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第四章 -残酷な再会-

第17話 11月25日[後編]

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 大雅は何度も冬真に掴みかかっては、物理攻撃を仕掛けた。

 律が植え付けた殺意により、完全に我を見失っていた。

 冬真は何とか絶対服従の術をかけようと試みるが、五秒間の隙すら生まれない。

 攻撃を躱しながら、どう切り抜けるかを考えていた。

 殺したいのは山々だが、それには魔法の使用が大前提だ。単に物理攻撃返しで殺しても意味がない。それではテレパシー魔法が無駄になってしまう。

 そして、冬真が魔法を使って殺すとしたら、操作して────ということになるが、自殺では駄目だ。

 ならば、事故しかない。
 対象を操って意図的に事故に遭わせる。

 直接的な死因は魔法ではないものの、魔法がその死を招いているのだから問題はない。“魔法による殺人”だ。

 そのためには、まずは傀儡にするか絶対服従させるかしなければならないのだが、厄介なものだった。

 冬真が同時に傀儡に出来るのは一人だけである。

 大雅を始末するなら、律の傀儡を一度解除し、大雅を傀儡にして事故に遭わせるのが手っ取り早い。

 しかし今はそうもいかなかった。

 普段なら味方であるはずの律と、今は敵対している。律の傀儡を解けば、自分に牙を剥くはずだ。

 律も大雅も別に冬真の魔法を奪おうという意思はないため、殺す手段にはこだわらないだろう。

 “魔法を奪いたい”という意思があるなら、どちらの魔法も戦闘向きではないために余裕があったが、そうでないからかえって都合が悪い。

(一旦、気絶させるしかないか……)

 殺さない程度に痛めつけて。

 冬真は旧校舎内に落ちていた鉄パイプを拾い上げる。迫ってくる大雅に向け思い切り振った。

 バキッ、と痛々しい音が響く。恐らく大雅の肋骨が折れた。

「く……っ」

 大雅は痛みに悶絶し、よろめいた。彼の勢いが削がれる。

 その隙に冬真は大雅を蹴飛ばした。彼は瓦礫の山に突っ込む。

 ガシャン! と派手な音が反響した。
 負傷により動きは止められたが、意識はまだある。

「まだ続けるの? それじゃ勝てないのは明白でしょ。僕を殺すなんてどの口が言ってるんだか……。 あはは、やれるもんならやってみなよ」

 冬真は律越しに挑発し、逆上した大雅が再び迫ってくるのを狙った。感情的になった相手は隙だらけだ。

「…………」

 しかし、予想に反して沈黙が落ちる。

 大雅は蹲った姿勢のまま顔を上げなかった。
 わずかに肩を震わせている。

 その様子を認めた冬真は訝しむように眉を寄せた。

(何だ……?)

 粉塵が消える。視界が晴れる。

 大雅は、先ほど捨てさせたはずの鏡の欠片を手にしていた────。

「!」

 冬真は身を強張らせる。
 まずい。あれで自殺でもされようものなら。

 しかし、違った。そうではなかった。
 大雅は正気を取り戻したのだ。

「は……、そうだ。思い出した」

 冬真は瞠目する。困惑を隠せない。

「悪ぃ、律。やり方はともかく助かった」

 思わず律を窺うが、傀儡の彼は当然ながら無反応だった。すっかり現状に圧倒される。

 いったい、何が起きたというのだろう。

「おい、冬真。お前を奏汰のとこには行かせねぇからな。当然俺たちを殺させもしねぇ。どうしてもって言うなら……俺はここで律と自殺する」

 立ち上がった大雅は、鏡の欠片を自身の首に当てた。

 何の迷いも躊躇もない、清々しいほどの覚悟だ。

「…………」

 冬真は言葉を失った。

 律に消させた記憶がすべて蘇っている。書き換えた記憶も本来のものになっている。

 どうなっているのだろう。
 思考の沼に嵌りかけ、不意にはっとした。

(鏡……?)

 大雅は先ほど鏡を見ていた。様子が変わったのはそれからだ。

(まさか、あれのせいなのか?)

 律の魔法にはそんな抜け穴があったとでも言うのだろうか。

 ならば、大雅の記憶を何度操作しても結局元に戻ってしまっていたのは、彼が鏡を使って記憶を取り戻していたからなのだろうか。

 そう考えたものの、それでは納得出来なかった。
 鏡と記憶との関連性が分からないのだ。

「どうやって記憶を────」

「言うわけねぇだろ。なぁ、それでどうすんだよ。奏汰を殺すこと諦めるか? はっきり答えろ」

 形勢逆転と言わざるを得ない。

 実際のところ何が起きたのかは分からないが、大雅はすべての記憶を取り戻してしまった。

 そして、自身の命を盾に冬真を脅しているわけだ。

 冬真は暫時悩んだが、ここから主導権を取り戻す術が浮かばなかった。

 ……いや、本当にそうだろうか。

(僕は神なんだ……。この生意気な大雅如き、封じられないわけがない)

