特別な人

鏡由良

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特別な人

特別な人 第215話

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 感情が高ぶって冷静じゃなかった思考が落ち着いたのは、寮父さんが持ってきてくれたホットミルクを飲み終えた頃だった。
 管理人室には僕と朋喜の二人だけで、清掃業者の人達が来たからと寮父さんが出て行って10分ぐらい経っていたはず。
 熱を失ったマグカップをテーブルに置いた僕は、何も言わず傍にいてくれた朋喜に「ありがとう」と感謝を告げた。
 泣きすぎたせいか掠れ声になっちゃったけど朋喜は優しく笑ってくれたし、ちゃんと伝わったみたいだ。
「悠栖と慶史君、遅いね」
「そ、だね……」
 笑顔のまま掛けられる言葉に一瞬表情が強張った気がする。
 でも、それでもなんとか笑って返せたから朋喜の笑顔を曇らせることはなかった。
「二人とも、大丈夫かな? やりすぎてないといいけど」
「! そっちの心配なんだ……?」
「え? それ以外に何かある?」
 傷害事件になるようなことは避けて欲しいんだけど。と肩を竦ませる朋喜のおどけた物言いに、僕はそういう心配ならする必要が無いと視線を落とした。
 虎君はちゃんとした道場にこそ通っていなかったものの、多人数と戦うことに長けている陽琥さんから実戦に耐えうる格闘術を習っていた。
 勿論、習っているからといって必ずしも実力として身につくものじゃないんだけど、虎君のその実力は陽琥さんもプロとして十分やっていけると認めるほどのもの。
 そんな虎君を相手に、慶史と悠栖がどうこうできるとはこれっぽっちも考えられない。きっと二人がかりで飛び掛かっても虎君は事も無げに二人をやり込めてしまうだろう。
 だから、朋喜の心配は無用のもの。二人が怪我をすることはあっても、その逆は絶対に有り得ないから。
「あ……。もしかしたら怪我で動けないのかも……?」
「えぇ? 流石にそこまではないでしょ? 慶史君は日頃の恨みもあるし『無きにしも非ず』だけど、流石に悠栖が止めるはずだし」
 虎君の実力を知っているからこそ、僕は慶史と悠栖が返り討ちに遭って動けないのかもしれないと心配する。
 一方朋喜はやっぱり僕とは違う見解で、苦笑交じりでそういう意味じゃないと僕は僕が思った心配を説明した。
 すると、今度は朋喜が苦笑いを浮かべて……。
「普段のお兄さんなら確かにそうかもしれないけど、今はたぶん、やられたい放題な気がするよ?」
「そんなのあり得ないよ。絶対にあり得ない」
 虎君が慶史と悠栖に―――自分よりもずっと弱い相手に殴られるなんて、そんなの僕には全く想像できないことだ。
 僕は朋喜を恨めしそうに見つめると、「あんまり嫌なこと言って苛めないでよ」って唇を尖らせてしまう。
 朋喜は、言葉には出さなかったけど、虎君が僕を好きだとまだ思っているみたいだった。
 だから、あり得ないことを考えて僕の心を悪戯に揺さぶるんだ。
 少し前に失恋したばかりの朋喜なら誰よりも僕の気持ちを理解してくれると思っていたのに、酷いや。
「……本当、今回の慶史君の判断ミスは致命的だね」
「? 何が?」
「なんでもないよ。こっちの話。僕から言えるのは、早く殻から出てきてね? ってことだけかな?」
 慶史にしては珍しいほどの大失態だと言う朋喜。
 何のことか分からないけど、おそらく僕に関することなんだろうと顔を顰めれば、朋喜は苦笑いを濃くして僕の髪を撫でてきた。
「……僕、殻になんて閉じ籠ってないよ」
「うん。そうだね」
 拗ねて反論するも、慈しむような笑顔を返されるだけ。
 反論するだけ無駄だと察した僕は、居心地の悪さを覚えながらも慶史達が戻って来るのを黙って待つことにした。
 すると、程なくしてエントランスが騒がしくなる。
 聞こえる声は慶史と悠栖のもので、元気そうなその声に大事には至らなかったんだと僕は胸を撫で下ろした。
「戻ってきたみたいだね」
「うん。だね」
「怪我、してなさそうだね」
「! 朋喜っ」
 クスッと笑ったのって、絶対当てつけだよね?
 頬を膨らませて怒る僕に、朋喜は目尻を下げて「よかった」って笑った。
「何が良かったの? 僕、怒ってるんだけど!」
「うん。怒れるほど葵君が元気になったから、よかったって思ったの」
 怒りはとても強いパワーの源だしね。
 なんて、優しく笑ったりしないでよ。さっきまでの意地悪は、僕のためだったの?
 僕は朋喜の優しさにめいいっぱい元気をもらっていたんだって気づいて泣きそうになるじゃない。
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