強く儚い者達へ…

鏡由良

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強く儚い者達へ…

強く儚い者達へ… 第3話

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 帰路についた女の後ろには、血痕の道筋ができていた。
 何度となく通ったこの道、リムはただ無心に歩いていた。しかし…。
(何だ…この焦燥感…何か良くないことが待っている気がする…)
 それは虫の知らせというべきだろうか?
 理由も分からないこの不安な気持ちにリムの足は速くなる。
(あのときと同じ…)
 『あのとき』…それは父を失った日のこと。
 理由の分からぬ不安がリムを浸食してゆく感覚はあの日の朝にも感じていた。
 何か、よくないことが起こる。
 歩く速度は自然と上がり、いつの間にか走り出すリム。
 遠目に見える自分の家に彼女は何も起こっていないことを祈るしかない。
(姉さん…母さん…)
 どうか無事でいてほしいという願い。
 何かあったと知らせる第六感。
 リムは、ただ走る…。
 家の前まできて、異変に自分の予感が当たってしまったことを恨んだ。
 風もないのに、木々がざわめいている。そして、明かりの漏れた窓から見たのは…
「母さん!!」
 思わず、大声で叫んでしまった。仕方がないといえば、仕方がないのかもしれない。
 彼女の義母・カグナが切り裂かれた衣服をまといながら、壁に張り付けにされていたのだから…。
 リムは頭の中でけたたましく鳴り響く警鐘を無視して家に飛び込むとそのまま変わり果てた義母の下へ駆け寄った。
「母さん!母さんしっかりして!!」
「り…ム…?」
(よかった。意識はある…)
 ほっと安堵の息を漏らすリム。母に不安を与えないよう、「今、おろすから」と微笑みながら語りかける。
 しかし、それは母本人によって制止させられる。
「り、む…よく、き…きなさい…」
「母さん喋らないで!」
「わた、しは…もう、助からな、いわ…」
 自分の死期を悟ってカグナがそう呟く。
 それにリムは何をいうかと聞き入れようとせず母を壁に縛っている数本の剣に手をかける。
「リム!」
 力強く呼ばれる自分の名に彼女はビクッとする。
 きれぎれの声で呟きながら「お願いだから聞いてちょうだい」と懇願する母…。
「貴女に、伝え、なければ…ならない、の……」
「何を…」
 涙を堪えながら、リムは母の話に耳を傾ける。
 切り刻まれた肌。ズタボロにされた衣服…。
 母の手や肩に刺された剣は自重でその傷を抉ってゆく…。まるで、母を十字架に見立てているかのように。
「わか、たわね…リム」
「わかったから、わかったから…」
 死なないで…。
 頬に涙が伝う。確実に弱まってゆく母の吐息。
 リムはあの出来事以来、初めて泣いた…。
 生きて。治してみせるから、生きて。ただ、言葉にできない思いを吐き出すように涙を零す。
 それしか、今の自分にはできないから…。
「い、きて……愛し、い……子……」
 血みどろの顔。かすかに目尻に浮かぶ涙。母は微笑み、その命の灯火を静かに消した…。
 声もなくリムは泣いた。愛してくれて、ありがとうと心で呟き、母の体を蝕む剣に手をかける。
 母を苦しめる刃を一刻も早く取り除いてあげたかった。
 剣の柄に手をかけようとしたその時だった。
 聞き慣れない、でも、決して忘れることのできない声がリムの体から感覚を奪った。
「お久しぶりです。リトル・ミス」
 冷酷な微笑み。脳に直接響く声。例え姿形が変わっていても、間違えることなどあり得ない。
「スタン…」
 涙が止まり、ゆっくりと振りかえると仄かな明かりをその身に受けながら微笑む男の姿が目に入る。
 あの時からずいぶん年月がたったのに、何一つ変わらない男。
「お別れの言葉はきちんと交わせましたか?」
「いつからそこに」
「おかしなことを…ずっといましたよ。貴女が血相を変えて部屋に飛び込んでくるずっと前からね」
 口元だけが、笑みを浮かべる。眼孔には殺意を込めてリムを舐め回すように見つめている。
「母をこんな様にしたのはお前か」
「口の悪さは相変わらずですか」
 くくくっ、と笑うスタンにリムは何がおかしいと怒鳴る。剣の柄に手をかけ、一気に刃を引き抜きスタンに向けて構える。
「おやおや、姿が男になっただけではもの足りず、そんな凶器にまで手をかけているなんて…そんなに我々が憎いですか?」