 冬真はそう思い直すと、肩を竦め苦笑して見せた。

「……分かった、降参。君にそこまでの覚悟があるなら佐伯奏汰は諦める」

「本当だな?」

「勿論」

 その返答を聞くと、大雅は慎重に冬真を見返した。

 彼が今一番困るのは、ここで自分や律に死なれることだ。自殺や物理的な要因によって。

 それと比較すれば、硬直魔法を諦めることなど安い────そう判断することは、別に不自然ではない。

 ただ、いずれにしてもそれは大雅たちとの決別を意味していた。

 野心に諦めがついたからか、どこか憑き物が落ちたように見える。

「律のことも返すよ。……ただ、悪いけど僕は協力しない。運営側を倒すなら君たちだけでやってくれ。僕は最後まで傍観してるから」

 それは律の説得に対する冷静な返事なのだろう。

「そっか、まぁそれはしょうがねぇ。魔術師よりよっぽど危険な連中を相手取ることになるからな。無理強いは出来ねぇよ」

「うん……、僕たちの同盟はここまでだ。だけど、君とは少なからず縁があると思ってる。簡単には死んで欲しくない。だから、自殺なんて考えるのはやめて」

 冬真は案ずるような眼差しを大雅に注いだ。
 自殺なんてありえない。……本当に。

「しねぇよ。これはもともと、記憶消されたときの対策として持ってたんだ」

「へぇ……?」

 冬真はひっそりと笑む。

 大雅に自殺する気はさらさらない。
 また、理屈は不明だがやはり鏡が記憶を取り戻す鍵となっていたようだ。

 それが判明したのは大きい。

「じゃあ、早く律を解放してくれ。俺たちもう行くから」

「うん。でも、その前に一つだけやることがあるんだ」

 冬真は律を操作し、校外へと歩かせた。フェンスを潜り、道路に出る。

 やることとは何なのだろう。何をする気なのだろう。大雅は訝しみながら律を追った。

 律は車道の縁に立つと足を止めた。……嫌な予感がする。

 大雅は後ろにいる冬真を振り返った。

「おい、どういうつもりだよ。お前、まさか“考え”って────」

「そうだよ。これが、僕が魔法で魔術師を殺す方法。……そして、大雅!」

 悠々と歩み寄った冬真は、大雅の首を乱暴に掴んだ。

 やっと隙が生まれた。予想外の出来事に晒された人間も、感情的になった相手と同じくらい隙だらけだ。

「く……」

 大雅は苦しみに顔を歪める。それを見た冬真は興がるように口端を持ち上げた。

「君もすぐに同じ目に遭わせてあげる」

 大雅は霞む視界で必死に冬真を睨みつける。

 少しも諦めてなどいなかったわけだ。
 やはり冬真の性根はどこまでいっても変わらない────。

 車の走行音が聞こえ始めた。

 これでは律の動向が見えない。どうなったのだろう。
 自分も再び絶対服従を強いられるのだろうか。

(鏡……)

