っていた。

 焦げ臭さや煙が確認出来る以上、まともに食らったはずだが、何故か平然としている。

「あ、実は俺の代償って“痛覚”だったんだ。だから、どんな攻撃も効かない」

 得意気に言う彼に、小春は思わず「そんな」とこぼした。

 複数の魔法を操る上に攻撃が効かないなど、どうすれば敵うと言うのだろう。

 一方で、慧は余裕を崩さなかった。さらには呆れ気味だ。

「よし、水も氷も駄目ならさっきの────」

 彼が強気に魔法を繰り出そうとしたとき、不意にふらついた。

「あ、れ……」

 戸惑ったように呟き、地面に倒れる。周囲の水が跳ねた。

 彼はそのまま、眠るように気を失ってしまった。

「え?」

「おい、急に何だよ」

 困惑する小春と蓮だが、慧は冷静にメガネを押し上げる。

「馬鹿だな。痛覚がないからと攻撃が効いてないわけじゃない。ダメージは蓄積する。痛覚がないというのは、己の危険な状態に気付けないというだけだ」

 その落とし穴に、彼は気付いていなかったのだ。

 自身の魔法と痛覚の麻痺に慢心したが故の敗北だろう。



 小春は慧に向き直る。

「助けてくれてありがとう、望月くん」

「ああ、マジでありがとな。もう駄目かと思った」

 礼を受けたものの、慧は厳しい表情を浮かべていた。

 何も言わず、すぐに視線を倒れている彼に向ける。

「悪ぃ、ちょっと奏汰に連絡してみる」

 スマホを取り出し、蓮は少し離れた。

「何かあったのか?」

「あ、えっと……この人、奏汰くんの氷魔法を使ってたの。他にも水魔法と、あともう一つ。よく分かんないけど強かった」

 慧の問いかけに、小春は彼を指しつつ答える。

 慧は目を見張った。

 少なくとも三つの魔法を持つ魔術師。

 口振りから、ガチャで手に入れたのはそのうちの一つだけだろう。

 既に手を血で染めているのだ。

 奏汰とは異なり、自身の意思で。

 スマホをポケットにしまいつつ、蓮が戻ってきた。

「奏汰は無事だって。襲われてもねぇし、当然魔法も奪われてねぇ」

「良かった……。でも、じゃあ同じ魔法が存在するってことなのかな」

 小春は疑問を口にする。

 奏汰の家の前にいた謎の魔術師然り、その可能性が見えてくる。

「────水無瀬、こいつを殺せ」

 不意に慧が残酷な提案をした。

 小春は何を言われたのか分からず、一瞬呼吸すら忘れる。

 蓮も瞠目した。突然何を言い出すのだ。

「魔法の疑問も殺せば答えが分かる。何より無償で能力を手に入れられる、またとないチャンスだ」

 感情の込もっていない淡々とした声音で言を紡いだ。

「今なら無魔法の水無瀬にも殺せるだろ」

 小春は思わず横たわる彼を見やった。

 目を閉じているが、確かに息をしているのが分かる。

 あれを、この手で止めろと言うのだ。

「おい、慧。何を馬鹿なこと言ってんだよ。何回も言うけど、小春のことは俺が────」

「守れなかっただろ。僕が来なきゃ、二人とも死んでた」

「それは……」

「今さら、魔法の会得に反対する理由はないはずだ。向井、お前は水無瀬が代償を負うのが嫌なんだろ。だったら、代償を払わずに魔法を得られるこの唯一の方法に賛成するべきじゃないか? やるなら今しかない」

 慧の冷徹な言葉は、しかし的を射ていることを小春は理解していた。

 実際、無力な自分は蓮を巻き込んで死ぬところだった。

 何も出来なかった。

 蓮も何も言い返せない。結果が物語っている。

「お前が無理なら、僕や向井がやる。死体から魔法を奪うんだ。……細かいことは分からないが、見た限り、こいつの魔法は決して弱くない。こいつを生かしても復讐しに来るだけだろう。やけに好戦的だし」

 慧の言葉はすべて正論かもしれないが、それだけで割り切れるような内容ではなかった。

 殺すなんて無理だ。殺せるはずがない。

 自分のためだけに彼を殺す権利などない。

(でも……)