 殺気に威圧される。力を付けたと思っていたリムは愕然とする。力を付けたからこそわかる、スタンとの実力の差…。
「フレア、お目当ての彼女が帰ってきましたよ」
「!!」
 スタンが自分の背後に視線を移す。
 名前を聞いただけなのに、心拍数が一気に跳ね上がったのがわかった。
 体がこわばるのがわかる。乗り越えたと思っていた。乗り越えたはずだったのに…。
「い、いやだ…」
 階段から聞こえる足音が近づいてくる。
 恐怖からか息づかいまで、聞こえているような錯覚さえ覚えた。
「おいおい、こんな男女興味ねえぞ、俺は」
「ふ、フレア…」
 恐怖がフラッシュバックする。頭にあの時の映像が鮮明によみがえり体が動かない。
 自分の叫び声さえ聞こえて来るような…、そんな記憶はいらないのに…。
 リムは腰が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。
「興冷めだ。ばかばかしい…おい、スタン、お目当ての女は発見したぞ」
 全身を嘗め回すように見られ、リムはその視線でさえ、フレアに直に触れられているように感じた。
 フレアはそんな彼女を無視してスタンにそう言って左腕に抱えている人物を差し出す。リムは双眼を見開いたまま「姉さん」とだけ呟いた。
 フレアに抱えられ、美しい金髪が揺れる。肌の血色から気を失っているだけのようだ。
 スタンは優しく微笑みそれまで体を預けていた壁から身を離すと、瞬く間にフレアの隣に立っていた。
 瞬間移動と言うにふさわしい動きにリムは怯える。自分と相手の力の差に…。
「美しい…これがセスト・ミセルの意志を受け継ぎし女性…」
 物のように彼女を抱えていたフレアとは対照的に、スタンは愛おしそうにデュミヌカを抱き上げる。
 リムのことなどまるで無視した様子のスタン。『セスト・ミセル』とはいったい…?
「ターゲットは捕獲しました。さぁ、帰りましょうか」
「あん?このガキはどうするんだ?」
「…殺すまでもないでしょう」
 先程までデゥミヌカに向けていた笑みとは全く別の冷笑。「殺す価値もない」と言われているような笑み。
 リムには殺そうと思えばいつでも殺せると言う風に聞こえた。それほどまでに開かれている実力の差…。
 息をするのも忘れてしまいそうな恐怖が彼女の体を支配して、動けない。姉を、助けなければと頭ではわかっているのに、体が、それを拒絶する。
 スタンが「いいんですか?彼女が目当てで付いてきたんでしょう?」と冷笑を浮かべれば、フレアからはわかってないなと言いたげな長いため息が零れた。
「期待はずれだ。どうせならこの女みたいに色っぽく育ってもらいたかったよ。そうすれば犯り甲斐があるってもんだろ?こんなヤロー見たな格好した女になんか勃つかよ」
「ミセスでは満足できませんでしたか?あんな芸術とは程遠い殺し方をして…」
 スタンの視線の先にはカグナが…。フレアは「あんなババアじゃ物足りないに決まってる」とうんざりしているようだった。
「!お、お前…母さんを…」
 リムの顔から血の気が引いてゆく。怒りに全身が震えて止まらない。フレアはカグナを犯し、なぶり殺しにしたのだ!
「あぁ…」
 リムの様子に気がつきフレアはにやにやしながらリムに近づいてくる。腰を抜かしたまま、怒りに震える姿に笑いながら彼は言った。
「帰ってきたお前を犯る気だって言ったら自分はどうなってもいいから娘達に手を出すなだとよ。泣けるね。母親って物は浅はかで」
 悲鳴どころか声を漏らすことなく、男の陵辱に耐え、自分と姉を守ろうとした母。
 反応がないのに飽きた彼は、彼女を殴り、斬り付け、「やめて」という言葉を発せようとした。
 それでも、彼女は最後まで娘を守るために痛みに耐えた。
 フレアはせめてもの鬱憤晴らしにと、カグナの息がまだあるにもかかわらず剣で壁に貼り付けにされたと言う。
 本当に、頭の悪い女だと笑う目の前の男に怒りが止めどなく溢れてくる。
「本当はあの女も犯りたかったがターゲットでマジで残念だよ」
「フレア。馬鹿なことを言ってないで帰りますよ」
 ため息とともに出された言葉にフレアは「お先にどうぞ」と笑う。
 犯る気はないが、つれて帰って調教するのだとかリムの意思をまるで無視した彼の言葉。
「…さっさと帰ってきなさい」
 フレアの性癖は理解できないと言うかのように、その言葉だけ残し、あの時と同じようにスタンは消えた。
「さて…言っただろ?お前は俺の慰み者だと。なのにこんな男みたいな体になりやがって…犯る気が失せるだろうが」