 殺られるくらいならその前に自ら命を絶つ。
 大雅はポケットに手を突っ込んだ。

 視界の端で、律が一歩踏み出す。勢いよく走ってきたトラックの前へと。

「五、四、三……」

 大雅を絶対服従させるまでの秒読みか、律が轢かれるまでの秒読みか、どちらなのか分からなかった。

 いずれにしても、冬真が利するまでのカウントダウンでしかない。

「二────」



 その瞬間、時が止まった。世界のすべてが停止した。
 二つの人影が現れる。

「危ないところだったぁ……。ギリギリ間に合ったね」

「うむ」

 安堵したように言う瑠奈に頷いた紅は、大雅と律、それぞれに触れた。二人の時が動き出す。

 大雅の手にした鏡の欠片が、自身の首目がけて勢いよく振り下ろされる。

「ちょちょちょ! 大雅くん落ち着いて。早まらないで。大丈夫だから!」

 瑠奈は慌てて大雅の手を掴んだ。

 そこで初めて瑠奈たちの存在に気付き、彼は我に返った。驚きを顕に目を見張る。

「は……、瑠奈!? 何がどうなっ……、え? 何だこれ?」

 理解が追いつかない。

 これまで消息を絶ち、その安否すら不明だった瑠奈が突然現れたこと。

 目の前の冬真も、迫るトラックも、舞い落ちる木の葉も、世界のすべてが動きを止めていること。

 ひたすらに困惑する。

「…………」

 律は踏み出した一歩を地面につける。顔を上げれば、トラックがすれすれのところまで寄っていた。

 思わずへたり込み、深々と息をつく。

「どうやら、傀儡は解けたようだな」

 律を見やった紅が言う。確かに、冬真による傀儡は解除されていた。

 しかし、あらゆることに混乱し、咄嗟に言葉が出てこない。

 同じような状態の大雅も、戸惑ったように瑠奈と紅を凝視した。

「何から聞けばいいのか分かんねぇけど……。瑠奈、お前今まで何処にいたんだ? 無事だったのか? そんで、お前は誰だ? これは時間が止まってるのか?」

「あ、それはね────」

 立て続けに繰り出された大雅の問いかけに瑠奈が答えようとしたとき、目眩を覚えた紅がたたらを踏んだ。

 そのまま咳き込むと、血があふれる。反動だった。

「説明は後だ……。今はとにかくここから離れよう」

 紅が呼びかける。

 時が止まっているうちに、四人は冬真から遠ざからんと駆けていく────。



 しばらく走り続けたが、その途中で蒼白な顔の紅が立ち止まり、口元を覆った。

「……っ、悪いがもう限界だ」

 くずおれて座り込んだ。もう身体が持たない。停止していた時間が動き出す────。

 大雅は後方を振り返った。冬真からは距離を取れている。

「充分だ。助かった」

 荒い呼吸を繰り返す紅の回復を待ち、一同は廃トンネルを目指すこととした。



 一方、冬真は困惑していた。大雅も律も、目の前から突然消えた。

 いったいどうなっているのだろう。瞬間移動でもあるまいに。

 何故か、律の傀儡も解けてしまっていた。まったくもって意味が分からない。

 だが、いずれにせよ、彼らには逃げられたということだろう。

 それは冬真が反撃の機会を逸したことを意味する。

「……っ」

 冬真は苛立たしげにフェンスを殴った。

 ガシャン、と大きな音が虚空に吸い込まれていった。



 廃トンネルまでの道中、瑠奈が代表してそれぞれの人物を相互に紹介する。

「この子は藤堂紅ちゃん。“時間停止魔法”の魔術師だよ」

 時間停止。……大雅は深く納得した。これほどチート級の強力さを誇るのなら、冬真が執着して目の敵にしていたのにも頷ける。

 時間を止められるのなら、怖いものなど何もないだろう。どんな人も状況も、思いのままに操れるのだから。

 瑠奈は紅にも大雅と律の紹介を行っていた。それが済むと、大雅は先ほどの問いを繰り返す。

「瑠奈、今まで何処で何してたんだよ? 何でテレパシーまで切って行方晦ましてたんだ?」

 瑠奈の顔に、少し怯えたような色が差す。何処か不安そうに眉を下げ、唇を噛み締めていた。

 そうして落ちた一瞬の沈黙は彼女自身が破った。

「……あの日、あたしは殺されかけたの。半狐面をつけた、和服姿の男に」

 大雅も律も、それが誰を指すのかすぐにぴんと来た。祈祷師だ。

「彼は“制裁”って言ってた。あたしは逃げたけど追い詰められて、もう駄目だって思ったとき、紅ちゃんが現れた。彼女があたしを助けてくれたの」

 紅が瑠奈を救ったのは偶然だったが、二人はそれから行動をともにするようになった。

 瑠奈はとにかくその謎の男の存在が恐ろしかった。

 何故狙われたのか分からず、身を隠すことにしたのだ。そのための一環として、連絡を絶った。テレパシーも切断した。

 それでも、祈祷師の仲間と思しき女などに何度か狙われたが、そのたびに紅のお陰で生き永らえてきたのだった。

 彼らに狙われる理由は未だに不明である。

「その狐男は、祈祷師という運営側の者だ」

 律が言う。ただ者ではないことは分かっていたが、まさか運営側だとは思わず、瑠奈は「え!?」と驚愕した。

 何故、運営側に狙われるのだろう。ますます分からなくなる。

「“制裁”か……」

 大雅は眉を寄せつつ呟く。

 制裁と言うからには、何か悪いことをしている、ということだ。

「心当たりねぇのか?」

「そりゃまぁ、人殺してるし……。でも、小春ちゃんに言われてからは誰も殺してないし戦ってもないよ。そう決めたから。……小春ちゃんに誓って」

 瑠奈は毅然として答えた。

 彼女に気付かされ、彼女の優しさに触れ、もう二度と過ちは繰り返さないと決めたのだ。

「……そっか」

 小心者で怖がりのくせに、思いのほか決意は固く芯が強いようだ。

 意外に思いながら納得しかけたものの、違和感を覚える。おかしい。

 そもそも、バトルロワイヤルは殺し合いを前提としている。

 殺しを悪とし、それを裁いているのだとしたら、運営側のスタンスに矛盾が生じる。

 何故なら、そもそもこのゲームを強いているのは運営側なのだから。

 それに従ったのに“制裁”などという名目で殺されたのでは、たまったものではない。

 瑠奈が魔術師として殺しに積極的だった頃は、運営側が介入してくることはなかった。

 しかし、殺さないと決めてからは命を狙われるようになった。────制裁と称して。



「……そういうことか」

 律が呟く。大雅も頷いた。

 瑠奈は「何?」と首を傾げる。

「俺たちも運営側に追われてんだ。現に琴音とか……運営側に殺された仲間もいる。関与は不確かだけど、小春も消息不明なんだ。でも、運営側の仕業って線は薄くない」

 大雅は瑠奈の問いに直接答える前に、現状の説明をした。

 思わぬ状況に置かれていることを知り、瑠奈は瞠目する。

「琴音ちゃん、死んじゃったの……? 小春ちゃんまで行方不明なんて……」

 狼狽し、声が震えてしまう。

 以前、琴音が憎い敵だったことは事実だが、今ならば協力出来る味方になりうると思ったのに。

 慧のことも、心から謝って償いたいと思っていたのに……。

 そして、堕落していた瑠奈を諭してくれた、ゲームの本質に気付かせてくれた小春までもが消えてしまうとは────。

 大雅は首肯する。今口にしたことは紛うことなき事実だ。

 それから、謹厳な面持ちになった。

「運営側に狙われる奴らの共通点が……やっと分かった。────殺し合いを放棄したんだ」

 魔法という異能を持つ者のバトルロワイヤル。
 魔術師同士の殺し合い。

 そのルールを違反、即ち殺意や殺戮の権利を放棄したが故の制裁なのだ。

 プレイヤーである資格はない、と判断されたのだ。

 運営側は“魔術師同士で殺し合うこと”をルールと規定しているから。

(だったら……)

 大雅は一歩踏み出し、宙を見上げて言った。

「おい、運営。聞いてるか! 俺たちは戦う。殺し合いも承知だ。分かったら邪魔すんな!」

 周囲に気配はないが、連中はきっと何処かで聞いているはずだ。

 風で梢がざわめく。黒い烏が飛び立つ。

「ふん……、こんな分かりやすい嘘が通用するか?」

 紅の言葉に瑠奈は焦った。

 せっかく大雅が牽制したのに、聞かれたらどうするのだ。

「大丈夫だ。殺し合う意思がないことを明確に示さない限り、連中は干渉して来ない。魔術師同士が手を組んで協力することは、許容されているようだしな」

 至極冷静に律が言った。

 状況を鑑みて殺せない、殺さないことは看過されている。

 あくまで真正面からゲームの根本や殺意を否定した者が制裁対象なのだ。

 瑠奈は思わず律を見つめた。改めて考えると、彼がここにいることが少し意外だった。

「律くん、冬真くんのもとから離れたんだね」

「……色々あってな。やっぱり人なんて信用出来ない。いや、期待した俺が身勝手だった」

 自嘲するような笑いを浮かべた律の肩に、大雅は腕を回した。

「ばーか。最初からあいつはクズなんだよ」

 律は少し驚いたように大雅を見やる。

「お前は戦友だと思ってたかもしんねーけど、あいつにとっては所詮駒。はっきりしただろ。利用されてることに気付かねぇまま死ななくてよかったじゃねぇか」

「……気付いても殺されかけたがな」

 思わずそう返した。ぽんぽん、と大雅は律の背を軽く叩いて離れる。

 これまで律は大雅を侮り、誤解していたのかもしれなかった。

 何度服従させられ、何度本来の記憶を失っても、冬真に立ち向かうことを諦めない大雅を、懲りない馬鹿だと思っていた。

 そうではなかった。

 彼が何故諦めないのか、今なら分かった気がする。自分ではなく、仲間のために戦っているからだ。

 大雅の中では既に、律もその中の一人としてカウントされている。

 自分は散々彼を苦しめたというのに────本当に馬鹿だ。

「……ねぇ、それで律くんも“打倒運営”に賛同してくれるの? あたしたちの仲間になるの?」

 瑠奈が小首を傾げる。

「仲間? 桐生たちとは別じゃないのか?」

「ううん、同じだよ! あたしたちは小春ちゃんの……あ、えと、大雅くんたちの仲間に加わるから」

「うむ、元よりそのつもりだ。胡桃沢氏から水無瀬氏とやらの話を聞いてな……。私もぜひ協力したい」

 願ってもみない申し出だった。

 大雅は驚きと喜び混じりに「本当か!」と瞳を閃かせる。

 紅は頷きつつも、懸念するように腕を組んだ。

「だがな、大丈夫か? 旗振り役のその水無瀬氏とやらも消えてしまったのだろう? 統率出来ているのか? 目的や意思の統一は?」

「まぁ……確かに正直なところ、ちょっと道を逸れたりもした」

 一度は信念を曲げそうにもなった。

 それは結果として、運営側に屈することを意味するというのに。

「でも、何も小春が絶対的なリーダーってわけじゃねぇからな。あいつの言葉とか、運営側を倒したいって目的は、俺たちも皆同じ。その動機はそれぞれ違ってもな。だから大丈夫、道を見失うことはねぇ」