 小春は蓮を見上げた。

 自分のせいで傷を負わせた。危険に晒した。

 このまま蓮や周囲に甘え続けていては迷惑だ。足手まといでしかない。

 だからこそ、慧の言う通りにするべきなのだろうことは、頭では充分過ぎるほど分かっていた。

 ────しかし、自分で自分を守れるだけの力を得る方法は、彼を殺すことではないはずだ。

「どうする、水無瀬」

 慧に問われた小春は、顔を上げた。

「……私は殺さない。二人も殺さないで。代わりに、この人を仲間に入れよう」
 蓮も慧も瞠目した。

 その選択肢はそもそも頭になかった。

「正気か?」

 とても手を取り合える相手には見えない。仲間などとんでもない。

 慧は否定的な眼差しで窺うように小春を見た。
 しかし、小春は臆さず頷く。

「目覚めたら話を聞いてみよう。それでもし危険そうだったら、そのときは私が……」

 殺す。

 小春があえて口にしなかった部分を、二人は心の内で補っておく。

「人数は多い方がいいんだろ? だったら、とりあえず話すだけ話してみようぜ」

 小春に賛同した蓮は再びスマホを取り出し、琴音に連絡を取った。

 そろそろ人目を気にしなければならない。それほどの騒ぎの渦中にいた。



 事情を聞いた琴音は瞬時にこの場へ現れると、全員を河川敷の橋の下へと移動させた。

 慧は彼のネクタイをほどき、両手首を拘束しておく。

 程なくして、彼は意識を取り戻した。

「……うわ、また増えてる」

 自身を取り囲む面々を見上げ、彼は呟く。

「やっべー……。俺、殺される?」

 拘束されている事実に気が付き、苦い表情を浮かべた。

 小春は一歩踏み出すと、地面に座り込む彼の正面に屈んだ。

「手荒なことしてごめんね。私は水無瀬小春。あなたは?」

「……甲斐陽斗かいはると

 思いのほか友好的に接せられたからか、陽斗はペースを乱される。

 素直に答えてしまった。

「一つ提案があるの」

「……何だよ?」

 まったく予想がつかない。

 殺すつもりなら気絶している間にとっくに手を下していたはずだ。

 どういうつもりで生かされているのだろう。

 陽斗は警戒しつつ、小春の言葉を待つ。

「私たちの仲間にならない?」

「へ?」

 何を言っているのか分からなかった。

 つい先ほど殺そうとしてきた相手に手を差し伸べているのだ。

 ……罠か何かだろうか。

「言っておくけど、拒否権なんてあってないようなものよ。仲間になるか死ぬか……、どうする?」

 腕を組みながら、琴音が高圧的に言った。

 そう言われれば分かりやすい。

「分かった、そういうことなら仲間にしてくれ! もうお前らを襲ったりしないから」

 協力し合えることは、好都合だった。

 戦いを好む陽斗自身にとっては少々煩わしくはあるが、命には代えられない。

「本当だな? その言葉破ったら、小春が許しても俺は許さねぇぞ」

「うん、本当だって。今日のことも謝る。ごめんな!」

 陽斗の態度を受け、小春は窺うように慧を見上げた。

 慧は小さく息をつき、頷く。小春は安堵した。

 陽斗のことを殺害するという展開にはならずに済みそうだ。

「陽斗くんの魔法について教えてくれない?」

 小春は単刀直入に尋ねる。

「俺の魔法は“コピー魔法”。最大で五種類まで、他の奴の魔法をコピーしてストック出来る。俺が上書きするか死なない限りは、半永久的に保存されてる」

 それで、奏汰の氷魔法が扱えていたのだ。

 そして、陽斗自身は水魔法の使い手でもなかった。

「この手で触ることでコピー出来るんだぜ。あくまで魔法だけな。物体はコピー出来ない」

「奏汰にも触れたってことだよな。どうやって特定したんだよ?」

「ちょっと待て、カナタって誰?」

 蓮が問うと、困惑気味に陽斗は聞き返した。

「俺は結構が利くんだけど、確実に魔術師を見分けるのは無理。だからさ、怪しい奴には口実つけて触れてみて、コピー出来たらラッキーみたいな感じなんだ」

 小春を魔術師だと見破ったのも、陽斗の嗅覚によるものだったのかもしれない。

 実際、コピー魔法は便利だが、陽斗のような嗅覚などで魔術師を見分けられなければ、まったく役に立たない。

 ストックがなければ、ほとんど無魔法同然なのだ。

「あと……仲間になったってことで、大事なこと話しとくな」

 陽斗は胡座をかきつつ、真面目な顔で言を紡ぐ。

「“魔法は一人五個まで”ってルールがあるじゃん? 俺の魔法の特性上、このコピー魔法以外の魔法を保有することは出来ないんだ。代わりにストックに貯めることになる」

 コピー魔法以外も保有出来てしまうと、最大で十個の魔法を操れることになる。

 そう考えれば、妥当な制約と言えた。

「それと、コピー元よりも制限がかかる。例えば、攻撃系の魔法は威力が減少するとかな」

 陽斗の魔法について詳細を聞くと、彼の行動にも納得がいった。

 より良い魔法をコピーして手に入れるために好戦的で、だからこそ自身が魔術師であることを隠す気がなかったのだ。

 また、コピー魔法の力と痛覚麻痺に慢心している節があったことも事実だろう。

 現状、陽斗のストックは三つ埋まっているそうだ。