 そう言いながらリムの胸を鷲掴む。それがリムに正気を戻させた。
「やめろ!」
 空を切る大剣。これは誇りを取り戻す戦いだと恐怖で忘れそうだった。フレアの頬からは鮮血が…。
「わかってねぇようだな。力の差が。素直に言うこと効いてりゃ可愛いペットとして飼ってやるって言ってるだろうが」
 人として生きるのではなく、玩具として、逝かされる…
 戦わなければ…。戦わなければ何も取り戻せないのに、何も守れないのに、体が言う事を聞いてくれない。
 絶望に目の前が真っ暗になりそうなそんな時だった。
「リム…?」
 なんとタイミングが悪いのだろう…この惨状に現れたのは、ヘレナだった。
 あのまま気を失っていてくれればいいものを、彼女は気がつき姿の見えなくなったリムを探しに家まで来たのだろう。
 まさか、ヘレナがこんな時に現れるとは思っても見なかったリムは一瞬何が起こったか分からなかった。
「な…何?…なにが…」
 明らかに動揺しているヘレナ。それでも本能的に危険を感じたのか、ドアを開け放したまま、後づ去って行く。
「可愛いじゃねえか。それに、色気もある」
 血の気が引くのが分かる。フレアはニヤリと笑って見せた。
 美しく成長したヘレナは実に色香のある女に変わっていた。
 胸や尻の膨らみも、くびれたウエストやスラリと伸びた肢体も、今のリムには持ち合わせていないもの。
 綺麗になったと思っていたが、この時ばかりは彼女の美しさを呪った。フレアの意識をさらったその肉体の色気を。
「ヘレナ!逃げろ!!!」
 血相を変えて叫ぶリムの目に映ったのは、腰を抜かして泣きそうな顔をしてるヘレナと、「逃がすか」と笑い彼女の元に歩み寄る男の姿だった。
 叫ぶリムを、フレアは振り返り、威圧する。
(ヘレナ!!)
 声は恐怖で出ることはなかった。それでも、リムは大剣を手に取り萎縮した体を奮い立たせる…親友のために…。
「うおぉぉぉぉぉ!」
 力の限り、フレアの背中に刃を振り下ろす。ヘレナを無事に逃がさなければ。その思いだけが今の彼女を動かしている。しかし…。
「う、うそだ…」
 決まったと思った剣の刃は、フレアの背に触れ、肉を切る前にその身を散らした…。
 フレアの防護力の前にはリムの渾身の攻撃ですら無意味だった…。
「…死にたいらしいな」
 新しい愛玩具を見つけたフレアはもはやリムに興味などなかった。つまり、生かしておくに値しないということだ。
 メキメキっと肋が折れてゆくのを感じることができる。ただの蹴りなのにリムの身体は勢いよく壁に打ち付けられる。
「ぐはっ」
 血が口から吐き出される…。鉄の味が口の中に広がり、痛みと息苦しさに嗚咽が漏れる…。視界が揺らぎ、一瞬息ができずに咽た。
 立ち上がりたくない、もう、やめたい。弱さが頭にちらつく…。それでも、逃げることなど許されない…。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
 身を切られるような悲鳴が耳に届くと同時に艶のある声が痛々しく空間を支配する。
「!ヘレナ!」
 フレアに襲われるヘレナの姿に過去の自分を思い出す…。ヘレナにあんな思いをさせたくない。そんな思いがリムを駆り立てる。しかし…。
「おいおい。人の楽しみを邪魔するもんじゃないぜ」
 先刻は腹に、今度は顔にフレアの痛恨の一撃を食らってまたも視界が揺らぐ。
 鼻や口、耳からも血が流れ、リムの顔面は血だらけと称するに相応しい。
(…視界が…変だ…)
 ふらふらになりながらも再び剣を取る。目から流れる血に、視界はさらに悪くなる…。
「そんなに死にたいか?」
「ヘレナを…放せ…」
 助けを求め、泣き叫ぶヘレナにリムは立ち上がる。フレアはヘレナを片手で抱え上げ、空いている手で剣を取る。
「しかたねぇ…。死ねよ」
 剣が振り下ろされる。すべての動きがスローモーションのように思えるのは自分の死期が近いからか…。
(……義母さん…ごめん…)
 生きると約束したのに…こんなに早く約束を違えてしまうとは…。
 涙が血と共に頬を伝ったとき、フレアの刃がリムの胸を貫いた…。
「!リムゥゥゥゥ!!」
 いやに遠くで聞こえるヘレナの声…リムにはもう立ち上がる力はおろか、息をする力すらほとんど残されていなかった。
 ヘレナの悲鳴が、薄れ行く意識に響く…。フレアの笑い声とヘレナの身を裂かれるような悲鳴を耳に、リムは意識を手放した…。
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