 大雅の眼差しは強く勇ましいものだった。

 もう揺らがない。やるべきことは明確になった。

「……そうか」

 紅は今度こそしっかりと頷いた。晴れやかな表情を浮かべる瑠奈は嬉しそうに笑う。

「お前はどうする?」

 大雅は律を窺った。

 運営側に抗うという意思はあくまで自分たちのものだ。それを無理強いすることは出来ない。

 律は息をつき、目を閉じる。

 ウィザードゲーム────そんなもの、おおよそ非現実的で馬鹿げた話だと思っていた。

 魔法なんて代物も、実際手にして扱うまで存在を信じたことはなかった。

 バトルロワイヤルだか何だか知らないが、主催している頭のおかしな連中に踊らされ生き残るくらいなら、いっそ死んでやろうと考えていた。

 だが、気が変わった。

 プレイヤーなんて駒の一人が死んだくらい、連中には何の影響もない。

 そんなことで彼らを動揺させたり、一矢報いたりすることなど出来ない。

 彼らにとって死など、息をするのと同じくらい当たり前の日常なのだから。

 だったら────。
 ふ、と目を開ける。

「俺も、一泡吹かせてやりたい」

 そう言った律の声色や眼差しは、いつもの退屈で無関心そうなそれとは異なっていた。

 ゲームに巻き込まれてから、本当の意味で、今初めて決断を下したのだ。

「そう来なくちゃな」

 大雅は口端を持ち上げた。律ならそう言ってくれると思っていた。

 彼は変わった。ゲームの展開や魔術師たちの思惑に揉まれながら、次第にその自我を確立させていった。

 誰よりも冬真に操られることが多かったのに、冬真にとっては皮肉なものだろう。



 四人は廃トンネルへと到着した。

 大雅は振り返り、それぞれと目を合わせつつ言う。

「よし。そんじゃここで皆を待つ間、お前らに俺たちのことと、これまでにあったことを詳しく共有しとく」



*



「薄々気付いてると思うけど……。小春ちゃんはね、記憶喪失なんだ」

 至はあくまで穏やかな声で、残酷な事実を伝えた。

 蓮の瞳が揺れる。誰か、などと聞かれた時点で、あるいはもう少し前から、そうなのかもしれないという予感はあった。

 それでも、はっきり告げられるとまた衝撃を受けるものだ。

 アリスも納得する。今朝の様子を見ればそうとしか思えない。
 
「そっか、それで……」

 奏汰は呟いた。小春だけど小春じゃない、という至の言葉も、それなら理解出来る。

「何で、そんなことに────」

 蓮が消え入りそうな声で尋ねると、至は「うん」と頷いた。

「順を追って話すよ」

 蓮の目を優しく覗き込んだ至は、その宣言通り、仔細を語り出した。

「────まず、小春ちゃんと蓮くんは、雪乃ちゃんの言う通り祈祷師の襲撃に遭った。蓮くんは分からないけど、少なくとも小春ちゃんは殺された。でも、雪乃ちゃんが時間を巻き戻したことで助かった。雪乃ちゃんは小春ちゃんを連れて逃げて……彼女の言葉通りなら、小春ちゃんはそのまま家に帰ったんだよね。ただ、その後、何で蓮くんと連絡を取らなかったのか、という疑問は残る。この辺りは当人しか知らないけど、その当人が記憶を失ってる今は確かめようがないから省くよ。……この日からなんだよね? 小春ちゃんと連絡が取れなくなったのは」

 確かめるように問われ、蓮は首肯する。

「ああ、そうだ。そんで次の日から小春は消えた」

 小春の母親は、友だちの家へ泊まりに行くという本人からのメッセージを信じ込んでいる。

 ここまで音信不通が続いて何の不信感も抱かないなど、普通ではありえないのに。

 とはいえ、信じ込んでいるのは恐らく運営側による何らかの操作のせいだ。

 クラスメートや担任、警察も同じように、このゲームで起こる不自然なことに何ら疑問を抱かないようになっている。

 というか、疑問を抱いてもその思考を書き換えられる、といった方が正しいかもしれない。

「その、小春ちゃんが消えたことに関してなんだけど、これも真実は小春ちゃん本人しか分からない。……正確には、記憶を失う前の小春ちゃんね」

 至はそう前置きし、さらに続ける。

「だから、これは俺の憶測に過ぎないけどさ。たぶんその日、というか深夜に小春ちゃん、ガチャ回したんじゃない?」

 全員が全員、驚愕した。

 それぞれが思わず小春を窺うように見たが、小春はその中の誰よりも戸惑っていた。

「ごめん、小春ちゃん。ガチャとか意味分かんないよね。あとでまとめて説明するよ」

 魔法ガチャはおろか、ゲームのこともすっかり忘却しているのだ。

 至は彼女の混乱を察しつつ、全員への説明を優先させた。

「蓮くんたちは小春ちゃんの魔法知ってる?」

「あれだろ、空飛ぶやつ」

「そうだね。浮遊魔法というか、飛行魔法というか」

 その能力は、小春が自らガチャを回して得たものだと把握している。代償は五年分の寿命だと言っていた。

「でも、それだけじゃない。彼女はそれに加えて光魔法の持ち主でもある」

「光……?」

「透明化じゃなかったんだ?」

 至は首肯する。

「そう。透明っていうか……姿を消すことが出来るのは所謂、光学迷彩。理屈は難しいから省くけど、光を操れるから擬似的に透明化出来るってわけ。見えないだけで実体はあるよ。だから影も見える。質量とか熱とか音とか臭気とかも。それから周囲の温度や湿度なんかが変化すると、この擬似的な透明化も破綻する。そういう仕組み」

 姿を消すことが出来るのは、光魔法の応用だったのだ。

「……何や、何かまともに喋ったらかしこ見えるな」

「えぇ? 俺、馬鹿だと思われてたの? 心外だな」

 本音を漏らしたアリスに、至はやや大袈裟に肩を落として見せた。

 普段は飄々としており、何を考えているか分からないだけに、真剣かつ饒舌な彼は少し意外な姿だった。

「おい、至! 脱線すんなよ」

「ごめんごめん、そうだね……。光魔法の詳細については俺もすべてを把握してるわけじゃないから、完璧な説明は出来ない。でもそのうち分かるんじゃないかな。小春ちゃんが使ってるとこ見てれば」