 一つ目は奏汰の氷魔法、二つ目は衝撃波魔法で、これは持ち主が不明。
 三つ目は水魔法で、四つ目と五つ目はスペース。

 戦闘中に相手の魔法をコピー出来るよう、一枠はいつも空けているらしい。

 話を聞き終えた慧は、謹厳な面持ちで陽斗に釘を刺す。

「……今後は、無闇に一人で突っ走るなよ」

「分かった。四つ目のスロットが埋まったら大人しくするよ」

 陽斗はそう返したが、それではいつになるか分からない。

 蓮は陽斗の前に屈み込むと、腕を差し出した。

「ほら、俺の魔法コピーしとけ」

 陽斗は蓮と差し出された腕を見比べる。

「……え、いいの?」

「おう。役に立つかは分かんねぇけどな」

「やった、ありがと!」

 無邪気に笑った陽斗を見て、小春はその拘束をほどいた。

 陽斗は蓮の腕に触れ、火炎魔法をコピーする。

「……ちなみに、水魔法は誰のものか分かるか?」

「うん、むしろそれだけしか分かんないけど」

 蓮が尋ねると、陽斗は首肯した。

 火炎を扱う蓮の天敵とも言える魔術師だ。なるべくなら会わないようにしたい。

早坂瑚太郎はやさかこたろう。星ヶ丘高の2年3組、俺と同じクラス」



 ────それぞれの魔法と事情を陽斗にも伝え、この日は解散となった。

 小春の家の門前で足を止める。

「……ごめんな。守りきれなくて」

 俯きがちに蓮が言った。

 小春は慌てて首を左右に振る。

「蓮は守ってくれたよ! ……謝るのは私の方。ごめんね、痛かったでしょ」

「馬鹿、大したことねぇよ」

 消え入りそうな声で謝れば、蓮は笑った。

 しかし、小春の脳裏にこびりついた、あのときの鮮明な赤色が頭から離れない。

 確実に自分のせいだ。

 もう少しで本当に取り返しのつかないことになるところだった。

「私────」

 やっぱり、どうにかしないと。

 代償なんて恐れている場合じゃない。

「いいから、お前は気にすんな。頼むから黙って守られててくれ」

「……分かった」

 懇願するような眼差しを向けられ、小春は頷くほかになかった。

 実際は一ミリも納得などしていないのに。

「また月曜日ね」

「おう、じゃあな。何かあったら呼べよ。時間も曜日も関係ねぇからな」



 蓮と別れた小春は、家の中へ入り自室へと向かった。

 ウィザードゲームのアプリを立ち上げる。

 薄暗い中、電気も点けずに画面を眺めた。

「…………」

 無力感も後ろめたさも申し訳なさも、もう味わいたくない。

 自分のせいで誰かが傷つくのは嫌だ。

 自分が足手まといになり、迷惑をかけるのは嫌だ。

 水に捕らわれたときの溺れる苦しさと、庇ってくれた蓮の血を思い出す。

 小春は二十三時五十九分を待つことにした。

 結局、代償の選択肢にある四つ目が何なのかは確かめられなかった。

 ランダムという意味にしろ、それ以外の意味にしろ、どの代償も選びたくなく、自分では選ばないことにした。

 まさか、こんな瞬間が来るとは思わなかった。

 こんなゲームやガチャなんかに真剣になるとは。魂を売る羽目になるとは。

 なるべく頭を空っぽにしようとした。

 そうでないと、付け入るように弱い自分が囁き出す。



 ……時間になった。

 小春は一度ゆっくりと呼吸すると「④」を選択し、ガチャを回した────。

 零時になった。日付が変わる。

 その瞬間、びりっと身体に微量の電流が流れたような感覚がした。

 画面にポップアップが表示される。

【オメデトウ!
キミには“飛行魔法”を授けるよ~】

 その軽い口調を見ると、自分の真剣さや緊張が滑稽にさえ思えてくる。

「飛行……?」

 空を飛ぶということだろうか。

 小春は先の文を追った。

【あなたの“寿命(5年分)”を消費しました。
魔法ガチャは23時59分に再度回せるようになります】

(寿命……)

 小春は胸に手を当てた。ばくばくと心臓が早鐘を打っている。

 現時点で身体的に何の変化も感じられないからか、あまり実感が湧かない。

 しかし、どうやら即死ゲームオーバーは免れたようだ。

 大きな山を超えたような気分になり、深々とため息をついた。ひとまず助かった。

「あれ……」

 つぅ、と不意に鼻から血が垂れてきた。

 慌てて拭い、ティッシュで押さえておく。

 安堵したせいか、魔法やら代償やらの影響かは分からなかったが、鼻血はすぐに止まった。

 大したことはなさそうだ。

「飛行って、どうやるんだろう?」

 小春は蓮や他の魔術師たちが魔法を使っていたときのことを思い出す。

 真似をして手を翳してみたが、何も起きない。首を傾げる。

 事実、魔法を目にしている以上、今さら嘘やいたずらだったということもないだろうに。

(週が明けたら聞いてみよう)

 そう思うと同時に、蓮への申し訳なさが募る。

 魔法を得ても得なくても、ありがたく申し訳ない。

 どちらを選んでも、自分のわがままを押し通した結果になる。

 小春は心苦しさを覚えながら、眠りに就いた。
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