特別な人

鏡由良

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恋しい人

恋しい人 第6話

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 僕は納得納得と一人頷き歯磨きを進めた。
 歯を磨きながらも時間を確認する僕は、いつもはもっと念入りに磨いているけど時間がないから夜にその分時間をかけて磨くと自分に約束して口を漱いだ。
 ヘアターバンで髪を上げる僕の耳に届くのは洗面所のドアをノックする音。
 誰だろう? って思いながら「はーい」って返事を返す僕。姉さんか母さんが呼びに来たのかな? なんて思ったんだ。
 でも、ドア越しに聞こえたのは女の人の声じゃなくて、大好きな声。虎君の声だった。
「葵、入っても大丈夫か?」
「! うん。大丈夫だよ」
 僕は慌ててドアを開けた。開いたドアの向こうには大好きな人が居て、分かっていた事なのにドキッとしてしまう。
「ど、どう、したの……?」
 こんな何気ないことにドキドキしてるなんて知られたくないって思っちゃうのは、どうしてだろう?
 変なプライドのせいで平静を装う僕の笑い顔はあまり可愛げのあるものじゃない。
「いや、葵の傍にいたくてさ……。一緒にいて良いか?」
「でも、顔洗うだけだよ……?」
「分かってる。でも、暫く二人きりで過ごせないからお願い」
 僅かに首を傾げ、僕の頬っぺたに手を伸ばしてくる虎君。
 親指で頬を撫でられただけなのに、その甘い雰囲気に心臓がぎゅっと締め付けられた気がした。
(ドキドキしすぎて眩暈、しちゃいそう……)
 僕が無意識に虎君の手に頬を摺り寄せていたと気づいたのは、虎君が愛しげに目を細めたからだ。
 ハッと我に返った僕は、恥ずかしくて虎君の手から逃げるように踵を返して洗面台の前に戻ってドキドキと煩い心臓を抑えつけるために胸を手で押さえた。
「そんな風に逃げないでくれよ。傷つくぞ?」
「! ご、ごめんっ!」
 ぱたんと閉まるドアと、空間に響く虎君の声。
 僕は虎君の発した言葉に慌てて振り返り、謝る。嫌だから逃げたわけじゃないからね? と。
 すると虎君は分かってると笑って僕の目の前まで歩み寄ると身を屈め、ヘアターバンで上げた前髪のおかげで露わになった額にチュッとキスを落としてきた。
「と、虎君……?」
「茂斗の前じゃ我慢するから、二人きりでいる時は葵の傍にいさせて?」
 口付けられた額に触れてその名前を呼べば、優しい笑顔。
 僕の気持ちをちゃんと汲み取ってくれる優しい恋人にこれ以上ないほど胸がキュンとしてしまった僕は、早く顔を洗って学校に行かなければいけないと分かっているのに虎君に抱き着いてしまう。
「虎君、大好きっ」
「ん。俺も大好きだよ」
 髪に落ちてくるキス。僕は胸に埋めていた顔を上げ、唇にもと強請るように虎君を見つめた。
 虎君は僕の想いに気づいてる。気づいていて、僕の唇に指で触れると目を細めて『取り引き』を持ち掛けた。
「帰って来てもなるべく二人きりになれるようにしてくれる?」
 リビングにいると、甘い時間にどうしても邪魔が入ってしまう。
 それは姉さんであったり茂斗であったり様々だけど、これから茂斗に気を使って茂斗の前では甘い空気を出さないようしなくてはダメだから、必然的にリビングでは甘い時間は過ごせなくなる。
 だったら自分の部屋で過ごせばいいだけの話なんだけど、虎君と部屋で二人きりになるなんてドキドキしすぎて心臓が止まりそうだと言って嫌がっていたのは僕の方だった。
(もう! 確かに付き合ったばかりの頃はそうだったけど、今は全然平気なのに!)
 むしろ二人きりで甘い時間を過ごしたいぐらいだ。
(で、でも全然エッチな意味じゃないし!)
 虎君の腕に抱かれて過ごすこの甘く切ない気持ち。僕はもっともっとこの幸福感に浸りたい。
 だから虎君の申し出に『嫌だ』と応えるわけがない。
「うん。約束、だよ?」
「約束、な?」
 上目づかいで虎君を見つめたまま唇に触れる虎君の指にチュッと口付けると、虎君は嬉しそうに、満足そうに笑った。
「愛してるよ、葵」
「うん。……僕も……」
 身を屈める虎君に、僕は上を向いて目を閉じる。
 チュッと唇に触れた虎君の唇は、もう一度吸い付くように触れてくる。下唇を甘く挟み込むその唇に、心臓が壊れそうなほど激しく鼓動してると感じてクラクラしそうだった。
「葵、可愛い……」
 離れた唇と、すぐ近くに感じる息遣い。そして、愛しさを隠さない切なげな声。
 僕はゆっくりと瞼を持ち上げ、虎君の姿を求めた。
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