特別な人

鏡由良

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恋しい人

恋しい人 第77話

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「あんまり並んでないな」
 気が付けば虎君は僕の隣を歩いていた。
 前を向いていたけど全然前を見れていなかった僕は、虎君の声に目的地であるお店へと視線を向ける。すると前回来た時のような長蛇の列はなく、2人組の女の子が数組待っているだけだった。
 すぐに入れそうだと笑う虎君。僕はそれに相槌を打ちながら、前回は考えもしなかった『男2人』という現実に一瞬足が竦んでしまった。女の子が好きなお店に男2人だけとか、変な目で見られるかもしれない……。と。
(もし、もし虎君がそれに気づいて僕と一緒にいることに後ろめたさを感じたらどうしよう……)
 僕が本当に怖いのは、他人の嘲笑じゃない。想いを穢されることでもない。虎君が僕との関係を恥ずかしいと思わないか、それが不安なんだ……。
 脳裏に過るのは、お昼の出来事。本心ではないにしろ姫神君が言った『普通』の価値観に、虎君の目が醒めてしまわないか、怖くて仕方がない。
「葵、置いてくぞ?」
 早く並ばないと。そう言って先を歩く虎君は足を止めた僕を不思議そうな顔で振り返る。僕はこの恐怖を隠さないとと笑顔を貼り付け、『なんでもない』と首を振った。
 でも、どんなに上手く振る舞っても僕を僕以上に知っている虎君を騙せるわけがない。
「……さっきからどうした?」
「な、なんでもないよ……?」
「嘘吐き。……パンケーキ、食べたくない?」
 僕の傍に歩み寄ってくる虎君は、俯く僕の顎に手を添え、上を向くよう促す。
 上を向いた僕の目に映るのはこの上なく優しい虎君の笑顔。その大好きな笑顔に、我慢しようと思っても縋りつきたくなってしまう……。
「そんな顔しないで……? 人目も気にせずキスして抱きしめたくなるだろ……?」
「っ、虎君っ……」
 指で唇をなぞられ、目尻を下げて微笑まれる。
 僕はどうしようもないほど虎君のことが好きで、大好きで、囁かれる甘い言葉に気を抜けば泣いちゃいそうだった。
「ああ、そんな顔しないで。葵が嫌なことは絶対にしないから、な?」
 抱きしめてあげられない状況で泣かないで。
 そう困ったように笑う虎君は、僕のために我慢してると言う。
 何を我慢しているのかと言葉を詰まらせながら尋ねれば虎君は一度視線を僕から外し、「人の目が気になるんだろ?」と周囲を見渡した。
「俺は、誰に見られてもいいよ」
「え……?」
「なんなら、今此処で『葵を愛してる』って叫んでもいい。……誰に何と言われようと葵を愛してる気持ちを隠す気はないから」
 再び僕に視線を向ける虎君は僕の手を握ると「俺の気持ちは何があっても変わらないよ」と身を屈め僕の髪にキスを落とす。
 受け取ったキスに、『人前なのに』とか『普通じゃないから』とか、世間の常識が頭の中でグルグル回ってる。
 でも、そんな世間の常識よりも目の前で笑ってくれる虎君の言葉が僕の心をいっぱいにした。
「ほんと……? 本当に、変わらない……?」
「ああ。変わらないよ。……一生かけて証明するから、覚悟しといて?」
 虎君は街中だろうが一緒にいたいし手も繋ぎたいと言ってくれる。そして、時には抱き合いたいしキスもしたい。と。
 他の人に酷い言葉を掛けられるかもしれないと僕が言えば、僕が傷つくのなら我慢すると言う虎君。自分は誰に何を言われても平気だ。とも。
「言っただろ? 『葵を愛してる気持ちを隠す気はない』って。……むしろ全世界に見せつけてやりたいぐらいだ。俺が愛してる人は世界一可愛いんだぞって」
「っ……、『可愛い』、なんて、嬉しくないよ……」
「はは。ごめんな? でも俺にとって葵はいつだって『可愛い』からつい、な」
 本心を隠した嘘と悪態。
 でも虎君は笑ってくれる。今までもこれからも愛してるよ。と……。
「……パンケーキ、食べたい……」
「! ああ、もちろん。ほら、行こう」
 虎君が愛しくて身悶えたい。でも街中で思うがままに身悶えたらただの不審者だから、我慢。
 可愛くない態度をとってしまう僕だけど、虎君は笑ってくれる。とても愛しげに。
(僕も虎君のこと、大好き……。誰に何を言われても、どんなに酷い言葉を浴びせられても、この気持ちは絶対に変わらないっ)
 周囲の反応に傷つくことはあっても、この想いを恥じることは絶対にない。後悔することも、絶対。
「虎君っ」
「ん? どうした?」
 先を歩く虎君を呼べば、ちゃんと足を止め振り返ってくれる。僕の声を、ちゃんと聴いてくれる……。
 こんなに愛されているのに、何を不安に思うことがあるのか。
 僕はさっきまでのマイナス思考を切り捨てて、心のままに行動した。
「手、繋ぎたい……」
 置いて行かないでと手を伸ばせば、虎君は一層優しく笑うと僕の手を取るために戻ってきてくれた。
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