「そんな雑な……」

「いや、本題はそこじゃないんだよ。俺が言いたいのは────小春ちゃんはガチャを回した。それで光魔法を手に入れた。それと引き換えに記憶を失ったんじゃないか、ってこと」

 光魔法の代償が記憶だった。

 そう考えれば、小春が消えてから彼女の身に起きた変化にも確かに合点がいく。

 至はさらに続けた。

「────俺が小春ちゃんと初めて会ったとき、彼女は他の魔術師に襲われてた。それをたまたま俺が助けたんだ。ま、目の前で人が死ぬってのに黙って見てるのも気分いいもんじゃないしね。相手のことは殺したよ。でも、魔法はいらないから取ってない。睡眠魔法って、ただでさえ身体がしんどいからね。これ以上負荷かけたら、俺死んじゃう」

「そんなことが────」

「そ、あったんだよ。君たちが小春ちゃんの光魔法を知らないなら、時系列的には彼女が連絡を絶ってから、ってことになるかな。既にそのとき小春ちゃん記憶失ってたし」

 至はその夜のことを思い出しつつ言った。

「自分のことすら分からなくて混乱してた。不安そうに色々聞かれたけど俺だって分かんなかったよ。魔法は使えてたみたいだけどね。よく分かんないけど、魔法は手続き記憶とかの一種なのかね?」

 顎に手を当て、至は首を傾げる。さらに蓮も首を傾げた。

「手続き記憶って?」

「何か聞いたことある。一言で言えば、身体が覚えてる記憶」

 奏汰の言葉に至は頷いた。

 アリスも納得する。だからこそ今朝、記憶がない状態でも魔法を扱えていたのだろう。

 それから、はたと疑問が湧いた。

「ん、あれ? あんたら、そのとき初対面やろ? どうやって小春が“水無瀬小春”やって分かったん?」

「それは当然これでしょ。……じゃーん、文明の利器」

 至はスマホを取り出して見せた。

「メッセージとか、色々……そういうのから小春ちゃんの身元は割り出せた。で、ゲームについても忘れちゃってたみたいだから俺が一から説明してあげたの」

 蓮は何となく、約三週間前のことを思い出した。

 一番最初に小春に運営側からのメッセージが来たときは、自分が色々と説明した。

 ……あのとき“守る”と誓ったくせに、結局自分は何も出来ていない。

 悔しい。小春が苦しんでいたというのに、そんなこと知る由もなかった。

「そんで……おうちも分かったけど、この状態の小春ちゃんが帰っても色々と大変だし、面倒なことになっちゃうでしょ? だから俺が見っけたアジトに身を置くことになった。あ、蓮くん。安心して、何もしてないから。他意なし! ね?」

「……っは? んだよ、俺は別に何も!」

 思わず握り締めていた拳がほどける。

 すっかり油断していた。至は何を言い出すのだ。

「でさ、そのとき、小春ちゃん怪我してたの。でも俺のアジトは廃屋だから、気の利いたアイテムなんてないわけ。本当に困ったよー」

「そこで私の登場です!」

 日菜が勢いよく手を挙げた。

「ご存知の通り、私は回復魔法を使えるんですが……実は人一倍血のにおいに敏感なんです。というのも、魔法の特性の一つなんですけど。ほんの血液一滴、二キロ離れてても分かります」

 蓮は「とんでもねぇな」と驚きを顕にする。

「これを言ったらもうお察しですかね? あなたたちのお仲間の雨音さんと百合園さん……彼女たちのことも、それで分かりました」

 そして負傷者がいることに気付き、うららの屋敷へ駆けつけたのだろう。

「なるほど。確かに偶然にしては出来過ぎだと思ってた」

 奏汰が言う。日菜はさらに続けた。

「話を戻しますと、血のにおいを探知した私は、二人のいる廃屋に向かったんです。そこで怪我をした水無瀬さんを治療しました。そこからです、私たち三人が行動をともにするようになったのは」

 それを聞いたアリスは「なぁなぁ」と声を上げた。

「話の腰折ってごめんな。今朝、小春が目覚めたとき……八雲、あんた何か説明しとったよな? 自己紹介までして。あれはどういうことなん? 今の話聞いとると、あんたら仲間やんな? なのに、何であんな初対面みたいな────」

「記憶喪失って言い方がややこしかったかな」

 至は眉を下げた。

 それから、さらに残酷な真実を告げる。

「ちゃんと説明すると、小春ちゃんは過去のすべてを忘れてしまってる。それに加えて、毎日毎日……眠ると記憶がリセットされる。今日のこのやり取りも、俺たちが誰なのかも、明日の彼女は覚えてない」

 一同はまたしても驚愕を禁じ得なかった。

 先ほどの比ではない衝撃が、上から降ってきて押さえつけてくる。

「何だそれ……。そんな奇妙なことがありうるのか?」

「ありうる。これは“魔法だから何でもアリ”とかいう次元の話じゃなくて……ちょっと小難しい理屈で説明するね」

 記憶障害は、大きく“逆行性健忘ぎゃっこうせいけんぼう”と“前向性健忘ぜんこうせいけんぼう”の二つに分けられる。

 前者は以前の記憶を思い出せなくなり、後者は新しいことを記憶出来なくなる、といったものだ。

「小春ちゃんはこの両方の状態。誰かの魔法のせいとかじゃなくて、十中八九、代償だと俺は思ってるよ」

 記憶操作といえば律の魔法が思いつくが、律が小春の記憶を操作する謂れもないだろう。

 至の主張は筋が通っている。

「でね、小春ちゃんは記憶をなくして以降はずっとスマホの電源切ってる。素性も俺が把握したしね。彼女を助けた翌日も例によって記憶を失ってたけど、もうスマホの中身の大捜索なんか必要ないから口頭で説明した。それを毎日繰り返してるわけ」

 アリスの疑問も解消した。

 毎日目覚めるたび、小春は何もかもを忘却してしまう。
 蓮たちのことも、至たちのことも、自分のことすらも────。

「蓮くんはきっと、ずっと心配だったよね。最初に小春ちゃんのスマホを見たとき気付いたよ。でも彼女からの返信がなかったのは、そういうことなんだ」

 蓮は理解もしたし、納得もした。

 それでも、どうしたってやるせない。ぶつけようのないこの感情の名前も分からない。

「小春ちゃん。よかったら、ちょっとスマホの電源入れて見てくれない?」

 奏汰が言う。何故かと一同は一瞬思ったものの、すぐに、ああと思い至る。

 そこに答えが書いてあるからだ。

「分かった……」

 小春は目の前で繰り広げられる自分の話を、何処か他人事のように聞き圧倒されながらも、奏汰に言われた通りスマホの電源を入れた。

 彼の指示通りウィザードゲームのアプリを立ち上げ、そのガチャ画面を見る。

“あなたの記憶(20年分)を消費しました”

