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【 9 】
しおりを挟む「思い出した」
翌朝、不眠により青ざめた顔で工房を再訪した寛承君を待ち構えていた鄭欣は晴れやかに告げた。
「思い出したよ。もうずっと以前に我々の師が、君の悩みを解決する糸口をすでに発見していたことをね」
きょとんとする寛承君は、余りにも自信ありげな友人の態度に希望を持つべきか否か迷ってしまう。
「墨翟先生が?」
「先生の書き著した『観明集解』の中に、この問題についての示唆的な現象が記されているんだ。 やはり師は偉大だな」
鄭欣は訝る寛承君の前に、絹巻きにされた一幅の絵図と古びた竹簡を示してみせ、
「 針 穴 像 」
と力強くも注意深く発音する。 聴き慣れず、また、言い慣れてもいない言葉だった。
「針穴像……?」
「これだよ」
鄭欣は黒い板を取り出してひらひらさせた。
一片が前腕ほどの長さを持つ、正方形の中央に…… 「すごく小さな穴が、ひとつだけ開けてあるな」 寛承君は熱意なく受け取って、片目に当てると光の差し込む窓の方向を見透かしてから小さくつぶやく。
「針の穴、で針穴というのが字義通りだという事は分かる。 だけど針穴像の『像』とは何のことだろう …… ? 」
「見せよう。 これを頭から被れ」
鄭欣は厚めの亜麻布を寛承君にすっぽりと掛け、外の明るさから完全に遮断した。 手に持っている黒い板だけが布の隙間から外に見えている様は、布で身体を覆って右往左往している大道芸のおどけ役を思わせる。
「真っ暗だぞ …… 」
「いや、“ 真っ暗 ” ではない。 まだ目が暗さに慣れていなくて気付いていないだけだ。 手渡した板を見てみろ、小さな穴があったろ」
亜麻布の中にいる寛承君は少し手間取ってから、ようやく板に開けられた穴から漏れ入る微かな光の筋を見つけ出した。
「ああ、これだな」
「穴からの光が見えるか」
「見える」
「その光を遮るようにして、穴に掌を近づけたり離したりしてみろ。 なるべく光に対して垂直の角度がいい。 掌の光から目を離すなよ」
「 …… ? …… 」
自分の取っている行動の目的が分からないまま、つまらなさそうに鄭欣の指示に従う寛承君だったが、やがて「あっ!」と声を上げた。 明らかな驚きを帯びた大声だ。
「俺の掌に ───── 鄭欣、お前がいる!」
小さな穴から入って来る光の筋が、手の表面にうっすらと人の姿を映し出している。ぼんやりとした光が、特定の距離で遮られた時だけ小さくまとまりを見せて、穴の外側にある光景をそのまま闇の中に写し出す仕掛けのようだ。
「それが『像』だよ。穴を通して、外の様子を映しているんだ」
寛承君の掌で、小さな鄭欣がこちらを指で差してうなずいている。
「よく見れば、僕だけではなくこの部屋の様子もわかるだろう」
「ああ、見えるよ……驚いたな。 だが鄭欣、お前は上下が逆さまになった『像』として見えている。 頭が下、足が上だ」
「うん。 ついでに言えば、左右も逆になっている。 鏡に物を写した時に似ているが、それよりも少しだけ複雑だ」
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