 ルール上、画面を見せ合うことは出来ないため、小春がその一文を読み上げた。

 光魔法の代償は、やはり記憶だった。それも、二十年分────。

 小春は現在十七歳だ。したがって、まず十七年分の記憶を奪われたということだろう。

 その時点で小春の記憶は空っぽになっていた。

 さらに足りない三年分の記憶は、これからの三年間奪われ続けるのだ。

 尤も、先に十二月四日が訪れてしまうのだが。

「毎日忘却を繰り返す小春ちゃんだけど、自分の魔法の扱い方と、あともう一つ忘れないことがある。“殺し合わない”っていう信条。何度リセットされても、毎日その点は一貫してる」

 誰も傷つけない。誰も殺さない。皆を守る。

 何度否定されても、小春がずっと唱え続けていた信念だ。

 その考え方だけは、記憶を失っても変わることはなかった。

「小春……」

 蓮は思わず小春に向き直るも、彼女は拒むように後ずさる。

 当然だ。今の彼女は蓮のことなど分からないのだから。

 初対面でいきなり抱き締めてきた変な人、とでも思っているかもしれない。

 蓮は一瞬俯き、顔を上げる。

 決然と、小春を真っ直ぐ見据える。

「お前が忘れても、俺が何度でも教えてやるよ。お前自身のことも、俺たちのことも。毎日、目が覚めたら絶対そばにいる。お前を独りにはしねぇ。俺が守る」

 小春は驚いた。頭の奥が疼いて痛む。

 消えたはずの記憶の断片がちらついたような気がした。さざめく水面が光の粒を反射しているかのようだ。

 “俺が守る”────前にもそんなことを言ってくれた、誰かがいたような……。

「……恋人なんか知らんけど、恥ずかしげもなくようそんなこと言えるな」

「恋人じゃないよ、ただの幼なじみ」

 アリスの冷やかしに、奏汰は補足するように言った。
 実際どう思ってるのかは別としてね、と心の内で付け足す。

「さぁ、これで隠し事はなしかな。次は君たちのこと教えてよ」

 至は蓮たちに向き直った。

「狐くんに狙われてるのは分かったけど、あの星ヶ丘の彼は何で? 何か彼からは執念を感じたけど……。あのとき彼に殺されかけてた大雅くんは、今何処にいるの? 無事なの?」

「大雅は今、その相手のとこにいる」

 蓮は静かに言った。

 如月冬真という、たちの悪い魔術師の存在を伝えておく。

 大雅はもともと彼の一味だったが、冬真とそのもう一人の仲間である律が、最終的には命を奪おうと画策していたこと。

 冬真の目的のために生かされていたものの、何度も絶対服従や記憶操作を行われ、散々利用されてきたこと。

 大雅が既に彼らを裏切り、こちら側について意をともにしていること。それでも、冬真たちとの悪縁を完全に切ることが出来ずにいること。

 ────現在の大雅が置かれている状況と立ち位置を、洗いざらい至たちに打ち明けた。



「あれ以降、連絡ないよな。あいつ、大丈夫かよ……」

「私さっき会いましたよ、桐生くんと。そのときは無事を確認出来ましたけど、今はどうなのでしょうか」

 日菜が憂うように眉を下げる。

「……桐生くんとは無関係かもしれませんが、血のにおいがしてます。位置は学校ではないみたいです。後で念の為向かってみます」

 こく、と至は頷く。
 蓮と奏汰に向き直った。

「一応、俺たちとは同盟って形で認識しておいて。つまり、今の俺たちの明確な敵は冬真くんと狐くんたち運営側ってことかな」

 ただし、後者はルールに違反さえしていなければニュートラルなはずだ。

「ああ。それと、もう一つ俺たちと同盟組んでる奴らがいる。日菜から軽く聞いてるよな?」

 蓮は紗夜とうららについても教えておいた。
 彼女たちも目的をともにする同志である。

「うららの方が結城依織っていう元魔術師に恨まれててさ。うららの仲間っつーことで、大雅が襲われたことがある。そういう意味では依織も俺たちの敵だ」

「大雅くん大変だな……。ま、心得たよ」

 あちらこちらから狙われる大雅に同情してしまう。至はさらに続けた。

「皆が違反したっていうルールが何なのか分かったらまた教えて。それと、瑚太郎くんだけど、彼はひとまずこのまま眠らせておこうか。豹変されると困るからね」

 いずれ起こさなければならない、あるいは起きてしまうことにはなるのだが、これでしばらくはヨルを閉じ込めておける。

 眠気は感じるものの、一人眠らせた程度であれば知れている。

 ふと奏汰は瑚太郎を見やり、目を伏せた。

「今までは夜しか現れなかったヨル人格が日中にも出現した……。これって、もしかして早坂くんの人格が侵食されつつあるってことなのかな」

 日中の人格交代は、瑚太郎にとってもかなり稀なことだった。

 これまでは何とかヨルを押さえ込んでいたが、今回それを許してしまったことで、ヨルによる乗っ取りのハードルが下がったかもしれない。

「最終的には完全にヨルさんになってしまうということですか? そんな……」

「んー。でも、悲観しても俺たちにはどうすることも出来ないからね。ただ、魔法の代償でこうなったわけじゃないなら、瑚太郎くんが頑張ればヨルを封じ込められる可能性はあるんじゃない? 分かんないけど」

 至はドライなのか楽観的なのか分からないが、希望を口にした。

「じゃ、俺たちは一旦アジトに帰るよ。ひとまずは小春ちゃんもこっちが引き取る」

 その一言に、蓮はすぐさま噛み付く。

 せっかく再会出来たのに、何故また離れ離れにならなければいけないのだ。

「何でだよ! 何でお前が────」

「だってさ……見たところ、君かなり熱いじゃない? 色んな意味で。小春ちゃんとも関係が深い」

 だから何だと言うのだろう。

 強気に見返した蓮に、至も視線を返す。

「だから、きっと────耐えられないよ。何度も何度も、自分を忘れられることに」

「……!」

「それで生まれたやるせない気持ちや焦りを、小春ちゃんにぶつけちゃったらどうすんの? 彼女を追い詰めることになるんだよ」

 蓮は言い返せなかった。情けないが、そうしないとは言い切れない。

「……なら、お前。俺の代わりに死ぬ気で小春のこと守れよ。何かあったら許さねぇ」

「りょーかい。じゃあね。もし冬真くんや他の敵から襲撃されたら呼んで。文字通り飛んでくからさ」

 何とも心強い味方を得たものだ。

 またしても小春と離れなければならないのは、そして彼のもとに置くことになるのは、蓮としては不本意だったが、彼は間違ったことを言っていない。

 今は至を信じ、委ねるしかない。蓮は小春を見やった。

「小春、何かされたら俺のこと呼べよ。助けに行くから」

「やだな、何もしないってば」

 至は軽い調子で笑ったが、その言葉に嘘がないことは分かった。

 彼に悪意はない。ただ、小春や蓮を案じてくれている。

 しばらくの間、小春は蓮を見つめていた。

 何を思っているのかは分からなかったが、蓮はその眼差しをしっかりと受け止める。

 彼女は少しだけ、表情を緩めた。

「ありがとう。……蓮、くん」

 はっとした。一瞬、記憶が戻ったのかと思った。あるいは、記憶喪失などとは悪い嘘なのかと。

 どちらも違っていた。ただ、会話の流れで蓮の名を把握し、それを呼んだに過ぎないのだろう。

 それでも嬉しかった。小春が自分の名前を呼んでくれたのは久しぶりのことだ。

 同時に悲しくもあった。呼び方が変わったのだ。

 それは、以前の小春とは違うということを、如実に示していた。

 ────すぅ、と小春の身体が空間に溶け込んで消えていく。至もその結界に入った。

「向井、任せとき。あたしが八雲のこと見張っとくわ。ってことで、あたしも行く!」

 慌てて言ったアリスは矮小化し、ここへ来たとき同様に小春の肩へと飛び乗る。

「私は血のにおいのもとへ行ってみます。その後は学校に戻りますね。如月くんの動向も気になりますし」

「分かった。じゃあまたね、皆も」



 辺りから気配が消える。小春が二人を連れて飛び立ったのだろう。

 残された蓮と奏汰は、眠りに落ちた瑚太郎とともに拠点である廃トンネルへと向かうことにした。



 日菜は血のにおいの発生源へと向かうため、方向が異なり次第、蓮たちと別れるつもりでいた。

 しかし、廃トンネルへの距離は縮まる一方だが、日菜とは方向が合ったままだ。

 だんだんと、蓮は嫌な予感を抱き始める。

「もしかして……大雅が負傷して、拠点に逃げ込んできたんじゃねぇか?」

 自然と歩調が速くなった。最後は駆け込むような形でトンネル内を覗く。

「大雅!」

「ん? お、帰ってきた」

 大雅がいたのは予想通りだったが、その他に想定外のことが多過ぎて、理解が遅れる。

「瑠奈!?」

 ずっと消息不明となっていたはずの瑠奈が、そこにはいたのだ。それだけでなく、冬真の腹心である律までいる。

 まさか大雅に何かしたのだろうか。

「お前ら……」

 驚きと警戒混じりに睨めつけたものの、大雅がそれを宥めた。

「大丈夫だ、こいつらは敵じゃねぇ」

 簡単に説明した大雅は、紅のことやその魔法についても教えておく。
 
「私も胡桃沢氏も、お前たちに協力したい」

 紅は表情を変えることなく、淡々と告げた。

 蓮たちに反対する理由もなければ、むしろ歓迎すべき展開であった。

「マジで? 助かる。よろしくな」

 蓮がすぐさま受容すると、瑠奈は安堵したように息をつく。小春といい、彼といい、何と寛大なのだろう。

 仲間の仇であるはずなのに、恨み言一つ言わないとは。
 蓮は大雅に向き直る。

「冬真は?」

「律ともども殺されかけたけど、紅のお陰で事なきを得た。ひとまず追跡も逃れたし、助かった」

 既にメッセージもブロックしたし、今後一切彼からのテレパシーに応じるつもりはない。

 ともかく、案じたような一大事ではないことが分かり、奏汰は背負っていた瑚太郎を下ろした。

 壁にもたれかけるようにして座らせておく。

 瑚太郎が突如としてヨルと入れ替わり、奏汰を襲ったこと。ヨルを封じるため至が彼を眠らせたこと。

 それらを伝えておいた。



「こんなところにトンネルが……」

 背後から聞こえた足音が反響したかと思うと、日菜の驚いたような声がした。

 大雅を心配するあまり先走って、いつの間にか彼女を置き去りにしてしまっていた。

「悪ぃ、日菜。置いて行っちまって」

 蓮は言いながら、はたと疑問を抱いた。

 大雅が無事なら、日菜の探知した血のにおいは何だったのだろう?

「……っ」

 そのとき不意に大雅がふらつき、たたらを踏んだ。脇腹の少し上辺りを押さえ、顔を歪める。

「……冬真に殴られたとこ、まだちょっと痛ぇな」

 それ以外にも擦り傷や切り傷があるのが見て取れた。これが血のにおいの正体だったのだろうか。

 日菜が慌てて駆け寄る。

「私が治します」

 彼に手を翳すと、ぱぁっと柔らかい光に包まれた。

 滲んでいた血が止まり、傷口がみるみる塞がっていく。折れた骨が再生する。

 ずきずきと軋むようだった脇腹辺りの痛みも消え去った。

「すげぇ。痛くなくなった」

 その事実を確かめるように、身体を伸ばしたり捻ったりしてみる。

 日菜は反動による頭痛を堪え、頭に手を添えつつ苦く笑った。

「桐生くん……、痛いはずですよ。肋骨が折れてました」

「えぇ!?」

 思わず声を上げる瑠奈。驚きと呆れが入り交じる。

 そんな状態であれほど全力疾走していたなんて。

「必死だったから全然気付かなかった」

 逃げ切ってからも終始けろりとしていたし、思っている以上に彼はタフなのかもしれない。

 と、しばらく沈黙を貫いていた律がおもむろに口を開いた。

「……如月について、少しいいか」

 皆が一様に律を見やった。

 冬真の話題とあり、思わず身構えてしまう。

「俺は一度、運営側の打倒を呼びかけるために如月を説得しようとした。だが、失敗した」

 それで危うく、律は律自身の中に永遠に閉じ込められそうになった。

「これ以上、誰が何を言っても如月の性根は変わらない。協力は無理だ。煽るほどにむしろ、運営側に肩入れするだろう。今後も桐生や佐伯は命を狙われ続けるはずだ」

 大雅と奏汰、それぞれを一瞥する。

「さらには目的の対立から、徹底的に邪魔してくるだろう。運営側を倒したいなら、如月のことも倒さないと難しいかもしれない」

 重々しい沈黙が落ちた。

 冬真を倒すのはかなり難儀な話である。

「至にもっかい眠らせて貰えば?」

 大雅が言った。

 既に瑚太郎を眠らせているが、まだあと一人くらいならば余裕があるはずだ。

 そう暢気に構えていられるほどはないだろうが、一時しのぎにはなる。

 多勢に無勢なのだ。こちらは協力し合い、色々な魔法を組み合わせられる。それなら、冬真一人くらい封じ込めるだろう。

「透明化出来る“影の魔術師”もいるし、うららもいるし、奇襲も簡単だ」

 “影の魔術師”の正体を知った蓮は、その単語に思わず顔を曇らせた。

 再会は喜ばしいものの、思っていたより遥かに残酷な形だった。

「実は、それは透明化じゃなくて、光魔法による光学迷彩だったんだ。その“影の魔術師”だけど……正体は小春ちゃんだった」

 奏汰の言葉に、大雅だけでなく瑠奈も瞠目した。

「小春、見つかったんだな」

「よかった……! 無事だったんだ」

 瑠奈は笑顔で両手を重ね喜んだものの、肝心の蓮の表情は晴れなかった。

 誰よりも彼女を案じ、無事を願ってきたはずだ。それが叶ったのに、どうしたというのだろう。

「小春ちゃんは代償で記憶を失ってた。それだけじゃなく、今後三年間は、毎日眠るたびに記憶がリセットされる」

 黙り込む蓮に代わり、奏汰が訝しむ大雅たちに説明した。

 瑠奈は息をのみ「そんな……」とこぼす。衝撃的な事実だった。

 まさか、そんな状態になっていたとは────。

「お前は記憶を操る魔術師だろう? 何とか出来ないのか」

 紅は律に問うた。小春を思ってというより、単なる疑問をぶつけただけのようだ。

「俺は記憶の消去と改竄しか出来ない。消したり書き換えたりは出来ても、取り戻すことは不可能だ」

「そっか……」

 若干律の魔法に期待していたところがあった蓮は落胆しつつ呟く。

 やはり、抜け穴はないのだろうか。

 もしかすると記憶操作魔法のそのような制約は、代償により失った記憶を取り戻させないようにするためなのかもしれない。

「────いや、出来る」

 大雅は断言した。
 全員が信じられないような眼差しで彼を見やる。

「失った小春の記憶、取り戻せるぞ。俺なら」

 たぶん、や、かもしれない、などといった曖昧な言い方はしなかった。

 大雅ははっきり“出来る”と言い切った。堂々たる態度で。

「どうやって……」

「俺の魔法は知っての通りテレパシーだ。俺と意識を繋いでおけば、頭の中で互いに思念を送り合える。それが基本だけど、それだけじゃねぇ」

 すっ、と大雅は自身の顳顬を指し示した。

「────思考やも転送出来るんだ」

 それは初耳だった。一同は目を見張る。
 彼は瑠奈に視線を流した。

「お前には最初に軽く言ったよな」

 彼女は頷いた。そのときのことはしっかりと覚えている。

『あと、注意点だ。読心は無理。つまり相手の思考を読むことは出来ねぇ』

『そうなの?』

『思考の転送は出来るぞ。でも、その場合は相手にも送る意思がねぇと駄目なんだ。俺が一方的に心を読むのは無理だ』

 記憶までもを送り合えるとは知らなかったのだが。

 しかし、それならば何となく分かったような気がする。

 大雅が三秒間目を合わせたとき、何を読み取っているのか。

 名前や学校、保有する魔法に至るまで、彼は相手の読み取っていたわけである。

「実はな、俺の代償も記憶だったんだよ」

 大雅の場合、テレパシー魔法の代償は“四年分の記憶”だった。それにより、直近四年間の記憶を失った。

 当然ながらゲームのことも忘却した。

 だが、現状に混乱する中、偶然にも鏡を覗いたとき、目が合ったのだ────自分自身と。

 そうして、己の魔法で失った記憶を取り戻した。鏡の中の自分自身から転送したのである。

 つまり、記憶というのは失っても完全に消えるわけではない。

 頭の奥底に眠っており、単に思い出せないだけなのだ。

「俺の場合は、引いた魔法に恵まれてたな。お陰で代償も相殺出来た」

「……そういうからくりか」

 律は納得したように呟く。

 自分が大雅の記憶を操作しても、しつこいくらいに取り戻せていたのは、こういうことだったのだ。

 律の魔法は、ふとしたきっかけで本来の記憶が戻ってしまう可能性がある、というのが弱点だが、大雅の場合はそうではなかった。

 先ほど彼が冬真と戦っていたときに記憶を取り戻したのも、鏡の破片のお陰だったのだろう。

 もとからそのために持っていたわけだ。

 確かに、テレパシー魔法でなければなし得ない技だった。

 そういう意味では、律と大雅の魔法も天敵という関係性かもしれない。

 大雅の話を聞き終え、蓮は思わず一歩踏み出す。その勢いのまま、彼の両肩を掴んだ。

「頼む。小春と会って、記憶を転送してくれ。あいつの記憶を取り戻してやってくれ」

 当然、言われなくてもそうするつもりだ。

「おう」

 大雅は短く答え頷く。

 それから「ただし」と、蓮の目を見据える。

「また明日な。今日は小春も疲れてるだろうし、俺たちにも色々あり過ぎた」

 例えば人物相関図が存在するのなら、それが大きく動いたことだろう。

 小春に関する大方の謎や秘密も明かされ、あとは答え合わせを残すのみとなった。

 頭の中を整理したいし、紅たちとももう少し情報を共有しておきたい。

 今日のところは、焦る必要などないだろう。

「……ありがとう」

 噛み締めるように告げた蓮に、大雅は頷く。

 彼の切実な想いは、テレパシーなど使わずともひしひしと伝わってくる。

「ああ、大丈夫だ」

 ────実のところ昨晩から、小春とのテレパシーに変化が見られている。

 微弱な電波のようではあるが、時折意識を繋ぐことが出来るのだ。

 それは、彼女の記憶を巡る希望と言えるだろう。
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